2025/04/19 - 2025/04/19
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azusa55さん
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内海トンネルから約1㌔ほど道なりに下った美浜町小野浦。
ここまで丘陵地を歩いてきました、小野浦キャンプ場を過ぎると海岸線が近くなり、平坦な道に変わります。
今回掲載する小野浦八幡神社、多賀神社と知多四国四十八番札所良参寺は内海峠を越えた、伊勢湾海岸線の山裾に鎮座します。
山を下り、集落の入口近付くと右手に八幡神社の社頭が現れます。
社頭は「村社 八幡神社」の社号標と神明鳥居を構え、参道がその先の拝殿に真っすぐに伸びています。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 1.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
内海トンネルから約1㌔ほど道なりに下った美浜町小野浦。
ここまで丘陵地を歩いてきました、小野浦キャンプ場を過ぎると海岸線が近くなり、平坦な道に変わります。
今回掲載する小野浦八幡神社、多賀神社と知多四国四十八番札所 良参寺は内海峠を越えた、伊勢湾海岸線の山裾に鎮座します。
山を下り、集落の入口近付くと右手に八幡神社の社頭が現れます。
社頭は「村社 八幡神社」の社号標と神明鳥居を構え、参道がその先の拝殿に真っすぐに伸びています。 -
鳥居をくぐると左に手水舎があり、更にその奥は多賀神社の境内が作られています。
-
多賀神社の境内全景。
広い社地には八幡神社・多賀神社の二社が並んで祀られています。 -
まずは参道を進み、正面の八幡神社を参拝しよう。
真っすぐに伸びる参道の先、緩やかな石段を上れば社殿域です。 -
社殿の全景が見えてきました。
手前に狛犬が守護し、その先には拝殿・本殿、両脇に境内社が祀られています。
社殿はほぼ西を向いて建てられています。 -
拝殿は木造の入母屋瓦葺の妻入りで四方吹き抜けのもの。
大きな鬼板ですが社紋は入っていない様でした。 -
拝殿から本殿の眺め。
内部に棟札又は由緒が掛けられていないか探して見ましたが、何も見当たりませんでした。
・知多郡史(1972)では祭神の大鷦鷯命、気長足姫命。
・尾張徇行記(1792-1822)第6巻(海西郡・知多郡之部)に以下の記述が見られました。
「野間庄小野浦村
一社六区、覚書ニ若宮八幡、諏訪明神、恵比須山神三社
境内三町四反八献歩前々除称宜助左衛門持〇祠官斎藤助太夫書上ニ若宮八幡社内一町四反歩、勧請ノ由来ハ不知、元禄十六年未五月再建ノ棟札アリ、恵比須社内二献十歩、諏訪大明神社内一町此社勧請ノ由来ハ不知、正徳元年卯十二月再建ノ棟札アリ、山神社内二献歩又山神社内二十八歩、州原大明神社内三献歩、三社共ニ勧請ノ年紀ハ不知、何レモ御除地ナリ」
再建時の棟札の年代や若宮八幡と呼ばれた事など、他の資料と整合するので八幡神社を指しているようです。 -
本殿左の境内社は津島神社、祭神は須佐之男命。
-
右側の境内社は社名札があったが、撮り忘れてしまい社名は不明です。
-
多賀神社社頭全景。
八幡神社参道左に隣接しており、社頭には鳥居手前に二社が祀られ、その先に社殿が建てられています。
鳥居の額には「多賀神社」と彫られています。 -
拝殿から流造の本殿の眺め。
当社について尾張徇行記には記述がなく、祭神・創建等は不明。
社名から祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊かと思われます。 -
本殿右側に一抱えほどの岩が安置されていました。
文字が刻まれているようですが読み取れなかった、山神だろうか。 -
