2025/06/21 - 2025/06/21
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第六回歩いて巡拝知多四国の最初の札所、十三番札所安楽寺は、熊野神社の社頭から左に2分もあれば門前に至ります。
阿久比駅から炎天下の中、ひたすら3.3km歩いて辿り着く最初の札所。
大きな木陰がここまでの火照った体を優しく冷ましてくれます。
安楽寺も熊野神社同様に門前に福山川が流れ、山門へは安楽橋を渡り参詣する事になります。
十四番札所 圓通山 興昌寺はここから福山川を少し下った右側に鎮座します。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
第六回歩いて巡拝知多四国の最初の札所、十三番札所安楽寺は、熊野神社の社頭から左に2分もあれば門前に至ります。
門前には大きなクスとイチョウが聳えており、この二本の巨樹が安楽寺のシンボルツリーだ。 -
門前全景。
阿久比駅から炎天下の中、ひたすら3.3km歩いて辿り着く最初の札所。
大きな木陰がここまでの火照った体を優しく冷ましてくれます。
安楽寺も熊野神社同様に門前に福山川が流れ、山門へは安楽橋を渡り参詣する事になります。 -
山門は切妻瓦葺で、丸柱二本と、その前後に角柱二本の控え柱を配した四脚門です。
木鼻などの意匠は簡素で落ち着いた印象を与えます。 -
門の右に鎮守社と二体の石仏を安置します。
-
門の左の板嶺山安楽寺の由緒。
「板嶺山安楽寺は曹洞宗で、本尊は「無量寿如来」である。
寺伝によると、文禄2年(1593)に洞雲院二世 久山昌察大和尚を開山として創建された。
慶安元年(1648)現在地に堂宇を移し、今日に至っている。
現在の本堂は、江戸時代の慶安・享保・文化年間の三度の改築を経て、昭和57年(1982)9月に建立されたものである。
本堂の西隣には「聖観音」をまつった観音堂がある。
この本尊は、9年に一度の開帳の時にしか目にすることができない秘仏である。
境内の地蔵堂には、耳の遠い人が穴のあいた柄杓を供え、お祈りをするとよく耳が聞こえるようになるといわれている「天台地蔵」が安置されている。
明治(1868-1912)・大正(1912-1926)時代には、三河地方や伊勢方面の地名のある柄杓をよく見られたといわれている。
知多四国八十八か所霊場の第13番札所になっている。
阿久比町教育委員会」 -
山門から正面に見える観音堂の眺望。
山門は平成17年(2005)に建立されたもので、山号額には「板嶺山」と記されている。 -
境内右から本堂、観音堂の眺め。
昭和57年(1982)に最新工法で作られた、入母屋造の瓦葺の本堂で、無量寿如来を本尊とします。
左の観音堂は木造瓦葺の入母屋造で秘仏聖観音像が祀られています。 -
本堂のお前立。
-
観音堂(右)と太子堂全景。
左の太子堂は入母屋妻入りのコンクリート造で本堂と同時期に建て替えられたように見受けられます。 -
こちらは観音堂内の眺め。
お前立や眷属は写りはしたが、不鮮明で何がなんやら分からない。 -
知多四国霊場第十三番札所安楽寺太子堂。
向拝の下で弘法大師が迎えてくれます、堂内は近寄れる状況ではありませんでした。 -
境内南の鐘楼と方形屋根の建物は経蔵だろうか。
-
経蔵には大正5年(1916)に書かれた「尾張國知多郡 新四國開創由緒」と当時の札所案内図が掲げられています。
文化6年、亮山阿闍梨と岡戸半蔵行者、武田安兵衛行者により形作られた知多四国霊場。
四国八十八ヶ所霊場の「写し霊場」として始まりながらも、地域の地形・信仰・交通事情に応じて独自の発展を遂げてきました。
特に三開祖の尽力と、地域住民の協力によって築かれた霊場は、単なる模倣ではなく、知多半島の文化と信仰の核として根付いています。
現在では、巡礼が信仰だけでなく観光・健康・地域交流の手段としても機能しており、知多四国霊場は時代を超えて人々を惹きつけています。 -
いたやまの みだにまいれば まつがえおとなふかぜも ねんぶつのこえ
さて次の十四番札所興昌寺は福山川沿いを500㍍ほど下った右側になります。
第六回歩いて巡拝 知多四国 十三番札所 板嶺山 安楽寺
宗派 / 曹洞宗
開山 / 久山昌察大和尚
開創 / 文禄2年(1593)
本尊 / 無量寿如来
所在地 / 知多郡阿久比町板山川向21
熊野神社から安楽寺 / 西に0.1km、約2分程
参拝日 / 2025/6/21 -
十三番札所安楽寺から、福山川右岸を500㍍ほど下れば、右手に知多四国 十四番札所興昌寺が見えてきます。
陽射しを遮るものの無い福山川沿い、小さな川が流れているだけで暑さも和らいで感じる。
草むらの先に見えてくる瓦葺の建物が目的地になります。 -
山門前の駐車場付近で見かけた八丁石。
1丁は109㍍、ここから872㍍先が次の十四番札所洞雲院を示すのだろうが、Gマップでは優に1kmを越えるのだが、名鉄河和線が敷設される以前は八丁で行けたのだろう。 -
興昌寺伽藍全景。
以前は山門の左に岡戸半蔵行者像を安置する開山堂があったが、老朽化に伴い堂は解体、岡戸半蔵行者像は現在弘法堂内に安置されています。
