2025/04/19 - 2025/04/19
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瑞境寺から美浜町野間松下に鎮座する五十二番番札所密蔵院は、北へ300㍍程の位置になります。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
瑞境寺から美浜町野間松下に鎮座する五十二番番札所密蔵院は、北へ300㍍程の位置になります。
田んぼ沿いに北に進むと、その先に鮮やかな朱の門を構えた密蔵院が見えてきます。 -
白壁と朱の薬医門が印象的な五十二番札所密蔵院の伽藍全景。
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密蔵院 沿革
「当院は、白河天皇の勅願寺「大御堂寺」の一山十四坊の一つとして、「宝乗坊」と号し、学頭職を勤めていた。
一山は建久元年(1190)、源頼朝公により、父義朝公の菩提のために創建された。
慶長16年(1611)、大御堂寺一山は徳川家康公より250石を受け、そのうち当院は25石を拝領した。
堂宇は度々兵火に焼かれ、本堂は慶安年間(1648年頃)に再建された。
江戸時代の宝暦年間(1751年頃)、現在の「密蔵院」と改称した。
現在の本堂、弘法堂、山門は平成10年(1998)に新築された。
本尊の不動明王は、鎌倉期の作である。」
本尊の不動明王は盗難除けのご利益があるとされます。
知多郡史に目を通しましたが沿革以上の記述はみられなかった。 -
朱の薬医門から境内に入った先の手水鉢。
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境内右から本堂、太子堂全景。
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本堂に掲げられている「鶴林山」の山号額と、堂内に火炎光背のシルエットの不動明王の眺め。
寺紋は二つの輪が重なる輪違いと呼ばれるもの。 -
太子堂。
厨子の中の弘法大師の姿がうす暗い堂内に浮き上がっている。 -
十王像。
愛嬌のある表情の像は製作年代は不明、美浜町文化財一覧には名がなかった。 -
門正面の石段の脇には鎮守社が祀られ、石段の先には舵取り観音へ続いています。
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石段下から仰ぎ見る「舵取り観音堂」。
右手には一艘の船を収めた覆屋と左手に役行者の祠が建てられています。 -
観音堂内の眺め。
右膝を立てて坐り頬杖をつく如意輪観音の姿が見られます、本尊の舵取り観音はその奥に安置されているのだろう。 -
観音堂左の役行者の祠。
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右手に「かじとり観音昭和霊験記」と一艘の木造救命艇。
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かじとり観音昭和霊験記。
「野間の里は千石船の昔より船と共に栄えてきた。
明治以後もこの伝統に継承され、数多くの船長や高級船員が輩出した。
これらの船員の生命の安全をお護りしたのが、当山にお祭りしてある海上出現の如意輪観音様であった。
昼夜の別なく参詣があり、そのため赤門は一度として閉じられる事はなかった。
第二次世界大戦末期の昭和19年7月18日。
中村汽船所の御用船「第十雲海丸」は小笠原近落で米機の爆撃を受け沈没した。
吉田船長以下七名は、一週間分の食料と水を用意して救命艇で脱出した。
日本本土まで一千キロメートル、観音様の信者であった船長を始め乗組員たちは、果てしない洋上で「南無観音菩薩」と唱えながら必死に漕いだ。
実に三十数日間の漂流した。
観音様のお加護があって、日本近海を北上している強い黒潮の流れを突破し、狭い伊勢湾の入口へと見事に入った。
更に不思議なことに、船長の家があった野間の沖で、一昼夜も漂っていた。
仮死状態で救助された七名は、出来る限りの手当を受けたが、一名は間もなく死亡した。
他の六名と話せるようになったのは、救助されてから三日目であった。
戦時中のことで、この信じ難い奇跡も限られた者だけが知るのみで公表されないまま終戦を迎え、今日に至ったのでここに霊験記を記す。
昭和47年11月
生存者
船長 吉田富次郎
乗組員 原口清見・盛口哲雄・小西哲一・倉田良夫・森川栄一・上床哲夫
世話をした人々 役場兵事係・森田進・一色区 在郷軍人・婦人会」
この覆屋の後ろから上に向かって道が伸びています。
源頼朝が上洛の際、野間に立ち寄り、父義朝を殺した長田父子を松の木に磔にして処刑したという「磔の松」に続きます。 -
