2026/04/13 - 2026/04/20
2504位(同エリア4161件中)
公共交通トラベラーkenさん
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2026年4月13日(月)~4月20日(月)の7泊8日で長崎・佐賀・福岡・大分・熊本の5県にまたがるエリアをじっくりと周遊観光しました。旅行期間が長いので、メジャーな観光スポットからマニアックな珍スポットまで、バラエティに富んだラインナップで行程を組むことができました。旅行記その2は佐世保から高速船で池島に移動します。戦後まもなく海底炭鉱の開発が始まった池島では、2001年まで実際に採掘がおこなわれていました。閉鉱後は東南アジアから研修生を受け入れ、採掘技術を教えていたということで、鉱山設備が比較的良好な状態で保存されている姿を見ることができます。実際に坑道に入って掘削ドリルを動かしたりする体験ツアーに参加して非常に興味深い観光ができました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルの朝食はハーフバイキングでした。和食・洋食・佐世保バーガー・海軍カレーの4種類から選ぶことができます。こちらは和食メニュー。レモンステーキレモンバターソース、佐原の青じそ風味香味焼き、長崎県産ヒラマサの刺身etc.朝から大変なご馳走でした。すべて美味でお腹いっぱいになりました。
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こちらも品数豊富な洋食メニュー。海軍さんのビーフシチュー、ラタトゥイユ、鮭とほうれん草のキッシュロレーヌ、鳥ときのこのガランティーヌ、イエローカレーコニカルetc. 一体何を食べているのかわからない名前のおかずでしたが、どれも美味でした。
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今日は駅の裏側にある佐世保港から船で移動します。
写真は佐世保駅構内に展示されていた巨大な「佐世保喧嘩独楽」。平成9年の「佐世保くんち」にて実際に紐を巻いて回したそうです。 -
フェリーターミナルで池島までの高速船きっぷを購入。ちょっと雨模様ですが、問題なく船は出るようです。池島へのアクセスは神ノ浦港と瀬戸港というところからフェリーが出ていますが、佐世保からも西海沿岸商船の高速船が毎週火曜日、金曜日のみ運航しています。
池島観光は2023年の長崎旅行で一度計画していたのですが、その時は荒天のためフェリーが欠航してしまい、キャンセルになってしまいました。今回は満を持しての渡航です。 -
高速船に乗り込んで佐世保港を出港。
船上の甲板席から周囲を眺めるとたくさんの自衛隊艦艇が停泊しています。手前の船は多用途支援艦「あまくさ」、その奥の大きな船はLST輸送艦「しもきた」。軍艦マニアではないので、単純に見た目のカッコよさを楽しみます。 -
佐世保港から池島港までは約1時間の航行です。座席はすいていたのですが、風景を楽しみたかったのでほとんど外に出て潮風にあたり続けていました。
池島到着ちょっと前には松島が右手に見えてきます。この島でも江戸時代中期の天明元年から石炭採掘が行われてきましたが、1929年(昭和4年)の大規模出水事故で多くの犠牲者を出して炭鉱は閉山となっています。その後の島の産業として松島火力発電所が操業を始め、近くの池島炭鉱産の石炭も大量に利用されていたそうです。しかしその発電所も現在は1号機が廃止、2号機は休止状態なんだそうです。 -
本日の目的地、池島が見えてきました。ゾウを飲み込んだウワバミみたいな形をしています。
池島炭鉱 名所・史跡
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静かな港に入港します。炭鉱採掘事業が盛んだったころにはここもにぎやかだったのでしょう。
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下船したのは私たち2人だけでした。
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『池島の炭鉱開発は、昭和27年(1952)10月、松島炭鉱株式会社により着手され、昭和34年(1959)10月より営業出炭を開始しました。以来、石炭産業が基幹産業として地域発展の中心的役割を果たすことはもちろん、優れた炭鉱技術で日本ひいては世界のエネルギー産業の発展に多大な貢献をしてきました。炭鉱開発前、小さな漁村集落しかなかった池島は、炭鉱の操業開始とともに飛躍的に発展し、港湾、道路、住宅などの基盤整備が次々と行われ、島の人口も最大時には7776人を数え【昭和45年住民基本台帳人口】、出炭量は153万トンに達しました【昭和60年】。国内の炭鉱は、昭和30年代から40年代にかけてエネルギー供給の主体が石油に移る「エネルギー革命」と、単価が安い外国炭に押されて、厳しい経営を強いられ、残存炭鉱が次々と閉山に追い込まれていきました。そのような中で、池島炭鉱は、炭質、採掘条件とともに優れた国内有数の炭鉱として、国の石炭政策のもとで最後まで生き残りを図り、労使協調のもと保安確保を大前提として着実な操業を続けました。しかし約3倍にも及ぶ内外炭の価格差などにより炭鉱の経営維持が困難となり、池島炭鉱は平成13年(2001)11月29日に閉山しました。なお、池島という島の名前は、現在港になっている周囲1.2㎞の大きな池(鏡が池)からとられています。』
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長い解説でしたが、この予備知識があればこれからの島内散策がかなり楽しめるはずです。
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現在池島の島民は90名くらいになっているようです。
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港から歩いて数分、長崎市役所 北総合事務所池島開発総合センターとその先にある丸木ストア 港ショッピング。
わずかに残った島民の為に最低限の集落機能は残っています。長崎市役所 北総合事務所池島開発総合センターで今回参加する池島炭鉱ツアーがスタートします。 -
島内にはコミュニティバスが走っていました。今回の旅行計画を立て始めた時はこのバスを利用して島の反対側に向かうつもりだったのですが、旅行直前に『令和8年3月31日にコミュニティバス池島線廃線』というタイムリーな情報を入手し、急遽全行程徒歩による観光に切り替わりました。
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炭鉱でおなじみのトロッコ列車が広場に展示されています。後方の黒い覆いの中には現役で走るトロッコ列車があるはずです。ツアーではそれに乗って坑道の奥に入っていくことになっています。
