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ご覧下さいましてありがとうございます。<br /><br />今日は3月11日。東日本大震災から11年目です。<br /><br />忘れないために発信して行くのも被災地に住む人間の使命と思っています。<br />いままで私が歩いた震災関連の風景を交えながら振り返って行きます。<br /><br />画像は震災後に撮り溜めた写真です。フォートラでも旅行記として公開済みの<br />ものばかりですが11年目の節目に再掲載させていただきました。私の趣味の兼ね合いで鉄道関係のものが多いのはご容赦ください。おもに私が住む宮城県が中心となります。<br /><br />※表紙は地震が発生した午後2時47分で止まった時計。<br /><br /><br />【お願い】本文中に津波画像や被災した建物の写真が出て来ます。不快に思われる方は閲覧をお控えください。

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2022/03/11 - 2022/03/11

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Akr

Akrさん

ご覧下さいましてありがとうございます。

今日は3月11日。東日本大震災から11年目です。

忘れないために発信して行くのも被災地に住む人間の使命と思っています。
いままで私が歩いた震災関連の風景を交えながら振り返って行きます。

画像は震災後に撮り溜めた写真です。フォートラでも旅行記として公開済みの
ものばかりですが11年目の節目に再掲載させていただきました。私の趣味の兼ね合いで鉄道関係のものが多いのはご容赦ください。おもに私が住む宮城県が中心となります。

※表紙は地震が発生した午後2時47分で止まった時計。


【お願い】本文中に津波画像や被災した建物の写真が出て来ます。不快に思われる方は閲覧をお控えください。

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  • M9の大地震とともにやってきた大津波。<br />穏やかな海があんな風になるとは思いもしなかった。<br /><br />あの日から「当たり前の生活」ができなくなった。<br /><br />「ライフラインが止まった」<br />停電は1週間続いた。電気で動く物すべてダメになった。ファンヒーターも使えない。懐中電灯の電池の買い置きが無くて困った。水道は断水。給水所に水を汲みに行った。蛇口を捻れば当たり前に出て来る水のありがたみを知った。<br />街の明かりが消えて、まるで山に居るように星空がめちゃくちゃ綺麗だった。これは忘れられない。<br /><br />「物資が届かない」<br />買物は朝から並んで1人10品とかの限定発売だった。空いている店をリサーチして友人とクルマに相乗りして買物に行った。マックが店頭でハンバーガーを配っていたのを覚えている。冷蔵庫が使えなくなったので生鮮品から食べて行った。玉子はゆで卵にした。カセットコンロが大活躍。<br /><br />「ガソリンが無くなった」<br />製油所が津波で被災し、ガソリンが買えなくなった。徹夜で並んで10リッターとか、そんなレベル。そんな生活が2週間は続いた。<br /><br />「感情を失った」<br />美味しいとか綺麗だとか感動したとか、そういう感情が無くなった。<br />普段なら美しい桜の花を見てもなんとも思わなくなった。<br />

    M9の大地震とともにやってきた大津波。
    穏やかな海があんな風になるとは思いもしなかった。

    あの日から「当たり前の生活」ができなくなった。

    「ライフラインが止まった」
    停電は1週間続いた。電気で動く物すべてダメになった。ファンヒーターも使えない。懐中電灯の電池の買い置きが無くて困った。水道は断水。給水所に水を汲みに行った。蛇口を捻れば当たり前に出て来る水のありがたみを知った。
    街の明かりが消えて、まるで山に居るように星空がめちゃくちゃ綺麗だった。これは忘れられない。

    「物資が届かない」
    買物は朝から並んで1人10品とかの限定発売だった。空いている店をリサーチして友人とクルマに相乗りして買物に行った。マックが店頭でハンバーガーを配っていたのを覚えている。冷蔵庫が使えなくなったので生鮮品から食べて行った。玉子はゆで卵にした。カセットコンロが大活躍。

    「ガソリンが無くなった」
    製油所が津波で被災し、ガソリンが買えなくなった。徹夜で並んで10リッターとか、そんなレベル。そんな生活が2週間は続いた。

    「感情を失った」
    美味しいとか綺麗だとか感動したとか、そういう感情が無くなった。
    普段なら美しい桜の花を見てもなんとも思わなくなった。

  • 私が住んでいる区内である仙台市沿岸部を襲う津波。<br />まっくろな水が舐めるように家々を飲み込んで行く映像が衝撃的だった。<br />当時はテレビも観られなかったのでこういった津波画像は後から知った。<br />そして自宅の2km先まで津波が迫っていたのに呑気に駐車場で車に避難していた。<br />後で知って全身が震えた。<br /><br />※3.11メモリアル交流館展示物

