熊本市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日本にかつては多くの天守がありました。織田信長以降、約170ほどの天守が建てられたといいます。その中で、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、日本国内において名城とされる城の上位3つを三名城といいますが、どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説があります。<br />三大名城・・・おもに城郭の規模をもとにした選定<br />姫路城<br />名古屋城<br />大阪城<br />設計者による三名城・・・荻生徂徠の記した『録外書』の記述によれば、江戸時代初期、城造りの名手と言われた加藤清正、藤堂高虎が普請した城のうち、特に機能美に優れた3つの城を選定<br />名古屋城<br />大阪城<br />熊本城

日本三大名城(姫路城・名古屋城・大阪城・熊本城)

77いいね!

2026/04/19 - 2026/04/19

110位(同エリア2143件中)

旅行記グループ 日本五大・日本三大

0

31

+mo2

+mo2さん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

日本にかつては多くの天守がありました。織田信長以降、約170ほどの天守が建てられたといいます。その中で、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、日本国内において名城とされる城の上位3つを三名城といいますが、どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説があります。
三大名城・・・おもに城郭の規模をもとにした選定
姫路城
名古屋城
大阪城
設計者による三名城・・・荻生徂徠の記した『録外書』の記述によれば、江戸時代初期、城造りの名手と言われた加藤清正、藤堂高虎が普請した城のうち、特に機能美に優れた3つの城を選定
名古屋城
大阪城
熊本城

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
  • 姫路城の大手門はかつて、3つの門による二重桝形の構造になっていました。三の丸に入るにはまず、内堀に架かる桜門橋を渡ります。

    姫路城の大手門はかつて、3つの門による二重桝形の構造になっていました。三の丸に入るにはまず、内堀に架かる桜門橋を渡ります。

  • 橋を渡ったところに堂々たる威容を誇っているのが「桜門」です。この門は高麗門という形式の門です。高麗門は、門の扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門で、お城の門の種類としては櫓門とともにもっともポピュラーな形式の門でもあります。この桜門、実は現在建っているものは意外に新しく、1938年(昭和13年)にこのような立派な門として建築されたものです。

    橋を渡ったところに堂々たる威容を誇っているのが「桜門」です。この門は高麗門という形式の門です。高麗門は、門の扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門で、お城の門の種類としては櫓門とともにもっともポピュラーな形式の門でもあります。この桜門、実は現在建っているものは意外に新しく、1938年(昭和13年)にこのような立派な門として建築されたものです。

  • 国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

    国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

  • 標高45.6mの姫山に位置する姫路城は、国宝5城の中でも最大規模の天守を持つお城です。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれています。

    標高45.6mの姫山に位置する姫路城は、国宝5城の中でも最大規模の天守を持つお城です。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれています。

  • 日本の城の集大成とも呼べる姫路城は、白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名「白鷺城」とも呼ばれ、親しまれています。

    日本の城の集大成とも呼べる姫路城は、白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名「白鷺城」とも呼ばれ、親しまれています。

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  • 姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。<br />1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に縄張りをし、1346年に次男貞範が築城したことが始まりです。

    姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。
    1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に縄張りをし、1346年に次男貞範が築城したことが始まりです。

  • 姫路城の天守は5重6階の大天守と3つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)が渡櫓でつながった連立式天守です。いくつもの屋根や唐破風、千鳥破風が重なり、白漆喰の城壁と相まって実に美しい構成を成し遂げています。

    姫路城の天守は5重6階の大天守と3つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)が渡櫓でつながった連立式天守です。いくつもの屋根や唐破風、千鳥破風が重なり、白漆喰の城壁と相まって実に美しい構成を成し遂げています。

  • 西の丸からの天守群です。

    西の丸からの天守群です。

  • 姫路城の御城印です。

    姫路城の御城印です。

  • 名古屋城の桜

    名古屋城の桜

  • 名古屋城には、ソメイヨシノやシダレザクラを中心に約10種類、約900本の桜があります。

    名古屋城には、ソメイヨシノやシダレザクラを中心に約10種類、約900本の桜があります。

  • 名古屋城は徳川家康によって1610年に築城が開始された、日本を代表する名城です。徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利した後、西国大名に対する監視と軍事拠点として名古屋の地に城を築くことを決めました。築城には20以上の大名が動員され、安土城や大坂城の技術を集大成した近世城郭の最高傑作と言われています。

    名古屋城は徳川家康によって1610年に築城が開始された、日本を代表する名城です。徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利した後、西国大名に対する監視と軍事拠点として名古屋の地に城を築くことを決めました。築城には20以上の大名が動員され、安土城や大坂城の技術を集大成した近世城郭の最高傑作と言われています。

  • 第二次世界大戦で天守閣と本丸御殿が焼失したものの、1959年に天守閣が再建され、2018年には本丸御殿も復元工事が完了しています。

    第二次世界大戦で天守閣と本丸御殿が焼失したものの、1959年に天守閣が再建され、2018年には本丸御殿も復元工事が完了しています。

  • 名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えます。<br />築城にあわせて清須から町ぐるみの引越し「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる、碁盤割の城下町が形成されました。

    名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えます。
    築城にあわせて清須から町ぐるみの引越し「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる、碁盤割の城下町が形成されました。

  • 名古屋城のシンボルである天守閣は、頂上に輝く金のシャチホコが特徴です。天守閣からは名古屋市内の美しい景色を一望でき、名古屋の過去と現在が織りなす景観を堪能できます。

    名古屋城のシンボルである天守閣は、頂上に輝く金のシャチホコが特徴です。天守閣からは名古屋市内の美しい景色を一望でき、名古屋の過去と現在が織りなす景観を堪能できます。

