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2025年7月8日(火)午後の2時20分頃、コモンズBの続き、やっと最後。以後の国、どこも行ったことないし、多分行くこともないだろう。<br /><br />ガイアナの次はジンバブエ。アフリカ大陸の南部で、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に囲まれた内陸国。地図では接しているように見えるナミビアとは150m離れている。正式にはジンバブエ共和国(Republic of Zimbabwe)。2003年までは英連邦加盟国だった。首都はハラレ(Harare)。<br /><br />国名はジンバブエやザンビア南部に住むショナ人が話すショナ語で「石の館」を意味し、世界遺産のグレート・ジンバブエ遺跡に由来する。かつては南ローデシアと呼ばれていた。北ローデシアは現在のザンビア。<br /><br />ちなみに「ローデシア」の名は19世紀末に英国の植民地政治家のセシル・ローズ(Cecil Rhodes)が南アフリカ中央部のザンビアからジンバブエ、ボツワナ、南アフリカ共和国一帯を支配下に持つイギリス南アフリカ会社(British South Africa Company)を設立した際に、自分の名から命名したもの。<br /><br />面積約39万平方kmは国の面積リスト61位。人口約1500万人は国の人口リストで72位。公用語は英語だが、日常生活では多くの現地言語が使われている。通貨は2024年にジンバブエ・ゴールド(ZiG)が法定通貨と定められたが、実質的には米ドルが使用されている。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />12世紀頃から一部地域にマプングヴエ王国やグレート・ジンバブエ王国、モノモタパ王国、トルワ王国などが栄える。16世紀から17世紀に掛けてはポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退、地方首長国の分立が続く。<br /><br />上述のように19世紀末にイギリス南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれる。第二次大戦後も白人支配は続き、1965年には白人中心のローデシア共和国として独立するが、国際的には承認されなかった。<br /><br />ジンバブエ共和国としての独立は1980年。独立当初は議院内閣制を引いていたが、1987年に大統領制に移行し、それまで首相だったロバート・ムガベ(Robert Mugabe)が大統領に就任、93歳となる2017年に座を追われるまで独裁政治を続けた。<br /><br />パビリオンには360度VRが設置されており、ザンビアとの国境にあるビクトリアの滝やグレートジンバブエ遺跡などを迫力ある映像で楽しめる。<br /><br />次は南太平洋、ミクロネシアにあるナウル。赤道直下、日付変更線の西側にポツンと浮かぶナウル島を国土とする共和国で、正式にはナウル共和国(Republic of Nauru)。英連邦加盟国。南太平洋での初めての独立国。公的に定められた首都はないが、一般には政庁があるヤレン(Yaren)とされる。<br /><br />国名はナウル語で「私は浜へ行く」を意味する&quot;a-nuau-a-a-ororo&quot;(アナォエロ)から来ていると云われる。かつてこの島を支配していたドイツ人がこの言葉を地名と勘違いし、それがナウル語でNaoero(ナォエロ)となり、英語表記でNauru(ナウルー)になった。<br /><br />面積は21平方kmで、バチカン市国、モナコに次いで世界で3番目に小さい。人口約1.1万人はバチカンに次いで世界で2番目に少ない。公用語はナウル語と英語。ナウル人のほとんどは両方を話すことができ、日常会話ではナウル語が使われ、教育や行政、ビジネスでは英語が広く使われている。通貨はオーストラリア・ドル(AUD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない。<br /><br />紀元前1000年頃からミクロネシア系諸民族が暮らし、農業と漁業を軸とした生活を送っていた。18世紀末、イギリス人がこの島を「発見」。島のリン鉱石事業の可能性にいち早く気付いたドイツが、1888年にナウル島の領有を宣言した。<br /><br />しかし第一次大戦でドイツは敗戦国となり、領有を放棄させられ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの共同統治下に入る。第二次大戦中には日本軍に占領されたが、終戦後は再び3国の共同統治に戻る。1966年に内政自治を獲得、1968年に独立。<br /><br />パビリオンは開幕時から中心にあった円柱の台座が空っぽで、虚無展示として話題になったが、この時にはすでにナウルの伝統的な民芸品や写真が展示されていた。その後広報連携している東大阪市のマスコットキャラクターのトライくんも加わったそうだ。<br /><br />続いてはアフリカに戻ってエチオピア。東アフリカのアフリカの角地域に位置する連邦共和制の内陸国で、正式にはエチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopia)。