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ジャーニー・ライブの翌日は、姫路へ。世界遺産の姫路城を見に行きました。姫路城は、2012年に見に行ったのですが、平成の大改修中で、「天空の白鷺」という工事模様が見れる施設が併設された大きな覆いに囲まれその姿は、まったく見れませんでした。今回、修理を終えたその美しい姿を見ることができました。

世界遺産・姫路城(大阪・姫路の旅⑤)

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2024/10/20 - 2024/10/20

103位(同エリア2260件中)

旅行記グループ 日本の世界遺産

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ジャーニー・ライブの翌日は、姫路へ。世界遺産の姫路城を見に行きました。姫路城は、2012年に見に行ったのですが、平成の大改修中で、「天空の白鷺」という工事模様が見れる施設が併設された大きな覆いに囲まれその姿は、まったく見れませんでした。今回、修理を終えたその美しい姿を見ることができました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル
  • アパホテルの朝食です。

    アパホテルの朝食です。

  • 洋食から和食まで色々あります。

    洋食から和食まで色々あります。

  • フレンチートーストなど

    フレンチートーストなど

  • フルーツやスイーツもあります。

    フルーツやスイーツもあります。

  • こんな感じです。もちろんカレーも食べました。

    こんな感じです。もちろんカレーも食べました。

  • 7時半頃、ホテルを出発。

    7時半頃、ホテルを出発。

    アパホテル&リゾート 御堂筋本町駅タワー 宿・ホテル

  • 本町駅の17番出口がすぐ横です。<br />昨日と変わって涼しい朝です。

    本町駅の17番出口がすぐ横です。
    昨日と変わって涼しい朝です。

    本町駅

  • 大阪駅で乗り換えてJR神戸線新快速で1時間ちょっとで・・・

    大阪駅で乗り換えてJR神戸線新快速で1時間ちょっとで・・・

    大阪駅

  • 姫路に到着。真正面に天守閣が見えますので、迷うことはありません(笑)

    姫路に到着。真正面に天守閣が見えますので、迷うことはありません(笑)

    姫路駅

  • 途中にしゃちほこが。

    途中にしゃちほこが。

  • 徒歩15分ほどで到着。寄り道しなければ10分ぐらいでしょうか。

    徒歩15分ほどで到着。寄り道しなければ10分ぐらいでしょうか。

  • 美しい内堀

    美しい内堀

  • まず隣の護国神社に参拝します。

    まず隣の護国神社に参拝します。

  • こちらは、姫路城の中曲輪内の敷地にあります。

    こちらは、姫路城の中曲輪内の敷地にあります。

  • 第二次世界大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、姫路城の別名の白鷺城に因んで「白鷺宮」と改称していました。

    第二次世界大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、姫路城の別名の白鷺城に因んで「白鷺宮」と改称していました。

    兵庫縣姫路護國神社 寺・神社・教会

  • 兵庫県姫路護国神社の御朱印

    兵庫県姫路護国神社の御朱印

  • 白鷺宮の御朱印

    白鷺宮の御朱印

  • 姫路城の大手門はかつて、3つの門による二重桝形の構造になっていました。三の丸に入るにはまず、内堀に架かる桜門橋を渡ります。

    姫路城の大手門はかつて、3つの門による二重桝形の構造になっていました。三の丸に入るにはまず、内堀に架かる桜門橋を渡ります。

  • 橋を渡ったところに堂々たる威容を誇っているのが「桜門」です。この門は高麗門という形式の門です。高麗門は、門の扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門で、お城の門の種類としては櫓門とともにもっともポピュラーな形式の門でもあります。この桜門、実は現在建っているものは意外に新しく、1938年(昭和13年)にこのような立派な門として建築されたものです。

    橋を渡ったところに堂々たる威容を誇っているのが「桜門」です。この門は高麗門という形式の門です。高麗門は、門の扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門で、お城の門の種類としては櫓門とともにもっともポピュラーな形式の門でもあります。この桜門、実は現在建っているものは意外に新しく、1938年(昭和13年)にこのような立派な門として建築されたものです。

  • 国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

    国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

  • 標高45.6mの姫山に位置する姫路城は、国宝5城の中でも最大規模の天守を持つお城です。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれています。

    標高45.6mの姫山に位置する姫路城は、国宝5城の中でも最大規模の天守を持つお城です。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  • 日本の城の集大成とも呼べる姫路城は、白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名「白鷺城」とも呼ばれ、親しまれています。

    日本の城の集大成とも呼べる姫路城は、白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名「白鷺城」とも呼ばれ、親しまれています。

