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日本100名城巡りを始めました。

【日本100名城】No.76 徳島城

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2026/09/19 - 2026/09/19

880位(同エリア1055件中)

旅行記グループ 日本100名城

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65

tenko__mori

tenko__moriさん

この旅行記のスケジュール

2026/09/19

  • 勝瑞駅→徳島駅

  • 徳島駅→徳島城

  • 徳島城→セルフうどんやま 徳島駅前店

  • セルフうどんやま 徳島駅前店→徳島駅

この旅行記スケジュールを元に

日本100名城巡りを始めました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
5.0
交通
4.5
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 勝瑞駅から高徳線で徳島駅に移動し、そこから徒歩10分ほどで徳島城に着きました。<br /><br />いきなり壮大な石垣。<br />徳島城の石垣は地元産の結晶片岩(阿波の青石)が多く使われた野面積みで組まれています。

    イチオシ

    勝瑞駅から高徳線で徳島駅に移動し、そこから徒歩10分ほどで徳島城に着きました。

    いきなり壮大な石垣。
    徳島城の石垣は地元産の結晶片岩(阿波の青石)が多く使われた野面積みで組まれています。

  • ルート的には城の東側から何時計回りに一周してみようかと思います。<br /><br />こちらは城の東側の石垣。<br />先ほどの門近辺の石垣と異なり、石の形状がまちまちです。

    ルート的には城の東側から何時計回りに一周してみようかと思います。

    こちらは城の東側の石垣。
    先ほどの門近辺の石垣と異なり、石の形状がまちまちです。

  • よく崩れずに残ってるなあ。

    よく崩れずに残ってるなあ。

  • こちらの石垣は小さめの石が使用されています。

    こちらの石垣は小さめの石が使用されています。

  • 北上していくと

    北上していくと

  • 右手に城外への出口が見えました。

    右手に城外への出口が見えました。

  • 外に出ると堀に数寄屋橋が架かっていました。

    外に出ると堀に数寄屋橋が架かっていました。

  • 数寄屋橋です。<br />橋を渡ったところに数寄屋門という不明門があったようです。

    数寄屋橋です。
    橋を渡ったところに数寄屋門という不明門があったようです。

  • 堀は城の東南あたりにのみ掘られています。

    堀は城の東南あたりにのみ掘られています。

  • 結構な幅があります。

    結構な幅があります。

  • では、再度城内に入ります。

    では、再度城内に入ります。

  • そこからさらに北に向かいます。

    そこからさらに北に向かいます。

  • 城山の貝塚の説明。

    城山の貝塚の説明。

  • しかし、昔の人はどんだけ貝好きだったんだろうか。

    しかし、昔の人はどんだけ貝好きだったんだろうか。

  • この辺りには巨大な岩が。

    イチオシ

    この辺りには巨大な岩が。

  • どうやらこの辺りは昔海だったようです。

    どうやらこの辺りは昔海だったようです。

  • 遠目に見るとこんな感じ。

    遠目に見るとこんな感じ。

  • 徳島城の中央付近には城山があります。<br />城山の頂上には本丸があります。<br /><br />ので、先ほどの海岸痕のあたりから登れるみたいなので登ってみます。