    名古屋城 名所・史跡

  • こちらが名古屋城本丸御殿。1615(慶長20)年に徳川家康の命によって建てられた、日本を代表する近世書院造の建造物で、天守閣と共に、城郭として国宝第一号に指定されていましたが、昭和20年の空襲により建物の全てを焼失。10年をかけて復元したものです。

    こちらが名古屋城本丸御殿。1615(慶長20)年に徳川家康の命によって建てられた、日本を代表する近世書院造の建造物で、天守閣と共に、城郭として国宝第一号に指定されていましたが、昭和20年の空襲により建物の全てを焼失。10年をかけて復元したものです。

  • 通称「虎の間」とも呼ばれた本丸御殿の正式な入り口である玄関。襖や壁は金地の障壁画「竹林豹虎図」が飾られています。

    通称「虎の間」とも呼ばれた本丸御殿の正式な入り口である玄関。襖や壁は金地の障壁画「竹林豹虎図」が飾られています。

  • 名古屋城の御城印

    名古屋城の御城印

  • 大阪城南外堀の「一番櫓」。元々、二ノ丸(現在の豊国神社付近)南側の石垣には、一番櫓から七番櫓までありましたが、戊辰戦争(明治維新)と1945年(昭和20年)の空襲により焼失しています。

    大阪城南外堀の「一番櫓」。元々、二ノ丸(現在の豊国神社付近)南側の石垣には、一番櫓から七番櫓までありましたが、戊辰戦争(明治維新)と1945年(昭和20年)の空襲により焼失しています。

  • 桜門です。二の丸から本丸に入るための門で、江戸時代はこの先に本丸御殿がありました。秀吉時代にも桜門の名称で呼ばれており、徳川幕府による再建後もそのまま継承したようです。由来はこの門の近くに桜並木が植えられたことによるそうです

    桜門です。二の丸から本丸に入るための門で、江戸時代はこの先に本丸御殿がありました。秀吉時代にも桜門の名称で呼ばれており、徳川幕府による再建後もそのまま継承したようです。由来はこの門の近くに桜並木が植えられたことによるそうです

  • 大阪城は石山本願寺・豊臣大坂城・徳川大坂城という三つの時代を重ねた日本屈指の城郭です。

    大阪城は石山本願寺・豊臣大坂城・徳川大坂城という三つの時代を重ねた日本屈指の城郭です。

  • 本丸から見る大阪城天守閣です。1931年(昭和6年)に天守台の上に建てられた復興大阪城天守閣は、「大坂夏の陣図屏風(黒田長政・1615年)」に描かれていた豊臣大坂城を元にしました。復興工事は昭和5年5月6日に起工し、翌昭和6年10月30日に竣工しました。

    本丸から見る大阪城天守閣です。1931年(昭和6年)に天守台の上に建てられた復興大阪城天守閣は、「大坂夏の陣図屏風(黒田長政・1615年)」に描かれていた豊臣大坂城を元にしました。復興工事は昭和5年5月6日に起工し、翌昭和6年10月30日に竣工しました。

    大阪城 名所・史跡

  • 外観は昔からあるような佇まいをしていますが、館内に入ると鉄筋コンクリートでできた歴史資料館と展望台になっています。内部は8階建てになっていて、中にはエレベーターも設置されています。

    外観は昔からあるような佇まいをしていますが、館内に入ると鉄筋コンクリートでできた歴史資料館と展望台になっています。内部は8階建てになっていて、中にはエレベーターも設置されています。

  • 大阪城の御城印

    大阪城の御城印

  • 熊本城。別名銀杏城とも呼ばれ、安土桃山・江戸初期の名将加藤清正によって、1601年(慶長6年)から約7年の歳月をかけ築かれました。

    熊本城。別名銀杏城とも呼ばれ、安土桃山・江戸初期の名将加藤清正によって、1601年(慶長6年)から約7年の歳月をかけ築かれました。

  • その構えは豪壮雄大で、城域は98ha、周囲5.3Kmにも及びます。当時は大小天守閣はじめ、櫓49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。

    その構えは豪壮雄大で、城域は98ha、周囲5.3Kmにも及びます。当時は大小天守閣はじめ、櫓49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。

  • 加藤家2代、細川家11代の居城として続きましたが、明治10年の西南戦争では、薩摩の大軍を迎えて50余日の籠城に耐え、難攻不落の名城の真価を発揮しました。しかし、薩軍総攻撃の3日前、原因不明の出火により、宇土櫓はじめ11棟を残し主要な建物を焼失しました。現在の天守閣は昭和35年に市民の浄財を基に再建されたものです。

    加藤家2代、細川家11代の居城として続きましたが、明治10年の西南戦争では、薩摩の大軍を迎えて50余日の籠城に耐え、難攻不落の名城の真価を発揮しました。しかし、薩軍総攻撃の3日前、原因不明の出火により、宇土櫓はじめ11棟を残し主要な建物を焼失しました。現在の天守閣は昭和35年に市民の浄財を基に再建されたものです。

    熊本城 名所・史跡

  • 熊本地震後、段階的に復旧が進み、天守閣内部の観覧が可能になりました。

    熊本地震後、段階的に復旧が進み、天守閣内部の観覧が可能になりました。

  • 最上階は展望所になっていて、熊本市街地はもとより、阿蘇連山の山並みを観ることもできます。

    最上階は展望所になっていて、熊本市街地はもとより、阿蘇連山の山並みを観ることもできます。

  • 熊本城の御城印帳

    熊本城の御城印帳

  • 熊本城の御城印

    熊本城の御城印

77いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP