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2025年7月8日(火)午後の2時頃、コモンズBの続き。ベナン共和国に続いてはミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)。カロリン諸島の東側、東西約3000km、南北約1200kmに渡り、607の島からなる共和制国家。首都は国内で一番大きいポンペイ島(Pohnpei)のパリキール(Palikir)。<br /><br />国名はこの国を含むこの太平洋地域の名前から来ている。その由来については前に書いたものがある。<br />https://4travel.jp/travelogue/11979428<br /><br />面積約700平方kmは国の面積リスト175位で、人口約11万5千人は国の人口リストで180位。公用語は英語で、共通語として使われている。通貨はUSドル(USD)。日本との時差はほとんどの地域は2時間(進み)だが、西部は1時間(進み)。サマータイムは採用してない。<br /><br />この地域は数千年前に遡る豊かな歴史を持つ。紀元前から西方のアジアおよび南方のポリネシアから航海してきた古代の人々が定住していた。6世紀頃から現在の首都があるポンペイ島に人工島群が築かれ始め、11世紀頃からはポンペイ島全土を王朝が支配するようになった。コスラエ島にも14世紀頃から別の王朝があった。<br /><br />16世紀から19世紀にかけてはスペイン、ドイツによる統治がなされ、キリスト教の布教が行われた。1920年に国際連盟が日本にミクロネシアの統治を委任。当時は8万人を超える日本人が居住し、インフラの整備、農業や漁業の振興に力を入れた。第二次大戦時には日本軍の最重要拠点のひとつとなったが、1944年から米軍が攻撃、終戦と同時に日本の統治は終了した。<br /><br />戦後は1947年から米国が国際連合からの信託を受け統治していたが、1979年に国際連盟・国連による長年にわたる管理下のもと失われていた主権を回復、1986年に国防と安全保障を米国に委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年に、国際連合安全保障理事会は正式に信託統治の終了を宣言した。<br /><br />連邦はヤップ(Yap)州、チューク(Chuuk)州、ポンペイ(Pohnpei )州、コスラエ(Kosrae)州という独立性の高い4州で構成され、それぞれ言語や習慣、文化が異なる。1年を通して水温、気温が高く、サンゴ礁の美しさは有名。スキューバダイビングやシュノーケリングのスポットは、世界でもトップクラスの人気を誇っている。パビリオンでは、そんな美しい自然や文化風習、生活などを紹介している。<br /><br />次はジブチ。アフリカ北東部のアフリカの角の一角、エリトリアとソマリアとの間で、紅海とアデン湾の両方に面する共和制国家で、正式にはジブチ共和国(République de Djibouti)。大陸側はエチオピア。首都はアデン湾の一番奥のタジュラ湾の南岸に位置するジブチ市(Ville de Djibouti)。位置もよく知らなかった。<br /><br />国名の由来は諸説あるが、ジブチの民族の一つであるイッサ族が使用する言葉で、ダウ船の停泊地を意味する「dji et bout(ジ・エ・ブート)」という言葉が、アラビア語になったものと云われている。ダウ船とはアラビア人がインド洋の航海で使用した帆船。<br /><br />面積約2万3千平方kmは国の面積リスト146位で、人口約99万人は国の人口リストで157位。公用語はフランス語とアラビア語だが、実際には現地語のソマリ語とアファル語が広く使われている。通貨はジブチ・フラン(DJF)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />古くから紅海を通じた貿易の要所として栄え、アフリカとアラビア半島を結ぶ交易路の重要な拠点だった。古代エジプトやアクスム王国との交易が盛んに行われ、香料や奴隷、金、象牙などが取引されていた。19世紀後半にフランスがこの地を植民地化し、フランス領ソマリランド(French Somaliland)とした。1967年にフランス領アファル・イッサと改称し、1977年に独立した。<br /><br />ジブチは乾燥地帯にあり、「世界一暑い国のひとつ」と云われる。最高気温は75℃まで上がり、平均気温が40℃越え、最低気温でも20℃を超える。パビリオンのテーマは「ジブチ、交流と出会いの国!」。アフリカだが中東風でもあるような民族衣装がたくさん展示されている。<br /><br />続いては中央アフリカ。アフリカ大陸のほぼ中央にある共和制国家で、正式には中央アフリカ共和国(République centrafricaine)。スーダン、南スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、カメルーン、チャドに囲まれた内陸国。首都はバンギ(Bangui)。政情が常に不安定で、治安が悪く、行こうと思ったことすらない。<br /><br />国名は文字通りアフリカ大陸の中央部にある国と云うことから来ているが、独立前の1958年に建国の父ボガンダ(Barthélemy Boganda)が抱いた中央アフリカ合衆国と云う理想にも基づいている。<br /><br />面積約62万平方kmは国の面積リスト43位で、人口約500万人は国の人口リストで124位。公用語はフランス語だが、日常生活ではフランス語と現地語が混淆して形成されたサンゴ語というクレオール言語が共通語になっている。通貨はCFAフラン(XAF)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />19世紀末にフランス領ウバンギ・シャリ(Oubangui-Chari)となるまでは国としての形はなかった。ウバンギ・シャリは国の南部、コンゴ民主共和国との国境のウバンギ(Ubangi)川と、国の北部に源を発しチャド共和国に流れるシャリ(Chari)川から取られている。<br /><br />1910年にフランス領赤道アフリカ(Afrique-Équatoriale française)の一部となり、1946年にフランス本国議会への代表選出権。1958年にフランス共同体内の自治共和国となり国名を中央アフリカ共和国と改称。