    私が住んでいる区内である仙台市沿岸部を襲う津波。
    まっくろな水が舐めるように家々を飲み込んで行く映像が衝撃的だった。
    当時はテレビも観られなかったのでこういった津波画像は後から知った。
    そして自宅の2km先まで津波が迫っていたのに呑気に駐車場で車に避難していた。
    後で知って全身が震えた。

    ※3.11メモリアル交流館展示物

    せんだい3.11メモリアル交流館 名所・史跡

    地下鉄駅内にある震災関連の展示スペース by Akrさん
  • 県内の沿岸部の街はことごとく津波で壊滅してしまった。<br />震災前の街を知る人間としては胸が締め付けられる思いだ。<br /><br />※石巻市日和山公園から門脇地区

    県内の沿岸部の街はことごとく津波で壊滅してしまった。
    震災前の街を知る人間としては胸が締め付けられる思いだ。

    ※石巻市日和山公園から門脇地区

    日和山公園(宮城県石巻市) 公園・植物園

  • 沿岸部の被害は深刻だった。<br />コンクリートの建造物でさえ破壊する津波のエネルギーを思い知った。<br /><br />※女川交番(震災遺構)

    沿岸部の被害は深刻だった。
    コンクリートの建造物でさえ破壊する津波のエネルギーを思い知った。

    ※女川交番(震災遺構)

  • このように震災遺構として後世に伝えるために整備された物も多数ある。<br /><br />※女川交番(震災遺構)

    このように震災遺構として後世に伝えるために整備された物も多数ある。

    ※女川交番(震災遺構)

  • そして沿岸部各所には津波が到達した証しとしてこのような看板が設置された。

    そして沿岸部各所には津波が到達した証しとしてこのような看板が設置された。

  • 震災後、沿岸部は町ごと高台へ移転。<br />新しい街が形成された。<br /><br />※駅が移転し、駅前に復興商店街が作られた女川駅前。

    震災後、沿岸部は町ごと高台へ移転。
    新しい街が形成された。

    ※駅が移転し、駅前に復興商店街が作られた女川駅前。

    女川駅

    震災後、高台に移転 by Akrさん
  • 人の営みが無くなった沿岸部にはそこに人の生活があったことを後世に残すためにさまざまなモニュメントが作られた。<br /><br />※仙台市宮城野区中野地区に作られた「中野モニュメント」震災前の町の様子が分かるよう写真が展示されている。

    人の営みが無くなった沿岸部にはそこに人の生活があったことを後世に残すためにさまざまなモニュメントが作られた。

    ※仙台市宮城野区中野地区に作られた「中野モニュメント」震災前の町の様子が分かるよう写真が展示されている。

  • そして沿岸部には物々しい防潮堤が作られた。<br /><br />※仙台市宮城野区蒲生地区

    そして沿岸部には物々しい防潮堤が作られた。

    ※仙台市宮城野区蒲生地区

  • 完全に海が見えない。<br /><br />※仙台市宮城野区蒲生地区

    完全に海が見えない。

    ※仙台市宮城野区蒲生地区

  • 「日本一低い山」として有名だった仙台の日和山も津波で消失しかけたが復活。<br />オーヤシクタンさまと2人で「登頂」した。

    「日本一低い山」として有名だった仙台の日和山も津波で消失しかけたが復活。
    オーヤシクタンさまと2人で「登頂」した。

    日和山 自然・景勝地

  • そして沿岸部にあった学校が廃校になるケースも。<br />仙台市内の沿岸部にあった3小学校は廃校となった。<br />うち、荒浜小学校は震災遺構として公開している。<br /><br />※3.11メモリアル交流館展示物

    そして沿岸部にあった学校が廃校になるケースも。
    仙台市内の沿岸部にあった3小学校は廃校となった。
    うち、荒浜小学校は震災遺構として公開している。

    ※3.11メモリアル交流館展示物

  • 学校にあった時計。<br />津波到達時刻で止まったまま。

    学校にあった時計。
    津波到達時刻で止まったまま。

  • 次に鉄道関係。<br /><br />海沿いを走る路線は甚大な被害となった。<br />常磐線は内陸へ移設して復旧。<br /><br />※駅があった常磐線山下駅跡