エリトリア、ソマリア、ジブチ、スーダン、南スーダン、ケニアに囲まれている。首都はアディスアベバ(Addis Ababa)。<br /><br />国名はギリシア語で「日に焼けた人々」を意味する“AETHIOPS”(イティオプス)から転じたもの。元々は紀元前5世紀頃のギリシア人がこの地域の人々を指して記録していたもの。ただし、20世紀に入るまではアラビア語で混血を意味するアビシニア(Abyssinia)と呼ばれていた。<br /><br />面積約110万平方kmは国の面積リスト26位。人口約1億3000万人は国の人口リストで10位。公用語は定められておらず、多くの現地言語が使われているが、人口の40%がアムハラ語を使い、連邦政府の作業言語に定められている。通貨はブル(ETB)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />人類の誕生の地と云われる。紀元前5世紀から紀元前4世紀頃、ダモト王国が誕生、1世紀にはアクスム王国が成立し、1137年にザグウェ朝に滅ぼされるまで続く。1270年にザグウェ朝が倒されソロモン朝が成立、第二次大戦で一時イタリアの侵攻を受けたが、1974年のエチオピア革命まで続き、その途中でエチオピア帝国と名乗る。<br /><br />エチオピア革命後はエチオピア共和国となるが、1987年に新憲法を採択、エチオピア人民民主共和国となり、一党独裁制とした。その後、1991年に独裁政権が倒され、選挙を経て1995年に現在のエチオピア連邦民主共和国となった。アフリカ分割においてヨーロッパ諸国に植民地化されなかったエチオピア帝国の系譜を継ぐため、アフリカ最古の国と呼ばれる。<br /><br />パビリオンではコーヒー発祥の地と云われる国だけにコーヒーをプッシュ。「コーヒーセレモニー」と云う親戚や近所の人が集まってカップを並べて行うおもてなしも展示されていた。1杯目は塩やバター、2・3杯目は香辛料で味変がエチオピア流だそうだ。<br /><br />次はカリブ海へ飛んで、セントビンセント・グレナディーン。カリブ海の東側に南北に連なる小アンティル諸島の南部のウィンドワード諸島にある立憲君主制国家で、正式にはセントビンセント及びグレナディーン諸島(Saint Vincent and the Grenadines;SVG)。主島のセントビンセント島とその南に連なる約32の島々で構成される。英連邦加盟国で、英連邦王国のひとつ。首都はセントビンセント島のキングスタウン(Kingstown)。150kmほど北のセントルシアには行ったことあるが、この国はない。<br /><br />国名は島と諸島の名前から来ている。セントビンセント島の名は、1498年にコロンブスが同島を「発見」した日がヴィセンテの祝日であったことに由来する。ヴィセンテはカトリック教会の聖人「サラゴサのヴィセンテ」で、英語発音でビンセントとなる。グレナディーン諸島の名は、この諸島に多く生えているパッションフルーツの実と似ているザクロ(スペイン語でgranadino)の英語読み。<br /><br />面積約400平方kmは国の面積リスト184位。人口約10万人は国の人口リストで195位。公用語は英語だが、グレナディーン諸島の一部では、フランス語が混じったパトワと呼ばれるクレオール語が話されている。通貨は東カリブドル(XEC)。日本との時差は13時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />元々は南米から移住したアラワク族が住んでいたが、14世紀に同じく南米からカリブ族が渡来し、アラワク族を駆逐する。カリブ族は18世紀初頭まではヨーロッパ人に入植を許さなかったが、1719年にフランスがマルティニークから入植を始め、イギリスとの植民地争奪戦が始まる。<br /><br />その後、イギリスとフランスの間で領有権が何度も入れ替わった後、1783年のヴェルサイユ条約によってイギリスの植民地となる。1969年に内政自治権を獲得してイギリス自治領となり、1979年に独立した。<br /><br />メインパビリオンにはド派手なカーニバル民族衣装が展示されている。また、地元大学生が手掛けた技術展示も行われている。<br /><br />最後の3ヶ国はこれまでの国々と違ってメインパビリオンやアイランドパビリオンがなく、コモンズBの建物の奥、すごく分かり難いところに簡単な展示だけが行われていた。<br /><br />まずはカーボベルデ。北西アフリカ、セネガルやモーリタニアの沖、約375km離れた大西洋に浮かぶ10の島と8の小島から構成されているバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制国家で、正式にはカーボベルデ共和国(Rep&#250;blica de Cabo Verde)。首都は南部のソタヴェント(Sotavento)諸島にあるサンティアゴ(Santiago)島のプライア(Praia)。<br /><br />国名はカーボベルデの対岸にあたるアフリカ大陸西端のセネガルのヴェルデ岬(ポルトガル語で&quot;Cabo Verde&quot;(カーボ・ベルデ)で、緑の岬を意味する)に由来しており、いつしか島々の名前になった。