1960年に独立した。<br /><br />上述のように独立して以降ずっと政情不安定で、現在も現政権とその独裁体制を打ち負かさんがための民主化勢力との間で激しい内戦が続いており、治安は非常に不安定で、劣悪な状況で大したものは展示されていない。出展なんかしてていいの?<br /><br />続いてはコートジボワール。アフリカ大陸の西部、大西洋ギニア湾沿いに位置する共和制国家で、正式にはコートジボワール共和国(République de Côte d&#39;Ivoire)。大西洋岸のガーナとリベリアの間で、大陸側はブルキナファソ、マリ、ギニアと接している。首都は1983年にヤムスクロ(Yamoussoukro)に移転したが、依然ほとんどの首都機能は旧首都のアビジャン(d&#39;Abidjan)に所在している。ここも行ったことない。<br /><br />国名はフランス語で象牙海岸を意味し、17世紀頃にポルトガルやフランスの商人が象牙の売買を行っていたことに由来する。日本もかつては象牙海岸共和国と呼んでいたが、1986年のコートジボワール政府からの要請に基づいて現在の呼称となった、なお、現在はこの国にはほとんど像は住んでいない。<br /><br />面積約32万平方kmは国の面積リスト67位で、人口約2900万人は国の人口リストで67位。公用語はフランス語だが、日常生活では多くの各部族語も使用されている。通貨はCFAフラン(XOF)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。<br /><br />19世紀末にフランス領西アフリカ(Afrique-Occidentale française)の一部となり、1917年に全土が制圧されるまでは国としてはまとまってなかった。1958年にフランス共同体自治国となり、1960年に平和裏に独立。<br /><br />コートジボワールは世界最大のカカオ豆生産国で、パビリオンの展示はカカオを一押し。カカオ豆をイメージした模様がオシャレだった。民族人形なども飾られていた。 <br /><br />アフリカの国が続いたが、次はアジアの東ティモール。東南アジアのマレー半島沖合のスマトラ島から東に延びるスンダ列島の東側の小スンダ列島を構成するティモール島の東半分を主な国土とする共和制国家で、正式には東ティモール民主共和国(República Democrática de Timor-Leste)。首都はディリ(Díli)。特に私としては行きたい観光地もないので、行ったことない。<br /><br />国名は「ティモール島の東部」の意味。島の名のティモールはマレー語やインドネシア語で「東」を意味し、小スンダ列島の最東端に位置することからそう呼ばれるようになった。東の地域の東側と云う意味でちょっとややこしい。<br /><br />面積約1.5万平方kmは岩手県とほぼ同じで、国の面積リスト154位。人口約130万人は国の人口リストで154位。公用語はテトゥン語とポルトガル語で、さらに実用語としてインドネシア語と英語があるが、その他30以上の地方言語が使用されており、言語状況は非常に複雑。通貨はアメリカ合衆国ドル(USD)。日本との時差はなし。サマータイムは採用してない。<br /><br />ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化される以前は、特定の国家は存在せず、複数の王国や部族の連合体が互いに影響し合いながら存在していた。1859年に島の西部をオランダに割譲する。<br /><br />第二次大戦中にオランダ軍とオーストラリア軍に保護占領されたり、日本軍に占領されたが、戦後も引き続いてポルトガルに支配される。1975年にインドネシアに侵攻され東ティモール民主共和国となり、1999年に国連平和維持軍が受け入れられるまで多くの住人が虐殺された。2002年にインドネシアより独立。<br /><br />パビリオンには東ティモールの代表的な伝統織物であるタイスが展示され、伝統的な衣装や髪飾り、アクセサリーなども紹介している。また、特産品であるコーヒーの試飲も楽しめる。聖なる家と云う意味のウマ・ホリクという宗教的な高床式の家屋も展示されている。<br /><br />次はツバル(Tuvalu)。南太平洋ポリネシアの4つのサンゴ礁に囲まれた島と5つの環礁からなる立憲君主制国家。イギリス連邦(コモンウェルス)加盟国のひとつ。首都はフナフティ(Funafuti)。行ったことない。<br /><br />国名の「tu」はツバル語で「立ち上がる」、「valu」は「8」を意味しており、1949年以前には人が住んでいたのはニウラキタ島以外の8つの島と環礁だったことから、その元々の8つの部族で国を立ち上げていこうと云うことで名付けられた。<br /><br />面積26平方kmは国の面積リスト192位。人口1万2千人は国の人口リストで194位。公用語はツバル語と英語だが、英語は日常会話で使われることはない。通貨はオーストラリアドル(AUD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない。<br /><br />紀元前からポリネシア人あるいはラピタ人が暮らしていた。ヨーロッパ人が16世紀中頃に到達し、植民は行われなかったが、ハワイやタヒチ、ペルーなどに住民が強制連行されて人口は減少していた。<br /><br />1892年にエリス諸島という名前で、ギルバート諸島とともにイギリスの保護領のギルバートおよびエリス諸島(Gilbert and Ellice Islands)の一部になり、1916年に植民地となった。1976年にはイギリス植民地のツバルとして、ギルバート諸島と分離、1978年に独立した。<br /><br />パビリオンでは民族衣装や工芸品が展示されている。海抜が低い国で、地球温暖化による海面上昇で沈むと云う話がよく取り上げられる。確かにアイランドパビリオンにあった写真を見ると今にも沈みそう。また、またインターネットのトップレベルドメインとして割り振られた“.tv” を米国の企業に売却した話も多くの人に知られている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.31780765991566688&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />これでコモンズB、半分くらいで後半に続く

