ホーエンシュヴァンガウ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「ノイシュバンシュタイン城」を見上げる位置にあるレストランで昼食を摂った後は午後2時25分の入場に合わせて城の入り口に向かいます。ここへ来るのは長年の夢で、そのスタートは若い頃に観たヴィスコンティの映画「ルートヴィヒ(Ludwig)」で、その当時は「ルードウィヒ/神々の黄昏」という邦題でした。「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」の2本を観た後の最後だったと記憶しています。30歳の時の2カ月のヨーロッパ旅行では「揺れる大地」と「山猫」を観てイタリアに傾注しましたが、それから34年経ってようやくここへ来ることが出来ました。10年前の最初のドイツのクリスマスマーケット巡りは近くを通過しながらコースに組み込まれておらず、コロナ禍直前に予約したツアーでようやく行くことが出来ると思った際は母の手術の日程からドバイの空港で泣く泣くキャンセルしたこともありました。また、母が地元の保護司の仲間たちとドイツを2週間ほど旅した際にここへ来たことも記憶していました。その当時に予定表に沿ったガイドブックを作ってあげたのと後にネガフィルムをスキャンしたので日程をよく覚えていました。ここでは2つの城を訪ね、この後行く「フュッセン」「ディンケルスビュール」「ハイデルベルグ」も予定に入っていました。そんな母の足跡を訪ねるという思いも少しありました。城内の見学は日本語のガイドレシーバーを持って何十人かで揃って移動するという見学方法で、写真撮影も出来ないので非常に静かにスムーズな移動でした。40分ほどの見学の後はショップに立ち寄って絵葉書やガイドブックを買い求め、歩きたくない妻を置いて1人「マリエン橋/Marienbrücke」への坂を登りました。城からは遠く見えましたが、思ったほど時間はかかりませんでした。ここからの景色は絶景で、天気も最高だったので歩いてきて良かったと思うと同時に妻に見せたかったとも思います。少し夕日になりかけている光の当たり具合も良く、いろいろな想いが複雑に湧き上がってきました。集合時間が迫っていたので踵を返し下り坂を急ぎます。馬車乗り場で同じツアーの女性2人がいて、「今から登ってくる馬車に乗って時間に間に合いますかね?」と尋ねられましたが、どう考えても無理なので一緒に下ることにします。集合場所にギリギリの時間に着くと「マリエン橋」ですれ違いに登っていく添乗員さんが先に降りていたのにはびっくりです。ここから「ヴィースの巡礼教会/Wieskirche」までは30分ほどの移動で、午後4時30分に到着しました。午後5時までの開館なので焦りましたが、ギリギリで間に合いました。ただ、日が落ちる時間だったので堂内は薄暗く、美しいバロック様式の内装をじっくり見ることは出来ませんでした。教会を出るとちょうど日が沈むタイミングで、バロック様式のファサードは赤く染まり、この世のものとは思えない夕日を見たような気がします。再び「ホーエンシュバンガウ」の町を通過したのでライトアップした「ノイシュバンシュタイン城」を見ることが出来ました。バスはスピードを落とすこともなく通過した後はこの日宿泊する「フュッセン<br />/Füssen Weihnachtsmarkt」に向かいます。

HIS お得にドイツ満喫6日間 クリスマスマーケット巡りの旅(5)長年の夢だったノイシュバンシュタイン城でルートヴィヒとワーグナーを想う。

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2025/12/12 - 2025/12/12

65位(同エリア202件中)

旅行記グループ 2025ドイツクリスマスの旅

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kojikoji

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「ノイシュバンシュタイン城」を見上げる位置にあるレストランで昼食を摂った後は午後2時25分の入場に合わせて城の入り口に向かいます。ここへ来るのは長年の夢で、そのスタートは若い頃に観たヴィスコンティの映画「ルートヴィヒ(Ludwig)」で、その当時は「ルードウィヒ/神々の黄昏」という邦題でした。「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」の2本を観た後の最後だったと記憶しています。30歳の時の2カ月のヨーロッパ旅行では「揺れる大地」と「山猫」を観てイタリアに傾注しましたが、それから34年経ってようやくここへ来ることが出来ました。10年前の最初のドイツのクリスマスマーケット巡りは近くを通過しながらコースに組み込まれておらず、コロナ禍直前に予約したツアーでようやく行くことが出来ると思った際は母の手術の日程からドバイの空港で泣く泣くキャンセルしたこともありました。また、母が地元の保護司の仲間たちとドイツを2週間ほど旅した際にここへ来たことも記憶していました。その当時に予定表に沿ったガイドブックを作ってあげたのと後にネガフィルムをスキャンしたので日程をよく覚えていました。ここでは2つの城を訪ね、この後行く「フュッセン」「ディンケルスビュール」「ハイデルベルグ」も予定に入っていました。そんな母の足跡を訪ねるという思いも少しありました。城内の見学は日本語のガイドレシーバーを持って何十人かで揃って移動するという見学方法で、写真撮影も出来ないので非常に静かにスムーズな移動でした。40分ほどの見学の後はショップに立ち寄って絵葉書やガイドブックを買い求め、歩きたくない妻を置いて1人「マリエン橋/Marienbrücke」への坂を登りました。城からは遠く見えましたが、思ったほど時間はかかりませんでした。ここからの景色は絶景で、天気も最高だったので歩いてきて良かったと思うと同時に妻に見せたかったとも思います。少し夕日になりかけている光の当たり具合も良く、いろいろな想いが複雑に湧き上がってきました。集合時間が迫っていたので踵を返し下り坂を急ぎます。馬車乗り場で同じツアーの女性2人がいて、「今から登ってくる馬車に乗って時間に間に合いますかね?」と尋ねられましたが、どう考えても無理なので一緒に下ることにします。集合場所にギリギリの時間に着くと「マリエン橋」ですれ違いに登っていく添乗員さんが先に降りていたのにはびっくりです。ここから「ヴィースの巡礼教会/Wieskirche」までは30分ほどの移動で、午後4時30分に到着しました。午後5時までの開館なので焦りましたが、ギリギリで間に合いました。ただ、日が落ちる時間だったので堂内は薄暗く、美しいバロック様式の内装をじっくり見ることは出来ませんでした。教会を出るとちょうど日が沈むタイミングで、バロック様式のファサードは赤く染まり、この世のものとは思えない夕日を見たような気がします。再び「ホーエンシュバンガウ」の町を通過したのでライトアップした「ノイシュバンシュタイン城」を見ることが出来ました。バスはスピードを落とすこともなく通過した後はこの日宿泊する「フュッセン
/Füssen Weihnachtsmarkt」に向かいます。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス 徒歩
航空会社
中国東方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス
  • 「ノイシュバンシュタイン城」を見上げる位置にあるレストランで昼食を摂った後は重たくなった体に鞭打って坂道を登ります。針葉樹の木立が途切れたところからフォルクゲン湖(Forggensee)という貯水池がきれいに見渡せました。

    「ノイシュバンシュタイン城」を見上げる位置にあるレストランで昼食を摂った後は重たくなった体に鞭打って坂道を登ります。針葉樹の木立が途切れたところからフォルクゲン湖(Forggensee)という貯水池がきれいに見渡せました。

  • 青空にパラセーリングしている人が見えたので指さすと、周りの人が「すごい、スキー板を履いてる。」といいますが見えません。

    青空にパラセーリングしている人が見えたので指さすと、周りの人が「すごい、スキー板を履いてる。」といいますが見えません。

  • カメラを望遠にして拡大したらなるほどスキーを履いているのが分かりました。改めて視力が落ちたなと思います。

    カメラを望遠にして拡大したらなるほどスキーを履いているのが分かりました。改めて視力が落ちたなと思います。

  • どこから飛んできたのでしょうか?こんな世界遺産の上空を飛行しても問題ないのでしょうか。

    どこから飛んできたのでしょうか?こんな世界遺産の上空を飛行しても問題ないのでしょうか。

  • 「ノイシュバンシュタイン城」は歴史ある中世の古城ではなく近代の城館であるため、世界遺産には登録されないと思われてきましたが、2015年に幾つかの城とともにユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、この夏7月12日に「リンダーホーフ城」、「ヘレンキームゼー城」とともに世界遺産に登録されました。

    「ノイシュバンシュタイン城」は歴史ある中世の古城ではなく近代の城館であるため、世界遺産には登録されないと思われてきましたが、2015年に幾つかの城とともにユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、この夏7月12日に「リンダーホーフ城」、「ヘレンキームゼー城」とともに世界遺産に登録されました。

    ノイシュヴァンシュタイン城 城・宮殿

  • ノイシュヴァンシュタインという名は現在の「ホーエンシュヴァンガウ城」のある地にかつてあった「シュヴァンシュタイン城」にちなみ、1886年になって付けられた名であり、建設当時は「ホーエンシュヴァンガウ新城」と呼ばれていたそうです。

