1984/07/30 - 1984/07/30
2位(同エリア52件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記577冊
- クチコミ660件
- Q&A回答107件
- 1,022,467アクセス
- フォロワー107人
来年、つまり1985年1月に家族(長女の高校受験)を先に帰国させて、後任者との引継ぎが終了する5月に私自身の帰国を予定していた。
多分最後のUrlaub(ウアラオプ:休暇)になるだろう家族の夏季休暇は1984年7月20日~8月3日の休暇旅行(15日間)に、私共が好んだ南ドイツからオーストリアの旅を選んだ。
7月20日の夕刻、デュッセルドルフを出て、ヴァイバースブルン(女の泉)、 パッサウ、ヴァッハウ渓谷、ウイーン、バーデン、ザルツカンマ―グート、ザルツブルク、ツェル・アム・ゼー、グロースグロックナー、ブルクハウゼン、ミュンヘン、ウルム、古城街道(ネッカー流域)、ミッシェルシュタットを訪れて、8月3日にデュッセルドルフに戻った。
この旅の全行程の総走行距離は3,410km(出発時102,347km=>帰宅時105,757km)となった。
写真はGroßglockner-Hochalpenstraßeグロースグロックナー・アルプス山岳道路の終点フランツ・ヨーゼフ・ヘーエで:パステルツェ氷河に降りて、人生初の氷河上を歩く。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<1984年7月20日~8月3日の休暇旅行(15日間)の行程>
休暇旅行はいつもの事だが、会社から帰宅した足で、夕刻に家を出る。開放感を求めて、早々と旅に出てしまうのが一番だ。
煩わしく、ありがたいことなのだが、どのみち、何かあればベテランのドイツ人秘書に渡してある行程表と予約済みのホテルで、彼女から電話連絡がくる。
この時もまだ明るい19:10、アウトバーンに走り出す。
渋滞の少ない*BundesautobahnブンデスアウトバーンA3を285km走ると、途中1泊目をいつものようにシュペッサートの森の真珠・Schloss Mespelbrunnメスペルブルン城(水城:A3の左手)近くの Weibersbrunnヴァイバースブルン(女の泉:A3の右手)にあるHotel Brunnenhofホテル・ブルネンホフに宿泊(DM171)した。
Hotel Brunnenhofホテル・ブルネンホフ
D-63879 Weibersbrunn 、Hauptstrasse 231
*BundesautobahnブンデスアウトバーンA3はドイツの主要道路で、ドイツ第2の長さをほこるアウトバーンである。ドイツ北西のオランダ国境Emmerich am Rheinエメリッヒ・アム・ライン付近から(オランダのA12の継続として始まり)、ドイツ南東のオーストリア国境Passauパッサウ・Subenズーベン国境付近まで、778 kmの路線を持つ。
パッサウ/ズーベン国境通過点でオーストリアに入り、オーストリアのA8として続く。オランダとオーストリアを接続する国際道路のドイツ側区間である。
写真:ドイツのデュッセルドルフからオーストリアのウイーンまでのザックリした距離は写真の様なものだ。片道で1,058kmである。 -
7月20日の夕刻、デュッセルドルフを出て、ヴァイバースブルン(女の泉)、 パッサウ、ヴァッハウ渓谷、ウイーン、バーデン、ザルツカンマ―グート、ザルツブルク、ツェル・アム・ゼー、グロースグロックナー、ブルクハウゼン、ミュンヘン、ウルム、古城街道(ネッカー流域)、ミッシェルシュタットを訪れて、8月3日にデュッセルドルフに戻った。
全行程の総距離は3,410kmとなった。
7月26日~29日、Salzkammergutザルツカンマ―グートのWolfgangseeヴォルフガング湖畔にあるHotel Seeroseホテル・ゼーローゼに3泊(ÖS2,235)して、 Salzburgザルツブルク一帯の湖を周遊した。
29日にホテルを出発し、見残したSt.Gilgenザンクトギルゲン、Schloss Hellbrunnヘルブルン宮殿、OberndorfオーベルンドルフのSt. Nikolaus Kirche聖ニコラウス教会(世界で最も有名なクリスマスキャロル『きよしこの夜』(ドイツ語 "Stille Nacht! Heilige Nacht!" )などを見物して、オーストリア・チロル地方の東に位置するZell am Seeツェル・アム・ゼーに入った。