五十二番札所 鶴林山 密蔵院
宗派 / 真言宗
創建 / 建久元年(1190)
開基 / 源頼朝
本尊 / 不動明王
境内社 / 稲荷社
所在地 / 知多郡美浜町野間松下105
参拝日 / 2025/04/19
瑞境寺から密蔵院徒歩ルート / 瑞境寺から北へ300㍍、約5分 -
先に掲載した密蔵院、そこから西に5分も歩けば五十三番札所鶴林山安養院の門前に至ります。
第4回の梵字カードはこちらで配布されていました。
左に「真言宗豊山派 安養院」寺標、右手に沿革が立てられています。
当日はボランティアの方がみえ、みちびき地蔵、せき地蔵が霊験あらたかなのでお参りを盛んに勧められました。 -
安養院沿革
「当院は白河天皇初定の大御堂寺一山の一院で南ノ坊と称し、江戸時代に安養院と改称。
明治になり、意雲院、圓明院、 龍松院を合併し現在に至る。
本尊は中心に阿弥陀如来、両脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた弥陀三尊仏である。
この地で源義朝公と共に無念の最後を遂げられた第一の郎党、鎌田政清の次男政直が父の菩提を弔う為の念持仏である。
降って天正11年(1583)、織田信長公が三男、三七信孝公は、羽柴秀吉との跡目争いに破れ野間の地に敗走し当院にて自刃。
根の内にその生涯を終えられた。」
?
ここには創建等記されていないが、別の沿革には以下のように記されています。
「真言宗豊山派 鶴林山 安養院
知多四国第53番、開運七ヶ寺第6番
創立 永暦年中白河天皇の発願で建立(大御堂寺 中ノ一院)された一院で、建久元年(1190)源頼朝公光考菩提のため創建。
本尊
阿弥陀如来、観世音菩薩、勢去菩薩(藤原期の作)
せき地蔵菩薩 霊験あらたかなり
史跡
織田信長の三男、三七郎信孝は、羽柴秀吉と再度の戦に敗れ、天正11年(1583)5月2日当院にて自刃。
復元された信孝自刃の間、自刃に用いた短刀、血染めの軸、自生の一首「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
織田有楽斎(1547-1622)の書状」
信孝の一首はとても深い意味を持っており、前回の密蔵院の「磔の松」は頼朝が父義朝を殺した長田忠致を処刑した曰くのある場所。
最後の一首はそこを引用し、「秀吉よ、お前もやがて報いが訪れる」と強烈な怨念が込められている。
信孝は自刃の際、自らの内臓を引っ張り出し投げ出したとされ、血染めの軸はその際に出来たものという。
いずれも非公開のようですが、ここには信孝の思いが残っている。 -
安養院手水鉢と水かけ地蔵。
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境内全景。
伽藍は右手に庫裏と正面の本堂、左の間が所謂大師堂で、左手に地蔵尊を安置する地蔵堂が主な伽藍。
写真左がみちびき地蔵。 -
本堂全景。
伽藍の中のどこが自刃の間にあたるのか、その場所は積極的に公開していないようです。
知多半島は弘法大師所縁の地であると共に、平安時代の頼朝や安土桃山時代の信孝など、所縁のある土地柄である事が分かります。 -
本堂の中央の間全景。
「無量光殿」の額の先に本尊の阿弥陀如来を安置する。 -
左の間全景。
ここが所謂大師堂で、手前の木製の数珠を引くと上の滑車に数珠が当たり乾いた音を奏でる。 -
境内左の地蔵堂。
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梁には古びた鰐口とその先に二体の龍の透かし彫りが施されている。
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堂内中央のせき地蔵。
せき地蔵というだけに、咳や喘息などに御利益のある「お石」や「お地蔵様ののど飴」など販売されています。 -
のまのつき みればこころの ますかがみ おのがじょうどは いかでくもらん
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今回頂いた梵字カードは薬師如来。
三回・四回と二回連続金のカードは出現せず、出現率はまた下がって行った。
五十三番札所 鶴林山 安養院
宗派 / 真言宗
開基 / 白河天皇
建立 / 永暦年中(1160-1161)
創建 / 建久年間(1190-1199)
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 知多郡美浜町野間東畠ケ90-1
参拝日 / 2025/04/19
密蔵院から安養院徒歩ルート / 密蔵院から西へ250㍍、約5分
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