大阪 夢洲 大阪・関西万博 コモンズB(2)(Commons-B,Expo 2025,Yumeshima,Osaka)

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2025/07/08 - 2025/07/08

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旅行記グループ 大阪・関西万博2回目

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ちふゆ

ちふゆさん

2025年7月8日(火)午後の2時頃、コモンズBの続き。ベナン共和国に続いてはミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)。カロリン諸島の東側、東西約3000km、南北約1200kmに渡り、607の島からなる共和制国家。首都は国内で一番大きいポンペイ島(Pohnpei)のパリキール(Palikir)。

国名はこの国を含むこの太平洋地域の名前から来ている。その由来については前に書いたものがある。
https://4travel.jp/travelogue/11979428

面積約700平方kmは国の面積リスト175位で、人口約11万5千人は国の人口リストで180位。公用語は英語で、共通語として使われている。通貨はUSドル(USD)。日本との時差はほとんどの地域は2時間(進み)だが、西部は1時間(進み)。サマータイムは採用してない。

この地域は数千年前に遡る豊かな歴史を持つ。紀元前から西方のアジアおよび南方のポリネシアから航海してきた古代の人々が定住していた。6世紀頃から現在の首都があるポンペイ島に人工島群が築かれ始め、11世紀頃からはポンペイ島全土を王朝が支配するようになった。コスラエ島にも14世紀頃から別の王朝があった。

16世紀から19世紀にかけてはスペイン、ドイツによる統治がなされ、キリスト教の布教が行われた。1920年に国際連盟が日本にミクロネシアの統治を委任。当時は8万人を超える日本人が居住し、インフラの整備、農業や漁業の振興に力を入れた。第二次大戦時には日本軍の最重要拠点のひとつとなったが、1944年から米軍が攻撃、終戦と同時に日本の統治は終了した。

戦後は1947年から米国が国際連合からの信託を受け統治していたが、1979年に国際連盟・国連による長年にわたる管理下のもと失われていた主権を回復、1986年に国防と安全保障を米国に委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年に、国際連合安全保障理事会は正式に信託統治の終了を宣言した。

