2026/06/04 - 2026/06/04
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hanapapaさん
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最近、某大学のオープンユニバーシティでキリスト教図像学(イコノグラフィー=絵画や彫刻などの美術作品に表現された事物や主題、象徴的な意味を、歴史的・文化的な背景と結びつけて読み解く美術史の学問)を少しかじっている関係で久しぶりに上野の国立西洋美術館に行ってみました。
観たかっのはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「聖トマス」という当美術館所蔵の絵画だったのですが残念ながら訪問日には展示されていませんでした。
その代わりと言っては何ですが、思った以上に沢山の名画を鑑賞でき、特に私の好きな宗教画が結構あったのは嬉しかったです。
常設展は65歳以上無料、写真撮影も一部を除いて可というのもありがたいですね。平日だったので館内はとても空いておりゆっくり芸術を鑑賞することができました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
-
やって来ました国立西洋美術館。
ル・コルビュジエの設計で世界遺産になっています。 -
マリオット・ディ・ナルド
「聖ステパノ伝」を表した祭壇画プレデッラ 1408年
「説教する聖ステパノ」
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
ここに描かれているのは、キリスト教の最初の殉教者(じゅんきょうしゃ)とされる聖人(せいじん)、ステパノです。作者は、イタリア・フィレンツェで人気のあった画家マリオット・ディ・ナルド。1408年に、聖ステパノの名の付いたフィレンツェ近郊の教会のために描きました。
もとは大きな祭壇画(さいだんが)の一部だったもので、左から右へ物語が描かれていきます。
青い衣をまとい、頭のまわりに光の輪をいただくのが聖ステパノ。
キリストを処刑した人々をとがめる説教を行った聖ステパノは、激怒した人々によって石で打たれ、殉教します。
遺体は、船でコンスタンティノポリスに運ばれ、後に、ローマに移されて、赤い衣の殉教者・聖ラウレンティウスの墓に一緒に埋葬(まいそう)されました。
この描き方は、ルネサンス美術と比べると、遠近感や大きさにリアリティが欠けるようにみえます。しかし、伝統的な型にのっとった人物のポーズは、物語の内容をドラマチックに私たちに伝え、テンペラ絵具の色鮮やかさもみどころです。 -
マリオット・ディ・ナルド
「聖ステパノ伝」を表した祭壇画プレデッラ
「聖ステパノの殉教」 -
マリオット・ディ・ナルド
「聖ステパノ伝」を表した祭壇画プレデッラ
「聖ステパノの遺体を運ぶ航海」 -
ヤコボ・デル・セッライオン
「聖三位一体、聖母マリア、聖ヨハネと寄進者」1480-85年頃 -
アンドレア・デル・サルト
「聖母子」1516年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
聖母マリアと幼子(おさなご)キリストを表した「聖母子像」です。
1516年頃、イタリアの画家アンドレア・デル・サルトが描きました。
サルトは、ミケランジェロとラファエロがローマに活躍の場を移した後、フィレンツェのルネサンスをリードした画家です。夏目漱石の「吾輩は猫である」に「イタリアの大家」として出てくるのを覚えておいでの方もいるかもしれません。
その工房からは次世代を担う多くの画家が羽ばたきました。
マリアの衣服の青と赤の組み合わせは、聖母像に伝統的な配色で、ヴェールとマントの青は天を象徴し、衣の赤は慈愛を象徴します。幼子キリストのやや筋肉質な体つきや、絵全体に漂うどこかメランコリックな雰囲気は、ルネサンスに続いて流行したマニエリスム絵画の特徴を先取りしているようです。 -
ジョルジュ・ヴァザーリ
「ゲッセマネの祈り」1570年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
主題は、新約聖書の「マタイ伝」、「ルカ伝」などの一節からとられている。ユダの裏切りを知ったキリストは最後の晩餐のあとに、橄欖山の麓のゲッセマネでペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を伴い、苦悩のうちに神に祈りを捧げ、天使によって力づけられるが、弟子の三人は眠り込んでいる。