記録が正確ではないが、夕食をホテル外でしたので、2泊(29日~31日:ÖS1,440)した宿泊先はGarni(ガルニ:夕食の無いホテル)にしたと思う。
Hotel Garni Seestrand in Thumersbach
ホテル・ガルニ・ゼーシュトラント・イン・トゥーマースバッハ
A-5700 Zell am See / Thumersbach、Seeuferstraße 60
参考写真:チロルを旅するMap(昭文社)…Tirolチロルの谷の女王Mayrhofenマイヤーホーフェン(チロル州、人口4千人。標高633m)の町から右方向にあるZell am Seeツェル・アム・ゼーの町と東チロルのグロースグロックナー山(3,798m)ツェル アム ゼー駅 駅
-
【チロル地方の東に位置するグロースグロックナー山岳道路を走り、オーストリア最長と称されるパステルツェ氷河上を歩く】
チロル地方はオーストリアとイタリアにまたがるアルプス山脈東部の地域である。大部分の住民はドイツ系(バイエルン人・アレマン人の一部)で、チロル州はアルプス山脈の東部に位置し、全域が山地で占められる。このため夏は避暑と登山、冬はアルペンスキーのために賑わう。
Land Salzburgザルツブルク州及びLand Kärntenケルンテン州との州境にオーストリア最高峰のGroßglocknerグロースグロックナー山(標高3,798m)が、バイエルン州との国境にはドイツ最高峰のZugspitzeツークシュピッツェ山(標高2,962m)がある。
オーストリアのグロースグロックナー山岳道路はザルツブルク州のBruck(an der Großglocknerstraße)ブルック(756m)と、ケルンテン州のHeiligenblut (am Großglockner) ハイリゲンブルート(1,288 m)を、標高2,504mのHochtor Passホーホトアー峠を経由して結んでいる。
南北に走る有料道路であり、北の入り口はザルツブルク州のFerleitenフェアライテン(1,145m)、南はケルンテン州のHeiligenblutハイリゲンブルートに料金所がある。どちら側から入ることができる。
この距離48kmの有料道路は、オーストリア最高峰であるグロースグロックナー山から名付けられている。景色のよい道路である。
ハイリゲンブルートは東チロル地方のグロースグロックナーの山麓、標高1,288mの位置にある。
参考写真:Großglockner_Hochalpenstrasse_Panoramakarteグロースグロックナー・アルプス山岳道路のパノラマ図 -
【グロースグロックナー・アルプス山岳道路と皇帝ヨーゼフ1世&皇妃エリザベート】
オーストリアで最も標高の高い位置にある美しい山岳道路です。
舗装道路としてオーストリアで最高所の峠を超える道で、展望台がある*Kaiser-Franz-Josefs-Höhe皇帝フランツ・ヨーゼフス・ヘーエまで美しい眺望を楽しめる。
1856年、オーストリア皇帝・ハンガリー国王フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916年) は皇妃エリザベート(1837~1898年)と共に、この山の氷河を見物に訪れている。ハイリゲンブルートから馬と徒歩で4時間かけて、皇帝夫妻はひとつの鞍部(2,370m)に達し、ここが「Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエ」と呼ばれるようになった。
皇帝夫妻はこの場所に2時間以上とどまり、オーストリア最大の長さ8.4kmのパステルツェ氷河の眺望をはじめ、グロースグロックナー山(三角に切り立った険しい山:標高3,798m)の偉容に深い感銘を受けたと伝えられている。
因みにグロースグロックナー山の名称の由来は、山の形が鐘(Glockeグロッケ)に似ていたからだとする説、あるいは金の発掘(ゴルト・クロッケン)に関係があるという説などがあると云う。
前者の方がもっともらしい。
参考写真:ヨーロッパの田舎(新潮社:2001年発行):オーストリアの最高峰グロースグロックナーの説明頁(Großglockner-Hochalpenstraße) -
参考写真:Großglockner_1782年 Belsazar Hacquetベルサザール・ハケット(1739~1815年、オーストリア(スロヴェニア)の医師、博物学者)の絵・・・ここではGlocknerをKloknerと書いている。
-
1935年に開通したグロースグロックナー・アルプス山岳道路はNationalpark Hohe Tauernホーエ・ タウエルン国立公園の中心部を貫くもので、全長48km、最高点の標高2,500mである。
