2024/04/27 - 2024/05/06
597位(同エリア671件中)
RiEさん
旅行3日目(4月29日)。
深夜から降り続いた雨は9:00頃には弱まったけど4月末とは思えないほど湿気が多くて、宮崎県南部一帯の民家の外壁やブロック塀などがビッシリ苔むしている理由がようやく分かった。
雨天なのでのんびり支度して11:00頃HOTELを出発し、国道222号線を日南方面へ1時間弱走ると、1588年から明治初期までの280年間飫肥藩:伊東氏(5万1千石)の城下町として栄えた“飫肥城下町”に到着した。
武家屋敷を象徴する門構えや石垣が残る町並みは、1977年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今もなお江戸時代を彷彿とさせる雰囲気が漂っており、飫肥も雨が降ったり止んだり不安定な天候だったけど、城下町をしっとり濡らす雨露が懐かしさをを想わせるような風情を生み出す。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
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雨天だし飫肥までは車で1時間弱なので、11:00までHOTELでゆっくり過ごして国道222号線を日南方面へ。
途中で強弱を繰り返す雨と濃霧が重なり、視界が悪くてハンドルを握る夫は大変そうだった。 -
飫肥が近づいて来ると、橋の親柱が城(欄干よりも背が高くて想像以上に大きい)になっていて驚いた。
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ここ本町商人通りは約400年前からの商人で栄え、明治時代以降は飫肥杉の取引や南宮崎の政治・経済の中心地になっていたそうで、飫肥城が1978年に復元完成したとき「城下町にふさわしい町並みを」を合言葉に町並み研究会が発足し、統一された風致保存のための論議を重ねた結果、家は日本風に・軒の高さを決めるなど5つの申し合わせ事項をつくり、商家などの和風造りや電線の地下埋設などが実現した。
車で本町商人通りに入った途端、景色が城下町を彷彿とさせる街並みにガラッと雰囲気が変わるから面白い。
飫肥に来たら、ローカルスーパーのSUPERMARKETとむらが販売する【とむら焼き】を食べるべきという口コミが多かったので、揚げたての鶏肉に甘辛く味付けした専用タレをまぶしたとむら焼きと、おにぎりを購入して車内で昼ごはんを食べた。
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飫肥城観光駐車場に車を停めて、傘を片手に飫肥城下町保存会のチケット販売所へ。
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飫肥城下町観光をお得に楽しめる3種類のチケットが販売されている(支払いは現金のみ)。
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昼食を済ませたばかりで食べあるき出来そうにないから、今回は1番の【飫肥城入場券】大人1人:800円を購入した。
このチケットで飫肥城歴史資料館・松尾の丸・豫章館・小村寿太郎記念館・旧山本猪平家・商家資料館にも入場できるので、写真を撮りながらじっくり観光しようとすると結構忙しい。
観光し終わった頃には閉館時間ギリギリまでかかったため、もし3番を選ぶなら午前中から飫肥入りした方が良さそう。 -
飫肥城入場券で観光できる施設は商家資料館以外、飫肥城から真っすぐ伸びる大手門通りに集中しているし、道も平坦なので歩きやすい。
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まずは“小村寿太郎記念館”へ。
小村寿太郎記念館 美術館・博物館
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敷地正面に見える古びた家屋は立入禁止になっていて、旧伊東祐正家住宅と看板が立っており復元準備が検討されているそう。
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庭をL字に曲がると小村寿太郎没後80年を記念して1993年に開設され、2022年3月に小村寿太郎記念館としてリニューアルオープンした建物が見えた。
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小村寿太郎は明治時代に2度外務大臣を務め、1905年にポーツマス条約を調印し日露戦争を終結に導いた人物として、教科書でその名前を知った人は多いと思う。
鏡に貼られた実物大小村寿太郎の写真と並んで撮影できるスポットがあり、小さな巨人と鏡上に描かれている通りかなり小柄な人だった。 -
「小村寿太郎ヒストリーコレクション」と題されたコーナーでは、生い立ちから外交官としての功績などをわかりやすく紹介している。
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手前のシルクハットを被っているフロッグコートは小村寿太郎が実際に着用していたものだそうで、細身で現代の人に比べると身体の厚みがなく、華奢な体つきだったのがわかる。