三角形構図の頂点に祈るキリスト、下辺に寝入っている三人の使徒(左からペテロ、ヨハネ、ヤコブ)をそれぞれ配し、マニエリスムに特有の変化に豊んだ姿形を与え、構図に流動性と張りをもたせている。画面左上には、キリストを捕えるためにユダに導かれてやって来た群衆が描かれており、この主題の伝統的図像に従っている。
かつて本作品は比較的初期の1545-46年頃のものと考えられていたが、制作様式、関連する素描の分析から、ヴァザーリの晩年の作と考えたい。 -
ティントレット
「ダヴィデを装った若い男の肖像」1555-60年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
こちらを向く若者の右手には大きな剣、左手には石を投げつける武器・投石器(とうせきき)をもち、画面左後ろには、首をはねられた人物が横たわります。
彼は、旧約聖書に、巨人ゴリアテを石で一撃し倒したと記される、英雄ダヴィデを装っているのでしょう。
この絵の描かれた16世紀のヴェネツィアでは、モデルを聖書の登場人物などに見立てる事がよくありました。背後には戦いの場面が描かれていることから、モデルの若者が実際に名をあげた戦いを記念して、あるいは戦勝(せんしょう)を祈願(きがん)して、作られたのかもしれません。
作者は、16世紀後半のヴェネツィア絵画を牽引(けんいん)したティントレット。
肖像画の名手として知られ、ヴェネツィアの名士(めいし)たちを威厳(いげん)あふれる姿で描き、その工房には仕事の依頼が集まりました。
この若者がまとう衣の、素早い筆さばきは、ティントレットが非常に多作で早描きだったという評判を思い起させます。今もその作品はヴェネツィアの町のあらゆる場所を飾っています。 -
パオロ・ヴェロネーゼ
「聖カタリナの神秘の結婚」1547年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作は、画家ヴェロネーゼが生地ヴェローナで描いた初期の作品です。主題はアレクサンドリアの聖カタリナがキリストと結んだ「神秘の結婚」を表し、中央に幼児キリストを抱く聖母マリアが、右側に聖カタリナが描かれています。画面左上にはヴェローナの有力貴族の2つの紋章があることから、本作は1547年に両家の間に結ばれた結婚を記念して制作されたと考えられています。 -
ティツィアーノ
「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」1560-70年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
イタリア・ルネサンスを代表する巨匠ティツィアーノの晩年の作品です。工房がある程度まで描いたものですが、鮮やかな色彩の服や装飾品、そしてX線写真から大幅に描き直されたことがわかるサロメの右腕や侍女の首などは、確実にティツィアーノの筆によるものです。 新約聖書に取材した本作には、ヘロデ王の娘サロメが、 宴で踊りを披露した褒美に手に入れた洗礼者聖ヨハネの首を、盆に載せて差し出す姿で描かれています。 -
フェーデ・ガリツィア
「ホロフェルネスの首を持つユディト」1622年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
フェーデ・ガリツィアは17世紀初頭のミラノで活躍した女性画家です。現在ではカラヴァッジョと並ぶ北イタリア静物画の旗手として主に知られますが、当時は宗教画や肖像画によっても高く評価されていました。 特に「ユディトとホロフェルネス」は6点制作しており、 本作はその中で最後に描かれたものと考えられます。 ユディトは、敵軍の将ホロフェルネスを酒に酔わせ首を斬って退治したユダヤの女性です。彼女は異教の敵を倒した英雄として対抗宗教改革期のカトリック教会に好まれ、この時代頻繁に描かれました。 -
ラヴィニア・フォンターナ
「アントニエッタ・ゴンザレスの肖像」1595年
(以下、国立西洋美術館解説より)
この少女の父は、顔を含む体中に毛が生えるという特異体質ゆえ、少年時代にパリに連れてこられ、宮廷人として育てられました。その体質は、子供たち数人に遺伝します。有名になった一家は各地の宮廷から求められ、最終的にイタリアのバルマに落ち着きました。 そこで少女は有力な貴族に引き取られました。彼女が手にする手紙には、身の上が記されています。
