2026/09/21 - 2026/09/21
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tenko__moriさん
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この旅行記のスケジュール
2026/09/21
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岡山駅→備中高梁駅
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車での移動
備中高梁駅→ふいご峠駐車場
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ふいご峠駐車場→備中松山城
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徒歩での移動
備中松山城→備中高梁駅
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この旅行記スケジュールを元に
日本100名城巡りを始めました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 交通手段
- タクシー JRローカル
-
岡山駅から伯備線で備中高梁駅に移動してきました(6:38発-7:30着)。
ここからタクシーで備中松山城に向かいます。
駅からバスは出てないのでタクシーか、もしくは乗合タクシーがあるみたいなので時間さえ調整できればそちらが良いのではないかと思います。
タクシー会社に電話したら同じ備中松山城に行く人と相乗りでどうか?と打診されたのでお願いしました。おかげでタクシー代も通常の半額でふいご峠まで行けました。 -
7:50
ふいご峠に着きました。
正面奥の登城口から備中松山城に向かいます。 -
登城口です。
-
備中松山城へは徒歩20分(700m)とのことです。
-
登る途中には城主の登城心得があります。
あわてず
ゆっくり歩むべし -
ゴミは捨てずに
持ち帰るべし -
この先足もと
悪しきにつき
気をつけて歩むべし -
8:00
あと500mのところまで来ました。 -
8:05
石垣が見えてきました。 -
この辺りがちょうど
中間地点である
しばし休まれよ -
先ほどの石垣の上はこうなってます。
-
結構高いところまで来ました。
-
この辺りは中大鼓丸です。
ここには中大鼓櫓があり、連絡や防衛の機能を担っていました。
地面には中大鼓櫓の瓦の破片のようなものが散乱してました。 -
中大鼓丸を後にします。
-
8:10
あと300mです。 -
山道めいてきました。
-
ふと振り返ると
本日の登城
大義であった
いえいえ大したことはありませぬ。 -
奥に大きな石垣が見えてきました。
-
よくぞ
まいられた -
8:12
大手門跡に着きました。 -
左は三の丸方面です。
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大手門跡の右の階段を登ったところ。
恐らくここから大手門(櫓門)の櫓への入口があったのではないかと思います。 -
では、三の丸に向かいます。
ちなみに、階段の右手前辺りには足軽箱番所(検問所)があったようです。 -
大手門の左にも櫓(大手櫓)があったようです。
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ここを登っていくと三の丸なんですが、
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後方には二の平櫓がありました。
城外の監視や、大手門を通過する侵入者の迎撃するためのものです。 -
二の平櫓跡からの景色。
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落ちないようにしましょう。
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こんなに木々が生い茂っていて監視なんてできたのだろうか…。
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石垣が複数の階層で築かれてるのが分かります。
一段上が三の丸。
二段上が厩曲輪。
三段上が厩曲輪上の石垣。
四段上が二の丸。 -
こちらの三の平櫓東土塀は現存遺構です。
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土塀には狭間があり、侵入者を銃撃できるようになってます。
これは四角い矢狭間。 -
こちらは丸い鉄砲狭間。
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三の丸まで登ってきました。
左手には三の丸平櫓がありました。
これも二の丸平櫓と同様に侵入者の迎撃するためのものです。 -
三の丸です。
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続いて厩曲輪に向かいます。
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寄りかかる
べからず -
踊り場の先には
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黒門跡。
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黒門の左手には四の平櫓跡。
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厩曲輪。
馬をつないでおく場所です。
奥に見える土塀は現存遺構です。 -
厩曲輪からの景色。
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では二の丸へ。
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二の丸の石垣。
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この先が二の丸です。
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見えてきました。
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二の丸の入口にある鉄門跡。
礎石が残っています。 -
こちらにも。
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高梁観光百選に選ばれています。
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備中松山城の猫城主、さんじゅーろーです。
平成30年7月豪雨災害のあと、備中松山城の三の丸で保護された猫です。これは像ですが。 -
二の丸にある雪隠(せっちん)跡。
トイレです。 -
雪隠は2つありました。
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備中松山城の沿革。
備中松山城は1250年、承久の乱の功績で地頭となった秋庭三郎重信により築かれました。
1574年~1575年には備中兵乱が勃発します。毛利氏の支援を受けていた当時の城主、三村元親。毛利氏が三村氏の宿敵宇喜多直家と和睦したことで激怒し、織田信長と組んで毛利氏に反旗を翻します。毛利氏は8万の大軍で攻め込み、最後は兵糧攻めにて元親は自害。三村氏は滅亡しました。
その後の城主は毛利氏、小堀氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と変わっていき、明治時代に入ります。明治維新の際の城主は板倉氏。無血開城にて天守閣は焼かれずに残ることになりました。 -
二の丸の先には本丸への階段があります。
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本丸への階段。
これを登ったところに入城券売り場(500円)があります。
入城時間は9時~17時30分(4月~9月。最終入城時間17時。)。10月~3月は9時~16時30分(最終入城時間16時。)
この時点でまだ8時半だったので本丸の裏手を見に行こうと思います。 -
頭上に見えるのは五の平櫓(復元)です。
石落としが見えます。 -
天守が左手に見えます。
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東御門が見えます。
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石垣は迫力あります。
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さらに奥に進みます。
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左手に見えるのは二重櫓(現存遺構)です。
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石垣の手前には番所があったようです。
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振り返ると腕木御門が見えます。
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番所跡です。
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番所のさらに奥には後曲輪があります。
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後曲輪の奥には九の平櫓跡があります。
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壊れた瓦が散乱しているようです。
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振り返ると二重櫓が見えます。
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青空に映える二重櫓。
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そろそろ二の丸に戻って本丸入城時間を待とうと思います。
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その前に腕木御門。
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二重櫓の正面(?)
