2024/12/22 - 2024/12/22
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この旅行記のスケジュール
2024/12/22
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千葉灸治院跡
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大師道
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森鷗外撰文大正記念碑
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元宿堰稲荷神社元宮
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元宿堰稲荷神社
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元宿神社
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感旧碑
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西新井橋
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大師前駅
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支那そば徳栄で昼食
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この旅行記スケジュールを元に
明治32年8月27日、東武鉄道は北千住から西新井・草加・越ケ谷・粕壁・杉戸・久喜の7駅間25マイル(40.1km)を開業しました。西新井と久喜を除く5駅は、旧日光街道(奥州街道)の宿駅(宿場)だったところです。
東武伊勢崎線が開通する前、江戸時代から明治時代には、各地から西新井大師に向かう大師道があり、日光街道の千住宿からの大師道や駒込から尾久を抜ける大師道がよく利用されていました。
ということで、今回は千住宿から歩いてみようと思いたち、千住大橋から出発しました。
表紙の写真は、大師道から少し離れたお化け煙突モニュメントです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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今回も千住大橋駅から出発します。
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国道4号線を北上すると、道の反対側に河原町稲荷神社が見えました。千寿七福神の福禄寿です。
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所々にこんな標柱があります。
住んでいる方には申し訳ありませんが、私の気持ちは先代の林家三平師匠と同じです。 -
千住宮本町交差点の角に大きな案内板があります。
江戸に出てきた坂本龍馬は、千葉周作の弟・千葉定吉が開いた桶町千葉道場に入門し、北辰一刀流を修業していました。
そこで千葉定吉の娘・佐那(さな)と同門となり、やがて婚約したと言われています。 -
千葉佐那は天保9年(1838年)の生まれ、 龍馬より3歳下。幼名は乙女(龍馬の姉・乙女と同名)、北辰一刀流小太刀免許皆伝を持ち、「鬼小町」と呼ばれていました。長刀師範も務めました。
明治維新後は、学習院女子部の舎監を勤め、明治19年(1886年)からこの碑が建っている千住中組(現在の千住仲町1-1)に暮らしており、後に千葉灸治院を開きました。明治29年(1896年)10月15日死去。
龍馬の死後も独身を貫きました。 -
千葉灸治院の写真。
昭和18年(1943年)、国は空襲に備えた強制疎開を実施し、千葉灸治院は千住仲町29番地に移りました。 平成12年(2000年)までは一族の方が住んでいました。 -
2010年に行われた水樹奈々の座長公演である舞台「異説龍馬維新伝」では、声優の福圓美里(ふくえん みさと)さんが千葉佐那役で出演しました。
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近くには防災井戸がありました。
ただし飲用不可。 -
千住警察署入り口交差点。
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正面の車進入禁止となっている細い路地が昔の大師道です。路地の入り口にある小さな建物は千住警察署交番で、大師道地域安全センターの看板も出ていました。
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さあ大師道を歩きましょう。
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柑橘類が生っていました。
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さらに進むと細い路地があって、千住神社へ行けるようになっています。
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真っ直ぐが大師道ですが、右折します。
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千住中居町公園です。
右の建物は公衆トイレ。 -
森鷗外撰文大正記念碑。
大正新道敷設を記念して当時の有志が大正5年(1916年)に建立しました。大正新道は、荒川放水路の完成で不用となった西掃部堀を埋めたてた道です。
元は、千住宮元町29にありましたが、平成26年(2014年)4月に移設整備しました。
高さ約2.5m程の立派な石碑で、碑文は、森鷗外が書いた漢文です。 -
再び大師道を歩きます。
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大師道は直進ですが、左へ進んで墨堤通りに出ます。中央は、千住龍田町公衆便所。
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墨堤通り(都道461号線)を歩きます。
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東京電力上野支社足立営業センター。
屋上に鉄塔があります。 -
隅田川の堤防に上がります。
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隅田川左岸に出ました。右が上流、左が東京湾の方向、対岸は荒川区。
現在の荒川ができる前は、この隅田川が荒川の本流でした。 -
下流の方向。
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上流の方向。
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尾竹橋。平成4年に竣工。
3径間連続ローゼ桁橋、橋長130.3m、幅員15.0m。 -
帝京科学大学千住キャンパス本館。
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お化け煙突モニュメント。
かつて東京都足立区に所在した東京電力千住火力発電所のお化け煙突を撤去する際、輪切りにしたモニュメントです。 -
用地の確保と隅田川の水運を利用して燃料の石炭を運搬するため、隅田川沿いに発電所が造られました。
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千住火力発電所は、大正15年(1926年)から昭和38年(1963年)まで稼働していました。
発電所のシンボルだった「お化け煙突」の3本は、関東大震災で被災した浅草火力発電所から移設したもので、翌年(昭和2年)2月に1本を増設しました。高さは80m。 -
