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山中城。<br />現在の三島市山中新田から函南町桑原にかけた国道脇に残る、標高540~580mの山城。<br />戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530~1560年頃)に、小田原に本城をおいた北条氏が築城。<br />天正14年(1586)以降、豊臣秀吉に対する危機感を強めた北条氏は大規模な改修を施し、小田原攻めの可能性が高まると南側に岱崎出丸を築造しましたが、天正18年(1590)増築が未完成のまま 4万の豊臣軍の総攻撃を受け、4千の北条軍は必死の攻防も甲斐なく、わずか半日で落城したと伝えられています(軍勢数は違う説もあり)。<br /><br />※鎌倉幕府執権の北条氏と区別するため「後北条氏」や「小田原北条氏」と呼ばれますが、ここでは北条氏と表記しています。<br />※説明板での年代や数値は漢数字で表記されていました。<br />※地図(板)は、その場所に設置されていたものとは限らず、色付きマークは写真を加工したものです。

障子堀に魅了された山中城

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2025/01/14 - 2025/01/19

677位(同エリア1492件中)

chemire

chemireさん

山中城。
現在の三島市山中新田から函南町桑原にかけた国道脇に残る、標高540~580mの山城。
戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530~1560年頃)に、小田原に本城をおいた北条氏が築城。
天正14年(1586)以降、豊臣秀吉に対する危機感を強めた北条氏は大規模な改修を施し、小田原攻めの可能性が高まると南側に岱崎出丸を築造しましたが、天正18年(1590)増築が未完成のまま 4万の豊臣軍の総攻撃を受け、4千の北条軍は必死の攻防も甲斐なく、わずか半日で落城したと伝えられています(軍勢数は違う説もあり)。

※鎌倉幕府執権の北条氏と区別するため「後北条氏」や「小田原北条氏」と呼ばれますが、ここでは北条氏と表記しています。
※説明板での年代や数値は漢数字で表記されていました。
※地図(板)は、その場所に設置されていたものとは限らず、色付きマークは写真を加工したものです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
  • 1月16日(木)旅3日目<br />東海バスフリーきっぷ「三島1日券みしまるきっぷ」1500円を購入して、まずは山中城跡に向かいます。<br /><br />10:45 三島駅南口5番のりばを出発。

    1月16日(木)旅3日目
    東海バスフリーきっぷ「三島1日券みしまるきっぷ」1500円を購入して、まずは山中城跡に向かいます。

    10:45 三島駅南口5番のりばを出発。

  • 11:11<br />車窓から見えた三島スカイウォーク。あとで渡ってみようと思ったけど、

    11:11
    車窓から見えた三島スカイウォーク。あとで渡ってみようと思ったけど、

  • 眺望は期待できない様子。お天気と相談しながら決めようっと。

    眺望は期待できない様子。お天気と相談しながら決めようっと。

  • 11:20 山中城跡でバスを下車。<br /><br />バスは半分くらい席が埋まっていて、ここで、ご夫婦1組と私の計3人が降りました。城跡を探索している最中に2組の男女に出会いましたが、あとは男性ばかりで、女子ひとりで訪れていたのは私だけ。

    11:20 山中城跡でバスを下車。

    バスは半分くらい席が埋まっていて、ここで、ご夫婦1組と私の計3人が降りました。城跡を探索している最中に2組の男女に出会いましたが、あとは男性ばかりで、女子ひとりで訪れていたのは私だけ。

  • 国指定史跡。昭和48年(1973)からの発掘調査によって、畝堀や障子堀の存在が明らかとなり復元整備されています。

    国指定史跡。昭和48年(1973)からの発掘調査によって、畝堀や障子堀の存在が明らかとなり復元整備されています。

    山中城跡 公園・植物園

  • ピンクの丸印あたりでバスを降り、三の丸堀跡を見ながら星印の西の丸・西櫓跡方面へ。

    ピンクの丸印あたりでバスを降り、三の丸堀跡を見ながら星印の西の丸・西櫓跡方面へ。

  • 城内へと進む通路の左右に三の丸堀がありますが、この通路が畝の跡。畝上を進む敵を右(東)側の一段高い三の丸から攻撃する仕組み。

    城内へと進む通路の左右に三の丸堀がありますが、この通路が畝の跡。畝上を進む敵を右(東)側の一段高い三の丸から攻撃する仕組み。

  • 長さ約180m、深さ約8m、最大幅30m。<br />城内の各曲輪を囲む堀は、自然の地形を加工していたのに対し、三の丸堀りは、自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けた2重堀としていました。