    ノイシュヴァンシュタインという名は現在の「ホーエンシュヴァンガウ城」のある地にかつてあった「シュヴァンシュタイン城」にちなみ、1886年になって付けられた名であり、建設当時は「ホーエンシュヴァンガウ新城」と呼ばれていたそうです。

  • 城壁の門をくぐるとまた違った世界が広がっているのが分かります。昨年のポルトガルの旅では2日かけてリスボン郊外のシントラの王宮や城館を幾つも見てまわりましたが「ペーナ宮殿」にも劣らない高揚感を感じます。

    城壁の門をくぐるとまた違った世界が広がっているのが分かります。昨年のポルトガルの旅では2日かけてリスボン郊外のシントラの王宮や城館を幾つも見てまわりましたが「ペーナ宮殿」にも劣らない高揚感を感じます。

  • ロマネスク様式や後期ゴシック様式などの折衷主義に基づいて建設されました。19世紀後半当時の最新技術を駆使して建設された煉瓦造りの城とは思えません。

    ロマネスク様式や後期ゴシック様式などの折衷主義に基づいて建設されました。19世紀後半当時の最新技術を駆使して建設された煉瓦造りの城とは思えません。

  • 門の先には入り口のゲートがあり、我々の予約時間は午後2時25分だということです。5分おきに50人ほどの予約客が入場していきます。

    門の先には入り口のゲートがあり、我々の予約時間は午後2時25分だということです。5分おきに50人ほどの予約客が入場していきます。

  • 有名な観光地はどこもオーバーツーリズムで入場するのは大変です。こういった場所はもうツアーで来た方がいいかもしれません。7年前に行ったスペインでは1週間滞在のバルセロナでガウディの観光地などは全部予約しなければならなかったし、グラナダの「アルハンブラ宮殿」は2カ月前でチケットが取れなくて苦労しました。

    有名な観光地はどこもオーバーツーリズムで入場するのは大変です。こういった場所はもうツアーで来た方がいいかもしれません。7年前に行ったスペインでは1週間滞在のバルセロナでガウディの観光地などは全部予約しなければならなかったし、グラナダの「アルハンブラ宮殿」は2カ月前でチケットが取れなくて苦労しました。

  • 階段を上がった先に再び受付があり、ここで音声ガイド機が1人づつ貸し出されました。館内の部屋ごとに案内が始まっていくので見学は非常に静かです。そしてここ以降は写真撮影が禁止になっています。<br /><br />

    階段を上がった先に再び受付があり、ここで音声ガイド機が1人づつ貸し出されました。館内の部屋ごとに案内が始まっていくので見学は非常に静かです。そしてここ以降は写真撮影が禁止になっています。

  • ルードヴィヒ2世は父マクシミリアン2世とプロイセン王女のマリーとの間にニンフェンブルク城で生まれました。3年後の1848年に祖父ルートヴィヒ1世が退位し、それに伴い父が国王として即位します。祖父と同じ名を持つルートヴィヒは王太子となりますが、父が執務で忙しかったために余暇をシラー、ゲーテ、シェイクスピア、ワーグナーなどの戯曲やニーベルンゲンの歌などの伝説を読んで過ごし、それらから大きな影響を受けました。

    ルードヴィヒ2世は父マクシミリアン2世とプロイセン王女のマリーとの間にニンフェンブルク城で生まれました。3年後の1848年に祖父ルートヴィヒ1世が退位し、それに伴い父が国王として即位します。祖父と同じ名を持つルートヴィヒは王太子となりますが、父が執務で忙しかったために余暇をシラー、ゲーテ、シェイクスピア、ワーグナーなどの戯曲やニーベルンゲンの歌などの伝説を読んで過ごし、それらから大きな影響を受けました。

  • 「竜と戦うジーグルト/王の居住部への控えの間」<br />ルートヴィヒ2世は近侍させた美青年たちを愛し、女性を嫌忌していましたが、自分と同じヴィッテルスバッハ家の一族であるオーストリア皇后エリーザベトだけには女性でありながら唯一心を許していました。ルートヴィヒの将来を心配していたエリーザベトは自分の妹ゾフィー・シャルロッテを王妃として推薦し、1864年に婚約しました。挙式はルートヴィヒの誕生日の8月25日と決まりましたが何度も延期されました。ゾフィーの父のマクシミリアンは今度日程を伸ばしたら婚約の話は無かったことにすると最後通告を送りましたが、ルートヴィヒはこれに立腹し婚約を解消してしまいます。ルートヴィヒのこの態度にエリーザベトは怒りを覚え、彼と絶縁します。

    「竜と戦うジーグルト/王の居住部への控えの間」
    ルートヴィヒ2世は近侍させた美青年たちを愛し、女性を嫌忌していましたが、自分と同じヴィッテルスバッハ家の一族であるオーストリア皇后エリーザベトだけには女性でありながら唯一心を許していました。ルートヴィヒの将来を心配していたエリーザベトは自分の妹ゾフィー・シャルロッテを王妃として推薦し、1864年に婚約しました。挙式はルートヴィヒの誕生日の8月25日と決まりましたが何度も延期されました。ゾフィーの父のマクシミリアンは今度日程を伸ばしたら婚約の話は無かったことにすると最後通告を送りましたが、ルートヴィヒはこれに立腹し婚約を解消してしまいます。ルートヴィヒのこの態度にエリーザベトは怒りを覚え、彼と絶縁します。

  • 「ジーグルトの未来を見るクルピン/王の居住部への控えの間」<br />1864年の父のマクシミリアン2世が崩御すると、ルートヴィヒはバイエルン王となり、即位すると早速に王の仕事として宮廷秘書に命じ、幼少の頃から憧れだった作曲家ワーグナーを宮廷に呼び招きます。

    「ジーグルトの未来を見るクルピン/王の居住部への控えの間」
    1864年の父のマクシミリアン2世が崩御すると、ルートヴィヒはバイエルン王となり、即位すると早速に王の仕事として宮廷秘書に命じ、幼少の頃から憧れだった作曲家ワーグナーを宮廷に呼び招きます。

  • 「王座の広間」<br />1865年12月に家臣の反対からワーグナーを一時追放しますが、その後は執務を嫌うようになり、幼い頃からの夢だった騎士伝説を具現化すべく、中世風の「ノイシュヴァンシュタイン城」など豪華な建築物に力を入れるようになります。また彼はフランスのルイ14世を敬愛しており、湖上の島を買い取って「ヴェルサイユ宮殿」を模した「ヘレンキームゼー城」を建設したほか、大トリアノン宮殿を模した「リンダーホーフ城」を建設しました。

    「王座の広間」
    1865年12月に家臣の反対からワーグナーを一時追放しますが、その後は執務を嫌うようになり、幼い頃からの夢だった騎士伝説を具現化すべく、中世風の「ノイシュヴァンシュタイン城」など豪華な建築物に力を入れるようになります。また彼はフランスのルイ14世を敬愛しており、湖上の島を買い取って「ヴェルサイユ宮殿」を模した「ヘレンキームゼー城」を建設したほか、大トリアノン宮殿を模した「リンダーホーフ城」を建設しました。

  • 「王座の広間の円形壁龕」<br />1870年の普仏戦争で弟オットーが精神に異常をきたすとルートヴィヒはますます現実から逃れ自分の世界にのめり込み、昼夜が逆転した生活を送るようになります。王は1人で食事を摂り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたと伝えられています。

    「王座の広間の円形壁龕」
    1870年の普仏戦争で弟オットーが精神に異常をきたすとルートヴィヒはますます現実から逃れ自分の世界にのめり込み、昼夜が逆転した生活を送るようになります。王は1人で食事を摂り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたと伝えられています。

  • 「英国王証聖者エドワード」<br />危惧を感じたバイエルン政府はルートヴィヒ2世の廃位を計画し、1886年6月12日に彼を逮捕し廃位しました。代わりに政治を執り行ったのは叔父の摂政ルイトポルト公で、ルートヴィヒは「ベルク城」に送られ、翌日の6月13日にシュタルンベルク湖で、医師のベルンハルト・フォン・グッデンと共に散歩に出た少し後で、その医師と一緒に水死体となって発見されました。

    「英国王証聖者エドワード」
    危惧を感じたバイエルン政府はルートヴィヒ2世の廃位を計画し、1886年6月12日に彼を逮捕し廃位しました。代わりに政治を執り行ったのは叔父の摂政ルイトポルト公で、ルートヴィヒは「ベルク城」に送られ、翌日の6月13日にシュタルンベルク湖で、医師のベルンハルト・フォン・グッデンと共に散歩に出た少し後で、その医師と一緒に水死体となって発見されました。