作者のラヴィニア・フォンターナは、西洋美術史上初めて本職の画家として成功を収めた女性。表情や衣服の装飾を精緻かつ色鮮やかに描き出す手法は、この画家ならではのものです。 -
ルドヴィーユ・カラッチ
「ダリウスの家族」1591-92年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作は、マケドニアのアレクサンドロス大王にまつわる逸話を主題とします。大王が戦いで破ったペルシャ王ダリウス(ダレイオス3世)の家族を見舞った際、ダリウスの母は大王と随臣を取り違えて挨拶するという無礼を働いてしまいます。しかし、大王はそれを許しむしろ丁重にもてなしたという話で、アレクサンドロスの寛容さと慈悲深さを称えています。現在の本作の姿は断片に過ぎず、向かって右側に大王と随臣が描かれていたと想定されます。作者のルドヴィーコ・カラッチは1600年前後のボローニャで活躍し、バロック絵画の誕生に重要な貢献を成したイタリア人画家です。 -
カルロ・ドルチ
「悲しみの聖母」1655年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
ドルチは17世紀フィレンツェを代表する両家です。鮮やかで深みのある色彩と織密な描写を特徴とし、冷ややかながら甘美な願いを帯びた、独自に理想化された宗教人物(とりわけ女性)像で人気を博しました。 本作の主題は、わが子キリストの運命をめぐって悲しみにくれる聖母マリアという権めて伝統的なもので、 ドルチはこれを何枚も制作しています。ドルチ本人も敬虔な信仰の人で、生涯聖ベネディクトゥス信者会に属していました。 -
ルカ・ジョルダーノ
「マギの礼拝」1687-89年頃
(以下、国立西洋美術館解説より)
ナポリ生まれのルカ・ジョルダーノは、後期バロック絵画を代表する大画家として知られます。本作は画菜の晩年に、彼の重要なバトロンでナポリ王を務めたスペイン人貴族、サンティエステバン伯爵のために描かれた、同寸の6枚組の絵画のうちの1点と考えられます。主題は、マギと呼ばれる3人の賢者たちが贈り物を持ってイエス・キリストの誕生を祝いに訪れた場面です。中央に聖母子が座し、彼らを取り囲むように賢者たちとその従者たちが、そしてさらにその周囲には見物に詰めかけた多くの群衆や天使たちまでもが描かれ、このめでたき場面にふさわしい祝祭的な雰囲気が演出されています。
賢者の1人が黒人として表わされているのは、キリストによる救済が全人類に及ぶことの象徴として、中世末期以降定型化した習慣に従います。しかし本作では、 黒人の賢者が聖母子の最も近くで直接祝福を受けており、これは極めて例外的な表現です。注文主の意向など具体的な背景があるものと想定されます。 -
ベルナルド・カヴァリーノ
「ヘラクレスとオンファレ」1640年頃 -
エドワールト・コリール
「ヴァニタスー 書物と髑髏のある静物」1663年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
髑髏を中心に、左奥から時計回りに、火が消えたばかりのオイルランプ、お金をいれる袋、そして倒れた空のグラスに、懐中時計。
いずれも、この世は移ろいやすく、形あるものは全て滅ぶことを暗示しています。
さらに楽器が奏でた音色も、たちまち消えてしまう、うつろなもの。
右手に大きく広げられた書物、左手の小さな本は毎年出版された年鑑(ねんかん)、そこに乗ったインク壺とペン入れ。読書や学問から得られる知識は現世的(げんせてき)でむなしいことを表しています。
年鑑の左ページに描かれた肖像画は、この絵の作者エドワールト・コリールの自画像かもしれません。
17世紀のオランダでは、このような絵がよく描かれてひとつのジャンルとなり、ラテン語で「虚栄(きょえい)」や「はかなさ」を意味する「ヴァニタス」と呼ばれていました。そこには「メメント・モリ」死を忘れるなかれ、という教訓(きょうくん)が込められたのです。 -
フェルメール
「聖プラクセディス」1655年
(以下、国立西洋美術館解説より)
これは、フェリーチェ・フィケレッリ (1605-60年)といライタリア人画家の作品の模写です。しかし、画面左下に記された署名と年記0Meer 1655)から、オランダの風俗画家として名高いフェルメールの作品である能性が指摘されています。衣服の袖などに用いられている側はフェルメールの他の初期作品に用いられたものと極めて近い組成を持つことが判明しています。ブラクセディズは2世紀の人で、姉とともに殉教者たちを有適し直体を理解したことで知られます。 -