5月初めから11月初めまで(毎日5時~22時)通行可能となっている。
参考写真:Großglockner-Hochalpenstraßeグロースグロックナー・アルプス山岳道路の75周年(1935~2010年)、5Euro記念硬貨(2010年) -
7月30日朝、晴天に恵まれ、Zell am Seeツェル・アム・ゼー(ザルツブルク州、人口9千6百人、標高757m)を出発した。
その後のグロースグロックナー・アルプス山岳道路を概略以下の順序で走行した(カッコ内は標高)・・・・
Bruck(an der Großglocknerstraße)ブルック(756m)=>
Fuschフーシュ(815m)=>
Ferleitenフェアライテン(1,145m:Kasse料金所)=>
①Piffkarピフカー(1,633m、beim Wildpark Ferleiten)=>
Hexenkücheへクセンキュッヘ(魔女の台所)zwischen ②Hochmais (1,850m) und der Edelweißwand (höchster Punkt 2,247m)=>
④Edelweißspitzeエーデルヴァイスシュピッツェ(2,572 m)=>
⑤Fuscher Törlフッシャーテルル (2,428 m:展望台)=>
⑥Info Greifvögel インフォ・グライフェーゲル(2,320 m)=>
⑦Fuscher Lackeフッシャーラッケ(2,261m)=>
⑧Geologischer Lehrweg ゲオロギシャーレールベーク(2,290 m) =>
⑨Hochtor ホッホトアー(2,504m:最高地の峠)=>
⑩Schöneckシェーンエック (1,953 m) =>
⑪Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエ(2,370m:展望台)=>
⑫Kasereckカザーエック (1,911 m)=>
Heiligenblutハイリゲンブルート(1,288 m:Kasse料金所)
帰路はハイリゲンブルートからHochtor ホッホトアー峠に向かって、来た道を辿り、Zell am Seeツェル・アム・ゼーのホテルに戻った。
参考写真:Großglockner-Hochalpenstraßeグロースグロックナー・ホーホアルペンシュトラーセ(アルプス山岳道路)図 -
イチオシ
写真:右上から時計回りに、Zell am Seeツェル・アム・ゼーを中心としたアルプスの絵葉書、グロースグロックナー・ホーホアルペンシュトラーセ(アルプス山岳道路)に入る道路標識と氷河を頂く山々を前に、Piffkarピフカー(1,633m、beim Wildpark Ferleiten)でHohe Dockホーヘ・ドック(右の山3,348m)をバックに、同じくピフカーでGrosses Wiesbachhornグローセスヴィースバッハホルン(正面の山3,564m)をバックに撮る。
-
Bruck(an der Großglocknerstraße)ブルック(756m)、Fuschフーシュ(815m)を過ぎ、有料道路のKasse料金所Ferleitenフェアライテン(1,145m)近くで撮る。
写真:グロースグロックナー・ホーホアルペンシュトラーセ(アルプス山岳道路)に入る料金を示す道路標識と氷河を頂く山々を前に。グロースグロックナー アルプス山岳道路 山・渓谷
-
フェアライテン野外公園傍のPiffkarピフカー(1,633m)で、Hohe Dockホーヘ・ドック(右の山3,348m)をバックに撮る。
山岳道路は観光シーズンを迎えて走る車多いようだ。途中や終点の駐車場の空き具合を見ながら、通行許可を出す様子で、待ち時間があった。
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・Piffkarピフカー(1,633m、beim Wildpark Ferleiten)でHohe Dockホーヘ・ドック(右の山3,348m)をバックに。 -
Piffkarピフカー(1,633m)で、Grosses Wiesbachhornグローセスヴィースバッハホルン(正面の山3,564m)をバックに撮る。
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・通行許可が出るまで待ち時間があった。 -
イチオシ
