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伊藤博文別邸

名所・史跡

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伊藤博文別邸 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008295

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施設情報

伊藤博文が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた建物の一部を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したものです。 【料金】100円(小学生未満は無料)

施設名
伊藤博文別邸
住所
  • 山口県萩市大字椿東字新道1511-1
電話番号
0838-25-3139
アクセス
東萩駅 車 3分
中国自動車道美祢東JCT 車 20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
→ 駐車場から徒歩1分
駐車場
7台
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(37件)

萩 観光 満足度ランキング 18位
3.36
アクセス:
3.41
循環バス松陰神社前から徒歩5分くらいです。 by パリが大好きさん
人混みの少なさ:
3.75
自分たちが訪れた時には観光客と思われる人が数人いただけです。 by パリが大好きさん
バリアフリー:
3.12
松陰神社前からはほとんど平坦です。 by パリが大好きさん
見ごたえ:
3.91
今ではとても手に入らない吉野杉をふんだんに使った建物でした。 by パリが大好きさん
  • 満足度の高いクチコミ(22件)

    旧宅の隣にあり必見

    4.0

    • 旅行時期:2019/10
    • 投稿日:2024/04/22

    旧宅から別邸へ移動して見学しました。 入館料100円。東京から移築された別邸は一部だそうですが、その広さと豪華な造りは素...  続きを読む晴らしいです。2階建てで1階、2階と見学できます。写真や資料の展示もあり、時間の余裕があればボランティアの方が各所で説明して下さいます。 1階の廊下天井の1枚板の大きさに驚愕でした。  閉じる

    tamakoro

    by tamakoroさん(女性)

    萩 クチコミ:18件

  • 史料館

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/07(約10ヶ月前)
    • 0

    東京から移築したという伊藤博文の元別邸です。松陰神社から歩いて10分とかかりません。館内は有料の資料館になっています。すぐ...  続きを読む横の簡素な旧家に比べ立派な建物でした。館内は強い日差しから逃げ込んだ観光客でにぎわっていました。  閉じる

    投稿日:2023/08/11

  • 伊藤博文別邸 

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/05(約12ヶ月前)
    • 1

    日本全国47都道府県 を 旅行してきて 山口県が最後の地となりました。

    旅行中「松陰神社」「松下村塾」を訪れたあと
    ...  続きを読む

    近くにある こちら萩市指定史跡 伊藤博文旧宅地 附【 伊藤博文別邸 】にも立ち寄りました。

    明治40年に東京都品川区に建てた広大なものでした。

    当時の面影残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しました。

    3分の1 で これだけ広いのだから…相当な広さですね!

    係の女性が 丁寧に説明してくれたので、立ち寄って良かったって思いました。

    「玉座」に座ってもいいと言われたので、早速 座りました(^^)

    廊下の鏡天井は一枚板だそうで、びっくりしました。


    隣接して 国指定史跡 「伊藤博文旧宅」があります。

    兵庫県知事に赴任するまで ここが本拠だったそうです。こちらは質素でした。







      閉じる

    投稿日:2023/05/29

  • 当時の暮らしを知ることができます

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/04(約1年前)
    • 0

    伊藤博文別邸は、山口県萩市の旧宅の隣にある美しい建物です。そのため、旧宅と一緒に訪れることができます。建物は、当時の日本の...  続きを読む伝統的な建築様式を取り入れた、とても美しい外観を持ちます。中に入ると、伊藤博文の生活風景が再現された部屋がいくつかあり、当時の暮らしを知ることができます。  閉じる

    投稿日:2023/04/04

  • 東京から移築された邸宅

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 1

    萩の市街地の東側、松陰神社の南側の住宅街のなかにあります。伊藤博文旧宅と隣接して建っています。
    こちらは東京にあった伊藤...  続きを読む博文の邸宅を移築したものです。ただ、かなり広く、大きな邸宅だったので、その一部のみの移築となったそう。それでも十分すぎる大きさで、西洋風の部分と、書院造りとなっている部分とがあり、さらに見事な庭園まで整備されてありました。細かいところの装飾も凝っていて、さすが伊藤博文の邸宅だと感じました。  閉じる

    投稿日:2022/12/05

  • さすが伊藤博文の邸宅と思わせる建物です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/09(約2年前)
    • 0

    伊藤博文別邸は、東京都品川区にあったものの一部を移築したものです。移築前の家は車寄せのある大きな玄関、中庭を挟む形で西洋館...  続きを読むや書院があります。奥には離れのような座敷、台所、風呂、蔵をがあったそうですが、備えた広大なものでした。移築したものは玄関、大広間、座敷です。今ではとても手に入らない樹齢1000年の吉野杉をふんだんに使っているそうで、大広間や座敷の井などは非常に手の込んだものです。隣の広場には伊藤博文の陶像がありました。  閉じる

