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2025年7月8日(火)午後の2時過ぎ、コモンズBの続き。後半に入る。<br /><br />ツバルの次はモーリタニア。アフリカ北西部、西が大西洋が面した共和制国家で、正式にはモーリタニア・イスラム共和国(Al-Jumhuriya al-Islamiya al-Muritaniya)。海岸沿いの西サハラとセネガルに挟まれ、大陸側はアルジェリアとマリに接している。首都はヌアクショット(Nwakco?)。行ったことない。<br /><br />国名は紀元前3世紀から紀元前1世紀末まで北西アフリカの地中海岸、現在のモロッコ北部からアルジェリア西部に掛けて存在したマウレタニア(Mauretania)と云う国の名に由来している。その名はその国を作ったベルベル系のマウリ族(Mauri)から取られており、さらにその名は古代ギリシャ語で「黒い」を意味するmauros(マウロス)に由来するとも云われる。<br /><br />面積約105万平方kmは国の面積リスト28位。人口約420万人は国の人口リストで129位。公用語はアラビア語で、ハッサーニーヤ(Hassaniya)と呼ばれ、黒人言語やベルベル語、フランス語の影響を受けている。。通貨はウギア(MRO)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />8世紀頃から11世紀(他の説もある)にかけてモーリタニア南東部のクンビ=サレー(Koumbi Saleh)を首都としてガーナ王国が繁栄(現在のガーナとは直接の関係はない)。11世紀からはイスラムのムラービト朝(al-Murābi?ūn)が支配する。12世紀にムラービト朝は滅亡するが、モーリタニアの古代都市は隊商都市として発展する。<br /><br />15世紀以降にヨーロッパ列強がアフリカに進出するが、モーリタニアは長く植民地支配には至らなかったが、19世紀末に南のセネガルを植民地化したフランスの進出が始まり、1904年にフランス領西アフリカの一部となる。ただし、この時期には都市らしい都市はなかったのだが、現地部族の強い抵抗があり、全土平定は1930年代だった。<br /><br />1946年に本国議会への参政権が与えられ、1958年にフランス共同体内の自治国となった。そして、1960年11月に平和裏に独立した。<br /><br />パビリオンには実物大のラクダが飾られている。大きいように思えるが、子供サイズだそうだ。モーリタニアは国土の約9割が砂漠で、移動や運搬手段としてラクダは遊牧民の「生きた遺産」だそうだ。<br /><br />続いてカリブ海に戻って、ハイチ。カリブ海の大アンティル諸島のイスパニョーラ島西部を占める共和制国家で正式にはハイチ共和国(Repiblik d Ayiti)。島の東部のドミニカ共和国には行ったことあるが、ハイチはとても治安が悪く行ってない。首都はポルトープランス(Port-au-Prince)。<br /><br />国名は先住民族の一部族であるアラワク系タイノ人がこの島を「山がちな土地」という意味でAyitiと呼んでいたことに由来する。なお、「ハイチ」はフランス語や英語の綴りのHaitiの訓令式ローマ字読みで現地では通用しない。現地では「アイティ」、英語では「ヘイティ」と呼ばれる。<br /><br />面積3万平方km弱は国の面積リスト143位。人口約1100万人は国の人口リストで82位。公用語はフランス語とフランス語系クレオール言語のハイチ語。ほとんどのハイチ人はハイチ語を日常的に使うが、公的機関やビジネス、教育ではフランス語が使用されている。通貨はグールド(HTG)。日本との時差は14時間(遅れ)。3月初めから11月初めまで1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />イスパニョーラ島には紀元前からタイノ族が住んでおり、15世紀にスペイン人の入植が始まった時には100万人から300万人いたと云われるが、それから四半世紀のうちに絶滅させられた。<br /><br />17世紀中頃に島の西部(現在のハイチ)にフランスが進出するが、衰退の一途を辿るスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約(Treaty of Ryswick)で島の西側1/3がフランス領サン=ドマング(Saint-Domingue=スペインがこの島の名としていたサント・ドミンゴ(Santo Domingo)のフラン語直訳)とされた。<br /><br />フランスは、この地にアフリカ大陸から多くの黒人奴隷を連行して酷使し、林業やサトウキビ・コーヒーの栽培によって巨万の富を生み出した。