連邦はヤップ(Yap)州、チューク(Chuuk)州、ポンペイ(Pohnpei )州、コスラエ(Kosrae)州という独立性の高い4州で構成され、それぞれ言語や習慣、文化が異なる。1年を通して水温、気温が高く、サンゴ礁の美しさは有名。スキューバダイビングやシュノーケリングのスポットは、世界でもトップクラスの人気を誇っている。パビリオンでは、そんな美しい自然や文化風習、生活などを紹介している。

次はジブチ。アフリカ北東部のアフリカの角の一角、エリトリアとソマリアとの間で、紅海とアデン湾の両方に面する共和制国家で、正式にはジブチ共和国(République de Djibouti)。大陸側はエチオピア。首都はアデン湾の一番奥のタジュラ湾の南岸に位置するジブチ市(Ville de Djibouti)。位置もよく知らなかった。

国名の由来は諸説あるが、ジブチの民族の一つであるイッサ族が使用する言葉で、ダウ船の停泊地を意味する「dji et bout(ジ・エ・ブート)」という言葉が、アラビア語になったものと云われている。ダウ船とはアラビア人がインド洋の航海で使用した帆船。

面積約2万3千平方kmは国の面積リスト146位で、人口約99万人は国の人口リストで157位。公用語はフランス語とアラビア語だが、実際には現地語のソマリ語とアファル語が広く使われている。通貨はジブチ・フラン(DJF)。日本との時差は6時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

古くから紅海を通じた貿易の要所として栄え、アフリカとアラビア半島を結ぶ交易路の重要な拠点だった。古代エジプトやアクスム王国との交易が盛んに行われ、香料や奴隷、金、象牙などが取引されていた。19世紀後半にフランスがこの地を植民地化し、フランス領ソマリランド(French Somaliland)とした。1967年にフランス領アファル・イッサと改称し、1977年に独立した。

ジブチは乾燥地帯にあり、「世界一暑い国のひとつ」と云われる。最高気温は75℃まで上がり、平均気温が40℃越え、最低気温でも20℃を超える。パビリオンのテーマは「ジブチ、交流と出会いの国!」。アフリカだが中東風でもあるような民族衣装がたくさん展示されている。

続いては中央アフリカ。アフリカ大陸のほぼ中央にある共和制国家で、正式には中央アフリカ共和国(République centrafricaine)。スーダン、南スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、カメルーン、チャドに囲まれた内陸国。首都はバンギ(Bangui)。政情が常に不安定で、治安が悪く、行こうと思ったことすらない。

国名は文字通りアフリカ大陸の中央部にある国と云うことから来ているが、独立前の1958年に建国の父ボガンダ(Barthélemy Boganda)が抱いた中央アフリカ合衆国と云う理想にも基づいている。

面積約62万平方kmは国の面積リスト43位で、人口約500万人は国の人口リストで124位。公用語はフランス語だが、日常生活ではフランス語と現地語が混淆して形成されたサンゴ語というクレオール言語が共通語になっている。通貨はCFAフラン(XAF)。日本との時差は8時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

19世紀末にフランス領ウバンギ・シャリ(Oubangui-Chari)となるまでは国としての形はなかった。ウバンギ・シャリは国の南部、コンゴ民主共和国との国境のウバンギ(Ubangi)川と、国の北部に源を発しチャド共和国に流れるシャリ(Chari)川から取られている。

1910年にフランス領赤道アフリカ(Afrique-Équatoriale française)の一部となり、1946年にフランス本国議会への代表選出権。1958年にフランス共同体内の自治共和国となり国名を中央アフリカ共和国と改称。1960年に独立した。

上述のように独立して以降ずっと政情不安定で、現在も現政権とその独裁体制を打ち負かさんがための民主化勢力との間で激しい内戦が続いており、治安は非常に不安定で、劣悪な状況で大したものは展示されていない。出展なんかしてていいの?

続いてはコートジボワール。アフリカ大陸の西部、大西洋ギニア湾沿いに位置する共和制国家で、正式にはコートジボワール共和国(République de Côte d'Ivoire)。大西洋岸のガーナとリベリアの間で、大陸側はブルキナファソ、マリ、ギニアと接している。首都は1983年にヤムスクロ(Yamoussoukro)に移転したが、依然ほとんどの首都機能は旧首都のアビジャン(d'Abidjan)に所在している。ここも行ったことない。

国名はフランス語で象牙海岸を意味し、17世紀頃にポルトガルやフランスの商人が象牙の売買を行っていたことに由来する。日本もかつては象牙海岸共和国と呼んでいたが、1986年のコートジボワール政府からの要請に基づいて現在の呼称となった、なお、現在はこの国にはほとんど像は住んでいない。

