2024/07/09 - 2024/07/09
22位(同エリア35件中)
実結樹さん
この旅行記のスケジュール
2024/07/09
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08:00 クライペダの Amberton Hotel 発
-
ピルスクロッグスでランチ
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この旅行記スケジュールを元に
「バルト三ヶ国11日間」という “旅のデザインルーム社” のツアーにひとり参加しました。
5日目の今日はリトアニアの港町:クライペダのホテルを発った後、午前中は「十字架の丘」に立ち寄りました。
国境を越えてラトヴィアの「ルンダーレ宮殿」に着くと先ずは宮殿敷地内のレストラン「ピルス クロッグス」でランチ。
その後、宮殿内の見学です。
折角のいい季節・お天気なのに、宮殿を庭園越しに見なかったのが今から思うと心残りでした。
世界遺産にはなっていませんが “バルトのヴェルサイユ” とも称される宮殿です。
尤も私、フランスの御本家には行った事無いのですが・・(^^;
【5日目 2024/07/09(火)】晴
朝食:クライペダのAmberton Hotel
午前:十字架の丘
★昼食:ピルスクロッグス
★午後:ルンダーレ宮殿
宿泊:リガのイスランデホテル
★がこの旅行記の範囲です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
リトアニアのヴィリニュスから入り、2連泊を中心にエストニアのタリンまで北上する11日間のコースです。
-
【5日目 2024/07/09(火)】快晴
11:25 「十字架の丘」を後にします。十字架の丘 史跡・遺跡
-
約40分走り、
12:05 リトアニアからラトヴィアへの国境を越えました。
貴重な瞬間なのにカメラが間に合わず、こんな写真しか撮れませんでした (ー ー; -
のどかな田園穀倉地帯を走り抜けます。
-
「十字架の丘」から76km:約1時間走って、
12:30 「ルンダーレ宮殿」の駐車場着。
ラトヴィアの首都:リガの南方約75kmに位置するバウスカ(Bauska)郊外に在る宮殿で、
ロシア帝国の摂政まで務めたクールラント公国のエルンスト・ヨハン・フォン・ビロン公の夏の宮殿として建てられました。 -
「Baltā māja」
駐車場近くの宿泊施設&レストランのようです。
突き当たりを左に折れて、Baltā māja ホテル
-
宮殿まではこんな木立の間の小道を数分歩きます
-
宮殿全体は16の建物で構成され、
フランス式庭園(10ha)と
森林公園(32ha)を含む
総面積は85haもの広大な宮殿です。 -
立派な赤い左右対称の厩舎の間を抜けます。
(これは逆光にならないよう宮殿に背を向けた反対向きですが) -
メインゲートが見えてきました
-
内側から振り返ったゲートです
-
王冠を頂いたライオンの像が門柱の上で睨みを利かせています
-
宮殿の外観はバロック様式。
石畳みの中庭を囲んで北側に出入り口を開いた “コの字型” に配されています。
正面の南棟は公の住居・執務の場、
左の東棟は儀式の為の公的スペース、
西棟は家族の住まいとして使われていました。
足許の石畳が丸石で歩き辛い。 -
お昼時なので先ずはランチです。
”宮殿内のレストラン” ということで添乗員さんは皆をここで待たせて下見をして来ると先に行きました。
ところが、近辺には他にもレストランがあり、私たちに予約されていたのは ”宮殿《敷地内》のレストラン” 「ピルス クロッグス」だったのです (u_u) -
平謝りの添乗員さんに連れられて、皆で元来た道を戻ります
-
宮殿の1階には当時の厨房が再現されていますが、この隣には、
-
「ルンダーレ宮殿内レストラン
( Rundales Pils Restaurant )」が、
また、地階?にはカフェ「オゾラーデ(Ozollade)」も有ったようです。
紛らっこしいですね。 -
12:45 で、到着したのがここ
「ピルス クロッグス(Pils Krogs)」
Pils って英語で palace 、
Krogs ってパブを意味します。
※ 4トラの口コミの「ルンダーレ宮殿内レストラン」の代表写真はこの店の外観になっています。
投稿内容も3店舗(レストラン、カフェ、パブ)がゴチャ混ぜです。
添乗員さんが混乱してしまうのも仕方ないですね。 -
店内の一部
-
前菜のスープも美味しくてボリューム満点。
毎回旅行社の配慮でテーブルウォーターを用意してくれます。
今日はハーブレモン水。 -
鱈のソテー サワークリームソース。
付け合わせの黄色いのが缶詰のパインのように甘い。
皆で「これは何だ?」ということになり、尋ねると味付けしない蒸しカボチャだそうです。 -
ライ麦のデザートとコーヒー
ウェイターさんでとても長身の男性がいて聞いたら210cmもあると!
