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【セピア色の思い出:1983年Urlaub(休暇)・Prien~北アドリア海、Venezia~ガルダ湖~コモ湖~Zermatt~Sion~レマン湖~黒い森を巡る旅】<br />(1983年7月26日~8月7日:12泊13日)<br /><br />7月26日の夕刻、デュッセルドルフを出て、ヴァイバースブルン(女の泉)、 プリーン、ヘレンキムゼー宮殿、ヨーロッパ橋、北アドレア海Lido di Jesoloリド ディ イェーゾロ(Hotel Las Vegasホテル・ラス・ベガス)・ヴェネチア、ガルダ湖(シルミオーネ)、コモ湖(Hotel Villa Floriaホテル ヴィラ フローリ)、ミラノ、湖水巡り(コモ湖、ルガノ湖)、ツェルマット(ゴルナーグラート登山鉄道)、Sionシオン城、レマン湖のChâteau de Chillon シヨン城を訪れて、8月7日にデュッセルドルフに戻った。<br /><br />全行程の総走行距離は3,700kmとなった。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真:1983.08.06.左上から時計回りに、展望台から望むSionシオン城址、レマン湖畔のChillonシヨン城の絵葉書、湖畔を走る高速道路も見える、シヨン城をバックに娘たちを撮る。

セピア色の思い出:1983年夏の休暇・スイスのシオン城址、サン・レオナール村の地底湖、レマン湖畔のシヨン城を訪ねた。

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1983/08/06 - 1983/08/06

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jijidaruma

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【セピア色の思い出:1983年Urlaub(休暇)・Prien~北アドリア海、Venezia~ガルダ湖~コモ湖~Zermatt~Sion~レマン湖~黒い森を巡る旅】
(1983年7月26日~8月7日:12泊13日)

7月26日の夕刻、デュッセルドルフを出て、ヴァイバースブルン(女の泉)、 プリーン、ヘレンキムゼー宮殿、ヨーロッパ橋、北アドレア海Lido di Jesoloリド ディ イェーゾロ(Hotel Las Vegasホテル・ラス・ベガス)・ヴェネチア、ガルダ湖(シルミオーネ)、コモ湖(Hotel Villa Floriaホテル ヴィラ フローリ)、ミラノ、湖水巡り(コモ湖、ルガノ湖)、ツェルマット(ゴルナーグラート登山鉄道)、Sionシオン城、レマン湖のChâteau de Chillon シヨン城を訪れて、8月7日にデュッセルドルフに戻った。

全行程の総走行距離は3,700kmとなった。

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写真:1983.08.06.左上から時計回りに、展望台から望むSionシオン城址、レマン湖畔のChillonシヨン城の絵葉書、湖畔を走る高速道路も見える、シヨン城をバックに娘たちを撮る。

旅行の満足度
5.0
同行者
家族旅行
旅行の手配内容
個別手配
  • 1983年8月5日、マッターホルンを望む町、ZermattツェルマットからGornergratゴルナーグラート(3089m)展望台まで登山電車に乗った。<br /> Matterhornマッターホルン(4478m)を見るべく、展望台までやってきたが、残念にもマッターホルンは雲のなかで、見ることができず落胆した。<br />ただ、この展望台で久しく会っていなかった後輩のアルジェ駐在員M夫妻にばったり会って、お互い驚いた。<br /><br />ツェルマットから山を下り、Kanton Wallisヴァレー州のSaint-Léonard サン・レオナール村に向かった。この村にヨーロッパ最大の地底湖があると云うので、村内のモーテルを見つけて1泊した。<br /><br />朝8時半に地底湖の見学ができると云うので、ありがたい。<br />今日はどの地も初の訪れ故、時間がほしい。<br /><br />写真:1983.08.06.ブドウ畑に囲まれたSaint-Léonard サン・レオナール村と欧州最大の地底湖を訪ねた。

    イチオシ

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    1983年8月5日、マッターホルンを望む町、ZermattツェルマットからGornergratゴルナーグラート(3089m)展望台まで登山電車に乗った。
    Matterhornマッターホルン(4478m)を見るべく、展望台までやってきたが、残念にもマッターホルンは雲のなかで、見ることができず落胆した。
    ただ、この展望台で久しく会っていなかった後輩のアルジェ駐在員M夫妻にばったり会って、お互い驚いた。

    ツェルマットから山を下り、Kanton Wallisヴァレー州のSaint-Léonard サン・レオナール村に向かった。この村にヨーロッパ最大の地底湖があると云うので、村内のモーテルを見つけて1泊した。

    朝8時半に地底湖の見学ができると云うので、ありがたい。
    今日はどの地も初の訪れ故、時間がほしい。

    写真:1983.08.06.ブドウ畑に囲まれたSaint-Léonard サン・レオナール村と欧州最大の地底湖を訪ねた。

    サンレオナール地底湖 洞穴・鍾乳洞

  • Saint-Léonard サン・レオナール村にはヨーロッパで最大の地底湖があると云う。その事を知って今回の行程に加えた。だから、初めての訪れになる。<br /><br />サン・レオナール村はスイスのKanton Wallisヴァレー州の、人口2000人の小村で、海抜498mの位置にある。<br />ヴァレー州(仏語)はスイス南部(南西)の州で、フランス語圏とドイツ語圏にまたがっている。人口は33万5696人(2015年12月)。<br /><br />州都は行程途上のSionシオンであるこの州はマッターホルンを望む町、ツェルマットなどに内外から多くの観光客を集める。<br /><br />参考写真:1983.08.06.Saint-Léonard サン・レオナール村の景観