    長さ約180m、深さ約8m、最大幅30m。
    城内の各曲輪を囲む堀は、自然の地形を加工していたのに対し、三の丸堀りは、自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けた2重堀としていました。

  • バス通りを振り返って。

    バス通りを振り返って。

  • ここを見ただけで興奮して、行ったり来たり、何枚も写真を撮ってしまった。

    ここを見ただけで興奮して、行ったり来たり、何枚も写真を撮ってしまった。

  • 三の丸堀の西側。堀を縦に仕切る畝の跡を進みます。

    三の丸堀の西側。堀を縦に仕切る畝の跡を進みます。

  • 400年前の遺構がそのまま復元されている、石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しいもの。<br />

    400年前の遺構がそのまま復元されている、石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しいもの。

  • 11:33<br />左に進み西の丸跡へ。

    11:33
    左に進み西の丸跡へ。

  • 整備された道を歩いていると、他の城跡と変わらない感じもしたけれど、この先に魅了されまくりの遺構が続いていました。

    整備された道を歩いていると、他の城跡と変わらない感じもしたけれど、この先に魅了されまくりの遺構が続いていました。

  • 元西櫓下の堀。<br />城の内部に敵が侵入するのを防ぐため、人工的に土を深く掘り下げています。ここは堀底に近く、最も急斜面だったところ。

    元西櫓下の堀。
    城の内部に敵が侵入するのを防ぐため、人工的に土を深く掘り下げています。ここは堀底に近く、最も急斜面だったところ。

  • 土橋。第一の関所で、高い方のお堀の水を溜めておくための堤防でもあったそうです。

    土橋。第一の関所で、高い方のお堀の水を溜めておくための堤防でもあったそうです。

  • 土塁と堀で構成され、石垣がないことが魅力。

    土塁と堀で構成され、石垣がないことが魅力。

  • 11:39<br />西櫓跡・西の丸跡

    11:39
    西櫓跡・西の丸跡

  • 2019年(令和元年10月)の台風19号の影響で崩落している箇所があり順次修復と書かれていますが、昨今の不安定な気象により更に影響を受けるかもしれないし、崩落が進まないことを願います。

    2019年(令和元年10月)の台風19号の影響で崩落している箇所があり順次修復と書かれていますが、昨今の不安定な気象により更に影響を受けるかもしれないし、崩落が進まないことを願います。

  • 西ノ丸畝堀

    西ノ丸畝堀

  • 堀を仕切る畝は、空堀を掘る際に土手状に掘り残したもの。西の丸と西櫓の間には、縦の畝から垂直方向にいくつも空堀を作り細かく区画した障子堀が広がっています。

    堀を仕切る畝は、空堀を掘る際に土手状に掘り残したもの。西の丸と西櫓の間には、縦の畝から垂直方向にいくつも空堀を作り細かく区画した障子堀が広がっています。

  • 当時は、こんな道標はないのだから進むのは大変そう。私だったら迷子確定。

    当時は、こんな道標はないのだから進むのは大変そう。私だったら迷子確定。

  • 法面は50~60度の急傾斜。現在は、畝幅が広くされたり植栽されていますが、400年前は滑りやすいローム層が露出して樹木が全くなかったので、もし人間が堀に落ちたら脱出することは不可能だったと記されています。<br />攻めるのも大変だろうけど、築くのも大変だっただろうなぁ。実際、発掘・修復作業中に滑ってしまい上るのが大変だったという苦労話があるそう。