一緒に記念撮影している人もいました。
レストランには約1時間の滞在で、 -
13:45 再び宮殿に戻ります
-
ところで、ここはエルンスト・ヨハン・フォン・ビロン公(1690~1772)の宮殿でした。
彼は元々はラトビア西部のクールラントの馬丁の息子として生まれましたが、その端正な容姿と処世術を武器に(一説によると人柄は最悪ながら?)ロシア帝国の摂政まで上り詰めるという驚異的な出世を遂げた人物です。
クールラント・ゼムガレン公
在位:1737年 ~1758年
1763年~1769年
ロシア帝国摂政
在位:1740年(僅か3週間ですが) -
彼はロシアの女帝:アンナ・イヴァノヴナ(1693~1740)と愛人関係にあり、その庇護の元、大出世をしました。
アンナは、ピョートル大帝の姪。
1710年11月 17歳でクールラント公:フリードリヒ・ヴィルヘルムに嫁ぎましたが、わずか3ヶ月足らずで、
1711年1月に夫が急死し未亡人となりました。
しかしそのまま公国の主権者としてその地に留まったのです。
そうした生活の中、宮殿での出世を目論んでいたエルンスト・ビロンと愛人関係になり、参謀として寵用するようにもなりました。 -
未亡人となってから19年後、
1730年 ロシア皇帝:ピョートル2世が14歳で死去すると、アンナが後継者として担ぎ出されました。
帝国の上級貴族たちにとって傀儡の皇帝としては打って付けであったのかもしれません。
アンナは即位に当たり、長年の愛人だったビロンを連れてロシアに戻って来たのです。
当時のロシア貴族の女性の多くは教育を受けていませんでした。
アンナも例外ではなく、そのため国政に殆ど関心が無く、ビロンなどの寵臣に政治を任せっ切りにしていたそうです。 -
「ルンダーレ宮殿」の建築は、
1736年 サンクトペテルブルクの「冬の宮殿(エルミタージュ美術館)」も手掛けたイタリア人建築家:ラストレッリが「ヴェルサイユ宮殿」を模して設計・着工しましたが、
1740年 10年の在位の後、アンナが亡くなると、女帝在位時代の寵臣:ビロンを快く思わぬ輩によって、
1741年 彼はシベリアへ流刑となり、宮殿の建築も中断しました。ルンダーレ宮殿 城・宮殿
-
ところが、
1762年 親ドイツ派のピョートル3世が即位すると、20年以上の時を経て、彼は宮廷に呼び戻されたのです。
1763年 次帝:エカテリーナ2世は往年の毒気の抜けたビロンをクールラント公に復帰させ、宮殿の工事は再開。
1768年 着工から30年以上経てやっと完成に至りました。
そして、宮殿完成から4年後の
1772年 ビロンは生まれたこのクールラントの地で波乱万丈の82年の生涯を閉じました。 -
宮殿には真ん中の階段から入ります。
この階段が朽ちかけた?木製で、宮殿には不似合いな感じでした。
中世の衣装を着た案内人さんが説明してくれる場合もあるようですが、私たちは普通の背広のイケメンさんでした。
宮殿内を撮影する場合は別料金を払い、シールを身に付けるという情報もありましたが、
今は廃止されたのか、添乗員さんが纏めて払ってくれたのか分かりませんが、そういうことは不要でした。
ハイヒールは御法度ですが、ビニールの靴カバーも履かずに済みました。 -
2階建ての宮殿には138の部屋があります。
戦災やソ連占領下で長い間荒廃・放置されていたので傷みも激しく、保存修復の済んだ2階の43室のみが公開されています。
世界遺産になっていないのもそんな事情からなのかも知れません。
(2007年に「ヨーロッパの遺産」に登録されてはいます。)
先ず、長い廊下を進み、 -
赤絨毯の敷かれた階段を上ります
-
最初は一番の見どころ「黄金の広間」
公の戴冠式や儀式の際使われた部屋です。
「戴冠式」というと公(公爵?)は、クールラント公国の ”王様” という位置付けなんでしょうかね?
