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日本100名城巡りを始めました。

【日本100名城】No.16 箕輪城

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2026/05/24 - 2026/05/24

346位(同エリア713件中)

旅行記グループ 日本100名城

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tenko__mori

tenko__moriさん

この旅行記のスケジュール

2026/05/24

  • 高崎駅→城山入口

  • 城山入口→高崎駅

この旅行記スケジュールを元に

日本100名城巡りを始めました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
3.5
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
  • 高崎市にある箕輪城へ行きました。<br />高崎駅から城山入口までバス移動しました。

    高崎市にある箕輪城へ行きました。
    高崎駅から城山入口までバス移動しました。

  • バス停近くの箕輪城榛名口から敷地内に入ります。

    バス停近くの箕輪城榛名口から敷地内に入ります。

  • ずずいっと進んでいきます。

    ずずいっと進んでいきます。

  • これは柵の右側が順路かな?

    これは柵の右側が順路かな?

  • 分岐路。<br />右側の山道に入ります。

    分岐路。
    右側の山道に入ります。

  • 順路通り進めていて安心。

    順路通り進めていて安心。

  • しばらくはこのような山道が続きます。

    しばらくはこのような山道が続きます。

  • 平山城はどうして竹林が多いのか。

    平山城はどうして竹林が多いのか。

  • 椿の路。<br />「ここは椿名尾根にくられた堀切である」と書かれてます。

    椿の路。
    「ここは椿名尾根にくられた堀切である」と書かれてます。

  • 堀切…?

    堀切…?

  • ずんずん進んでいきます。<br />この歩いてる道が堀切なのかな?

    ずんずん進んでいきます。
    この歩いてる道が堀切なのかな?

  • 開けてきました。

    開けてきました。

  • 大きな土塁がありました。<br />侵入者は土塁の上から攻撃されるのでしょうか。

    大きな土塁がありました。
    侵入者は土塁の上から攻撃されるのでしょうか。

  • 道らしき道がなくなってきた…。

    道らしき道がなくなってきた…。

  • 順路に従って進むことにします。

    順路に従って進むことにします。

  • 順路ではないですがこちらの正面は木俣という曲輪につながる道のようです。

    順路ではないですがこちらの正面は木俣という曲輪につながる道のようです。

  • 知らないうちに二の丸に居ました。<br />ここからスタンプと御城印をゲットするために搦手口に向かいます。

    知らないうちに二の丸に居ました。
    ここからスタンプと御城印をゲットするために搦手口に向かいます。

  • 左側(順路)は本丸方面に向かいそうなので右側の道を歩いていきます。

    左側(順路)は本丸方面に向かいそうなので右側の道を歩いていきます。

  • 木の向こうが明るい!

    木の向こうが明るい!

  • 街並みが見える場所に出ました。<br />搦手口は左側です。

    街並みが見える場所に出ました。
    搦手口は左側です。

  • 搦手口に出ました。<br />搦手口はいわゆる裏口です。ごみの搬出や人目を忍ぶような物資の搬入に使われていたようです。また、侵入者は裏口だろうが攻めてくるので厳重に警備されていたようです。

    搦手口に出ました。
    搦手口はいわゆる裏口です。ごみの搬出や人目を忍ぶような物資の搬入に使われていたようです。また、侵入者は裏口だろうが攻めてくるので厳重に警備されていたようです。

  • 搦手口の説明。<br /><br />日曜10:00~14:00に箕輪城跡東大駐車場で開催される箕輪城ふれあい市でスタンプと御城印が入手できます。<br />御城印はこの日時じゃないと購入できないみたいです。<br />スタンプは高崎市箕郷支所や箕郷公民館でも入手できるようです。

    搦手口の説明。

    日曜10:00~14:00に箕輪城跡東大駐車場で開催される箕輪城ふれあい市でスタンプと御城印が入手できます。
    御城印はこの日時じゃないと購入できないみたいです。
    スタンプは高崎市箕郷支所や箕郷公民館でも入手できるようです。

  • では搦手口の逆方向(北方面)に進みます。<br />稲荷曲輪、新曲輪という曲輪があるようです。

    では搦手口の逆方向(北方面)に進みます。
    稲荷曲輪、新曲輪という曲輪があるようです。

  • 新曲輪に出ました。<br />新曲輪は箕輪城の歴史の後半に整備された曲輪とのこと。<br />面積は18,500㎡。<br />家臣の屋敷があったようです。<br />また、1566年に武田信玄が箕輪城を総攻撃した際には武田軍はこの新曲輪方面から攻め込んできたようです。