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裏手は切岸の上部に石垣が組まれている場所が散見されます。
鉢巻石垣と呼ばれています。 -
こちらもそうです。
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東御門。
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フライングで(?)入城させてもらえました。
こちらが本丸です。 -
六の平櫓(復元)。
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六の平櫓の中は展示物が公開されてます。
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八の平櫓跡。
天守のすぐ近くです。 -
では天守に入ります。
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入口狭い…。
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一階は階段と
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天守の構造の説明。
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現存遺構特有の急勾配の階段。
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最上階の二階まで登ります。
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二階には御社壇(ごしゃだん)があります。
御社壇は、お城や城下町の平和、そして城主の家系の安泰を祈るために、天守の内部に設けられた神仏を祀るための祭壇です。 -
広くはないです。
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天守の内部は新しい木材が使われている部分が多いですがこの太い梁は江戸時代のものだそうです。
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外はよく見えないです。
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一階は展示物が飾られてました。
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狭間。
縦長なので矢座間ですね。 -
囲炉裏。
山城だし冬は寒かったでしょうね。 -
装束の間。
籠城する場合の城主の居場所です。自害の場とも。
この床の下には石が敷き詰められており、床下からの忍び込みができないようになってます。 -
ベンチで休憩もできます。
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外を見ると
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腕木御門と二重櫓が見えます。
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現存天守の中のディスプレイ。
シュールです。 -
蕪懸魚(かぶらげぎょ)。
懸魚は屋根の三角の部分の装飾です。
こちらは江戸時代の懸魚。 -
木喰虫の虫害が残る柱です。
平成13~15年の修理で交換となりました。 -
唐破風板と裏甲。
唐破風板(からはふいた)は、中央が弓なりに丸く盛り上がり、両端が反り上がった独特の曲線の形をした破風(屋根の妻部分)である「唐破風(からはふ)」の斜め(曲線)部分に取り付けられる装飾的な板のことです。
裏甲(うらごう)は、屋根の庇(ひさし)や破風(はふ)の先端に取り付けられる、厚みのある帯状の木材(化粧部材)です。 -
木喰虫にやられた柱。
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階段の説明。
勾配が急なのも幅も狭くしてるのも守りのためとのこと。 -
武者窓の説明。
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一階から入口を見下ろす。
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石落としの説明。
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接続廊下の説明。
入口から階段までは一階ではなく廊下とのこと。 -
それでは、退城します。
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石落としが見えます。
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先ほど、外から見た東御門を内側から。
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天守の周りを歩きます。
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外から天守の中はほぼ見えません。
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天守の裏手です。
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裏には二重櫓があります。こちらは通常は入れません。
どうやら直近だと2026/11/1、11/3に特別公開されるみたいです。 -
では、改めて退城します。
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本丸でさんじゅーろーを見ました。
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多くの観光客が写真を撮ってました。
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三の丸まで戻ってきました。
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厩曲輪の土塀。
どうやらこの土塀は場所によって復元部分と現存部分が混在してるみたいです。見えてるのは復元部分。 -
石垣には天然の岩盤がそのまま使われてたりしてます。
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三の丸にある足軽番所跡。
礎石が残ってます。 -
大手門跡を出て、退城します。
真田丸というテレビ番組で備中松山城が使用されたそうです。
真田で備中松山城? -
9:11
下山します。
登りとは違うルートでふいご峠まで行きます。 -
こちらは階段が続きます。
-
9:15
舗装路に出てきました。 -
予定よりかなり早く見学が終了したので備中高梁駅まで歩こうと思います。
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途中の城まちステーションで御城印帳を購入しながら歩いていきます。
こちらは地神・金毘羅宮。
「地神(大地・農業の神)」と「金毘羅宮(海上安全・商売繁盛・五穀豊穣の神)」の2つの民間信仰の神々を合祀して祀っています。 -
目を引かれた遺構。
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水車。
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こちらのルートは遊歩道のようです。
ここからも備中松山城に行けるみたいです。 -
雑な案内。
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現在、高梁高校のあるこの辺りには御根小屋(おねごや)があったそうです。御根小屋は藩主の邸宅です。
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城下町っぽい場所に出てきました。
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こちらは
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旧折井家。
天保年間(1830年~1844年)頃に建てられたとされる、当時の「中流武士(馬まわり格、石高100~200石程度)」の屋敷です。 -
こちらは
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旧埴原家。
江戸時代中期~後半に建てられたとされる、当時の「上流武士(近習格式・知行取り、石高120~150石程度)」の屋敷です。 -
雰囲気のある紺屋川を渡ります。
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駅の近くまで来たらこんな看板が。
「ここから松山城がよう見えるで!」 -
よう見えるで!
は言い過ぎたと思いました。
季節次第ではよく見えるのかな?
10:30
備中高梁駅に着きました。
ここから伯備線で総社駅を経由して桃太郎線で備中高松駅に向かいます。
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