  • 菱の門。二の丸入口にある櫓門で現在では正面登閣口から入って最初に通る門。西側にある石垣と土塀で枡形虎口を形成し門の片側が石垣に乗る変則的な櫓門で、西側部分に番所詰所、東側部分に馬見所があります。城内の現存の門では唯一、柱・舟肘木・長押を表面に出した真壁造りで安土桃山時代の意匠を残しています。櫓二階部分の中央に黒漆と金箔で装飾された格子窓と両側に同じ装飾の火灯窓、その右手に庇出格子窓があります。門名は冠木に木製の唐花模様が装飾されている事や築城以前に流れていた菱川に由来します。

    菱の門。二の丸入口にある櫓門で現在では正面登閣口から入って最初に通る門。西側にある石垣と土塀で枡形虎口を形成し門の片側が石垣に乗る変則的な櫓門で、西側部分に番所詰所、東側部分に馬見所があります。城内の現存の門では唯一、柱・舟肘木・長押を表面に出した真壁造りで安土桃山時代の意匠を残しています。櫓二階部分の中央に黒漆と金箔で装飾された格子窓と両側に同じ装飾の火灯窓、その右手に庇出格子窓があります。門名は冠木に木製の唐花模様が装飾されている事や築城以前に流れていた菱川に由来します。

  • 菱の門から城内に一歩入ると、そこは「二の丸」と呼ばれるエリアです。見上げると天守群が一層輝きを増してそびえ立っています。

    菱の門から城内に一歩入ると、そこは「二の丸」と呼ばれるエリアです。見上げると天守群が一層輝きを増してそびえ立っています。

  • 姫路城「いろは付き門」の第一番目、「いノ門」です。高麗門です。

    姫路城「いろは付き門」の第一番目、「いノ門」です。高麗門です。

  • この坂は松平健主演のテレビ映画「暴れん坊将軍」シリーズに、江戸城内のシーンとして度々登場することでもよく知られていまして、誰言うとなくこの坂のことを「将軍坂」と呼ぶようになりました。もちろん史実とは何の関係もありません。

    この坂は松平健主演のテレビ映画「暴れん坊将軍」シリーズに、江戸城内のシーンとして度々登場することでもよく知られていまして、誰言うとなくこの坂のことを「将軍坂」と呼ぶようになりました。もちろん史実とは何の関係もありません。

  • 姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。<br />1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に縄張りをし、1346年に次男貞範が築城したことが始まりです。

    姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。
    1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に縄張りをし、1346年に次男貞範が築城したことが始まりです。

  • 水六門。西小天守の地階に設けらた城門。この門から直接、西小天守の中に入ることは出来ず、今度はすぐ右手に折れて、台所櫓などがある天守群に囲まれた内庭に入ることになります。

    水六門。西小天守の地階に設けらた城門。この門から直接、西小天守の中に入ることは出来ず、今度はすぐ右手に折れて、台所櫓などがある天守群に囲まれた内庭に入ることになります。

  • 武者走り。陣の外側をとりまく廊下で、戦闘時は武士が行き交い、敵兵に射撃をあびせることを目的としています。また、左右に渡している梁の下に肘木を添えて、重さを支えています。大天守では1階のみで見られる光景です。

    武者走り。陣の外側をとりまく廊下で、戦闘時は武士が行き交い、敵兵に射撃をあびせることを目的としています。また、左右に渡している梁の下に肘木を添えて、重さを支えています。大天守では1階のみで見られる光景です。

  • 赤松氏ののちに、西国統治の重要拠点として1580年に羽柴(豊臣)秀吉が3層の天守閣を築き始めました。当時は現在の白亜の天守とは真逆の真っ黒のお城だったそうです。

    赤松氏ののちに、西国統治の重要拠点として1580年に羽柴(豊臣)秀吉が3層の天守閣を築き始めました。当時は現在の白亜の天守とは真逆の真っ黒のお城だったそうです。

  • そして、関ヶ原の戦いが勃発した翌年の1601年、新たに城主となった池田輝政が姫路城の大改築を開始します。<br />改築を経て1609年に完成したのが、「白鷺城」としてお馴染みの真っ白な姫路城です。

    そして、関ヶ原の戦いが勃発した翌年の1601年、新たに城主となった池田輝政が姫路城の大改築を開始します。
    改築を経て1609年に完成したのが、「白鷺城」としてお馴染みの真っ白な姫路城です。