    投稿日:2022/09/23

  • 伊藤博文別邸

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    一人ドライブ旅。山口県山口市で宿泊した後、萩市へ移動。萩城跡を見に行きました。萩城跡前の「城跡ながお」の広大な無料駐車場に...  続きを読む停めて自転車で散策です。松陰神社は市内の東側にあります。無料の参拝者用駐車場がありますので安心です。奥手の本殿で参拝させていただきました。その後、境内を出て、右手奥にある伊藤博文旧宅と伊藤博文別邸に向かいました。歩いて5分ほどです。木造茅葺きの小さな旧宅は工事中で入館できませんでした。別邸は立派な構えです。長州ファィブなる説明看板がでてました。これは是非ご一読ください。  閉じる

    投稿日:2021/11/22

  • ここから眺める富士山が気に入っていたとか。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    ここには南側に大きな別邸、北隣に小さな旧宅が並んでいました。この別邸は現在の品川区大井に建てたもので、博文が建てた別邸の中...  続きを読むで最後のものです。何でも、ここから眺める富士山が気に入っていたとか。この別邸は引退後に住もうと思っていたのか盛りだくさんで、車寄せを持つ玄関を入ると、中庭を挟んで右に西洋館、左に書院があり、その奥に離れ座敷、台所、風呂及び土蔵という広大な豪邸です。ここには玄関、大広間、離れ座敷を移築したものです。
    博文は、1857年(安政4年)に長州藩士・来原良蔵の配下となります。来原家は大組(藩主直参藩士)に属しています。一方、博文の井上家は中間で、士分ではなく武家奉公人と呼ばれる身分です。博文は良蔵の奉公人になったということです。(後述の桂小五郎も大組ですが、かなり上級クラスです)博文は良蔵を生涯、師と仰いでいたといわれています。良蔵は松陰や桂小五郎(後の木戸孝允)らと交流があり、小五郎の妹・治子と結婚しています。博文は良蔵の推薦で、1857年(安政4年)に松下村塾に入ります。松陰の評価は「なかなか周旋家になりそうな」だったそうですね。AさんBさんの間に立って上手く話をまとめる能力に長けているということでしょうか。1863年(文久3年)に長州ファイブの一人として、英国へ藩公認の密航留学しますが、良蔵や孝允の相当強い働きかけで選抜されたのではないかと思います。この後、目覚ましい栄進を続けていくことになりますね。  閉じる

    投稿日:2021/08/11

  • たくさんあった邸宅の1つです。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 1

    旧宅の南隣には大きな別邸がありました。これは1907年(明治40年)に、東京府下荏原郡大井村(現在の品川区大井)に建てた大...  続きを読む井別邸を移設したものだそうです。といっても、大きな家だったので、往時の面影をよく残すという玄関、大広間、離れ座敷の3棟だけを移築したものだそうです。博文は当時の大物同様にたくさんの家を持っていました。まず本宅とした品川の御殿山邸宅(三菱に売却)、横浜の金沢別邸、大磯本邸、そして、この大井別邸です。たくさんありすぎて、どこがどこだか分らなくなりそうです。品川の御殿山邸宅ですが、博文が尊攘運動に身を投じている時に、御殿山の建設中の英国公使館の焼き打ちに参加しています。どんな気持ちで建てたのでしょうかね。   閉じる

    投稿日:2021/06/22

  • 東京から移築

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    東京の品川に建てた別邸を移築したものです。隣の旧宅は修復工事で見られませんでしたが、茅葺の簡素な建物でしたが、別邸は豪邸で...  続きを読むす。今は資料館として公開され、車寄せを持つ玄関では長州ファイブの紹介がありました。  閉じる

    投稿日:2021/05/05

  • もとは品川の

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    萩の観光で訪問しました。松下村塾から少し行ったあたりにあります。萩の文化財1日券が使える施設でした。有名な伊藤博文が明治時...  続きを読む代に建てたという家ですが、驚くのはこの家はもともとは東京の品川区にあったものだということ。それをここに移築したそうです。もともとの家は和室だけでなく洋室もあったそうですが、ここはその一部の移築とのこと。一部でも十分立派でした。  閉じる

    投稿日:2021/04/17

  • 松陰神社寄り歩いてすぐ

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/01(約3年前)
    • 0

     松陰神社に参拝した際に、その近くにある伊藤博文の旧宅と別邸を見学してみました。この伊藤博文の別邸は、松陰神社から歩いて5...  続きを読む分もかからない距離にあります。旧宅が修復工事中であったのに対して、こちらは工事はなく見学する事が出来ました。堂々とした造りは、総理大臣にふさわしい邸宅であるように思いました。良いものを見学させていただいたと思います。
      閉じる

    投稿日:2021/03/01

  • 2020年末時点で、こちらは通常開館です

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    伊藤博文旧宅と並んで建つ別邸は、東京からこちらへ移築された建物とのことで、2001年から公開が始まっていますので、隣の旧宅...  続きを読むとは違って、工事の必要はないようで、私が訪問した2020年12月時点では通常営業でした。

    ただ、隣の旧宅の工事が目立つためか、別邸も休館中と思われる方が多いようで、こちらは開館していますよと、スタッフの方が必死に呼び込みをされていた姿が印象に残りました。  閉じる

