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今回の旅の最後の観光は「国立清州博物館」でした。博物館の駐車場でバスを降りて入り口に向かいますが屋外展示として朝鮮時代の石像文化財が展示してあります。そのクオリティの高さに驚きましたが、サムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションと知ると納得です。韓国の他の博物館と同じく無料なのもありがたいです。これで「国立慶州博物館」と先日行った「釜山博物館」も無料でした。受付カウンターに行って日本語パンフレットをいただくと、係んの方は日本語で応対してくれて博物館の展示品についてメモするノートをくれました。また、出口には全州の観光案内所のように切手不要の絵ハガキが置かれてありました。この辺は韓国は国として太っ腹だと思います。展示室は大きく4つに分かれていて、まずは「考古1室」からスタートします。忠清北道は南漢江と錦江という大きな川が流れ、石灰岩洞窟が発達しその周辺では旧石器遺跡が多数発見されています。それらで発掘されたものが展示してあります。「考古2室」では青銅器時代から鉄器時代の馬韓という政治勢力が定着し、清州で生産された鉄をもって百済と成長していきます。4世紀には百済、5世紀には高句麗、6世紀には新羅と忠清北道は支配されていきました。一番見ごたえがあったのは「美術室」で王室や豪族の後ろ盾を得て建立された仏教寺院に由来するものや、生活を共にして死後には一緒に埋葬されたものが展示してあります。ここでも李健熙会長のコレクションが数多く並んでいました。最後は「金冠室」で、瑞鳳塚(ソポンチョン)出土の金冠と金製銙帯のクオリティは非常に高かったです。この金冠はトランプ大統領が来た時に韓国政府は本物の金で造られたレプリカを贈ったそうです。あの頭の大きさでは被れないと思いましたが、本人はこれでアメリカの王様になったと感じて喜んだんでしょうね。

トラピックス マシッソヨ韓国5都市周遊4日間(9)国立清州博物館で古代の朝鮮半島の歴史と美術を学ぶ。

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2026/03/24 - 2026/03/24

54位(同エリア53件中)

旅行記グループ 2026韓国清州の旅

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kojikoji

kojikojiさん

今回の旅の最後の観光は「国立清州博物館」でした。博物館の駐車場でバスを降りて入り口に向かいますが屋外展示として朝鮮時代の石像文化財が展示してあります。そのクオリティの高さに驚きましたが、サムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションと知ると納得です。韓国の他の博物館と同じく無料なのもありがたいです。これで「国立慶州博物館」と先日行った「釜山博物館」も無料でした。受付カウンターに行って日本語パンフレットをいただくと、係んの方は日本語で応対してくれて博物館の展示品についてメモするノートをくれました。また、出口には全州の観光案内所のように切手不要の絵ハガキが置かれてありました。この辺は韓国は国として太っ腹だと思います。展示室は大きく4つに分かれていて、まずは「考古1室」からスタートします。忠清北道は南漢江と錦江という大きな川が流れ、石灰岩洞窟が発達しその周辺では旧石器遺跡が多数発見されています。それらで発掘されたものが展示してあります。「考古2室」では青銅器時代から鉄器時代の馬韓という政治勢力が定着し、清州で生産された鉄をもって百済と成長していきます。4世紀には百済、5世紀には高句麗、6世紀には新羅と忠清北道は支配されていきました。一番見ごたえがあったのは「美術室」で王室や豪族の後ろ盾を得て建立された仏教寺院に由来するものや、生活を共にして死後には一緒に埋葬されたものが展示してあります。ここでも李健熙会長のコレクションが数多く並んでいました。最後は「金冠室」で、瑞鳳塚(ソポンチョン)出土の金冠と金製銙帯のクオリティは非常に高かったです。この金冠はトランプ大統領が来た時に韓国政府は本物の金で造られたレプリカを贈ったそうです。あの頭の大きさでは被れないと思いましたが、本人はこれでアメリカの王様になったと感じて喜んだんでしょうね。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 「文義文化財団地」から再び清州方面へ戻り、今回最期の「国立清州博物館」の見学になります。最終日ながら観光的にはこの日が一番充実しているように思います。「文義文化財団地」の村の入り口にあった「ソッテ」という木の鳥と一緒に置かれる村の守り神がありました。

    「文義文化財団地」から再び清州方面へ戻り、今回最期の「国立清州博物館」の見学になります。最終日ながら観光的にはこの日が一番充実しているように思います。「文義文化財団地」の村の入り口にあった「ソッテ」という木の鳥と一緒に置かれる村の守り神がありました。

  • 昔の村の入口などに立てた木や石の標柱を指す「チャンスン(長正標)」はかつての朝鮮半島では疾病や災難をもたらす鬼神信仰があり、その魔除けのための木製標を村落の入り口に設置していました。異形相の人面の下に漢字が刻まれた木柱がバラバラに設置されていましたが、「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれ、男女の標が対になったものとなっています。

    昔の村の入口などに立てた木や石の標柱を指す「チャンスン(長正標)」はかつての朝鮮半島では疾病や災難をもたらす鬼神信仰があり、その魔除けのための木製標を村落の入り口に設置していました。異形相の人面の下に漢字が刻まれた木柱がバラバラに設置されていましたが、「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれ、男女の標が対になったものとなっています。

  • 近年の朝鮮語で「チャングンピョ(将軍標)」と呼ばれるようです。日本における将軍標は埼玉県日高市の高麗神社のものが有名で、子供の頃の遠足で見たことがあります。

    近年の朝鮮語で「チャングンピョ(将軍標)」と呼ばれるようです。日本における将軍標は埼玉県日高市の高麗神社のものが有名で、子供の頃の遠足で見たことがあります。

  • 「童子石」<br />「童子石」は祖先の墓の前に立てられ、墓を見守る石像のことをいいます。

    「童子石」
    「童子石」は祖先の墓の前に立てられ、墓を見守る石像のことをいいます。

  • 石造の「チャングンピョ(将軍標)」で、「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれた文字が読めます。村や寺の里程標である「ポクス(法首)」のようなデザインです。

