2008/04/26 - 2008/04/26
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jijidarumaさん
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【セピア色した思い出:ドイツの画家たちが好んで描いたと云うラムザウ教会とヴァッツマンの山系】
1979年7月29日、ドイツ駐在から帰国する前に大好きな南ドイツを走った。
それから退職後も「ドイツ感傷旅行」と称して、毎年のようにドイツの田舎道を走った。
そのセピア色した思い出の中でも、ドイツアルプスや、ヴァッツマン山麓に位置するラムザウ教会の景観が、記憶に鮮やかによみがえってくる。
私は旅行中に購入した「ドイツのカレンダー」をスキャンした写真を保存し、パソコンの壁紙にしている。
だから、年に一、二度はラムザウ教会を毎日見ることになる。
写真:2008.04.26.Kirche Ramsau ラムザウ教会の春景色を愛でて撮った。この景色は絵や写真のモチーフとして、画家や写真家たちの絵心を刺激する景観と云われる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊>
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
Freistaat Bayernバイエルン自由州は面積がドイツ最大、人口(12百万人・カトリック教徒が凡そ67%、新教徒が24%と数えられている)も二番手となる有力州であり、それぞれが個性的な四つの地方からなる。
州都ミュンヘンを中心とするOberbayern高地バイエルン地方、
レーゲンスブルグを中心としたOstbayern東バイエルン地方、
ニュルンベルグを中心としたフランケン地方、
アウグスブルグが中心都市となるアルゴイ・バイエリッシャー-シュヴァーベン地方である。
例年のパターンだと4地方を回ってしまうところだが、バイエルン州は見所も多く、魅力的な町々が散在するので、今回の旅は“古来のバイエルン王国”であった、前の2地方だけで、後の2地方は次回の旅に残しておくことにした。
従って、今回の旅は≪バイエルン王国の周遊≫と称した。
バイエルン州は昨年行ったドイツ南西部・バーデン・ヴュルテンベルグ州と西で、北はヘッセン・チューリンゲン・ザクセン各州に接し、東はチェコ、南はオーストリアと国境を接している。
北のフランケン地方は丘陵が続き、南は国境沿いにバイエルン・アルプスへ連なる高原、州の中央を大河ドナウ川が流れ、アルプスから流れ出るLechレッヒ川、Isarイザール川、Innイン川(ザルツァハ川)が流れ込んでいく。
また、バイエルン最大のChiemseeキーム湖を始め、Tegernseeテーゲルン湖、Starnbergerseeシュタルンベルガー湖など、様々な湖があり、その湖畔は古くからリゾート地として名高い。
ドイツの旅も今年で第6回目となる。ドイツ駐在で、初めてドイツ語学習をしたPrien am Chiemseeの町、イタリア・スイス・オーストリアでの夏の休暇の際に必ず通った町々があり、懐かしい地方である。
2004年にミュンヘン経由オーストリア周遊の旅をしたのがドイツ感傷旅行の2回目でしたが、この時もChiemseeやMünchen 、Starnbergerseeを訪れた。Ober-und-Ostbayern・アルペン街道(東ルート)とキーム湖・ドナウ・イザール・イン川流域を周遊する旅は以前の旅を懐かしむ旅でもあり、新たな楽しみを見つける旅でもある。
<使用レンタカー>
Mercedes A-150 New・ 1500cc 5T オートマチック・エアコン付き。
<Deutsche Alpenstrasseドイツアルペン街道:東ルート②>
(途中省略)
Bad Reichenhall->B20 22kmで Berchtesgadenベルヒテスガーデンに至る。この町はBerchtesgadener Landベルヒテスガーデナー地方の中心の町です。
オーストリアとドイツの国境の町(ザルツブルグ大司教の治下は100年を超えるものであったが、1816年この地方はナポレオン戦争の後、ザルツブルグよりBayernに譲渡された)、その周辺にはドイツで三番目に高いWatzmannヴァッツマン山(2713m)やエメラルドグリーンのケーニヒス湖(王の湖)が見られる美しい山岳地帯である。
1978年、ドイツで初めて指定されたBerchtesgaden国立公園に属し、ドイツ一の風光明媚な地方として知られ、かの文豪ゲーテもその景観を称えている。
「王の湖」に近い宿泊先ホテルにいちど戻って、13時に Ramsauに向かう。->B20・305・L?の距離は15kmである。
Ramsauラムザウの巡礼教会(1512年)と山々の景観はまことに美しい。
ラムザウは小さな村だが、ヒンター湖から流れ出るRamsau川の堤からの景観の美しさで世界に知られる存在だ。
参考写真:2008.04.26.Ramsau-Hintersee Map・・・ドイツアルペン街道(国道B305)がある。 -
Pfarrkirche St.Sebastian聖セバスティアン巡礼教会( 通称はラムザウ教会と称する)は、ベルヒテスガーデン国立公園の中のラムザウ村に1512年に建てられた。
