2026/02/28 - 2026/02/28
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都内に用事があったので、上野寛永寺に参拝しました。
創建四百周年を記念して描かれた天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」を見たいと思いながら、拝観日のスケジュールが合わずに行きそびれていました。
今回の拝観でしっかりと目に焼き付けてきました。空いていれば、畳に寝転がって見上げることもできますので、ぜひお試しください。
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鶯谷駅のホームから北側の様子。
昼間はそこまで怪しい雰囲気ではありません。 -
てっきり南口へ出るもんだと思っていたら、怪しい雰囲気の北口に出て、この陸橋を渡るのが順路のようです。
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陸橋からは電車が見えます。
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陸橋を渡ったところにお地蔵様がいます。
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寛永寺の通用口へ向かう路地。
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二宮尊徳さんも見守っています。
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通用口から入ると、寺務所があります。
御朱印はこちらです。 -
表門に回ってから、境内に入りましょう。
寺号標。 -
東叡山 寛永寺の山門。
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白梅。
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紅梅。
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塀際には桜も咲いています。
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桜越しの本堂。
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六地蔵尊。
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寛永寺の旧本坊表門(国指定重要文化財)に据えられていた鬼瓦(阿形)です。
旧本坊表門は寛永初年に、寛永寺を開山した天海大僧正自身が建てた門で、現在の東京国立博物館の地にありましたが、現在は移設されて「黒門」の通称で残っています。
高さ113cm✕横幅118cm。 -
寛永寺根本中堂鬼瓦。高さ248cm✕ 横幅325cm。
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慈海僧正墓 (都旧跡)。
正面中央に聖観世音菩薩の像、右側に「当山学頭第四世贈大僧正慈海」、左側に「山門西塔執行宝園院住持仙波喜多院第三十世」、背面に「元禄六年癸西二月十六日寂」と刻まれています。
慈海僧正は、学徳をもって知られ、東叡山護国院、目黒不動尊、比叡山西塔宝園院、川越仙波喜多院を経て東叡山凌雲院に入りました。 -
参道から本堂(根本中堂)。
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鐘楼。
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この銅鐘は、四代将軍徳川家網公の一周忌にあたる延宝9年(1681年)5月8日に奉献されたもので明治維新後に移設されました。台東区有形文化財。総高177.2cm、口径91.8cm。
江戸時代前期に活躍した椎名伊予守吉寛の作。 -
了翁禅師塔碑。東京都指定旧跡。
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了翁禅師は、江戸時代前期の黄壁宗の僧で、隠元禅師に師事して諸国を巡るうち霊薬の処方を夢に見て、不忍池付近に薬屋を営みました。
その利益で難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)の設置などを行いました。津梁院 寺・神社・教会
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増山雪斎(ましやませっさい)博物図譜関係資料の虫塚碑。都指定有形文化財。
伊勢長島藩主であった増山雪斎は、江戸の大田南畝や大阪の豪商木村親度堂など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者でもありました。
自らも文雅風流を愛し、写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫多帖」(都指定有形文化財、東京国立博物館所蔵)はその精緻さと本草学にのっとった正確さにおいて、高く評価されています。
虫塚は当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にありましたが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、この場所に移転しました。 -
尾形乾山墓碑•乾山深省蹟。
尾形光琳の弟である尾形乾山は、画業のほかにも書・茶をよくし、特に作陶で知られていました。 -
往時の寛永寺の境内はとても広かったのです。
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東叡山 寛永寺の縁起。
元和8年(1622年)、徳川幕府二代将軍秀忠公が、上野の地を天台宗の僧天海に寄進したことから、寛永寺の歴史は始まります。
根本中堂の完成は元禄11年(1698年)のことでした。徳川時代の広さは約30万坪(東京ディズニーランド&シーとほぼ同じ)でしたが、明治維新後には約3万坪に縮小されています。寛永寺 寺・神社・教会
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根本中堂(寛永寺本堂)。
かつての根本中堂は、現在の東京国立博物館前の噴水池付近でしたが、慶応4年(1868年)に彰義隊の兵火(上野戦争)で焼失しました。
そのため明治9年(1876年)から12年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂を解体移築して寛永寺の本堂としました
間口・奥行ともに七間(17.4m)。前面に三間の向拝と五段の木階、周囲に勾欄付廻縁をめぐらしています。屋根は入母屋造、本瓦葺。
ちなみに川越・喜多院を参拝し、喜多院 本地堂瑠璃薬師殿跡を確認したときの旅行記もぜひご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11746045
