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ご覧下さいましてありがとうございます。<br /><br />今年で東日本大震災から13年です。<br />毎年、3月は震災関連の旅行記をアップするように心がけております。今回はJR仙石線です。<br /><br />あの日、「野蒜駅」を同時に発車した上下2本の電車。<br />仙石線の205系、M9編成とM16編成。<br />発車直後に激しい揺れに見舞われ停止。その数十分後に押し寄せた大津波。上りのM9編成はお客様を退避させ、津波の直撃を受け、大破。乗客はその後、指定避難所の小学校へ避難するもそこにも津波が押し寄せ、乗客の何名かの尊い命が失われてしまいました。<br />一方の下りのM16編成は小高い場所の切り通し部で停車、奇跡的に津波の被害から免れ、乗客全員が生還しました。<br />まさに運命の分かれ目だったのです。<br /><br />2015年に仙石線は内陸側へ移設して旧線は廃止。<br />その廃線跡を整備して遊歩道が出来ました。今回は60名の命を救ったM16編成が停車した場所をご紹介しながら旧野蒜駅も訪問してみました。<br /><br />※表紙:M16編成が停車した場所に設置された案内板と残された勾配票。<br /><br />

震災で60名の命を救った仙石線M16編成を偲び廃線跡を歩いてみた

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2024/03/31 - 2024/03/31

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旅行記グループ 3.11

13

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Akr

Akrさん

ご覧下さいましてありがとうございます。

今年で東日本大震災から13年です。
毎年、3月は震災関連の旅行記をアップするように心がけております。今回はJR仙石線です。

あの日、「野蒜駅」を同時に発車した上下2本の電車。
仙石線の205系、M9編成とM16編成。
発車直後に激しい揺れに見舞われ停止。その数十分後に押し寄せた大津波。上りのM9編成はお客様を退避させ、津波の直撃を受け、大破。乗客はその後、指定避難所の小学校へ避難するもそこにも津波が押し寄せ、乗客の何名かの尊い命が失われてしまいました。
一方の下りのM16編成は小高い場所の切り通し部で停車、奇跡的に津波の被害から免れ、乗客全員が生還しました。
まさに運命の分かれ目だったのです。

2015年に仙石線は内陸側へ移設して旧線は廃止。
その廃線跡を整備して遊歩道が出来ました。今回は60名の命を救ったM16編成が停車した場所をご紹介しながら旧野蒜駅も訪問してみました。

※表紙:M16編成が停車した場所に設置された案内板と残された勾配票。

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  • 3月31日。<br />今年は、311前後はプライベートが忙しくて出掛けられませんでした。

    3月31日。
    今年は、311前後はプライベートが忙しくて出掛けられませんでした。

    仙台駅 (JR)

  • 今日は野蒜まで行きます。<br />仙石東北ラインの快速に乗ります。仙石線の快速系統はすべて仙石東北ラインに移ってしまい「本家」の仙石線は普通のみ。

    今日は野蒜まで行きます。
    仙石東北ラインの快速に乗ります。仙石線の快速系統はすべて仙石東北ラインに移ってしまい「本家」の仙石線は普通のみ。

  • そこそこ混んでた。

    そこそこ混んでた。

  • 「金沢八景」生まれなんだ。<br /><br />※総合車両製作所=横浜市金沢区。最寄り駅は京急の金沢八景駅。

    「金沢八景」生まれなんだ。

    ※総合車両製作所=横浜市金沢区。最寄り駅は京急の金沢八景駅。

  • 後面展望して行こう。<br />仙台発車です。

    後面展望して行こう。
    仙台発車です。

  • 乗った快速は東北本線内、塩釜まで各駅に停まるタイプ。

    乗った快速は東北本線内、塩釜まで各駅に停まるタイプ。

    東仙台駅

  • 「仙貨」わきを通過。<br />ついにDE10が駆逐されてしまった。

    「仙貨」わきを通過。
    ついにDE10が駆逐されてしまった。

  • 塩釜。<br />この先、仙石線へ入る。

    塩釜。
    この先、仙石線へ入る。

    塩釜駅

  • 松島駅の手前で仙石線への渡り線へ入る。<br />東北本線の上り線を渡って・・・

    松島駅の手前で仙石線への渡り線へ入る。
    東北本線の上り線を渡って・・・

  • 仙石線へ。

    仙石線へ。

  • 合流。

    合流。

  • 高城町へ到着。<br />ここで仙石線経由仙台方面の電車と接続。松島海岸へはこのルートのほうが速い。以前、HAPPINさまと円通院ライトアップを見に来た時もこのルートで行きました。

