2025/01/14 - 2025/01/19
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chemireさん
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小田原城。
室町時代/大森氏が築いた城郭が前身で、関東支配の拠点として整備。
戦国時代/北条氏による関東支配の中心拠点として拡大を続け、総構を築き、日本最大級の城郭となった 。
江戸時代/徳川家康の西の守りを固める防衛上の要衝や譜代大名の居城として重要な役割を担う。
※鎌倉幕府執権の北条氏と区別するため「後北条氏」や「小田原北条氏」と呼ばれますが、ここでは北条氏と表記しています。
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史跡小田原城へ。
二の丸跡にある洋風の建物を利用した観光案内所にたどり着いたところで、ボランティアガイドさんの説明があることを知り、その時間まで下見がてら正規登城ルートを見学しました。
お堀端通り(学橋・隅櫓・水堀)− 馬出門 − 馬屋曲輪(櫓台)− 住吉橋(住吉堀)− 銅門 − 常盤木門 − 本丸 − 報徳二宮神社 − 関東大震災により崩れ落ちた本丸石垣跡
- 旅行の満足度
- 5.0
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1月15日(水)旅2日目
12:41
小田原城址へ。小田原駅から徒歩10分くらい。 -
弁財天曲輪跡
三の丸から二の丸への搦手の入口。 -
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二の丸東堀
関東大震災の後、埋め立て計画がありましたが、保存会運動により今日までその姿を残しているそうです。 -
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赤い学橋(まなびばし)は、明治時代に架けられた旧城内小学校(現 二の丸広場)のための通学路で、昭和24年(1949)に再建されたものです。
正規の登城ルートはこの先にあるため、学橋を渡らずに直進します。 -
ユリカモメ(ですよね)。初めて見ました。
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主な城主
北条氏直 大久保忠世 稲葉正勝 -
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12:54
地図下方に描かれた堀に架かる土橋を渡り、馬出門から赤で記されたルートを通って本丸へと進みます。徒歩20分ぐらいが目安のよう。 -
ここが、正規登城ルートであった大手登城口。
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馬出門
三の丸から二の丸に向かう大手筋に位置する門。関東大震災で倒壊し、平成21年(2009)復元。 -
将軍や武士たちが馬に乗ったままでも入城できるよう高さは6.3mもあります。
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寛文12年(1672)桝形に改修され、江戸時代末期まで存続しました。
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内冠木門側から見た馬出門桝形。
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内冠木門をくぐり馬屋曲輪へ。
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内冠木門を振り返って。
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総構。豊臣秀吉との合戦に備え、天正18年(1590)までに、小田原城とその城下を囲って築いた総距離9Kmにも及ぶ堀と土塁による要塞。この総構により、小田原城は日本最大級の城郭になりました。
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大腰掛跡
登城する人の待機所や番所として用いられ、ここの大腰掛けは徳川将軍家が来たときに使われる特別なもの。元禄16年(1703)の元禄地震によって倒壊・焼失し、以後、再建されませんでした。 -
馬屋曲輪・二重櫓
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この洋風の建物は昭和8年(1933)に建てられたそうで、現在は観光案内所として活用されています。
案内所の前に、14:30からの無料ガイドツアーの表示があったので、その時間に合わせて戻ってくることにして、下見を兼ねてひとりで城内を回ってみました。 -
住吉堀
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13:04
橋を渡って銅門へ。馬屋曲輪から二の丸に通じる二の丸の表門です。 -
住吉橋
馬屋曲輪と銅門桝形内仕切門との間に架けられた橋で、途中までが土橋、銅門手前が木橋として平成6年(1994)に復元。 -
内仕切門と渡櫓門を組み合わせ土塀で周囲が囲まれています。
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渡櫓門は、その名の由来となった銅板の装飾が映え、どっしりとしています。
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2本の太い梁の釿仕上げが美しい。
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平成9年(1997)古来の工法により復元。
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二の丸側より
内部公開時には、向かって右側の石段を上って入れるそうです。 -
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銅門を抜け常盤木門へと進む前に、二の丸跡にあるNINJA館(歴史見聞館)へ向かいましたが、体験型の展示があるそうで、建物の外まで運動会のような子供たちの声が聞こえてきたので外観を眺めただけで退散。