    Saint-Léonard サン・レオナール村にはヨーロッパで最大の地底湖があると云う。その事を知って今回の行程に加えた。だから、初めての訪れになる。

    サン・レオナール村はスイスのKanton Wallisヴァレー州の、人口2000人の小村で、海抜498mの位置にある。
    ヴァレー州(仏語)はスイス南部(南西)の州で、フランス語圏とドイツ語圏にまたがっている。人口は33万5696人(2015年12月)。

    州都は行程途上のSionシオンであるこの州はマッターホルンを望む町、ツェルマットなどに内外から多くの観光客を集める。

    参考写真:1983.08.06.Saint-Léonard サン・レオナール村の景観

  • アルプスの心臓部ともいわれるヴァレー地方には4000m級の名峰群、山間にのびる谷、氷河、山の斜面に続く葡萄畑など、その景観はたいへん魅力てきだ。<br /><br />隣接している州<br />北:ヴォー州、ベルン州<br />南:イタリア国境<br />南西:フランス国境<br />東:ウーリ州、ティチーノ州 (Wiki)<br /><br />参考写真:1983.08.06.Saint-Léonard サン・レオナール村の景観

    アルプスの心臓部ともいわれるヴァレー地方には4000m級の名峰群、山間にのびる谷、氷河、山の斜面に続く葡萄畑など、その景観はたいへん魅力てきだ。

    隣接している州
    北:ヴォー州、ベルン州
    南:イタリア国境
    南西:フランス国境
    東:ウーリ州、ティチーノ州 (Wiki)

    参考写真:1983.08.06.Saint-Léonard サン・レオナール村の景観

  • 地下水の存在(地底湖)は、地域住民に昔から知られていたが、完全に植生に覆われた現在の入口は、アクセスが困難で、入口付近にあった水溜りの部分に、地元のワイン「ファンダン:ヴァレー州において、白ワイン品種のファンダン(シャスラ)は、スイスを代表する白ワイン」のボトルを冷やすために、ワイン生産者がわずかに来ていたくらいでした。<br /><br />天井の高さを超えていた地底湖の水位が下がり、1943年の春に、真の地下洞窟が出現したそうで、「スイス洞穴学協会」から有名な洞穴学者のジャン・ジャック・ピタード女史とジャック・デラ・サンタ女史が派遣され、はじめて洞窟を調査・探検し、その美しさに驚愕したと云う。<br /><br />1949年から観光スポットとして、小舟による一般公開した。その後、ローヌ河の氾濫があって地底湖の一部が崩壊して、しばらく閉鎖して復旧工事を行った。<br />公開が再開された以降、毎年、約8万人の観光客が訪れる人気スポットとなった。<br /><br />現在、地底湖は照明が設置され、この青白く輝く美しい地底湖をボートで30分ほど遊覧することができるようになった。<br />近年では、流行りのコンサートなどのイベントも開催されていると云う。<br /><br />参考写真:サン・レオナール村の地底湖はこの近くに入り口がある。

    地下水の存在(地底湖)は、地域住民に昔から知られていたが、完全に植生に覆われた現在の入口は、アクセスが困難で、入口付近にあった水溜りの部分に、地元のワイン「ファンダン:ヴァレー州において、白ワイン品種のファンダン(シャスラ)は、スイスを代表する白ワイン」のボトルを冷やすために、ワイン生産者がわずかに来ていたくらいでした。

    天井の高さを超えていた地底湖の水位が下がり、1943年の春に、真の地下洞窟が出現したそうで、「スイス洞穴学協会」から有名な洞穴学者のジャン・ジャック・ピタード女史とジャック・デラ・サンタ女史が派遣され、はじめて洞窟を調査・探検し、その美しさに驚愕したと云う。

    1949年から観光スポットとして、小舟による一般公開した。その後、ローヌ河の氾濫があって地底湖の一部が崩壊して、しばらく閉鎖して復旧工事を行った。
    公開が再開された以降、毎年、約8万人の観光客が訪れる人気スポットとなった。

    現在、地底湖は照明が設置され、この青白く輝く美しい地底湖をボートで30分ほど遊覧することができるようになった。
    近年では、流行りのコンサートなどのイベントも開催されていると云う。

    参考写真:サン・レオナール村の地底湖はこの近くに入り口がある。

  • SionシオンとSierreシエールの間、周りを囲むブドウ畑が美しいSaint-Léonard サン・レオナール村にある地底湖は、面積約6000平方mの大きさで、写真の様な船で遊覧できるヨーロッパ最大の天然地底湖と云われている。<br />地下洞窟の中にアルプスの氷河から水が流れ込んで形成された地底湖です。<br /><br />参考写真:サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖

    SionシオンとSierreシエールの間、周りを囲むブドウ畑が美しいSaint-Léonard サン・レオナール村にある地底湖は、面積約6000平方mの大きさで、写真の様な船で遊覧できるヨーロッパ最大の天然地底湖と云われている。
    地下洞窟の中にアルプスの氷河から水が流れ込んで形成された地底湖です。

    参考写真:サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖

  • サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖はヨーロッパで最大!の地底湖で、lang長さ300m、breit 幅20m、 tief深さ10mです。<br /><br />参考写真:サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖<br />

    サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖はヨーロッパで最大!の地底湖で、lang長さ300m、breit 幅20m、 tief深さ10mです。

    参考写真:サン・レオナール村のUnterirdischer See地底湖

  • 地質学的にも貴重なもので、湖を囲む高さ10mの洞窟の壁には、さまざまな種類の石がきらめき、湖の水面に反映されている。<br />数億年前にさかのぼる3つの岩は、北側は石炭紀(約3億年前)の結晶片岩(けっしょうへんがん)である黒い粘板岩(ねんばんがん:スレート)または頁岩(けつがん:シェール)、南の壁は「サン・レオナールの石」といわれる大理石でできている。この2つの岩は水を通さないため、アルプスが広大な海だった頃の水をとどめているのだと云う。<br /><br />真ん中にある約2億2000万年前に出現したこの石膏岩(せっこうがん)が、アルプス山脈が形成されるなかで、大理石と結晶片岩の間に押し込まれ、水に溶けやすいこの堆積岩(たいせきがん)を、氷河期後の数千年前から水が侵食することで洞窟ができたと考えられている。<br /><br />澄みきった湖水には鱒(ます:トラウト)が泳ぎ、地下生物であり洞窟の中で光を放つことからツチボタルとも呼ばれるヒカリキノコバエ属の幼虫が棲息していると云う。<br /><br />以上は投稿に当たり、資料を調べてみた。<br /><br />見学当時は娘たちと、ただ驚きながら遊覧しただけだ。<br /><br />参考写真:サン・レオナールのUnterirdischer See地底湖<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    地質学的にも貴重なもので、湖を囲む高さ10mの洞窟の壁には、さまざまな種類の石がきらめき、湖の水面に反映されている。
    数億年前にさかのぼる3つの岩は、北側は石炭紀(約3億年前)の結晶片岩(けっしょうへんがん)である黒い粘板岩(ねんばんがん:スレート)または頁岩(けつがん:シェール)、南の壁は「サン・レオナールの石」といわれる大理石でできている。この2つの岩は水を通さないため、アルプスが広大な海だった頃の水をとどめているのだと云う。

    真ん中にある約2億2000万年前に出現したこの石膏岩(せっこうがん)が、アルプス山脈が形成されるなかで、大理石と結晶片岩の間に押し込まれ、水に溶けやすいこの堆積岩(たいせきがん)を、氷河期後の数千年前から水が侵食することで洞窟ができたと考えられている。

    澄みきった湖水には鱒(ます:トラウト)が泳ぎ、地下生物であり洞窟の中で光を放つことからツチボタルとも呼ばれるヒカリキノコバエ属の幼虫が棲息していると云う。

    以上は投稿に当たり、資料を調べてみた。

    見学当時は娘たちと、ただ驚きながら遊覧しただけだ。

    参考写真:サン・レオナールのUnterirdischer See地底湖

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  • 地底湖という珍しい体験をして、西へ5kmの距離にある州都シオンの町を訪ねた。<br /><br />写真:ブドウ畑に囲まれたSaint-Léonard サン・レオナール村とレマン湖畔の美しいChillonシヨン城

    地底湖という珍しい体験をして、西へ5kmの距離にある州都シオンの町を訪ねた。

    写真:ブドウ畑に囲まれたSaint-Léonard サン・レオナール村とレマン湖畔の美しいChillonシヨン城

  • Sionシオン(独語はSittenジッテンだが、)は、スイス南部、ヴァレー州の州都である。 人口34千人。<br />Rhoneローヌ川(スイス及びフランスを流れ地中海に注ぐヨーロッパの川で、全長812km)左岸に位置している。<br /><br />参考写真:ツェルマットからSionシオンへの行程Map

    Sionシオン(独語はSittenジッテンだが、)は、スイス南部、ヴァレー州の州都である。 人口34千人。
    Rhoneローヌ川(スイス及びフランスを流れ地中海に注ぐヨーロッパの川で、全長812km)左岸に位置している。

    参考写真:ツェルマットからSionシオンへの行程Map

  • スイス有数のワインの産地で、ヴァレー産ワインの集散地となっている。<br />ブドウ畑に囲まれたシオンの町、中央にこれから訪れる、2000年の歴史を持つ城址、教会の建物が小高い丘の上に見える。<br />スイス有数のワインの産地で、ヴァレー産ワインの集散地となっている。<br /><br />参考写真:州都Sionシオンの景観は誠に美しい。

    スイス有数のワインの産地で、ヴァレー産ワインの集散地となっている。
    ブドウ畑に囲まれたシオンの町、中央にこれから訪れる、2000年の歴史を持つ城址、教会の建物が小高い丘の上に見える。
    スイス有数のワインの産地で、ヴァレー産ワインの集散地となっている。