    徳島城の中央付近には城山があります。
    城山の頂上には本丸があります。

    ので、先ほどの海岸痕のあたりから登れるみたいなので登ってみます。

  • だんだん引田城登城の疲労が…。

    だんだん引田城登城の疲労が…。

  • 石垣が残ってます。

    石垣が残ってます。

  • しばらく登ると大きな石垣が見えてきました。

    しばらく登ると大きな石垣が見えてきました。

  • 石垣を見つつ進んで行くと

    石垣を見つつ進んで行くと

  • 入口に着きました。

    入口に着きました。

  • 本丸跡です。

    本丸跡です。

  • 徳島城は1586年、蜂須賀家政により築城・完成しました。<br /><br />築城当初には地元の土豪による天正・元和の祖谷山一揆<br />が起きました。(1585~1590年、1620年)<br />また、3代藩主・蜂須賀忠英の時代である1633年に筆頭家老益田豊後が不正を行い(無断の木材伐採&amp;密売)、山中に幽閉されました。逆恨みから益田は徳島藩を陥れるような虚偽の訴えを幕府に直訴。藩の正当性が認められ、お家断行の危機を免れました。<br />明治時代に入った1870年。徳島藩の筆頭家老であり、淡路島の洲本城を任されていた稲田氏の一族が、徳島藩から独立して直接明治政府に仕える大名になろうと画策。これに激怒した徳島在住の過激派藩士たちが数千人で淡路島へと渡り、洲本にある稲田氏の屋敷や学問所を襲撃・放火し、多数の死傷者を出す大事件を起こしました。明治政府はこの私闘を重く受け止め、首謀者10名に切腹(日本法制史上、最後の切腹刑)、100名以上を流罪とする極刑を科しました。さらに罰として徳島藩から淡路島(7万石余)が強制的に没収され、淡路島はのちに兵庫県へと編入されることになります。この翌年、廃藩置県によって徳島藩そのものが消滅しました。

    徳島城は1586年、蜂須賀家政により築城・完成しました。

    築城当初には地元の土豪による天正・元和の祖谷山一揆
    が起きました。(1585~1590年、1620年)
    また、3代藩主・蜂須賀忠英の時代である1633年に筆頭家老益田豊後が不正を行い(無断の木材伐採&密売)、山中に幽閉されました。逆恨みから益田は徳島藩を陥れるような虚偽の訴えを幕府に直訴。藩の正当性が認められ、お家断行の危機を免れました。
    明治時代に入った1870年。徳島藩の筆頭家老であり、淡路島の洲本城を任されていた稲田氏の一族が、徳島藩から独立して直接明治政府に仕える大名になろうと画策。これに激怒した徳島在住の過激派藩士たちが数千人で淡路島へと渡り、洲本にある稲田氏の屋敷や学問所を襲撃・放火し、多数の死傷者を出す大事件を起こしました。明治政府はこの私闘を重く受け止め、首謀者10名に切腹(日本法制史上、最後の切腹刑)、100名以上を流罪とする極刑を科しました。さらに罰として徳島藩から淡路島(7万石余)が強制的に没収され、淡路島はのちに兵庫県へと編入されることになります。この翌年、廃藩置県によって徳島藩そのものが消滅しました。

  • 本丸はかなり広いです。

    本丸はかなり広いです。

  • 本丸跡の説明。<br />どうやら登ってきたのは埋門側だったようです。

    本丸跡の説明。
    どうやら登ってきたのは埋門側だったようです。

  • 城山は標高61m<br />景色は…ほとんど見えない。

    城山は標高61m
    景色は…ほとんど見えない。

  • では、降ります。<br />登りとは違うルート(東側)で降ります。

    では、降ります。
    登りとは違うルート(東側)で降ります。

  • こちら側にも石垣が組まれています。

    こちら側にも石垣が組まれています。

  • こちらの道は多くの石垣がありました。

    こちらの道は多くの石垣がありました。

  • 天守はこの東二の丸にあったようです。<br />本丸じゃないんですね。<br /><br />ただ、実際には天守はもともと本丸にあり、何かしらの理由で1615~1624年の間に取り壊されてしまったそうです。その後、この東二の丸には御三階櫓が建てられ、天守の代わりとして使用されたとのこと。ちなみに、1615年の武家諸法度6条(新規の城郭の構営は固くこれを禁止する)により「天守」を改めて作ることは禁止されていたようです。<br /><br />なので、石碑に「天守跡」と書かれてますが、正確には「御三階櫓跡」が正しいのではないかと。