    新曲輪に出ました。
    新曲輪は箕輪城の歴史の後半に整備された曲輪とのこと。
    面積は18,500㎡。
    家臣の屋敷があったようです。
    また、1566年に武田信玄が箕輪城を総攻撃した際には武田軍はこの新曲輪方面から攻め込んできたようです。

  • 新曲輪の近くには稲荷曲輪があります。

    新曲輪の近くには稲荷曲輪があります。

  • 草木が生い茂ってます。<br />稲荷曲輪にはお稲荷さんが祀られてるそうなんですが、場所がかなり奥だったのと歩ける道が無かったので見学は断念。マムシの危険性もあるので。

    草木が生い茂ってます。
    稲荷曲輪にはお稲荷さんが祀られてるそうなんですが、場所がかなり奥だったのと歩ける道が無かったので見学は断念。マムシの危険性もあるので。

  • 稲荷曲輪を後にして御前曲輪、本丸方面に向かいます。

    稲荷曲輪を後にして御前曲輪、本丸方面に向かいます。

  • 分岐路。<br />看板は無いですが、左に行くと御前曲輪。<br />右に行くと御前曲輪北堀の堀底に出ます。

    分岐路。
    看板は無いですが、左に行くと御前曲輪。
    右に行くと御前曲輪北堀の堀底に出ます。

  • 分岐路。<br />丸馬出方面に向かいます。

    分岐路。
    丸馬出方面に向かいます。

  • 丸馬出の説明。<br />丸馬出は、城門のすぐ外側に半円形の土塁と三日月型の堀をセットで配置した空間です。この半円形の土塁の陰に味方を安全に隠しておき、隙を見て敵の横腹へ一気に出撃する、といった奇襲を可能としました。

    丸馬出の説明。
    丸馬出は、城門のすぐ外側に半円形の土塁と三日月型の堀をセットで配置した空間です。この半円形の土塁の陰に味方を安全に隠しておき、隙を見て敵の横腹へ一気に出撃する、といった奇襲を可能としました。

  • 現在の丸馬出は梅林として利用されているみたい。

    現在の丸馬出は梅林として利用されているみたい。

  • 稲荷曲輪の西側の堀底から稲荷曲輪を見上げたところです。<br />小さくですがお稲荷さんが確認できました。

    稲荷曲輪の西側の堀底から稲荷曲輪を見上げたところです。
    小さくですがお稲荷さんが確認できました。

  • そのまま御前曲輪の北堀まで来ました。

    そのまま御前曲輪の北堀まで来ました。

  • 分岐があったので順路に戻ります。

    分岐があったので順路に戻ります。

  • 順路に従うと御前曲輪に行くことになります。<br />こんな階段を登って堀底から曲輪へ。

    順路に従うと御前曲輪に行くことになります。
    こんな階段を登って堀底から曲輪へ。

  • 御前曲輪に出てきました。<br />御前曲輪は本丸の北側にあり、持仏堂でお祈りを捧げたり、櫓から見張りをしたりする特別な空間だったようです。

    御前曲輪に出てきました。
    御前曲輪は本丸の北側にあり、持仏堂でお祈りを捧げたり、櫓から見張りをしたりする特別な空間だったようです。

  • 御前曲輪にある聖徳太子碑。<br />こちらは箕輪城廃城(1598年)後、約180年近く経った江戸時代中期に作られたものです。当時の職人は聖徳太子を仕事の神様として崇めていたそうです。<br /><br />そう言えば土浦城にも聖徳太子を祀った聖徳太子堂がありました。

    御前曲輪にある聖徳太子碑。
    こちらは箕輪城廃城(1598年)後、約180年近く経った江戸時代中期に作られたものです。当時の職人は聖徳太子を仕事の神様として崇めていたそうです。