しかし、奴隷たちは反乱を起こし、苦闘の末、1804年に世界で初めて奴隷反乱を成功させ、ラテンアメリカ地域で最初の独立国家となる。ハイチ革命と呼ばれる。<br /><br />1915年、米国が債務返済を口実にハイチを占領し、1934年まで軍政を続ける。米国撤退後共和制政府が続くが、力を付けた軍がクーデタで実権を握り、1957年に軍政から民政に移行するが、独裁化する。1987年に民主主義的な憲法が制定されるが、その後も政情は安定していない。2010年にはマグニチュード7.0のハイチ地震が発生、政府機関はほとんど倒壊、現在もほぼ無政府状態にある。<br /><br />そんな状態でよく出展してるなと感心するが、パビリオンには民族衣装やビーズ手芸が展示されている。<br /><br />次はまたアフリカ大陸で、レソト。アフリカ南部の南アフリカ共和国の中にある、世界最南の内陸国で、正式にはレソト王国(Kingdom of Lesotho)。イギリス連邦加盟国のひとつで、立憲君主制国家。首都はマセル(Maseru)。「アフリカのスイス」とも呼ばれる国で、JICAの青年海外協力隊シニアボランティアに応募したが、ここは落選してジャマイカ派遣となった。なので、行ったことない。<br /><br />国名は「ソト語を話す人々」という意味。ソト語は主にレソトや南アフリカに住んでいるソト族(Sotho)の言葉でバソト語(Basotho)とも呼ばれる。<br /><br />面積約3万平方kmは国の面積リスト137位。人口約210万人は国の人口リストで144位。公用語はソト語、英語で、ソト語は人口の約85%が母語としている。通貨はロチ(LSL)。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />元々は狩猟採集民族であるブッシュマンのサン族の居住地だったが、16世紀にソト族が北方より移動してきてサン族を駆逐し、この地を支配するようになる。1820年代に入り、この一帯はムフェカネ(Mfecane;大壊乱)と呼ばれる動乱期に入り、それに対抗するためイギリスの保護を受けるようになり、1884年にはバストランド植民地(Colony of Basutoland)となる。<br /><br />20世紀に入ると民族協議会が設立され、1960年に自治が認められ、1966年にレソト王国として独立した。その後、バストランド国民党の一党独裁や軍事クーデターなどがあったが、この10年は落ち着いている。<br /><br />メインパビリオンでは美しい色彩と模様が特徴的な伝統織物や伝統工芸品が展示されている。アイランドパビリオンに展示されている滝の写真はマレツニャーネ滝(Maletsunyane Falls)。落差198mを誇る、南部アフリカで最も壮観な滝の一つ。<br /><br />次もアフリカ大陸の国で、ガンビア。北西アフリカの北大西洋に面し、海岸線以外はセネガルに囲まれた共和制国家で、正式にはガンビア共和国(Republic of the Gambia)。イギリス連邦加盟国。首都はバンジュール(Banjul)。行ったことない。<br /><br />国名は細長い国土を東から西に流れるガンビア川に由来している。ガンビア川はギニア北部のフータ・ジャロン高原から流れ出す川で、セネガルを経てガンビアを横断している。川の名前は西アフリカ一帯に分布するフラニ族(Fulani)の話すフラニ語で川もしくは堤防を意味するガンビから来ている。15世紀に訪れたポルトガル人が固有名詞の川名と誤解して川の名前となった。<br /><br />面積約1.1万平方kmは国の面積リスト159位。人口約240万人は国の人口リストで141位。公用語は英語だが、日常生活では複数の民族語が使用されている。通貨はダラシ(GMD)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />17世紀後半にイギリスが進出するまで国としての形はなかった。1783年にイギリス植民地となる。1902年にイギリスのガンビア植民地および保護領となる。1962年に自治権を獲得、1965年に英国女王を元首とする英連邦王国として独立、1970年に共和制に移行した。<br /><br />1982年にはセネガルとセネガンビア国家連合を形成したが、1989年に解消。また、2013年にイギリス連邦から脱退したが、2018年に復帰した。<br /><br />ガンビアは農業国だが、展示で目立つのは太鼓。かつて西アフリカ一帯で栄えたマリ帝国のマンディンゴ(Mandingo)と呼ばれたこの辺りの文化圏で使われたもので、ジャンベ(djembe)と呼ばれる。