2019/09/28 - 2019/09/28
18位(同エリア261件中)
- #キリスト教の布教
- #メルヘン街道
- #ザバブルク城
- #トレンデルブルク城
- #イルミンの柱
- #ブランブルク城
- #古代ゲルマンの巨人族三姉妹
- #古代神の滅亡を示す大きな壁画
- #聖ボニファティウス
- #神木である樫の木
関連タグ
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記575冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,010,588アクセス
- フォロワー107人
昔々、*Weserヴェーザー川が流れるヘッセン州のWeserberglandヴェーザーベルクラントのなだらかな丘陵地帯を覆う、深く、暗いReinhards-Waldラインハルトの森に古代ゲルマンの巨人族が住んでいました。
そこには巨人族の三姉妹・ブラマ、ザバ、トレンドゥラの伝説が残る。
*<Weserヴェーザー川>
中部ドイツのThueringer Waldテューリンガーの森に源を発し、ドイツ的な楽しい観光街道・メルヘン街道沿いのハン・ミュンデンやハーメルンを経由し、ブレーメンに至り、50km先のブレーマーハーフェンで北海に流れ込みます。
ドイツでは有名なライン、ドナウ、エルベ川の3大河川と共に重要な河川であり、昔からハンザ商人が船による輸送=通商路としてきた河川の一つです。全長440km。
(支流あるいは源流の一つWerraヴェラ川を含むと744km)
写真は2019.09.28.古城ホテルBurghotel Trendelburgトレンデルブルク城: Trendulaトレンドゥラの木像(樫の木で7m)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フランクフルト空港から、ブレーメンに飛んだ時、眼下に見える緑の森の広さには驚いたものだが、ドイツの各地にはトイトブルクの森、テューリンゲンの森、ラインハルトの森といった、森林地帯があって、今は自然保護地域になっているケースも多い。
古代のゲルマンの民が森と共に生きた民族と言われ、広大な森の周縁に居住し、森に狩りに出かけ、獲物を取り、茸などを採取して生活してきた。敵がくれば、森に隠れてやり過ごし、森を盾にして戦ったという。ゲルマン民族にとっては“森”は全てであったと思われる。
現代のドイツ人も、時間があれば、森に散歩に出かけて行く。これはゲルマンの頃からの民族性があらわれていると云えるのでしょう。
参考写真は2005.4.29.ドイツ原始林の一つとされているReinhardswaldラインハルトの森 -
メルヘン街道は度々走った。その際に基地としたのは二つの古城ホテルだった。
二つの古城ホテルには若い頃の1977年、1982年、そして定年後の旅も2005年、2013年、2019年に訪れた。
グリム童話で名高い“ラプンツェルの塔”のモデルとなったBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城や、Dornröschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城は私のお気に入りだから、この地域に来ると外せないのだ。
写真は2005.04.21.北ドイツ周遊:メルヘン街道のMap -
イチオシ
【Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城】
D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)の話のモデルともなったと云われる。
4星・全22室。
国道の先の丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。
あれが名高い“ラプンツェルの塔”だ。1907年発行のグリム童話では『魔女に閉じ込められたラプンツェルが塔から長い髪を垂れ下げ、王子に助けてもらった』という話が載っていて、Trendelburgトレンデルブルクの塔は其のモデルに使われたそうです。
今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。