    法面は50~60度の急傾斜。現在は、畝幅が広くされたり植栽されていますが、400年前は滑りやすいローム層が露出して樹木が全くなかったので、もし人間が堀に落ちたら脱出することは不可能だったと記されています。
    攻めるのも大変だろうけど、築くのも大変だっただろうなぁ。実際、発掘・修復作業中に滑ってしまい上るのが大変だったという苦労話があるそう。

  • 障子堀は、北条氏の特長が良く現れているもので、空堀の中に衝立障子のような掘り残し(障壁)があることから名付けられたもの。<br />近年、大坂城跡でも同様の遺構が見つかり、これも「北条流」の影響を受けたものだと言われています。

    障子堀は、北条氏の特長が良く現れているもので、空堀の中に衝立障子のような掘り残し(障壁)があることから名付けられたもの。
    近年、大坂城跡でも同様の遺構が見つかり、これも「北条流」の影響を受けたものだと言われています。

  • 11:47<br />三島眺望地点。晴れていたら右端から富士山、愛鷹連山、三島市街地が望めます。

    11:47
    三島眺望地点。晴れていたら右端から富士山、愛鷹連山、三島市街地が望めます。

  • 星印が眺望地点

    星印が眺望地点

  • 西櫓の架橋。西櫓を囲む約82mの櫓堀は、ほぼ9m間隔に作られた8本の畝によって9区画に区切られています。第9区画に隣接する1段高い面から4本の柱穴が検出され、西櫓へ渡る橋が架けられていたことが推定されるそうです。

    西櫓の架橋。西櫓を囲む約82mの櫓堀は、ほぼ9m間隔に作られた8本の畝によって9区画に区切られています。第9区画に隣接する1段高い面から4本の柱穴が検出され、西櫓へ渡る橋が架けられていたことが推定されるそうです。

  • 11:51<br />本丸跡方面へ。

    11:51
    本丸跡方面へ。

  • 履き慣れた防水シューズで歩いたけど、泥濘んでいる所もあるのでトレッキングシューズがお勧め。

    履き慣れた防水シューズで歩いたけど、泥濘んでいる所もあるのでトレッキングシューズがお勧め。

  • 枯れ葉を燃やしているのかな。煙が見えます。

    枯れ葉を燃やしているのかな。煙が見えます。

  • 11:56<br />溜池。<br />本丸・北の丸の堀水が集まり、西の丸や西櫓の排水も流入する仕組み。深さ4m以上発掘しても地底には達していないほどで、貯水化の「異常な努力」を伺うことができる場所だそうです。

    11:56
    溜池。
    本丸・北の丸の堀水が集まり、西の丸や西櫓の排水も流入する仕組み。深さ4m以上発掘しても地底には達していないほどで、貯水化の「異常な努力」を伺うことができる場所だそうです。

  • こちらにも煙が。人の気配がしないのですが、移動しながら手入れをされている様子。山火事が起きないよう管理をよろしくお願いします。

    こちらにも煙が。人の気配がしないのですが、移動しながら手入れをされている様子。山火事が起きないよう管理をよろしくお願いします。

  • 山城だけあってアップダウンも多いし、木の根は露出してるし気をつけて歩かないと。

    山城だけあってアップダウンも多いし、木の根は露出してるし気をつけて歩かないと。

  • 12:00<br />本丸堀

    12:00
    本丸堀

  • 見下ろして撮ったもの。写真では分かりにくいけど、けっこうな斜面。

    見下ろして撮ったもの。写真では分かりにくいけど、けっこうな斜面。

  • 北の丸跡。

    北の丸跡。

  • 上の写真よりこの写真が霞んでいるのは、雪が降り出したから。

    上の写真よりこの写真が霞んでいるのは、雪が降り出したから。

  • 視界がちょっと白くなりました。

    視界がちょっと白くなりました。

  • 服の上に少し残るくらいの雪が、5分くらい一気に降りました。積もってほしいと思ったけど、探索することを考えたら止んでくれて良かった。

    服の上に少し残るくらいの雪が、5分くらい一気に降りました。積もってほしいと思ったけど、探索することを考えたら止んでくれて良かった。

  • 出土品には、鉄砲玉・武器・武具・陶磁器や古銭・キセルなどの日用品もあるそう。

    出土品には、鉄砲玉・武器・武具・陶磁器や古銭・キセルなどの日用品もあるそう。

  • 架橋。<br />発掘調査の結果、本丸と北の丸を結ぶ架け橋の存在が明らかとなり木製の橋が復元されています。<br />山中城の堀には土橋が多く構築され現在も残っていますが、重要な曲輪上には土橋と比べて簡単に破壊できる木製の橋を架け、いざという時には木橋を堀に落として本丸への侵入を防げるようにしたそうです。

