2025/02/15 - 2025/02/15
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前回掲載した稲荷神社から西へ150㍍・徒歩2分ほどの高台に鎮座する九番札所 浄土山 明徳寺。
今回は九番札所明徳寺から十番札所、十一番札所を掲載します。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
前回掲載した稲荷神社から西へ150㍍・徒歩2分ほどの高台に鎮座する九番札所 浄土山 明徳寺。
写真は明徳寺山門から境内方向の眺め。
右手に「新四国八十八ヶ所 第九番札所」の石標と左に「十番へ一五丁」の丁石。
因みに一丁を㍍に換算すると約109㍍、街道沿いにはこうした丁石が残っているので道中の目安になります。
山門をくぐり境内に入ると、既に納経を終えた妻は次を目指す準備が整っており、本堂・弘法堂をお参りするだけとなりました。 -
境内から本殿と弘法堂(左)の眺め、右手が庫裏・納経所になります。
少し道草した事もあり、境内の人波も多少落ち着いた印象です。
明徳寺は浄土宗の寺院、明徳寺縁起と東浦町誌(1968)を纏めると以下のようになります。
「浄土山 明徳寺(浄土宗)
所在地 石浜字下庚中坊70番地
本尊 阿弥陀如来 (鎌倉時代の恵心僧都作)
開基 心誉秀山大和尚
境内地 916坪
安置仏 千手観音菩薩、西国三十三観音分身、水子地蔵(毎年春供養)、秘仏 歓喜天(金運と夫婦和合の守護)弁才天、庚申など
由緒
明徳2年(1391)、もと字障戸の明徳寺川畔に 法然上人の孫弟子が「明徳堂」を創建したのが当寺の発祥。
文安4年(1447)には阿弥陀十王堂が創建、その二堂を合同し文明元年(1469)、明徳寺が開創されました。
明暦3年(1657)洪水のため流失。
正徳元年(1711)十五世徹誉上人が現在の地に再建移転した。
新四国九番札所」
旧鎮座地の字障戸の明徳寺川畔とは、こちらに向かう際に明徳寺川に架かる障戸橋を渡った、東浦文化センターのあたりのようです。
どちらかと言えば細い流れの明徳寺川が、伽藍を押し流すほど洪水したという、異常気象の現在でも想像すらできません。 -
明徳寺の写真が二枚しかなく、細かい所を掲載できませんが、本堂前の大きな蘇鉄と手入れされた五葉松が印象に残る寺院でした。
御詠歌 石浜に 光れる月の 明徳寺 気高く仰ぐ 南無阿弥陀仏
知多四国巡礼 九番札所 浄土山 明徳寺
宗派 / 浄土宗
開山 / 心誉秀山大和尚
創建 / 明徳2年(1391)
開創 / 文明元年(1469)
本尊 / 阿弥陀如来
札所 / 知多四国九番札所
参拝日 / 2025/02/15
所在地 / 知多郡東浦町石浜下庚申坊70
稲荷神社から明徳寺 / 稲荷神社から西へ150㍍・徒歩2分ほど -
九番札所明徳寺から10番札所観音寺へは、山門から南に進み豆搗川を越えた先の丘陵地にあり、約1.6キロメートル、徒歩で22分ほどの距離に位置しています。
まずは10番札所観音寺の手前に鎮座する生路山 常照寺に参拝し、こちらで十番札所 観音寺の納経印を頂きます。
石柱の門の先には桜の古木があり、左手に伽藍がある。 -
門前の由緒は以下の通り。
「生路山 常照寺 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
享禄元年(1528)惟信忠公が開山と伝わるが、文明9年(1477)「乾坤院授戒会記録」に名が見える。
また、延徳3年(1491)「梅花無尽蔵」に常照庵薬樹の故事「尾張名所図会」にのっている。
明治9年(1876)乾坤院から独立した寺格となる。
昭和17年(1942)常照庵を常照寺と改称する。
東浦地域ふれあい場整備事業 平成十七年 生路区」
