2026/05/09 - 2026/05/09
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tenko__moriさん
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この旅行記スケジュールを元に
日本100名城巡りを始めました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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土浦駅から常磐線に乗って水戸駅に来ました。
なお水戸城跡は文教地区になっていて立ち入り禁止エリアが多いそうです。
駅到着後、北口のドトールで軽食を取りつつスマホを充電しました。 -
駅前にある水戸光圀一行の像。
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水戸城方面に移動するとこのような看板が至る所にありました。
まずは西側の三の丸の周辺を一周します。 -
これは駅の高架を降りたところにある大銀杏。
紅葉の季節に来ると良いのかも。 -
三の丸です。
三の丸はかなり広く、現在は小学校、警察署、図書館、庁舎が建っています。
この正面は小学校。入れないので左手の道を通って三の丸を一周します。 -
城感を感じる景色です。
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弘道館医学館跡の説明。
右下の地図を見る限り、塀の向こうにあるみたい。 -
水戸藩の藩医、本間玄調の像。
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三の丸の西側に来ました。
こちらは空堀の説明。 -
空掘はこんな感じ。かなり大きいです。
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イチオシ
奥行きもかなりのものです。
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道路側から三の丸を正面に据えた景色。
三の丸は高さがあります。 -
綺麗なお花。
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結構歩いてきたので一休み。
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東武館。1874年創立の武道道場。
現在も春に全国選抜少年剣道錬成大会を主催しているとのこと。
ここから三の丸の北側の道を進んでいきます。 -
水戸市水道低区配水塔。
夜はライトアップされるとか。 -
北柵御門。
弘道館北側の門ですが、ここからは通り抜けできません。 -
北柵御門の説明。
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北柵御門(近め)
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三の丸の北側。深さが無いので掘ではないようです。土塁?
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緑が目に眩しい。
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またしばらく進んで三の丸東側まで来ました。
徳川最後の将軍慶喜はこの弘道館で英才教育を受けたそうです。 -
弘道館正門。
この正門から弘道館には入れません。 -
なお、正門は復元ではなく創建当時のものとのこと。
また、柱には1868年の弘道館戦争時の弾痕が残っています。 -
弘道館は特別史跡に指定されています。
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弘道館の説明。
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右手の門(通用門)は開いているのでこちらから弘道館に入っていきます。
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番所。
こちらに警備の人が詰めていて不審者の侵入を防いでいたそうです。 -
受付で入場料420円を払って侵入?します。
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柳川枝垂。
一重咲きのしだれ梅。オフシーズンのため咲いておらず。 -
それでは弘道館正庁に入ります。
こちらも正門同様創建時のまんまだそうです。
1945年の水戸空襲の際には鹿島神社などのようにこの正庁も焼失しそうになったところ、市民が命がけで消火活動を行ったおかげで焼失することは無かったそうです。 -
角度を変えて。
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諸役会所。
控室です。 -
風情があります。
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正門が見えます。
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イチオシ
弘道館創設者徳川斉昭の自筆による扁額です。
游於藝と書かれていて、げいにあそぶということだそう。
のびのびと文武の芸を極めよ、という教育方針を示しています。 -
正席の間。
弘道館で最も格式の高い、藩主が座るための部屋です。 -
扁額の説明。
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江南所無。
天気が良くて緑が映えます。 -
正席の間から見た対試場です。
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中を進んでいくと
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お風呂がありました。
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トイレも。
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汚い話ですがこれは大きいほう。
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これは小さいほう。