岬の名はサハラ砂漠沿岸を航海してきたポルトガル船が、ようやく砂漠が尽き植生に恵まれたこの岬を見て名付けたもの。<br /><br />面積約4000平方kmは国の面積リスト166位。人口約55万人は国の人口リストで167位。公用語はポルトガル語だが、広く使われているのはそのクレオール言語であるカーボベルデ・クレオール語。通貨はカーボベルデ・エスクード(CVE)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />15世紀にポルトガルの冒険家が最初にこの諸島に着いた時は時たま訪れる人はいるが、無人島だった。1462年からポルトガルの植民地となり、その後は奴隷船の中継拠点として栄えたが、大規模な植民は行われなかった。18世紀後半には奴隷貿易は衰退するが、19世紀には再び重要な商業港となる。<br /><br />第二次大戦後の1951年にポルトガルの植民地から海外行政地域に変更され、その後ポルトガル領ギニアとカーボベルデの独立運動に巻き込まれるが、ポルトガル支配は続き、1975年に平和裏に独立した。<br /><br />展示はタブレット&パネル中心で、島々の地図や年表などがあるが、その他木製ボードと小石の陣取りゲームも置かれている。マンカラに似ているがウリルと云うカーボベルデ発祥のゲームでルールも違うそうだ。<br /><br />続いて、チャド。アフリカ大陸中央部に位置する内陸国で、正式にはチャド共和国(R&#233;publique du Tchad)。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアに囲まれている。首都はンジャメナ(N&#39;Djamena)。<br /><br />国名はチャド中西部、カメルーン、ナイジェリア、ニジェールの4ヶ国にまたがるチャド湖に因んでいる。チャドは現地語で「大きな水域」という意味。<br /><br />面積約130万平方kmは国の面積リスト20位。人口約1650万人は国の人口リストで70位。公用語はフランス語とアラビア語だが、120以上の現地語が使われている。通貨はCFAフラン(XAF)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />9世紀頃からチャド湖沿岸地域にカネム・ボルヌ帝国があり、19世紀末まで存続していたが、1900年にフランスがこの地を占領し、フランス領赤道アフリカの一部とした。第二次大戦後の1958年にフランス共同体のもとで自治政府が設立され、1960年に独立した。<br /><br />展示されているのはライオンやカバ、サイ、象などのかわいい木製の動物たちに工芸品や香辛料。奥の肖像画は大統領。また、岩のアーチの写真はチャド北東部のエネディ高原にあるアロバ・アーチ(Aroba Arch)。高さ約100mの砂岩のアーチで、砂岩のアーチとしては世界最大級。こう云うところは行ってみたいが、チャドはとても治安悪いそうだ。<br /><br />最後はシエラレオネ。西アフリカの西部、大西洋岸のギニアとリベリアに挟まれた共和制国家で、正式にはシエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)。首都はフリータウン(Freetown)。<br /><br />国名はポルトガル語で「ライオンの山」を意味する「Serra Le&#227;o」をスペイン語に翻訳したものから来ている。現在の首都のフリータウン付近にいたポルトガル人が、山の方からライオンのように轟く雷鳴が聞こえたため名付けたという説や、山から海へ吹き降ろす風がライオンの咆哮に似ているので名付けたなど、諸説ある。<br /><br />面積約7万平方kmは国の面積リスト116位。人口約800万人は国の人口リストで102位。公用語は英語だが、その他に各現地部族語やクリオ語と呼ばれる英語を母体にしたクレオール語などが使われている。通貨はレオン(SLE)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />15世紀にポルトガル人が停泊するまではこの地域のことは文献にない。それ以後も、小規模な城塞が海岸部に点在する程度だった。18世紀後半になって、イギリスが解放された奴隷の定住地として土地を購入、1808年にフリータウンがイギリスの直轄植民地となる。さらに、領域を拡大させ、1861年までに半島全域を領域とするようになる。また、1896年には内陸部をイギリス保護領とする。<br /><br />第一次大戦後に民族主義運動が始まり、第二次大戦後には内陸部の保護領にも選挙権が与えられる。そして、1961年に英国の君主を元首とした英連邦の一員として独立。1971年に共和制に移行した。<br /><br />展示は正直何をアピールしたいかさっぱり分からない。置かれている観葉植物は多分シエラレオネに全く関係ないんだろうなあ~。万博最小のパビリオンって云われるらしい。あと、国旗がファミマカラーに似てるって話題になったそうだが、なるほど。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.31896555783321041&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />やっとコモンズB終了。一休みするが、続く