    参考写真:州都Sionシオンの景観は誠に美しい。

  • 道路際に車を駐車し、古城を遠望して写真を撮った。<br /><br />丘の麓にパノラマ展望台があり、シオンの町を望む。<br />娘たちが登ろうと、歩き出した先はトゥールビヨン城址(写真の左上)、Chateau de Valèreヴァレール城(写真の左下)、ここには州の歴史博物館が併設されて、なかなか面白かった。<br /><br />写真:1983.08.06.Sionシオンの町の景観

    道路際に車を駐車し、古城を遠望して写真を撮った。

    丘の麓にパノラマ展望台があり、シオンの町を望む。
    娘たちが登ろうと、歩き出した先はトゥールビヨン城址(写真の左上)、Chateau de Valèreヴァレール城(写真の左下)、ここには州の歴史博物館が併設されて、なかなか面白かった。

    写真:1983.08.06.Sionシオンの町の景観

  • シオンで新石器時代の遺跡が発見されているが、ケルト人の時代に発展し始めた。Sionシオンの語源は、この地域に住んでいたケルト人の種族に由来するラテン語の Sedunum セドゥヌムから来ている。 <br />紀元前1世紀に周辺地域と共に、ローマ人に占領された。<br />ローマカトリックのシオン教区は4世紀に創設され、スイスでは最も古く、アルプスの以北でも最も古い教区の一つである。<br />Savoieサヴォイア家(サヴォイア家は欧州でも屈指の名家)との抗争に対抗し、中世において宗教上の世界のみならず、世俗の権力においてもヴァレー地方全域に支配を及ぼした。<br /><br />葡萄畑に囲まれた丘の上にそびえるのは、双子の城といわれるトゥールビヨン城(左の丘)とヴァレール城(右の丘)。<br /><br />参考写真:シオンの有名な古城が二つ、左の丘に<Château de Tourbillonトゥールビヨン城(海抜658 m)と司教館の廃墟>、右の丘の上に<Chateau de Valèreヴァレール城(海抜611 m)とノートルダム・ド・ヴァレール教会>がある。<br /><br />

    シオンで新石器時代の遺跡が発見されているが、ケルト人の時代に発展し始めた。Sionシオンの語源は、この地域に住んでいたケルト人の種族に由来するラテン語の Sedunum セドゥヌムから来ている。
    紀元前1世紀に周辺地域と共に、ローマ人に占領された。
    ローマカトリックのシオン教区は4世紀に創設され、スイスでは最も古く、アルプスの以北でも最も古い教区の一つである。
    Savoieサヴォイア家(サヴォイア家は欧州でも屈指の名家)との抗争に対抗し、中世において宗教上の世界のみならず、世俗の権力においてもヴァレー地方全域に支配を及ぼした。

    葡萄畑に囲まれた丘の上にそびえるのは、双子の城といわれるトゥールビヨン城(左の丘)とヴァレール城(右の丘)。

    参考写真:シオンの有名な古城が二つ、左の丘に<Château de Tourbillonトゥールビヨン城(海抜658 m)と司教館の廃墟>、右の丘の上に<Chateau de Valèreヴァレール城(海抜611 m)とノートルダム・ド・ヴァレール教会>がある。

  • 参考写真:1640年、スイスの版画家Matthaus_Merianマテウス・メーリアン(1593年~1650年)の作品・・・シオンの町と二つの小高い丘の古城(左にトゥールビヨン城、右にヴァレール城) 

    参考写真:1640年、スイスの版画家Matthaus_Merianマテウス・メーリアン(1593年~1650年)の作品・・・シオンの町と二つの小高い丘の古城(左にトゥールビヨン城、右にヴァレール城) 

  • <Chateau de Valèreヴァレール城><br /><br />シオンの町を見下ろす丘の上(海抜611 m) に城と教会がある。寺院として12/13世紀に建てられたヴァレール城の内部には、中世の時代を中心にヴァレー州の歴史遺産を紹介する歴史博物館が入っている。15-16世紀のフレスコ画も美しい。城壁内には司教座参事会員の住居が置かれていた。<br /><br />Cathédrale de Valèreヴァレール大聖堂(ノートル・ダム・ド・ヴァレール)は12世紀に着工されたものである。ここにある木製オルガンは15世紀のもので、演奏可能なオルガンとして世界最古である。<br />後期ゴシック様式の美しい聖堂、正面の塔は12世紀にまで遡るロマネスク様式のものと云う。 <br /><br />参考写真:Chateau de Valèreヴァレール城、Cathédrale de Valèreヴァレール大聖堂(ノートル・ダム・ド・ヴァレール)<br /><br />

    <Chateau de Valèreヴァレール城>

    シオンの町を見下ろす丘の上(海抜611 m) に城と教会がある。寺院として12/13世紀に建てられたヴァレール城の内部には、中世の時代を中心にヴァレー州の歴史遺産を紹介する歴史博物館が入っている。15-16世紀のフレスコ画も美しい。城壁内には司教座参事会員の住居が置かれていた。

    Cathédrale de Valèreヴァレール大聖堂(ノートル・ダム・ド・ヴァレール)は12世紀に着工されたものである。ここにある木製オルガンは15世紀のもので、演奏可能なオルガンとして世界最古である。
    後期ゴシック様式の美しい聖堂、正面の塔は12世紀にまで遡るロマネスク様式のものと云う。 

