2025/05/23 - 2025/05/23
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第五回歩いて巡拝知多四国(後開催)。
5月17日の本開催当日の天気予報は雨模様。
23日の平日に後開催のコースマップで22番札所大日寺から23番札所蓮華院・24番札所徳正寺・25番札所円観寺と番外札所葦航寺の五カ所の札所を巡拝する8.5Kmのコースを歩いてきました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
-
第五回歩いて巡拝知多四国(後開催)。
5月17日の本開催当日の天気予報は雨模様。
23日の平日に後開催のコースマップで22番札所大日寺から23番札所蓮華院・24番札所徳正寺・25番札所円観寺と番外札所葦航寺の五カ所の札所を巡拝する8.5Kmのコースを歩いてきました。
上が後開催のコースマップ。
コースは25番札所円観寺から番外札所 葦航寺の移動は電車となっていますが私たち二人は徒歩移動です。 -
スタートは名鉄河和線知多武豊駅。
こちらの駅でコースマップを手に入れ歩きはじめます。
後開催なので今回の梵字カードはロストかぁと思いきや、本開催の残りがあれば配布してもらえるようでした。
現在の武豊町は明治22年に長尾村と大足村が合併してできた町で、町名の由来が長尾村の氏神「武雄神社」と大足村の氏神「豊石神社」の頭文字を一字ずつ取って名付けられたという。 -
10:45、知多武豊駅前から線路沿いに北に向かい、1㌔ほど先の武豊町ヱケ屋敷に鎮座する22番札所 御嶽山 大日寺を目指します。
-
知多武豊駅前から徒歩15分程で22番札所 御嶽山 大日寺山門に到着。
平日なのでイベント開催日の賑わいもなく、人の映り込みを気にしなくてもいい。 -
薬医門から境内の眺め。
御嶽山大日寺の宗派は西山浄土宗で本尊は大日如来。
浄土宗のお寺で本尊は大日如来、どこかの時点で真言宗から改宗されているのかもしれません。
境内に沿革が見当たらず、web「知多四国・・・」には以下のようにある。
「本尊 大日如来、開山 正空志芳上人、開基 行基菩薩。
本尊の大日如来は、元々は御嶽山光照院に奉安されていた、天文年間(1532~1554)の戦乱から逃れるため、大日池に埋められた。
明暦年間(1655~1657)、大日池を工事している際に発見され、その後大日如来の夢告により、大日寺に移された。」というもの。
残念なのが引用元が言及されておらず、確かめる術がない。
尾張徇行記(海西郡・知多郡之部)の長尾村、大足村に目を通したが、現在の大日寺についての記述はなく、「大日堂」として見ることができる。
しかし内容は創始年代不明とあるだけで詳細に触れられていなかった。
尾張徇行記の編纂が1792~1822とされ、知多四国霊場が開創されたのが1800年代とされるので、開創前の視点で書かれているだろう。
その後の尾張名所図会、尾張志、知多郡史などから大日堂、光照院、大日寺として目を通すも、web情報の記述に結びつくものが見られなかった。
webの沿革はどれも同じ内容で統一されており、引用元や寺伝に辿り着けない自分に問題があるのかもしれない。
国立国会図書館で公開されていない「武豊町誌」に腑に落ちる内容が書かれているのかもしれない。
開基が行基菩薩(668-749)といわれているので、創建が飛鳥、奈良時代と長い歴史を持つその寺が創始年代不明としか記されないは意外でもある。 -
境内から薬医門と手水舎の眺め。
-
その先のびんころ地蔵(右)とみたけ観音(左)。
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薬医門から本堂・庫裏の眺め。
本尊の大日如来は、もとは桓武天皇の勅願寺として創建された御嶽山光照院に安置されていたと伝わります。
天文年間に兵火にかかり堂宇が炎上したとき、像は持ち出され、ここから北西に?1時間?ほどの場所にある灌漑用の溜池「大日池」に沈められたとされます。
後の江戸時代に大日池の整備中に像が見つかり、ここに安置されたとされます。
武豊観光協会の「?武豊知恵袋?」に依れば、「大日池付近に、桓武天皇の勅願寺で七堂伽藍を備えた「御嶽山光明院」が建てられていた。
天正年間(1573~1592)、信長の子信雄と豊臣秀吉の兵火にかかり、ことごとく灰燼に帰したとき、多くの仏像がこの池に沈められ、難を逃れた。
この池からは、その後、多くの仏像が発見され、成岩の各寺や阿野の高讃寺の本尊となったという伝説がある。」
大日堂の由縁は池から見つかった仏さまを長尾村の観音堂へ祀り、その仏さまが大日如来であったことから、『大日堂』と呼ばれるようになり、後に大日寺へと発展していったようです。
この伝承は明暦(1655-58)の頃のこと。
当時の大日堂は、観音堂だけの小堂であったと推測されます。
又、同webには武豊町の寺社として紹介はあるが、大日寺については紹介されていなかった。
このことから、現在の大日寺の伽藍は、明暦以降に整えられたものと推測されます。 -
本堂の山号額。
額の両縁には昇り龍と降り龍が施された立派な額です。 -
本堂内の眺め。
豪華な天蓋の先の黄金色の厨子の中に本尊が安置されている。 -
本堂の左隣の建物が弘法堂。
-
堂内の眺め。
左側に弘法大師、右側に観世音菩薩が安置されています。 -
境内にあってとても目立つ存在で、最初遠目で見た時は浅野祥雲の像かと思いましたが、知多出身の左官職人だった平山岩松氏が引退後の83歳の時に制作奉納したコンクリート(モルタル)像です。