ドイツのカレンダーに必ず載っていると云われているほど、「ラムザウ教会」は有名である。
ベルヒテスガーデンの町から北西に4km走った所にラムザウ教会のある「ラムザウ村」があり、この絵画のような風景を好んだ観光客が訪れている。
ドイツアルプスを背景にヒンター湖から流れ出るRamsauer Acheラムザウ川(距離21.5km)の清流と木の橋、ロマンチックなラムザウ教会の景色は、古くから多くの画家(Malerwinkelマーラーヴィンケル=直訳では画家たちの角、意訳すれば 画家の視点)により描かれて有名になった。
この白い教会は結婚式に相応しいもっとも美しい教会として、2014年にドイツで1位に選ばれているそうだ。
写真:ドイツのカレンダー9月 Berchtesgadener Alpenベルヒテスガーデナーアルペン ・ Kirche Ramsauラムザウ教会 -
参考写真:2008.04.26.Ramsau:左にラムザウ教会と後方にヴァッツマン山容、中央に4星のBerghotel Rehleggベルクホテル レーレックが位置している。
Romantic mountaineering village Ramsau near Berchtesgaden in the Alps | Germany
YouTube
anderswohin | Ulrich Kronenberg
3.1万 回の視聴
2019年6月23日
アルプスのベルヒテスガーデンに近いラムサウのロマンティックな登山村 | ドイツ - YouTube -
参考写真:2008.04.26.Ramsauラムザウ教会の秋景色も美しい。
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イチオシ
我が家のPCの壁紙の一つは、このラムザウ教会(冬景色)である。
世に名高い歌「Stille Nacht聖し、この夜!(2011年にオーストリア無形文化遺産)」の詩人Josef Mohrヨゼフ・モール(1792年~1848年、オーストリアのOberndorfオベルンドルフ・ザルツブルグの北20km、Salzachザルツァハ川畔にある町の礼拝堂をモチーフにして作詞されたと云う)がラムザウ教会で牧師の助手をしていたとか・・・。
参考写真:Kirche Ramsauラムザウ教会:お気に入りの冬景色(PCの壁紙) -
ベルヒテスガーデンの町に到着すると、まず目を奪われるのがベルヒテスガーデンを見守るかのようにそびえる大きなWatzmannヴァッツマン山である。
ドイツで3番目に高い山(2713m)とされるヴァッツマン山は、この町の何処にいても見えるので、ベルヒテスガーデンのシンボルとなっている。
参考写真:2008.04.26.Watzmannヴァッツマン(ドイツで3番目に高い山、2713m)城 (ベルヒテスガーデン) 城・宮殿
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そして、ここにも伝説が残る。
【昔からの言い伝えによると、ヴァッツマン右手の最も高い頂上をヴァッツマン王と呼び、二番目に高い左手の頂を王の妃と呼んでいる。そして、中間の7つの頂を彼等の子供たちであると。
その昔、王はたいへん残酷な王であったので、その治下の民は虐げられていました。あまりの事に天の神の怒りをかい、神は王の家族全員を石に変えてしまったと云われる。それらの石がヴァッツマンの峻厳たる山々なんだそうだ。】
:2008.08.03. 「Königssee遊覧船パンフレットの訳より」
参考写真:ARAL観光本よりヴァッツマン、ベルヒテスガーデンの町、王の湖など -
参考写真:ARAL観光本よりラムザウ、ヒンター湖、バート・ライヘンハルなど・・・いずれも美しい景観だ。
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参考写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会の夏景色
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ラムザウ村の駐車場に車を止めて、村の通りを教会に向かうと、今日は土曜日、教会先のレストランで結婚披露宴が行われていた。
式に出席の人達が三々五々、帰るところに行き合わせた。
皆さん、おめかしして、民族衣装の盛装している。こうした写真はなかなか撮れないので、近づいて声をかけて撮らせていただいた。
粋な帽子が良く似合った、Dirndlkleidディルンドルクライド姿の中年のご婦人は教会をバックにして、にこやかにポーズをとってくれた。
写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会前で、Dirndlkleidディルンドルクライドで盛装したご婦人に出会って、写真を撮らせて頂いた。聖セバスティアン教区教会(ラムサウ教会) 寺院・教会
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橋を渡って、ラムザウ教会を中心に写真を撮る。
すぐ傍のベンチに景色を楽しみながら、老夫妻が四方山話の最中!