写真は2013.10.16.メルヘン街道・トレンデルブルク城の秋・・・左に天守閣“ラプンツェルの塔”、右にホテル・レストラン棟の建物ホテル ブルク トレンデルブルク ホテル
-
1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。
写真は2019.09.28.メルヘン街道・トレンデルブルク城:天守閣“ラプンツェルの塔”・・・もっともらしくロープが下がっている。 -
人口6000人という小さな木組みの家の並ぶ村の中心に、Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルクはあり、1303年コンラッド三世伯爵が建てたのが始まりと云われている。
大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6ベットのみのホテルが開業される。
写真は2019.09.28.メルヘン街道・トレンデルブルク城のブルクレストラン、外にもテラスレストランが見える。 -
細い橋を渡って、狭い城門をくぐり、石畳の城内に入ると、カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。
周辺のラインハルトの森を遠望する。以前は見なかった大きな赤屋根の建物が下に見える。宿泊施設や駐車場・広場といったものだが。
写真は2019.09.28.メルヘン街道・トレンデルブルク城からの眺望。 -
【Dornröschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城】
D- 34369 Hofgeismar (Sababurg)、im Reinhardswald 、Sababurg 12
かつて、この城は3星・全18部屋という小さな古城ホテルであった。
(その後2018年末に理由は不明だが、古城ホテル ザバブルク城は営業を停止した。多分業績不振となったのだろう)
写真は2019.09.28.メルヘン街道・ザバブルク城址ホテル ドルンレッシェンシュロス サバブルク (いばら姫の城) ホテル
-
別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”であり、Dornröschenschloss いばら姫の城と呼ばれている。この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、長い間忘れられた存在になっていた。
第二次大戦後、ホテル・レストランに改造され、周囲には自然動物園(1571年)も設けられている。
写真は2019.09.28.メルヘン街道・ザバブルク城のいばら姫の看板と -
【伝説:巨人族の三姉妹・ブラマ、ザバ、トレンドゥラ】
巨人族の長はクルコと云い、族長の3人の娘Bramaブラマ、Sabaザバ、TrendulaトレンドゥラがTrendelburgトレンデルブルク城に住んでいました。
父クルコが亡くなってから、ブラマ、ザバの二人は急速に広まりだしていたキリスト教に改宗したのですが、トレンドゥラは改宗しませんでした。
写真は2005.04.28.古城ホテル トレンデルブルク城(天守閣はラプンツエルの塔として知られている) -
古代ゲルマン神を信じるトレンドゥラが頑ななため、心優しいブラマはこの事を泣き悲しむあまり失明してしまいます。
写真は2005.04.28.1泊した古城ホテル トレンデルブルク城 -
お互いが信ずる神に従い、ブラマ、ザバの二人はトレンデンブルク城を出て、ブラマはヴェーザー川の向こう岸にBramburgブラムブルク城を、ザバはTrendelburgトレンデルブルク城からも近いSababurgザバブルク城を建てて移り住みました。
写真は1977年5月29日メルヘン街道:古城ホテル ザバブルク城訪問・・・・・・左上から時計回りで、城への坂道、ザバブルク城の俯瞰(絵葉書)、ザバブルク城前の道、この頃はザバの木像は立っていない。ホテル内。 -
仲良しの二人を嫉んでか? 宗教上の争いか?!
ある時、トレンドゥラがザバを待伏せして殺してしまいます。
その後、トレンドゥラは城に篭って、姿をみせなくなりました。
写真は1977年5月29日メルヘン街道:古城ホテル ザバブルク城訪問 -
イチオシ