    高城町へ到着。
    ここで仙石線経由仙台方面の電車と接続。松島海岸へはこのルートのほうが速い。以前、HAPPINさまと円通院ライトアップを見に来た時もこのルートで行きました。

    高城町駅

  • 野蒜で降りる。

    野蒜で降りる。

    野蒜駅

  • この駅は震災後、内陸側へ移設して作られた。

    この駅は震災後、内陸側へ移設して作られた。

  • ホームから海を眺める。写真中央に見える建物が旧野蒜駅。<br />新線はかなり高台に作られたことがわかります。

    ホームから海を眺める。写真中央に見える建物が旧野蒜駅。
    新線はかなり高台に作られたことがわかります。

  • 駅前広場へ出て来た。<br />旧野蒜駅へ行ってみましょう。

    駅前広場へ出て来た。
    旧野蒜駅へ行ってみましょう。

  • 駅の真下には地下道があります。

    駅の真下には地下道があります。

  • この地下道、震災後に内陸側に新しい街を作る際に土砂を海側へ運ぶ際に設置された大型ベルトコンベアの跡地を利用して作られました。

    この地下道、震災後に内陸側に新しい街を作る際に土砂を海側へ運ぶ際に設置された大型ベルトコンベアの跡地を利用して作られました。

  • 地下道を出ると広場になっている。

    地下道を出ると広場になっている。

  • 高台なので指定避難所にもなっている。

    高台なので指定避難所にもなっている。

  • では野蒜駅目指して歩きませう。

    では野蒜駅目指して歩きませう。

  • まずは階段を下りていく。

    まずは階段を下りていく。

  • 5分ほどで着いた。<br />旧野蒜駅は現在、震災遺構として駅舎、ホームが保存されています。

    5分ほどで着いた。
    旧野蒜駅は現在、震災遺構として駅舎、ホームが保存されています。

    東松島市震災復興伝承館 名所・史跡

  • 野蒜駅ホーム。被災当時のままです。

    野蒜駅ホーム。被災当時のままです。

  • 左のレールが曲がっていますが、これは津波によるものです。<br />レールまで曲げてしまう津波の威力。

    左のレールが曲がっていますが、これは津波によるものです。
    レールまで曲げてしまう津波の威力。

  • これも津波で折れ曲がってしまった柱と駅名標。

    これも津波で折れ曲がってしまった柱と駅名標。

  • ホーム自体は綺麗な状態で保存されており、今にも電車がやって来そう。

    ホーム自体は綺麗な状態で保存されており、今にも電車がやって来そう。

  • こちらは旧野蒜駅舎。現在は「東松島市震災復興伝承館」になっています。<br />見学無料です。

    こちらは旧野蒜駅舎。現在は「東松島市震災復興伝承館」になっています。
    見学無料です。

    東松島市震災復興伝承館 名所・史跡

  • 建物の壁には津波の高さが記録されています。<br />3.7m。1階はほぼ水没したことがわかります。

    建物の壁には津波の高さが記録されています。
    3.7m。1階はほぼ水没したことがわかります。

  • ここが駅だった証が遺されていました。

    ここが駅だった証が遺されていました。

  • 2階建ての建物は吹き抜け構造になっています。<br />写真中央の鯉のぼりの上あたりに赤い線が引いてありますが、そのラインまで浸水したことを示しています。2階に居たら生きた心地がしなかったことでしょう。

    2階建ての建物は吹き抜け構造になっています。
    写真中央の鯉のぼりの上あたりに赤い線が引いてありますが、そのラインまで浸水したことを示しています。2階に居たら生きた心地がしなかったことでしょう。

  • こちらは被災した駅の券売機。

    こちらは被災した駅の券売機。

  • 地震発生の時刻で止まったままの時計。<br />これは近くにある野蒜小学校のものです。指定避難所となっていた野蒜小学校にも大津波が押し寄せ、たくさんの方が犠牲になってしまいました。震災後、避難所の在り方が再検討されました。