写真:右上から時計回りに、雲海を後ろに見て(2,100m地点で)、道路際の雪の厚さに驚く、Hexenkücheへクセンキュッヘ(魔女の台所)zwischen ②Hochmais (1,850m) und der Edelweißwand (höchster Punkt 2,247m)、Fuscher Törlフッシャーテルル (2,428 m:展望台)でフランツ・ヨーゼフ・ヘーエの駐車場が空くまで1時間ほど休憩中、フッシャーテルル (2,428 m:展望台)にて。
-
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・雲海を後ろに見て(2,100m地点で)
-
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・道路際の雪の厚さに驚く。
-
山岳道路は九十九折(つづらおり)の道で急カーブが多くあり、傾斜のある道路だから結構気を遣う。
参考写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・Hexenküche魔女の台所 (an der Großglocknerstraße)の様子・・・今にしてみると、この山岳道路は怖い。当時は40代初めと若いから、怖さも意識せずに走ったようだ。
この九十九折(つづらおり)の道路の様子を見ると、ドイツで初めて(1974年)車の免許を取り、翌年の夏の休暇で怖い*Furka Passフルカ峠(2,436mm、峠には氷河もあった)を走った事も思い出す。
*Furka Passフルカ峠はスイス・Valaisヴァレー州のGletschグレッチュとUri ウーリ州のRealpレアルプとを結ぶ、スイス・アルプスの高所にある峠である。
標高は2,436m。
ジェームズ・ボンド映画の『ゴールドフィンガー』の舞台の1つとなった。 -
Fuscher Törlフッシャーテルル (2,428 m:展望台)から後方下を望むと、これから向かうFuscher Lackeフーシャーラッケが見える。
Die Fuscher Lackeフーシャーラッケ(標高2,261m)はグロースグロックナー・アルプス山岳道路傍にある小さなBergsee山の湖である。近くに小さなレストランDER MankeiwirtとStraßenwärterhaus 道路管理事務所が建っている。
写真:Fuscher Törlフッシャーテルル (2,428 m:展望台)にて。 -
Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエ(2,370m:展望台)の駐車場が混んでいたため、Fuscher Törlフッシャーテルル (2,428 m:展望台)の駐車場で1時間ほど休憩する事になった。
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・フランツ・ヨーゼフ・ヘーエの手前の駐車場1時間ほど休憩。 -
参考写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路:オーストリアで最高所の峠Hochtor Passホーホトアー峠(標高2,504m)の北側の本道から南を望む
-
参考写真:オーストリアで最高所の峠Hochtor Passホーホトアー峠(標高2,504m)から北東に直線で4㎞下った付近
-
Großglocknerグロースグロックナー山と後退したパステルツェ氷河(長さ8.4km、オーストリア最大の氷河と云われる)、黒く汚れた向かい側の山の斜面まで氷河である。
参考写真:Großglocknerグロースグロックナー山と後退したパステルツェ氷河 -
イチオシ
写真:左上から時計回りに、2,370mの高地であるKaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエでグロースグロックナー山とパステルツェ氷河をバックに記念写真を撮った、フランツ・ヨーゼフ・ヘーエで昼食、すぐ下にカラスのような黒い鳥や当地名物のアルプス・マーモット(Marmota:リスの仲間)が穴から顔を出している、パステルツェ氷河を見下す。
-
やっと、2,370mの高地であるKaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエの駐車場に着いた。丁度12時になっていた。
ここで快晴でまぶしいほどのグロースグロックナー山とパステルツェ氷河をバックに記念写真を撮った。
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路・・・フランツ・ヨーゼフ・ヘーエで -