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記念館入口付近にある「ようこそ飫肥へ」のコーナーでは飫肥にまつわる様々な物が集められており、郷土文化や名産品を知ることが出来た。
外に出ると急に太陽が顔を出してぶわっと湿気が高くなり、4月末とは思えないほどの蒸し暑さを感じた。 -
小村寿太郎記念館斜め向かいに建つ“豫章館”は屋敷入口が薬医門で、両側の源氏塀には江戸時代後期の飫肥瓦が葺かれている。
豫章館 名所・史跡
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薬師門からの長いアプローチが、見た目以上に距離を感じる。
江戸時代は御三家:伊東主水の屋敷だったものの、明治時代に入り廃藩置県・版籍奉還の後、飫肥第14代藩主:伊東祐帰が初代飫肥藩知事に任命されて1869年城内からこちらに移り住んだ。
ちなみに豫章館とは、庭園の北隅にあった樹齢数百年の大きな楠木から伊東祐相が名付けたそう。 -
飫肥藩の典型的な武家屋敷を今に残し、飫肥に現存する武家屋敷の中で最も江戸時代の面影を感じさせる豫章館は、1983年に伊東家から日南市へ寄贈された。
建物左側には庭園が広がり、右側は家の裏手と付属建物に続く通路が伸びている。 -
母屋は立入禁止だけど開放されているので外から覗けるようになっており、6部屋をL字型に配して玄関が付いている。
格式ある家だったので玄関が左右に並んでいるのが特徴で、左は広い表玄関・右は脇玄関にあたり幅が狭く、脇玄関の障子奥は写真だと真っ暗だけど… -
障子の先が板張りになっていて、引き戸には大輪の花が描かれていた。
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玄関から左に回った建物南側から庭へ入ると、庭園を望む部屋に五月人形が展示されていた。
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障子が外されているので開放感がある。
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豫章館の庭園は武学流の作庭といわており、広い空間に庭石・石灯籠・庭木などが巧みに配置し、主屋に面した回遊式枯山水式庭園なのが特徴。
庭の中央に井戸があって、ソテツなどの植え込みをめぐる飛び石が続いているけど、結構距離があるから足元が不安定なので眺めるだけになってしまった。伊東家庭園(豫章館) 公園・植物園
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雨が降ったせいで石畳みや通路になっている飛び石も滑りやすくなっており、ほとんどを苔に覆われた庭は酷くぬかるんでいたため、庭から建物を撮ることは出来なかったのが残念。
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約6500平方mある敷地には主屋の他に雑舎・蔵・御数寄屋があり、小さな石段を上った先にある御数寄屋を見に行くことにした。
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苔に覆われた石段がツルっと滑るので注意しながら上がりきると、青々とした苔に挟まれた飛び石さえない1本道が待ち構えていた。
空を覆うように伸びているから柳の枝がユサユサ揺れ、日当たりが悪いせいか1本道の上も薄っすら苔むしていて、更に水たまりが無数に待ち構えているというハードルの高さ。
トレッキングシューズを履いている私は深さ4cmまでなら平気なので真っすぐ進めたけど、深さ2cmまでしか対応できないウォータープルーフスニーカーの夫は水たまりを避ける必要があり大変そうだった。 -
立派な藤棚が御数寄屋前に配置されていて、見頃の時期ならさぞ素晴らしいはず。
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御数寄屋は靴を脱いで上がることが出来る。
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天気が悪いせいか雨戸が閉まっているのが残念だけど、緑に囲まれているので落ち着いた空間を想像した。
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来た道を戻って主や裏側に周ると、ツツジの回りを黒い蝶が飛び回っていた。
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突き当りに見えるのは木造渡櫓・本瓦葺きの重厚な造りをした江戸時代の櫓門。
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飫肥城大手門として親しまれており、樹齢100年以上の飫肥杉を4本使って1978年7月に復元されている。
飫肥城跡 名所・史跡
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ここ飫肥も苔が支配しているようで、大手門前の空堀沿いに生えたの樹木表面を苔がビッシリ覆っていた。
