2005/04/26 - 2005/04/26
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jijidarumaさん
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(2021年6月10日、2005年4月に2014年5月の旅の写真などを追加し更新した)
2005年4月21日(木)~5月5日(木)北ドイツ周遊15日間 ;
帰国した1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
<使用レンタカー>
Renaut Espace R157 ルノー・ディーゼル2200cc Automatic、
総走行距離は2,153km
≪Hildesheimヒルデスハイム・世界遺産; Dom・・千年のバラ≫ 4/26
Braunschweigブラウンシュヴァイクを15:00に出て、B1を西に、16:00、一時間でHildesheimヒルデスハイムに着く。
今日は初めて訪れる町ばかりだ。少しルートから外れたブラウンシュヴァイクと駐在当時も今も日本の観光案内書に、不思議な事にのっていなかったヒルデスハイムです。
写真はHildesheimヒルデスハイム:Dom聖マリア大聖堂の中庭にある礼拝堂(2014年5月)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2014年ドイツ:北方二州を巡る
(北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
(2014年05月09日~23日 15日間)
05月19日(月) 212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムからは晴れ、13.5~22℃
レッツリンゲン城を出発(10:00)し、B71・B245を南下し、EilslebenでA2に乗る。55kmでHelmstedtヘルムシュテットの町を通過した。アウトバーンA2を走ると、記憶にある検問所跡が見える。
ここにかつての旧東西ドイツの国境線があり、西から東に入る際の最も厳しい東独側の検問所があった。
駐在中に車でベルリン旅行に行った際にここの検問を受けた。車のトランクから車の下まで1時間ほど検査されて、緊張しました。
参考;Helmstedtヘルムシュテット: http://www.stadt-helmstedt.de/
ブラウンシュヴァイクから東に36km、マグデブルクから西に46km、かつての旧東西ドイツの国境線にあり、西から東に入る際の最も厳しい東独側の検問所があった。
今は当時の検問所跡があり、博物館や監視塔、検査設備などを見ることが出来る。
人口は22千人で、16~7世紀の400以上の木組みの家がある。かつてハンザ同盟都市でもあった。
2014年11月9日には1989年の東西の壁崩壊25周年記念祭が行われる。
写真は東独ヘルムシュテットの国境1989年 -
レッツリンゲン城から一気にではなく、途中のKoe-Uhryでトイレタイムを取り、Hildesheimヒルデスハイムに向かった。
距離147km、およそ2時間を走った(12:00)。
ヒルデスハイム観光は2度目。旧市街近くのKlanerhagenクラナーハーゲンという駐車場(Euro3.5)に車を入れて、観光に出かけた。
写真はヒルデスハイム:Dom聖マリア大聖堂の俯瞰 (2014年5月)
カール大帝の第3子、Ludwig Iルートヴィヒ1世・敬虔王(仏語ではLouis Iルイ1世)が聖マリア礼拝堂を9世紀に建てたもので、11~14世紀に渡り、ロマネスク、ゴシック様式での建物が加わり、今は壮大なものになっている。ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 寺院・教会
-
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
http://www.hildesheim.de/index.php
2005年4月26日に初めて訪れた。ツェレのお気に入りのHotel Fuerstenhof Celle古城ホテル フュルステンホフに2泊し、ここからブラウンシュヴァイク、ヒルデスハイムの二都市を巡る小旅行をしたのである。
日本の観光本では出てこない世界遺産の町でもあったヒルデスハイムは見所も多く、今年の旅でももう一度行ってみたいと、行程に入れることにした。
写真はヒルデスハイム:Dom聖マリア大聖堂の内庭にある”千年のバラ” (2005年4月) -
ヒルデスハイムは世界遺産【1985年登録】の町である。人口10万人。
州都Hannoverハノーファーから、南に30kmのヒルデスハイムは世界遺産のDom聖マリア大聖堂(872年創建、キリストの円柱、十字路回廊、千年のバラ)とSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹)で有名だ。
とはいえ、駐在中の1970年代のAral観光本には掲載されているが、日本の観光本には載っていない。2003年の“地球の歩き方”にも無い。
1985年には世界遺産の町になっていたにも拘わらず、これほど魅力的な町なのだが、今もツアーの対象にはなっていないだろう。
写真はDom聖マリア大聖堂の内庭にある”千年のバラ” (2014年5月) -
ヒルデスハイムの歴史:
ヒルデスハイムは古くから東西を結ぶ重要な通商路の交差点であったことで繁栄し、その歴史は1000年以上前にさかのぼる。
815年、ヒルデスハイムに司教座が置かれた(参照:千年のバラの伝説)。
1249年には都市権を獲得。
1367年にはハンザ同盟に加盟した。
第二次世界大戦の空襲(1945年末期)で町が焼かれた際に、世界遺産の歴史的建造物を含む町の多くが破壊された。旧市街の木組の家が1500程あったがその内、200のみが残った。
戦後数年の間に、人々の驚異的な努力で、二つの世界遺産は元のように復元され、現在までに木組の家の多くが再建され、かつての中世風の町並みも再現されている。
写真は1000-jaehrige Rose千年のバラ (2014年5月) -
?“1000-jaehrige Rose千年のバラの伝説”?