    石造の「チャングンピョ(将軍標)」で、「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれた文字が読めます。村や寺の里程標である「ポクス(法首)」のようなデザインです。

  • 「マンジュソク(望柱石)」は遠くからでも墓を容易に知ることが出来る左右に建てる石柱です。統一新羅時代の王陵で初めて登場し、朝鮮時代には一般的なものになりました。

    「マンジュソク(望柱石)」は遠くからでも墓を容易に知ることが出来る左右に建てる石柱です。統一新羅時代の王陵で初めて登場し、朝鮮時代には一般的なものになりました。

  • 「石人像」は韓国で「石人」と呼ばれるもので、基本的に墓地などに建てられる人形の石像を指します。特に朝鮮王朝時代以降の墓の周囲に並べられる官僚や武人の姿をした石像が代表的です。中国では「石像生」と呼ばれますが、どちらも「死者を守り、威厳を示す石の守護者」という点では共通しています。

    「石人像」は韓国で「石人」と呼ばれるもので、基本的に墓地などに建てられる人形の石像を指します。特に朝鮮王朝時代以降の墓の周囲に並べられる官僚や武人の姿をした石像が代表的です。中国では「石像生」と呼ばれますが、どちらも「死者を守り、威厳を示す石の守護者」という点では共通しています。

  • 中国の「石像生」は「行列としての壮麗な演出」、韓国の「石人」は「墓守として静かに佇む人型像」という違いが大きいようです。

    中国の「石像生」は「行列としての壮麗な演出」、韓国の「石人」は「墓守として静かに佇む人型像」という違いが大きいようです。

  • 博物館に入る前から首位に置かれた石像に魅了されてしまいます。石像に魅かれるようになったのは中学生の頃で、国内外を旅するようになってその気持ちは抑えきれずに、その地へ行かなければならなくなりました。

    博物館に入る前から首位に置かれた石像に魅了されてしまいます。石像に魅かれるようになったのは中学生の頃で、国内外を旅するようになってその気持ちは抑えきれずに、その地へ行かなければならなくなりました。

  • 妻にとってはいい迷惑だったかもしれませんが、中国の「大足石刻」「雲崗石窟」、インドの「アジャンタ遺跡」「エローラ遺跡」「エレファンタ島遺跡」、ジャワ島の「ボロブドゥール遺跡」と良く付き合ってくれました。カンボジアの「アンコール遺跡群」は1週間かけてタクシーをチャーターして周ったら、後半はタクシーから降りなくなってしまいましたが。

    妻にとってはいい迷惑だったかもしれませんが、中国の「大足石刻」「雲崗石窟」、インドの「アジャンタ遺跡」「エローラ遺跡」「エレファンタ島遺跡」、ジャワ島の「ボロブドゥール遺跡」と良く付き合ってくれました。カンボジアの「アンコール遺跡群」は1週間かけてタクシーをチャーターして周ったら、後半はタクシーから降りなくなってしまいましたが。

  • 「国立清州博物館」の入り口まで来ました。韓国の博物館の多くにあるように、ここも入場料は無料で日本語のパンフレットもありました。博物館は忠清北道(チュンチョンプクド)地域の文化遺産を調査と研究、展示を行っている博物館です。清州エリアの文化特色にスポットを当てることを目的に1987年にオープンしました。「国立清州博物館」の建物は韓国を代表する建築家の金寿根(キム・スグン)が設計した韓国現代建築の記念碑的作品です。

    「国立清州博物館」の入り口まで来ました。韓国の博物館の多くにあるように、ここも入場料は無料で日本語のパンフレットもありました。博物館は忠清北道(チュンチョンプクド)地域の文化遺産を調査と研究、展示を行っている博物館です。清州エリアの文化特色にスポットを当てることを目的に1987年にオープンしました。「国立清州博物館」の建物は韓国を代表する建築家の金寿根(キム・スグン)が設計した韓国現代建築の記念碑的作品です。

  • ガイドさんの説明を聞きながらの見学になりますが、写真を撮りたいので少し離れていました。点字は

    ガイドさんの説明を聞きながらの見学になりますが、写真を撮りたいので少し離れていました。点字は

  • 「多鈕細文鏡」<br />子の鏡は朝鮮半島で造られた最も洗練されたものの1つで、裏面には幾何学的な模様で細かく埋められています。60個を超えるピースに割れて出土しましたが、これは鯉に割られたものと考えられています。

    「多鈕細文鏡」
    子の鏡は朝鮮半島で造られた最も洗練されたものの1つで、裏面には幾何学的な模様で細かく埋められています。60個を超えるピースに割れて出土しましたが、これは鯉に割られたものと考えられています。

  • 新羅時代の馬具は単なる実用品ではなく、王や貴族の権力と富を象徴する重要な装身具でした。慶州の王陵では武器や装身具とともに大量の馬具が副葬されており、その中には金冠と並ぶほど豪華なものもありました。

    新羅時代の馬具は単なる実用品ではなく、王や貴族の権力と富を象徴する重要な装身具でした。慶州の王陵では武器や装身具とともに大量の馬具が副葬されており、その中には金冠と並ぶほど豪華なものもありました。

  • 「馬韓(ばかん)」は紀元前2世紀末から4世紀中葉に朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の1つで、後の百済と重なる場所にあった地域です。馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行、それぞれの馬韓諸国には首長がいました。五十余国が存在し、その内の伯済国がのちに百済になったと考えられています。その時代の素焼き陶器が並んでいます。

    「馬韓(ばかん)」は紀元前2世紀末から4世紀中葉に朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の1つで、後の百済と重なる場所にあった地域です。馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行、それぞれの馬韓諸国には首長がいました。五十余国が存在し、その内の伯済国がのちに百済になったと考えられています。その時代の素焼き陶器が並んでいます。