多賀神社境内から社頭の眺め。
多賀神社が八幡神社の境内社なのか、単独の神社か分からず、合わせて掲載しました。
鎮座地の小野浦は、古来より千石船による廻船業で栄え、小野浦の八幡神社の秋祭りでは、千石船の形をした2台の山車(町指定文化財)が曳かれたそうです。
江戸時代、小野浦出身で千石船「宝順丸」の船乗りだった音吉(山本音吉)、久吉、岩吉らは、遠州灘で難破し1年2か月漂流しアメリカに漂着した。
音吉(1817-1867)は海外生活の中で、聖書を日本語に翻訳したはじめての人物で、英国で帰化を許され生涯を異国で過ごした。
社頭南側には音吉、久吉、岩吉の三氏を讃える石碑や山本音吉像が建てられています。
小野浦 八幡神社・多賀神社
創建 / 不明、元禄16年(1703)再建
祭神 / 大鷦鷯命、気長定姫命
境内社 / 津島社他
氏子域 / 小野浦
例祭 / 10月15日
所在地 / 知多郡美浜町小野浦福島2
参拝日 / 2025/04/19
内海神明社から小野浦八幡神社徒歩ルート / 西へ約1.1㌔、約15分 -
名鉄知多新線内海駅からスタートし、内海峠を経て約3.6㌔西の小野浦海岸までやってきました。
ひたむきに歩き、小野浦海水浴場のすぐ東に今回最初の札所良参寺が鎮座します。
八幡神社社頭から約10分ほどで前方に良参寺の伽藍が見えてきます。
手前の方型の建物は良参寺地蔵堂。 -
大棟に鯱が載る山門と鐘楼。
峠を越えてようやく辿り着いた札所。
疲れた体を休めるように、参加者は一様にゆっくりと腰を下ろす。
その表情には安堵の色が浮かび、静かな境内の空気が彼らを包み込んでいた。 -
山門は切妻瓦葺の木造の薬医門で「禅林山」の大きな山号額が目を引く。
-
良参寺境内は参道正面の本堂、右に庫裏、左に太子堂、金毘羅堂、袴腰が施された鐘楼、その奥に稲荷が祀られ、そこから右に山本音吉・久吉・岩吉はじめ、遭難した宝順丸の乗組員14名の墓石があります。
これら伽藍の他に、境内に聳える二本の巨木が印象に残ります。 -
写真は境内の禅林山良参寺沿革、内容は以下。
「良参寺は天正十三年(1585)開創の曹洞宗の寺院です。
小野浦の地が千石船で栄えた江戸時代に、現在の庫裡と本堂は再建されました。
当時の面影は航海の無事を祈念した金毘羅堂や雨水桝に刻まれた海上安全の文字にも残っています。
境内には樹齡四百年のイブキの巨木が二本そびえ、一本の根元には子供を抱く観音様の姿が現れています。
弘法大師は「御助大師」と呼ばれ、昭和初期に盲目の女性が開眼した霊験等が伝えられています。
本堂裏の墓所には初の和訳聖書の制作に協力した「三吉」を含む宝順丸の乗組員の墓碑が立てられています。」
八幡神社社頭南側の音吉・久吉・岩吉の三氏を讃える石碑は、墓碑のある良参寺に繋がっていた訳です。
彼らは異国の地で一生を終えましたが、故郷である小野浦に戻ってこれた経緯が掲げられています。
尾張徇行記(1792-1822)第6巻(海西郡・知多郡之部)に以下の記述が見られました。
「良参寺
府志曰、在小野浦村、号禅林山、曹洞宗、属中郡村勢雲寺
〇堂書三境内八畝十歩前検除
〇当寺書上ニ境内八畝十歩前々御除外ニ門外九畝二十歩、山林三反四畝歩共二年貢地、此寺草創ノ由来ハ不知、開山遷化ハ慶長五開山、天相応和尚庚子年ニ当レルト也
〇境内ニ十王堂アリ」とある。 -
「山本音吉(乙吉)遺灰の帰郷について
1867(慶應3)年1月18日、シンガポールのシグラップ地区アーサーズ・シートにおいて50歳の生涯を閉じた山本音吉(または乙吉。英語名ジョン・M・オトソン)は、翌19日にブキティマ通りにあったキリスト教徒墓地に埋葬された。
1970年に同墓地が都市計画によって公園へと転用された後、遺骨の移転場所は長い間不明のままとなっていた。