表面はペンキで着色されており、像容はどこかユーモラスな趣のある、独特な観音さまです。
長年培ってきた小手さばきを活かし、引退後にこうした像を複数制作・奉納したようです。
「みたけ」は山号から付けられたようです。 -
まんだらかい あまねくてらす みほとけの くどくながおの だいにちのどう
第五回歩いて巡拝知多四国 二十二番札所御嶽山 大日寺
宗派 / 西山浄土宗
開山 / 不明
開基 / 不明
創建 / 不明
本尊 / 大日如来
参拝日 / 2025/05/23
知多武豊駅から大日寺 / 知多武豊駅前から線路沿いに?北に1㌔、15分ほど。
所在地 / 知多郡武豊町ヱケ屋敷68-1 -
納経を済ませ、山門から東に進み、国道247号線を南下して武豊町ヒジリ田に鎮座する23番札所蓮華院に向かいます。
-
大日寺を後にして、門前の国道269号線を200㍍ほど東へ向かい、前田交差点の手前の信号のない交差点を右に進み、師崎街道を200㍍ほど歩いて行きます。
右手に二層の朱色の堂が見えてきます、こちらが武豊町字ヒジリ田に鎮座する二十三番札所蓮花院になります。
少し先に山門があるので、参詣はそちらから境内に向かいます。 -
師崎街道沿いに薬医門を構え、左手に「新四国第廿三番札所」の標柱が立てられています。
蓮花院は法然上人知多霊場の二番札所でもあります。
鎮座地のヒジリ田の由来は古く、幾つかの説があり、武豊知恵袋では以下のように解説しています。
由来1
鎌倉時代、日本はモンゴル帝国の侵攻を受けました。
時の執権・北条時宗は日本各地の武士を九州へ集結させ、蒙古軍を迎え撃ちました。
長尾城の城主・岩田氏もその一員で、神風(台風)の助けを受け、激戦の末日本は勝利します。
岩田宏直は戦の勝利は神仏の加護として、長尾城の鬼門に香椎聖宮を勧請し、隣の土地を供米田として寄進しました。この土地は「聖の宮の田」と呼ばれ、後に「ヒジリ田」となった。
由来2
応仁の乱の戦乱で、農民たちは困窮していました。
教観という僧が村に訪れ草庵を建て、海辺を干拓して新田を作るよう提案しました。
彼の努力で稲作は成功し、村人たちは僧を聖上人と呼び、協力して新田を広げました。
僧の草庵は寺へと改築され、その美田を「ヒジリ田」と呼ぶようになった。
このふたつが町名の「ヒジリ田」の由来だとされます。(武豊知恵袋から抜粋)
どちらが正しいか定かになりませんが、蓮花院は由来2に現れる僧「教観(洞空教観上人)」が開創した草庵がはじまりとされます。 -
山門の山号額「意龍山」。
蓮花院は昭和41年に火災に遭い、山門・客殿以外の伽藍を全焼、昭和45年に復興されます。
消失を免れたこの山門は、現住職により平成30年に修復された山門で、屋久杉を使用して作られています。 -
境内左側に手水舎と右にれんげ観音が安置されています。
-
手水舎の下に金色の聖観音菩薩、かみさんの機嫌がいい時の表情にも通じる、穏やかで優しい笑みを浮かべている。
-
右手の境内。
左の朱色の二層の塔が弘法堂、正面の二階建ての建物が本堂になります。
右手の階段を上ると本堂です。
蓮花院HPの沿革の抜粋は以下になります。
「歴史
永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで成岩常楽寺に逃げ延びた徳川家康公の馬前を払った因縁により、山号を頂き意龍山蓮花院と称し、寺の風格をもった。
その後昭和41年に火災にあい山門客殿のみ残し全焼。
今の弘法堂は昭和45年に復興し、本堂は同62年に完成した。
山門客殿は現住職が平成30年に復興して現在に至る。
弘法堂前には合格祈願・安産・身体健康のご利益がある、張り子の「身代わり大師」がある。
本尊阿弥陀如来。
永禄3年(1560)創建。
脇侍に観音菩薩と勢至菩薩を安置。
?しかし昭和の火災で観音菩薩を焼失し、平成30年仏師松本明慶氏によって新調、本尊宮殿は火事で焼失の為、馬場の山車の前山部分を譲り受け修復した。
1850年頃の中野甚右衛門の作品で?、彫り物は素晴らしい作風を残している。
勢至菩薩は修復され、平成30年より弥陀三尊として安置した。
本堂二階部分は大須観音より旧本堂を払い下げして再復興。」
尾張志 知多郡(1893)、張州府志 第6(1893-1896)の蓮花院に目を通す。
どちらも「蓮花院は長尾村にあり、意龍山と号す。浄土宗に属し、成岩村の常楽寺に所属す」とだけ記され、詳細は不明。 -
まずは本堂に向かう。
コンクリート造りの綺麗な建物で、山号額の上の唐破風向拝の梁にカラフルな龍の彫飾り。 -
木鼻は白い獅子と獏が飾られています。
当日は堂内を拝観する事はできなかった。 -
蓮花院のシンボル的存在で、方型二階建てのカラフルな弘法堂。
拝所の横には身代わり大師が安置されています。 -
堂の額は「通照閣」と読めばいいのかな。
-
堂内は内陣中央に弘法大師、賓頭盧尊者や地蔵尊など整然と安置されています。
-
てらのなに ちなひ一れん たくしゃうは みなをしょうふる くちにこもれる
第五回歩いて巡拝知多四国 二十三番札所 意龍山 蓮花院
宗派 / 西山浄土宗
開創 / 不明、応仁の乱の頃(1467-77)
創建 / 不明
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 知多郡武豊町字ヒジリ田27
大日寺から蓮花院 / 門前から国道269号線を200㍍ほど東へ、師崎街道を南へ200㍍移動時間10分ほど。
参拝日 / 2025/05/23
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