ヨハン・ハインリヒ・フュースリ
「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」1783年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
画面左の青年テオドーレは、身分違いの恋に思い悩み、森の中を歩いていました。すると、同じように恋人から拒絶されて自ら命を絶った男性、グイド・カヴァルカンティの亡霊(ぼうれい)が馬に乗って現れ、かつての恋人を追い詰めているところに出くわします。亡霊は、宙(ちゅう)に鮮血(せんけつ)をまき散らしながら剣を振りおろし、逃げ惑(まど)う裸体の女性の頭を、今まさに、切り落としたところなのです。
ボッカッチョの「デカメロン」を基(もと)にして書かれた詩を、幻想的でドラマチックに描いたのは、スイス生まれのハインリヒ・フュースリ。
18世紀後半から19世紀初頭にイギリスで活躍した画家で、ロンドンのロイヤル・アカデミーの絵画教授も長年務めた重鎮(じゅうちん)でした。
若いころから文学や哲学、神学の教養を身につけたフュースリは、古典文学や神話を題材にした作品を多く描きました。8年にわたりイタリアに滞在し、古代ローマ彫刻やミケランジェロ作品に感銘を受けたようです。この絵は初期の代表作です。 -
クロード・モネ
「睡蓮」1916年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
パリからおよそ70キロの小さな村、ジヴェルニー。
ここを終(つい)の棲家(すみか)としたクロード・モネが、生涯をかけて取り組んだ画業の集大成が、《睡蓮》の連作です。
自ら土をいじった庭の蓮池(はすいけ)を題材に、30年にわたって200点以上を描きました。モネの言葉です。
「モティーフで一番大切なのは、空の一部分が映りこむことによって、刻一刻(こくいっこく)とその外観を変える、鏡のような水面(みなも)だ。過ぎ行く雲、吹き抜けるそよ風。強く吹き付け、急にやむ風。朧(おぼろ)になり、その後ふたたび輝きだす光。すべてが色彩を変化させ、水面をかき乱す」
この作品は、のちにオランジュリー美術館に収蔵された大型連作のための習作のひとつと考えられています。コレクターの松方(まつかた)幸次郎(こうじろう)が、画家から直接購入しました。当時モネは、庭にガラス張りの大きなアトリエを建てて、朝から晩まで制作に励んでいたといいます。
細かい描写を省略した大胆な筆遣いは、のちの表現主義や抽象絵画の発展にも影響を与えています。 -
エドゥアール・マネ
「ブラン氏の肖像」1879年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
グレーのシルクハットに青紫の上着を粋に着こなし、ポーズをとる紳士。ベストのクリーム色と、襟元(えりもと)の花のピンクが差し色となり、帽子のリボンとネクタイの濃紺が、画面全体を引き締めています。
19世紀フランスで、同時代のパリに生きる人々を描き「近代絵画の父」と呼ばれるエドゥアール・マネ、晩年の作品です。
印象派の画家たちに慕(した)われた年上のマネは、彼らの活動には参加しませんでした。しかしこの作品では、生い茂(しげ)る草木や、地面に踊る薄紫色の木漏れ日のみずみずしい表現に、印象派を踏まえたマネの試みをみることができます。
エミール・ゾラの小説に出てきそうなこのモデル、ムッシュー・ブランは、有名なオペラ歌手エミリー・アンブルの友人といわれています。
この絵を描いた1880年頃、マネは足の治療のためにパリ近郊の町に滞在し、そこでエミリーと知り合い、親しく交流しました。この作品は一時、画家ドガが所蔵していました。 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール
「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」1872年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
1872年、31歳のピエール=オーギュスト・ルノワールは権威あるサロンへの出品をめざして、この作品を描きました。設定は、当時フランスの植民地だった、北アフリカ・アルジェリアのハーレムで、人気のあるエキゾチックな主題でした。