  • 「キリスト以前の立法者モーセ」<br />ルートヴィヒ2世は精神病を理由に廃位されましたが、実際にはバイエルン内閣と築城の負債問題を巡って対立状態にあったことがその真の理由だったといわれているようです。ルートヴィヒ2世は予想以上に膨らんだ「ノイシュバンシュタイン城」の築城費を賄うため、国王官房金庫を担保に銀行などで借金を重ねましたが、それにも行き詰まると、資金問題の解決をバイエルン財務相に迫り、バイエルン内閣と鋭く対立していました。

    「キリスト以前の立法者モーセ」
    ルートヴィヒ2世は精神病を理由に廃位されましたが、実際にはバイエルン内閣と築城の負債問題を巡って対立状態にあったことがその真の理由だったといわれているようです。ルートヴィヒ2世は予想以上に膨らんだ「ノイシュバンシュタイン城」の築城費を賄うため、国王官房金庫を担保に銀行などで借金を重ねましたが、それにも行き詰まると、資金問題の解決をバイエルン財務相に迫り、バイエルン内閣と鋭く対立していました。

  • 「竜と戦う聖ゲオルグ」<br />ルートヴィヒの生涯は若い頃に観たヴィスコンティの映画「ルードウィヒ/神々の黄昏」で知り、いつかは「ノイシュバンシュタイン城」に行きたいと思っていましたが、実に40年近い年月が経っていました。<br />

    「竜と戦う聖ゲオルグ」
    ルートヴィヒの生涯は若い頃に観たヴィスコンティの映画「ルードウィヒ/神々の黄昏」で知り、いつかは「ノイシュバンシュタイン城」に行きたいと思っていましたが、実に40年近い年月が経っていました。

  • 「食堂」<br />ヴィスコンティの映画には影響を受けて「揺れる大地」と「山猫」を観てシチリアへ行き、「ベニスに死す」ではわざわざリド島のホテルに宿泊しました。イタリアは30歳で郁子が出来ましたが、ずいぶん時間がかかったものだと思います。<br />

    「食堂」
    ヴィスコンティの映画には影響を受けて「揺れる大地」と「山猫」を観てシチリアへ行き、「ベニスに死す」ではわざわざリド島のホテルに宿泊しました。イタリアは30歳で郁子が出来ましたが、ずいぶん時間がかかったものだと思います。

  • 「寝室」<br />一番印象に残ったのはこの寝室で、ミラノのドゥオモの尖塔のようなゴシック様式の天蓋は、生きながらに死ぬことを望んでいるのではないかと思えました。ここまでの部屋とも一体になったワーグナーの歌劇の舞台を描いた絵画の世界も脅威でした。

    「寝室」
    一番印象に残ったのはこの寝室で、ミラノのドゥオモの尖塔のようなゴシック様式の天蓋は、生きながらに死ぬことを望んでいるのではないかと思えました。ここまでの部屋とも一体になったワーグナーの歌劇の舞台を描いた絵画の世界も脅威でした。

  • 「トリスタンとイゾルデを読む婦人」<br />「トリスタンとイゾルデ」の舞台は中世のイングランド西南部のコーンウォールです。アイルランドの王女イゾルデはコーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣であるトリスタンに護衛されて航海していました。かつてトリスタンは戦場でイゾルデの婚約者を討ち、そのとき自らも傷を負ったものの名前を偽りイゾルデに介抱してもらったことがありました。このときイゾルデはトリスタンが婚約者の仇だとすぐ気が付きましたが、そのときには恋に落ちていました。

    「トリスタンとイゾルデを読む婦人」
    「トリスタンとイゾルデ」の舞台は中世のイングランド西南部のコーンウォールです。アイルランドの王女イゾルデはコーンウォールを治めるマルケ王に嫁ぐため、王の甥であり忠臣であるトリスタンに護衛されて航海していました。かつてトリスタンは戦場でイゾルデの婚約者を討ち、そのとき自らも傷を負ったものの名前を偽りイゾルデに介抱してもらったことがありました。このときイゾルデはトリスタンが婚約者の仇だとすぐ気が付きましたが、そのときには恋に落ちていました。

  • イゾルデは自分を王の妻とするために先導するトリスタンに対して、激しい憤りを感じていました。彼女は一緒に毒薬を飲むことをトリスタンに迫ります。しかし毒薬の用意をイゾルデに命じられた侍女ブランゲーネが毒薬のかわりに用意したのは「愛の薬」でした。そのため船がコーンウォールの港に到着する頃にはトリスタンとイゾルデは強烈な愛に陥っていました。

    イゾルデは自分を王の妻とするために先導するトリスタンに対して、激しい憤りを感じていました。彼女は一緒に毒薬を飲むことをトリスタンに迫ります。しかし毒薬の用意をイゾルデに命じられた侍女ブランゲーネが毒薬のかわりに用意したのは「愛の薬」でした。そのため船がコーンウォールの港に到着する頃にはトリスタンとイゾルデは強烈な愛に陥っていました。

  • イゾルデがマルケ王に嫁いだ後のことです。マルケ王が狩に出掛けた隙にトリスタンがイゾルデのもとを訪れて2人は愛を語り合います。そのとき急にマルケ王は戻ってきましたが、これはイゾルデに横恋慕していた王の忠臣メロートの策略でした。マルケ王は信頼していたトリスタンの裏切りと妃の裏切りに深く嘆きます。王の問いにトリスタンは言い訳をしようとしません。メロートが斬りかかってきたところをトリスタンは自ら剣を落としてその刃に倒れたのでした。

    イゾルデがマルケ王に嫁いだ後のことです。マルケ王が狩に出掛けた隙にトリスタンがイゾルデのもとを訪れて2人は愛を語り合います。そのとき急にマルケ王は戻ってきましたが、これはイゾルデに横恋慕していた王の忠臣メロートの策略でした。マルケ王は信頼していたトリスタンの裏切りと妃の裏切りに深く嘆きます。王の問いにトリスタンは言い訳をしようとしません。メロートが斬りかかってきたところをトリスタンは自ら剣を落としてその刃に倒れたのでした。

  • フランス西北部ブルターニュにあるトリスタンの城と場面は変わります。トリスタンの従者クルヴェナールは深手を負ったトリスタンのために、イゾルデを呼びよせました。しかし、イゾルデが駆けつけたその瞬間に彼は息絶えました。そこへ全ては愛の薬のせいだと知ったマルケ王がやって来ます。そのときにはすでにイゾルデの運命は決まっていました。彼女は至上の愛を感じながらトリスタンの後を追ったのでした。

    フランス西北部ブルターニュにあるトリスタンの城と場面は変わります。トリスタンの従者クルヴェナールは深手を負ったトリスタンのために、イゾルデを呼びよせました。しかし、イゾルデが駆けつけたその瞬間に彼は息絶えました。そこへ全ては愛の薬のせいだと知ったマルケ王がやって来ます。そのときにはすでにイゾルデの運命は決まっていました。彼女は至上の愛を感じながらトリスタンの後を追ったのでした。

  • 王の寝室の横には「礼拝堂」が併設されていました。祭壇や窓のステンドグラスは聖人の列に加えられたフランス王ルイ9世の生涯を表したモチーフになっています。ルイはドイツ名だとルートヴィヒとなり彼の守護聖人です。パリのサント・シャペルのステンドグラス越しの神々しい光線が思い出されます。

    王の寝室の横には「礼拝堂」が併設されていました。祭壇や窓のステンドグラスは聖人の列に加えられたフランス王ルイ9世の生涯を表したモチーフになっています。ルイはドイツ名だとルートヴィヒとなり彼の守護聖人です。パリのサント・シャペルのステンドグラス越しの神々しい光線が思い出されます。

  • 「更衣室」<br />ここでは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の場面を描いた絵画が壁を覆っています。

    「更衣室」
    ここでは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の場面を描いた絵画が壁を覆っています。

  • 16世紀中頃のドイツのニュルンベルクが舞台です。この街にやって来た騎士ヴァルターは聖カタリナ教会でエーファと出会い、2人は互いに惹かれ合いました。しかしエーファの父で金細工の親方ポーグナーは翌日の聖ヨハネ祭で行う歌合戦の優勝者に全財産とエーファを与えることとしていました。そこでヴァルターは靴屋の徒弟ダーヴィットから急いで「歌の規則」を学びますが、あまりに厄介な規則に閉口します。それでもヴァルターは歌合戦に出場するための資格試験を受け、堂々と自分の歌を歌い始めました。このとき試験の記録係をしていた市の書記官ベックメッサーは、自身もエーファとの結婚を狙っていました。彼はヴァルターというライバルの出現を快く思わず、厳格に採点して失格にさせます。そのとき靴屋の親方ザックスはヴァルターの歌に新しい可能性を感じていました。