ロシア帝国との関係はどうなっているんだろ~
「公爵とは貴族階級の中でも頂点に立つ存在であり、国王が任命する権力者を指す」とウィキは言ってますが、わたし、世界史も苦手だしその辺のところがよう分らん (~_~
頭上にはイタリア人バロック画家の手になる天井画が描かれています。 -
壁面を彩る金箔を施した漆喰彫刻
-
白いままの天使と金箔彫刻のコラボも可愛い豪華な装飾
-
宮殿で改築されていない部屋としては最も古いそうです。
-
「バルトのヴェルサイユ」と言われていますが、パリの宮殿には行ったことが無いので比較はできません。
-
その隣の「陶器の小部屋」
淡いブルーの壁面、装飾を施された陶器の置き台も凝ってます -
「黄金の広間」と「白の広間」を繋ぐ大廊下の「グランド・ギャラリー」
バンケットルームとしての機能も果たしたとか。
ドアの向こうは「白の広間」。
床は寄せ木細工。
天井の修復には14年もかかったそうです。 -
東棟の突き当りの「白の広間」
当初は礼拝堂の予定でしたが舞踏会の会場として使われました。
そうよ、宗教よりも享楽よ・・? -
真っ白で清楚なロココ様式の漆喰彫刻の内装はカラフルな女性のドレスを惹き立てるための効果を狙ったもの
-
シャンデリアも上品
-
窓から外を見るとコウノトリが営巣していました
-
同じく東棟から見た外の景色。
緑の芝生や植木の刈り込みが美しいけれど、手入れも大変そう。 -
白の広間の奥にある「楕円形の磁器の間」
波に見立てた45の台に乗せられたブルーの陶器によって滝をイメージした小部屋です。
白の広間が礼拝堂ならここは祭壇になる筈の空間でした。 -
床に置かれた二つの壺は日本の伊万里焼。
ここで引き返し、 -
「グランドギャラリー」を戻り、
-
「黄金の広間」を通り抜け、
-
ここは「青の間」
お花の絵が沢山掲げられています。 -
公の住居・執務室の南棟です。
殆どの部屋の隅に有る巨大な陶器の柱はタイルストーブ。 -
使用人が裏の狭い空間で薪を炊き付けて暖を送っていたそうです。
1カ所だけ裏方を見学できる場所がありました。 -
「図書室」
-
「ズボフ伯の部屋」
-
「バラの間」
薔薇色の人工大理石が一際目を惹く明るいお部屋。 -
壁面には21本の花房が下がっています。
夫人の部屋なら分かるけど、何のためにここに設られたのでしょうか? -
「オランダの間」
長身の彼が宮殿のガイドさんです。 -
「支配者の間」
ビロン公や彼の正妻、女帝アンナの肖像画もここに飾られてありました。 -
2階の廊下から中庭を見下ろします。
-
「公の寝室」
ベッドの両脇には2本のストーブ柱 -
寄せ木細工の床板は他のどの部屋のより流石に細密
-
一方こちらは別の部屋の、荒廃して小学校として使われていた時のままの床板
-
「公の浴槽とトイレ」
それにしても日本の現代の水周りは当時の王侯貴族の比ではない快適さですよね。 -
「公の寝室」は南棟の中心に位置しているので窓からは宮殿の南側に広がる「パルテール庭園」が見渡せます。
庭自体は高い位置から見た方がむしろよく分かるかもしれません。
庭園に出るには別料金が掛かります。
添乗員さんは「行きたい方いますか」と訊いてくれたのですが誰も手を挙げませんでした。
実際、そんな時間も無かったのですが、
折角バラと緑の絶好の時季に来て、
しかも青空のもと、建物は順光で、しかも庭園のお花越しに撮りたかったな~と心残りです。 -
「公の謁見の間」
赤い壁が刺激的です。 -
「大理石の広間」
部屋の周りに白と淡いブルーの大理石が配されている家族のダイニングルームでした。
1階の厨房から大分遠いのですが、調理場は他にも近くにあったのでしょうね。
毒味係は居たのかも聞いてくれば良かった。 -
ビリヤード場。
壁にはビロン公の息子とその嫁と孫?の肖像画 -
家系図です。
上段左側が「エルンスト・ヨハン・フォン・ビロン公」
右がその妻「ベニクナ・フォン・トロタ夫人」
下段右側が息子の「ピーター・フォン・ビロン公」
お年寄り二人はビロン公の親御さんでしょうか? -
飾り棚
-
「公婦人のブドゥアール」
ブドゥアールとは、女帝や公夫人たちのプライベートルームのことです。
白い塔はストーブ? -
「公夫人の寝室」
左脇は隠し扉になっていて、その奥には・・ -
「公夫人のトイレ」があります
-
「公夫人の?ドレス」
-
侍女のドレスでしょうか
-
シャンデリア
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下におります
-
最後に希望者だけ1階の厨房を見に行きます
-
往時の鍋や釜、皿などが展示されていました
-
モニターに映し出された昔の調理の様子
-
厨房隣に「RESTORANS」の看板が。
添乗員さんが最初に想定していた食事処の「ルンダーレ宮殿内レストラン」はここだったのですね。
入口脇のガラスケースに後生大事に緑色のガラス瓶が沢山入っていました。 -
これは「フォレスト・ガラス ( Forest glass ) 」と呼ばれ、北西・中央ヨーロッパで製造された中世末期のガラスです。
主原料は森の灰と砂で、森の中の工場で製造されていました。 -
帰りがけに土産店で見た昔のドレス
-
2時間強の見学で、
16:00 宮殿を後にします。
見学は、
・ショートコース
・ロングコース
・庭園に入園するかどうか
によって料金が異なります。
私たちは長短どっちのコースだったのかな?
お部屋ばかり次々と見ていると注意力が散漫になって、写真を撮り忘れている所もありました (-"-)
宮殿の詳細情報は公式HPで
https://rundale.net/en/services/ -
今夜はリガの「イスランデホテル」に泊まり、明日は「リガ歴史地区」を巡ります。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
8日間のツアーなどではリガからの半日観光でOPになっている場合もあります。
ベルサイユ宮殿やエルミタージュ美術館と比較すると見劣りするかもしれませんが、青空のもと花と緑の時季に行けて私は良かったと思います。リガ歴史地区 旧市街・古い町並み
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