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この線路の先が炭鉱に続いています。ツアーは午後からを予約しているので、先に島内を歩いて観光しておきます。
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google mapやネット記事によるとこの辺りに「石炭船積み機トリンマー」なる巨大な機械が残っていたようですが、すでに撤去されているようです。今後も施設跡の風化はどんどん進んでいくのでしょう。
今回申し込んだ「池島炭鉱体験ツアー」も2027年3月末で廃止されることが決定しています。今回のチャンスを逃したらもう池島炭鉱には入れないだろうと思っていたので、島に上陸出来て本当に良かったです。 -
龍神のほこら。
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池島の由来となっている「鏡が池」にかつて住んでいたといわれる龍神を祀った祠です。右側の祠にはヘビ?龍?の石像。
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左の像は鯛を抱えているので多分恵比寿様でしょう。
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おそらく石炭を運んでいた構造物の残骸。
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長崎市営池島第2住宅。かつてはここにたくさんの島民が暮らしていたのでしょう。
今はひっそりとしています。 -
池島鉱業所鏡ヶ池倶楽部海外研修センター。
鉱山閉山後、アジア諸国の技術研修を受け入れていたということなので、その時の施設でしょうか。 -
団地の奥にひっそりと慰霊碑が建っていました。炭鉱で亡くなった方々のものでしょう。
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慰霊碑の奥に展望台がありましたが、立ち入り禁止になっていました。老朽化がかなり進んで危険な状態になっているようです。
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8階建てアパート群。昭和45年の炭坑最盛期には約8000人近くの人が住んでいたそうなので、狭い島内にたくさんの住居を作る必要があったということでしょう。
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海側に続く細い通路を進みます。
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ほとんど読めなくなっていますが「御安全に」と書かれています。
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すぐに柵で行き止まりになりますが、そこから池島炭鉱第2竪坑事務所がチラリと見えます。
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島の西端側から回り込んで池島炭鉱第2竪坑が見えるところまでやって来ました。
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猫発見。
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再び8階建てアパート群。こちらから見ると8階建てであることが良くわかります。
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長崎市立池島小中学校の体育館らしき建物が見えてきました。
よくわかりませんが小学生1人、中学生1人在籍しているようです。 -
学校脇の森の中にある階段を進みます。
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池島神社。
貞享初年(1685)の頃から池島郷字池の端153番地に御鎮座の白山比咩神神社と松島炭鉱株式会社池島鉱業所の守護神、大山祇神社とを合併し現在地に移転して、池島神社と改称し全島民の産土神として祀るという由緒があるようです。コンクリート製の社殿は潮風による風化を防ぐためのものでしょうか。 -
神社境内からさらに上に上る小道を進みます。トラロープが1本、坂の上から伸びています。これを持って坂を登れということでしょう。それくらい急な斜面です。
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急な坂を上ると給水タンクのようなものがあります。その脇をさらに進みます。
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四方山(展望台)に到着しました。
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ここからの眺めは良かったです。先ほど歩いてきた池島の様子を俯瞰で確認することができました。
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池島中央会館。島内唯一の宿泊施設です。食事の提供はないので、宿泊者は島外から食材を買って持ち込むのでしょう。
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玄関先に宿泊客がいました。
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町の中心的な商業エリアだったらしいところにやって来ました。
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ボーリング場もあったようです。
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郵便局の前にも猫の集団がいました。大変人懐こい猫が近寄ってきて足もとでスリスリしてきます。めったに遭遇しない人間から確実に食べ物をせびり取ろうとしています。
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池島炭鉱 第一竪坑が見えてきました。ここから島の北側に降りる細い道に入ります。
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こちらは戸建ての廃墟群が続くエリアになります。