    16世紀中頃のドイツのニュルンベルクが舞台です。この街にやって来た騎士ヴァルターは聖カタリナ教会でエーファと出会い、2人は互いに惹かれ合いました。しかしエーファの父で金細工の親方ポーグナーは翌日の聖ヨハネ祭で行う歌合戦の優勝者に全財産とエーファを与えることとしていました。そこでヴァルターは靴屋の徒弟ダーヴィットから急いで「歌の規則」を学びますが、あまりに厄介な規則に閉口します。それでもヴァルターは歌合戦に出場するための資格試験を受け、堂々と自分の歌を歌い始めました。このとき試験の記録係をしていた市の書記官ベックメッサーは、自身もエーファとの結婚を狙っていました。彼はヴァルターというライバルの出現を快く思わず、厳格に採点して失格にさせます。そのとき靴屋の親方ザックスはヴァルターの歌に新しい可能性を感じていました。

  • ヴァルターが試験に落ちたことを知ったエーファは親方ザックスに相談しようとしますが、彼は話をはぐらかしてしまいます。実はこのザックスも遠い昔に妻を亡くし、エーファに愛情を持っていた1人でした。しかし彼は若いヴァルターとエーファのことを考え、自分の想いを諦めることとします。一方で彼は2人が駆け落ちしようとするのをさりげなく邪魔します。かたや書記官ベックメッサーは、エーファにセレナーデを捧げようと夢中で歌います。その歌の記録係を買って出たザックスは「歌の規則」から逸脱する度に靴底をハンマーで叩いてその誤りを指摘しました。

    ヴァルターが試験に落ちたことを知ったエーファは親方ザックスに相談しようとしますが、彼は話をはぐらかしてしまいます。実はこのザックスも遠い昔に妻を亡くし、エーファに愛情を持っていた1人でした。しかし彼は若いヴァルターとエーファのことを考え、自分の想いを諦めることとします。一方で彼は2人が駆け落ちしようとするのをさりげなく邪魔します。かたや書記官ベックメッサーは、エーファにセレナーデを捧げようと夢中で歌います。その歌の記録係を買って出たザックスは「歌の規則」から逸脱する度に靴底をハンマーで叩いてその誤りを指摘しました。

  • 翌朝に自らの家にヴァルターを招き入れたザックスは、ヴァルターが見た夢を歌にするように勧め、「歌の規則」に従って1つの歌を完成させます。2人がその場を去った後そこにベックメッサーが現れて歌が書かれた紙を見つけます。ザックスが戻ってきてほしいなら進呈しようと言うとザックス作だと勘違いしたベックメッサーは喜んでもらい受けます。そしてペグニッツの野原で歌合戦が始まります。親方たちや民衆が集まる中でベックメッサーがザックスからもらった歌を歌いました。しかしそれは他人の作品で、「歌の規則」は間違えるし、歌詞もうろ覚えで大失敗します。

    翌朝に自らの家にヴァルターを招き入れたザックスは、ヴァルターが見た夢を歌にするように勧め、「歌の規則」に従って1つの歌を完成させます。2人がその場を去った後そこにベックメッサーが現れて歌が書かれた紙を見つけます。ザックスが戻ってきてほしいなら進呈しようと言うとザックス作だと勘違いしたベックメッサーは喜んでもらい受けます。そしてペグニッツの野原で歌合戦が始まります。親方たちや民衆が集まる中でベックメッサーがザックスからもらった歌を歌いました。しかしそれは他人の作品で、「歌の規則」は間違えるし、歌詞もうろ覚えで大失敗します。

  • このときザックスはこの歌の真の作者としてヴァルターを迎え入れます。ヴァルターはその歌「朝はばら色に輝き」を歌い、民衆を感動させて優勝しました。ヴァルターはエーファとの結婚を実現させましたが、彼女の父ポーグナーから親方の称号であるマイスタージンガーを譲ろうと言われたのを拒否します。そしてザックスは彼に伝統芸術を継承する大切さを説き、人々はザックスの徳を讃えたのでした。

    このときザックスはこの歌の真の作者としてヴァルターを迎え入れます。ヴァルターはその歌「朝はばら色に輝き」を歌い、民衆を感動させて優勝しました。ヴァルターはエーファとの結婚を実現させましたが、彼女の父ポーグナーから親方の称号であるマイスタージンガーを譲ろうと言われたのを拒否します。そしてザックスは彼に伝統芸術を継承する大切さを説き、人々はザックスの徳を讃えたのでした。

  • 「居間」<br />この部屋は「ローエングリン」にまつわる絵画で覆われています。舞台は10世紀前半のアントウェルペン(アントワープ)のスヘルデ河のほとりです。この地を治めていたブラバンド公国にドイツ国王のハインリヒ1世が訪れました。このときブラバンド公国は大公が死去し、娘エルザとその弟ゴットフリートが残されていました。2人の後見役だった伯爵テルラムントはドイツ国王に次のように訴えました。「エルザは弟を誘い森に散策に出掛けて1人で戻ってきました。ゴットフリートは行方不明で犯人はエルザです。私がエルザに替わりブラバンドの領主にふさわしい人物です。」

    「居間」
    この部屋は「ローエングリン」にまつわる絵画で覆われています。舞台は10世紀前半のアントウェルペン(アントワープ)のスヘルデ河のほとりです。この地を治めていたブラバンド公国にドイツ国王のハインリヒ1世が訪れました。このときブラバンド公国は大公が死去し、娘エルザとその弟ゴットフリートが残されていました。2人の後見役だった伯爵テルラムントはドイツ国王に次のように訴えました。「エルザは弟を誘い森に散策に出掛けて1人で戻ってきました。ゴットフリートは行方不明で犯人はエルザです。私がエルザに替わりブラバンドの領主にふさわしい人物です。」

  • この告発に対し国王は一騎打ちの決闘で決着をつけるように言います。エルザは自分の代わりに戦う騎士として夢に出てきた「白鳥の騎士」を指名します。エルザが祈ると白鳥に乗った騎士ローエングリンが現れました。ローエングリンは自分の名と素性を訊ねないならば戦おうと言い、エルザは承諾します。そしてローエングリンは一騎打ちで伯爵テルラムントに勝利したので、エルザの容疑は晴れました。

    この告発に対し国王は一騎打ちの決闘で決着をつけるように言います。エルザは自分の代わりに戦う騎士として夢に出てきた「白鳥の騎士」を指名します。エルザが祈ると白鳥に乗った騎士ローエングリンが現れました。ローエングリンは自分の名と素性を訊ねないならば戦おうと言い、エルザは承諾します。そしてローエングリンは一騎打ちで伯爵テルラムントに勝利したので、エルザの容疑は晴れました。

  • 伯爵テルラムントの命は助けられまますが、妻のオルトルートと「白鳥の騎士の正体」を疑っていました。オルトルートはエルザに近寄り白鳥の騎士の素性を問うようにそそのかします。このオルトルートは妖術使いでゴットフリート失踪の真犯人でした。エルザとローエングリンが結婚した夜に寝室で2人きりになると、愛する人のすべてを知りたいという想いを募らせます。そしてついに禁じられた白鳥の騎士の名と素性を教えてほしいと口にしたのでした。ローエングリンはドイツ国王とエルザの前で自分の名と素性を明かします。ローエングリンは聖杯王パルツィファルの子で聖杯に仕える騎士であり、正体を知られた以上はこの地を去らなければならないと言いました。やって来たときと同じように白鳥が小舟を引いてスヘルデ河畔に到着します。ローエングリンが白鳥の鎖を取ると、白鳥は行方不明だったゴットフリートの姿となりました。妖術を破られたオルトルートは絶命します。ローエングリンは小舟に乗っていずこへと去っていき、エルザは悲しみのあまり弟ゴットフリートの腕の中で息絶えました。

    伯爵テルラムントの命は助けられまますが、妻のオルトルートと「白鳥の騎士の正体」を疑っていました。オルトルートはエルザに近寄り白鳥の騎士の素性を問うようにそそのかします。このオルトルートは妖術使いでゴットフリート失踪の真犯人でした。エルザとローエングリンが結婚した夜に寝室で2人きりになると、愛する人のすべてを知りたいという想いを募らせます。そしてついに禁じられた白鳥の騎士の名と素性を教えてほしいと口にしたのでした。ローエングリンはドイツ国王とエルザの前で自分の名と素性を明かします。ローエングリンは聖杯王パルツィファルの子で聖杯に仕える騎士であり、正体を知られた以上はこの地を去らなければならないと言いました。やって来たときと同じように白鳥が小舟を引いてスヘルデ河畔に到着します。ローエングリンが白鳥の鎖を取ると、白鳥は行方不明だったゴットフリートの姿となりました。妖術を破られたオルトルートは絶命します。ローエングリンは小舟に乗っていずこへと去っていき、エルザは悲しみのあまり弟ゴットフリートの腕の中で息絶えました。

