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平泉は、11世紀~12世紀の日本列島北部領域において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点です。中尊寺は山号を関山といいます。17院により構成される天台宗の一山寺院です。嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、長治2年(1105年)に造営に着手しました。<br /> 初めに、多宝寺が建てられ、次いで大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。大長寿院は、高さ15メートルという大きな建物でした。その中には、高さ約9メートルの金色阿弥陀如来像が、本尊として安置されていました。平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたそうです。このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、天治元年(1124年)には金色堂を完成させました。全盛期には、40にも及ぶお堂や塔などがあったといわれています。<br /> 国宝の金色堂は、七宝珠玉が贅沢に使われており、他に類を見ない独自のものです。また、須弥壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡のご遺体と四代泰衡の首級が納められています。<br />今回、「約2週間の期間限定! 一度は見たい神秘の絶景 「八幡平ドラゴンアイ」 2日間」に参加、27年ぶり世界遺産登録後は初の中尊寺参拝となりました。

2026.6 世界遺産・平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び 考古学的遺跡群

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2026/06/06 - 2026/06/06

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旅行記グループ 日本の世界遺産

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平泉は、11世紀~12世紀の日本列島北部領域において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点です。中尊寺は山号を関山といいます。17院により構成される天台宗の一山寺院です。嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。その後、奥州藤原氏の初代清衡が、本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、長治2年(1105年)に造営に着手しました。
 初めに、多宝寺が建てられ、次いで大長寿院(二階大堂)が完成したと伝えられます。大長寿院は、高さ15メートルという大きな建物でした。その中には、高さ約9メートルの金色阿弥陀如来像が、本尊として安置されていました。平泉に侵攻した源頼朝は、大長寿院を見て驚き、それを模して鎌倉に永福寺を建てたそうです。このように、清衡は次々に大伽藍を建立し、天治元年(1124年)には金色堂を完成させました。全盛期には、40にも及ぶお堂や塔などがあったといわれています。
 国宝の金色堂は、七宝珠玉が贅沢に使われており、他に類を見ない独自のものです。また、須弥壇の中には初代清衡、二代基衡、三代秀衡のご遺体と四代泰衡の首級が納められています。
今回、「約2週間の期間限定! 一度は見たい神秘の絶景 「八幡平ドラゴンアイ」 2日間」に参加、27年ぶり世界遺産登録後は初の中尊寺参拝となりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス 新幹線
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。こちらに前回来たのは2009年。27年ぶりになり、世界遺産登録後は初となります。

    平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。こちらに前回来たのは2009年。27年ぶりになり、世界遺産登録後は初となります。

  • 阿弥陀堂。1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来。蔵王権現を合祀し、大黒天も安置されています。また1845年に奉納された和算の算額が堂内に掲げられています。

    阿弥陀堂。1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来。蔵王権現を合祀し、大黒天も安置されています。また1845年に奉納された和算の算額が堂内に掲げられています。

  • 阿弥陀堂の御朱印

    阿弥陀堂の御朱印

  • 弁財天堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。

    弁財天堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。

  • 本尊の弁財天十五童子は、仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたものです。

    本尊の弁財天十五童子は、仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたものです。

  • 弁財天堂の御朱印<br />

    弁財天堂の御朱印

  • 弁財天堂から見る阿弥陀堂。

    弁財天堂から見る阿弥陀堂。

  • 金色堂は、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。

    金色堂は、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。

    中尊寺 寺・神社・教会

  • 孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。

    孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。

  • 金色堂の中は写真撮影できません。<br />こちらは讃衡蔵のフォトスポットの写真。

    金色堂の中は写真撮影できません。
    こちらは讃衡蔵のフォトスポットの写真。

  • 金色堂の御朱印(直書き)

    金色堂の御朱印(直書き)