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樹木やツタで覆われてかなり廃墟感が強いです。
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アパート群よりも風化が激しいようですが、道を下りていくと何軒かまだ人が住んでいる家があるようでした。
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池島小番所跡という説明看板が立っていました。江戸時代に外国船や抜け荷を監視するための番所があったようです。
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猫。
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パチンコ屋の残骸。
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命がけで石炭掘って稼いだ金をここで散在していたのでしょうか。
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池島石炭火力発電所跡。
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複雑な構造物の残骸がそびえたっています。
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ここもかなり風化が進んでいるようですが、まだまだ原形をとどめている部分も多いので、ちょうど今、見ごろを迎えているといった感じでしょうか。
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廃墟レベルSSSクラスの物件をこれだけ間近に見られるとは、わざわざ島に渡ってきた甲斐があったというものです。
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島を1周してたっぷりと観光することができました。港の待合所のベンチで持参した軽食を食べてしばらく休憩します。13:15からいよいよ池島炭鉱坑内体験ツアーに参加します。桟橋で待っているとスタッフの方が迎えに来てくれました。そこから長崎市外海地域センターに移動して、先にビデオで池島炭鉱についての基本知識を学びます。
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トロッコに乗って坑道に入ります。晴れていれば外の広場を走ってそのまま坑道に突入するそうですが、今日は雨なので、最初から坑内の入り口付近にトロッコが停車していました。
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とりあえず最前列確保。
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少し奥まで進んだところで下車、そこから歩いて坑道を進みます。解説スタッフはそれなりに高齢な方のようでしたが、スタスタ歩いて行きます。
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採炭機ドラムカッター。実際に動かしてくれます。
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カッターの刃先。大きなツメのような部分が取り外し可能です。
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巨大な海底炭の実物。
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穿孔<せんこう>機エアーオーガー。これも実際に運転してくれます。
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エアーマント。災害時にこれにくるまって難を逃れるためのもの。
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斜面の先に外の光が見えています。
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坑内救急センター跡(緊急避難所)
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本物のヘッドライトや酸素ボンベなどの説明を受けました。
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日本語以外の言語が書かれているのは研修で必要だったのでしょう。
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非常用の電話。
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トロッコのレールを固定するくさびの打ち方で出口の方向が分かるようになっているとのこと。災害時の真っ暗な坑道で逃げる方向を間違えないための知恵です。
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坑道見学を終えて出口に戻ってきました。
今までに何度か炭鉱跡などを見学したことがありますが、池島の体験ツアーはかなり内容が濃く、満足度の高いものだったと思います。今年度いっぱいでツアーが廃止されてしまうのが非常に残念です。 -
高速船に乗って池島を後にします。
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佐世保港に隣接した商業施設内のレストラン「台湾食堂 せいろでごはん」で夕食にします。
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こちらは台湾まぜそばのセット。大変美味。
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こちらはルーローハンセット。大変美味でした。
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スーパーでちょっと買い物してホテルに戻りました。
昨夜食べてフルーツ認定された大島トマトと、粒あんときなこのおはぎを夜食とします。
今日は池島を一周してかなりアップダウンのある道を歩き続けたので少し足が疲れました。旅はまだ始まったばかりなので早めに休んで体力回復を図ります。
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