    地震発生の時刻で止まったままの時計。
    これは近くにある野蒜小学校のものです。指定避難所となっていた野蒜小学校にも大津波が押し寄せ、たくさんの方が犠牲になってしまいました。震災後、避難所の在り方が再検討されました。

  • 時計の下にはお花が。

    時計の下にはお花が。

  • こちらが被災当時の野蒜小学校校舎。

    こちらが被災当時の野蒜小学校校舎。

  • 小学校を空撮した写真ですがまわりがすべて無くなっているのがわかります

    小学校を空撮した写真ですがまわりがすべて無くなっているのがわかります

  • こちらは東松島市の津波浸水区域を表した地図。<br />かなり内陸まで浸水したことがわかります。

    こちらは東松島市の津波浸水区域を表した地図。
    かなり内陸まで浸水したことがわかります。

  • 2階から海側を見ています。<br />写真中央の橋の先にはたくさんの住宅や民宿などが並んでいました。現在は更地です。

    2階から海側を見ています。
    写真中央の橋の先にはたくさんの住宅や民宿などが並んでいました。現在は更地です。

  • 津波で被災、大破した仙石線のM9編成の写真パネルも展示してありました。

    津波で被災、大破した仙石線のM9編成の写真パネルも展示してありました。

  • 上空から見ると電車がくの字に折れ曲がっているのがわかります。<br />このシーンをニュースで観た時の衝撃はいまだに忘れられません。<br />なお、下の写真は旧野蒜駅の改札付近を写したもの。

    上空から見ると電車がくの字に折れ曲がっているのがわかります。
    このシーンをニュースで観た時の衝撃はいまだに忘れられません。
    なお、下の写真は旧野蒜駅の改札付近を写したもの。

  • ホーム側へも出られます。

    ホーム側へも出られます。

  • 構内踏切より。

    構内踏切より。

  • ホームへは上がれないようになっていた。

    ホームへは上がれないようになっていた。

  • 現在、仙石線の旧線跡は遊歩道として整備されています。<br />そこを歩いてみましょう。

    現在、仙石線の旧線跡は遊歩道として整備されています。
    そこを歩いてみましょう。

  • ここから先が廃線跡を整備した道路。<br />歩行者と自転車のみ。

    ここから先が廃線跡を整備した道路。
    歩行者と自転車のみ。

  • 境界杭が残されていた。

    境界杭が残されていた。

  • 切り通しにも鉄道を偲ぶ物があった。

    切り通しにも鉄道を偲ぶ物があった。

  • 春がそこまでと言った感じ。<br />東北は今年は春が遅いかも。

    春がそこまでと言った感じ。
    東北は今年は春が遅いかも。

  • もと鉄道敷らしい曲線。

    もと鉄道敷らしい曲線。

  • だんだん上り勾配になって・・・

    だんだん上り勾配になって・・・

  • 頂上付近まで来たところに勾配票と案内板が設置されていた。

    頂上付近まで来たところに勾配票と案内板が設置されていた。

  • この場所が、まさにM16編成が停まった場所。<br />この場所に留まれたために津波から守られた。

    この場所が、まさにM16編成が停まった場所。
    この場所に留まれたために津波から守られた。

  • 当時の状況はこんな感じです。<br /><br />2011年3月11日、午後2時46分、野蒜駅を同時発車した2本の電車。<br />上り仙台あおば通ゆきのM9編成と下り石巻ゆきのM16編成。両列車とも駅から600mほど進んだあたりで大きな揺れに見舞われその場で停車。<br />その後、JRの内規に従い、近隣の指定避難所である野蒜小学校への乗客の避難を決め、M9編成は乗客を小学校へ避難誘導。一方のM16編成は、乗客の一人の「ここは高さもあるからここに留まっていたほうが安全だ」の言葉を信じ、車内待機を決める。4両編成のうち、一番高い場所に停車した3号車に全員が集まった。<br /><br />数十分後、想定を大きく超える大津波が野蒜を襲う。<br />結果、M9編成は乗客退避後に津波に飲まれて大破。避難所へ逃げた一部の乗客も犠牲になるという結果に。一方のM16編成はギリギリのところで津波を回避してその場で15時間耐え、翌朝5時に無事全員救助された。送電が止まり電気が消えた車内は暖房も効かず、ドアからの隙間風を車内の中吊り広告で埋めたり、乗客が持っていた食料をみんなで分けて飢えを凌いで救助を待った。<br />M16編成もあと前後に数百メートル停車位置がずれていたら津波に巻き込まれていた。まさに停車した場所が運命の分かれ目になった。