  • 「騎馬人物装飾土器」<br />器の形としては現在のものと全く変わらない機能を備えています。

    「騎馬人物装飾土器」
    器の形としては現在のものと全く変わらない機能を備えています。

  • 「板甲」<br />朝鮮三国時代の甲冑は出土例の多くが加耶や新羅で、このような百済出土はかなり少なく資料が限られ、研究では三国をまとめた「朝鮮三国時代甲冑」として扱われることが多いようです。

    「板甲」
    朝鮮三国時代の甲冑は出土例の多くが加耶や新羅で、このような百済出土はかなり少なく資料が限られ、研究では三国をまとめた「朝鮮三国時代甲冑」として扱われることが多いようです。

  • 「馬韓(ばかん)」時代の「銅斧」「銅剣」「銅戈」が並んでいます。三韓時代の辰国や馬韓の勢力圏では青銅器やその後の鉄器文化が発達しました。

    「馬韓(ばかん)」時代の「銅斧」「銅剣」「銅戈」が並んでいます。三韓時代の辰国や馬韓の勢力圏では青銅器やその後の鉄器文化が発達しました。

  • 韓国の「三国時代」は高句麗・百済・新羅(および伽耶諸国)が並立していたおおよそ4世紀から7世紀ごろを指し、この時期の遺跡からは中国や朝鮮半島独自の様式を持つ青銅製の銅鏡が出土しています。

    韓国の「三国時代」は高句麗・百済・新羅(および伽耶諸国)が並立していたおおよそ4世紀から7世紀ごろを指し、この時期の遺跡からは中国や朝鮮半島独自の様式を持つ青銅製の銅鏡が出土しています。

  • 中国鏡の影響を受けた全体構成を持ちながら、朝鮮半島で独自に変化した文様構成が見られ、神獣・幾何文・同心円文など中国後漢~三国期鏡に通じるモチーフを取り入れつつ、文様の簡略化や配置の変化が見られます。出土状況から権威の象徴や祭祀具、副葬品として用いられたと考えられます。

    中国鏡の影響を受けた全体構成を持ちながら、朝鮮半島で独自に変化した文様構成が見られ、神獣・幾何文・同心円文など中国後漢~三国期鏡に通じるモチーフを取り入れつつ、文様の簡略化や配置の変化が見られます。出土状況から権威の象徴や祭祀具、副葬品として用いられたと考えられます。

  • 高句麗の金製装身具は中国北方や南朝、そして新羅や百済との交流の中で発達しました。高句麗は漢文化の影響を強く受けた国だったため、仏教美術や金工技術の面でも中国から取り入れたものと、北方系や朝鮮固有の要素が混ざり合った独自のスタイルが見られます。

    高句麗の金製装身具は中国北方や南朝、そして新羅や百済との交流の中で発達しました。高句麗は漢文化の影響を強く受けた国だったため、仏教美術や金工技術の面でも中国から取り入れたものと、北方系や朝鮮固有の要素が混ざり合った独自のスタイルが見られます。

  • 「馬韓」時代のネックレスのデザインは現代でも通用します。馬韓は紀元前後から4世紀ごろまで朝鮮半島南西部にあった三韓の1つで、日本でいう弥生時代後期から古墳時代初頭にあたる文化圏の呼び名です。

    「馬韓」時代のネックレスのデザインは現代でも通用します。馬韓は紀元前後から4世紀ごろまで朝鮮半島南西部にあった三韓の1つで、日本でいう弥生時代後期から古墳時代初頭にあたる文化圏の呼び名です。

  • 朝鮮半島南部の三韓や加耶圏ではガラス玉や半貴石ビーズが大量に出土しており、化学分析から一部は西アジアや中国系のガラス原料を用い、半島内で再加工されたとみなされています。

    朝鮮半島南部の三韓や加耶圏ではガラス玉や半貴石ビーズが大量に出土しており、化学分析から一部は西アジアや中国系のガラス原料を用い、半島内で再加工されたとみなされています。

  • 勾玉自体は日本列島では「縄文時代」から造られ、「弥生・古墳時代」には権威や祭祀の象徴的な装身具として発達しました。一方で朝鮮半島の古墳からも碧玉や水晶、瑪瑙、ガラスなどで作られた多数の勾玉が出土しており、半島と列島で共通する装身具文化が認められます。

    勾玉自体は日本列島では「縄文時代」から造られ、「弥生・古墳時代」には権威や祭祀の象徴的な装身具として発達しました。一方で朝鮮半島の古墳からも碧玉や水晶、瑪瑙、ガラスなどで作られた多数の勾玉が出土しており、半島と列島で共通する装身具文化が認められます。

  • 「王名銅鐸」<br />「馬韓」時代に造られた銅鐸は当時これを使用していた人物を表すようで、おそらくは王の乗った馬車か馬を飾ったものと思われます。<br /><br />

    「王名銅鐸」
    「馬韓」時代に造られた銅鐸は当時これを使用していた人物を表すようで、おそらくは王の乗った馬車か馬を飾ったものと思われます。

  • 「金属で開花した美術」と銘打ったコーナーに移ります。

    「金属で開花した美術」と銘打ったコーナーに移ります。

  • 高麗時代に製作された金銅や青銅器が美しく並べられています。高麗王朝は918年から1392年まで続き、この時代には陶磁器だけでなく銅を中心とした金属工芸も発達しました。仏教儀礼や宮廷・貴族の生活で使われる器として、洗浄用の銅瓶や香炉などが多く作られています。それ以降の朝鮮王朝まで幅広い展示です。

    高麗時代に製作された金銅や青銅器が美しく並べられています。高麗王朝は918年から1392年まで続き、この時代には陶磁器だけでなく銅を中心とした金属工芸も発達しました。仏教儀礼や宮廷・貴族の生活で使われる器として、洗浄用の銅瓶や香炉などが多く作られています。それ以降の朝鮮王朝まで幅広い展示です。

  • 「金銅蓮峯装飾鎖鍮」と「青銅龍頭装飾」など加工技術の高さに驚かされます。古代ギリシャの金属加工のレベルの高さやデザインを見ると、ここから数千年何か進歩したのだろうかと思ってしまうことがあります。