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庭に面した廊下を進んでいきます。
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イチオシ
徳川斉昭の和歌。
「日本古来の正しい道徳(大和の道)は永久に変わらないものであるから、これから先の未来(行く末)であっても、日本人たる者は決してこの道を踏み違えてはならない」という意味だそうです。
心に刻みたい歌です。 -
長持。
現代で言うところのトランクです。
こちらは実際に徳川慶喜が使用していたものだそうです。
三つ葉葵の家紋が確認できます。 -
雲龍水。
消火用のポンプです。 -
大日本史。
実際に使われていたものだそうです。
ちなみにこの大日本史は嘉永年間(1848年~1854年)に作られた嘉永版とのこと。 -
礼記集説、豈好辯という教科書。
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保存状態が素晴らしいです。
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庭に出てきました。
江南所無です。
江南所無は中国伝来の美しい紅梅、らしいんですがオフシーズンのため咲いておらず。 -
月影。
こちらも梅の木です。
匂いが強いらしいですが、オフシーズンのため咲いておらず。 -
この辺りに医学館などがあったようです。
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対試場側から見た正庁、正門です。
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列紅梅。
水戸にしかない品種。徳川斉昭公の別称「烈公」にちなんでその名が付けられたそうです。 -
徳川斉昭は梅に熱心だったようで
・領内に数万本を植える「爆破的」な植樹
・日本初の梅干し工場をプロデュース
・自分の死後の名前(お墓)にまで「梅」を入れる
といった逸話があるそうです。
ただ、梅が好きだった本当の理由は最強の軍事食・非常食になるからだとか。 -
こちらも梅の木、虎の尾です。
ここまでの梅の木は水戸の六名木とされているんですが、
白難波の写真が撮れてませんでした。撮ってあったとしてもオフシーズンなので咲いてないんですが。 -
左近桜。
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天有栖川宮家の登美宮吉子さんが徳川斉昭に嫁入りした際に当時の天皇から送られた桜とのこと。
初代と2代目は枯れてしまい、この3代目は弘道館修復工事完了に伴い宮内庁から送られたもの。
以上で弘道館見学終了です。
水戸城のスタンプは弘道館入口の受付に、御城印は弘道館敷地内の売店で購入可能です。 -
弘道館正門の向かいに大手門があります。
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徳川斉昭の像。
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大手門(復元)です。
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かなり大きいです。
門をくぐって二の丸に入ります。 -
二の丸側から見た大手門。
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この辺りに水戸彰考館があったようです。
水戸彰考館は大日本史を編纂させるための施設で、彰考館はもともと東京の小石川にありました。 -
二の丸展示室。
時間的に余裕が無かったため立ち寄らず。 -
ずんずん進んで行くと
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右手に二の丸角櫓入口の旗が見えてきました。
ここから入って細い道が500mくらい続きます。 -
角櫓が見えました。
時間の都合上近くまで行けませんでしたが、中では展示もやってるみたいです。 -
角櫓の説明。
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シイの木。
樹齢約400年とか。 -
杉山坂。
城下から二の丸、藩主御殿まで直通で行ける坂です。
不審者がここを通ってしまうことが想定されますが -
坂を登ったところの杉山門からそんな輩を攻撃していたようです。
また、坂の途中にはやらい門という関所もあったとか。 -
そのまま二の丸の北側を南東に進んでいくと大堀切があります。
堀の底にはJR水郡線が通っています。 -
大堀切の先には薬医門があります。
薬医門は水戸第一高校の敷地内にあるため、遠目での見学です。
どうやら薬医門近辺の見学目的なら敷地内に入っても大丈夫なようです。(水戸観光コンベンション協会のサイトに「水戸城薬医門見学者は、ご自身で門を開け、後に人や車両が続いてない時は、通過後に必ず門を閉めてください。
なお、校門近辺を含め、防犯カメラを校内に複数設置しておりますので、あわせてご承知おきください。」とありました) -
大堀切を横目に水戸駅方面に南下します。
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徳川家康の末っ子水戸藩初代藩主徳川頼房の像。
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柵町坂下門(復元)。
武士が藩主御殿に入るときに通る門です。
当時は名前の通り坂の下にあったようですが現代の坂の下は交通量が多いことから坂の中段あたりに復元されたそうです。 -
柵町坂下門の説明。
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駅の近くまで来ました。
逆光で分かりづらいですが水戸光圀の像がありました。
「水戸黄門誕生の地」と書かれてます。 -
その近くには水戸黄門神社が。
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さらに駅に向かっている途中で城方面に見えたのは立ち寄らなかった二の丸角櫓です。
二の丸はかなり高い場所にあることを実感しました。
以上で水戸城見学終了です。
弘道館の見学だったり結構な距離を歩いたりしたので2時間ほど要しました。
今度は梅の季節に来て薬学門もじっくり見学してみたいと思います。あと二の丸角櫓も。
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