  • 「執務室」<br />この部屋は「タンホイザー」の物語で埋め尽くされています。舞台は13世紀初頭のドイツの森に囲まれたチューリンゲンです。騎士であり吟遊詩人であるタンホイザーは禁断の地とされていたヴェーヌスベルクで、愛の女神ヴェーヌス(ヴィーナス)と官能のひとときを過ごしていました。

    「執務室」
    この部屋は「タンホイザー」の物語で埋め尽くされています。舞台は13世紀初頭のドイツの森に囲まれたチューリンゲンです。騎士であり吟遊詩人であるタンホイザーは禁断の地とされていたヴェーヌスベルクで、愛の女神ヴェーヌス(ヴィーナス)と官能のひとときを過ごしていました。

  • そんな生活にも飽きてしまったタンホイザーはヴェーヌスの誘惑を振り切って禁断の地をあとにします。チューリンゲンに帰ってきたタンホイザーは、仲間からどこに行っていたのかと尋ねられますが、それに答えられずまた旅立とうとします。しかし旧友ヴォルフラムが「君の恋人エリザベトが帰りを待っている」と言うのを聞いて思いとどまります。

    そんな生活にも飽きてしまったタンホイザーはヴェーヌスの誘惑を振り切って禁断の地をあとにします。チューリンゲンに帰ってきたタンホイザーは、仲間からどこに行っていたのかと尋ねられますが、それに答えられずまた旅立とうとします。しかし旧友ヴォルフラムが「君の恋人エリザベトが帰りを待っている」と言うのを聞いて思いとどまります。

  • 旧友のヴォルフラムもエリザベトのことを愛していたのですが、タンホイザーを彼女のところに案内して、再会を喜ぶ2人を見守っていました。舞台はヴァルトブルク城の大広間で行われる「歌合戦」となります。大勢の貴族や騎士たちが集まる中で領主ヘルマンは歌合戦の課題を「愛の本質」とし、勝者にはエリザベトから賞が与えられると宣言します。歌合戦ではまずヴォルフラムが「精神的な愛」こそ愛の本質だと歌いましたが、それをタンホイザーは否定して、愛の本質は「快楽」にあると歌い、官能の女神ヴェーヌスを賛美しました。

    旧友のヴォルフラムもエリザベトのことを愛していたのですが、タンホイザーを彼女のところに案内して、再会を喜ぶ2人を見守っていました。舞台はヴァルトブルク城の大広間で行われる「歌合戦」となります。大勢の貴族や騎士たちが集まる中で領主ヘルマンは歌合戦の課題を「愛の本質」とし、勝者にはエリザベトから賞が与えられると宣言します。歌合戦ではまずヴォルフラムが「精神的な愛」こそ愛の本質だと歌いましたが、それをタンホイザーは否定して、愛の本質は「快楽」にあると歌い、官能の女神ヴェーヌスを賛美しました。

  • その歌でタンホイザーが禁断の地ヴェーヌスベルクにいたことを知った人々は、口々に彼を国から追放せよと罵倒しましたがエリーザベトが割って入り、一番傷ついているのは自分なのだと言いながら彼をかばいます。そこで領主ヘルマンはタンホイザーに、罪を償い許しを請うためにローマ教皇ウルバン4世のもとへ行くよう命じました。時が経ちローマから帰る巡礼者の中にタンホイザーを見つけられないエリザベトは、ヴォルフラムの制止を振り切って、闇夜に天国へと続く道へ旅立ちます。彼女が去ったあとヴォルフラムのもとにタンホイザーが帰ってきて、ローマで許しを得ることができなかったと嘆きます。自暴自棄になったタンホイザーは禁断の地ヴェーヌスベルクに行こうとしますが、そこにエリーザベトの棺が運び込まれます。彼女の死に絶望したタンホイザーはそこで息絶えるのですが、魂は救済されます。エリーザベトの死が彼の魂を救ったのでした。

    その歌でタンホイザーが禁断の地ヴェーヌスベルクにいたことを知った人々は、口々に彼を国から追放せよと罵倒しましたがエリーザベトが割って入り、一番傷ついているのは自分なのだと言いながら彼をかばいます。そこで領主ヘルマンはタンホイザーに、罪を償い許しを請うためにローマ教皇ウルバン4世のもとへ行くよう命じました。時が経ちローマから帰る巡礼者の中にタンホイザーを見つけられないエリザベトは、ヴォルフラムの制止を振り切って、闇夜に天国へと続く道へ旅立ちます。彼女が去ったあとヴォルフラムのもとにタンホイザーが帰ってきて、ローマで許しを得ることができなかったと嘆きます。自暴自棄になったタンホイザーは禁断の地ヴェーヌスベルクに行こうとしますが、そこにエリーザベトの棺が運び込まれます。彼女の死に絶望したタンホイザーはそこで息絶えるのですが、魂は救済されます。エリーザベトの死が彼の魂を救ったのでした。

  • 「歌人の広間」<br />この部屋は「パルジファル」に捧げられた部屋です。舞台はスペインのモンサルヴァート城で、この城はキリストが十字架に架けられたとき、脇腹を突いた槍とその血を受けた杯、「聖槍」と「聖杯」が奉納されていて、城主のティトゥレルと騎士たちによって守護されてきました。今では老いてしまった騎士グルネマンツが城の近くの森の中で配下の小姓たちにこれまでの経緯を物語ります。

    「歌人の広間」
    この部屋は「パルジファル」に捧げられた部屋です。舞台はスペインのモンサルヴァート城で、この城はキリストが十字架に架けられたとき、脇腹を突いた槍とその血を受けた杯、「聖槍」と「聖杯」が奉納されていて、城主のティトゥレルと騎士たちによって守護されてきました。今では老いてしまった騎士グルネマンツが城の近くの森の中で配下の小姓たちにこれまでの経緯を物語ります。

  • 不思議な女性クンドリーは森で寝ていたところをティトゥレルに拾われ、騎士たちに仕えていました。彼女はかつてキリストに嘲笑を浴びせたことがあり、決して死ぬことを許されず時空を彷徨っていた呪われた女性でした。あるとき騎士団の一員になろうと邪悪な心を持つクリングゾルが城を訪ねてきます。その魂胆を城主ティトゥレルに見破られ入団を拒否されたクリングゾルは城の側に魔法の花園をつくり、美女たちに騎士たちを誘惑させ次々と凋落していきました。

    不思議な女性クンドリーは森で寝ていたところをティトゥレルに拾われ、騎士たちに仕えていました。彼女はかつてキリストに嘲笑を浴びせたことがあり、決して死ぬことを許されず時空を彷徨っていた呪われた女性でした。あるとき騎士団の一員になろうと邪悪な心を持つクリングゾルが城を訪ねてきます。その魂胆を城主ティトゥレルに見破られ入団を拒否されたクリングゾルは城の側に魔法の花園をつくり、美女たちに騎士たちを誘惑させ次々と凋落していきました。

  • やがて城主の座は息子のアムフォルタスに引き継がれましたが、事態を重く見たアムフォルタスは聖槍を携えてクリングゾルを討ちに行きます。しかし魔法をかけられたクンドリーに誘惑され、聖槍を奪われてその槍で自らの脇腹に傷を負ってしまいます。その傷跡は決して治癒することなく、アムフォルタスを今に至るまで苦しめ続けています。

    やがて城主の座は息子のアムフォルタスに引き継がれましたが、事態を重く見たアムフォルタスは聖槍を携えてクリングゾルを討ちに行きます。しかし魔法をかけられたクンドリーに誘惑され、聖槍を奪われてその槍で自らの脇腹に傷を負ってしまいます。その傷跡は決して治癒することなく、アムフォルタスを今に至るまで苦しめ続けています。

  • 彼を救うことができるのは「聖なる愚者」だけだと予言されていました。ここまで老騎士グルネマンツが物語ったとき、森の中で何物かが白鳥を射落とします。その若者は自らの名前も生い立ちも知らなかったのですが、不思議なことにクンドリーが彼の母が亡くなったことを告げると彼は驚きます。老騎士グルネマンツは、純粋無垢な彼が聖なる愚者なのではないかと考え、城に連れて帰りますが何も起こりませんでした。

    彼を救うことができるのは「聖なる愚者」だけだと予言されていました。ここまで老騎士グルネマンツが物語ったとき、森の中で何物かが白鳥を射落とします。その若者は自らの名前も生い立ちも知らなかったのですが、不思議なことにクンドリーが彼の母が亡くなったことを告げると彼は驚きます。老騎士グルネマンツは、純粋無垢な彼が聖なる愚者なのではないかと考え、城に連れて帰りますが何も起こりませんでした。

