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寺社の入り口に建ち、2階建てで上部に屋根がある門が楼門です。日本三大楼門に数えられるのは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、筥崎宮(福岡県福岡市)、そして阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の各楼門。共通するのは、いずれの神社も、歴史を有する一之宮だということです。一方、三門は、三解脱門を由来とする説もあり、山門とも言い、日本三大三門といわれる三門は、南禅寺(京都府京都市)、知恩院(京都府京都市)、久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)の3つの三門です。

日本三大楼門・日本三大三門

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2026/05/23 - 2026/05/23

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旅行記グループ 日本五大・日本三大

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寺社の入り口に建ち、2階建てで上部に屋根がある門が楼門です。日本三大楼門に数えられるのは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、筥崎宮(福岡県福岡市)、そして阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の各楼門。共通するのは、いずれの神社も、歴史を有する一之宮だということです。一方、三門は、三解脱門を由来とする説もあり、山門とも言い、日本三大三門といわれる三門は、南禅寺(京都府京都市)、知恩院(京都府京都市)、久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)の3つの三門です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
  • 鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、祭神は天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神。武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきました。常陸国一之宮でもあります。写真は西の一之鳥居。

    鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、祭神は天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神。武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきました。常陸国一之宮でもあります。写真は西の一之鳥居。

    鹿島神宮西の一之鳥居 寺・神社・教会

  • 鹿島神宮の大鳥居です。東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。

    鹿島神宮の大鳥居です。東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。

    鹿島神宮 寺・神社・教会

  • 2026年2月に参拝していますが、「令和の大改修」で楼門は修繕工事を行っていました。

    2026年2月に参拝していますが、「令和の大改修」で楼門は修繕工事を行っていました。

  • 2014年2月に参拝時の写真。楼門は、寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房の造営です。

    2014年2月に参拝時の写真。楼門は、寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房の造営です。

  • 本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。

    本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。

  • 「阿蘇神社」は約2300年前に創建されたと伝わる古社であり、約500社ある「阿蘇神社」の総本社で、常陸国一之宮。

    「阿蘇神社」は約2300年前に創建されたと伝わる古社であり、約500社ある「阿蘇神社」の総本社で、常陸国一之宮。

    阿蘇神社楼門(二層楼山門式) 名所・史跡

  • 南北にのびる横参道中央に聳える楼門は、高さ約18メートル、二重門として九州最大の規模を誇ります。2016年4月に熊本地震で全倒壊しましたが、7年8ヵ月かけ修復したそうです。

    南北にのびる横参道中央に聳える楼門は、高さ約18メートル、二重門として九州最大の規模を誇ります。2016年4月に熊本地震で全倒壊しましたが、7年8ヵ月かけ修復したそうです。

  • 神武天皇の孫神であり、阿蘇を開拓した健磐龍命など12神をお祀りしており、古くより肥後国一の宮として崇敬を集めてきました。神社の宮司職を世襲する阿蘇氏は日本有数の旧家として知られ、中世においては肥後国(熊本県)を代表する豪族でもありました。

    神武天皇の孫神であり、阿蘇を開拓した健磐龍命など12神をお祀りしており、古くより肥後国一の宮として崇敬を集めてきました。神社の宮司職を世襲する阿蘇氏は日本有数の旧家として知られ、中世においては肥後国(熊本県)を代表する豪族でもありました。

    阿蘇神社 寺・神社・教会

  • 筥崎宮は筥崎八幡宮ともいわれており、宇佐八幡宮(大分)、石清水八幡宮(京都)とともに日本三大八幡宮の一つに数えられています。筑前国一之宮でもあります。

    筥崎宮は筥崎八幡宮ともいわれており、宇佐八幡宮(大分)、石清水八幡宮(京都)とともに日本三大八幡宮の一つに数えられています。筑前国一之宮でもあります。

  • 圧倒的な存在感の筥崎宮 楼門です。<br />楼門に飾られている「敵国降伏」の額縁ですが、元寇の際に亀山上皇によって奉納された醍醐天皇の宸筆だそうです。

    圧倒的な存在感の筥崎宮 楼門です。
    楼門に飾られている「敵国降伏」の額縁ですが、元寇の際に亀山上皇によって奉納された醍醐天皇の宸筆だそうです。

    筥崎宮 寺・神社・教会

  • 社伝では、延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり創建となっています。

    社伝では、延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり創建となっています。

  • 南禅寺三門は、寛永5年(1628年)、大坂夏の陣の戦没家臣を弔うため、藤堂高虎の正室である久芳院が当時の住職(270代)であった以心崇伝と親戚関係にあった縁で藤堂高虎の寄進を受けて再建された門です。別名「天下竜門」とも言われます。