    参考写真:Chateau de Valèreヴァレール城、Cathédrale de Valèreヴァレール大聖堂(ノートル・ダム・ド・ヴァレール)

    ヴァレール教会 (ヴァレール城) 寺院・教会

  • <Château de Tourbillonトゥールビヨン城><br /><br />ヴァレールに並び立つ丘の上にトゥールビヨン城(海抜658 m)と司教館の廃墟がある。<br />城の着工は14世紀初頭だが、この丘は先史時代から保塁として使われていた。戦略上の拠点として、13世紀末、シオンの司教によって城が築かれた。<br />1788年シオンの町を襲った大火により、トゥールビヨン城も罹災した。<br />罹災の後、廃虚となっている中世の古城跡は、今はシオンの町を見下ろす展望スポットになっている。<br /><br />古城後の広場は東から西へ200m、北から南へ約50mの広さである。<br /><br />参考写真:Château de Tourbillonシャトー・ド・トゥールビヨン(トゥールビヨン城)・・・実際は Festungsruine要塞址。

    <Château de Tourbillonトゥールビヨン城>

    ヴァレールに並び立つ丘の上にトゥールビヨン城(海抜658 m)と司教館の廃墟がある。
    城の着工は14世紀初頭だが、この丘は先史時代から保塁として使われていた。戦略上の拠点として、13世紀末、シオンの司教によって城が築かれた。
    1788年シオンの町を襲った大火により、トゥールビヨン城も罹災した。
    罹災の後、廃虚となっている中世の古城跡は、今はシオンの町を見下ろす展望スポットになっている。

    古城後の広場は東から西へ200m、北から南へ約50mの広さである。

    参考写真:Château de Tourbillonシャトー・ド・トゥールビヨン(トゥールビヨン城)・・・実際は Festungsruine要塞址。

    トゥルビヨン城 城・宮殿

  • 写真:Château de Tourbillonシャトー・ド・トゥールビヨン(トゥールビヨン城)をバックに、あの丘に登るという次女と。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />

    写真:Château de Tourbillonシャトー・ド・トゥールビヨン(トゥールビヨン城)をバックに、あの丘に登るという次女と。

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  • 参考写真:Sionシオン城、Chillonシヨン城の絵葉書

    参考写真:Sionシオン城、Chillonシヨン城の絵葉書

  • 【レマン湖に浮かぶ水城の姿】<br />住所:Ave. de Chillon 21<br /><br />Montreuxモントルーは、スイス、ヴォー州、リヴィエラ・ペイダンオー地区にある都市で、 Lac Lémanレマン湖(氷河湖)の東端に位置している。スイスとフランスにまたがる、三日月型のレマン湖の一帯はリゾート地である。<br />人口は約26,000人。<br />郊外に写真のシヨン城がある。<br /><br />年間40万人以上の訪問者を誇り、「スイスで一番美しい城」と称される。 <br />城の歴史を簡単に述べると、もともとはヴァレー州シオンの司教城郭であったが、12世紀頃には、レマン湖一帯から北イタリアにおよんで勢力を誇ったサヴォワ家の城となり、13世紀にピエール・ド・サヴォワ(ピエール2世)が、現在のスタイルの城へと増改築した。<br />1536年には、ヴォー地方を征服したベルン地方のスイス人により、城を占領される。以後、260年以上の長きにわたり、城は代官の住居や武器庫、牢獄としての役割を兼ねた。1798年のヴォー州革命後、1803年にヴォー州の所有となり、19世紀末から修復が行われ、現在に至っている。<br /><br />写真:1983.08.06.左上から時計回りに、展望台から望むSionシオン城址、レマン湖畔のChillonシヨン城の絵葉書、湖畔を走る高速道路も見える、シヨン城をバックに娘たちを撮る。

    イチオシ

    【レマン湖に浮かぶ水城の姿】
    住所:Ave. de Chillon 21

    Montreuxモントルーは、スイス、ヴォー州、リヴィエラ・ペイダンオー地区にある都市で、 Lac Lémanレマン湖(氷河湖)の東端に位置している。スイスとフランスにまたがる、三日月型のレマン湖の一帯はリゾート地である。
    人口は約26,000人。
    郊外に写真のシヨン城がある。

    年間40万人以上の訪問者を誇り、「スイスで一番美しい城」と称される。 
    城の歴史を簡単に述べると、もともとはヴァレー州シオンの司教城郭であったが、12世紀頃には、レマン湖一帯から北イタリアにおよんで勢力を誇ったサヴォワ家の城となり、13世紀にピエール・ド・サヴォワ(ピエール2世)が、現在のスタイルの城へと増改築した。
    1536年には、ヴォー地方を征服したベルン地方のスイス人により、城を占領される。以後、260年以上の長きにわたり、城は代官の住居や武器庫、牢獄としての役割を兼ねた。1798年のヴォー州革命後、1803年にヴォー州の所有となり、19世紀末から修復が行われ、現在に至っている。