秋本治さんの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の59巻には「お化け煙突が消えた日」という話があり、臨時教員に淡い恋心を抱いた両津勘吉のエピソードが書かれています。
そして両津らが久しぶりにお化け煙突の見える場所を訪れると、煙突が2本しか見えません。近くに行くと煙突は鉄球で破壊されているのでした。 -
昭和39年(1964年)8月末から取壊しが始まり、11月末に解体が完了しました。
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尾竹橋。
かつてこの場所にあった「尾竹の渡し」因んだ名前です。 -
千住桜木町交差点へ歩いています。
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冨嶽三十六景「武州千住」の碑。
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葛飾北斎の冨嶽三十六景「武州千住」で描かれた場所です。
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元宿堰稲荷神社の祠が建立されています。
かつて隅田川までつながる元宿堀がありました。 -
元宿堰稲荷神社の元宮です。
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元宮の南にある元宿堰稲荷神社。
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元宿堰稲荷神社の碑。
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元宿堰(もとじゅくぜき)稲荷神社の奉納鳥居。
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狛狐。
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狛狐。
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元宿堰稲荷神社は、宝暦4年(1754年)創建。昭和20年(1945年)11月に元宿神社の境内社となりましたが、昭和22年(1947年)2月には再び独立しました。
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元宿堰稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂命と大国主大神の二柱です。
その御神徳は「お化け除け」です。
東京電力千住火力発電所の鎮守とされ、千住四本煙突守護社でした。 -
水神社。
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元宿神社に来ました。
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この地は鎌倉時代以前から集落があったようです。江戸時代初めに日光街道が開通して千住宿が置かれると、それに対して「元宿」と称していました。
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元宿神社です。帝京科学大学の2号館と3号館に挟まれながら鎮座しています。
天正元年(1573年)に甲斐武田氏に仕えていた鈴木印幡貞宗の子・左衛門信義が陸羽街道「元宿」を開拓、その翌年に八幡神を奉斎したのが元宿神社の起源とされています。 -
明治末年には千住四丁目氷川神社に合祀されましたが、昭和5年に地元の稲荷神社と合わせて再び独立し、昭和7年に元宿神社と改称しました。
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感旧碑(きゅうにかんずるのひ)。
大正5年(1916年)の建碑。
氾濫を繰り返していた隅田川(元の荒川)の抜本的な治水対策として、政府は新たに放水路を開削することを決定しました。
4つの計画案の中から千住町の北側を迂回させる案が採用となり、明治44年から工事を開始、昭和5年の竣工まで20余年にわたる大工事が行われた結果、100年間経過しましたが、その間に一度も氾濫していません。
この「感旧碑」には、その工事に伴って、それまで開墾してきた土地を手放すことになった住民の悲嘆を綴った記録が刻まれています。 -
千寿七福神巡りの寿老神です。
ぼけ封じの神様として崇められています。
有り難や、有り難や。 -
元宿神社の境内には大正14年建立の大師堂があります。
荒綾八十八ヶ所霊場5番札所にもなってます。 -
弘法大師像。大正14年に造立。
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狛犬。昭和10年9月吉日建立。
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狛犬。昭和10年9月吉日建立。
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拝殿。
御祭神は、誉田別命(八幡神)と宇迦之御魂命(稲荷神)の二柱です。 -
御本殿。
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元宿神社境内にある三峯社です。
庚申塔と神社の由緒書の石碑。 -
神楽殿。
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西新井橋の南詰。
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西新井橋。昭和35年(1960年)竣工。
橋長は444.6m、総幅員15.7m、両側に2mの歩道が設けられています。
旧橋は、大正11年(1922年)、工事中の荒川放水路に架けられました。当時は少し上流の「お化け煙突」のたもとにあって、煙突を見渡せる場所として知られていました。 -
荒川。
モーターボートが疾走していました。
風が強くて、徒歩は危険と判断してバス移動に変更しました。 -
バス停。
北千住駅と千住桜木の間は多数のバス路線があり、数分おきに運行しています。
今回は、西新井大師行きのバスに乗ります。 -
荒川の上流方向。
バスで西新井橋を渡っています。 -
現在の荒川は昭和5年に完成した荒川放水路のことで、芭蕉翁と曾良が歩いたときも、東武鉄道が開通したときも、小さな川が流れているだけでした。
約8km上流には荒川と隅田川を仕切る岩淵水門があります。
よろしければ、岩淵水門を訪ねたときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11895680 -
荒川(旧名、荒川放水路)ができて大師道は分断されてしまいました。
バスは本木新道を進んでいます。 -
本木新道から七曲がりに入った所がバスの終点(西新井車庫)でした。
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東武鉄道の大師前駅。
昭和6年(1931年)12月20日、西板線の一部開通に伴って開業しました。
西板線は、東武伊勢崎線と東武東上線を繋ぐ路線として計画され、西新井駅と上板橋駅を結ぶはずの路線でしたが、昭和7年に計画を断念しました。
昭和22年5月21日、路線名改称に伴い、大師線の終着駅となりました。 -
駅前に支那そばのお店がありました。
昭和の中頃までは支那そばが普通でしたね。
支那という言葉は差別用語でもないのですが、マスコミが誰かに忖度して使われなくなってしまいました。支那の英語読みがチャイナですから、不思議なことにです。 -
支那そばをいただきました。
昔ながらの醤油味、美味しいです。 -
西新井大師にお参りするにも関わらず、餃子を食べてしまいました。焼きが少し足りないかな、もっとパリッとした焼き加減が好みです。
本来、お寺にお参りする前にはお酒を飲んだり匂いの強いものを食べてはダメですが、今回は北風対策です。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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