胴は硬い木をくりぬいて作られており、鼓面には主にヤギの皮が張られている。アイランドパビリオンではガンビア弁当も販売されている。<br /><br />次は南太平洋のメラネシアにあるフィジー。ざっくり云えばニューギニア島の西、ニュージーランドの北のフィジー諸島の約330の島や環礁で構成される群島国家で、正式にはフィジー共和国(Republic of Fiji)。英連邦加盟国。首都はフィジー諸島最大の島であるビティレブ島のスバ(Suva)。行きたいけど行ったことない。<br /><br />国名の由来には諸説あるが、有力なのは首都があるビティレブ(Viti Levu)島の(Viti)をヨーロッパから来たキリスト教宣教師が「フィジー(Fiji)」と発音したことから来ていると云う説。ちなみに「Viti」は元々はポリネシア系の言葉で「日が昇る方」を意味するが、それから転じてこのエリアを指す言葉になった。「Levu」は「大きな」を意味し、「Viti Levu」は「大きなフィジー」と云う意味。<br /><br />面積2万平方km弱は国の面積リスト155位。人口約93万人は国の人口リストで163位。公用語である英語のほかに、フィジー語、フィジー・ヒンディー語が使われている。通貨はフィジー・ドル(FJD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない(2021年に廃止)。<br /><br />フィジーにメラネシアンが住み始めたのは約8000年前。その後、トンガ人が移り住みポリネシア文化の影響を受けた。大航海時代に入り、1643年にオランダ人が到達、1774年、イギリス人のジェームズ・クックが上陸した。<br /><br />1874年にフィジー植民地としてイギリスの植民地となる。第二次大戦後の1970年に英連邦王国として独立。1987年に英連邦を離脱し共和国となるが、英連邦には1997年に復帰した。1998年から2011年まではフィジー諸島共和国だった。<br /><br />パビリオンでは伝統工芸品や特産品、ラム酒、ビールなどが展示・販売されている。<br /><br />続いては南米大陸のガイアナ。北側がカリブ海に面した沿岸国でベネズエラとスリナムに挟まれ、南の大陸側はブラジルと国境を接している共和制国家で、正式にはガイアナ協同共和国(Co-operative Republic of Guyana)。英連邦加盟国。首都はデメララ川(Demerara)河口にあるジョージタウン(Georgetown)。行ったことない。<br /><br />国名の「ガイアナ」は原住民のアラワク系インディヘナの言葉で「豊かな水の地」を意味し、近辺地域一帯を指すギアナと同語源。「ガイアナ」は「ギアナ」の英語読みで、植民地時代は英領ギアナ(British Guiana)と呼ばれていた。<br /><br />面積約21万平方kmは国の面積リスト81位だが、隣国のベネズエラ、スリナムと領土問題を抱えており、国土の約8割が係争地域。人口約80万人は国の人口リストで160位。公用語は英語だが、日常生活では複数の民族語が使用されている。通貨は	ガイアナ・ドル(GYD)。日本との時差は13時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />ヨーロッパ人の進出以前は国としての形はなく、アラワク人、カリブ人、ワラオ人などが住んでおり、タピオカの原料としていられたキャッサバの栽培や、狩猟、漁労で生計を立てていた。<br /><br />この地域を最初に押さえたヨーロッパ人はオランダで、17世紀にブラジル北東部を支配していたオランダ西インド会社の管轄下とした。首都ジョージタウンの約110km南東にあるニューアムステルダム(New Amsterdam)はオランダ領ベルビセ植民地の首都だった。<br /><br />1814年にイギリスの植民地となり、オランダ領だった地域も1831年に統合され英領ギアナとなる。1928年にはイギリスの直轄植民地となる。1966年に英連邦王国の一国として独立。1970年に共和制移行し、現国名となった。<br /><br />ガイアナは国土の約8割が熱帯雨林でジャガー・ナマケモノなど多様性に富む生態系が自慢と云うことで、動物のはく製が展示されている。また、過去の歴史からいろいろな国をルーツに持つ人が生活しており、先住民族やインド系、ヨーロッパ系などの民族衣装をまとった人形が6体並べられている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.31780857484890872&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />まだ終われない、続く