    「金銅蓮峯装飾鎖鍮」と「青銅龍頭装飾」など加工技術の高さに驚かされます。古代ギリシャの金属加工のレベルの高さやデザインを見ると、ここから数千年何か進歩したのだろうかと思ってしまうことがあります。

  • 「銀製鴛鴦蓮花文装飾」を見ても同じようなことが感じられます。

    「銀製鴛鴦蓮花文装飾」を見ても同じようなことが感じられます。

  • 形は同じで同じ高麗時代に造られた「瓶」ですが素材が全く違うのが面白く感じました。左は「青銅瓶」で中央が「青磁象嵌菊花文瓶」、右が「土器瓶」です。

    形は同じで同じ高麗時代に造られた「瓶」ですが素材が全く違うのが面白く感じました。左は「青銅瓶」で中央が「青磁象嵌菊花文瓶」、右が「土器瓶」です。

  • こちらも左から「青銅廣口瓶」、「青磁鐵書唐草文廣口瓶」が2つです。高麗時代の瓶や壺は仏教寺院での供養具(花瓶・水瓶など)、上流階層の生活用器や飾り物<br />として作られ、仏教文化や当時の生活のあり方を今に伝える重要な資料とされています。

    こちらも左から「青銅廣口瓶」、「青磁鐵書唐草文廣口瓶」が2つです。高麗時代の瓶や壺は仏教寺院での供養具(花瓶・水瓶など)、上流階層の生活用器や飾り物
    として作られ、仏教文化や当時の生活のあり方を今に伝える重要な資料とされています。

  • こちらも素材の違う3つの「瓶」で、左から「青銅瓢形瓶」「青磁象嵌蓮唐草文瓢形瓶」「土器瓢形瓶」です。瓢形瓶はその名のとおり瓢箪(ひょうたん)をかたどった瓶で、水や酒などの液体を入れる器として作られました。上下がふくらんだ2つの丸が連なったくびれたシルエットが特徴です。

    こちらも素材の違う3つの「瓶」で、左から「青銅瓢形瓶」「青磁象嵌蓮唐草文瓢形瓶」「土器瓢形瓶」です。瓢形瓶はその名のとおり瓢箪(ひょうたん)をかたどった瓶で、水や酒などの液体を入れる器として作られました。上下がふくらんだ2つの丸が連なったくびれたシルエットが特徴です。

  • 左から「青銅注子」が2つ、「黒釉注子」「青磁注子」が並びます。

    左から「青銅注子」が2つ、「黒釉注子」「青磁注子」が並びます。

  • この「青銅注子」はキャプションの色も違っていますが、サムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションの1つです。

    この「青銅注子」はキャプションの色も違っていますが、サムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションの1つです。

  • 「清州雲泉洞出土銅鐘」<br />この銅鐘は尚元寺青銅鐘、聖徳大王聖鐘と共に統一新羅時代の現存する3つの仏鐘のうちの1つです。

    「清州雲泉洞出土銅鐘」
    この銅鐘は尚元寺青銅鐘、聖徳大王聖鐘と共に統一新羅時代の現存する3つの仏鐘のうちの1つです。

  • 「清州雲泉洞出土銅鐘」<br />統一新羅時代特有の様式を示すとともに高麗王朝への移行期に起こった変化も示しています。

    「清州雲泉洞出土銅鐘」
    統一新羅時代特有の様式を示すとともに高麗王朝への移行期に起こった変化も示しています。

  • 「金銅菩薩像」

    「金銅菩薩像」

  • 2月にインドのブッダガヤやその周辺の仏陀の足跡を訪ねたばかりなので仏教関連の収蔵品には今まで以上に興味が湧きます。

    2月にインドのブッダガヤやその周辺の仏陀の足跡を訪ねたばかりなので仏教関連の収蔵品には今まで以上に興味が湧きます。

  • 「青銅梵鐘」<br />高麗王朝時代の見事な梵鐘はサムスン電子の先代会長のコレクションでした。

    「青銅梵鐘」
    高麗王朝時代の見事な梵鐘はサムスン電子の先代会長のコレクションでした。

  • 「青銅梵鐘」<br />梵鐘(ぼんしょう)は法要など仏事の予鈴として撞木(しゅもく)で撞くという仏教の重要な役割を果たします。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられます。梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされます。

    「青銅梵鐘」
    梵鐘(ぼんしょう)は法要など仏事の予鈴として撞木(しゅもく)で撞くという仏教の重要な役割を果たします。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられます。梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされます。

  • 「己巳銘青銅金鼓」<br />この金鼓の裏側の縁には「己巳六月に句陽寺で製作された」と漢字で刻まれています。

    「己巳銘青銅金鼓」
    この金鼓の裏側の縁には「己巳六月に句陽寺で製作された」と漢字で刻まれています。

  • 「義林寺銘青銅金鼓」<br />この金鼓にも忠州義林寺が製作して吊るしたと銘があります。高麗時代の仏教寺院では、金属製の鼓「金鼓」は梵鐘や雲板、木魚などと並ぶ「梵音具」として用いられました。これは仏教儀式で音を鳴らすための道具で、信者を集めたり、儀礼の合図を送ったりする役割を持ちます。

    「義林寺銘青銅金鼓」
    この金鼓にも忠州義林寺が製作して吊るしたと銘があります。高麗時代の仏教寺院では、金属製の鼓「金鼓」は梵鐘や雲板、木魚などと並ぶ「梵音具」として用いられました。これは仏教儀式で音を鳴らすための道具で、信者を集めたり、儀礼の合図を送ったりする役割を持ちます。

  • 高麗時代の青銅金鼓の銘文には、金鼓の音を聞く人々が迷いから離れて悟りに近づくことを願う文言が刻まれており、単なる「呼び出しの道具」ではなく功徳を生む宗教的な器物として理解されていました。

    高麗時代の青銅金鼓の銘文には、金鼓の音を聞く人々が迷いから離れて悟りに近づくことを願う文言が刻まれており、単なる「呼び出しの道具」ではなく功徳を生む宗教的な器物として理解されていました。