この伝説は『グリム伝説集』に載っている。
【敬虔なキリスト教徒であった、ルートヴィヒ敬虔王が、司教座を置く土地を探していた時、何時も首にかけていた十字架を落としてしまい、家来に探させましたが、見つかりません。
王はもし見つかったら、そこに礼拝堂を建てて、神に感謝しようと心に誓っておりました。家来達が雪の森を捜し歩いていると、時ならぬ緑の草地と野バラの茂みが見えました。王の十字架はそのバラの枝にかかっていたのです。
王はこれこそ、神の啓示と思い、その地に礼拝堂を建て、聖壇がバラの茂みのあった所になるように、命じました。
バラは大切に育てられ、今では礼拝堂の丸天井まで、伸びて花を咲かせるそうです。】・・・と。
1000-jaehrige Rose千年のバラは5月中旬、白いピンクの花を咲かせると聞きます。見てみたいものです。
XXX
写真はHildesheimヒルデスハイム創設起源の伝説(Dom聖マリア大聖堂”千年のバラ”:1652年の絵) -
<Dom聖マリア大聖堂世界遺産【1985年登録】
12:30~12:50 入場料Euro1。
http://www.dom-hildesheim.de/
何故、入場料が安いのかと思ったが、大聖堂内に入って分かった。
大改装中でほとんど見るべき場所がない所為なのだ。
ただ、さすがに“千年のバラ”のある礼拝堂の周辺は一応見ることができた。
この日はこの為に来たのだが、残念ながら、白いピンクのバラは数も少なく、しょぼくれた様子で咲いていました。
それでもイヌバラの花を接写してみると、やはり美しい。
写真は1000-jaehrige Rose千年のバラ (2014年5月) -
イチオシ
聖マリア大聖堂の中庭にある礼拝堂の外壁に沿って伸びるイヌバラ(野バラ)の木を見にいきました。
戦争で焼かれたにもかかわらず、新しい芽を吹き出し、今の様に大きく成長したのを、人はこれを“奇蹟”と呼んだと云う。
写真は1000-jaehrige Rose千年のバラ (2014年5月) -
イチオシ
2011年5月25日、旧東独を巡った時、ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道を走り、古城群も途中の行程にある。
まずその最初は保養地Bad Koesenバート・ケーゼンの近郊にある二つの城址である。最初がBurgruine Rudelsburgルーデスブルク城址、その傍にBurgruine Saaleckザーレック城址が快晴の中、白亜の姿を見せている。
村道の傍らに可愛らしい、小さな白いピンクのイヌバラが満開だ。
2005年に訪れた北ドイツの世界遺産の町Hildesheimヒルデスハイムにある聖マリア大聖堂、ここを建てたカール大帝の息子・ルートヴィヒ敬虔王の “1000‐Jaerige Rose1000年のバラ” 伝説に出てくる野バラ(イヌバラ)は多分こんな色をして咲くのでしょう。
写真は保養地Bad Koesenバート・ケーゼンの近郊の村道に咲いていた野バラ(イヌバラ) -
(お茶)El.Puente Weltcafe ヴェルトカフェ
13:00~13:25 Euro10(1,322円)
D-31134 Hildesheim 、Langer Hagen 36
1時間の歩き疲れと少しお腹も空いていたので、まだ清掃していたカフェに入れてもらった。
お祖父さん、母親の家族経営の店で、9歳の女の子が掃除を手伝い、お店のテーブルで勉強をしていました。チップを多めのEuro2を付けました。
帰国後、撮ってあげた写真をお店宛てに送った。
写真は聖ミヒャエルス教会下のヴェルトカフェ (2014年5月) -
満足した一時を過ごした。
右の写真はBienenstichビーネンシュティッヒ(「蜂の一刺し」という名前のドイツのケーキ、アーモンドとキャラメルの香ばしい甘さと、ドイツ風 バタークリー ムのリッチな味わい)、左にこっちも美味しいアップルトルテにコーヒー。
写真はヴェルトカフェで(2014年5月) -
<St.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会世界遺産【1985年登録】>
13:30~13:50
http://www.michaelis-gemeinde.de/
聖ミヒャエルス教会は旧市街の左手上の小高いミヒャエルスの丘にある。カフェのある教会下の広場から見ると実に美しい眺めです。目の前のなだらかな斜面を登り、きれいに改装された教会から振り返ってみる景観もまた良し。
写真はヒルデスハイム:もう一つの世界遺産、St.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会 (2014年5月)ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 寺院・教会