大阪 夢洲 大阪・関西万博 コモンズB(4)(Commons-B,Expo 2025,Yumeshima,Osaka)

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2025/07/08 - 2025/07/08

3831位(同エリア3994件中)

旅行記グループ 大阪・関西万博2回目

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ちふゆ

ちふゆさん

2025年7月8日(火)午後の2時20分頃、コモンズBの続き、やっと最後。以後の国、どこも行ったことないし、多分行くこともないだろう。

ガイアナの次はジンバブエ。アフリカ大陸の南部で、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に囲まれた内陸国。地図では接しているように見えるナミビアとは150m離れている。正式にはジンバブエ共和国(Republic of Zimbabwe)。2003年までは英連邦加盟国だった。首都はハラレ(Harare)。

国名はジンバブエやザンビア南部に住むショナ人が話すショナ語で「石の館」を意味し、世界遺産のグレート・ジンバブエ遺跡に由来する。かつては南ローデシアと呼ばれていた。北ローデシアは現在のザンビア。

ちなみに「ローデシア」の名は19世紀末に英国の植民地政治家のセシル・ローズ(Cecil Rhodes)が南アフリカ中央部のザンビアからジンバブエ、ボツワナ、南アフリカ共和国一帯を支配下に持つイギリス南アフリカ会社(British South Africa Company)を設立した際に、自分の名から命名したもの。

面積約39万平方kmは国の面積リスト61位。人口約1500万人は国の人口リストで72位。公用語は英語だが、日常生活では多くの現地言語が使われている。通貨は2024年にジンバブエ・ゴールド(ZiG)が法定通貨と定められたが、実質的には米ドルが使用されている。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

12世紀頃から一部地域にマプングヴエ王国やグレート・ジンバブエ王国、モノモタパ王国、トルワ王国などが栄える。16世紀から17世紀に掛けてはポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退、地方首長国の分立が続く。