大阪 夢洲 大阪・関西万博 コモンズB(3)(Commons-B,Expo 2025,Yumeshima,Osaka)

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2025/07/08 - 2025/07/08

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旅行記グループ 大阪・関西万博2回目

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ちふゆ

ちふゆさん

2025年7月8日(火)午後の2時過ぎ、コモンズBの続き。後半に入る。

ツバルの次はモーリタニア。アフリカ北西部、西が大西洋が面した共和制国家で、正式にはモーリタニア・イスラム共和国(Al-Jumhuriya al-Islamiya al-Muritaniya)。海岸沿いの西サハラとセネガルに挟まれ、大陸側はアルジェリアとマリに接している。首都はヌアクショット(Nwakco?)。行ったことない。

国名は紀元前3世紀から紀元前1世紀末まで北西アフリカの地中海岸、現在のモロッコ北部からアルジェリア西部に掛けて存在したマウレタニア(Mauretania)と云う国の名に由来している。その名はその国を作ったベルベル系のマウリ族(Mauri)から取られており、さらにその名は古代ギリシャ語で「黒い」を意味するmauros(マウロス)に由来するとも云われる。

面積約105万平方kmは国の面積リスト28位。人口約420万人は国の人口リストで129位。公用語はアラビア語で、ハッサーニーヤ(Hassaniya)と呼ばれ、黒人言語やベルベル語、フランス語の影響を受けている。。通貨はウギア(MRO)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

8世紀頃から11世紀(他の説もある)にかけてモーリタニア南東部のクンビ=サレー(Koumbi Saleh)を首都としてガーナ王国が繁栄(現在のガーナとは直接の関係はない)。11世紀からはイスラムのムラービト朝(al-Murābi?ūn)が支配する。12世紀にムラービト朝は滅亡するが、モーリタニアの古代都市は隊商都市として発展する。

15世紀以降にヨーロッパ列強がアフリカに進出するが、モーリタニアは長く植民地支配には至らなかったが、19世紀末に南のセネガルを植民地化したフランスの進出が始まり、1904年にフランス領西アフリカの一部となる。ただし、この時期には都市らしい都市はなかったのだが、現地部族の強い抵抗があり、全土平定は1930年代だった。

1946年に本国議会への参政権が与えられ、1958年にフランス共同体内の自治国となった。そして、1960年11月に平和裏に独立した。

パビリオンには実物大のラクダが飾られている。大きいように思えるが、子供サイズだそうだ。モーリタニアは国土の約9割が砂漠で、移動や運搬手段としてラクダは遊牧民の「生きた遺産」だそうだ。

続いてカリブ海に戻って、ハイチ。カリブ海の大アンティル諸島のイスパニョーラ島西部を占める共和制国家で正式にはハイチ共和国(Repiblik d Ayiti)。島の東部のドミニカ共和国には行ったことあるが、ハイチはとても治安が悪く行ってない。首都はポルトープランス(Port-au-Prince)。

国名は先住民族の一部族であるアラワク系タイノ人がこの島を「山がちな土地」という意味でAyitiと呼んでいたことに由来する。なお、「ハイチ」はフランス語や英語の綴りのHaitiの訓令式ローマ字読みで現地では通用しない。現地では「アイティ」、英語では「ヘイティ」と呼ばれる。

面積3万平方km弱は国の面積リスト143位。人口約1100万人は国の人口リストで82位。公用語はフランス語とフランス語系クレオール言語のハイチ語。ほとんどのハイチ人はハイチ語を日常的に使うが、公的機関やビジネス、教育ではフランス語が使用されている。通貨はグールド(HTG)。日本との時差は14時間(遅れ)。3月初めから11月初めまで1時間早いサマータイムを採用している。

イスパニョーラ島には紀元前からタイノ族が住んでおり、15世紀にスペイン人の入植が始まった時には100万人から300万人いたと云われるが、それから四半世紀のうちに絶滅させられた。

17世紀中頃に島の西部(現在のハイチ)にフランスが進出するが、衰退の一途を辿るスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約(Treaty of Ryswick)で島の西側1/3がフランス領サン=ドマング(Saint-Domingue=スペインがこの島の名としていたサント・ドミンゴ(Santo Domingo)のフラン語直訳)とされた。