    当時の状況はこんな感じです。

    2011年3月11日、午後2時46分、野蒜駅を同時発車した2本の電車。
    上り仙台あおば通ゆきのM9編成と下り石巻ゆきのM16編成。両列車とも駅から600mほど進んだあたりで大きな揺れに見舞われその場で停車。
    その後、JRの内規に従い、近隣の指定避難所である野蒜小学校への乗客の避難を決め、M9編成は乗客を小学校へ避難誘導。一方のM16編成は、乗客の一人の「ここは高さもあるからここに留まっていたほうが安全だ」の言葉を信じ、車内待機を決める。4両編成のうち、一番高い場所に停車した3号車に全員が集まった。

    数十分後、想定を大きく超える大津波が野蒜を襲う。
    結果、M9編成は乗客退避後に津波に飲まれて大破。避難所へ逃げた一部の乗客も犠牲になるという結果に。一方のM16編成はギリギリのところで津波を回避してその場で15時間耐え、翌朝5時に無事全員救助された。送電が止まり電気が消えた車内は暖房も効かず、ドアからの隙間風を車内の中吊り広告で埋めたり、乗客が持っていた食料をみんなで分けて飢えを凌いで救助を待った。
    M16編成もあと前後に数百メートル停車位置がずれていたら津波に巻き込まれていた。まさに停車した場所が運命の分かれ目になった。

  • これが被災当時の写真。<br />勾配票のあたりに最後尾の車両が停まっていた。

    これが被災当時の写真。
    勾配票のあたりに最後尾の車両が停まっていた。

  • 列車は無傷だったが、車両の搬出が出来ずに震災後9か月この場所に置かれたままだった。<br /><br />その後、M16編成は運用に復帰、現在も現役として仙石線で活躍している。