ルノワールは、実際にアルジェリアを訪れた事はなく、ルーヴル美術館で見る事が出来たドラクロワの傑作(けっさく)「アルジェの女たち」から着想(ちゃくそう)を得ています。ドラクロワを尊敬していたルノワールは「世界にこれほど美しい絵画は存在しないだろう」と語りました。この作品では、縦長の画面に対角線を強調した動きのある構図を作り、裸体の女性たちを中心に描いて、独自性を出そうとしています。
しかし画家の意に反して、本作品はサロンに落選。中央の女性のモデルを務めた恋人リーズとの7年にわたる関係にも終止符が打たれました。
この作品は、印象主義的な作品を発表しはじめる前の、ルノワール初期の代表作です。 -
フィリップ・ド・シャンパーニュ
「マグダラのマリア」
アトリビュートの香油入れが右下にあります。 -
ヨース・ファン・クレーフェ
「キリストの磔刑」16世紀前半
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作のように、中央パネルと開閉可能な左右の翼部で構成される作品を「三連祭壇画」と呼びます。ここは、 全パネルを横断する風景を背景に、中央には「キリスト磔刑」が、両翼部には跪いて折る寄進者の夫婦が描かれています。クレーフェは16世紀前半にアントウェルペンで活躍した画家で、広大なパノラマの中に奇岩などの細部を綿密に描き込んだ風景描写には、16世紀フランドルの風景画の特色が良く表れています。 -
マントヴァ
「キリスト降誕」1515年頃 -
ミレイ
「あひるの子」1889年
(以下、国立西洋美術館解説より)
ミレイは19世紀イギリス、ヴィクトリア朝の画家で、ラファエル前派兄弟団のメンバーのひとりです。当時のイギリスでは、主に愛らしい子どもや女性を描いた、 感傷的なリアリズムを特徴とする同時代の風俗画が 「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれ、大衆的な人気を博しました。1870年代以降、ミレイのファンシー・ピクチャーは複製版画や商業ポスターを通じ、広く愛好されます。本作は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『みにくいあひるの子」に着想を得たものです。少女のぼさぼさの髪や傷んだ靴がその恵まれない境遇を物語る一方、やがて彼女は白島のように美しく成長を遂げるであろうことが示唆されています。 -
ニコラ・ド・ラルジリエール
「幼い貴族の肖像」1714年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
岩の上に腰掛け、傍(かたわ)らの犬をなでる少年。
身体をねじるポーズや、空に立ち込める重々しい雲はドラマチックなバロック絵画の特徴ですが、バラ色に輝く頬、グレーの衣装に映えるパステルピンクのマントの優雅さは、きたるロココの肖像画らしい雰囲気を備えています。
作者のニコラ・ド・ラルジリエールは、格式ばったフランスの肖像画に、華やかな色彩や、いきいきとした人物表現を取り入れて、18世紀前半を代表する人気画家となりました。
この少年は、その高貴な身なりから、フランス国王ルイ15世の子供時代ではないかと言われてきました。
少年と犬の視線の先にいるのは、茨(いばら)の枝にとまる一羽のごしきひわ。
この鳥は、伝統的にキリストの受難(じゅなん)と復活のシンボルとして描かれます。
ルイ15世は幼い時に両親と兄を亡くし、そのすぐ後に曾祖父(そうそふ)ルイ14世も世を去ったため、わずか5歳で即位(そくい)しました。もしこの少年がルイ15世だとしたら、この絵はそうした事情を暗示し、フランス王室の繁栄を祈って描かれたのかもしれません。 -
ルーベンス
「眠る二人の子ども」1612-13年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
あどけない寝顔のおさない子供たち。17世紀の大画家ペーテル・パウル・ルーベンスが、仲の良かった自分の兄の子供たちをえがいたと考えられています。右が姉のクララ、左が弟のフィリップとみなされています。子供たちの父親は、フィリップが生まれた年にこの世を去りました。
この絵は、小さな子供の頭部の描き方を研究するための習作で、すばやい筆づかいで、いきいきとえがかれています。子どもたちのふっくらした赤い頬にわずかに開いた唇、柔らかな金色の巻き毛は、鋭い観察に基づいて描かれていますが、そこには同時に叔父ルーベンスの愛情も感じとれます。
この子供たちの顔は、後に大型の絵画の一部に転用されています。 -
ロセッティ