フランスは、この地にアフリカ大陸から多くの黒人奴隷を連行して酷使し、林業やサトウキビ・コーヒーの栽培によって巨万の富を生み出した。しかし、奴隷たちは反乱を起こし、苦闘の末、1804年に世界で初めて奴隷反乱を成功させ、ラテンアメリカ地域で最初の独立国家となる。ハイチ革命と呼ばれる。

1915年、米国が債務返済を口実にハイチを占領し、1934年まで軍政を続ける。米国撤退後共和制政府が続くが、力を付けた軍がクーデタで実権を握り、1957年に軍政から民政に移行するが、独裁化する。1987年に民主主義的な憲法が制定されるが、その後も政情は安定していない。2010年にはマグニチュード7.0のハイチ地震が発生、政府機関はほとんど倒壊、現在もほぼ無政府状態にある。

そんな状態でよく出展してるなと感心するが、パビリオンには民族衣装やビーズ手芸が展示されている。

次はまたアフリカ大陸で、レソト。アフリカ南部の南アフリカ共和国の中にある、世界最南の内陸国で、正式にはレソト王国(Kingdom of Lesotho)。イギリス連邦加盟国のひとつで、立憲君主制国家。首都はマセル(Maseru)。「アフリカのスイス」とも呼ばれる国で、JICAの青年海外協力隊シニアボランティアに応募したが、ここは落選してジャマイカ派遣となった。なので、行ったことない。

国名は「ソト語を話す人々」という意味。ソト語は主にレソトや南アフリカに住んでいるソト族(Sotho)の言葉でバソト語(Basotho)とも呼ばれる。

面積約3万平方kmは国の面積リスト137位。人口約210万人は国の人口リストで144位。公用語はソト語、英語で、ソト語は人口の約85%が母語としている。通貨はロチ(LSL)。日本との時差は7時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

元々は狩猟採集民族であるブッシュマンのサン族の居住地だったが、16世紀にソト族が北方より移動してきてサン族を駆逐し、この地を支配するようになる。1820年代に入り、この一帯はムフェカネ(Mfecane;大壊乱)と呼ばれる動乱期に入り、それに対抗するためイギリスの保護を受けるようになり、1884年にはバストランド植民地(Colony of Basutoland)となる。

20世紀に入ると民族協議会が設立され、1960年に自治が認められ、1966年にレソト王国として独立した。その後、バストランド国民党の一党独裁や軍事クーデターなどがあったが、この10年は落ち着いている。

メインパビリオンでは美しい色彩と模様が特徴的な伝統織物や伝統工芸品が展示されている。アイランドパビリオンに展示されている滝の写真はマレツニャーネ滝(Maletsunyane Falls)。落差198mを誇る、南部アフリカで最も壮観な滝の一つ。

次もアフリカ大陸の国で、ガンビア。北西アフリカの北大西洋に面し、海岸線以外はセネガルに囲まれた共和制国家で、正式にはガンビア共和国(Republic of the Gambia)。イギリス連邦加盟国。首都はバンジュール(Banjul)。行ったことない。

国名は細長い国土を東から西に流れるガンビア川に由来している。ガンビア川はギニア北部のフータ・ジャロン高原から流れ出す川で、セネガルを経てガンビアを横断している。川の名前は西アフリカ一帯に分布するフラニ族(Fulani)の話すフラニ語で川もしくは堤防を意味するガンビから来ている。15世紀に訪れたポルトガル人が固有名詞の川名と誤解して川の名前となった。

面積約1.1万平方kmは国の面積リスト159位。人口約240万人は国の人口リストで141位。公用語は英語だが、日常生活では複数の民族語が使用されている。通貨はダラシ(GMD)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

17世紀後半にイギリスが進出するまで国としての形はなかった。1783年にイギリス植民地となる。1902年にイギリスのガンビア植民地および保護領となる。1962年に自治権を獲得、1965年に英国女王を元首とする英連邦王国として独立、1970年に共和制に移行した。

