2026/04/02 - 2026/04/02
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+mo2さん
この旅行記スケジュールを元に
日本にかつては多くの天守がありました。織田信長以降、約170ほどの天守が建てられたといいます。このうち現在まで残る天守は12城です。これを「現存12天守」といいます。江戸期の一国一城令による破却や天災でその数を約150城まで減らし、維新後、明治政府の廃城令に伴う撤去などで多くの城が天守を失い約60城が残りました。その後も減少を続け第二次大戦前までは、20城の天守が現存していましたが空襲や火災などにより8つの天守を消失し現在の12城となりました。そのうち姫路城・犬山城・彦根城・松本城・松江城の5城が国宝。丸岡城・高知城・宇和島城・伊予松山城・弘前城・備中松山城・丸亀城の7城が重要文化財となっています。訪問時期はバラバラですが、国宝5城を紹介したいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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まずは、姫路城から2024年10月に訪問しています。
姫路駅の真正面に天守閣が見えますので、迷うことはありません(笑)姫路駅 駅
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駅から徒歩15分ほどで到着。寄り道しなければ10分ぐらいでしょうか。
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美しい内堀
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姫路城の大手門はかつて、3つの門による二重桝形の構造になっていました。三の丸に入るにはまず、内堀に架かる桜門橋を渡ります。
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橋を渡ったところに堂々たる威容を誇っているのが「桜門」です。この門は高麗門という形式の門です。高麗門は、門の扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門で、お城の門の種類としては櫓門とともにもっともポピュラーな形式の門でもあります。この桜門、実は現在建っているものは意外に新しく、1938年(昭和13年)にこのような立派な門として建築されたものです。
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国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。
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標高45.6mの姫山に位置する姫路城は、国宝5城の中でも最大規模の天守を持つお城です。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれています。
姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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日本の城の集大成とも呼べる姫路城は、白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名「白鷺城」とも呼ばれ、親しまれています。
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姫路城の起源は南北朝時代に遡ります。
1333年に播磨国の守護・赤松則村が姫山に縄張りをし、1346年に次男貞範が築城したことが始まりです。 -
姫路城の天守は5重6階の大天守と3つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)が渡櫓でつながった連立式天守です。いくつもの屋根や唐破風、千鳥破風が重なり、白漆喰の城壁と相まって実に美しい構成を成し遂げています。
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西の丸からの天守群です。
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姫路城の御城印です。
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2012年11月にも訪れたことがありますが、2009年から2015年までの「平成の修理」中でした。
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修理期間中、むき出しの大天守を守るために設置された素屋根。見学施設「天空の白鷺」も話題になりました。
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通常は目にできない天守最上層の屋根や軒唐破風、さらには職人の手による貴重な修理作業も見られるとあって話題を呼びました。
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続いては2014年8月に訪れた犬山城。こちらは昨年(2025年)亡くなった母を連れて行っています。木曽川の断崖に本丸を置き、郭と城門が連なる縄張りが特徴です。現存天守の中で最も古いとされた国宝天守と川景が、いまも優美さを伝えます。
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天文年間に織田信康が改築したとされ、成瀬氏が明治まで城主を継いだ城です。
国宝犬山城 名所・史跡
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犬山城はなんと2004年まで、城主であった成瀬家が個人所有する文化財だったそうです(現在は財団法人に譲渡)
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野面積みの天守台に立つ三重四階で高さ19mの天守は、現在見る姿では前記望楼型の特徴を持ちますが、当初は二階櫓で後年、望楼が増築されたもの。さらにその後、唐破風や高欄などが追加されています。二階櫓を建てたのが織田信康で成瀬氏入封後、望楼が造られたと言われることもありますが、残された同時代史料では確認されていません。
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2021年3月、犬山城の天守は、現存天守の中で最も古いことが、名古屋工業大学大学院の年輪年代法という手法で分析調査によって明らかになりました。
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犬山城の御城印
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彦根城へは何度か訪れていますが、2014年4月に母と妹と甥っ子を連れて4人で行っています。
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ばあばを引っ張って歩くやさしい一歳児(甥っ子)。そんな1歳児も今や中学生です。
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満開の桜のなかの彦根城です。
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彦根城は慶長8年(1603)に井伊直継が築城を開始した井伊家の居城です。琵琶湖畔の金亀山に築かれ、国宝天守や天秤櫓、登り石垣など実戦的な縄張りが残ります。
彦根城 名所・史跡
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明治になると、明治6年(1873)に出された廃城令もあり、各地の城の多くが取り壊されました。彦根城も取り壊しが決まっていましたが明治11年(1878)、明治天皇が北陸行幸の帰りに彦根を通りかかった際、奏上を受け保存を命じたため今日まで残ることとなりました。
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大名庭園の玄宮園からの彦根城
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彦根城の御城印
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松本城へは2013年5月、母を連れて行っています。
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松本城は永正元年(1504)の深志城に始まり、天正10年(1582)に松本城と改められ、文禄2年(1593)頃に主要部が整えられた城です。
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黒光りする天守は5層6階で、渡櫓で結ばれた乾小天守は3層、辰巳附櫓は2層、月見櫓は1層地下一階の、4つの建築物が複合された独特の様式。
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大天守6階は、当初の設計では外周に勾欄がつくはずでしたが、この地の寒さが厳しかったことや風雨の対策のために、壁を勾欄の位置まで出して6階が作られたといわれています。
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松本城の西は日本アルプス連峰がそびえたちます。天気がいい日に天守から堀を隔てて南~南東側から見ると連峰を背景とした天守の秀麗な景色を見ることができます。
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明治から大正にかけてと昭和25年から30年あまりの歳月をかけの大修復が行われました。外郭も当時の姿が日々よみがえりつつあり、守りの機能などの城としての構造がより分かりやすくなってきています。
国宝松本城 名所・史跡
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全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧は、約2,100城あるらしいですが、当時お城の御朱印があるのは、全国で松本城と鶴ヶ城の2か所でした。
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令和の松本城の御城印
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松江城には2015年5月に母を連れて訪れています。
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出雲国松江に築かれた松江城は、慶長年間に堀尾吉晴が着手した近世城郭です。城地は宍道湖に近い亀田山に定められ、慶長16年(1611)の完成が祈祷札の発見によって裏付けられています。
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別名「千鳥城」とも呼ばれる城の外壁は大部分が黒塗りの下見板張りで白壁とのコントラストが美しい。
松江城 名所・史跡
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松江城は、関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴が足掛け5年の歳月をかけて築城しました。
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堀尾氏とその次に入封した京極氏は嗣子なく改易。信濃国松本藩より徳川家康の孫の松平直政が入封し以後、明治維新まで続いております。
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松江城は、亀田山(末次城趾)の最長部に本丸が置かれ、天守は曲輪の北東部に独立して築かれています。
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松江城天守は5重5階に地下1階(国宝登録上は4重5階)で、入母屋造の大屋根の上に望楼を載せた、後期望楼型の造りになっています。
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松江城の御城印
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