    南禅寺三門は、寛永5年(1628年)、大坂夏の陣の戦没家臣を弔うため、藤堂高虎の正室である久芳院が当時の住職(270代)であった以心崇伝と親戚関係にあった縁で藤堂高虎の寄進を受けて再建された門です。別名「天下竜門」とも言われます。

  • 歌舞伎の演目である「楼門五三桐」における石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」セリフで有名なのですが、石川五右衛門の生きた弘治4年(1558年)ころから文禄3年(1594年)までの間は南禅寺に三門は存在しておらず、この演目は完全なフィクションです。

    歌舞伎の演目である「楼門五三桐」における石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」セリフで有名なのですが、石川五右衛門の生きた弘治4年(1558年)ころから文禄3年(1594年)までの間は南禅寺に三門は存在しておらず、この演目は完全なフィクションです。

  • 南禅寺方丈庭園「虎の子渡しの庭」、小堀遠州作といわれてます。

    南禅寺方丈庭園「虎の子渡しの庭」、小堀遠州作といわれてます。

    南禅寺 寺・神社・教会

  • 南禅寺方丈庭園「虎の子渡しの庭」、小堀遠州作といわれてます。

    南禅寺方丈庭園「虎の子渡しの庭」、小堀遠州作といわれてます。

  • 美しい紅葉です。

    美しい紅葉です。

  • 2015.11に特別公開された時の知恩院三門です。<br />二階内部には、宝冠釈迦牟尼像、善財童子・須達長者と、十六羅漢像を安置し、天井等には彩画が施されていました。

    2015.11に特別公開された時の知恩院三門です。
    二階内部には、宝冠釈迦牟尼像、善財童子・須達長者と、十六羅漢像を安置し、天井等には彩画が施されていました。

    知恩院 寺・神社・教会

  • 知恩院三門は、元和5年(1619年)9月に徳川秀忠の命でその造営が始められ、元和7年(1621年)秋には完成しました。なお、完成時期については、平成大修理が行われた際に上層屋根の土居葺板から元和7年(1621年)の墨書が発見されたために同年の建立と判明したものです。

    知恩院三門は、元和5年(1619年)9月に徳川秀忠の命でその造営が始められ、元和7年(1621年)秋には完成しました。なお、完成時期については、平成大修理が行われた際に上層屋根の土居葺板から元和7年(1621年)の墨書が発見されたために同年の建立と判明したものです。

  • 2011.4 桜の時期の知恩院三門です。

    2011.4 桜の時期の知恩院三門です。

  • こちらは2014.2 雪の知恩院三門です。

    こちらは2014.2 雪の知恩院三門です。

  • 久遠寺三門は、明治40年(1907年)に再建された山門です。鎌倉期作の金剛力士像を祀っているため、二王門ともいわれます。その構造は、高さ7丈・奥行2間・五間三戸二階二重門・本瓦形銅板葺となり、79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額が架けられています。

    久遠寺三門は、明治40年(1907年)に再建された山門です。鎌倉期作の金剛力士像を祀っているため、二王門ともいわれます。その構造は、高さ7丈・奥行2間・五間三戸二階二重門・本瓦形銅板葺となり、79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額が架けられています。

    身延山久遠寺 寺・神社・教会

  • 日蓮宗約5000ヶ寺の総本山。3度の鎌倉幕府への諫言を受け入れられなかった日蓮大聖人は、文永11年(1274)5月17日、領主 波木井実長公の招きにより身延山に入られました。後に住まわれた草庵を廃し、弘安4年(1281)11月24日に十間四面の堂宇を建立し、自ら身延山 妙法華院 久遠寺と名付けられました。

    日蓮宗約5000ヶ寺の総本山。3度の鎌倉幕府への諫言を受け入れられなかった日蓮大聖人は、文永11年(1274)5月17日、領主 波木井実長公の招きにより身延山に入られました。後に住まわれた草庵を廃し、弘安4年(1281)11月24日に十間四面の堂宇を建立し、自ら身延山 妙法華院 久遠寺と名付けられました。

  • 自分の家の宗派が日蓮宗ということもあり、身延山へは、50年近く毎年初詣に行ってます。

    自分の家の宗派が日蓮宗ということもあり、身延山へは、50年近く毎年初詣に行ってます。

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