    架橋。
    発掘調査の結果、本丸と北の丸を結ぶ架け橋の存在が明らかとなり木製の橋が復元されています。
    山中城の堀には土橋が多く構築され現在も残っていますが、重要な曲輪上には土橋と比べて簡単に破壊できる木製の橋を架け、いざという時には木橋を堀に落として本丸への侵入を防げるようにしたそうです。

  • 12:10<br />天守櫓跡。標高586m、山中城第一の高地に位置しています。天守台には高い櫓が建てられていたと推定されるものの、植樹により攪乱されていたため発掘調査では確認できなかったそうです。

    12:10
    天守櫓跡。標高586m、山中城第一の高地に位置しています。天守台には高い櫓が建てられていたと推定されるものの、植樹により攪乱されていたため発掘調査では確認できなかったそうです。

  • 本丸は南側を除く三方が高い土塁で囲まれ、北東隅には、先ほど見た天守櫓跡が設けられていました。

    本丸は南側を除く三方が高い土塁で囲まれ、北東隅には、先ほど見た天守櫓跡が設けられていました。

  • 矢立の杉。<br />樹高31.5m、推定樹齢500年前後。名前の由来は、出陣の際に杉に矢を射立て勝敗を占ったことから。

    矢立の杉。
    樹高31.5m、推定樹齢500年前後。名前の由来は、出陣の際に杉に矢を射立て勝敗を占ったことから。

  • 12:14<br />本丸跡。<br />現在の藤棚の位置は、本丸広間があったところ。

    12:14
    本丸跡。
    現在の藤棚の位置は、本丸広間があったところ。

  • 標高578m、天守櫓とともに山中城の中心となる曲輪。虎口は南側にあり、北は天守閣と北の丸、西は北条丸へと続いていました。

    標高578m、天守櫓とともに山中城の中心となる曲輪。虎口は南側にあり、北は天守閣と北の丸、西は北条丸へと続いていました。

  • 赤星印あたりが本丸跡

    赤星印あたりが本丸跡

  • 12:18<br />本丸跡より下がった兵糧庫跡へ。

    12:18
    本丸跡より下がった兵糧庫跡へ。

  • 直径1.5m、深さ2.5mの大きな穴が4基検出されましたが、建物の柱穴とは違う性格のもので用途は不明だそうです。

    直径1.5m、深さ2.5mの大きな穴が4基検出されましたが、建物の柱穴とは違う性格のもので用途は不明だそうです。

  • 12:21<br />諏訪・駒形神社に参拝。

    12:21
    諏訪・駒形神社に参拝。

  • 本丸櫓

    本丸櫓

  • 西の丸

    西の丸

  • 土塁

    土塁

  • 西の丸は本丸に次ぐ城内の拠点で、四周を土塁で囲み、その土塁が西櫓側だけ高く幅が広い見張り台になっていました。

    西の丸は本丸に次ぐ城内の拠点で、四周を土塁で囲み、その土塁が西櫓側だけ高く幅が広い見張り台になっていました。

  • 12:40<br />台風19号による影響を受けたという表示がある場所まで戻ってきました。ちょうど1時間が経過。

    12:40
    台風19号による影響を受けたという表示がある場所まで戻ってきました。ちょうど1時間が経過。

  • 12:45<br />三の丸には二つの池があり、箱井戸は山中城将兵の飲料水、一段低い所にある田尻の池は馬用の飲み水として使われたようです。<br />※現在は蓮池となっていますが、台風等の被害により花が咲かない状態のため整備予定。