-
教会の基になるベネディクト派修道院は996年にBernward von Hildesheimベルンヴァート司祭(ザクセンの騎士であった。後に聖人に列す)により創立され、皇帝Otto IIIオットー3世の支援を受け、1022年に教会が完成する。
聖ミヒャエルス教会は1542年にプロテスタントとなるが、面白いことにベルンヴァート司祭が埋葬された地下の教会聖堂クリプタはいまだにカトリックを維持し、同じ教会内で新旧両派が併存していることだ。
こうした珍しい例をドイツワイン街道の町でも見たが、ドイツ国内ではその数が64を数えるという。
写真はSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会:天井画“エッサイの木” (2005年4月) -
第二次大戦の爆撃で全焼した教会は1960年に再建されている。幸いにも1943年には天井画、天使の柵も避難させていたため、生き残ったわけです。
教会内にある見所は、教会の中央天井に見える、12世紀半ばに改装された際にも残された1300枚の木の板に描かれた天井画“エッサイの木”(13世紀)です。
写真は聖ミヒャエルス教会:天井画“エッサイの木” (2014年5月) -
それはイスラエル王ダビデの父、エッサイからイエス・キリストまでの系譜を樹木で表現したもので大変見事な色彩で描かれたもの。
写真は聖ミヒャエルス教会:天井画“エッサイの木” (2014年5月) -
東の祭壇にはキリストの磔像(2008年)があり、西の奥のマリアの聖壇(後期ゴシック、1520年頃)は天使の柵(1200年ごろ)の横を上がると見ることができる。
その階段を上った平場にベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(14世紀)が大理石版の上に横たわって置かれていた。
ザーレ川沿いに中世より発展した町・ナウムブルクの大聖堂(13~4世紀)に寄進者の等身大の石像彫刻(12体)があり、“Naumburger Meisterナウムブルクのマイスター”達が創った作品群とされていますが、ベルンヴァート司祭の石像の色合い、顔の表現はナウムブルクのマイスターが作ったと思うほど似ていました。
写真は聖ミヒャエルス教会:ベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(14世紀)(2014年5月) -
マリアの聖壇の右手にBothmerボースマー家の立派な墓碑(1625年)がある。その横の階段を降りた地下聖堂クリプタにはベルンヴァート司祭の棺が置かれていた。
その石棺は当時の質素なままで、石棺の蓋には“炎の中の9人の天使”が彫刻されているそうですが、地下の暗闇の中で照明が光って良く見えなかった。
写真は聖ミヒャエルス教会:天井画“エッサイの木” (2014年5月) -
1999年製と新しいパイプオルガンの演奏練習に熱心な学生が一人、荘厳な調べです。
写真は聖ミヒャエルス教会:天井画“エッサイの木” (2014年5月) -
<マルクト広場と木組みの建造物>
14:00~~14:20
ヒルデスハイムの中心はマルクト広場にあり、周辺には市庁舎(1268年)、広場の泉(1540年)、Tempelhausテンペルハウス(14世紀)、壁面が極彩色の細密な模様に描かれているWedekindhausヴェデキントの家(1598年)、Rolandhaus ローラントの家(14世紀)・・・今、税務署、貯蓄銀行の店・・・、食肉・製パン協同組合Knochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウス(1529年)und Baeckeramtshausベッカーアムツハウス(1800年)の木組みの家があります。
写真はWedekindhausヴェデキントの家 -
戦後の瓦礫の中から、中世の雰囲気を持った、これらの建物を良くこれまでに復興させたものと思う。ドイツ人に脱帽です。
写真は食肉・製パン協同組合Knochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウス und Baeckeramtshausベッカーアムツハウスの木組みの家
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この旅行記へのコメント (2)
-
- M-koku1さん 2021/06/13 06:21:41
- 昔のものを大切にするドイツ人
- jijidarumaさん
ヴェデキントの家、ベッカーアムツハウスなどとても美しいです!