<Pasterze Glacierパステルツェ氷河>
Pasterze Glacierパステルツェ氷河はオーストリアにある氷河である。
アルプス山脈のグロースグロックナー山中にあり、長さは8.4km(前述のヨーロッパの田舎(新潮社:2001年発行):オーストリアの最高峰グロースグロックナーの説明頁では9kmとある)でオーストリアで最長の氷河である。
標高3,453mから2,100mに位置していて、グロースグロックナー山岳道路とケーブルカー(ここではGletscherbahnグレチャーバーンと呼んでいた)により、氷河まで降りることができる。
パステルツェ氷河を見下すと、氷河の先端を歩く人の姿が点になって見えている。
氷河は後退傾向にあり、年10mの速さで短くなっていると云う。
1851年頃と比較するとその長さは半分ほどとなってしまった。
写真:グロースグロックナー・アルプス山岳道路:パステルツェ氷河を見下す。 -
イチオシ
写真は山岳道路の終点Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエで:左上から時計回りに、こうした時に腹持ちの良いGulaschsuppeグーラッシュズッペを昼食に、展望台とPasterze Glacier氷河上の家内を高さを感じるように撮ってみた、パステルツェ氷河に降りて、人生初の氷河上を歩く。
-
昼食は腹持ちの良いGulaschsuppeグーラッシュズッペとビールを昼食に頂いた。
昼食代は4人でÖS300。
写真:アルプス山岳道路の終点Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエで昼食。フランツ ヨーゼフ展望台 山・渓谷
-
娘達はグーラッシュズッペに、ジュースとアイス。
写真:アルプス山岳道路の終点Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエで昼食。 -
【Kaiser-Franz-Josefs-Höheカイザー・フランツ・ヨーゼフス・ヘーエの展望台】
オーストリア最高峰のGroßglocknerグロースクロックナー(3,798m)の山並みやオーストリア最大の氷河といわれるパステルツェ氷河がすぐ目の前で眺められる。尚、展望所にはビジターセンターもあり、カフェ、レストラン、土産物店、博物館もある。
参考写真:アルプス山岳道路の終点Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエで -
参考写真:Gletscherbahnグレチャーバーンでパステルツェ氷河まで降ります。
-
写真:グレチャーバーン乗車料金(ÖS150)とグロースグロックナー・アルプス山岳道路の有料料金(片道ÖS240)
-
写真:恐ろしく急勾配のグレチャーバーンに乗車して、氷河の谷に降りる。
-
写真:Kaiser-Franz-Josefs-Höheフランツ・ヨーゼフ・ヘーエの展望台とPasterze Glacierパステルツェ氷河上の家内を高さを感じるように撮ってみた。
こんな瓦礫や岩壁の上にレストランや駐車場が設けられている。想像すると怖い。 -
イチオシ
写真:上中央から時計回りで、フランツ・ヨーゼフ・ヘーエの展望台からGletscherbahnグレチャーバーンで氷河まで降りる、人生初の氷河上で、斜面で雪遊び、ハイリゲンブルートのSt.Vinzenzヴィンツェンツ教会の墓地で、ハイリゲンブルートの水晶の泉。
-
写真:雪解け水が川になり、橋を渡って、人生初のパステルツェ氷河上を歩く。
-
写真:氷河が融けた水が川を作り、下方の湖に注いでいた。パステルツェ氷河上で娘達と記念写真を撮った。
-
写真:娘に撮ってもらった氷上の私共。氷河の細い割れ目は美しいブルーで、深く裂けている。氷上は冷たい空気が流れている。
-
写真:斜面で雪遊びに興じるドイツ人の方から、ビニール袋を頂く。かなりのスピードで急斜面を滑降するので、恐れをなして雪遊びは遠慮した。
-
パステルツェ氷河の長さはオーストリア最長の8.4km、標高3,453mから2,100mに位置している。
氷河は温暖化の所為か、年々融けて後退している。近年は解ける速さが、年10mの速さで短くなっているのだと云う。
1851年頃と比較すると氷河の長さは半分ほどとなってしまったそうだ。
参考写真:氷河の歴史、融けていく経過を示す図 -
【Heiligenblut am Großglockner ハイリゲンブルート・アム・グロースグロックナー】