    投稿日:2021/01/26

  • 移築されたものだそうです

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/09(約4年前)
    • 0

    伊藤博文の旧宅は工事中で近づけませんでしたが、別邸は中に入って見学できました。東京にあったものを移築してきたものだそうです...  続きを読む。係の方が手短に説明してくださり、効率的にたくさんのスポットをまわりたいので、とてもありがたかったです。特に明治天皇から下賜されたという灯篭は、見たことのないモチーフが刻まれていておもしろいと思いました。  閉じる

    投稿日:2020/09/22

  • 東京から移築した伊藤博文の立派な住まい。

    • 5.0
    • 旅行時期:2019/11(約4年前)
    • 0

    松下村塾からほど近い場所にある、初代内閣総理大臣である伊藤博文の旧宅に隣接した、東京から移築された別邸も見学しました。さす...  続きを読むがに立派で、細部にわたって手の込んだ造りで、大変に見ごたえがありました。大きな建物の中には、畳の敷かれた部屋がいく部屋もあり、彼の業績が学べる展示もありました。  閉じる

    投稿日:2020/03/08

  • 旧宅の隣にあり必見

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/10(約5年前)
    • 2

    旧宅から別邸へ移動して見学しました。
    入館料100円。東京から移築された別邸は一部だそうですが、その広さと豪華な造りは素...  続きを読む晴らしいです。2階建てで1階、2階と見学できます。写真や資料の展示もあり、時間の余裕があればボランティアの方が各所で説明して下さいます。
    1階の廊下天井の1枚板の大きさに驚愕でした。  閉じる

    投稿日:2019/10/27

  • 松下村塾の門下生で初代内閣総理大臣になった伊藤博文が品川の大井に建てた邸宅の一部の玄関、大広間、離れ座敷の3棟、松下村塾の...  続きを読むすぐ東側に移築して公開していました。
    実は我が家の近くにあったこの建物を知っているだけに、遠く離れた萩の生家の隣に移築されているのを見て感慨深いものがありました。
    隣りには老朽化が進み中に入ることのできない生家もあって隣り合わせで見学できます。
    松下村塾の門下生だった明治維新たちの生家はこの周辺にあるので時間があればまた改めてじっくり見たいものですね。  閉じる

    投稿日:2018/09/13

  • 伊藤博文の生家

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    旧宅とこの別宅が並んで建っています。手前にあるのが旧宅で、この別宅は奥の方にあります。元々は東京の伊藤博文亭の一部を生家の...  続きを読む隣に移設したのだそうです。生家は質素ですが、出世した後に建てたこの別邸の方は流石に豪華でした。出世前後の家を同時に見ることが出来るのは珍しい場所だと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/06/27

  • 東京から一部を移築

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/05(約7年前)
    • 0

    明治40年に東京府(現在の品川区)に建てた別邸お屋敷から、一部の玄関と大広間、離れ座敷の3棟を移築しています。料金は100...  続きを読む円、ガイドさんも常駐しているので利用したい。天皇から下賜された灯篭や杉の一本木から作られた鏡天井もあり、写真で伊藤博文の生涯も知ることができます。
      閉じる

    投稿日:2018/11/13

  • 午後からの萩市内見学も、萩博物館の時点で気がつけば4時を過ぎていた。一日券を持って廻っており、次に目指したのは伊藤博文別邸...  続きを読む。萩のボランティアガイドの方が、松陰神社の駐車場に車を置いたらすぐ、と言っていたが、土地勘のない人間が探し当てるには無理があった。松陰神社駐車場でナビに住所を入れてたどり着いたが、すごい遠回りをしたことが、帰路に判明した。ひょっとしたら近道があるのかもしれないが・・・。
    さて伊藤博文別邸については、閉館間際にもかかわらず、ボランティアの方がとても丁寧に説明してくださった。伊藤の没後に、東京在住の頃の邸宅を移築したそうだ。東京品川区の場所は今はマンションになっているということを、ボランティアの方も来館者から聞いたそうだ。移築されて保存され、本当に良かったと思う。
    また萩の現在地が旧宅の隣であり、土地所有者の方から提供されたこと、節目造りの天井の間があり、匠の技を持った当時の職人の技術のたまものであることなど、ボランティアの方からいろいろ教えて頂いた。


      閉じる

    投稿日:2018/12/02

  • 大勢の訪問客を意識した造りのように思います

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 1

    伊藤博文別邸は、明治40年、伊藤博文が東京の当時大井村に建てた別邸の一部を移築したもの。間口の広い式台玄関から奥に続く廊下...  続きを読むも十分な広さがあって、これは大勢の訪問客を意識した造りのように思います。母屋の部分と渡り廊下でつながった二階建ての離れもあって、後者の方がよりプライベートな感じ。
    松陰との出会いから、長州の同志たちとの関わりなど。当初は過激な攘夷思想の持ち主だったこともちょっと微笑ましいような気持ちになりました。  閉じる

    投稿日:2016/09/28

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