写真は1977年5月29日メルヘン街道:・・・左上から時計回りで、古城ホテル トレンデルブルク城のラプンツエルの塔と入口、城内、 Bodenwerderボーデンベルダー・ミュンヒハウゼン男爵(ほら吹き男爵)の「水を飲む馬」の前で・・・「馬に乗って水を飲ませていたのだが、馬はいつまでも飲み続けている。おかしいと思って振り向いたら、なんと馬の胴体の半分がなくなって、水はジャージャーと後ろに流れていたのだよ……。要するに、城門を駆け抜けた際にちょうど格子戸が落ちてきて、馬を二分してしまったのだね」
水飲み場でがぶがぶ水を飲む馬。ところが、その胴体からそのまま飲んだ水が流れ出しているシーン。 -
イチオシ
写真は1977年5月29日メルヘン街道:古城ホテル トレンデルブルク城訪問・・・左上から時計回りで、ラプンツエルの塔傍で、トレンデルブルク城下のTrendulaトレンドゥラの木像は無かった、テラスレストランにて。
-
ある日、この辺りを7日7晩の豪雨が降り続きました。
止まぬ豪雨にキリスト教に帰依していた村人たちは、異教徒のトレンドゥラに対する神の怒りだと考え、トレンドゥラを生贄(いけにえ)にしようと、森に連れて行きました。
天から稲妻が光り、雷がトレンドゥラを貫き、大きな穴を開け、豪雨はたちまち止みました。
大きな穴(面積1,93 ha)はWolkenbruchヴォルケンブルッフ(ドイツ語では突然の豪雨の意)と呼ばれ、今もトレンデルブルクの村外れ(東に1km)に残っているそうです。
参考写真は2005.4.28.古城ホテル トレンデルブルク城近くのNasser Wolkenbruch Naturdenkmal_Landkreis_Kasselカッセル地方の自然記念物リストアップされているヴォルケンブルッフ湿地 -
参考写真は2005.04.28.古城ホテル トレンデルブルク城
-
参考写真は2005.4.28.古城ホテル トレンデルブルク城:Bergfried天守閣(ラプンツエルの塔)とBurgblickweg古城遠望の道
-
【巨人族・三姉妹の木像が立つ】
1994年に、古代ゲルマンの伝説、巨人族・三姉妹の木像が作られました。
古代の神木(樫の木)の一本彫りで、いずれも7mの大きなものです。
ドイツのメルヘン街道は世に知られた街道ですが、観光上のシンボルとして、三姉妹の木像が作られたのでしょう。
この事で、私も伝説とキリスト教の布教、神木を巡る古代ゲルマンの神との争いがあった事も知ることができたのでした。
参考写真は2005.4.28.古城ホテル トレンデルブルク城下のTrendulaトレンドゥラの木像 -
イチオシ
ブラマの像はヴェーザー川の向こうBramwaldブラムの森を見渡す場所に(ブラムブルク城址)、
トレンドゥラの像はトレンデルブルク城(Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城)の谷間を流れるディーメル川の岸辺に、
ザバの像はザバブルク城(Dornröschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城)の麓に其々悲しげな顔を見せて立っています。
(この伝説はグリム童話の陰に隠れてしまい、私も初めて知りましたが、キリスト教の伝来と古代ゲルマン神の衰退の話として、大変、興味深いものです。)
資料;ドイツ魔女街道を旅してみませんか? (作者:西村佑子)から。
(2013.09.15.Wiki・HP参照、訳・編集・加筆)
写真は2019.09.28.普段は違う道を走った為、気付かなかったのだが、漸く会えたトレンドゥラの木像はトレンデルブルク城下の谷間を流れるDiemelディーメル川(ヴェーザー川の支流で全長110.5km)の岸辺に立っている。 -
参考写真は2005.04.28.メルヘン街道・ザバブルク城の正面側、Dornröschenschlossいばら姫の城に相応しい景観。
-
参考写真は2005.04.28.メルヘン街道・ザバブルク城のSabaザバの木像
-
写真は2019.09.28.ザバの木像:6年ぶりの秋の訪れだが、見覚えある巨人族のザバの木像が右にいく道路沿いに門番の如く、何か言いたげに悲しげな顔を向けて立っていた。
-
参考写真は2005.4.29.Reinhardshagenラインハルツハーゲン:Veckerhagenフェッカ―ハーゲンの盲目のBramaブラマ像はブラムの森を見渡す場所に。
-
参考写真は2005.4.29.盲目のブラマ像