上述のように19世紀末にイギリス南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれる。第二次大戦後も白人支配は続き、1965年には白人中心のローデシア共和国として独立するが、国際的には承認されなかった。

ジンバブエ共和国としての独立は1980年。独立当初は議院内閣制を引いていたが、1987年に大統領制に移行し、それまで首相だったロバート・ムガベ(Robert Mugabe)が大統領に就任、93歳となる2017年に座を追われるまで独裁政治を続けた。

パビリオンには360度VRが設置されており、ザンビアとの国境にあるビクトリアの滝やグレートジンバブエ遺跡などを迫力ある映像で楽しめる。

次は南太平洋、ミクロネシアにあるナウル。赤道直下、日付変更線の西側にポツンと浮かぶナウル島を国土とする共和国で、正式にはナウル共和国(Republic of Nauru)。英連邦加盟国。南太平洋での初めての独立国。公的に定められた首都はないが、一般には政庁があるヤレン(Yaren)とされる。

国名はナウル語で「私は浜へ行く」を意味する"a-nuau-a-a-ororo"(アナォエロ)から来ていると云われる。かつてこの島を支配していたドイツ人がこの言葉を地名と勘違いし、それがナウル語でNaoero(ナォエロ)となり、英語表記でNauru(ナウルー)になった。

面積は21平方kmで、バチカン市国、モナコに次いで世界で3番目に小さい。人口約1.1万人はバチカンに次いで世界で2番目に少ない。公用語はナウル語と英語。ナウル人のほとんどは両方を話すことができ、日常会話ではナウル語が使われ、教育や行政、ビジネスでは英語が広く使われている。通貨はオーストラリア・ドル(AUD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない。

紀元前1000年頃からミクロネシア系諸民族が暮らし、農業と漁業を軸とした生活を送っていた。18世紀末、イギリス人がこの島を「発見」。島のリン鉱石事業の可能性にいち早く気付いたドイツが、1888年にナウル島の領有を宣言した。

しかし第一次大戦でドイツは敗戦国となり、領有を放棄させられ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの共同統治下に入る。第二次大戦中には日本軍に占領されたが、終戦後は再び3国の共同統治に戻る。1966年に内政自治を獲得、1968年に独立。

パビリオンは開幕時から中心にあった円柱の台座が空っぽで、虚無展示として話題になったが、この時にはすでにナウルの伝統的な民芸品や写真が展示されていた。その後広報連携している東大阪市のマスコットキャラクターのトライくんも加わったそうだ。

続いてはアフリカに戻ってエチオピア。東アフリカのアフリカの角地域に位置する連邦共和制の内陸国で、正式にはエチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopia)。エリトリア、ソマリア、ジブチ、スーダン、南スーダン、ケニアに囲まれている。首都はアディスアベバ(Addis Ababa)。

国名はギリシア語で「日に焼けた人々」を意味する“AETHIOPS”(イティオプス)から転じたもの。元々は紀元前5世紀頃のギリシア人がこの地域の人々を指して記録していたもの。ただし、20世紀に入るまではアラビア語で混血を意味するアビシニア(Abyssinia)と呼ばれていた。

面積約110万平方kmは国の面積リスト26位。人口約1億3000万人は国の人口リストで10位。公用語は定められておらず、多くの現地言語が使われているが、人口の40%がアムハラ語を使い、連邦政府の作業言語に定められている。通貨はブル(ETB)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

人類の誕生の地と云われる。紀元前5世紀から紀元前4世紀頃、ダモト王国が誕生、1世紀にはアクスム王国が成立し、1137年にザグウェ朝に滅ぼされるまで続く。1270年にザグウェ朝が倒されソロモン朝が成立、第二次大戦で一時イタリアの侵攻を受けたが、1974年のエチオピア革命まで続き、その途中でエチオピア帝国と名乗る。