【岡戸半蔵行者】
安楽寺の「尾張國知多郡 新四國開創由緒」にも記載されている。
宝暦2年(1752)興昌寺が鎮座する福住村に生まれる。
妻子に先立たれ、発心して諸国遍歴の旅に出た、そして文政2年(1819)、四国遍路の最中の妙楽寺住職亮山阿闍梨に出会い、霊場開創の大願に感銘し、私財を投げ打ち知多四国霊場の開創に尽力し、文政7年(1824)知多新四国霊場開創と同じ年に誓海寺禅林堂にて没した。
福住の地には岡戸半蔵行者に因んだ蔵田・半蔵屋敷の地名が今も残っています。 -
【圓通山興昌寺】解説。
「圓通山興昌寺は寺伝によると「今川勢の家臣 岡戸祢宜左衛門が永禄3年(1560)、桶狭間の戦いの後、福住に住み、知多郡東浦町緒川にある曹洞宗の乾坤院四世 亨隠慶泉大和尚を拝請し、開山した」といわれている。
現在も乾坤院の末寺で、本尊は「華厳釈迦牟尼如来座像」である。
興昌寺の門前には、福住出身者の岡戸半蔵の像が行者堂にまつられている。
岡戸半蔵は、文政2年(1819)に四国霊場巡拝の途中、知多市古見の妙楽寺十三世亮山和尚と出逢い、香川県の行者、武田安兵衛らと共に、知多四国八十八所霊場の開設に全力を尽くした。
知多地方の寺々に弘法大師像を奉安し、文政7年(1824)念願がかない、開設に至った。
敷地内には、福住出身者で尾張藩校明倫堂の最後の教授であった大村橘三郎楚山(1843~1907)のお墓がある。阿久比町教育委員会」
【阿久比町誌 資料編(1994)】は興昌寺沿革を以下のように纏めています。
興昌寺は曹洞宗に属し、東浦町緒川の乾坤院末寺である。
『張州雑志』(天明8年=1788)によると「福住山興昌寺、曹洞宗属緒川村乾坤院二、本尊釈迦作不知、常一宇三十三所観音、
開基瑶山王公 天正二甲戌十月朔日朔寂、開山不詳」とある。
『尾張向行記』(文政5年=1822)によれば「興昌寺、府志日、在福住村、号福住山、曹洞宗、 属緒川村乾坤院
○覚書二此寺へ僧瑶山玉公ノ開基也、天正2甲戌年12月歿ス、境内観音堂享保11丙午年創建ス」と記されている。
また、『知多土産』(安政4年=1857)には「興昌寺新四国十四番福住山といひて、創建年月日詳ならず、中頃一たび廃せしを宝暦13未年再建したり。
本尊釈迦の座像、鎮守白山社観音堂あり。
又、当所の氏神ハ此寺の扣ニテ神躰ハ翁假面なり、もと今川家の浪人三州牛窪の岡戸祢宜左衛門といへる士、当所に来り住しが、子孫数家ニなりて、今猶連綿たり、此祢宜左衛門ある時海中より、此面を得たるが是龍宮城より授いう所ならんと持帰りて神にあがめたるハ、後当寺に寄附したりしを中興鱗堂、享保18年9月社内江納め神体とせり、日照りに此面を洗へハ忽ち雨ふる事、古今かハらず」とある。
寺伝によると桶狭間の戦(永禄3年=1560)5月19日、織田信長が今川義元を奇襲し首級をかかげた時、今川勢の部下岡戸祢宜左衛門が福住に住み、亨隠慶泉大和尚をむかえて開山したといわれている。
また、文献に山号は「福住山」とあり、「圓通山」に改めたのは明治初期である。 -
上が圓通山興昌寺伽藍配置。
阿久比町誌が編纂された1994年当時には、山門に行者堂が建っていたようですが、現在は取り壊され存在せず、岡戸半蔵行者像は境内左の弘法堂に安置されています。 -
写真左が岡戸半蔵行者像で右が本尊の釈迦牟尼如来座像で『張州雑志』では作者は不明とされています。
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山門の先の境内で聖観世音菩薩像が出迎えてくれる。
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本堂。
銅葺屋根の入母屋平入で、昭和35年までの本堂は茅葺屋根の趣のある建物でしたが、子供らの花火により焼失し建替えられたもの。
これを契機に村の雑貨屋の店頭から花火は消えたという。 -
本堂内陣の眺め。
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右の観音堂は享保11年(1726)に建造された入母屋瓦葺の建物。
左の重層屋根の建物が十四番札所弘法堂。 -
写真は観音堂に架けられていた「観世音」の奉納額。
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写真は弘法堂の左の間に安置されている賓頭盧尊者像。
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のりのかぜ ふくすみわたる こうしょうじ すえのよまでも りやくのこせり
第六回歩いて巡拝 知多四国 十四番札所 圓通山 興昌寺
宗派 / 曹洞宗
開山 / 亨隠慶泉大和尚
開基 / 瑶山玉公首座
本尊 / 釈迦牟尼仏
所在地 / 知多郡阿久比町福住東脇10
安楽寺から興昌寺 / 福山川右岸を下流へ0.5km、約7分ほど
参拝日 / 2025/6/21
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