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幅の広い立派な大手門枡形。
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犬馬場の石垣(写真左端)は目隠しのようになっていて、盃を逆さにしたような末広がりの形状なのが特徴で、本丸へ至る通路は登城者側からは見えない工夫がされている。
石垣の石積みも石を隙間なく組合せて積む飫肥積みといった、飫肥独特の積み方も見ることが出来る。 -
登りきったところに白壁の“飫肥城歴史資料館”がある。
伊東家は藤原氏南家の子孫であり800年続いた由緒ある家柄で、飫肥は1588年に伊東祐兵が初代藩主になってから1871年の廃藩の時まで伊東家がこの地を治めていたので、飫肥藩ゆかりの歴史的資料が多数展示されている。
2022年3月にリニューアルオープンしたばかりだそうで、伊東祐兵や山田匡得の甲冑・刀剣などの合戦時代のものを中心に展覧できた。飫肥城歴史資料館 美術館・博物館
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かつて豫章館入口に展示されていた伊東家女乗物も修復され、浅野家女乗物といっしょにこの飫肥城歴史資料館で観賞できるようになった。
鏡越しに内部の素晴らしい装飾が見学出来るようになっていたり、豊富な展示工夫で驚くほど内容が濃くて見応えがあった。 -
火縄銃レプリカと刀のレプリカを持ち上げられる体験コーナーで刀を持ち上げてみたけど、非常に重くて非力な私はこの高さで限界。
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長い急階段の先に建つのは、藩主の御殿が再現された“松尾の丸“。
飫肥城は11の曲輪を配した平山城で松尾の丸はその内の1つにあたり、実はどのような建物があったかは記録がない。松尾の丸 名所・史跡
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この屋敷は1979年に樹齢100年以上の杉を使って、江戸時代初期の身分の高い武家屋敷を想定して時代考証を行い建築されたとのこと。
靴を脱いで内部見学スタート。 -
「玄関ノ間」
向かって左側が下級武士の足軽の頭を務めた荒武家の鎧。
向かって右側が下級武士ながら上戸高村の庄屋(村長的な職)を務めた都甲家の鎧。 -
「御座の間」
12畳の広さがある客間で、川御座船が展示されていた12畳隣室と続き間になっているため、合わせて24畳の大広間を確保できる。
これも時代考証による創作だろうけど、遷ろう雲のような襖のデザインがモダンだった。 -
屋敷内は間取り的に明かり確保が難しいため、昼間でもこれくらい薄暗かったそう。
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「湯殿」
こけら葺きで総桧造りの蒸し風呂は、京都にある重要文化財の蒸し風呂を模したもので、今でいうサウナ風呂として利用されていた。
向かいには8畳に床の間まで付いた脱衣室があり、蒸し風呂後は階段を上がって2階で涼んでいたのだそう(2階は立入禁止)。 -
中を覗いてみると蒸し風呂の床下には蒸気を発生させる大鍋が設置されており、敷いた簀の子から漏れる蒸気を利用している。
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蒸し風呂の背後は半階ほど下がった細長い土間になっていて、この竈を焚いて蒸気を発生させていた。
松の尾丸を出て私がゆっくり階段を降りていると、夫の叫び声が聞こえたので慌てて行ってみたところ、苔むした石段でツルっと滑ってしまいリュックがクッションになって自分は無傷だけど、iPhoneのディスプレイが蜘蛛の巣状に破損したらしく嘆いていた。 -
外に出ると傘が要らない程度の小雨がパラパラし始めていたので、次の目的地に早足で向かう途中に“鯉の遊泳地”があった。
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津和野や島原でも掘割を優雅に泳ぐ美しい鯉を見たけど、飫肥は逃げ場がないにもかかわらず全然鯉がいない。
大手門通りと後町通りの両側約100mに、錦鯉など約100匹生息しているとどこかで見た気がしたけど、私が通った時は10匹も居なかった。 -
“旧山本猪平家“は明治40年代に豪商:山本猪平が、隣接する小村寿太郎生家が没落した際に小村寛から土地を買い取って自宅を新築したもので、その後1929年に南に主屋を増築された以外は、ほぼ建築当初のまま残されている。
旧山本猪平家 名所・史跡
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まず最初に目を惹くのは、当時の流行だったという陶磁器のタイルの可愛さ。
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丸く刈り込まれたシンボルツリー横の玄関アプローチにも、一定間隔で陶磁器タイルが埋め込まれている。