    12:45
    三の丸には二つの池があり、箱井戸は山中城将兵の飲料水、一段低い所にある田尻の池は馬用の飲み水として使われたようです。
    ※現在は蓮池となっていますが、台風等の被害により花が咲かない状態のため整備予定。

  • 12:50<br />宗閑寺へ。天正18年(1590)の豊臣軍の総攻撃時に命を落とした山中城城主 松田康長・副将 間宮康俊(樺太探検で知られる間宮林蔵は、その子孫)、豊臣方の武将 一柳直末らが眠っています。

    12:50
    宗閑寺へ。天正18年(1590)の豊臣軍の総攻撃時に命を落とした山中城城主 松田康長・副将 間宮康俊(樺太探検で知られる間宮林蔵は、その子孫)、豊臣方の武将 一柳直末らが眠っています。

  • 寺は、勝者敗者関係なく双方の菩提を弔うべく間宮康俊の娘により開かれ、荒廃してからは一柳直松の子孫が再興し今に至るというドラマがありました。

    寺は、勝者敗者関係なく双方の菩提を弔うべく間宮康俊の娘により開かれ、荒廃してからは一柳直松の子孫が再興し今に至るというドラマがありました。

  • 武将の墓に手を合わせ、ちょっとだけ国道1号線を歩いて進みます。

    武将の墓に手を合わせ、ちょっとだけ国道1号線を歩いて進みます。

  • 12:54<br />芝切地蔵。<br />ある説によると、このあたりに南櫓があり三の丸の馬出となっていたそう。

    12:54
    芝切地蔵。
    ある説によると、このあたりに南櫓があり三の丸の馬出となっていたそう。

  • 12:55<br />青丸印をつけたバスを降りた地点に戻って、

    12:55
    青丸印をつけたバスを降りた地点に戻って、

  • 国道1号線を渡り岱崎出丸跡へ。<br />豊臣軍の来襲に備えて急きょ増築した岱崎出丸は、駐車場の付近にあった大手に比べると高所にあり、主に大手口に向かう敵を攻撃するためのもの。<br />西側斜面には畝堀、南端には敵をすり鉢状の底に滑り落とし底に溜まった水に漬けてしまう目的の曲輪がありましたが、整備中に豊臣軍の襲来を受けたため完成には至りませんでした。

    国道1号線を渡り岱崎出丸跡へ。
    豊臣軍の来襲に備えて急きょ増築した岱崎出丸は、駐車場の付近にあった大手に比べると高所にあり、主に大手口に向かう敵を攻撃するためのもの。
    西側斜面には畝堀、南端には敵をすり鉢状の底に滑り落とし底に溜まった水に漬けてしまう目的の曲輪がありましたが、整備中に豊臣軍の襲来を受けたため完成には至りませんでした。

  • 静岡県は旧東海道の整備に力を入れ、その一環として統一デザインの道標が設けられています。<br />夢舞台・東海道と白く書かれた下には場所の名称、その前後の地名と距離などの表示があるはずですが、劣化していて読みにくい。

    静岡県は旧東海道の整備に力を入れ、その一環として統一デザインの道標が設けられています。
    夢舞台・東海道と白く書かれた下には場所の名称、その前後の地名と距離などの表示があるはずですが、劣化していて読みにくい。