-
*Ruine Bramburg ブラムブルク城址
ヴェーザー川の向こう岸にフェリーで渡り、R.M.Hemelnヘメルンから少し北に走ると、210mの丘の上にブラムブルク城址がある。
11世紀の頃に既に築城されていたと云う。
現在の城址には22mほどの天守閣が残り、城壁の一部、掘割の跡が見られる。
伝説によれば巨人族の三姉妹の長姉ブラマがこの城に住んだと云う。
(三姉妹の内、この場所は未踏の地になっている)
参考写真は2005.4.29.Reinhardshagenラインハルツハーゲン:Ruine Bramburg ブラムブルク城址 -
参考写真は2005.4.29.ラインハルツハーゲンのブラムブルク城址から眺めるBramwaldブラムの森
-
さて、前述した伝説:巨人族の三姉妹はキリスト教の伝来と古代ゲルマン神の争い、そして古代ゲルマン神の衰退の話として、大変、興味深いものですが、思い起こすとドイツの旅では、以下のような場所にそうした事例が残っていた。
・・・・・
昔々、ドイツではキリスト教の布教が行われ、それに伴い、神木を巡る古代ゲルマンの神との争いがあった。
①【トイトブルグの森;古代ゲルマン人の聖地Die Externsteineエクステルシュタイネと信仰のシンボルである“イルミンの柱”】
オストヴェストファーレン・リッペ地方のDetmoldデトモルトの町近くにトイトブルグの森があり、トイトブルグの森の一角・・・ローマの3軍団を全滅させたゲルマンの英雄Hermannsdenkmalへルマンの記念碑から東に12kmに古代ゲルマン人の聖地“Die Externsteineエクステルシュタイネ”(D-32805 Horn-Bad Meinberg、 Externsteiner Str. 35 )があります。
Horn-Bad Meinbergホルン・バート・マインベルクに、700万年前にできたと云う十数個の奇岩の群れがあり、ここが古代ゲルマン人の聖地と呼ばれている。
自然神を崇めたケルト人か、ゲルマン人の聖地であったと考えられています。
あのゲーテも、これを見て、賛嘆したと伝えられている。
岩に登る階段横に、岩に彫られた縦5m、横3.75mの“キリスト降架の図”がある。この図は1130年頃に、Paderbornパーダーボルンの修道士が彫ったと伝えられていて、図の中央に“イルミンの柱”と思われるものが見られて、興味深い。
参考写真は2005.4.28.Horn-Bad Meinbergホルン・バート・マインベルクのExternsteineエクステルシュタイネ:イルミンの柱 -
“キリスト降架の図”とイルミンの柱
『8世紀中頃、キリスト教を信仰するカール大帝が命じたキリスト教への改宗に対して、超自然現象や大木を、土着の神として信仰するゲルマンの一部族のザクセン族が反抗した。
長い抵抗の後、803年にザクセン族は大帝の治下に入りますが、この時、カール大帝はザクセン族の信仰のシンボルであるイルミンの柱(ゲルマン族の神木である樫の木)を切り倒したと伝えられている。』
参考写真は2005.4.28.Externsteineエクステルシュタイネ:イルミンの柱 -
古くからこの景観を描いた人もいる。
参考写真は2005.4.28.Externsteineエクステルシュタイネ:奇岩の絵(Elias_van_Lennep作_1663年) -
参考写真は2005.4.28.Externsteineエクステルシュタイネ:奇岩_Monumenta_paderbornensia作_1672年・・・岩山の上に建物のようなものが見られ、下には牧場といったものも見える。
-
中央にある38mの二つの岩には、橋をかけて、一方から渡れるようになっているが、見るからに恐ろしい眺めだ。
右手の池の近くの岩は凡そ30mの高さがあり(自殺の名所との話?!)、外階段から、頂上に登れるようになっていて、ドイツ人たちが登っている。私は高所恐怖症で、とてもじゃないが、家内は登ると言って、ドイツ人たちの後をついて行き、高い岩の上から、顔を出し、手を振っている。
さすがに、降りる時は恐かったそうだが・・・。
参考写真は2005.4.28.Externsteineエクステルシュタイネ:奇岩(Nordostansicht北側からの景観)エクステルンシュタイネ 自然・景勝地
-