    そう言えば土浦城にも聖徳太子を祀った聖徳太子堂がありました。

  • 御前曲輪、きれいに掃除されてました。

    御前曲輪、きれいに掃除されてました。

  • いつもの。

    いつもの。

  • 松尾芭蕉の句碑(夏草や 兵どもが夢の跡)もありました。<br /><br />安田一雨という江戸時代後期の箕郷町の俳人が松尾に陶酔しきって作ったものだそうです。この句碑が作られたのは箕輪城が廃城となってから約140年後。一雨が平泉で滅んだ義経や藤原氏の悲劇と箕輪城で滅んだ長野氏の悲劇を重ね合わせて作ったようです。

    松尾芭蕉の句碑(夏草や 兵どもが夢の跡)もありました。

    安田一雨という江戸時代後期の箕郷町の俳人が松尾に陶酔しきって作ったものだそうです。この句碑が作られたのは箕輪城が廃城となってから約140年後。一雨が平泉で滅んだ義経や藤原氏の悲劇と箕輪城で滅んだ長野氏の悲劇を重ね合わせて作ったようです。

  • 御前曲輪にある井戸です。

    御前曲輪にある井戸です。

  • 深さは20m!ビルの6階くらいの高さ(深さ)だそう。<br /><br />また、井戸底からは武田氏に滅ぼされた長野氏の墓石が見つかったとか。破壊されないように沈めたのか、供養のために沈められたのか。

    深さは20m!ビルの6階くらいの高さ(深さ)だそう。

    また、井戸底からは武田氏に滅ぼされた長野氏の墓石が見つかったとか。破壊されないように沈めたのか、供養のために沈められたのか。

  • 御前曲輪の説明。

    御前曲輪の説明。

  • 御前曲輪の説明その2。

    御前曲輪の説明その2。

  • 御前曲輪は、武田氏により箕輪城が落城した際、当時の城主長野業盛(23)が父長野業正の遺言(敵に決して降ってはならない。戦って死ぬことが親孝行だと思うべし。)に従って自刃した場でもあります。

    御前曲輪は、武田氏により箕輪城が落城した際、当時の城主長野業盛(23)が父長野業正の遺言(敵に決して降ってはならない。戦って死ぬことが親孝行だと思うべし。)に従って自刃した場でもあります。