「梅花無尽蔵」は延徳3年(1491)に纏められたもので、現在の境内は樹々が少ない印象を受けます。
往古の境内は、冬でも葉が枯れなかった薬樹という葉が茂り、和尚はこの木を大切にしていたが、薬として役立つのならと自ら切り取ったという。
この事からも創建は更に遡ります。
薬樹の正体も調べてみましたが分からなかった。
東浦町誌の常照寺由緒では以下のように記されています。
「天文13年(1544)開創。
「昔天台宗、後に禅寺となり小川乾坤院に属す。
万年和尚と云う僧此の寺に来れりと云う。万里のことなるべし」尾州雑誌。」
とある。
尾州雑誌は尾張藩主徳川宗睦の命で領内を調査、寛政元年(1789)纏められたもの。
張州雑志 第2巻の常照寺記述は以下内容でした。
「生路山 常照庵
曹洞宗 緒川村乾坤院
本尊 阿弥陀
往古開基不詳
中興 惟信忠公 享録元年(1528)子三月」
とありました。 -
参道右は秋葉三尺大権現を祀る堂がある。
ここから東はなかなかの眺望で眼下に国道366号線、さらに先にはJR武豊線、衣浦港も眺められます。
この辺りの眺望の良さは戦国時代には戦略的にもいい立地だった事だろう。
近くしか見ない日常から離れ、たまには遠景を注視するのも必要な事です。 -
本堂方向の境内の眺め。
左に手水舎、本堂手前の建物は訪問時改修工事中で詳細は良く分かりません。
このイベントだけだったのか、普段からなのか不明ですが、この日は右手のテントで十番札所観音寺の納経印を頂きました。 -
本堂の額は・・・読めない。
堂前で手を合わせ堂内を一枚、正面には本尊の阿弥陀如来坐像、左の間には弘法大師が祀られているようです。
常照寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 享禄元年(1528)
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 知多郡東浦町生路狭間105 -
常照寺から南に1分程に鎮座する十番札所 観音寺。
南側に石柱門があり、左手に「新四国第十番札所」の石標が建てられています。
十番札所 観音寺は無住職の寺のため、管理は常照寺で行われています。
こちらでお経を奉納し、納経印を常照寺で頂くことになります。 -
観音寺の由緒は寛文3年(1663)に観音堂として創建されたそうで、当時の一帯には田畑が広がり、寺の前の道を畑仕事で村人が往来し、その際にこちらで手を合わせる辻堂として信仰されていたようです。
そうした事もあり、塀のない観音堂だけのシンプルな伽藍で、身近な辻堂の面影があります。
本尊は聖観世音菩薩を祀る。
東浦町誌の観音寺由緒は以下。
「福衆山 観音寺
所在地 生路字間
本尊 聖観世音菩薩
開山
境内地 79坪
寺宝什物 毘沙門天など古仏像
由緒
天正元年(1573)創建
もと観音堂といい、昭和17年寺号(観音寺)、同27年山号(福衆山)を設ける、円通閣ともいう。
新四国十番札所」
寄棟瓦葺の小さな堂の外観は傷みを隠せず、住民の世代や生業も移り変わった現在、次世代の拠りどころとして繋いで行くのは大変な事だろう。 -
慈悲の目に 衆生見給う 観世音 詣る人々 生路迷はず
常照寺・観音寺知多四国巡礼 十番札所 観音寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 天正元年(1573)、諸説あり
本尊 / 聖観世音菩薩
札所 / 知多四国十番札所
参拝日 / 2025/02/15
所在地 / 知多郡東浦町生路狭間1
明徳寺から常照寺・十番札所 観音寺 / 明徳寺から南へ1.6km・徒歩22分ほど -
十番札所 観音寺から十一番札所 安徳寺へ続く師崎街道。