    天守はこの東二の丸にあったようです。
    本丸じゃないんですね。

    ただ、実際には天守はもともと本丸にあり、何かしらの理由で1615~1624年の間に取り壊されてしまったそうです。その後、この東二の丸には御三階櫓が建てられ、天守の代わりとして使用されたとのこと。ちなみに、1615年の武家諸法度6条(新規の城郭の構営は固くこれを禁止する)により「天守」を改めて作ることは禁止されていたようです。

    なので、石碑に「天守跡」と書かれてますが、正確には「御三階櫓跡」が正しいのではないかと。

  • 草木に侵食されてる石垣もグッときます。

    草木に侵食されてる石垣もグッときます。

  • 東二の丸。

    東二の丸。

  • 階段脇とか。

    階段脇とか。

  • 急に雰囲気の違う石垣がありました。<br />斜めに石を積んでます。<br /><br />これは谷積みという工法で、浸透したのは江戸時代後期以降。<br />なのでこの辺りは石垣は明治時代や昭和時代の公園整備時に組まれたもののようです。

    急に雰囲気の違う石垣がありました。
    斜めに石を積んでます。

    これは谷積みという工法で、浸透したのは江戸時代後期以降。
    なのでこの辺りは石垣は明治時代や昭和時代の公園整備時に組まれたもののようです。

  • 階段の横の石垣は野面積み、踊り場の横の石垣は谷積み。

    階段の横の石垣は野面積み、踊り場の横の石垣は谷積み。

  • こちらは横穴式防空壕です。

    こちらは横穴式防空壕です。

  • 1945年頃、第二次世界大戦の本土決戦に備えて作られたものです。<br /><br />徳島市は1945年7月4日の大空襲により市街地の約8割が焦土と化す壊滅的な被害を受けました。その際、この防空壕によりいくつもの命が救われました。<br />なお、この大空襲で鷲の門が焼失しています。

    1945年頃、第二次世界大戦の本土決戦に備えて作られたものです。

    徳島市は1945年7月4日の大空襲により市街地の約8割が焦土と化す壊滅的な被害を受けました。その際、この防空壕によりいくつもの命が救われました。
    なお、この大空襲で鷲の門が焼失しています。

  • 城山の説明。

    城山の説明。

  • 城内西側をぶらぶらしてると…

    城内西側をぶらぶらしてると…

  • これは?

    これは?

  • SLです。

    SLです。

  • 大正12年から昭和45年の約46年間にわたって活躍しました。

    大正12年から昭和45年の約46年間にわたって活躍しました。

  • 竜王さんのクス。

    竜王さんのクス。

  • 竜王さんのクスは大きなクスノキです。<br />昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れました。<br /><br />室戸台風は911.9hpa、最大瞬間風速60m/s以上(推定)の超巨大台風でした。この台風は徳島県から淡路島、そして大阪へ進みました。木造の小中学校約270校が全壊し、278名の教職員、生徒が亡くなっています。列車も横転するほどの勢力で建物の全壊は約9万棟。ちなみに、台風の気圧ランキングとしては室戸台風がトップで枕崎台風(916.1hpa 1945年)、伊勢湾台風(929.2hpa 1959年)と続きます。<br /><br />なお、竜王さんのクスは倒れたあとでも葉を茂らせる生命力を見せています。

    イチオシ

    竜王さんのクスは大きなクスノキです。
    昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れました。

    室戸台風は911.9hpa、最大瞬間風速60m/s以上(推定)の超巨大台風でした。この台風は徳島県から淡路島、そして大阪へ進みました。木造の小中学校約270校が全壊し、278名の教職員、生徒が亡くなっています。列車も横転するほどの勢力で建物の全壊は約9万棟。ちなみに、台風の気圧ランキングとしては室戸台風がトップで枕崎台風(916.1hpa 1945年)、伊勢湾台風(929.2hpa 1959年)と続きます。