  • 「青銅金鼓」<br />この金鼓が納められていた寺院には何があったのでしょうか。諸行無常という言葉が浮かんできます。

    「青銅金鼓」
    この金鼓が納められていた寺院には何があったのでしょうか。諸行無常という言葉が浮かんできます。

  • 「金銅風鐸」<br />金銅風鐸は銅で鋳造したものに金メッキを施した「金銅製」の風鐸のことです。寺院の塔や金堂、相輪などの軒先や先端に吊り下げられ、風で揺れて音を鳴らす金属製の飾り兼音具です。風鐸は、単に風鈴のように風情を楽しむだけでなく、仏教建築の荘厳具として邪気を払う、風の様子を知るといった象徴的で実用的な意味も持っていたと考えられています。

    「金銅風鐸」
    金銅風鐸は銅で鋳造したものに金メッキを施した「金銅製」の風鐸のことです。寺院の塔や金堂、相輪などの軒先や先端に吊り下げられ、風で揺れて音を鳴らす金属製の飾り兼音具です。風鐸は、単に風鈴のように風情を楽しむだけでなく、仏教建築の荘厳具として邪気を払う、風の様子を知るといった象徴的で実用的な意味も持っていたと考えられています。

  • 仏教において香は不浄を払い心身を清める効果があるとされていました。仏壇を前で手を合わせる際に線香をあげるのは、俗世でけがれた心や身体を香りで清める意味が込められています。仏教の影響もあり、インドでは古代よりお香に浄化と保護の効果があると信じられています。7世紀に作成された医学書には約40種類もの香の作り方が掲載されています。

    仏教において香は不浄を払い心身を清める効果があるとされていました。仏壇を前で手を合わせる際に線香をあげるのは、俗世でけがれた心や身体を香りで清める意味が込められています。仏教の影響もあり、インドでは古代よりお香に浄化と保護の効果があると信じられています。7世紀に作成された医学書には約40種類もの香の作り方が掲載されています。

  • 「青銅懸香炉」<br />仏壇に置かれる香炉とは異なり吊り下げ式の香炉で、楕円形の本体と蓮の蕾の形をしたつまみがあります。

    「青銅懸香炉」
    仏壇に置かれる香炉とは異なり吊り下げ式の香炉で、楕円形の本体と蓮の蕾の形をしたつまみがあります。

  • 「青銅懸香炉」

    「青銅懸香炉」

  • 「青銅獣脚香炉」<br />3本の動物の脚で支えられた香炉で、高麗時代に普及したタイプの物に比べるとかなり大型なものです。

    「青銅獣脚香炉」
    3本の動物の脚で支えられた香炉で、高麗時代に普及したタイプの物に比べるとかなり大型なものです。

  • 「青銅銀入絲蒲柳水禽文浄瓶」<br />クンディカ(Kundika)は仏陀に捧げる清らかな水を入れるための儀式用の器です。サンスクリット語では「水瓶」「水差し」を意味する言葉で、仏教やヒンドゥー教の儀礼で清浄な水を入れる容器として使われ、日本や中国では漢訳で「軍持」「軍持浄瓶」とも呼ばれます。

    「青銅銀入絲蒲柳水禽文浄瓶」
    クンディカ(Kundika)は仏陀に捧げる清らかな水を入れるための儀式用の器です。サンスクリット語では「水瓶」「水差し」を意味する言葉で、仏教やヒンドゥー教の儀礼で清浄な水を入れる容器として使われ、日本や中国では漢訳で「軍持」「軍持浄瓶」とも呼ばれます。

  • 燈明はやみを照らす心理の光とされ、悟りの象徴とされています。仏教では真理を見ることを妨げる苦悩に満ちた心の状態を「無明(アヴィディヤ)」と呼びます。無知の心の曖昧さを闇に例えています。

    燈明はやみを照らす心理の光とされ、悟りの象徴とされています。仏教では真理を見ることを妨げる苦悩に満ちた心の状態を「無明(アヴィディヤ)」と呼びます。無知の心の曖昧さを闇に例えています。

  • 前の旅行ではインドのブッダガヤの仏陀が悟りを開いたという「マハーボデイ寺院」の菩提樹の所で地元のおじさんと話していて迷子になってしまいました。あれが「無明(アヴィディヤ)」だと思うと「光明台」が欲しくなりました。

    前の旅行ではインドのブッダガヤの仏陀が悟りを開いたという「マハーボデイ寺院」の菩提樹の所で地元のおじさんと話していて迷子になってしまいました。あれが「無明(アヴィディヤ)」だと思うと「光明台」が欲しくなりました。

  • 「青銅光明台」<br />高麗時代の燭台は形状上2つにわかれていました。1つはこのような上部が平らでランプや燭台を乗せるものと上部が燭台になっているものです。

    「青銅光明台」
    高麗時代の燭台は形状上2つにわかれていました。1つはこのような上部が平らでランプや燭台を乗せるものと上部が燭台になっているものです。

  • 「青銅燈盞」は上の写真の「青銅光明台」に乗せるランプです。「盞(さん)」は小さな酒杯を意味する言葉です。この器に灯心を入れて火を灯しました。ここに並ぶ「盞(さん)」は韓氏という名前の女性によって奉納されたと書かれてあります。

    「青銅燈盞」は上の写真の「青銅光明台」に乗せるランプです。「盞(さん)」は小さな酒杯を意味する言葉です。この器に灯心を入れて火を灯しました。ここに並ぶ「盞(さん)」は韓氏という名前の女性によって奉納されたと書かれてあります。

  • 「鐵鍵」<br />高麗期の鉄鍵は同時期の中国や日本の古鍵と同様に棒状の柄に複雑な「歯」が付いた形で、鉄製の錠前と組み合わせて使われたと推測されます。身分の高い人々の蔵や文書庫、寺院の宝物庫など限られた場所で使われる「権威の象徴」の側面もあったとみられます。