「愛の杯」1867年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
ダンテ・ガブリエル・ロセッティは、1848年20歳の時、仲間とラファエル前派兄弟団を結成しました。グループ名が意味するのは、ルネサンスの巨匠ラファエロよりも前の時代の、純粋で素朴な美術から学ぼう、というもの。理想化を重んじて型にはまった当時の画壇に反旗をひるがえした若い画家達は、古くも新しい美の世界に目を向けたのです。
この作品「愛の杯」は、ラファエル前派の結成から約20年後に描かれました。既にグループのメンバーはそれぞれ独自の道を歩んでおり、その頃、ロセッティは豊かな色彩を用いて官能的に女性を描いていました。
ハート型の文様のついた黄金の杯を掲げる女性。その憂いを帯びたまなざしは何を語っているのでしょうか。
この絵の額縁にはこう記されています。
「甘き夜、楽しき昼/美(うるわ)しき愛の騎士へ」
女性は戦いへおもむく恋人に思いをはせているのかもしれません。 -
コロー
「ナポリの浜の思い出」1870-72年頃
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
やわらかく葉をそよがせる木々のアーチの下、子どもを抱く女性と、タンバリンを手に踊る女性がこちらへ向かってきます。両側の木々がまるで舞台装置のような枠組みとなって、画面奥の光に満ちたナポリの浜辺へと、私たちの視線をいざないます。
独特のシルバーグレーのもやに包まれた画面で知られる、フランスの画家
カミーユ・コロー。
ナポリに旅行してから40年あまり後に、この絵を描きました。コローはかつて旅した土地の記憶を辿り、タイトルに「思い出」とつけた抒情的な絵をいくつも残しています。
彼は自然を写実的であるだけではなく、自分の個人的な感情を通して描こうとしました。
また「描かれたものが動いているかのように描きたい」とも言っています。
伝統を重んじながらも、19世紀の風景画に様々な革新をもたらし、印象派をはじめ、のちの芸術の先駆者となりました。 -
モネ
「舟遊び」1887年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
ここは、クロード・モネの終の棲家となったジヴェルニーにほど近い、エプト川。夏服の娘たちを乗せた一艘の小舟がそこを悠然と横切っていきます。小高い川岸の上から見下ろしているのか、画面に水平線は描かれず、全体を川の水面が満たしています。
小舟の舳先は画面の端でトリミングされ、小舟が動いていくようにみえる効果をあげています。こうした大胆な構図には、モネが収集していた日本の浮世絵からの影響が指摘されます。
19世紀後半のフランスでは、鉄道が整備されると、パリ市民は気軽に郊外に出かけるようになります。舟遊びは当時人気のレジャーでした。モネは エプト川の舟遊びの光景を繰り返し描きました。この絵のモデルは、のちに彼の再婚相手となる、アリス・オシュデの二人の娘です。 -
シニャック
「サン=トロペの港」1901-02年
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
1886年、最後となった第8回印象派展に二人の若い画家が参加します。
ジョルジュ・スーラと、この絵の作者、ポール・シニャック。
印象派が好んだ細かいタッチで色を置いていく「筆触(ひっしょく)分割(ぶんかつ)」。それを高度な光学(こうがく)理論(りろん)や色彩理論をもちいて新たな「点描(てんびょう)」へと発展させた二人は、新印象主義の創始者となりました。
5年後、スーラの突然の死に衝撃をうけたシニャックは、ヨットで地中海の旅に出ます。そして南フランスの古い港町サント=ロペに魅了され、毎年ここを訪れるようになりました。
このシニャック最大の風景画は、本人が「強いオレンジ色の背景に青のアラベスク」と書いた通り、互いの色を引き立てあう補色の関係が基調となっています。
描き方は、以前の小さな点の代わりに、大きな四角い筆づかいです。絵具をパレットで混ぜずにカンヴァスに並べて置くと、人間は目の網膜の中で隣り合う色を混ぜ合わせて見ます。シニャックはそれよりも色彩同士の対比を強調することを選んだのです。この画風は、マティスなど、のちの世代に影響を与えました。 -
ヤーコブ・ヨルダーンス
「聖家族」1620年頃 -
シモン・ヴーエ
「アレクサンドリアの聖カタリナ」
(以下、国立西洋美術館解説より)