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鮮やかなグリーンの陶磁器タイルは外玄関の引き戸中央に配置されていたので、タイルの上を歩かせたい意図は無さそうだから、アクセントデザイン的な存在っぽい。
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写真右側の玄関に靴があったので、こちらの入口から入ることにした。
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玄関土間に敷かれた陶磁器タイルと、通常なら化粧材の横木が用いられる上がり框にも異なるデザインの陶磁器タイルが組み合わせてあって洒落ていた。
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敷地の南半分は小村寿太郎の実家だったとされる敷地で、山本猪平は隣家の小村寿太郎とは同年代らしく、入口の案内板に「この建物は小村寿太郎が飫肥に帰って来た時のために建てた」という山本猪平の言い伝えがあると書いてあった。
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ぼんやりガラスに映り込む淡い光が、どこか懐かしさを感じさせる。
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部屋数は多いけど、ほとんどが続き間になっていてかなり広い。
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靴を履こうとしたら雨がシトシト降り始めたので玄関で雨宿り。
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雨脚が弱まったので、すぐ隣の“小村寿太郎生誕地碑”を見に行く。
生家は大手門から東に続く武家屋敷通りに移築されていて、大きな石碑が建つ屋敷跡として残されており、碑面は元帥東郷平八郎の書なのだそう。小村寿太郎生誕地碑 名所・史跡
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本町商人通りを西に進んで、チケット最後の目的地である“商家資料館”を訪ねる。
江戸時代の山林王だった山本五兵衛が建てたものを資料館に改修したもので、建物は木造一部二階建ての白漆壁の土蔵作りをしており、 本町で最も古い建物にあたり樹齢200年以上の飫肥杉を使用しているそう。商家資料館 名所・史跡
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広い土間で最初に目に飛び込んでくるのは、民間消防用具の手押しポンプ。
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江戸時代以降の本町商人が使用していた道具など約250点が展示されていて、商人の生活習慣を知ることができた。
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帳場に並べられた火消道具の脇に、資料館で実際に使用されていた黒電話が展示されていたのがエモい。
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靴を脱いで中に入ってみると、壁面に沿って泰平踊りの際に着用する衣装などが展示されていた。
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隣室は2間続きで囲炉裏や火鉢、刺繍が美しい打掛が飾られている。
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通常こういう階段は立入禁止が掲げられているけど、商家資料館は実際にのぼることが出来てうれしかった。
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2階は左右に分かれていて、1部屋は大小のザルが展示されて薄暗い部屋だったけど、何も置かれていないこの部屋は板張りになっていて窓があり明るかった。
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2階から1階が覗けるようになっている。
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商家資料館を出ようとしたら急に雨脚が激しくなり、駐車場までは距離があったので15分ほど雨宿りさせてもらった。
受付の女性におすすめの焼酎を聞いたり、これから回る予定のルートを話しているうちに雨が落ち着いたけど、ゲリラ豪雨というよりはスコールのような降り方だった。 -
駐車場のコンクリ壁にビッシリ生える苔が雨の多さを物語る。
16:30に飫肥を出発してちょうど1時間で都城に戻ってきたけど、明日は新しい宿泊地の延岡を目指しながら観光するので、道中の日南にある“鵜戸神宮”を訪ねる予定。
続きは05へ。
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