参考写真は2005.4.28.Externsteineエクステルシュタイネ:家内が登ったのは前の写真で言うと右手の奇岩Grottenfels(拡大)です・・・私は高所恐怖症ですので、只々見守るだけでしたが・・・。
-
②メルヘン街道に位置するFritzlarフリッツラーで聖ボニファティウスはDonareicheドナーアイヒェ(ゲルマン族の神木である樫の木)を切り倒した。
カッセルの南約 25 kmに、メルヘン街道に位置するFritzlarフリッツラーと言う木組み建築の家並みが美しい町がある。
聖ボニファティウスはドイツでのキリスト教の伝道にあたり、723年、Donareicheドナーアイヒェ(ゲルマン族の神木である樫の木)を切り倒し、キリスト教の神の優越性を示したと云う。
最初の礼拝堂(現在の大聖堂の基礎になっている。)建設をはじめとして、この町の歴史に極めて重要な役割を演じた。聖堂広場に彼の樫の木を切り倒す像が象徴的に立っている。
参考写真は2013.10.15.メルヘン街道・FritzlarフリッツラーのBonifatius聖ボニファティウス(中央で神木を切り倒そうとしている)の図 -
<St. Peter Dom聖ペーター教会(1085年頃から1118年)>
大聖堂ドームと呼ばれるロマネスク・ゴシック様式の教区教会である。
この教会に面した聖堂広場に723年の聖ボニファティウスによるDonnareicheドナーアイヒェ(ゲルマン族の御神木=樫の木)の伐採を表す像がある。
参考写真は2013.10.15.メルヘン街道・聖堂広場に樫の木を切り倒す聖ボニファティウス像が象徴的に立っている。 -
Fritzlarフリッツラーは中世の神聖ローマ帝国(919年の帝国会議でハインリヒ1世がドイツ王に選出された)の起点となった聖堂と皇帝の町である。
元々は「平和の町」を意味する Friedeslarフリーデスラー に由来すると云う。
人口14千人。
写真は2013.10.15.メルヘン街道・Fritzlarフリッツラーのマルクト広場:木組みの家並みが美しい。・・・中でも中央にこの町一番と云われる木組み建築の家、切妻塔付きの“Alte Kaufhausアルテ・カウフハウス”が見事である。1480年に建てられたMichelミヒャエル兄弟会のギルドハウスである。中世以来の歴史あるフリッツラーはカッセルから25km南、木組み建築の家並みが美しい町である。 by jijidarumaさん観光案内所(フリッツラー) 散歩・街歩き
-
③「ドイツ人の使徒」と呼ばれた聖ボニファティウスが建てたフルダの修道院。
ヘッセン州の古都、Fuldaフルダはバロック建築が多く見られる宗教都市(司教領主の支配地)である。
“陸の水”と古代ドイツ語の意味を持つフルダ川(全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある)が街に沿って北に流れ、Weserヴェーザー川に注ぎ込む。そのフルダ川のほとりに、744年聖ボニファティウス(英人・ドイツのキリスト教化に努めた事から「ドイツ人の使徒」と呼ばれ、754年オランダで反キリスト教徒により殺害された)がベネディクト派の修道院を建てたことから、この町は発展したという。
その修道院教会の上にDom大聖堂がバロック様式で建てられた(1704~8年)。
今日の観光の第一はこのバロックの壮大な大聖堂を見ることだ。ドーム広場に二つの対称となる尖塔を持つどっしりとした、力にあふれた教会がある。
ドイツのキリスト教徒の心の故郷に相応しい、たたずまいである。内部に入ると、意外に聖壇(この下に聖ボニファティウスの墓がある)などの造りは質素だ。
城門前にはこの町を象徴する聖ボニファティウスの十字架を掲げた銅像が立つ。
旧市街には旧市庁舎をはじめ、様々な木組み建築の建物が見られ、楽しい街だ。
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Fuldaフルダ観光・・・左上から時計回りで、フルダの修道院、絵葉書、城門、フルダ城前で大聖堂 (フルダ) 寺院・教会
-
【ヴァルブルギスの前夜祭(29日)、魔女の祭り(30日)と5月柱 】 : ハルツの各地・・・ゴスラー、ハーネンクレー、ターレ、ブロッケン山の村---では、この4月29日、30日、5月1日にかけての夜、“冬の終わりと、春の訪れ”を祝って、女性が魔女の装いをして、燃え上がる炎を囲んで、踊りを楽しむという“ヴァルブルギスの夜”祭りを催す。