アレクサンドリアの聖カタリナは、4世紀初頭のエジプトの王女で、キリスト教の聖人です。伝承によれば、 砂漠の隠修士から洗礼を受けてキリスト教に改宗し、 ローマ皇帝からの求婚に際しても、信仰を理由に拒んだため捉えられました。そして大釘を打ち付けた車輪で八つ裂きにされかけますが、天から降った稲妻によりその車輪は奇跡的に破壊され、彼女はその後斬首により殉教を遂げます。数多くの女性聖人の中でも歴史上熱い崇敬を集め、造形化される際は刑具である車輪や剣、殉教者のシンボルである棕櫚などを伴って表されます。しばしば豪華な衣装や装身具をまとうのは、王家の出身であったという出自に基づきます。また、彼女が見たとされる、キリストとの神秘の結婚という幻視の場面も、とりわけイタリア絵画を中心に頻繁に取り上げられました。 -
ヤン・ブリューゲル
「アブラハムとイサクのいる森林風景」1599年
(以下、国立西洋美術館解説より)
ヤン・ブリューゲルはビーテル・ブリューゲル(父)の次男で、板や銅板に風景や花の静物画を細密に描きました。本作は、息子を犠牲に捧げるよう神に命じられたアブラハムが、息子イサクとともにモリアの地へと旅する場面を表しています。前景でロバに乗った老人がアブラハムで、その手前で薪を抱えて歩く若者がイサクです。ヤンはこのように、点景として宗教主題の人物を取り入れた森林風景を多く描きました。 -
ピーテル・ブリューゲル
「鳥罠のある風景」
(以下、国立西洋美術館解説より)
この作品は、農民画家として名高いビーテル・ブリューゲル(父)の原作を、同名の息子が模写したも同様の模写が100点以上確認される。高い人気を誇った構図ですが、本作品はそうした模写の中でも最も優れた一枚に数えられます。
画面右の木立に島罠が仕掛けられ、その下の凍った川では人々がスケートなどの遊びに興じています。しかし、川の一番こちら側には穴が開いており、彼らと罠の餌食となる島たちとは同じ運命にあることが、それとなく示唆されています。 -
ヨース・ファン・クレーフェ
「三連祭壇画:キリスト磔刑」16世紀前半
(以下、国立西洋美術館オーディオガイドより)
いばらの冠(かんむり)をかぶり、十字架の上で静かに目を閉じるキリスト。
その足元には、手前から、悲しみに沈む青い衣の聖母マリア、十二使徒のひとりで福音書(ふくいんしょ)記者(きしゃ)のヨハネ、そしてマグダラのマリアが集まっています。
他の人物に比べ、キリストの身体はやや小さく描かれていますが、これは、祭壇画を下から見上げる事を考えて工夫されているのでしょう。
手前の地面に散らばる骨は、十字架がアダムの墓の上にたてられたという言い伝えによるものです。
左右のパネルでひざまずいて祈る男女は、この祭壇画を寄進(きしん)した夫婦だと思われます。
背景には、上から見下ろしたようなパノラマの風景が広がり、白く光る河に導かれた私たちの視線は、かすむ地平線までとらえる事ができます。
作者は、今のベルギーで活躍したヨース・ファン・クレーフェ。
人物を華麗な色彩で描き、背後に幻想的で透明感のある風景を配置するのは、16世紀前半のフランドル絵画らしい特徴です。 -
ヨアヒム・パティニール
「三連祭壇画:エジプト逃避途上の休息」 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
「ある男の肖像」1430年代
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作は、15世紀フランドル絵画を代表する画家の一人、 ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの周辺ないし追随者による作品です。4分の3面観の胸像で捉えられた像主が、奥行きを閉ざされた空間の中に、下の画枠に手をのせるようにして描き出されています。これは、ロヒールらが確立した初期フランドルの肖像画の典型を示しています。顔や手はロヒールの真作と比べるといささか平板ではありながら、被り物の細部などは極めて細やかに描き出されています。ロヒール真筆の肖像が10数点しか知られていない中、本作は彼の革新とその影響を如実に伝える作品として大変貴重です。 -
聖ルキア伝の画家
「聖ヒエロニムス」15世紀末 -
アドリアーン・イーゼンブラント
「玉座の聖母子」 -
15世紀フィレンツェ派
「聖ヴェロニカ」