写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会 -
ラムザウ教会に向かって近づく。
写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会を流れるRamsauer Acheラムザウ川 -
川堤から様々な光景を撮っていると、今度は当地の民族衣装を着た、結婚式帰りの三代のご家族が木橋を渡り始めた。
写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会そば の木橋を渡るグループ -
イチオシ
婚礼帰りのグループはお爺さんを中心に家族、親せき一同といったところだ。
帽子や上着のグリーンの縁取りが品良いアクセントになっている衣装で、皆さんに写真をお願いすると快く、そろって並んでくれました。
家内も一緒にポーズです。
小学生ぐらいの女の子は一人娘で、はにかみ屋のようです。お母さんの後に隠れてしまい、さてどうなるかと思っていたら、シャッターを押す瞬間にお母さんの前に顔を出してくれました。
(13:20~13:40)
写真: ラムザウ教会を流れるRamsauer Acheラムザウ川そばで皆さんご一緒にパチリ! -
写真:Kirche Ramsau ラムザウ教会
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イチオシ
写真:2008.04.26.Kirche Ramsau ラムザウ教会の春景色を愛でて撮った。この景色は絵や写真のモチーフとして、画家や写真家たちの絵心を刺激する景観と云われる。
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ラムザウ村から上流5kmの距離にHinterseeヒンター湖がある。
ヒンター湖は Berchtesgadener Land ベルヒテスガーデン地方のRamsauラムザウ地区にあり、ラムザウ教会よりもさらに奥にある。
多分、それでヒンター(後ろの意)と名が付いたのだろう。
写真:Hinterseeヒンター湖畔と真っ白な山容がのぞく。 -
ここには「Zauberwaldツァウバーヴァルト(魔法の森)」と言う異名がある。
最深200mの湖と周辺を囲む山々の景観は美しく、19世紀のロマン派の画家たちが好んで、この湖畔で絵を描いたのも、もっともと思う。
写真:2008.04.26.風景画家を魅了するHinterseeヒンターゼーの景観 -
Hinterseeヒンターゼーはケーニヒス湖に次いで有名である。ベルヒテスガーデン国立公園の奥にあるヒンター湖は美しい湖と周辺の山系の景観が素晴らしい。
ヒンター湖は長さ900m、幅180mと云う山間の小さな湖である。
また海抜800mにあり、最も深い所の深さは200m、夏でも水の温度は16℃を越えないそうだ。
写真:Hinterseeヒンター湖畔でヒンター湖 滝・河川・湖
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<昼食:ヒンター湖畔の”Gasthof Seeklauseガストホフ・ゼークラウゼ(湖畔の小屋の意味)”にて>
Wieninger Bier 0.3Lx2、ウインナーとレーゲンスブルグ風ソーセージを頂く。
レーゲンスブルグ風はちょっと見がびっくりの太いソーセージで、塩気の強い味に閉口しました。
さすがに私も少し残すことになった。近郊の町からのハイキングやドライブ客で湖畔一のホテルのレストランはいっぱいです。
(14:10~15 Euro 18)。
写真:ヒンター湖畔の”Gasthof Seeklause”にて -
昼食を湖畔のレストランで食べ、ヒンター湖を13:10に出発。
実は食事が出てくるのが遅くて、駐車場まで小走りに帰る。駐車時間の締め切りに10分遅れたが、休日の所為か、幸い見回りはなく、セーフでした。
->L?・B305 15km Berchtesgadenに戻り市内観光。
写真:ヒンター湖畔の”Gasthof Seeklause”にて(14:10~15)
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以下は先年の旅の抜粋である。
≪セピア色の思い出:日本に帰国する前にドイツ最後の夏季休暇旅行で南ドイツのお気に入りの地を巡った。(抜萃)≫
1979.07.28.~08.02.(短い6日間!)