エチオピア革命後はエチオピア共和国となるが、1987年に新憲法を採択、エチオピア人民民主共和国となり、一党独裁制とした。その後、1991年に独裁政権が倒され、選挙を経て1995年に現在のエチオピア連邦民主共和国となった。アフリカ分割においてヨーロッパ諸国に植民地化されなかったエチオピア帝国の系譜を継ぐため、アフリカ最古の国と呼ばれる。

パビリオンではコーヒー発祥の地と云われる国だけにコーヒーをプッシュ。「コーヒーセレモニー」と云う親戚や近所の人が集まってカップを並べて行うおもてなしも展示されていた。1杯目は塩やバター、2・3杯目は香辛料で味変がエチオピア流だそうだ。

次はカリブ海へ飛んで、セントビンセント・グレナディーン。カリブ海の東側に南北に連なる小アンティル諸島の南部のウィンドワード諸島にある立憲君主制国家で、正式にはセントビンセント及びグレナディーン諸島(Saint Vincent and the Grenadines;SVG)。主島のセントビンセント島とその南に連なる約32の島々で構成される。英連邦加盟国で、英連邦王国のひとつ。首都はセントビンセント島のキングスタウン(Kingstown)。150kmほど北のセントルシアには行ったことあるが、この国はない。

国名は島と諸島の名前から来ている。セントビンセント島の名は、1498年にコロンブスが同島を「発見」した日がヴィセンテの祝日であったことに由来する。ヴィセンテはカトリック教会の聖人「サラゴサのヴィセンテ」で、英語発音でビンセントとなる。グレナディーン諸島の名は、この諸島に多く生えているパッションフルーツの実と似ているザクロ(スペイン語でgranadino)の英語読み。

面積約400平方kmは国の面積リスト184位。人口約10万人は国の人口リストで195位。公用語は英語だが、グレナディーン諸島の一部では、フランス語が混じったパトワと呼ばれるクレオール語が話されている。通貨は東カリブドル(XEC)。日本との時差は13時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

元々は南米から移住したアラワク族が住んでいたが、14世紀に同じく南米からカリブ族が渡来し、アラワク族を駆逐する。カリブ族は18世紀初頭まではヨーロッパ人に入植を許さなかったが、1719年にフランスがマルティニークから入植を始め、イギリスとの植民地争奪戦が始まる。

その後、イギリスとフランスの間で領有権が何度も入れ替わった後、1783年のヴェルサイユ条約によってイギリスの植民地となる。1969年に内政自治権を獲得してイギリス自治領となり、1979年に独立した。

メインパビリオンにはド派手なカーニバル民族衣装が展示されている。また、地元大学生が手掛けた技術展示も行われている。

最後の3ヶ国はこれまでの国々と違ってメインパビリオンやアイランドパビリオンがなく、コモンズBの建物の奥、すごく分かり難いところに簡単な展示だけが行われていた。

まずはカーボベルデ。北西アフリカ、セネガルやモーリタニアの沖、約375km離れた大西洋に浮かぶ10の島と8の小島から構成されているバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制国家で、正式にはカーボベルデ共和国(República de Cabo Verde)。首都は南部のソタヴェント(Sotavento)諸島にあるサンティアゴ(Santiago)島のプライア(Praia)。

国名はカーボベルデの対岸にあたるアフリカ大陸西端のセネガルのヴェルデ岬(ポルトガル語で"Cabo Verde"(カーボ・ベルデ)で、緑の岬を意味する)に由来しており、いつしか島々の名前になった。岬の名はサハラ砂漠沿岸を航海してきたポルトガル船が、ようやく砂漠が尽き植生に恵まれたこの岬を見て名付けたもの。

面積約4000平方kmは国の面積リスト166位。人口約55万人は国の人口リストで167位。公用語はポルトガル語だが、広く使われているのはそのクレオール言語であるカーボベルデ・クレオール語。通貨はカーボベルデ・エスクード(CVE)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