    写真:1983.08.06.左上から時計回りに、展望台から望むSionシオン城址、レマン湖畔のChillonシヨン城の絵葉書、湖畔を走る高速道路も見える、シヨン城をバックに娘たちを撮る。

  • ローマ時代から、このシヨンの地はスイス と イタリア との国境にあるCol du Grand-Saint-Bernardサン・ベルナール峠(アルプス山脈の標高2469mの峠) を越えてイタリアのアオスタへ通じる街道として重要な交通路にあった。<br />救助犬のセント・バーナード犬や、1800年5月、皇帝ナポレオンはイタリア遠征のために4万のフランス軍を率いて峠を越えたことでも知られた峠である。<br /><br />この街道の見張りに、シヨンに兵を駐留させようと、Saint-Mauriceサン・モーリス修道院(シヨン城から24kmほどの南)はシヨン城を築城した。<br /><br />シヨン城についての最古の記録は1160年のものであるが、城が建っている場所の岩は原始時代に住居とされていたことが判明している。<br />12世紀になると、現在のイタリアとフランスにまたがるサヴォイア伯国のサヴォイア家の所有となった。<br />サヴォイア伯が領有してから拡張が行われ、13世紀から14世紀に最盛期を迎えた。<br /><br />13世紀、サヴォイア伯国の領地の中心であるシヨン城を気に入ったPietro IIピエトロ2世は、城を要塞としてだけではなく、居城として使用できるよう、改装や増築を行い、現在の城郭になったとのこと。<br />14世紀に、サヴォイア家が居城を他に移したので、シオン省主にイタリアから運ばれる商品に課税する関所としての役割に代わった。<br /><br />参考写真:1983.08.06.絵葉書のSionシオン城址、Chillonシヨン城、チロル。

    ローマ時代から、このシヨンの地はスイス と イタリア との国境にあるCol du Grand-Saint-Bernardサン・ベルナール峠(アルプス山脈の標高2469mの峠) を越えてイタリアのアオスタへ通じる街道として重要な交通路にあった。
    救助犬のセント・バーナード犬や、1800年5月、皇帝ナポレオンはイタリア遠征のために4万のフランス軍を率いて峠を越えたことでも知られた峠である。

    この街道の見張りに、シヨンに兵を駐留させようと、Saint-Mauriceサン・モーリス修道院(シヨン城から24kmほどの南)はシヨン城を築城した。

    シヨン城についての最古の記録は1160年のものであるが、城が建っている場所の岩は原始時代に住居とされていたことが判明している。
    12世紀になると、現在のイタリアとフランスにまたがるサヴォイア伯国のサヴォイア家の所有となった。
    サヴォイア伯が領有してから拡張が行われ、13世紀から14世紀に最盛期を迎えた。

    13世紀、サヴォイア伯国の領地の中心であるシヨン城を気に入ったPietro IIピエトロ2世は、城を要塞としてだけではなく、居城として使用できるよう、改装や増築を行い、現在の城郭になったとのこと。
    14世紀に、サヴォイア家が居城を他に移したので、シオン省主にイタリアから運ばれる商品に課税する関所としての役割に代わった。

    参考写真:1983.08.06.絵葉書のSionシオン城址、Chillonシヨン城、チロル。

  • <ボニヴァールの牢獄とシヨンの囚人><br /><br />イギリスのロマン派詩人、男爵George Gordon Byronジョージ・ゴードン・バイロン (1788年~ 1824年)による1816年の詩「シヨンの囚人」は、16世紀にこの城に幽閉されたジュネーヴの宗教改革者Francois Bonivardフランソワーズ・ボニヴァルのことをうたったものである。<br /><br />シヨン城の丸天井のある地下室の中で、一番大きな部屋は牢獄として使用され、かつて多くの囚人がここの柱につながれ、処刑されたと伝わる。<br /><br />この牢獄の逸話で有名な人物は16世紀、カトリック教徒だったCharles III, Herzog von Savoyenサヴォイア公カルロ3世(1486年~1553年)によって、ジュネーブのサン・ヴィクトル修道院長(宗教改革者)フランソワーズ・ボニヴァルはシヨン城の牢獄に投獄され、1536年ベルン軍がシヨン城を占領するまでの4年間、5番目の柱に鎖でつながれていた。<br />彼を投獄したカルロ3世は、その後イタリア支配をフランス王と争って敗戦し、亡命したまま、生涯を終えたと云う。<br /><br />後にイギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンがシヨン城を訪れ、『シヨンの囚人』として、この出来事を著わしました。その時のバイロンのサインが柱に残っている。<br />『シヨンの囚人』は20の言語に翻訳される空前の大ヒット作となり、シヨン城の名は世界中に広まった。シヨン城の主役は「囚人」なのだ。<br /><br />参考写真:左上のAutoroute高速道路A9とレマン湖畔のシヨン城

    <ボニヴァールの牢獄とシヨンの囚人>

    イギリスのロマン派詩人、男爵George Gordon Byronジョージ・ゴードン・バイロン (1788年~ 1824年)による1816年の詩「シヨンの囚人」は、16世紀にこの城に幽閉されたジュネーヴの宗教改革者Francois Bonivardフランソワーズ・ボニヴァルのことをうたったものである。