旅行予算:手持ち資金DMドイツ・マルク2,420
(電車:674km)デュッセルドルフ 08:29=>ミュンヘン
(レンタカー:150km)ミュンヘン 16:00=>ベルヒテスガーデンのホテル着は記録では22:00となっていた。
1979.07.28.「Königliche Villa王のヴィラ」に4泊した。
ベルヒテスガーデンのホテルは「Königliche Villa王のヴィラ」で当時、「Gast im Schloss古城ホテル案内書」で見つけたもので、ここをベースに近在やミュンヘンなどを訪ねた。
<Hotel Restaurant Café Königliche Villa王のヴィラ(別荘)>
D-8240 Berchtesgaden 、Am Luitpoldparkルイトポルト公園
TEL:08652-5097
全35室。このホテルはバイエルン王国第3代国王MaximilianⅡマクシミリアン2世(1811年~1864年)により1848年に建設され、1918年(第一次大戦でドイツが敗戦し、ドイツ革命がおこり、王国は滅亡した)まで、バイエルン王の夏の宮殿(別荘)として使用されたものである。
バイエルン王の夏の宮殿(別荘)であった証しのように、ホテルの背景には美しいWatzmannヴァッツマン(ドイツで3番目に高い山、2713m)山系を見ることでき、最高の位置にあるホテルだ。
噴水のある庭園、素晴らしいレストラン、テラスレストラン、ワインケラー、カフェ、そして特に興味深いのは「ドイツ紋章博物館」が宮殿内に設けられていたことだろう。
写真:1979.7.28.左上から時計回りで、Königliche Villa王のヴィラ(別荘)の絵葉書2枚、ホテル王のヴィラの入口、「Gast im Schloss古城ホテル案内書」の掲載ページなど。 -
第二日の29日は湖畔の町 Schönau am Königssee(シェーナウ・アム・ケーニヒスゼー、人口5700人)まで走り、手前の駐車場(DM1.5)に車を停めた。
そこから船着き場まで湖畔通りの土産物屋が並ぶ道を見ながら行く。
左手にTrachtenmodenトラヒテンモーデン Riehl民族衣装のお店リールがあって、様々な魅力的な衣装を陳列していた。
沿道には色濃いダリアやバラの花が咲いている。
近くの小屋に樵の小父さん(人形)が木材を切っている所があったが、コイン(DMドイツマルク1)を投げ入れると人形が木を切り出す。切った丸状の断片にスタンプを押し、日付を書いたものを来場記念にしていたのだ。
長く家の机の上に大事に置いてあった。
遊覧船(往復料金はDM24)に乗って、Watzmannヴァッツマン(2713m)山系を見上げながら、Königsseeケーニヒス湖(王の湖)を行き、St. Bartholomä聖バルトロメー僧院など見物した。
写真:1979.07.29.左上から時計回りで、Schönau am Königssee シェーナウ・アム・ケーニヒスゼーの船着場への道、丸状の木片を記念に購入、ヴァッツマン山系を背景に写す。 -
【Königsseeケーニヒス湖(王の湖)巡り】
ドイツで最も美しいと称されるケーニヒス湖はバイエルン州のオーストリアとの国境近くにある淡水湖で、太古に氷河が岩山を削り取り、その跡にできた湖である。
あくまで青く、実に神秘的な湖で、周囲の山々の景観と共に大変美しい。
1909年より電力のボート、手漕ぎボード、ペダル式ボートのみが使用を許されている。電気式遊覧船は湖面を静かにゆるやかに走り、水を汚さない。
写真:左上から時計回りで、ケーニヒス湖畔で一休み、聖バルトロメー僧院のレストランで昼食(DM36、ビールは1L)、僧院を背景に元気な家内と娘達、湖水に面してたつ聖バルトロメー僧院、僧院の木陰で食事を楽しむ観光客たち。 -
Jennerイエナー(1874m)とWatzmannヴァッツマン(2713m)に囲まれた峡谷・Fjordフィヨルドの長さは凡そ8km、幅1.25km。平均の深さ150m、最深200mと云う。海抜は620mに位置する。
この湖はBerchtesgadenベルヒテスガーデン国立公園に属し、国立公園の面積は210平方kmに及ぶ。Kehlsteinケールシュタイン(1834m、ヒットラーの鷲の巣山荘・5月から10月の間、開業)や、イエナー(1874m)の山頂からの眺望は見事なものと云われる。