15世紀にポルトガルの冒険家が最初にこの諸島に着いた時は時たま訪れる人はいるが、無人島だった。1462年からポルトガルの植民地となり、その後は奴隷船の中継拠点として栄えたが、大規模な植民は行われなかった。18世紀後半には奴隷貿易は衰退するが、19世紀には再び重要な商業港となる。

第二次大戦後の1951年にポルトガルの植民地から海外行政地域に変更され、その後ポルトガル領ギニアとカーボベルデの独立運動に巻き込まれるが、ポルトガル支配は続き、1975年に平和裏に独立した。

展示はタブレット&パネル中心で、島々の地図や年表などがあるが、その他木製ボードと小石の陣取りゲームも置かれている。マンカラに似ているがウリルと云うカーボベルデ発祥のゲームでルールも違うそうだ。

続いて、チャド。アフリカ大陸中央部に位置する内陸国で、正式にはチャド共和国(République du Tchad)。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアに囲まれている。首都はンジャメナ(N'Djamena)。

国名はチャド中西部、カメルーン、ナイジェリア、ニジェールの4ヶ国にまたがるチャド湖に因んでいる。チャドは現地語で「大きな水域」という意味。

面積約130万平方kmは国の面積リスト20位。人口約1650万人は国の人口リストで70位。公用語はフランス語とアラビア語だが、120以上の現地語が使われている。通貨はCFAフラン(XAF)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

9世紀頃からチャド湖沿岸地域にカネム・ボルヌ帝国があり、19世紀末まで存続していたが、1900年にフランスがこの地を占領し、フランス領赤道アフリカの一部とした。第二次大戦後の1958年にフランス共同体のもとで自治政府が設立され、1960年に独立した。

展示されているのはライオンやカバ、サイ、象などのかわいい木製の動物たちに工芸品や香辛料。奥の肖像画は大統領。また、岩のアーチの写真はチャド北東部のエネディ高原にあるアロバ・アーチ(Aroba Arch)。高さ約100mの砂岩のアーチで、砂岩のアーチとしては世界最大級。こう云うところは行ってみたいが、チャドはとても治安悪いそうだ。

最後はシエラレオネ。西アフリカの西部、大西洋岸のギニアとリベリアに挟まれた共和制国家で、正式にはシエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)。首都はフリータウン(Freetown)。

国名はポルトガル語で「ライオンの山」を意味する「Serra Leão」をスペイン語に翻訳したものから来ている。現在の首都のフリータウン付近にいたポルトガル人が、山の方からライオンのように轟く雷鳴が聞こえたため名付けたという説や、山から海へ吹き降ろす風がライオンの咆哮に似ているので名付けたなど、諸説ある。

面積約7万平方kmは国の面積リスト116位。人口約800万人は国の人口リストで102位。公用語は英語だが、その他に各現地部族語やクリオ語と呼ばれる英語を母体にしたクレオール語などが使われている。通貨はレオン(SLE)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

15世紀にポルトガル人が停泊するまではこの地域のことは文献にない。それ以後も、小規模な城塞が海岸部に点在する程度だった。18世紀後半になって、イギリスが解放された奴隷の定住地として土地を購入、1808年にフリータウンがイギリスの直轄植民地となる。さらに、領域を拡大させ、1861年までに半島全域を領域とするようになる。また、1896年には内陸部をイギリス保護領とする。

第一次大戦後に民族主義運動が始まり、第二次大戦後には内陸部の保護領にも選挙権が与えられる。そして、1961年に英国の君主を元首とした英連邦の一員として独立。1971年に共和制に移行した。

展示は正直何をアピールしたいかさっぱり分からない。置かれている観葉植物は多分シエラレオネに全く関係ないんだろうなあ~。万博最小のパビリオンって云われるらしい。あと、国旗がファミマカラーに似てるって話題になったそうだが、なるほど。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.31896555783321041&type=1&l=223fe1adec


やっとコモンズB終了。一休みするが、続く

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大阪・関西万博2回目

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