1982年にはセネガルとセネガンビア国家連合を形成したが、1989年に解消。また、2013年にイギリス連邦から脱退したが、2018年に復帰した。

ガンビアは農業国だが、展示で目立つのは太鼓。かつて西アフリカ一帯で栄えたマリ帝国のマンディンゴ(Mandingo)と呼ばれたこの辺りの文化圏で使われたもので、ジャンベ(djembe)と呼ばれる。胴は硬い木をくりぬいて作られており、鼓面には主にヤギの皮が張られている。アイランドパビリオンではガンビア弁当も販売されている。

次は南太平洋のメラネシアにあるフィジー。ざっくり云えばニューギニア島の西、ニュージーランドの北のフィジー諸島の約330の島や環礁で構成される群島国家で、正式にはフィジー共和国(Republic of Fiji)。英連邦加盟国。首都はフィジー諸島最大の島であるビティレブ島のスバ(Suva)。行きたいけど行ったことない。

国名の由来には諸説あるが、有力なのは首都があるビティレブ(Viti Levu)島の(Viti)をヨーロッパから来たキリスト教宣教師が「フィジー(Fiji)」と発音したことから来ていると云う説。ちなみに「Viti」は元々はポリネシア系の言葉で「日が昇る方」を意味するが、それから転じてこのエリアを指す言葉になった。「Levu」は「大きな」を意味し、「Viti Levu」は「大きなフィジー」と云う意味。

面積2万平方km弱は国の面積リスト155位。人口約93万人は国の人口リストで163位。公用語である英語のほかに、フィジー語、フィジー・ヒンディー語が使われている。通貨はフィジー・ドル(FJD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない(2021年に廃止)。

フィジーにメラネシアンが住み始めたのは約8000年前。その後、トンガ人が移り住みポリネシア文化の影響を受けた。大航海時代に入り、1643年にオランダ人が到達、1774年、イギリス人のジェームズ・クックが上陸した。

1874年にフィジー植民地としてイギリスの植民地となる。第二次大戦後の1970年に英連邦王国として独立。1987年に英連邦を離脱し共和国となるが、英連邦には1997年に復帰した。1998年から2011年まではフィジー諸島共和国だった。

パビリオンでは伝統工芸品や特産品、ラム酒、ビールなどが展示・販売されている。

続いては南米大陸のガイアナ。北側がカリブ海に面した沿岸国でベネズエラとスリナムに挟まれ、南の大陸側はブラジルと国境を接している共和制国家で、正式にはガイアナ協同共和国(Co-operative Republic of Guyana)。英連邦加盟国。首都はデメララ川(Demerara)河口にあるジョージタウン(Georgetown)。行ったことない。

国名の「ガイアナ」は原住民のアラワク系インディヘナの言葉で「豊かな水の地」を意味し、近辺地域一帯を指すギアナと同語源。「ガイアナ」は「ギアナ」の英語読みで、植民地時代は英領ギアナ(British Guiana)と呼ばれていた。

面積約21万平方kmは国の面積リスト81位だが、隣国のベネズエラ、スリナムと領土問題を抱えており、国土の約8割が係争地域。人口約80万人は国の人口リストで160位。公用語は英語だが、日常生活では複数の民族語が使用されている。通貨は ガイアナ・ドル(GYD)。日本との時差は13時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

ヨーロッパ人の進出以前は国としての形はなく、アラワク人、カリブ人、ワラオ人などが住んでおり、タピオカの原料としていられたキャッサバの栽培や、狩猟、漁労で生計を立てていた。

この地域を最初に押さえたヨーロッパ人はオランダで、17世紀にブラジル北東部を支配していたオランダ西インド会社の管轄下とした。首都ジョージタウンの約110km南東にあるニューアムステルダム(New Amsterdam)はオランダ領ベルビセ植民地の首都だった。

1814年にイギリスの植民地となり、オランダ領だった地域も1831年に統合され英領ギアナとなる。1928年にはイギリスの直轄植民地となる。1966年に英連邦王国の一国として独立。1970年に共和制移行し、現国名となった。

ガイアナは国土の約8割が熱帯雨林でジャガー・ナマケモノなど多様性に富む生態系が自慢と云うことで、動物のはく製が展示されている。また、過去の歴史からいろいろな国をルーツに持つ人が生活しており、先住民族やインド系、ヨーロッパ系などの民族衣装をまとった人形が6体並べられている。
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まだ終われない、続く

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