峡谷・Fjordフィヨルドを行く遊覧船は途中、船長によるトランペットの吹奏があり、彼はヴァッツマン東壁に向かって吹く、そのエコーを皆で楽しむのだ。
ヴァッツマン東壁の景観美を楽しんでいると、お椀をかぶせたような赤い屋根の*聖バルトロメー僧院が前方にはっきりと見えてきた。
40分で 聖バルトロメー僧院に至る。
更に20分で奥まった所にあるOberseeオーバーゼー(上の湖)に行くこともできるが、今日は僧院までにした。通常の観光客は僧院までの往復を選ぶようだ。
船を下りて、湖畔の周辺を眺めながら、水辺を散策してみる。透明度の高い湖を小さな鴨が泳いでいた。
聖バルトロメー僧院の後背には文字通りと云える「Steinernes Meerシュタイネルネス メアー(石の海)」と称する2000m級の高い山並みが続き、ドイツ・オーストリアの国境線がある。
*聖バルトロメー僧院は1134年に創立された。
現在のバロック様式の教会や付属設備などは17世紀のものである。その後、僧院はバイエルン王が“狩猟の館”として使用したと云う。
写真:1979.07.29.右上から時計回りで、Echo von Königsseeの絵葉書(遊覧船上で船長が岩壁に向かってトランペットを吹きます。そのエコーを楽しむショー)、聖バルトロメー僧院で湖や遊覧船を背景に、岩肌に滝が落ちる、シェーナウに戻った。 -
【ベルヒテスガーデンの白い黄金:子供も大人もちょっとした冒険ができる岩塩工場(岩塩坑)は楽しい。】
トロッコ列車と岩塩工場(岩塩坑)、地底の塩水湖が観光名物になっている
見学代DM26、土産に塩を購入DM3.5。
<Salzbergwerk Berchtesgadenベルヒテスガーデンの岩塩工場(岩塩坑)>
D-83471 Berchtesgaden、 Parkplatz Salzburger Straße 24、
Gästeeinfahrt、 Bergwerkstraße 83
ベルヒテスガーデンは1300年からはアウグスティニアン修道院(紀元前1102年頃に創設)の支配下にあり、1491年には神聖ローマ帝国、1704年にオーストリア軍に占拠され、1805年にオーストリアに併合された。短いフランス統治期間(1809年から1810年)の後、バイエルン王国の統治となった。
ベルヒテスガーデンの塩坑が12世紀に開かれ、それが近くのオーストリアの SalzburgサルツブルクとHalleinハラインといった生産地との数世紀にわたる激しい競争の始まりでした。
ベルヒテスガーデンの町から離れた場所にSalzbergwerk岩塩坑がある。
元々は12世紀の起源のものだが、現在のものは1517年から開発された。
1817年にバイエルン王Maximilian I. マクシミリアン1世の命で、ここから*Ramsauラムザウを経由し、*Bad Reichenhallバート・ライヘンハルに塩水の導入管を29kmにわたって建設し、14トンのブロンズ製ポンプ機で汲み上げ、1927年までの間、送ったと云う。
岩塩坑は山腹から山の中に向かって採掘を行った。
現在はその岩塩坑(トンネル)を見学する観光事業になっている。
岩塩坑の発着所で、全員が見た目には奇妙な集団となる、昔の抗夫が使用した黒い帽子を被り、黒い上着と白のズボンを着て、身支度する。(写真参照)
其の後、乗車したトロッコ列車で地中700mを進む。
ちょっと怖いのは全長30mという地下坑道の木製滑り台を、地下の広場まで滑り降りることだ。広場には坑道入口がある。
さらに、地底にある塩水湖を対岸まで、渡し船に乗るなど、坑内をめぐるガイドツアーは面白く、たいへん興味深い。
子供たちも私共も珍しい、楽しい体験をした。
写真:1979.07.29.Berchtesgadenベルヒテスガーデンの塩工場見学 -
【Oberbayern高地バイエルン地方の白い黄金】