    シヨン城の丸天井のある地下室の中で、一番大きな部屋は牢獄として使用され、かつて多くの囚人がここの柱につながれ、処刑されたと伝わる。

    この牢獄の逸話で有名な人物は16世紀、カトリック教徒だったCharles III, Herzog von Savoyenサヴォイア公カルロ3世(1486年~1553年)によって、ジュネーブのサン・ヴィクトル修道院長(宗教改革者)フランソワーズ・ボニヴァルはシヨン城の牢獄に投獄され、1536年ベルン軍がシヨン城を占領するまでの4年間、5番目の柱に鎖でつながれていた。
    彼を投獄したカルロ3世は、その後イタリア支配をフランス王と争って敗戦し、亡命したまま、生涯を終えたと云う。

    後にイギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンがシヨン城を訪れ、『シヨンの囚人』として、この出来事を著わしました。その時のバイロンのサインが柱に残っている。
    『シヨンの囚人』は20の言語に翻訳される空前の大ヒット作となり、シヨン城の名は世界中に広まった。シヨン城の主役は「囚人」なのだ。

    参考写真:左上のAutoroute高速道路A9とレマン湖畔のシヨン城

    シヨン城 城・宮殿

  • 写実主義の巨匠・フランスの画家のGustave Courbetギュスターヴ・クールベ(1819~1877年)は、いくつもの『シヨン城』を描き、その絵を生涯にわたり、誰にも売ることはなかったと云う。<br /><br />参考絵画:ギュスターヴ・クールベ が描いた《シヨン城》(1874-1877年 油彩、キャンバス)

    写実主義の巨匠・フランスの画家のGustave Courbetギュスターヴ・クールベ(1819~1877年)は、いくつもの『シヨン城』を描き、その絵を生涯にわたり、誰にも売ることはなかったと云う。

    参考絵画:ギュスターヴ・クールベ が描いた《シヨン城》(1874-1877年 油彩、キャンバス)

  • 参考写真:シヨン城の城郭・・・城主の大広間はサヴォイア時代の建築で、ピエトロ2世は、シヨン城の上部を城主や廷臣のための部屋とし、入り口に近い下部を城兵や召使のために整えました。天井と暖炉は15世紀のものだそうです。<br /><br />

    参考写真:シヨン城の城郭・・・城主の大広間はサヴォイア時代の建築で、ピエトロ2世は、シヨン城の上部を城主や廷臣のための部屋とし、入り口に近い下部を城兵や召使のために整えました。天井と暖炉は15世紀のものだそうです。

  • 参考写真:シヨン城案内・・・現在は牢獄(左下)の柱にはNo.5の番号が貼ってある。また、地下牢には「BYRON(バイロン)」という文字が刻まれた柱が存在する。残念ながら、これはバイロン自身が書き記したものではないとする説が有力だが、この柱は、シヨン城の観光の目玉である。<br /><br />地下牢は湖水面下に設けられた「岩屋牢」で、もともとは武器庫であったという。寒くて暗い、いつ獄死しても不思議はない環境であったに違いない。

    参考写真:シヨン城案内・・・現在は牢獄(左下)の柱にはNo.5の番号が貼ってある。また、地下牢には「BYRON(バイロン)」という文字が刻まれた柱が存在する。残念ながら、これはバイロン自身が書き記したものではないとする説が有力だが、この柱は、シヨン城の観光の目玉である。

    地下牢は湖水面下に設けられた「岩屋牢」で、もともとは武器庫であったという。寒くて暗い、いつ獄死しても不思議はない環境であったに違いない。

  • 参考写真:シヨン城案内・・・サヴォワ伯爵の礼拝堂(右上)、騎士の間(右下)、博物館(左下)。<br /><br />サヴォワ伯爵の礼拝堂の円天井と張出し窓は13世紀に改造されたと云う。<br /><br />騎士の間の壁面には16世紀から18世紀にかけて、シヨン城に居住した城主や、Veveyヴェヴェイに派遣されたベルンの城守たちの紋章が掲げられているそうだが。<br /><br />ロウラ・ノヴァは城主の宴会場だったが、現在は博物館である。<br /><br />1536年にシヨン城を占領したベルン軍は、城を兵器庫や監獄として使用し、自らは城に住まず、モントルーの隣Veveyヴェヴェイに住んでいた。

    参考写真:シヨン城案内・・・サヴォワ伯爵の礼拝堂(右上)、騎士の間(右下)、博物館(左下)。

    サヴォワ伯爵の礼拝堂の円天井と張出し窓は13世紀に改造されたと云う。

    騎士の間の壁面には16世紀から18世紀にかけて、シヨン城に居住した城主や、Veveyヴェヴェイに派遣されたベルンの城守たちの紋章が掲げられているそうだが。

    ロウラ・ノヴァは城主の宴会場だったが、現在は博物館である。

    1536年にシヨン城を占領したベルン軍は、城を兵器庫や監獄として使用し、自らは城に住まず、モントルーの隣Veveyヴェヴェイに住んでいた。

  • 左上の写真はレマン湖畔で、シヨン城をバックに撮ったものだが、この湖畔遊歩道を先に行くとシヨン城の入り口になる。<br /><br />写真:Chillonシヨン城をバックに(左上下)、城内に入る前に撮る(右上)。城内の牢獄で(右下)は囚人ランソワーズ・ボニヴァルがつながれた柱と鎖が見える。