    「鐵鍵」
    高麗期の鉄鍵は同時期の中国や日本の古鍵と同様に棒状の柄に複雑な「歯」が付いた形で、鉄製の錠前と組み合わせて使われたと推測されます。身分の高い人々の蔵や文書庫、寺院の宝物庫など限られた場所で使われる「権威の象徴」の側面もあったとみられます。

  • 「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」<br />この仏像が刻まれた石碑は阿弥陀仏の西方浄土の描写と祈祷文を読み取ることが出来ます。

    「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」
    この仏像が刻まれた石碑は阿弥陀仏の西方浄土の描写と祈祷文を読み取ることが出来ます。

  • 「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」<br />祈祷文には全(チョン)という姓の人物を含む信者たちが国王や大臣、七代に渡る先祖などすべての衆生のために祈願しました。

    「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」
    祈祷文には全(チョン)という姓の人物を含む信者たちが国王や大臣、七代に渡る先祖などすべての衆生のために祈願しました。

  • 「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」<br />癸酉(みずのととり)の年の4月に奉納されたことも碑文から分かるようです。

    「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」
    癸酉(みずのととり)の年の4月に奉納されたことも碑文から分かるようです。

  • 「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」

    「癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像」

  • 「癸酉銘千仏碑像」<br />この石碑には癸酉の年4月に百済王国から移住してきた250人の仏教徒が国王と大臣、七代前の先祖と法界の衆生のために仏像を建立したと書かれてあります。

    「癸酉銘千仏碑像」
    この石碑には癸酉の年4月に百済王国から移住してきた250人の仏教徒が国王と大臣、七代前の先祖と法界の衆生のために仏像を建立したと書かれてあります。

  • 「己丑銘阿弥陀仏碑像」<br />この仏像を刻んだ石碑は阿弥陀仏の西方浄土を壮麗に詳細に描いた初期の作品として知られています。石碑の裏には阿弥陀仏をはじめとする数体の仏や菩薩を丁寧に描き、七代に渡る先祖のための祈祷文が刻まれています。

    「己丑銘阿弥陀仏碑像」
    この仏像を刻んだ石碑は阿弥陀仏の西方浄土を壮麗に詳細に描いた初期の作品として知られています。石碑の裏には阿弥陀仏をはじめとする数体の仏や菩薩を丁寧に描き、七代に渡る先祖のための祈祷文が刻まれています。

  • 「弥勒菩薩半跏思惟碑像」<br />このタイプの石碑は屋根石、胴体石、台座石が別々に造られますが、この石碑は1枚の医師から彫られています。弥勒菩薩が瞑想の姿勢で描かれている像は三国時代末期から統一新羅初期にかけて人気がありました。

    「弥勒菩薩半跏思惟碑像」
    このタイプの石碑は屋根石、胴体石、台座石が別々に造られますが、この石碑は1枚の医師から彫られています。弥勒菩薩が瞑想の姿勢で描かれている像は三国時代末期から統一新羅初期にかけて人気がありました。

  • 弥勒菩薩半跏思惟像は台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像です。日本には大陸より6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く残されています。京都太秦の「広隆寺」の像の姿が頭に浮かびます。

    弥勒菩薩半跏思惟像は台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像です。日本には大陸より6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く残されています。京都太秦の「広隆寺」の像の姿が頭に浮かびます。

  • 弥勒菩薩は釈迦如来の後にこの世界に出現するとされる「未来仏」で、中国では南朝以降とくに盛んに信仰され、石窟・石仏・寺院本尊として多様な像が造立されました。民間では太鼓腹で笑う「布袋像」と結びついた弥勒信仰も広く浸透しました。この石碑を見ると日本へは朝鮮半島から伝わったのだと思えます。

    弥勒菩薩は釈迦如来の後にこの世界に出現するとされる「未来仏」で、中国では南朝以降とくに盛んに信仰され、石窟・石仏・寺院本尊として多様な像が造立されました。民間では太鼓腹で笑う「布袋像」と結びついた弥勒信仰も広く浸透しました。この石碑を見ると日本へは朝鮮半島から伝わったのだと思えます。

  • 「青銅金剛杵」<br />「青銅金剛杵」は、密教で使う法具である金剛杵を、青銅で鋳造したものを指す呼び方です。金剛杵はもともと古代インドの武器が起源で、仏教では「煩悩や魔障を打ち砕く智慧の力」を象徴する道具として用いられます。

    「青銅金剛杵」
    「青銅金剛杵」は、密教で使う法具である金剛杵を、青銅で鋳造したものを指す呼び方です。金剛杵はもともと古代インドの武器が起源で、仏教では「煩悩や魔障を打ち砕く智慧の力」を象徴する道具として用いられます。

  • 「青銅金剛鈴」<br />金剛鈴は密教の修法のときに振り鳴らして使う鈴で、金剛杵と対になる法具です。仏や菩薩を呼び覚まし、眠っている仏性を目覚めさせる象徴とされ、邪気や迷いを払う意味も込められています。

    「青銅金剛鈴」
    金剛鈴は密教の修法のときに振り鳴らして使う鈴で、金剛杵と対になる法具です。仏や菩薩を呼び覚まし、眠っている仏性を目覚めさせる象徴とされ、邪気や迷いを払う意味も込められています。

  • 「青銅塔」<br />高麗時代の「青銅塔」は多くが小型の塔形舎利容器や多層小塔として作られた仏教用の金属工芸です。塔そのものの縮小版を青銅で精巧にかたどったものです。

    「青銅塔」
    高麗時代の「青銅塔」は多くが小型の塔形舎利容器や多層小塔として作られた仏教用の金属工芸です。塔そのものの縮小版を青銅で精巧にかたどったものです。

  • 「建興五年銘金銅光背」<br />この光背の裏側には建興5年に釈迦牟尼にいつか会いたいという願いを込めて信徒たちが釈迦牟尼の像を造ったと書かれてあります。

    「建興五年銘金銅光背」
    この光背の裏側には建興5年に釈迦牟尼にいつか会いたいという願いを込めて信徒たちが釈迦牟尼の像を造ったと書かれてあります。

  • 「石造仏坐像」<br />高麗時代のこの石仏は右手を無畏印(施無畏印/アバヤ・ムドラ)、左手を願印(興願印/ヴィラダ・ムドラ)の印相にしています。ふっくらとした顔に小さい唇、螺髪が巧みに表現され、衣のひだも美しく表現されています。