Oberbayernの南東・Bad Reichenhallバート・ライヘンハルではキリスト誕生の頃から、塩が産出されたと云う。当時、塩は“白い黄金”として、これを持つ者にとって権力と富の源泉であった。北方のLüneburgリューネブルクでも1000年の昔から、“白い黄金”と呼ばれた塩の生産地として栄え、港町・リューベックに至る“塩の道”の出発点であった。ハンザ都市は塩、塩で樽詰めにしたニシン、木材、鉄、岩石などをバルト海沿岸、北ドイツを中心に商い、特権的な交易で栄えたのは良く知られている。
近くのBerchtesgadenには岩塩坑があり、そこから岩塩を採掘していたが、バート・ライヘンハルでは“白い黄金”が泉から噴出していた。ヨーロッパで最も濃度の高い、この塩水から水を蒸発させて(この為、燃料となる森を必要とした)、塩を得ていた。
Bad Reichenhall は1159年頃には南ヨーロッパにおける、塩生産の中心たる町になっていた。1493年にはバイエルン公により、市民の広大な居住地が買収されて製塩場となり、バイエルン公直轄のものとなる。技術の発展と共に徐々に輸送手段も変化し、1617年にはMaximilian公の命で、Bad Reichenhallから後背地の森が豊かなTraunsteinトラウンシュタインまでの32kmに塩水用の木管を引いたと云う。4mのモミの木を材料とし、約9000の木管を使用したとある。Traunsteinには第二の製塩場が建設され(1617~1912年稼働)、更には第三の製塩場がRosenheimローゼンハイム(1810~1958年稼働)と順次、各地に設けられた。】
*前述したベルヒテスガーデン近くのBad Reichenhallバート・ライヘンハルはSaalachザーラッハ川に沿って発展した保養地である。
古来より、豊富な塩水に恵まれ、塩水を使用した呼吸器系統の病気療養地として広く知られている。
古くはケルト人やローマ軍団の居住地であったが、中世から近年に至るまでSalineザリーネ(製塩場)の拠点として、世に知られた。
町に残るAlte Salineアルテ・ザリーネは1832年バイエルン王ルートヴィヒ1世が建設した、世界で最も美しいと言われるネオ・ロマネスク様式の製塩場である。塩の博物館を併設している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真:1979.07.29.左上から時計回りで、*Hinterseeヒンターゼー(ケーニヒス湖に次いで有名なのが、ベルヒテスガーデン国立公園の奥にあるヒンター湖で、美しい湖と周辺の山系の景観が素晴らしい)に一走り、ヴァッツマン山を背景に、ベルヒテスガーデンの塩工場見学後の工場前で、夕闇迫るヒンター湖の景観、07.30.ミュンヘンのSchloss Nymphenburgニンフェンブルク宮殿(バイエルン選帝侯の夏の宮殿)を娘達と遠目に写した。 -
Bad Reichenhallバート・ライヘンハルに塩水の泉が発見された後、1617年Maximilian I.マクシミリアン1世公により、後背地の森が豊かなTraunsteinトラウンシュタインに二番目のSalineザリーネ(製塩場)が建設され、町に繁栄をもたらした。このザリーネ(製塩場)は1912年まで製造が続いたと云う。
<バート・ライヘンハル 市内観光>
町をめぐる道路を一回りして、1979年8月以来の再訪となる市内に向かった。
St.Johannes聖ヨハネス教会傍に駐車し、ポスト通りを歩いてマルクト広場を目指した。
現在の町はザーラッハ川に沿って発展した保養地である。古来より、豊富な塩水に恵まれ、塩水を使用した呼吸器系統の病気療養地として広く知られている。
古くはケルト人やローマ軍団の居住地であったが、中世から近年に至るまでザリーネ(製塩場)の拠点として、世に知られた。
1834年、町の3分の2を失う大火災が生じたが、その後復興し1890年にはライヘンハルからバート・ライヘンハルとなった。
この町は保養地だけに落ち着いた、洒落た街並みが好ましいものだった。
写真:1979.07.30.左上から時計回りで、ベルヒテスガーデンの絵葉書、
ミュンヘンの帰途に*保養地バート・ライヘンハルを訪れた。 -
<Roßfeldstraßeロスフェルト街道>
ロスフェルト街道はベルヒテスガーデンとKönigsseeケーニッヒ湖を結ぶ山岳道路である。
標高1,500mに位置し、ドイツアルプスの絶景を楽しめる。