面積約32万平方kmは国の面積リスト67位で、人口約2900万人は国の人口リストで67位。公用語はフランス語だが、日常生活では多くの各部族語も使用されている。通貨はCFAフラン(XOF)。日本との時差は9時間(遅れ)。サマータイムは採用してない。

19世紀末にフランス領西アフリカ(Afrique-Occidentale française)の一部となり、1917年に全土が制圧されるまでは国としてはまとまってなかった。1958年にフランス共同体自治国となり、1960年に平和裏に独立。

コートジボワールは世界最大のカカオ豆生産国で、パビリオンの展示はカカオを一押し。カカオ豆をイメージした模様がオシャレだった。民族人形なども飾られていた。

アフリカの国が続いたが、次はアジアの東ティモール。東南アジアのマレー半島沖合のスマトラ島から東に延びるスンダ列島の東側の小スンダ列島を構成するティモール島の東半分を主な国土とする共和制国家で、正式には東ティモール民主共和国(República Democrática de Timor-Leste)。首都はディリ(Díli)。特に私としては行きたい観光地もないので、行ったことない。

国名は「ティモール島の東部」の意味。島の名のティモールはマレー語やインドネシア語で「東」を意味し、小スンダ列島の最東端に位置することからそう呼ばれるようになった。東の地域の東側と云う意味でちょっとややこしい。

面積約1.5万平方kmは岩手県とほぼ同じで、国の面積リスト154位。人口約130万人は国の人口リストで154位。公用語はテトゥン語とポルトガル語で、さらに実用語としてインドネシア語と英語があるが、その他30以上の地方言語が使用されており、言語状況は非常に複雑。通貨はアメリカ合衆国ドル(USD)。日本との時差はなし。サマータイムは採用してない。

ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化される以前は、特定の国家は存在せず、複数の王国や部族の連合体が互いに影響し合いながら存在していた。1859年に島の西部をオランダに割譲する。

第二次大戦中にオランダ軍とオーストラリア軍に保護占領されたり、日本軍に占領されたが、戦後も引き続いてポルトガルに支配される。1975年にインドネシアに侵攻され東ティモール民主共和国となり、1999年に国連平和維持軍が受け入れられるまで多くの住人が虐殺された。2002年にインドネシアより独立。

パビリオンには東ティモールの代表的な伝統織物であるタイスが展示され、伝統的な衣装や髪飾り、アクセサリーなども紹介している。また、特産品であるコーヒーの試飲も楽しめる。聖なる家と云う意味のウマ・ホリクという宗教的な高床式の家屋も展示されている。

次はツバル(Tuvalu)。南太平洋ポリネシアの4つのサンゴ礁に囲まれた島と5つの環礁からなる立憲君主制国家。イギリス連邦(コモンウェルス)加盟国のひとつ。首都はフナフティ(Funafuti)。行ったことない。

国名の「tu」はツバル語で「立ち上がる」、「valu」は「8」を意味しており、1949年以前には人が住んでいたのはニウラキタ島以外の8つの島と環礁だったことから、その元々の8つの部族で国を立ち上げていこうと云うことで名付けられた。

面積26平方kmは国の面積リスト192位。人口1万2千人は国の人口リストで194位。公用語はツバル語と英語だが、英語は日常会話で使われることはない。通貨はオーストラリアドル(AUD)。日本との時差は3時間(進み)。サマータイムは採用してない。

紀元前からポリネシア人あるいはラピタ人が暮らしていた。ヨーロッパ人が16世紀中頃に到達し、植民は行われなかったが、ハワイやタヒチ、ペルーなどに住民が強制連行されて人口は減少していた。

1892年にエリス諸島という名前で、ギルバート諸島とともにイギリスの保護領のギルバートおよびエリス諸島(Gilbert and Ellice Islands)の一部になり、1916年に植民地となった。1976年にはイギリス植民地のツバルとして、ギルバート諸島と分離、1978年に独立した。

パビリオンでは民族衣装や工芸品が展示されている。海抜が低い国で、地球温暖化による海面上昇で沈むと云う話がよく取り上げられる。確かにアイランドパビリオンにあった写真を見ると今にも沈みそう。また、またインターネットのトップレベルドメインとして割り振られた“.tv” を米国の企業に売却した話も多くの人に知られている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.31780765991566688&type=1&l=223fe1adec


これでコモンズB、半分くらいで後半に続く

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大阪・関西万博2回目

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