  • その後この純粋無垢な青年は聖槍を奪った魔導士クリングゾルの城に向かいました。クリングゾルはまたもやクンドリーに魔法をかけてこの青年を誘惑させます。青年抵抗しますがクンドリーは彼の名「パルジファル」を叫び、彼にくちづけを与えました。そのときパルジファルの脳裏にはアムフォルタスの幻影が浮かび上がり、彼は決然とクンドリーを退けたのでした。

    その後この純粋無垢な青年は聖槍を奪った魔導士クリングゾルの城に向かいました。クリングゾルはまたもやクンドリーに魔法をかけてこの青年を誘惑させます。青年抵抗しますがクンドリーは彼の名「パルジファル」を叫び、彼にくちづけを与えました。そのときパルジファルの脳裏にはアムフォルタスの幻影が浮かび上がり、彼は決然とクンドリーを退けたのでした。

  • これを見た魔導士クリングゾルはパルジファルの命を奪おうと聖槍を投げつけます。しかし聖槍はパルジファルの頭上でぴたりと静止し、パルジファルがその聖槍をつかみ十字を切ると魔導士クリングゾルの城は崩れ落ちたのでした。

    これを見た魔導士クリングゾルはパルジファルの命を奪おうと聖槍を投げつけます。しかし聖槍はパルジファルの頭上でぴたりと静止し、パルジファルがその聖槍をつかみ十字を切ると魔導士クリングゾルの城は崩れ落ちたのでした。

  • 時が経ちモンサルヴァート城の前城主ティトゥレルが亡くなるとその葬儀のため息子のアムフォルタスは聖杯を開帳する役目となります。しかし彼は脇腹のその傷の苦しみに耐えきれず、配下の者たちに自分を殺せと命じます。

    時が経ちモンサルヴァート城の前城主ティトゥレルが亡くなるとその葬儀のため息子のアムフォルタスは聖杯を開帳する役目となります。しかし彼は脇腹のその傷の苦しみに耐えきれず、配下の者たちに自分を殺せと命じます。

  • そのときパルジファルが聖槍を持って現れました。聖槍をアムフォルタスの傷口に当てると見事に快癒します。そしてパルジファルが聖槍を掲げて聖杯に黙祷を捧げると1羽の鳩が彼の頭上に舞い降りました。その光景を見ていたクンドリーはその場で息絶えて救済されたのでした。

    そのときパルジファルが聖槍を持って現れました。聖槍をアムフォルタスの傷口に当てると見事に快癒します。そしてパルジファルが聖槍を掲げて聖杯に黙祷を捧げると1羽の鳩が彼の頭上に舞い降りました。その光景を見ていたクンドリーはその場で息絶えて救済されたのでした。

  • 1865年にワーグナーはバイエルン国王ルートヴィヒ2世のためにこの「パルジファル」を書き、「ゲルマン=キリスト教世界の神聖なる舞台作品」と呼びました。

    1865年にワーグナーはバイエルン国王ルートヴィヒ2世のためにこの「パルジファル」を書き、「ゲルマン=キリスト教世界の神聖なる舞台作品」と呼びました。

  • 頭の中には「ニーベルングの指環」の第2部「ワルキューレ」の第3幕冒頭で使用される「ワルキューレの騎行」が流れています。この時ヘリコプターが飛んでいなくて良かったと思います。<br />https://www.youtube.com/watch?v=K9YWvOidt24&amp;list=RDK9YWvOidt24&amp;start_radio=1

    頭の中には「ニーベルングの指環」の第2部「ワルキューレ」の第3幕冒頭で使用される「ワルキューレの騎行」が流れています。この時ヘリコプターが飛んでいなくて良かったと思います。
    https://www.youtube.com/watch?v=K9YWvOidt24&list=RDK9YWvOidt24&start_radio=1

  • 40分ほどの見学はあっという間に終わってしまったような気がします。事前にワーグナーの歌劇のあらすじを頭の中に入れておいて良かったと思います。ワーグナーやベートヴェンは子供の頃の日曜日の午後に散々父に聴かされていたことが思い出されました。

    40分ほどの見学はあっという間に終わってしまったような気がします。事前にワーグナーの歌劇のあらすじを頭の中に入れておいて良かったと思います。ワーグナーやベートヴェンは子供の頃の日曜日の午後に散々父に聴かされていたことが思い出されました。

  • 母が友人たちと旅したドイツへは父も来るはずだったのですが、直前になって体力的に自信が無いと取りやめていました。長年ドイツ語の勉強もしていたので本人も残念だったと思います。その後その理由がパーキンソン病の発症だったと分かり、長い闘病生活に入りました。

    母が友人たちと旅したドイツへは父も来るはずだったのですが、直前になって体力的に自信が無いと取りやめていました。長年ドイツ語の勉強もしていたので本人も残念だったと思います。その後その理由がパーキンソン病の発症だったと分かり、長い闘病生活に入りました。

  • リタイヤ後は母とヨーロッパを旅するのを楽しみにしていたので、自分がここに立つと父の代わりに来たような気分になります。母はいい加減に旅行を控えなさいと言うのが口癖でしたが、父は一切反対することは無く、旅先から届く絵ハガキを楽しみにしていました。

    リタイヤ後は母とヨーロッパを旅するのを楽しみにしていたので、自分がここに立つと父の代わりに来たような気分になります。母はいい加減に旅行を控えなさいと言うのが口癖でしたが、父は一切反対することは無く、旅先から届く絵ハガキを楽しみにしていました。

  • テラスからはマクシミリアン2世によって改築された「ホーエンシュヴァンガウ城/Schloss Hohenschwangau」が見下ろせました。ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごし、シラー、ゲーテ、シェイクスピア、ワーグナーなどの戯曲やニーベルンゲンの歌などの伝説を読んで過ごし、それらから大きな影響を受けました。

    テラスからはマクシミリアン2世によって改築された「ホーエンシュヴァンガウ城/Schloss Hohenschwangau」が見下ろせました。ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごし、シラー、ゲーテ、シェイクスピア、ワーグナーなどの戯曲やニーベルンゲンの歌などの伝説を読んで過ごし、それらから大きな影響を受けました。

  • この城を含むシュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」で有名な白鳥伝説ゆかりの地でした。こうした地元の伝説にちなみ城には至る所に中世騎士伝説を描いた壁画が描かれており、「ローエングリン」の壁画も当然そこに含まれていました。この城で幼少期を過ごしたルートヴィヒ2世が長じた後にワーグナーの「ローエングリン」に魅了され、伝説と現実の境界を見失うようになってしまう遠因になったとも言われます。

    この城を含むシュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」で有名な白鳥伝説ゆかりの地でした。こうした地元の伝説にちなみ城には至る所に中世騎士伝説を描いた壁画が描かれており、「ローエングリン」の壁画も当然そこに含まれていました。この城で幼少期を過ごしたルートヴィヒ2世が長じた後にワーグナーの「ローエングリン」に魅了され、伝説と現実の境界を見失うようになってしまう遠因になったとも言われます。

  • テラスからは「マリエン橋/Marienbrücke」も見えました。ペッラート峡谷に架けられた橋はノイシュヴァンシュタイン城裏手の城が良く見える位置に架かっているため、ベスト・ビューポイントのひとつとして知られます。マリエン橋の名はルートヴィヒ2世の母であるマリー・フォン・プロイセンにちなんでいます。

    テラスからは「マリエン橋/Marienbrücke」も見えました。ペッラート峡谷に架けられた橋はノイシュヴァンシュタイン城裏手の城が良く見える位置に架かっているため、ベスト・ビューポイントのひとつとして知られます。マリエン橋の名はルートヴィヒ2世の母であるマリー・フォン・プロイセンにちなんでいます。

  • バイエルン王マクシミリアン2世の命により1845年にペッラート渓流に木製の橋が渡されましたが、これは何年か後には新しく架け直さねばならない造りものでした。のちの1866年にルートヴィヒ2世の命により、現在のような鉄橋が架けられましたが、この橋の建設に用いられた滝上90メートルの高さに両岸の岩場へ吊桁を直接渡すというものは当時の橋梁建設としては画期的なものだったようです。橋は1984年に修復され吊桁部分が取り替えられましたが橋面は建設当時のままです。

    バイエルン王マクシミリアン2世の命により1845年にペッラート渓流に木製の橋が渡されましたが、これは何年か後には新しく架け直さねばならない造りものでした。のちの1866年にルートヴィヒ2世の命により、現在のような鉄橋が架けられましたが、この橋の建設に用いられた滝上90メートルの高さに両岸の岩場へ吊桁を直接渡すというものは当時の橋梁建設としては画期的なものだったようです。橋は1984年に修復され吊桁部分が取り替えられましたが橋面は建設当時のままです。