ハイリゲンブルート・アム・グロースグロックナーはオーストリアの最高峰グロースグロックナー(標高3,798m)の麓、標高1,288mにある人口1,000人の小村である。典型的な教会を中心とした村で、景観の美しい観光地として有名である。
オーストリアで最も美しい村の一つと称されているハイリゲンブルート(ケルンテン州)はグロースグロックナー山岳道路の終着点であり、歴史的巡礼地の対象であるSt.Vinzenz聖ヴィンツェンツ教会は独特のたたずまいをしている。
参考写真:Heiligenblutハイリゲンブルートの水晶の泉・・・水晶の泉があるドルフ広場からもグロースグロックナー山が望める。 -
山岳道路の終着点であるハイリゲンブルートの町には有料道路を行く。当然だが使用料金片道ÖS140がかかった。
ドルフ広場で水晶の泉(この三角形の隙間)からグロースグロックナー山が望めると書いてあったから、早速のぞいて見た。
残念ながら雲がかかって良く見えず。
写真:Heiligenblutハイリゲンブルートの水晶の泉 -
「St.Vinzenz聖ヴィンツェンツ教会>
Heiligenblutハイリゲンブルートはドイツ語で「Heiligen聖なるblut血」という意味である。また、キリスト教で「聖なる血」とは「キリストが磔刑された際に流された血」のことで、聖遺物として信仰の対象となっている。
伝説によると、10世紀頃、この地で雪崩に巻き込まれて行き倒れた男が発見されました。
行き倒れた男はビザンチン(東ローマ)帝国(首都Konstantinopelコンスタンティノープル、後のイスタンブール)のBriccius ブリッチウスで、彼は(コンスタンチノーブルに保管されていた)「聖なる血」=「聖遺物」をアルプスの北の国々(デンマーク?!)にもたらそうと旅をしていた。
村人の手により、ブリッチウスの墓と聖なる血を納める聖ヴィンツェンツ教会が建てられ、村の名を「ハイリゲンブルート=聖なる血」と名付けました。
その後、ハイリゲンブルートは「聖なる血」=「聖遺物」信仰に多くの巡礼者が訪れるようになったと伝えられている。
現在でも聖遺物は教会の祭壇左側に納められているそうだ。
(尚、兵士や旅人、巡礼者の守護人とされているブリッチウスは聖人への列聖を何度か嘆願されたが、認められなかったと云う)
写真:ハイリゲンブルートの町と中心に立つ聖ヴィンツェンツ教会の絵葉書ヴィンツェンツ教会 寺院・教会
-
イチオシ
写真:右上から時計回りに、絵画的でカレンダーを飾るHeiligenblut am Großglockner ハイリゲンブルートのSt.Vinzenzヴィンツェンツ教会の景観、村内の娘達、ヴィンツェンツ教会をバックに2枚。
-
写真:ヴィンツェンツ教会の整然とした墓地は美しい花々で飾られていたのが印象的だった。
-
写真:ハイリゲンブルートの村で御機嫌の娘達です。
-
写真:ハイリゲンブルートの村でヴィンツェンツ教会をバックに気分よく一枚。
-
写真:ハイリゲンブルートの村でヴィンツェンツ教会をバックにもう一枚。
-
人気も高いハイリゲンブルートのSt.Vinzenzヴィンツェンツ教会の祭壇は
チロル出身の巨匠(画家・彫刻家)Michael Pacher ミヒャエル・パッハー(1435~1498年)の工房による彫刻が施された。
ミヒャエル・パッハーの代表作は、以下の通りで参考に写真も添えた。
上の3点は実際に教会や美術館で拝見した事がある。
・・・・・
*Marienkrönung im Hauptschrein des Pacher-Altars in St. Wolfgang im Salzkammergut
*Kirchenväteraltar, Flügelaußenseite: Der Teufel weist dem hl. Augustinus das Buch der Laster vor, um 1480, Alte Pinakothek, München
*Papst Sixtus II. nimmt Abschied vom hl. Laurentius, um 1465, Belvedere, Wien
*Altar in der Alten Grieser Pfarrkirche in Bozen
・・・・・
参考写真:絵画的で、しばしばカレンダーの表紙を飾るHeiligenblutハイリゲンブルートのSt.Vinzenzヴィンツェンツ教会の景観 -
参考写真:ハイリゲンブルートのSt.Vinzenzヴィンツェンツ教会の祭壇(ミヒャエル・パッハー工房作)
-