    列車は無傷だったが、車両の搬出が出来ずに震災後9か月この場所に置かれたままだった。

    その後、M16編成は運用に復帰、現在も現役として仙石線で活躍している。

  • 振り返るとこんな感じ。<br />ちょうど坂を上り切ったあたりに停車したのがわかります。

    振り返るとこんな感じ。
    ちょうど坂を上り切ったあたりに停車したのがわかります。

  • こちらは石巻方です。<br />ここから下り勾配が始まっています。まさにここ以外全部ダメという絶妙の場所で停車したんですね。これは奇跡でしょう。

    こちらは石巻方です。
    ここから下り勾配が始まっています。まさにここ以外全部ダメという絶妙の場所で停車したんですね。これは奇跡でしょう。

  • 緩やかかな下り勾配が続いています。<br />奥に見える高架橋は仙石線の新線(移設区間)です。

    緩やかかな下り勾配が続いています。
    奥に見える高架橋は仙石線の新線(移設区間)です。

  • ここにも勾配票が残されていますね。

    ここにも勾配票が残されていますね。

  • 遊歩道はここでおしまい。<br />写真中央に築堤が見えるけど、あそこが仙石線の旧線。左側の高架橋(仙石線の新線)と交わって鳴瀬川の橋梁へ続いている。

    遊歩道はここでおしまい。
    写真中央に築堤が見えるけど、あそこが仙石線の旧線。左側の高架橋(仙石線の新線)と交わって鳴瀬川の橋梁へ続いている。

  • さて、「新」野蒜駅へ戻ろう。

    さて、「新」野蒜駅へ戻ろう。

  • マンガッタンライナーが走って行った。

    マンガッタンライナーが走って行った。

  • これがなかなか手ごわい上り坂。

    これがなかなか手ごわい上り坂。

  • はあはあ・・・<br />息切れしてきた。

    はあはあ・・・
    息切れしてきた。

  • 出来れば乗りたかった仙石線経由あおば通ゆきにブチ抜かれた。

    出来れば乗りたかった仙石線経由あおば通ゆきにブチ抜かれた。

  • 駅が見えて来た。<br />もう少しだ。

    駅が見えて来た。
    もう少しだ。

  • 野蒜駅到着~<br />さて、帰りましょうか。

    野蒜駅到着~
    さて、帰りましょうか。

    野蒜駅

  • ホームからまた旧野蒜駅と太平洋を眺めて。

    ホームからまた旧野蒜駅と太平洋を眺めて。

  • 205系の足元乗車案内も何れ懐かしくなるのかな。

    205系の足元乗車案内も何れ懐かしくなるのかな。

  • 帰りも仙石東北ライン。<br />キハでもモハでもなくHB。

    帰りも仙石東北ライン。
    キハでもモハでもなくHB。

  • ずっと穏やかな海で居てください。<br />また来ます。

    ずっと穏やかな海で居てください。
    また来ます。

  • しばらく乗れなくなっちゃうから高城町から仙石線の205系に乗り換える。

    しばらく乗れなくなっちゃうから高城町から仙石線の205系に乗り換える。

    高城町駅

  • もはやJR東日本管内で定期列車で205系が走るのは仙石線だけになった。<br />新型電車への置き換えの話も出ていますがまだ先でしょうか。<br />津波から奇跡の生還を果たしたM16編成もいつまでも走り続けて欲しいです。<br />そんな事を考えながら仙台へ帰りました。<br /><br />最後までご覧いただき、ありがとうございました!<br /><br />おしまい。

    もはやJR東日本管内で定期列車で205系が走るのは仙石線だけになった。
    新型電車への置き換えの話も出ていますがまだ先でしょうか。
    津波から奇跡の生還を果たしたM16編成もいつまでも走り続けて欲しいです。
    そんな事を考えながら仙台へ帰りました。

    最後までご覧いただき、ありがとうございました!

    おしまい。

  • 末筆ながらご挨拶・・・<br /><br />旅行記内でもお知らせしました通り、私事ですが、この4月から神奈川県へ移住し、新天地でバス乗務員として働く事が決まりました。<br />慣れ親しんだ仙台を離れる事になりました。<br /><br />これからは新しい環境に馴染む事と、新天地での慣れない仕事が始まるので当面は旅行記の投稿頻度は少なくなると思います(ストックもちょうど底を付きました)<br />時間が許す限り、みなさまの旅行記や口コミは拝見しますし、いいねもコメントもさせていただきます。<br />新天地での旅行記はいつになるかわかりませんが気長にお待ちいただければと思います。<br /><br />仙台での思い出は忘れませんよ。<br />みなさん、ありがとうございました!!

    末筆ながらご挨拶・・・

    旅行記内でもお知らせしました通り、私事ですが、この4月から神奈川県へ移住し、新天地でバス乗務員として働く事が決まりました。
    慣れ親しんだ仙台を離れる事になりました。

    これからは新しい環境に馴染む事と、新天地での慣れない仕事が始まるので当面は旅行記の投稿頻度は少なくなると思います(ストックもちょうど底を付きました)
    時間が許す限り、みなさまの旅行記や口コミは拝見しますし、いいねもコメントもさせていただきます。
    新天地での旅行記はいつになるかわかりませんが気長にお待ちいただければと思います。

    仙台での思い出は忘れませんよ。
    みなさん、ありがとうございました!!

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この旅行記へのコメント (13)

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  • とのっちさん 2024/04/11 23:43:14
    ずっと穏やかな海で居てください
    Akrさま

    こんばんは。

    あの地震の報道は、生きてきた中で一番怖かったです。ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだのも確かに怖かったですが、何か現実離れしているようで、しかも遠い異国の地。一方、あの地震のときは津波が押し寄せる映像や漁船が火だるまになっている映像など、妙に現実味のある怖さでした。考えさせられる旅行記をありがとうございます。

    その一瞬を切り取った仙石線のМ16編成の話はホントに紙一重だったと思います。寒い季節で地震以外の様々な不安要素も重なった中でも、全員が無事だったというのは頭の下がる思いです。4両編成でも一番高い3号車に。命を守る行動に妥協しないことが大切だと改めて実感しました。「ずっと穏やかな海で居てください」のひとことが心に刺さりました。令和6年の海はたいへん穏やかで、春先の平和な車窓の1コマにしか見えません。