    なお、竜王さんのクスは倒れたあとでも葉を茂らせる生命力を見せています。

  • 竜王さんのクスから道に沿って北西に進むと大きな石垣がありました。<br />この左手側には線路を挟んで徳島駅があります。

    竜王さんのクスから道に沿って北西に進むと大きな石垣がありました。
    この左手側には線路を挟んで徳島駅があります。

  • 一通り見学できたので、次に向かおうと思います。<br />その途中で見かけた城山への3つ目の入山口。<br /><br />登るべきでしたが疲労してたので遠慮しました。

    一通り見学できたので、次に向かおうと思います。
    その途中で見かけた城山への3つ目の入山口。

    登るべきでしたが疲労してたので遠慮しました。

  • 先ほどのSLの横を通って行きます。

    先ほどのSLの横を通って行きます。

  • 初代城主蜂須賀家政の像です。

    初代城主蜂須賀家政の像です。

  • 80歳まで生きたようです。

    80歳まで生きたようです。

  • 徳島城のマップ。

    徳島城のマップ。

  • ちょっと寄り道して鷲の門を見に来ました。

    ちょっと寄り道して鷲の門を見に来ました。

  • いつもの。

    いつもの。

  • 鷲の門は徳島大空襲で焼失。<br />平成元年に復元されました。

    鷲の門は徳島大空襲で焼失。
    平成元年に復元されました。

  • 鷲の門近辺から見た堀です。

    鷲の門近辺から見た堀です。

  • 堀に反射する石垣が美しい。

    堀に反射する石垣が美しい。

  • それでは再度入城します。

    それでは再度入城します。

  • 鷲の門から城内に架かる橋は下乗橋呼ばれています。

    鷲の門から城内に架かる橋は下乗橋呼ばれています。

  • 下乗橋を渡ると枡形がお待ちかね。

    下乗橋を渡ると枡形がお待ちかね。

  • 入口左手の石垣には太鼓櫓があったようです。

    入口左手の石垣には太鼓櫓があったようです。

  • 太鼓櫓跡からの景色。<br /><br />では、徳島駅に戻ります。

    太鼓櫓跡からの景色。

    では、徳島駅に戻ります。

  • その途中で見れるのがこの舌石。

    その途中で見れるのがこの舌石。

  • 舌石の説明。<br /><br />これを読んでも理解できなかったんですが。<br />当時は石垣の上にV字型の土塀が建てられていました。<br />形状的にVの先端部分が石垣の外側に張り出してしまい、土塀を支えられませんでした。そこで、この土塀の先端と舌石間に支柱を立てて塀を支えました。<br />土塀をV字にした理由ですが、直線よりも死角を無くす目的があったようです。<br /><br />って書いてから右下の絵を見たら理解できました。<br /><br /><br />あと、今更ですがスタンプと御城印は徳島城構内にある徳島城博物館でゲットできます。

    舌石の説明。

    これを読んでも理解できなかったんですが。
    当時は石垣の上にV字型の土塀が建てられていました。
    形状的にVの先端部分が石垣の外側に張り出してしまい、土塀を支えられませんでした。そこで、この土塀の先端と舌石間に支柱を立てて塀を支えました。
    土塀をV字にした理由ですが、直線よりも死角を無くす目的があったようです。

    って書いてから右下の絵を見たら理解できました。


    あと、今更ですがスタンプと御城印は徳島城構内にある徳島城博物館でゲットできます。

  • 14:25<br />駅に向かう途中、お腹が減ったのでセルフうどん やまて徳島駅前店でうどんを食べました。<br />暑かったので冷たいわかめうどんが食べたかったんですが、「温」しか無いらしく、しゅうゆの冷にしました。美味しかったです。

    イチオシ

    14:25
    駅に向かう途中、お腹が減ったのでセルフうどん やまて徳島駅前店でうどんを食べました。
    暑かったので冷たいわかめうどんが食べたかったんですが、「温」しか無いらしく、しゅうゆの冷にしました。美味しかったです。

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