参考写真:この旅でも再訪している聖ヴォルフガング教区教会・・・ミヒャエル・パッハー作のSt.Wolfgang im Salzkammergut聖ヴォルフガング教区教会(ザルツカンマ―グート)にあるHauptaltar主聖壇 (1481年)。
-
参考写真:ミヒャエル・パッハー作「悪魔を出し抜いた聖アウグスティヌス(1480年頃」Der Teufel weist dem hl. Augustinus das Buch der Laster vor, um 1480, Alte Pinakothek, München(聖アウグスティヌスを聖ヴォルフガングとする説も絵もある)ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク美術館)
-
参考写真:ミヒャエル・パッハー作のベルヴェデーレ宮殿に展示されている聖シクストゥス2世:Papst Sixtus II. nimmt Abschied vom hl. Laurentius, um 1465, Belvedere, Wien聖ローレンスから別れを告げられた(死の意味)教皇シクストゥス2世(1465年頃)・・・ローマ教皇シクストゥス2世はローマ皇帝ウァレリアヌスの迫害のため最初の犠牲者となって殉教した。
-
参考写真:ミヒャエル・パッハー作グリース教区教会(ボーツェン)の『聖母戴冠の祭壇』(1475年):Altar in der Alten Grieser Pfarrkirche in Bozenボーツェン(イタリア語で Bolzanoボルツァーノ:イタリア共和国トレンティーノ=アルト・アディジェ州北部の都市)
-
<Zell am Seeツェル・アム・ゼー>
Zell am Seeツェル・アム・ゼーはザルツブルク州の人口9千6百人の小さな町、標高757mと山間の町である。ローマ時代にはもうツェル・アム・ゼーに人が居住していたそうだ。
ツェル・アム・ゼーはKitzbühel・Alpenキッツビュール・アルプスの通り道であり、北はザールフェルデン盆地のザーラッハ川に、南はザルツァハ川に繋がっている。 インスブルックから東におよそ100km、グロースグロックナー山から北におよそ30kmの場所にあるから、今回の旅では地の利に恵まれていた。
写真:左上から時計回りに、夕方のツェル・アム・ゼー湖畔、湖畔散歩の娘達、7月31日ツェルを出発し、オーストリアのSaalfelden・Haidザールフェルデン・ハイト町の手前で、Loferローファーの景観=>ドイツのBad Reichenhallバートライヘンハル経由Burghausenブルクハウゼンに向かう。ツェラー湖 滝・河川・湖
-
Zeller Seeツェラー湖という大きな湖があり、この湖畔にあるリゾート地として知られている。
ツェラー湖は周囲4.5km、幅800mから1,400m、表面積は4.7平方kmほどで、深さは最も深いところで68mであると云う。
参考写真:Zeller Seeツェラー湖の景観 -
参考写真:ツェル・アム・ゼーの旧市街
-
参考写真:ツェル・アム・ゼーの1900年頃
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2025年08月02日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
セピア色の思い出1
-
セピア色の思い出:思いたってメルヘン街道(カッセル=>ハーメルン)を一日巡り(700km)した。
1982/07/11~
カッセル
-
セピア色の思い出:皇帝ナポレオンが、英蘭普連合軍に敗れた屈辱の地ワーテルローの古戦場を訪ねた。
1983/05/21~
ワーテルロー
-
セピア色の思い出:1983年夏の休暇・ガルダ湖畔のシルミオーネ・スカラ城、ローマ人の別荘跡を訪れた。
1983/08/02~
シルミオーネ
-
カーニバル休日:モーゼル小旅行からの帰途、世界で名だたる宝石の町イーダー・オーバーシュタインを訪れた。
1984/03/05~
イーダー・オーバーシュタイン
-
セピア色の思い出:オーストリアのグロースグロックナー山岳道路を走り、パステルツェ氷河を歩く。
1984/07/30~
グロースグロックナー周辺
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
グロースグロックナー周辺(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
478円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ セピア色の思い出1
0
55