零時をこえると其の年の“5月の女王”が選ばれ、春の踊りが始まる。
17世紀の文献には、『この4月30日に、魔女達が箒の柄に乗って、空を飛び、ブロッケンの山頂に参集して、悪魔と饗宴を催した。暁を知らせる鶏の声と共に、彼らはいっせいに姿を消し、5月1日から、春が始まる』という伝説があります。ドイツの作家ゲーテの“ファウスト”にも描かれて、良く知られている。
本来、春迎えの儀式は古代の神々の領域でしたが、キリスト教の到来と共に、古代の神々は異教の神として追われ、悪魔として扱われ、古代の神を信仰するものも、魔女とされました。悪魔と魔女は冬を象徴し、冬が追われ、春がキリストの神と訪れるというものです。
19世紀になって、ハルツの人々は民間伝承の話を、春迎えの祭りとして、新しく、復活させ、前述のような形になりました。
これは、16世紀のルターの宗教改革後に起こった、新旧両派の権力闘争や、諸侯の世俗の争いが火種になり、不都合な相手や、敵を男女の別なく、魔女として告発するという、“魔女狩り”とは、趣が違う。16~17世紀の“魔女狩り”の嵐は、当時、全ドイツに吹き荒れて、魔女裁判による犠牲が10万人を超えたと云われている。
5月柱“Maibaum;マイバウム”は5月1日になると、ドイツの各地のマルクト広場に立てられる。人々はこの柱の周りを廻って、踊り、春の訪れを祝う。元来は、古代の神々、“樹木信仰”から来たものであるが、キリスト教に合体した形で、キリスト教の宗教行事になってしまっている。カトリックの強い南ドイツは特に立派なマイバウムを立て、祝いの行事も盛んである。
参考写真は2005.4.29.ハルツ山地の地図とゴスラー -
④ハルツ山地のGoslarゴスラーには、皇帝の居城の「帝国の間」に古代神の滅亡を示す大きな壁画がある。
Goslarゴスラーの町はハルツ山地の西端にあり、4万6千人の世界遺産の町です。
私はこの町の中世の雰囲気が好きで、1976年の5月1日~2日(1泊)、1983年4月4日(日帰り)の二回、Düsseldorfから凡そ片道350kmのゴスラーに遊びに来ました。我が家の居間に鎮座している、1800年代の制作と云われる?人形は、1983年4月4日に、泊まったホテルの広間で催されていた、“蚤の市”で購入したものです。
ハルツ山地のGoslarゴスラーに皇帝の居城Kaiserpfalzカイザープファルツがある。カイザープファルツはドイツに現存する宮殿様式の建物の中では最も大きな規模(19世紀に再建)だとのことだ。
その二階の“帝国の間”には、ここ一番の見物と言えるドイツの歴史を描いた巨大な壁画52枚がある。
フランク王国のカール大帝から、ドイツ統一の皇帝ヴィルヘルム1世までの歴史を描き、其のテーマは“ドイツの復活”だそうです。
写真は2005.05.01.ゴスラー:帝国城と魔女・・・この日は魔女の祭があった。城を出ると、真っ赤なマントで覆い、多分竹馬にでも乗っているような3mもの大きなドラゴンの格好した男の人と、黒いコスチュームの魔女が踊りながら、旧市街へ向おうとしている。呼び止めて、家内と一緒に写真を撮ってよいかとお聞きすると、芸人さんなのでしょうか?!きっちり、ポーズを決めてくれました。皇帝居城 城・宮殿
-
この居城の巨大な壁画の一場面に、“柱の先端が、二本の角をもつ人間の顔をしたイルミンの柱”が描かれています。カール大帝が、そのイルミンの柱を切り倒した図になっている。まさに、「古代神の滅亡」です。
参考写真は1983.04.04.Goslar(Harz):ゴスラー:皇帝城の壁画にカール大帝(中央で乗馬した人物)がイルミンの柱を切り倒した図がある。柱の先端の様子がよく分からないが。 -
参考写真は1983.04.04.Goslar(Harz):Karl der Großeカール大帝がイルミンの柱を切り倒した拡大図。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2024年10月25日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
ホテル ブルク トレンデルブルク
3.43
この旅行で行ったスポット
その他の観光地(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ darumの好きな伝説・民話
0
40