    お引越し前の仙石線の乗り納めですね。慣れ親しんだ土地を離れる決意は相当なものだったでしょう。しばらくは落ち着かない日々が続くでしょうが、また旅行記で楽しそうにオフ会をされている様子(←最近この印象ばかり)を拝見できればと思います。

    とのっち

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/12 00:21:16
    RE: ずっと穏やかな海で居てください
    とのっちさま

    こんばんは。
    深夜にスミマセン。実はまだ起きておりまして、荷造りしてました。
    明日(というか日付変わったので今日ですね)、仙台を離れます。

    コメントを寄せていただき、ありがとうございます。
    東日本大震災を体験するまでは、災害はどこか他人事でした。阪神淡路もどこか遠い所のような感じで。しかし自分が被災者になるとはだれも想像してなかったでしょう。

    あの震災では鉄道もかなり被災していますが、地元ですとやはり仙石線です。
    M16編成は停車した位置が絶妙で、難を逃れたのですが当時、車内に居た人たちは助かるかどうかはまったく分からない状態でどれだけ怖かったでしょう。それでも車内に留まり奇跡を待った。そして奇跡は起こりました。

    今回は、仙石線の205系も終焉が見えて来たので取り上げてみました。
    M16編成もいまもなお、現役で活躍しています。最近は故障も多くそろそろ置き換えの雰囲気が出ていますが、すんなり相模線と同じ車両を入れますでしょうか?
    去就と後継が気になるところです。
    仙台で走る昭和の鉄道車両としては仙台市地下鉄の1000形がありますが、こちらもつい先日、開業以来初の新型車両が導入され、いま盛んに試運転を行っています。
    ここ数年で仙台の鉄道も様変わりしそうですね。

    明日から慣れない土地での新生活が始まります。
    神奈川は鉄道組合の方々が多くいらっしゃるので心強いです。おまけに東京や千葉まで入れるとかなりのご近所さんがおりますので楽しみでもあります。
    子供の頃からの憧れの路地裏の赤い超特急を運転する夢は叶いませんでしたが、傘下でその一員として仕事が出来る喜びを感じております。
    首都圏はふらっと乗りに行ける路線がたくさんありますので落ち着いたら旅行記もアップさせていただきます。すでにもう出かけて来ました 笑

    今後とも、よろしくお願いします。

    Akr


  • 毛利慎太朗さん 2024/04/08 16:54:08
    廃線跡もうまく活用されてますね。
    Akrさん、このコメントをご覧になってる頃はもう神奈川でせうか…
    お忙しいと思うので、返信はいつでも大丈夫ですが、コメントしたいな~と。
    旧野蒜駅は昨年行きましたね~、廃線跡は巡ってなかったのでいろいろと興味深かったです。
    被災地が近い人間としても、廃線ファンとしても心動かされました。
    Ⅿ16編成の乗客・乗員は消防団の方の助言で、助かったのですね…こういう「とっさの機転」が重要になることも。
    でも人間こういう時って冷静さを失うものですよね~こういう遺構や施設って重要になってきますよね~
    流されたⅯ9編成→運転士さんが旧野蒜小体育館のバスケットゴールにつかまって助かったと記憶してます…遭難しても最後まで希望を捨てない、というのも大事かな~と。

    今回もいろいろと考えさせられ、勉強になる内容をありがとうございました。
    毛利慎太朗

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/11 23:21:08
    RE: 廃線跡もうまく活用されてますね。
    毛利慎太朗さま

    こんばんは。
    お返事が遅くなり、申し訳ありません。
    最近は仙台と横浜を行ったり来たりでバタバタでした。
    30年以上ぶりに無職を堪能してました 笑
    実は、明日、仙台を離れます。

    さて本題ですが。。。
    旧線の跡が遊歩道(自転車も可)に整備されたのは最近になってからですね。
    で、奇跡の電車、M16編成が停車した場所に説明板を設置して震災遺構として遺すことにしたようです。
    野蒜駅を同時発車した2編成の運命がこうも変わってしまうのかと当時はなんとも言えない感情になったことを覚えております。M16編成も当初は野蒜小学校への避難を指示されていたんですよね。そこを機転を利かせた乗客がそのまま車内に留まる事を進言して難を逃れたという、まさに奇跡でした。消防団の方でしたか。ちょっとそのあたりがうろ覚えでした。M9編成の運転手さんの話は確かJR東労組かなんかの会報?みたいなのに載っていましたね。
    こういった災害の停電時に、電気が無いと走れない電車は問題だなあって思います。最近は、N700Sのように蓄電池を搭載して停電時もある程度の電力を確保できる車両も出て来ていますね。線路さえ損傷してなければ自走出来る気動車やハイブリッド車は災害時に命を守りますね。そうなると仙石線の新型車両は烏山線のアキュムのような専用車両のほうが良いように思えます。