見つけるのが大変だったことを思い出します。 -
扁額は瑠璃殿です。
これは、御本尊である、伝教大師最澄上人の作と言われる秘仏「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)によります。 -
内部は、内陣は土間で、外陣と同じ高さの須弥壇が設けられています。須弥壇の上に本尊その他の仏像が安置されています。
内陣を土間とする構造は中堂造と呼ばれ、天台宗独特のものですが、現在は仮の床が張られ、内外陣ともにすべて畳敷になっています。
注意事項
◆参拝時間 10:00~16:00(最終受付15:40迄。16時には閉堂いたしますので予めご了承願います)
◆中陣拝観料 500円
※堂内は写真撮影禁止です寛永寺 寺・神社・教会
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内陣の天井には、創建四百周年を記念した天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」が描かれています。
この絵は、東京芸術大学名誉教授の手塚雄二画伯により奉納されました。
横12m・縦6mという巨大な天井絵が公開されていますが、写真撮影は厳禁です。
こちらの画は奉納前に三越で展示された時のチラシを複写しました。
なお、内陣の見学ができない日もありますので、寛永寺の公式HPで確認してください。寛永寺 寺・神社・教会
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寛永寺の石灯籠。
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根本中堂の屋根には獅子像でしょうか。
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東叡山中堂と銘があります。
さて、上野駅へ向かいましょう。 -
国際子ども図晝館の前庭に彫像がありました。
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4traメンバーのAke Bingaさんのクチコミを拝見すると、東京帝大時代の小泉八雲の教え子であった土井晩翠が、若くして亡くなったご子息の遺言により 昭和10年、帝国図書館前庭に建立したものだということです。
天使が壺を囲むこの像は、小倉右一郎作の「蜜」で、当初はその壺から水が流れる作品だったとのこと。 -
なるほど、台座には小泉八雲先生のレリーフが嵌め込まれています。
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国際子ども図晝館は、かつての帝国図書館で、東京都選定歷史的建造物となっています。
昭和24年からは、国立国会図書館支部上野図書館として運営され、平成12年5月5日に国立国会図書館国際子ども図書館として開館しました躯体は明治期のネオ・ルネッサンス調の建物です。 -
その隣は、昭和3年(1928年)に竣工した黒田記念館です。
設計者は、当時、東京美術学校教授で建築を担当していた岡田一郎でした。
外壁には旧帝国ホテル(大正12年)に使用されて以来、流行したスクラッチタイルが用いられ、正面二階部分にはイオニア式オーダーの列柱がデザインされています。 -
入館無料です。
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開設当初より黒田清輝の作品が展示されていた二階の黒田記念室は、天窓からの自然採光となっており(現在は人工照明)、当時の美術館建築のありようを今に伝えています。
平成14年(2002年)に国の登録有形文化財に指定されました。 -
入り口を入ると数段の階段があります。
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2階が展示室となっています。
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受付の方に確認したところ、撮影禁止のマークがないものは自由に撮影してよいとのことです。
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故子爵黒田清輝胸像。
ブロンズ、昭和7年(1932年)。
高村光太郎の作です。 -
編物する女。
紙・木炭、明治23年(1890年)頃。 -
雪景。
紙・木炭、明治23年(1890年)頃。 -
パリー風景。
カンバス・油彩、明治23年(1890年)。
遠景にエッフェル塔(1889年完成)らしきものが望まれるパリの市街風景です。黒田の風景画は、ほとんど郊外や自然風景で、市街を描くことは稀でした。この小品を描いた頃、黒田はパリをしばしば訪れていました。 -
ブレハの海岸。
カンバス・油彩、明治25年(1892年)。
ブレハ島は北フランス・ブルターニュの西端に位置するサンマロ湾にある赤岩でできた島。共に絵を学んでいた久米桂一郎が好んで滞在したため、黒田も1891年と1892年にこの島を訪れました。 -
少女。
カンバス・油彩、明治24年(1891年)。
ブレハ島を訪れた際に描かれた作品で、モデルの少女がかぶっている頭巾はブルターニュ地方特有のものです。 -
赤髪の少女。
カンバス・油彩、明治25年(1892年)。
滞仏中の作品では、最も印象派風の作品です。ヨーロッパのジャポニスム盛行に重要な役割を果たし、印象派の画家とも親交のあった日本の美術商・林忠正の旧蔵品です。 -
雪。
板・油彩、大正11年(1922年)。 -
しゃくなぎ。
カンバス・油彩、大正12年(1923年)。 -
平河町にあったアトリエを再現した展示です。黒田清輝の遺品(イーゼル、椅子、絵の具箱)が置かれています
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梅林。
板・油彩、大正13年(1924年)。
前年末、黒田は狭心症を発症しますが、春には小康を得、病室としていた麻布笄町(現在の西麻布3丁目)の別邸の離れから庭を見て本作品を描きました。
しかし、その年の7月に黒田は58歳の生涯を閉じ、本作品は絶筆となりました。 -
1階の休憩スペースの壁に描かれています。
ここは併設するカフェへの通路にもなっているのですが、入場待ちの行列ができていました。 -
上野公園内には、さまざまな作品が展示されていますが、印象に残った作品です。
それでも、僕は僕でありたかった。
令和6年(2024年)、高松優人作。 -
上野恩賜公園のマンホール蓋です。
桜がデザインされており、この公園内の限定品です。 -
公衆トイレの壁の絵がかわいいです。
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上野恩賜公園の噴水広場。
徳川時代の寛永寺根本中堂は、この付近に建っていたようです。そう思って見ると、以前とは見え方が違ってきます。 -
上野駅に着きました。本来の用事を済ませましょう。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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