    イチオシ

    左上の写真はレマン湖畔で、シヨン城をバックに撮ったものだが、この湖畔遊歩道を先に行くとシヨン城の入り口になる。

    写真:Chillonシヨン城をバックに(左上下)、城内に入る前に撮る(右上)。城内の牢獄で(右下)は囚人ランソワーズ・ボニヴァルがつながれた柱と鎖が見える。

  • 湖岸に突き出たこの岩の上に最初に砦が築かれたのは青銅器時代のことだと云うから、この城の起源は相当古い。<br />現在の建物は19世紀に入ってからの建造だが、12,3世紀の城の状態を正確に復元したそうだ。いかにも古城という雰囲気があって素晴らしい。<br /><br />写真:シヨン城をバックに二人で(娘の撮影)。

    湖岸に突き出たこの岩の上に最初に砦が築かれたのは青銅器時代のことだと云うから、この城の起源は相当古い。
    現在の建物は19世紀に入ってからの建造だが、12,3世紀の城の状態を正確に復元したそうだ。いかにも古城という雰囲気があって素晴らしい。

    写真:シヨン城をバックに二人で(娘の撮影)。

  • こぢんまりとした城なのだが、意外と城内は広く、ちょっとした中庭まである。5階建てなので、たくさんの部屋があり、階段も多くて疲れた。<br /><br />写真:シヨン城内入り口付近で娘と。

    こぢんまりとした城なのだが、意外と城内は広く、ちょっとした中庭まである。5階建てなので、たくさんの部屋があり、階段も多くて疲れた。

    写真:シヨン城内入り口付近で娘と。

  • 写真:1983.08.06.Chillonシヨンの古城(右上下)で、ドイツ黒い森のGutach グータッハ(左上下)・・・上はカーニバルの衣装を着た銅像、下に*Kriegerdenkmal戦死者を悼む銅像の前で娘たち。<br /><br />*Kriegerdenkmal戦死者を悼む銅像<br />この町に住むBildhauer Curt Liebich 彫刻家カート・リービヒ(1868年~1937年)は、第一次世界大戦で戦没した兵士のための戦士記念碑を制作した。<br />その記念碑では、テーマが地元のTracht民族衣装を着た嘆き悲しむ母によって表現されている。<br />

    写真:1983.08.06.Chillonシヨンの古城(右上下)で、ドイツ黒い森のGutach グータッハ(左上下)・・・上はカーニバルの衣装を着た銅像、下に*Kriegerdenkmal戦死者を悼む銅像の前で娘たち。

    *Kriegerdenkmal戦死者を悼む銅像
    この町に住むBildhauer Curt Liebich 彫刻家カート・リービヒ(1868年~1937年)は、第一次世界大戦で戦没した兵士のための戦士記念碑を制作した。
    その記念碑では、テーマが地元のTracht民族衣装を着た嘆き悲しむ母によって表現されている。

  • この日はシオンの城址や、レマン湖畔のシヨン城を見て、ドイツの黒い森Gutachグータッハに抜けた。<br /><br />参考写真:ドイツ黒い森Gutachグータッハ・Schwarzwälder Freilichtmuseum Vogtsbauernhof黒い森の野外博物館フォクツバウエルンホフ(1964年創業)Map

    この日はシオンの城址や、レマン湖畔のシヨン城を見て、ドイツの黒い森Gutachグータッハに抜けた。

    参考写真:ドイツ黒い森Gutachグータッハ・Schwarzwälder Freilichtmuseum Vogtsbauernhof黒い森の野外博物館フォクツバウエルンホフ(1964年創業)Map

  • 暗くなる前に「チャーミングなボレン帽子で知られたグータッハのSchwarzwälder Freilichtmuseum Vogtsbauernhof黒い森の野外博物館フォクツバウエルンホフ(1964年創業)」を楽しんで、この村(人口2300人)のGasthaus_zum_Löwenライオン亭というホテルに泊まった。<br /><br />参考写真:Gutach・Gasthaus_zum_Löwenライオン亭<br />D-77793 Gutach 、Hauptstraße 95<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />朝から晩まで、見るところも多く、行程もドイツに至る後半は結構距離のあるもので、夏の時期でないと、こうした旅はできない。<br />だが、この日は十分に満足した旅となった。<br /><br />(2026年03月22日Wiki/HP参考、訳・編集追記)

    暗くなる前に「チャーミングなボレン帽子で知られたグータッハのSchwarzwälder Freilichtmuseum Vogtsbauernhof黒い森の野外博物館フォクツバウエルンホフ(1964年創業)」を楽しんで、この村(人口2300人)のGasthaus_zum_Löwenライオン亭というホテルに泊まった。

    参考写真:Gutach・Gasthaus_zum_Löwenライオン亭
    D-77793 Gutach 、Hauptstraße 95

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    朝から晩まで、見るところも多く、行程もドイツに至る後半は結構距離のあるもので、夏の時期でないと、こうした旅はできない。
    だが、この日は十分に満足した旅となった。

    (2026年03月22日Wiki/HP参考、訳・編集追記)

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