  • 再集合の時間まで急げば「マリエン橋」まで行けそうなので1人で行くことにしました。妻はすでに諦めてしまい、先に下まで降りることにしました。

    再集合の時間まで急げば「マリエン橋」まで行けそうなので1人で行くことにしました。妻はすでに諦めてしまい、先に下まで降りることにしました。

  • 先ほど周囲を眺めたテラスはずいぶんと高い位置にあったのだと分かります。

    先ほど周囲を眺めたテラスはずいぶんと高い位置にあったのだと分かります。

  • 「古きドイツの騎士城の真の姿」というルートヴィヒ2世のコンセプトのもと、ロマネスク様式や後期ゴシック様式などの歴史主義、折衷主義に基づいて建設された19世紀の当時の最新技術を駆使して建設された煉瓦造りの城です。

    「古きドイツの騎士城の真の姿」というルートヴィヒ2世のコンセプトのもと、ロマネスク様式や後期ゴシック様式などの歴史主義、折衷主義に基づいて建設された19世紀の当時の最新技術を駆使して建設された煉瓦造りの城です。

  • 森の木々が落葉している姿は寒々しいですが、その分城の姿は美しく見せています。

    森の木々が落葉している姿は寒々しいですが、その分城の姿は美しく見せています。

  • かなりの速足で歩いていますが、舗装された道路なのでどんどん先へ進めます。高度が上がってくるとまた違った姿の城を望むことが出来ます。

    かなりの速足で歩いていますが、舗装された道路なのでどんどん先へ進めます。高度が上がってくるとまた違った姿の城を望むことが出来ます。

  • 途中には展望台のような場所もあり、日差しが反射するアルプ湖がきれいに見えました。30分後にはあの湖畔近くまで戻らなければなりません。

    途中には展望台のような場所もあり、日差しが反射するアルプ湖がきれいに見えました。30分後にはあの湖畔近くまで戻らなければなりません。

  • 「ホーエンシュヴァンガウ城」もまた違った角度の姿を見せています。母もこの坂道を登っているのは残った写真からも分かっているので感慨深いものがあります。残念ながら息子はこの城の見学をすることは出来ません。

    「ホーエンシュヴァンガウ城」もまた違った角度の姿を見せています。母もこの坂道を登っているのは残った写真からも分かっているので感慨深いものがあります。残念ながら息子はこの城の見学をすることは出来ません。

  • この看板が見えれば橋まではすぐです。ここまで来るバスもあるようでしたが、詳しくは分かりませんでした。

    この看板が見えれば橋まではすぐです。ここまで来るバスもあるようでしたが、詳しくは分かりませんでした。

  • 橋についての案内板もありました。

    橋についての案内板もありました。

  • 15分ほどで「マリエン橋」までたどり着きました。同じツアーの方々の多くもここまで来られていました。

    15分ほどで「マリエン橋」までたどり着きました。同じツアーの方々の多くもここまで来られていました。

    マリエン橋 建造物

  • この風景を見てしまうと妻を連れてきてあげたかったなと思います。ただ母が来た頃よりも現在の妻の方が年を重ねているので仕方無いかもしれません。

    この風景を見てしまうと妻を連れてきてあげたかったなと思います。ただ母が来た頃よりも現在の妻の方が年を重ねているので仕方無いかもしれません。

  • 青空に浮かぶ「ノイシュバンシュタイン城」は12月の弱弱しい夕日を浴びて見る者を感傷的にさせるようです。

    青空に浮かぶ「ノイシュバンシュタイン城」は12月の弱弱しい夕日を浴びて見る者を感傷的にさせるようです。

  • 残念ながらゆっくりしている時間は無いので息を整えたところで麓に戻ることにします。この時に登ってくる添乗員さんとすれ違いました。

    残念ながらゆっくりしている時間は無いので息を整えたところで麓に戻ることにします。この時に登ってくる添乗員さんとすれ違いました。

  • 城は中世の様式をしていますが19世紀の産業革命以降に建設された比較的新しい建物で、石造りではなく鉄骨コンクリート造であることも特徴です。

    城は中世の様式をしていますが19世紀の産業革命以降に建設された比較的新しい建物で、石造りではなく鉄骨コンクリート造であることも特徴です。

  • この城の屋根には騎士の像が立っている箇所があります。「ノイシュバンシュタイン城」は全体の建設イメージが騎士の城であるため、その装飾も騎士道精神を象徴するものが取り入れられています。

    この城の屋根には騎士の像が立っている箇所があります。「ノイシュバンシュタイン城」は全体の建設イメージが騎士の城であるため、その装飾も騎士道精神を象徴するものが取り入れられています。

  • ルートヴィヒ2世の死により城の建設は志半ばで中断されたままですが、外観は完成にされていて良かったと思います。

    ルートヴィヒ2世の死により城の建設は志半ばで中断されたままですが、外観は完成にされていて良かったと思います。

  • 何とかギリギリに戻れそうです。

    何とかギリギリに戻れそうです。

  • ギリギリなのは分かっていますが、途中に展望台があるとついつい立ち寄ってしまいます。ここで同じツアーの北海道からのご夫婦がいらしたので少し安心しました。

    ギリギリなのは分かっていますが、途中に展望台があるとついつい立ち寄ってしまいます。ここで同じツアーの北海道からのご夫婦がいらしたので少し安心しました。

  • 妻は下りの馬車に乗ったのだろうかと思っていると、ここでも同じツアーの仲良しの女性2人がいらっしゃいました。馬車に乗って時間に間に合うか尋ねられましたが、どう考えても間に合わなさそうなので一緒に下り坂を歩きました。

    妻は下りの馬車に乗ったのだろうかと思っていると、ここでも同じツアーの仲良しの女性2人がいらっしゃいました。馬車に乗って時間に間に合うか尋ねられましたが、どう考えても間に合わなさそうなので一緒に下り坂を歩きました。

  • 登ってくる馬車はやはり馬もしんどそうで歩みも遅く見えます。急いで降ったのですが、集合場所には後ろにいると思った添乗員さんが待っていたのにはびっくりしました。

    登ってくる馬車はやはり馬もしんどそうで歩みも遅く見えます。急いで降ったのですが、集合場所には後ろにいると思った添乗員さんが待っていたのにはびっくりしました。

  • 長年の夢ともこれでお別れです。

    長年の夢ともこれでお別れです。

  • 城の背後にそびえる1591メートルの「エルペレスコップ/Älpeleskopf」には雪が見えています。これからどんどん寒くなって雪も降るのでしょう。

    城の背後にそびえる1591メートルの「エルペレスコップ/Älpeleskopf」には雪が見えています。これからどんどん寒くなって雪も降るのでしょう。

  • 雪の積もった牧草地を走り抜けて、この日最後の「ヴィースの巡礼教会/Wieskirche」に向かいます。

    雪の積もった牧草地を走り抜けて、この日最後の「ヴィースの巡礼教会/Wieskirche」に向かいます。

  • 妻は買ってもらったノイシュバンシュタイン限定のフェイラーのタオルハンカチが気に入ったようです。フェイラーの創業はここからもあまり遠くない「ホーエンベルク/Hohenberg」です。

    妻は買ってもらったノイシュバンシュタイン限定のフェイラーのタオルハンカチが気に入ったようです。フェイラーの創業はここからもあまり遠くない「ホーエンベルク/Hohenberg」です。

  • 夕焼け空になったことにようやく「ヴィースの巡礼教会」に到着しました。

    夕焼け空になったことにようやく「ヴィースの巡礼教会」に到着しました。

  • 午後4時30分到着で教会は午後5時までしか開いていないのでギリギリの観光です。

    午後4時30分到着で教会は午後5時までしか開いていないのでギリギリの観光です。

    ヴィース教会 寺院・教会

  • 1745年から1754年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建てられた内装のロココ装飾によって著名な教会です。

    1745年から1754年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建てられた内装のロココ装飾によって著名な教会です。

  • 1738年にある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したといいます。教会ではこれを奇跡とは認定しませんでしたが、この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになりました。

    1738年にある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日このキリストの像が涙を流したといいます。教会ではこれを奇跡とは認定しませんでしたが、この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになりました。

  • 1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移しましたが、巡礼者は増える一方でした。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会です。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年でした。

    1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移しましたが、巡礼者は増える一方でした。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1746年から建造されたのがこの教会です。1754年に献堂式が行われ、最終的に完成したのは1757年でした。

  • 設計はドイツ・ロココ様式の完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていましたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移して亡くなるまでこの教会を見守り続けました。

    設計はドイツ・ロココ様式の完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていましたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移して亡くなるまでこの教会を見守り続けました。

  • 外観は牧場の中に建つ非常に質素な教会ですが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられています。

    外観は牧場の中に建つ非常に質素な教会ですが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられています。

  • 東側の二本柱の間には左側に説教壇、右側に修道院長席があります。他の二本柱の間には、教父たちの4人の実物より大きなヒエロニムス、アンブロシウス、アウグスティヌス、グレゴリウス大王も像が配置されています。これらはチロルの彫刻家アントン・シュトゥルムによる晩年の作品です。