地図で見ても、ドイツとオーストリアの国境地帯を回遊する街道だ。
現在は、その景観の良さから「Roßfeld Panoramastraßeロスフェルト・パノラマ・シュトラーセ」と称するようになった。
この地域の歴史は古く、かつてはロシアの貴族が避暑地として利用していたことでも知られている。
写真:1979.07.31.天候不順で小雨が降るロスフェルト街道を回遊した。有料(DM4.5)でした。 -
尚、2008年アルペン街道を走った際、4月26日に久しぶりにこのホテルを訪ねてみたが、イタリア料理のレストランになっていてガッカリした。
その時の旅行記にこう書いている。
「昨日、是非行ってみたかった場所がある。近くを車で通りながら、見かけた感じが違っていたので、今日は直接見てみようと思った。
その場所は*Luitpoldparkルイトポルト公園傍の道に沿って建つ、フローレンス風のKönigliche Villa王のヴィラ(1848年)の建物である。
ここは29年前に家族で4泊した古城ホテルでした。
ホテル内に“ドイツ紋章博物館”があり、その膨大なWappen紋章の数に驚いた記憶がある。現在はイタリアレストランである。
あの紋章たちは何処に行ってしまったのだろうか?!」
* Luitpold von Bayernルイトポルト・フォン・バイエルン(1821~1912年)はノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥城)で知られるバイエルン王ルートヴィヒ2世の叔父にあたり、1886年6月10日、ルートヴィヒ2世は精神病であると宣言された際に、王国の摂政(Prinzregentプリンツレゲント)となった。国民に人気もあって、各地にその名を付けた場所も多い。
但し、ルイトポルトは1912年に91歳で死去するまで摂政の地位にあった。摂政の地位は長男ルートヴィヒが嗣いだ。
摂政ルートヴィヒは翌1913年にルートヴィヒ2世の弟でバイエルン王だったOtto Iオットー1世(1848~1916年)を廃位し、自らルートヴィヒ3世(第6代バイエルン王:在位は1913~1918年)として即位した。
写真:1979.07.31.旧市街見物後、「ホテル王のヴィラ」のドイツ紋章博物館を見学・・・右下にラインラント・プファルツ州の紋章
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少々後悔がある。ラムザウで良い人たちにあって、良い写真を撮らせて頂いたのだが、いつもなら、彼らの住所を聞いて、帰国してから焼き増しした写真を送るのだが、この時は失念してしまったのだ。
(2026年07月18日Wiki・HP参考、訳、編集追記)
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ベルヒテスガーデン
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この旅行記へのコメント (1)
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- pedaruさん 2026/07/21 06:53:11
- ハワイといったら○○さん、パリと言ったら○○さん、ドイツといったらjijidarumaさん
- jijidarumaさん おはようございます。
セピア色の思い出、いつも楽しみ、そして感心しています。
ラムザウの教会、嘘じゃないかと思うほど、カレンダーやポスターにピッタリのふうけいですね。日本で言えば富士山と桜と言ったところでしょうか?
いつも感心しながら読んでいます。丁寧な解説、セピア色なのに昨日のことのように思えます。記憶だけに頼らず、記録が大切なのですね。私と真逆な性格なのでしょうか?私は一度も日記をつけたことがありません。(夏休みの宿題以外は)
民族衣装のご婦人、貴重な写真ですね。品のよい東洋の紳士に流ちょうなドイツ語でお願いされては断れませんね。jijidarumaさん、25歳以下の女性には話しかけてはいけません(笑)。
pedau
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