    今後も3月は出来る限り311関連の話をアップしたいと思います。
    後世に伝えるために震災を風化させないために我々、被災者が出来る事だと思います。

    明日から神奈川県民でちょっと感傷に浸っている夜です。
    でも、毛利さんとはすぐにお会い出来ますね。楽しみです。

    Akr


  • Tagucyanさん 2024/04/07 16:24:52
    さらに整備が進んだようですね
    Akrさま
    こんにちは

    あれから13年ですか。早いですねえ。戦災遺構も、いろいろと整備が進んでますね。
    新旧野蒜駅には私も行ったことがありますが、その時からさらに整備されたように思います。少なくとも、当時両駅間の道は、津波で流される前の集落の中の道そのまんまでしたから。それと、旧駅の前もあんなにきれいではなかった記憶が。旧駅、現在の伝承館の展示物も見るところが多くて、結局予定よりも時間をオーバーしたんですよね。

    旧線跡が遊歩道として整備されているのは初めて知りました。M16編成の話は知っていましたが、言われてみれば、あの区間に少し高台がありましたね。見ていて今頃結びつきました。たしかにあの前後は低地なので、まさにピンポイント、あの場所だったから助かったという。その場所にそのことを示す案内があるのはいいですね。一方、現在なお現役のM16編成には特にそれを示す表示とかはないとか。何かあってもいい気がしますけどね。

    そこから新野蒜駅までの登り坂、お察しいたします(笑)

    これから新天地ということで、落ち着くまではなかなかお出かけも・・・とはなるでしょうが、出発地も仙台ではなくなりますし、ということはこけし氏も出てこなくなるんですね。たぶん寂しそうにしていると思うので(違ったりして)、私も仙台に行ったときは思いやろうと思います。

    ---
    Tagucyan

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/08 19:08:49
    Re: さらに整備が進んだようですね
    Tagucyanさま

    こんばんは
    被災地はしばらく行かないと様変わりしますね。旧野蒜駅のまわりも当時は瓦礫が残る更地でしたが最近は住居も立ち並び、人々の生活が戻って来た感じがします。
    伝承館は必ず見て欲しい施設なのであそこでの見学時間を入れますと余裕を持った行程を組んだほうが良いですね。

    旧線跡の遊歩道整備は最近です。
    ちょうどM16編成が停まった地点には案内板も整備されて、これもまた震災遺構という意味合いなのでしょうね。ここを歩くと本当にピンポイントでここしかダメという場所に電車が停まったんだなってよくわかります。
    M16編成は現役ですが特にその車両に関する掲示もなく、他の編成と一緒に仙石線を走っていますね。なにかステッカーでも貼ってもいいのになとは思います。

    旧線跡の遊歩道は運動にはちょうどいい距離です。新駅に向かう最後の!、

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/08 19:10:39
    Re: さらに整備が進んだようですね
    すみません、ぶった切りしました 笑  
    最後の坂道が辛かったです。

    ついに仙台を離れますが、落ち着いたらまた旅行記アップしますのでよろしくお願いします。

    Akr
  • つららさん 2024/04/07 11:10:48
    205系M16編成
    Akrさま
    こんにちは

    東日本大震災の教訓が他地域で活かされていること、そうでないことがあると思いますが、「とにかくすぐに高いところへ逃げる」は多くの方の意識に刷り込まれたことはまちがいないのではないでしょうか。
    この205系M16編成は、停車した場所が峠の上のような場所だったということとともに、乗っていた方の的確な判断で乗客の皆さんの命が救われたのですね。
    そして、この編成が現在でも元気よく走っていることが、なぜか泣きそうになりました。
    生き証人が黙々と働いていることに心を打たれたのですが、単に感動したのでもなく、胸を締め付けられるような感覚もあります。一体なんなのでしょうね。もちろん本当に大変だったのは乗り合わせた方と乗務員さんなのですが、それでももし仙石線に乗ることがあったらこの編成に乗って「怖かったでしょう。よくがんばったね」と褒めてあげたいです。
    震災関連はボケるわけにもいじるわけにもいかず、だけど感情は動かされます。
    意味不明なことを書いて申し訳ありません。