  • 金色堂の御朱印帳

    金色堂の御朱印帳

  • 金色堂の御朱印帳を購入すると見開きの御朱印が頂けます。<br />※御朱印は平成21年参拝時のもの

    金色堂の御朱印帳を購入すると見開きの御朱印が頂けます。
    ※御朱印は平成21年参拝時のもの

  • 金色堂の入口にある南無阿弥陀仏のお名号が刻まれた石碑。念仏行人 阿波之介 舎利家(お墓)です。

    金色堂の入口にある南無阿弥陀仏のお名号が刻まれた石碑。念仏行人 阿波之介 舎利家(お墓)です。

  • 松尾芭蕉の句碑「五月雨の降り残してや光堂」

    松尾芭蕉の句碑「五月雨の降り残してや光堂」

  • 経蔵。「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、おそらくは古材をもって再建されたものでしょう。当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。<br /> 

    経蔵。「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、おそらくは古材をもって再建されたものでしょう。当初のあざやかな彩りや飾りは長い歳月によってすっかり洗い流されていて、金色堂とは対照的な趣があります。
     

  • ご本尊の騎師文殊菩薩と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。

    ご本尊の騎師文殊菩薩と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されています。

  • 経蔵の御朱印

    経蔵の御朱印

  • 中尊寺境内の最奥地の高台に鎮座する関山天満宮。

    中尊寺境内の最奥地の高台に鎮座する関山天満宮。

  • 平安期の雅やかな雰囲気が色濃く残る世界文化遺産の中尊寺の美しい境内を散策します。

    平安期の雅やかな雰囲気が色濃く残る世界文化遺産の中尊寺の美しい境内を散策します。

  • 松尾芭蕉は、金色堂に立ち寄っており銅像があります。

    松尾芭蕉は、金色堂に立ち寄っており銅像があります。

  • 旧覆堂。金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。<br /> 

    旧覆堂。金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています。「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。
     

  • 金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。

    金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています。

  • 大長寿院入口です。

    大長寿院入口です。

  • 『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。

    『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。

  • 1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉に、これを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。現在の本堂は、1863年(文久3年)の再建。本尊は胎蔵界大日如来。

    1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉に、これを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。現在の本堂は、1863年(文久3年)の再建。本尊は胎蔵界大日如来。

  • 釈迦堂。1719年の再建で本尊は釈迦三尊様です。

    釈迦堂。1719年の再建で本尊は釈迦三尊様です。

  • 正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。

    正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。

  • 白山神社は、中尊寺の北方を鎮守するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁がこの地に勧請したと伝えられています。

    白山神社は、中尊寺の北方を鎮守するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁がこの地に勧請したと伝えられています。

  • 古来、卯月初午の日に催行された中尊寺鎮守・白山神社の祭礼では、中尊寺一山の僧侶によって「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。この能舞台は嘉永六年(1853)、伊達藩によって再建されたもので、正統かつ本格的な規模と形式の能舞台として、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。

    古来、卯月初午の日に催行された中尊寺鎮守・白山神社の祭礼では、中尊寺一山の僧侶によって「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。この能舞台は嘉永六年(1853)、伊達藩によって再建されたもので、正統かつ本格的な規模と形式の能舞台として、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。

  • 手水舎

    手水舎

  • 御祭神は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊

    御祭神は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊

    白山神社神楽殿 名所・史跡

  • 白山神社の御朱印(直書き)

    白山神社の御朱印(直書き)

  • 広い中尊寺境内で、水に因むご本尊を現すように唯一池に囲まれた弁財天堂。

    広い中尊寺境内で、水に因むご本尊を現すように唯一池に囲まれた弁財天堂。

  • 讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。中は写真撮影禁止です。

    讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。中は写真撮影禁止です。

  • 讃衡蔵の御朱印(直書き)

    讃衡蔵の御朱印(直書き)

  • 旧鐘楼。康永二年(1343)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。

    旧鐘楼。康永二年(1343)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘。

  • 中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、月見坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。

    中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、月見坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。