車で各札所を回ろうものなら、すれ違い不能な曲がりくねった道が続く。
ナビを信用して安易に踏み込まないことが賢明。
やはりここは歩いて巡るべきところでしょう。
安徳寺は国道366号線の西の東浦町藤江の高台に鎮座します。
安徳寺石柱門から山門の眺め。
東向きに門を構え、左に「新四国第11番札所」の石標があり、側面に12番札所までの距離が刻まれています。 -
なだらかに上る参道の先に山門を構え、左手に「不許葷酒入山門」の石標が立てられています。
禅宗のお寺の門の横で見かけるこの石標、修行の場故に「ニンニクなどの強い臭い、酒はお寺に持ち込むな」の意味がある。 -
山門右の東浦町教育委員会の解説。
「光明山安徳寺 曹洞宗。
永禄二年(1559)乾室玖元和尚を開山として創建されたと伝える。
本尊は釈迦牟尼仏。
薬師如来立像(像高92.5センチ)は恵心僧都(942-1017)の作と伝えられ、東浦町指定文化財になっている。
知多四国十一番札所で弘法大師を祀る。
学制発布により、明治六年に藤江村・生路村・有脇村が共同して、この寺の衆寮に「友強学校」を開設した。」
お寺と云えば、江戸時代は寺子屋として文字の読み・書き・そろばんなど庶民の学びの場でした。
明治政府による学制発布にともない、身近な寺子屋は姿を消し、小学校へ移り変わっていきます。
安徳寺を仮校舎として開かれた友強学校は、寺から西に500㍍の東浦町立藤江小学校の前進となった。 -
山門をくぐった左の広い境内に伽藍が立ち並んでおり、正面が本堂で、本堂左に弘法堂、右が納経所のある庫裏、それと山門が主な伽藍になります。
以前は山門の先に鐘楼が建っていたようですが、現在の境内に鐘楼は見られません。 -
まずは本堂でお参り。
山号額は「光明山」と書かれています、達筆すぎて揮毫の主は読めなかった。
東浦町誌などから安徳寺の由緒を調べた結果は以下となります。
「光明山 安徳寺(曹洞宗)
所在地 藤江字西ノ宮82番地
本尊 釈迦牟尼仏
開山 保山孚敢大和尚
境内地 1203坪
寺宝什物 厨子入 薬師如来木像、十六羅漢木像、六枚折屏風、十六善神掛軸
由緒
天文19年(1550)5月、乾室久元和尚の開基。
広い境内に薬師・観音・大師(新四国十一番札所)の諸堂がある。
薬師はもと郷中の海沿いにあったが、洪水や台風の被害が頻発、享保年中(1716~1736)には火災で堂宇を焼失。
延享3年(1746)庄屋 新美市郎兵衛がここに移したもの。」
となります。 -
本堂左の弘法堂。
今回のラス前の札所で、午後を過ぎると巡礼者の姿はめっきり少なくなります。 -
山門の先の境内西側にかなり大きな梵鐘が置かれています。
鐘楼は伊勢湾台風で倒壊、その後再建されたとも聞きますが、これが現在の鐘楼の姿です。
普段間近に竜頭など見る機会はないだけに、今はレアな時なのかもしれません。
いつの日か藤江の町に安徳寺の鐘の音が戻ってくるのだろうか。 -
境内から眺める山門は切妻瓦葺の四脚門。
高台から東の衣浦湾を望む山門、かつては間近に海が迫っていたのだろう。
さてゴールの札所に向かう事にします、十二番札所福住寺は師崎街道を1.8km、25分ほど南下した有脇町地内の高台に鎮座します。 -
のちの世も この世もこころ 安徳寺 仏の御名にけがれ洗ふて
知多四国巡礼 十一番札所 光明山 安徳寺
宗派 / 曹洞宗
開山 / 保山孚敢大和尚
開基 / 乾室久元和尚
創建 / 天文19年(1550)
本尊 / 釈迦牟尼仏
札所 / 知多四国十一番札所
参拝日 / 2025/02/15
所在地 / 知多郡東浦町藤江西之宮82
伊久智神社から光明山安徳寺 / 国道366号線沿いを南へ1.2Km・徒歩20分ほど
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