    最後に、ずっと親しまれた仙台を離れて、新しい勤務先でのお仕事は。慣れるまでご苦労があることと思います。ひと段落されて、乗りつぶし再開も含めてAkrさまらしい旅行記を再び読ませていただくのを楽しみにしています。

    つらら

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/08 12:14:27
    Re: 205系M16編成
    つららさん、こんにちは

    毎年3月には震災関連の旅行記をアップしていますが今年は色々ありましてなかなか取材に行けませんでした。やっと3月末に行く機会に恵まれました。

    震災で被災した鉄道は他にもありますが仙石線の場合は2編成が野蒜駅を同時に発車して地震後に停車した場所によってそれぞれ運命を分けた形になったため、なにかと取り上げられる事が多いようですね。

    被災したM9編成はお客様を避難させられましたが指定避難所の小学校まで津波が来てしまい悲劇を招きました。一方のM16編成は停まった場所が幸運でした。ここ以外全部ダメな場所であとどちらかに数百メートルずれただけでアウトでした。そして車内に留まる事を進言したお客様が地元に詳しい方だったのも幸運でした。すべてにおいてラッキーだったのです。

    その後、車体の損傷がなかったM16編成でしたが停まった場所が場所だけに搬出に9ヶ月もの月日を費やしてしまいました。雨ざらしで置かれてるのを不憫に思ったのかJR東日本の社員が電車の窓にメッセージを書いた紙を貼っていました。でも、その後に見事、運用に復帰する事が出来、いまもなお現役として仙石線で活躍中です。
    今度、仙石線に乗る機会がありましたらM16編成を探してみて下さい。運転席窓に編成番号が付いています。仙石線車両置き換えの話が出てますから早めのほうが良いかもしれませんね。

    Akr
  • HAPPINさん 2024/04/06 12:59:27
    わ・す・れ・な・い
    とあらためて心に誓います。

    あれから13年、その間に各地で起こった災害や戦争のことを思うと心が「ぎゅっと」なります。
    忘れかけられてきつつある「いま」だからこそ、こうして時折ふり返ることが、次の「そなえ」につながることだと信じて疑いません。

    新転地(新天地かどうかはわかりませんが)の神奈川県では海がたくさんあるけど、津波や災害に対する備えが十分とは決して言えないことを痛感しています。
    こちらへ赴任なさるにあたって、ほんのわずかでも啓蒙にお力を貸して下されば、と願っています。
    その上で美しい海の景観、そして海の恵みを一緒に愛でることができたなら、と切に望んでおります。

    まもなく、誇り高き?神奈川ケンミンの仲間入りですね♪

    ありがとうございました

    ケンミンのパイセンHappin

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/08 11:32:29
    Re: わ・す・れ・な・い
    はっぴん、こんにちは

    今頃、旅の空でしょうか?
    早くも震災から13年ですね
    あれからも全国各地で災害が多発してますね。年明け早々の能登地震には心が痛みました。津波は他人事じゃないのでショックを受けました。

    三浦半島は海に囲まれてるので津波が来たら被害も相当なものかと思われます。ハザードマップを見たらかなりのエリアが浸水想定区域になっていました。

    新天地では被災地の人間として役立てることがあれば力になりたいと思います。

    アーリン
  • エヌエヌさん 2024/04/06 12:58:56
    最後な仙台旅行記
    拝見しました。
    新天地でのご活躍をお祈り申し上げます。
    お住まいはどの辺ですか?
    差し支えなければ^_^

    Akr

    Akrさん からの返信 2024/04/06 14:10:18
    Re: 最後な仙台旅行記
    エヌエヌさま

    コメントありがとうございます。
    どれだけやれるかわかりませんが頑張ってみます。
    居住地は京急線沿いの予定です。実はまだ決まってないんです。まもなく入社なんですが 笑

    Akr

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