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作は「ヴェロニカの聖顔布」を主題とする個人祈繍用の祈念像に典型的な表現形式に則りながらも、それにとどまらない多様な造形要素を備えています。かつてイタリアのトスカーナ地方の修道院にあったこの小型の板絵は、聖顔布の主題が流行した15世紀末から 16世紀初頭にフィレンツェ周辺で制作されたと推察されるものの、その詳細はいまだあきらかではありません。しかし、ここでは少し踏み込んで、当館が所蔵する《聖ヴェロニカ》について考えてみましょう。
ヴェロニカと聖顔布の描写には、複数の流派からの影響を見てとることができます。たとえば、布の両端を握る手のかたちや髪が薄いキリストの顔貌はピエロ・ディ・コジモの作品 (fig. 9)と類似しているいっぽう、瞑想にふけるようなヴェロニカの表情やキリストの柔らかな巻き毛には、ケルン派 (figs. 4,5)の様式を想起させるところもあります。15世紀をつうじてヨーロッパ各地で生まれた「ヴェロニカの聖顔布」のさまざまな表象を組みあわせるようにして、作者は本作を構想したのかもしれません。ちなみに、エンポリのサンタンドレア聖堂附属美術館には、本作にみられるのときわめてよく似たヴェロニカ像と聖顔布が描かれた作者不詳の絵画 (fig. 10) が所蔵されていますが、これらふたつが同一の画家の手によるものなのか、あくまでも別々の作者が制作したものであるのかは、研究者ごとに見解が異なります。
しかし重要なのは、本作がそれらの先行作や類作には認められない固有の特徴を備えていることです。つまり、ヴェロニカの背後に豊かな装飾を施された緞帳があり、その両脇から風景が見えるという点です。これらは、聖顔布を主題とした祈念像の表現の慣習にはそぐわなかった要素だといえます。この主題の祈念像は、本作以前には基本的に、単色ないし金地の背景のまえにヴェロニカを配していました。そのことによって鑑賞者は、物語の空間からは切り離され、 説話的モティーフを省かれた、ある種の無時間的で超越的な場に立つヴェロニカと対面させられ、彼女が手にする聖顔布に刻印された
「真正なイメージ」との心的対話を促されていたのです。これにたいして、本作に表わされた絵帳や風景は、絵画空間を物語場面に近いものとしつつ、聖顔布をもつヴェロニカを、より現実的で世俗的な人物像に変えています。
さらに注目してよいのは、殺帳が一般には、聖母子像の背後に「栄誉」のモティーフとして描かれるものであったということです。それゆえ、本作でのヴェロニカは世俗的な性格を強められながらも、あらたな聖性を付与されているといえるでしょうか。もしそうであれば、彼女はもはや、聖顔布に付随して描き添えられている存在ではありません。いずれにしても本作は、既存の祈念像の枠組みから多少なら
ず脱して、聖顔布を掲げるヴェロニカを物語画の領域へと移行させると同時に、その女性の存在を、これまでは結びついていなかった象徴体系の内部に置き換えようとしていると映るのです。 -
アンドレアス・リッツォス
「イコン:神の御坐を伴うキリスト昇天」 -
モーリス・ドニ
「踊る女たち」1905年 -
カミーユ・ピサロ
「収穫」 -
テオドール・シャセリオー
「アクタイオンに驚くディアナ」1840年
(以下、国立西洋美術館解説より)
アングル流の新古典主義と、ドラクロワ率いるロマン主義を統合したシャセリオーは、37歳で夭逝するも 19世紀末の象徴主義への道筋を示しました。本作はオウィディウスの『変身物語』に取材し、手前には優美な背中を見せる女神ディアナとニンフたちが配され、 画面奥には彼女らの水浴を覗き見たため鹿に姿を変えられつつある狩人アクタイオンが、襲いかかる猟犬らとともに描かれます。鮮やかな色彩や動きのある構図、大気や水の繊細な色調に、ロマン主義への傾倒が見て取れます。 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール
「帽子の女」1891年
(以下、国立西洋美術館解説より)
本作はルノワールの「真珠色の時代」と呼ばれた 1890年代の作品です。1883年頃から印象派の技法に限界を感じた画家は、固有色と明確な輪郭による造形表現へと一度能を切りましたが、間もなくヴァトーやフラゴナールらロココ絵画の洗練された筆致を参照するようになります。
柔らかな筆致が捉える白いドレスと滑らかな肌は、まさに真珠のような淡い色調が溶け合う繊細な輝きをたたえ、背景の鮮やかな色彩と好対照をなしています。画家が特別な関心を寄せ、この頃くり返し描いた装飾的な作りの帽子は、本作でもその華やかさで私たちの目を引きます。
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