  • 6階建ともなれば階段の数も数え切れないほど。

    6階建ともなれば階段の数も数え切れないほど。

  • 大天守最上階にある刑部神社は、ひと言でいうと姫路城の守護神

    大天守最上階にある刑部神社は、ひと言でいうと姫路城の守護神

  • 天守からの眺望

    天守からの眺望

  • 姫路城天守から西の丸を望みます。

    姫路城天守から西の丸を望みます。

  • 姫路城の天守は5重6階の大天守と3つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)が渡櫓でつながった連立式天守です。いくつもの屋根や唐破風、千鳥破風が重なり、白漆喰の城壁と相まって実に美しい構成を成し遂げています。

    姫路城の天守は5重6階の大天守と3つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)が渡櫓でつながった連立式天守です。いくつもの屋根や唐破風、千鳥破風が重なり、白漆喰の城壁と相まって実に美しい構成を成し遂げています。

  • 姫路城は、天守が残る現存12天守のひとつとしても名高く、大天守・小天守・渡櫓などの8棟が国宝に、また渡櫓や門、塀など合わせて74棟が重要文化財に指定されています。

    姫路城は、天守が残る現存12天守のひとつとしても名高く、大天守・小天守・渡櫓などの8棟が国宝に、また渡櫓や門、塀など合わせて74棟が重要文化財に指定されています。

  • 姫路城にまつわる怪談話「播州皿屋敷」としても有名なお菊井戸です。上山里丸という広場にあり、かつては、釣瓶取井戸とも呼ばれていました。青山播磨守主膳に奉公していた女中・お菊は、青山の家臣・町坪弾四朗により「青山の大事にしていた皿10枚のうち、1枚を割った」という無実の罪で責め殺されて、その遺体を井戸の中へ投げ込まれてしまいます。<br /><br />以来、夜な夜な古井戸からは、皿を数えるお菊の悲しげな声が聞こえるようになりました。そして、お菊が投げ込まれた井戸こそが、「お菊井戸」であり、怪談として人々に伝えられています。

    姫路城にまつわる怪談話「播州皿屋敷」としても有名なお菊井戸です。上山里丸という広場にあり、かつては、釣瓶取井戸とも呼ばれていました。青山播磨守主膳に奉公していた女中・お菊は、青山の家臣・町坪弾四朗により「青山の大事にしていた皿10枚のうち、1枚を割った」という無実の罪で責め殺されて、その遺体を井戸の中へ投げ込まれてしまいます。

    以来、夜な夜な古井戸からは、皿を数えるお菊の悲しげな声が聞こえるようになりました。そして、お菊が投げ込まれた井戸こそが、「お菊井戸」であり、怪談として人々に伝えられています。

  • しゃちほこ

    しゃちほこ

  • 西の丸へ。西の丸からの天守群です。

    西の丸へ。西の丸からの天守群です。

  • 徳川家康の孫・千姫にゆかりのある西の丸には、「化粧櫓」があります。<br />7歳で豊臣秀頼に嫁いだ千姫は、祖父・徳川家康と実父・徳川秀忠による大阪城攻撃のために19歳で夫を失うことになりましたが、その後、本多忠刻と出会い、再婚。本多忠刻の父・本多忠政が姫路城に入城し城主になると、千姫の居室として、化粧料10万石で化粧櫓が与えられました。

    徳川家康の孫・千姫にゆかりのある西の丸には、「化粧櫓」があります。
    7歳で豊臣秀頼に嫁いだ千姫は、祖父・徳川家康と実父・徳川秀忠による大阪城攻撃のために19歳で夫を失うことになりましたが、その後、本多忠刻と出会い、再婚。本多忠刻の父・本多忠政が姫路城に入城し城主になると、千姫の居室として、化粧料10万石で化粧櫓が与えられました。

  • 西の丸長局(百間廊下)。西の丸を囲むように築かれた長屋で、その長さは約300m。そして、廊下に面していくつも並ぶ小さな部屋には、千姫の侍女たちが住んでいました。

    西の丸長局(百間廊下)。西の丸を囲むように築かれた長屋で、その長さは約300m。そして、廊下に面していくつも並ぶ小さな部屋には、千姫の侍女たちが住んでいました。

  • なお千姫は毎朝、この廊下から本多家の繁栄を願い、男山の中腹に建てられた社(男山千姫天満宮)を遥拝したと言われています。

    なお千姫は毎朝、この廊下から本多家の繁栄を願い、男山の中腹に建てられた社(男山千姫天満宮)を遥拝したと言われています。

  • 姫路城の御城印です。

    姫路城の御城印です。

  • 姫路城から姫路市美術館へ行きます。

    姫路城から姫路市美術館へ行きます。

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