    「石造仏坐像」
    高麗時代のこの石仏は右手を無畏印(施無畏印/アバヤ・ムドラ)、左手を願印(興願印/ヴィラダ・ムドラ)の印相にしています。ふっくらとした顔に小さい唇、螺髪が巧みに表現され、衣のひだも美しく表現されています。

  • 「金銅仏坐像」<br />この仏像は高麗時代後期に造られ、卵型の繊細な顔立ちをしています。蓮華座に座り、阿弥陀仏の極楽浄土における下品中生(げほんちゅうしょう)の印相を結んでいます。

    「金銅仏坐像」
    この仏像は高麗時代後期に造られ、卵型の繊細な顔立ちをしています。蓮華座に座り、阿弥陀仏の極楽浄土における下品中生(げほんちゅうしょう)の印相を結んでいます。

  • 「金銅仏坐像」<br />下品中生は浄土教で説かれる「九品往生(くほんおうじょう)」という極楽浄土に往生する人の9つのランクの1つです。下品中生は「親指と薬指で輪をつくり、両手を胸の前で組む印相」です。

    「金銅仏坐像」
    下品中生は浄土教で説かれる「九品往生(くほんおうじょう)」という極楽浄土に往生する人の9つのランクの1つです。下品中生は「親指と薬指で輪をつくり、両手を胸の前で組む印相」です。

  • 「金銅仏坐像」<br />「下品」は徳が低い人、「中生」はその中くらいの段階という意味で、「あまり善行を積めなかったが、それでも阿弥陀仏を信じて救われる人のランク」といえます。

    「金銅仏坐像」
    「下品」は徳が低い人、「中生」はその中くらいの段階という意味で、「あまり善行を積めなかったが、それでも阿弥陀仏を信じて救われる人のランク」といえます。

  • 「鋳造仏坐像」<br />鉄製の鋳造仏は統一新羅時代の後期から主に禅宗寺院で製作されるようになりました。鉄は融点が高くて強度もあるため、後から加工することが難しかったようです。表面には分割線がいくつか残されたままになっています。

    「鋳造仏坐像」
    鉄製の鋳造仏は統一新羅時代の後期から主に禅宗寺院で製作されるようになりました。鉄は融点が高くて強度もあるため、後から加工することが難しかったようです。表面には分割線がいくつか残されたままになっています。

  • 「甘露幀」<br />韓国の仏教儀礼に使われる仏画(幀画)の中に「甘露幀」があり、この中には民族の生活様式がよくわかる内容があります。

    「甘露幀」
    韓国の仏教儀礼に使われる仏画(幀画)の中に「甘露幀」があり、この中には民族の生活様式がよくわかる内容があります。

  • 「甘露幀」は衆生の孤魂を供養を通して極楽往生するための儀礼で使われました。この名称は様々で、施餓鬼図や盂蘭盆経変相図、甘露図などとも呼ばれました。

    「甘露幀」は衆生の孤魂を供養を通して極楽往生するための儀礼で使われました。この名称は様々で、施餓鬼図や盂蘭盆経変相図、甘露図などとも呼ばれました。

  • 画面は3段から構成され上段は天上の世界です。ここでは祭礼を行う人と甘露が描かれています。甘露(かんろ)とは中華世界の古代の伝承で天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体を指します。後世になると王が高徳であるとこれに応じて天から降るともされています。

    画面は3段から構成され上段は天上の世界です。ここでは祭礼を行う人と甘露が描かれています。甘露(かんろ)とは中華世界の古代の伝承で天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体を指します。後世になると王が高徳であるとこれに応じて天から降るともされています。

  • 下段では衆生の様々な死の様子をパノラマ式に配列しています。キリスト教の「最後の審判」に似ているとも言えます。なかなか日本では見ることのできない仏画で写真を撮ることも出来るのがありがたいです。

    下段では衆生の様々な死の様子をパノラマ式に配列しています。キリスト教の「最後の審判」に似ているとも言えます。なかなか日本では見ることのできない仏画で写真を撮ることも出来るのがありがたいです。

  • 「青銅金装梵字舎利盒」<br />青銅製の素地に金による装飾が施され、表面に梵字が表された舎利容器で、これもサムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションの1つです。

    「青銅金装梵字舎利盒」
    青銅製の素地に金による装飾が施され、表面に梵字が表された舎利容器で、これもサムスン電子の先代会長の故 李健熙会長のコレクションの1つです。

  • 美しい石造仏の下に並んでいるのは仏陀の髪の毛である「螺髪」です。「螺髪」は釈迦が人間を超えた存在であることを示す1つの特徴とされ1つ1つの塊は巻貝のように巻いていますが一般に右巻きとされます。

    美しい石造仏の下に並んでいるのは仏陀の髪の毛である「螺髪」です。「螺髪」は釈迦が人間を超えた存在であることを示す1つの特徴とされ1つ1つの塊は巻貝のように巻いていますが一般に右巻きとされます。

  • 元々は鋳造仏の頭の一部だったようです。「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)」は釈迦の姿の32の特徴を言語によって数え上げたもので、三十二相を詳述したものが八十種好相で、仏の外形的な特徴とともに宗教的な理想を示しています。「螺髪」もその中の1つに数えられます。

    元々は鋳造仏の頭の一部だったようです。「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)」は釈迦の姿の32の特徴を言語によって数え上げたもので、三十二相を詳述したものが八十種好相で、仏の外形的な特徴とともに宗教的な理想を示しています。「螺髪」もその中の1つに数えられます。