    東側の二本柱の間には左側に説教壇、右側に修道院長席があります。他の二本柱の間には、教父たちの4人の実物より大きなヒエロニムス、アンブロシウス、アウグスティヌス、グレゴリウス大王も像が配置されています。これらはチロルの彫刻家アントン・シュトゥルムによる晩年の作品です。

  • 柱の間には多数の窓が設置されています。部屋が光で満たされているように設計されていますが、冬の午後5時前では太陽光線が差し込まず、天井のフレスコ画まで光は届きません。

    柱の間には多数の窓が設置されています。部屋が光で満たされているように設計されていますが、冬の午後5時前では太陽光線が差し込まず、天井のフレスコ画まで光は届きません。

  • 教区ホールの上の天井画はトロンプ・ルイユと呼ばれる騙し絵のフレスコ画では、虹の上で世界の裁判官としてイエスが座り、十字架と脇腹の傷を指し示しています。

    教区ホールの上の天井画はトロンプ・ルイユと呼ばれる騙し絵のフレスコ画では、虹の上で世界の裁判官としてイエスが座り、十字架と脇腹の傷を指し示しています。

  • フレスコ画には西側に施錠された天国の門があり、その前に時間の神クロノスが倒れ、東側には世界の裁判官の空の玉座が描かれています。炎の剣、冠、ヤシの葉が玉座の上に描かれ、玉座の両側には開かれた本を持つ天使たちがいます。天の虹の下には大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエル、そしてマリアがいます。長辺には使徒たちが雲の上に陣を張り、天使たちが音楽を演奏し礼拝しながら浮かび上がり、他の天使たちは地球儀や十字架を持ってきます。

    フレスコ画には西側に施錠された天国の門があり、その前に時間の神クロノスが倒れ、東側には世界の裁判官の空の玉座が描かれています。炎の剣、冠、ヤシの葉が玉座の上に描かれ、玉座の両側には開かれた本を持つ天使たちがいます。天の虹の下には大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエル、そしてマリアがいます。長辺には使徒たちが雲の上に陣を張り、天使たちが音楽を演奏し礼拝しながら浮かび上がり、他の天使たちは地球儀や十字架を持ってきます。

  • 門の下に置かれたオルガンは1757年にヨハン・ゲオルク・ヘルテリッヒによって造られた機械式で、南ドイツ・オーストリアの伝統に倣った短いオクターブを持つ23段のスライダー式シャッターオルガンです。

    門の下に置かれたオルガンは1757年にヨハン・ゲオルク・ヘルテリッヒによって造られた機械式で、南ドイツ・オーストリアの伝統に倣った短いオクターブを持つ23段のスライダー式シャッターオルガンです。

  • 3本の赤と白の漆喰大理石の柱が祭壇を縁取っています。正面の柱の前にはエギド・フェルヘルストによって制作された金箔装飾の四福音書記者の漆喰像があります。

    3本の赤と白の漆喰大理石の柱が祭壇を縁取っています。正面の柱の前にはエギド・フェルヘルストによって制作された金箔装飾の四福音書記者の漆喰像があります。

  • 豪華に金箔が施された額縁の祭壇画には聖なる氏族、すなわち幼子イエスが家族の中にいる様子が描かれています。この作品はミュンヘンの宮廷画家バルタザール・アウグスティン・アルブレヒトによって制作されました。

    豪華に金箔が施された額縁の祭壇画には聖なる氏族、すなわち幼子イエスが家族の中にいる様子が描かれています。この作品はミュンヘンの宮廷画家バルタザール・アウグスティン・アルブレヒトによって制作されました。

  • 祭壇画にはイエス・キリストの象徴である神の子羊が天使たちに囲まれてランブレキンの天蓋の下に置かれています。

    祭壇画にはイエス・キリストの象徴である神の子羊が天使たちに囲まれてランブレキンの天蓋の下に置かれています。

  • 祭壇の聖櫃の上には鎖に縛られた鞭打たれた救い主が見られます。この奇跡の像は、渦巻き模様で縁取られた壮麗な金箔のケースに収められています。その上にはペリカンがあり、これはキリストが自らを犠牲にする象徴です。

    祭壇の聖櫃の上には鎖に縛られた鞭打たれた救い主が見られます。この奇跡の像は、渦巻き模様で縁取られた壮麗な金箔のケースに収められています。その上にはペリカンがあり、これはキリストが自らを犠牲にする象徴です。

  • ペリカンは雛に餌を与えられないと自らの胸を裂いて血を与えるという伝説がバロック時代から伝えられました。ペリカンが子のために自らを犠牲にする姿を十字架の上で世界をすくうために血を流したイエスに重ね合わせています。

    ペリカンは雛に餌を与えられないと自らの胸を裂いて血を与えるという伝説がバロック時代から伝えられました。ペリカンが子のために自らを犠牲にする姿を十字架の上で世界をすくうために血を流したイエスに重ね合わせています。

  • 説教壇はドミニクス・ツィンマーマンのデザインに基づき、おそらくポンティアン・シュタインハウザーによって造られたと考えられています。覆われた彫刻は神学的美徳の信仰の寓意である十字架と聖杯、聖体、愛と希望(錨)です。

    説教壇はドミニクス・ツィンマーマンのデザインに基づき、おそらくポンティアン・シュタインハウザーによって造られたと考えられています。覆われた彫刻は神学的美徳の信仰の寓意である十字架と聖杯、聖体、愛と希望(錨)です。

  • 天使たちは4人のラテン教父の特徴を示しています。左側にいる天使は聖アンブロシウス、右側の天使は聖アウグスティヌスのための燃える心臓と司教杖、ティアラ、書物、教皇十字架はグレゴリウス大王を表す天使、ライオンと枢機卿の帽子は聖ヒエロニムスを表しています。説教壇の頂上の天使はモーセに十戒の銘板を示しています。

    天使たちは4人のラテン教父の特徴を示しています。左側にいる天使は聖アンブロシウス、右側の天使は聖アウグスティヌスのための燃える心臓と司教杖、ティアラ、書物、教皇十字架はグレゴリウス大王を表す天使、ライオンと枢機卿の帽子は聖ヒエロニムスを表しています。説教壇の頂上の天使はモーセに十戒の銘板を示しています。

  • 北翼廊の祭壇にはヨハン・ゲオルク・ベルクミュラーによるイエスとマグダラの祭壇画が納められています。両側には聖人たちが掲げられ、左側に聖マグダラ、右側にマルガレット・デ・コルトーナが立っています。南翼廊の祭壇にはヨセフ・マゲスによる「キリスト否認」の祭壇画が納められています。聖人は左側に聖ノルベール、右側にクレルヴォーの聖ベルナールです。

    北翼廊の祭壇にはヨハン・ゲオルク・ベルクミュラーによるイエスとマグダラの祭壇画が納められています。両側には聖人たちが掲げられ、左側に聖マグダラ、右側にマルガレット・デ・コルトーナが立っています。南翼廊の祭壇にはヨセフ・マゲスによる「キリスト否認」の祭壇画が納められています。聖人は左側に聖ノルベール、右側にクレルヴォーの聖ベルナールです。

  • ツアーの皆さんの最後に教会への寄付と冊子を買い求めて表に出ると美しい夕焼けの空が見えました。

    ツアーの皆さんの最後に教会への寄付と冊子を買い求めて表に出ると美しい夕焼けの空が見えました。

  • まさに落日のタイミングでほんの数秒で空が青く変化していきます。居合わせたドイツ人のおじさんとおばさんと思わず目を合わせました。言葉を交わさなくても感じていたことは同じだったと思います。

    まさに落日のタイミングでほんの数秒で空が青く変化していきます。居合わせたドイツ人のおじさんとおばさんと思わず目を合わせました。言葉を交わさなくても感じていたことは同じだったと思います。

  • バロックからロココスタイルの外壁は元々薄いピンク色ですが、夕日を浴びて余計に色が濃くなったように思えました。

    バロックからロココスタイルの外壁は元々薄いピンク色ですが、夕日を浴びて余計に色が濃くなったように思えました。

  • ヨーロッパの観光バスは階段がきついので乗り降りするだけで妻は疲れています。

    ヨーロッパの観光バスは階段がきついので乗り降りするだけで妻は疲れています。

  • 充実した「ノイシュバンシュタイン城」と「ヴィースの巡礼教会」が終わり、バスはこの日宿泊する「フュッセン/Füssen」の町へ向かいます。まだまだ長い1日は終わりません。

    充実した「ノイシュバンシュタイン城」と「ヴィースの巡礼教会」が終わり、バスはこの日宿泊する「フュッセン/Füssen」の町へ向かいます。まだまだ長い1日は終わりません。

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