  • なんとか読めた函南町。山中城は三島市と函南町にまたがっていて、整備事業は一括して三島市が行っています。

    なんとか読めた函南町。山中城は三島市と函南町にまたがっていて、整備事業は一括して三島市が行っています。

  • 13:04<br />南北に400mと細長く展開する岱崎出丸。緩い斜面を上りながら進みます。

    13:04
    南北に400mと細長く展開する岱崎出丸。緩い斜面を上りながら進みます。

    山中城岱崎出丸址 名所・史跡

  • 13:07<br />出丸御馬場跡

    13:07
    出丸御馬場跡

  • 出丸御馬場跡から先へ行こうと思ったら、あれ?土塁に囲まれて進めない…  御馬場の曲輪を戻り、脇を通って、すりばち曲輪を目指します。

    出丸御馬場跡から先へ行こうと思ったら、あれ?土塁に囲まれて進めない… 御馬場の曲輪を戻り、脇を通って、すりばち曲輪を目指します。

  • 13:10<br />出丸御馬場堀<br />堀内に畝が検出されたことから、西櫓堀・西の丸堀と同様畝堀であったと考えられる。<br />畝の高さは、堀底から約2m、頂部の幅0.6m、馬の背のように丸みを帯び、堀をさえぎるように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に掘り残して造られたものである。<br />畝の傾斜度は50度~60度の急峻で、平均した堀底の幅は約2m、堀底から曲輪までの高さは、平均9mにも及ぶ。<br />平成9年11月   <br />文化庁<br />静岡県教育委員会<br />三島市教育委員会

    13:10
    出丸御馬場堀
    堀内に畝が検出されたことから、西櫓堀・西の丸堀と同様畝堀であったと考えられる。
    畝の高さは、堀底から約2m、頂部の幅0.6m、馬の背のように丸みを帯び、堀をさえぎるように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に掘り残して造られたものである。
    畝の傾斜度は50度~60度の急峻で、平均した堀底の幅は約2m、堀底から曲輪までの高さは、平均9mにも及ぶ。
    平成9年11月   
    文化庁
    静岡県教育委員会
    三島市教育委員会

  • 構築途中の曲輪跡

    構築途中の曲輪跡

  • 御馬場曲輪西堀を掘った時に出た土により小高い丘のように造られ、曲輪の構築を急いだ様子がうかがわれます。

    御馬場曲輪西堀を掘った時に出た土により小高い丘のように造られ、曲輪の構築を急いだ様子がうかがわれます。

  • 赤星印が岱崎出丸の最南端に位置する、すり鉢曲輪。

    赤星印が岱崎出丸の最南端に位置する、すり鉢曲輪。

  • 13:16<br />すり鉢曲輪見張台<br />出丸の先端に位置するこの見張台は土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものである。<br />すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで手に取るように望見できる。見張台直下北側の平坦な部分が堀の跡で未調査ではあるが、試掘の結果、非常に傾斜角が強く、この堀底から見張台までは8m以上もあり、武具をつけた敵がよじのぼることは不可能な状況を呈していた。<br />平成8年12月   <br />文化庁<br />静岡県教育委員会<br />三島市教育委員会<br /><br />−−−−−−−−−−−<br /><br />いくつもある説明板の設置された年が異なっているものがあるのは、調査や整備が進んでいるということ。見学者にとっては勉強になるし、とてもありがたいです。もし、新たな説が浮上したり解明されたら是非とも追加や訂正をお願いしたいです。<br />なんて気軽に考えていたら、毎年、復旧作業や植栽等の維持管理費に一千万円以上要し、2018年からは、ふるさと納税を利用して寄付金を募るGCF (ガバメントクラウドファンディング)によりその費用の一部を補っているそう。<br />現在、見学料は無料。焼け石に水かもしれないけど、料金を徴収するのは難しいのかなぁ。

    13:16
    すり鉢曲輪見張台
    出丸の先端に位置するこの見張台は土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものである。
    すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで手に取るように望見できる。見張台直下北側の平坦な部分が堀の跡で未調査ではあるが、試掘の結果、非常に傾斜角が強く、この堀底から見張台までは8m以上もあり、武具をつけた敵がよじのぼることは不可能な状況を呈していた。
    平成8年12月   
    文化庁
    静岡県教育委員会
    三島市教育委員会

    −−−−−−−−−−−

    いくつもある説明板の設置された年が異なっているものがあるのは、調査や整備が進んでいるということ。見学者にとっては勉強になるし、とてもありがたいです。もし、新たな説が浮上したり解明されたら是非とも追加や訂正をお願いしたいです。
    なんて気軽に考えていたら、毎年、復旧作業や植栽等の維持管理費に一千万円以上要し、2018年からは、ふるさと納税を利用して寄付金を募るGCF (ガバメントクラウドファンディング)によりその費用の一部を補っているそう。
    現在、見学料は無料。焼け石に水かもしれないけど、料金を徴収するのは難しいのかなぁ。