2004(平成16)年2月、シンガポール日本人会の杉野一夫事務局長から音吉の話を聞き、並々ならぬ関心を持つに至ったシンガポール土地管理局のリョン・フォクメン(梁福銘)氏は、精力的な調査の末、音吉の遺骨がチョア・チュー・カンにあるシンガポール国立墓地へ移されていることを発見。
早速、杉野事務局長から音吉遺骨埋葬場所発見の一報が、齋藤宏一美浜町長(音吉顕彰会会長)へもたらされ、4月26日に齋藤町長が訪星し埋葬場所を確認。
同時に、当時音吉はオーチャード通りに邸宅を構え、大規模に貿易を営んでいた記録、上記の死亡年月日及び死亡場所の記録とともにリョン氏から提供された。
その後11月23日、シンガポール日本人会及び同国政府観光局の協力によって、国立墓地を所管するシンガポール環境庁から音吉遺骨の発掘許可を得ることができた。
11月27日には同国立墓地タン・ピンファ所長立ち会いのもと発掘・火葬した後、遺灰をイオ・チュー・カンの日本人墓地公園納骨堂に仮安置。
2005(平成17)年2月17日、伊勢湾に開港した中部国際空港からシンガボールへ向かう一番機で、美浜町民を始めとする120人の訪問団が出発、翌18日に日本人墓地公園において音吉遺灰の分霊式が、日星両国関係者多数の参列のもと挙行。
音吉の遺灰は3つに分けられ、シンガポールでは日本人墓地公園納骨堂、日本では音吉の子孫である山本家先祖代々の墓、そして遭難当時、行方不明となった宝順丸14人の乗組員のために建てられた良参寺の墓に納められ、遭難後173年ぶりに帰国を果たした。2006/6吉日」 -
入母屋瓦葺の本堂。
大きく枝を張ったイブキが、大きな木陰を作り、巡拝者に心地よい休息の場を与えてくれる。 -
本堂。
本尊は聖観世音菩薩。 -
秋葉三尺坊大権現。
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知多四国四十八番札所、お助け大師。
太子堂前のお助け大師の謂れ。
体の変調に悩む方々がこちらにお参りし、それにより改善された事例が書き連ねられています。 -
堂内右の間に南無観世音菩薩の提灯と古い奉納額が掛けられています。
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金毘羅堂の右に安置されている不動明王。
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金毘羅堂(右)と中央の稲荷社、方形屋根で袴腰の鐘楼の眺め。
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金毘羅堂内にも複数の奉納額が掛けられています。
古くから海運で賑わった町だけに、航海の安全の神は必要不可欠なんだろう。 -
稲荷社。
宝珠紋の幟が立つ稲荷社。
豊川稲荷系の仏教神が祀られていると思われます、創建時期は不明。
山本音吉ら宝順丸乗組員の墓は、ここから右手の墓地に建てられています。 -
庫裏前のイブキの樹。
樹齢は400年を超えるとされ、一抱えは優に超える幹の根元には、観音様に似た瘤があり、子宝に恵まれる子抱観音として崇敬されています。 -
よをすくふ ほとけのとくの ぜんりんじ なみよせたらぬ おのうらのさと
次は四十九番札所 吉祥寺。
ルートは平坦な国道沿いではなく、良参寺北側の山間を越え冨具崎方向に抜ける1.5㌔の古道を進みます。
Gマップでは表示してくれません。
愛知県 知多四国巡礼 第4回:四十八番札所 禅林山 良参寺
宗派 / 曹洞宗
開基 / 融山祝公首座
開山 / 天祖順応禅師
開創 / 天正13年(1585)
本尊 / 聖観世音菩薩
所在地 / 知多郡美浜町小野浦清水18
参拝日 / 2025/04/19
小野浦八幡神社から良参寺徒歩ルート / 北へ約0.5㌔、約7分
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