  • 御前曲輪を後にして、御前曲輪と本丸の間の堀を歩くことにします。

    御前曲輪を後にして、御前曲輪と本丸の間の堀を歩くことにします。

  • ずんずん進んでいきます。

    ずんずん進んでいきます。

  • ここを通る侵入者は御前曲輪や

    ここを通る侵入者は御前曲輪や

  • 本丸から狙い撃ちされます。

    本丸から狙い撃ちされます。

  • さらに深い堀底に降りていきます。

    さらに深い堀底に降りていきます。

  • 箕輪城の見どころでもある本丸西虎口門(復元)にかかる橋を堀底から。

    箕輪城の見どころでもある本丸西虎口門(復元)にかかる橋を堀底から。

  • 本丸堀の橋台(?)の説明。

    本丸堀の橋台(?)の説明。

  • この橋の近辺に石垣が組まれてるらしいんですが草木が生い茂っててよく見えませんでした。

    この橋の近辺に石垣が組まれてるらしいんですが草木が生い茂っててよく見えませんでした。

  • 南側からみたところ。

    南側からみたところ。

  • 三の丸から先ほどの橋を渡って本丸に向かおうと思います。<br />まずは堀底から三の丸へ。

    三の丸から先ほどの橋を渡って本丸に向かおうと思います。
    まずは堀底から三の丸へ。

  • 三の丸です。<br />三の丸には城主や重臣の屋敷などがあったようです。

    三の丸です。
    三の丸には城主や重臣の屋敷などがあったようです。

  • では橋に向かいます。

    では橋に向かいます。

  • 橋を横から見たところ。

    橋を横から見たところ。

  • 橋の三の丸側、蔵屋敷という曲輪です。<br />ここには食料倉庫や武器庫があったようです。

    橋の三の丸側、蔵屋敷という曲輪です。
    ここには食料倉庫や武器庫があったようです。

  • では、橋を渡ります。

    では、橋を渡ります。

  • 堀底を覗いてみました。

    堀底を覗いてみました。

  • 反対側も。

    反対側も。

  • こちらは本丸西虎口門です。<br />2026年3月に復元したとのことです。

    こちらは本丸西虎口門です。
    2026年3月に復元したとのことです。

  • 本丸西虎口門の説明。

    本丸西虎口門の説明。

  • 本丸です。

    本丸です。

  • 本丸には城主の主殿・居館である本丸御殿があったようです。

    本丸には城主の主殿・居館である本丸御殿があったようです。

  • 右側のカーブは御前曲輪につながってます。

    右側のカーブは御前曲輪につながってます。

  • いつもの。

    いつもの。

  • 箕輪城の説明。

    箕輪城の説明。

  • 本丸から二の丸方面に移動してきました。<br />写真は本丸の虎口を馬出しから撮ったものです。

    本丸から二の丸方面に移動してきました。
    写真は本丸の虎口を馬出しから撮ったものです。

  • 本丸の馬出し(虎口(入口)を守るための場所)です。

    本丸の馬出し(虎口(入口)を守るための場所)です。

  • 本丸門馬出しの説明。

    本丸門馬出しの説明。

  • 二の丸に戻ってきました。

    二の丸に戻ってきました。

  • 二の丸を南下して郭馬出に向かいます。

    二の丸を南下して郭馬出に向かいます。

  • 郭馬出西虎口門が左奥に見えてきました。<br />二の丸と郭馬出の間には大堀切があります。

    郭馬出西虎口門が左奥に見えてきました。
    二の丸と郭馬出の間には大堀切があります。

  • 大堀切と土橋の説明。

    大堀切と土橋の説明。

  • 二の丸と郭馬出の間は土橋でつながってます。

    二の丸と郭馬出の間は土橋でつながってます。

  • 郭馬出は最前線の防御拠点です。

    郭馬出は最前線の防御拠点です。

  • 箕輪城のこの郭馬出は曲輪と呼べるほどの広さであるため郭馬出と呼ばれているそうです。同じような馬出しのある城は多くないようです(高崎城の梅大郭、篠山城の外郭馬出、名古屋城の郭馬出など)。

    箕輪城のこの郭馬出は曲輪と呼べるほどの広さであるため郭馬出と呼ばれているそうです。同じような馬出しのある城は多くないようです(高崎城の梅大郭、篠山城の外郭馬出、名古屋城の郭馬出など)。

  • 郭馬出西虎口門に向かいます。

    郭馬出西虎口門に向かいます。

  • 外から見た虎口門です。虎口門は2016年復元です。<br />2階が前面にせり出ています。<br />せり出た床の隙間から門を通る侵入者に石や熱湯、油を落とせるようにしてあるようです。

    外から見た虎口門です。虎口門は2016年復元です。
    2階が前面にせり出ています。
    せり出た床の隙間から門を通る侵入者に石や熱湯、油を落とせるようにしてあるようです。

  • 2階がせり出ていた事がなんで後年になって分かるの?と思いますが

    2階がせり出ていた事がなんで後年になって分かるの?と思いますが

  • 2列の石の並び(雨落溝)と礎石の距離から判明したそうです。

    2列の石の並び(雨落溝)と礎石の距離から判明したそうです。

  • 郭馬出西虎口門の説明。

    郭馬出西虎口門の説明。

  • 二の丸と郭馬出の間の土橋の説明。

    二の丸と郭馬出の間の土橋の説明。

  • 大堀切から見た土橋です。

    大堀切から見た土橋です。

  • 郭馬出の南側にある木俣に来ました。<br />通路が5つの方向(五俣)に分かれている要所を木俣(きまた)と呼ぶそうです。

    郭馬出の南側にある木俣に来ました。
    通路が5つの方向(五俣)に分かれている要所を木俣(きまた)と呼ぶそうです。

  • 木俣の端からの眺め。<br />真ん中あたりにある広いスペースは学校があるみたいです。

    木俣の端からの眺め。
    真ん中あたりにある広いスペースは学校があるみたいです。

  • では、一通り見学できたのでバス停に戻ります。

    では、一通り見学できたのでバス停に戻ります。

  • 行きと同じ榛名口に向かいます。

    行きと同じ榛名口に向かいます。

  • 公道に出てきました。<br />この後はバスに乗って高崎駅へ移動し、東京に帰りました。

    公道に出てきました。
    この後はバスに乗って高崎駅へ移動し、東京に帰りました。

  • ガソリンスタンドの営業時間短すぎひん?

    ガソリンスタンドの営業時間短すぎひん?

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