  • 大日堂。1802年の再建です。

    大日堂。1802年の再建です。

  • 本尊は金剛界大日如来。

    本尊は金剛界大日如来。

  • 大日堂の御朱印

    大日堂の御朱印

  • 前庭に建つ石造の宝篋印塔は1823年に造立されました。

    前庭に建つ石造の宝篋印塔は1823年に造立されました。

  • 峯薬師堂。境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。

    峯薬師堂。境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。

  • 讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来はもとはこの堂の本尊でした。

    讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来はもとはこの堂の本尊でした。

    薬師堂 寺・神社・教会

  • 峯薬師堂の御朱印<br />

    峯薬師堂の御朱印

  • 峯薬師堂の隣にある池には、天然記念物のモリアオガエルが生息しています。

    峯薬師堂の隣にある池には、天然記念物のモリアオガエルが生息しています。

  • たくさんのモリアオガエルの卵がありました。

    たくさんのモリアオガエルの卵がありました。

  • 峯薬師堂から見る本堂。

    峯薬師堂から見る本堂。

  • 不動堂。本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。

    不動堂。本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。

  • 御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。

    御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。

  • 本堂の正面に建つ表門は、薬医門とよばれる形式の門です。伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられていますが、移築のいきさつは定かではありません。

    本堂の正面に建つ表門は、薬医門とよばれる形式の門です。伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられていますが、移築のいきさつは定かではありません。

  • 中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。

    中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。

  • 中尊寺本堂の松の木。 松は一年中咲いていることから、不老長寿。つまり、祭り事の栄えを願うために植えていたという説があるそうです。

    中尊寺本堂の松の木。 松は一年中咲いていることから、不老長寿。つまり、祭り事の栄えを願うために植えていたという説があるそうです。

  • 本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。

    本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。

  • 本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。

    本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。

  • 中尊寺本堂の御朱印(直書き)<br />

    中尊寺本堂の御朱印(直書き)

  •  中尊寺 本堂の鐘突き堂

    中尊寺 本堂の鐘突き堂

  • 月見坂を本堂から歩いていく途中に観音堂があります。

    月見坂を本堂から歩いていく途中に観音堂があります。

  • 薬師堂。1885年の改築で、本尊の薬師如来、日光・月光菩薩と十二神将を安置し、和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っています。

    薬師堂。1885年の改築で、本尊の薬師如来、日光・月光菩薩と十二神将を安置し、和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っています。

  • 地蔵堂。1877年の再建で、本尊は地蔵菩薩。

    地蔵堂。1877年の再建で、本尊は地蔵菩薩。

    地蔵堂 寺・神社・教会

  • 地蔵堂の御朱印

    地蔵堂の御朱印

  • 東物見台。遠くにゆるくカーブを描いて流れる大河が北上川、左手から衣川が流れ、北上川に合流しています。平安初期まで、この衣川以北は、中央政府の支配が及ばない「外地」であり、この川が内なる境界となっていました。いにしえの都人の歌にも多く詠まれ歌枕にもなっている、名に知られた衣川です。水田となっている一帯は、前九年の合戦の舞台となった衣川古戦場、また弁慶立往生の地と伝えられています。

    東物見台。遠くにゆるくカーブを描いて流れる大河が北上川、左手から衣川が流れ、北上川に合流しています。平安初期まで、この衣川以北は、中央政府の支配が及ばない「外地」であり、この川が内なる境界となっていました。いにしえの都人の歌にも多く詠まれ歌枕にもなっている、名に知られた衣川です。水田となっている一帯は、前九年の合戦の舞台となった衣川古戦場、また弁慶立往生の地と伝えられています。

  • 弁慶堂。表参道沿いには諸堂が点在しますが、ほとんどが江戸時代中期以降に再建・移築されたものです。境内の木々と共に四季折々にいろいろな表情を見せてくれます。

    弁慶堂。表参道沿いには諸堂が点在しますが、ほとんどが江戸時代中期以降に再建・移築されたものです。境内の木々と共に四季折々にいろいろな表情を見せてくれます。

  • 弁慶堂は文政10年(1827)の建立で、ご本尊は勝軍地蔵。古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。

    弁慶堂は文政10年(1827)の建立で、ご本尊は勝軍地蔵。古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。

  • 弁慶堂の御朱印

    弁慶堂の御朱印

  • 中尊寺の入り口に戻ってきました。

    中尊寺の入り口に戻ってきました。

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