  • 「石造僧形頭」<br />素朴な造形ですが、完成度の高さに見入ってしまいます。<br />

    「石造僧形頭」
    素朴な造形ですが、完成度の高さに見入ってしまいます。

  • 「石造仏塔」<br />元々はどのような姿だったのでしょうか。簡単に表現された「螺髪」が浮かんでくるようです。この頭部だけでも「三十二相」のうちの「牛眼睫相:睫が長く整っていて乱れず牛王のようである。」「頂髻相:頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している。」や耳が肩まで届く程垂れ下がり、眉が長いなどが読み取れます。

    「石造仏塔」
    元々はどのような姿だったのでしょうか。簡単に表現された「螺髪」が浮かんでくるようです。この頭部だけでも「三十二相」のうちの「牛眼睫相:睫が長く整っていて乱れず牛王のようである。」「頂髻相:頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している。」や耳が肩まで届く程垂れ下がり、眉が長いなどが読み取れます。

  • 「石造誕生仏」<br />誕生仏は釈迦が生まれた瞬間の姿を表した小さな仏像のことで、ここでは逆ですが、右手で天を指し、左手で地を指して立っています。生まれてすぐ七歩歩き「天上天下唯我独尊」と唱えた場面を表現しています。

    「石造誕生仏」
    誕生仏は釈迦が生まれた瞬間の姿を表した小さな仏像のことで、ここでは逆ですが、右手で天を指し、左手で地を指して立っています。生まれてすぐ七歩歩き「天上天下唯我独尊」と唱えた場面を表現しています。

  • ガイドさんが博物館までの道中のバスの中で熱心に説明してくれた話があります。現在「世界最古の現存する金属活字本」として国際的に認められているのは、朝鮮・高麗時代の仏教書で、「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」というものです。<br />1377年に高麗時代に清州の「興徳寺」で印刷されたとされています。ユネスコの「世界記憶遺産に登録され、「現存する世界最古の金属活字本」として紹介されています。現存する本は韓国には無く、フランスの博物館にあるということでした。

    ガイドさんが博物館までの道中のバスの中で熱心に説明してくれた話があります。現在「世界最古の現存する金属活字本」として国際的に認められているのは、朝鮮・高麗時代の仏教書で、「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」というものです。
    1377年に高麗時代に清州の「興徳寺」で印刷されたとされています。ユネスコの「世界記憶遺産に登録され、「現存する世界最古の金属活字本」として紹介されています。現存する本は韓国には無く、フランスの博物館にあるということでした。

  • 「興徳寺銘青銅金鼓」<br />世界最古の銅活字本を印刷したとされる「興徳寺」の場所は長らく分からなかったのですが、建築時の造成工事の最中にこの「青銅金鼓」が出土し、そこに寺院の銘があり判明したということです。

    「興徳寺銘青銅金鼓」
    世界最古の銅活字本を印刷したとされる「興徳寺」の場所は長らく分からなかったのですが、建築時の造成工事の最中にこの「青銅金鼓」が出土し、そこに寺院の銘があり判明したということです。

  • どのような力が加わってこのようにちぎれたのでしょうか。この時に寺院も失われたのだろうと想像できます。

    どのような力が加わってこのようにちぎれたのでしょうか。この時に寺院も失われたのだろうと想像できます。

  • ガイドさんやツアーの方はかなり先へ行ってしまいました。博物館の中にいれば迷子になることは無いので安心ではあります。ガイドレシーバーを耳にしていると、雑音が入ると急いだりできるのですが。

    ガイドさんやツアーの方はかなり先へ行ってしまいました。博物館の中にいれば迷子になることは無いので安心ではあります。ガイドレシーバーを耳にしていると、雑音が入ると急いだりできるのですが。

  • この博物館の至宝である「金冠」の展示室まで来ました。ここが最後の部屋のようです。

    この博物館の至宝である「金冠」の展示室まで来ました。ここが最後の部屋のようです。

  • 「金冠」5世紀新羅<br />金冠は王の権威を象徴するもので、この西峰村で出土した金冠は鳳凰の装飾が施されている点で珍しいようです。3本の樹木状の柱が鹿の角に似た2本の柱と共に立っています。

    「金冠」5世紀新羅
    金冠は王の権威を象徴するもので、この西峰村で出土した金冠は鳳凰の装飾が施されている点で珍しいようです。3本の樹木状の柱が鹿の角に似た2本の柱と共に立っています。

  • 1カ月前までは「慶州国立博物館」で新羅時代の「金冠」6つを集めた展示会があり、貸し出されていたものがちょうど戻ったところでした。その展示会をドナルド・トランプが見学に行き、イ?ジェミョン大統領が純金製のレプリカをプレゼントしたそうです。これで正式にトランプはアメリカの王になったわけです。

    1カ月前までは「慶州国立博物館」で新羅時代の「金冠」6つを集めた展示会があり、貸し出されていたものがちょうど戻ったところでした。その展示会をドナルド・トランプが見学に行き、イ?ジェミョン大統領が純金製のレプリカをプレゼントしたそうです。これで正式にトランプはアメリカの王になったわけです。

  • 「金製袴帯」<br />金製の帯は支配階級の最上位者のみが持つことのできる権権力の象徴でした。この帯はハート形の34枚のチャームが連結された正方形の板で構成されています。

    「金製袴帯」
    金製の帯は支配階級の最上位者のみが持つことのできる権権力の象徴でした。この帯はハート形の34枚のチャームが連結された正方形の板で構成されています。

  • 豊穣と王権の両方を象徴する魚の形、勾玉の形をした装飾や龍などがデザインされています。

    豊穣と王権の両方を象徴する魚の形、勾玉の形をした装飾や龍などがデザインされています。

  • これまでいろいろな国の博物館で純金製の宝物を見てきましたが、帯というくくりでは一番素晴らしいものでした。

    これまでいろいろな国の博物館で純金製の宝物を見てきましたが、帯というくくりでは一番素晴らしいものでした。

  • 何とか置いて行かれずに見学を終えました。この後はお昼を食べて空港へ向かうだけです。最終煮の2か所の観光は実に勉強になりました。

    何とか置いて行かれずに見学を終えました。この後はお昼を食べて空港へ向かうだけです。最終煮の2か所の観光は実に勉強になりました。

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2026韓国清州の旅

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