  • すり鉢曲輪。<br />南端にあった敵をすり鉢状の底に滑り落とし、底に溜まった水に漬けてしまう目的の曲輪。現在は、安全のために底上げされていますが、かつてはもっと深かったそうです。<br /><br />これほどの防御体制が敷かれた山中城が半日で落城してしまったのは、豊臣軍が想定をはるかに上回る大軍勢だったため。そもそも戦国時代の山城は、相手にする軍勢はせいぜい数千から1~2万で、秀吉による小田原攻めは 7万(諸説あり)と、これまでの戦国時代には考えられなかったことでした。<br />但し、攻める側の犠牲も避けられず、先鋒を務めた軍は壊滅し、武将の一柳直末自身が戦死しています。

    すり鉢曲輪。
    南端にあった敵をすり鉢状の底に滑り落とし、底に溜まった水に漬けてしまう目的の曲輪。現在は、安全のために底上げされていますが、かつてはもっと深かったそうです。

    これほどの防御体制が敷かれた山中城が半日で落城してしまったのは、豊臣軍が想定をはるかに上回る大軍勢だったため。そもそも戦国時代の山城は、相手にする軍勢はせいぜい数千から1~2万で、秀吉による小田原攻めは 7万(諸説あり)と、これまでの戦国時代には考えられなかったことでした。
    但し、攻める側の犠牲も避けられず、先鋒を務めた軍は壊滅し、武将の一柳直末自身が戦死しています。

  • すり鉢曲輪から脱出。いまは底上げされているからいいけれど、滑り落ちたくない場所でした。

    すり鉢曲輪から脱出。いまは底上げされているからいいけれど、滑り落ちたくない場所でした。

  • 一の堀。

    一の堀。

  • 岱崎出丸の西側中腹を街道に沿って一直線に走る畝堀。西向きに造られたということは、豊臣軍を意識してのことのよう。

    岱崎出丸の西側中腹を街道に沿って一直線に走る畝堀。西向きに造られたということは、豊臣軍を意識してのことのよう。

  • 御馬場北堀

    御馬場北堀

  • 13:20<br />名残り惜しいけど、斜面を下りながらバス停へと戻ります。土塁や障子堀。とても魅力的な城跡でした。

    13:20
    名残り惜しいけど、斜面を下りながらバス停へと戻ります。土塁や障子堀。とても魅力的な城跡でした。

  • 13:24<br />見学の所要時間は2時間。真夏に歩くのはつらいけど、再訪してみたいです。眺望地点から富士山や愛鷹連山を望みたい。

    13:24
    見学の所要時間は2時間。真夏に歩くのはつらいけど、再訪してみたいです。眺望地点から富士山や愛鷹連山を望みたい。

  • ピンク印がバス停のあるあたり。

    ピンク印がバス停のあるあたり。

  • バス停の近くにある案内所・売店では、御城印を購入できるみたいです。

    バス停の近くにある案内所・売店では、御城印を購入できるみたいです。

  • 山中城案内所売店 グルメ・レストラン

  • 次は、13:40発のバスに乗り三島スカイウォークへ。

    次は、13:40発のバスに乗り三島スカイウォークへ。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • ひでじいさんさん 2025/05/23 07:37:47
    はじめまして。
    山中城跡は7~8年前と5年前に行きました。(小田原の住民)
    私はchemireさんほど細かく見てこなかった記憶です。上手く写真を撮ってますね、私は4Tをやり始めて旅行記用に入り口や看板など撮る習慣になってます。
    確かに障子状の堀で見ごたえありますね。城を守るには堀に水が必要ですが、山の上で貴重な水を使えなく、考えられたのはあのような障子堀なんでしょうか。
    訪れる人はあまりいないようですが、よく整備されてますね。
    出来ればお城や櫓も再現してほしいです、けど城跡ではなくなちゃうかなあ。
    お邪魔しました。

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