戦後に戦前と同じように建て替えたドイツ人に脱帽です。
外側を残して内装だけで快適な居住空間に作り変える技術を、もっと向上させられたら、日本の古い町並みも残せるのでしょうか?
もう手遅れかもしれませんが。
時々 もったいないなぁと思うのです。
ベルリンまで車でいらしたトピックを書かれていましたが、東ドイツを通り抜ける時、事前に何か許可証とか通行ビザのようなものが必要だったんですか?
あの大きなドイツ人に一時間も車の検査をされたら、本当に怖そうですね。何事も無く通過できて、本当に良かったと思います。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2021/06/14 01:07:48
- Re: 昔のものを大切にするドイツ人
- M-koku1さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
この頃はヒルデスハイムは日本人観光客にはまだ知られていなかった世界遺産の町でした。
世界遺産はイヌバラ(野バラ)を評価しているわけでもありませんし、その事はどうでも良いのですが、聖マリア大聖堂の中庭にある礼拝堂の外壁に沿って伸びるイヌバラ(野バラ)は戦争で焼かれたにもかかわらず、新しい芽を吹き出し、今の様に大きく成長したのを見て、ヒルデスハイムの人はこれを“奇蹟”だと感じたようです。
1000-jaehrige Rose千年のバラとは言い得て妙で、大事にその成長を見守った精神はマルクト広場に並ぶ見事な木組みの建造物の再建にもつながったのだと、私は思っているのです。
ドイツの町々は戦災で瓦礫の山となりましたが、例えばロマンチック街道の起点となるヴュルツブルクは第2次世界大戦末期には英軍の爆撃をうけて町の90%が破壊されたけれど、見事に再建されています。有名なローテンブルクは第二次大戦の被災で旧市街の40%を失ったが、昔のままに再建されている。
歴史を大事にする点でドイツと日本では今は大きな差が生じたようですね。
<ベルリンまで車:1983.4.1~4.4(3泊4日)ベルリン2度の訪問>
ベルリンは東西分離の時代に、2度行きました。
1度は出張、2度目は家族ずれで、車で東の支配する国境の検問を受けて、寂しいアウトバーンを緊張して走り、西ベルリンに入りました。
(事前に何か許可証や通行ビザのようなものは不要でした)
2度目の訪問は感謝祭(オースター)の休みに家族(中学と小学生の娘も)4人で、Mercedes 2300ccの中古に乗って走りました。
Duesseldorfデュッセルドルフ=>Dortmundドルトムント=>Hannoverハノーファー=>Braunschweigブラウンシュヴァイク=>Helmstedtヘルムシュテット(当時、ここに東西ドイツの国境検問所がありました。380kmの距離)=>Berlinベルリンと往復1,247kmの旅になった。
国境ではトランクから車の下まで検査されて、緊張しました。当時まだまだ東独から西側に様々な形で逃亡(亡命)しようとするケースがありましたから、やむを得ない事でしたが、気分の良いものではなく、何故か1時間ほどかかつて、東への道に入ることを許されました。国境検問所の写真は厳禁でしたから、記録は残っていません。
東の道路は西とは違った貧弱なアウトバーンに思えました。80kmを超えると何処からともなく、東のパトカーが出てきて、西側からやってきた人から高い罰金を取ると聞いていたので、安全・慎重運転でした。
アウトバーンの両側の丘に時々東独のパトカーらしき姿を見ています。
朝6時にデュッセルドルフをスタートし、600kmを走り、午後0時には西ベルリンのホテルAlsterhofアルスターホフに到着しましたから、若かった。
・・・と言っても今の長女の年・40歳でした。
以上、未完成のベルリンの旅から転載しました。
jijidaruma
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