その後も、二の丸を回りながら何枚も撮影したけど、太陽は見えているものの雲は厚く良い景色とは言えません。時間が足りなくて、本丸の北側に位置する御用米曲輪へも行けなかったので、桜や紫陽花の見頃の時期に合わせて再訪したいなぁ。 -
この朱の橋は内堀を渡り常盤木門へと向かうためのものでしたが、現在、内堀は完全に埋められ整備されていてハナショウブの見頃の時期はきれいだとか。
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見上げた橋を渡るため回り込むように坂を上った所にあった、この合戦攻防図の説明が興味深かったです。
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朱の橋へと続く坂は、常盤木坂という名称でした。
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常盤木門へ。
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刻印と矢穴を探してしまった。
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ここにも、刻印。
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矢穴も。
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13:50
やっと天守へ。
でも、ガイドの時間に間に合わないと思い内部の見学はあとにして、天守に向かって左側の坂を下りながらこども遊園地を通り過ぎ、 -
青いルートを通って二の丸へと戻ることにしました。
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13:53
天守を振り返りながら進んで行くと、報徳二宮神社の鳥居があったのですが、 -
その向かいに気になる碑を発見したので、先ずはそちらへ。
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一読しただけでは、名前が分かりにくかった碑。
造塔されたのは、鎌倉時代末期から南北朝時代と古いもののようです。
(説明板原文のまま)
小田原城内大日一尊種子板碑
地上高107cm 幅77.5cm 最大厚17.1cm
正面に金剛界大日如来をあらわす種子(バン)を刻み、下部には、結衆により供養が毎月15日に行われた旨の願文がありますが、年号などは記されていません。
石材は、箱根火山の安山岩質熔岩と推定されますが、相模西部で確認されている他の安山岩製板碑と比べると、自然石をあまり加工せずに作られており、特異な存在です。天蓋の形態などから、筑波山周辺の異色粘板岩で製作される「常総型」の影響が認められます。
造塔された時期は、形態の特徴から、鎌倉時代末期から南北朝時代と考えられます。中世小田原周辺で製作された板碑の多様性を考える上でも重要な文化財です。 -
遺構らしき空間も見つけたので覗き込むと、
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小峯曲輪と書かれた説明板がありました。本丸と報徳神社との間に残る空堀だそう。
(説明文より抜粋)
石垣を用いない土塁と空堀だけの、戦国時代の城の原形をよく留めている貴重な遺構です。堀幅は神社境内の土塁から21m、深さは現状で5m余りですが、実際の堀底はさらに2~3mは深くなるでしょう。 -
縄張という言葉を知らなかった頃は、歩きにくい場所だなくらいにしか思ってなかったけど、土塁とか空堀とか覚えていくうちに遺構や地形を見るのが面白くなってきました。
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それでは、報徳二宮神社を参拝します。
こちらの鳥居は、伊勢神宮より、第62回神宮式年遷宮での古材を拝領されたものだそうです。 -
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表参道の大鳥居は、樹齢300年の大杉で建立。
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主祭神 二宮尊徳翁
創建明治27年(1894)
拝殿の礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、領内からひとりの餓死者も出さずに済んだと伝わる、その米蔵の礎石が用いられているそうです。報徳二宮神社 (小田原市) 寺・神社・教会
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通っていた学校には銅像がなかったし、尊徳さんの像をじっくり見たのは初めてかも。
ながらスマホ禁止のため、金次郎(尊徳さん)が本を読む姿を座像に変えたというニュースを聞いた時、何を馬鹿なこと言ってるのとテレビに向かって文句をつけてしまいました。時代が変わったのは分かるけれど、この像をどうか座らせることなく、後世へ正しい教えを継承させてほしいです。 -
神社を出て、郷土文化館に面した道を進むと、酒匂川がモチーフの小田原らしいマンホール蓋を発見。
橋がない川を旅人や荷物を担いで渡る人足の姿や、小田原城と箱根連山。そして、その奥に聳える霊峰富士。
カラー版を見たい気もしたけど、お城の中はシンプルな方が良いかな。 -
さらに道を進むと、巨石がゴロゴロしている場所がありました。
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築城以来、地震による倒壊を繰り返した小田原城。
この辺りの石垣は、寛永10年(1633)に築かれた本丸の石垣が、元禄16年(1703)の元禄地震などによる被災と修復を経て、大正12年(1923)の関東大震災の時に偶然にも積み上げられていたままの姿で滑り落ちたため、江戸時代の石垣の積み方や構造を知る貴重な資料となっているそうです。 -
熊本城もそうですが地震が起きた結果、新たな歴史や技術を学べたのだけれど、そこには犠牲を伴っていることが気になります。でも、やっぱりこの石垣は面白い。
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埋もれた石垣の様子を見ているうちに時間となったので、二の丸に戻ることにします。
(小田原城見学 2 につづく)
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