    次に鉄道関係。

    海沿いを走る路線は甚大な被害となった。
    常磐線は内陸へ移設して復旧。

    ※駅があった常磐線山下駅跡

    山下駅

  • 移設後もしばらくはホームの遺構などが見られた。<br />(現在は撤去)

    移設後もしばらくはホームの遺構などが見られた。
    (現在は撤去)

  • 内陸に移設された常磐線。そのほとんどが高架となった。

    内陸に移設された常磐線。そのほとんどが高架となった。

  • 原発事故のため福島県内の常磐線沿線は帰宅困難地域に指定された。

    原発事故のため福島県内の常磐線沿線は帰宅困難地域に指定された。

  • 「あの日」のまま時間が止まったかのように無人の街並みが続く。

    「あの日」のまま時間が止まったかのように無人の街並みが続く。

  • そして震災から9年、原発事故を乗り越え、常磐線が全線復旧し、特急ひたちが仙台へやって来た。原発事故で壊滅した街を鉄路で繋ぎ、全線復旧。鉄道ファンとしてはこみ上げるものがあった。<br />廃線の噂もあったが、昨年2月の地震で東北新幹線が寸断された時に立派に代替手段として威力を発揮した。

    そして震災から9年、原発事故を乗り越え、常磐線が全線復旧し、特急ひたちが仙台へやって来た。原発事故で壊滅した街を鉄路で繋ぎ、全線復旧。鉄道ファンとしてはこみ上げるものがあった。
    廃線の噂もあったが、昨年2月の地震で東北新幹線が寸断された時に立派に代替手段として威力を発揮した。

  • 全線復旧は2020年3月14日。<br />仙台駅でも復旧をお祝いしていた。

    全線復旧は2020年3月14日。
    仙台駅でも復旧をお祝いしていた。

  • ついに仙台駅の発車標にも首都圏の駅名が。

    ついに仙台駅の発車標にも首都圏の駅名が。

  • こちらは仙台と石巻を結ぶ仙石線。<br />野蒜(のびる)付近の被害が酷かった。電車1編成が津波で流された。<br /><br />※東名駅付近

    こちらは仙台と石巻を結ぶ仙石線。
    野蒜(のびる)付近の被害が酷かった。電車1編成が津波で流された。

    ※東名駅付近

  • 震災直後の東名駅。<br />がれきで埋まっている。<br /><br />※東松島市震災復興伝承館展示物

    震災直後の東名駅。
    がれきで埋まっている。

    ※東松島市震災復興伝承館展示物

  • 仙石線も内陸の高台に移設。<br />これは旧線跡。ここに電車が走っていた証。

    仙石線も内陸の高台に移設。
    これは旧線跡。ここに電車が走っていた証。

  • 震災遺構として残された旧野蒜駅。<br />曲がったレールに津波の脅威を知る。

    震災遺構として残された旧野蒜駅。
    曲がったレールに津波の脅威を知る。

    東松島市 東日本大震災復興祈念公園・震災復興伝承館 名所・史跡

  • 被災時のまま、残されている。

    被災時のまま、残されている。

  • そしてこちらが旧野蒜駅。<br />いまは震災復興伝承館として遺されている。

    そしてこちらが旧野蒜駅。
    いまは震災復興伝承館として遺されている。

  • 駅舎内は被災時のまま。

    駅舎内は被災時のまま。

  • 天井近くまで津波が来た。

    天井近くまで津波が来た。

  • 被災した自動券売機。<br /><br />ここは宮城に来たなら是非とも訪れて欲しい。仙石線野蒜駅から徒歩10分ほど。

    被災した自動券売機。

    ここは宮城に来たなら是非とも訪れて欲しい。仙石線野蒜駅から徒歩10分ほど。

  • 仙石線は高台へ移設して復旧した。<br />写真は現東名駅より海岸部を望む。

    仙石線は高台へ移設して復旧した。
    写真は現東名駅より海岸部を望む。

  • 最後に気仙沼線。<br />気仙沼線は鉄路での復旧を諦め、BRT(バス高速輸送システム)に転換された。

    最後に気仙沼線。
    気仙沼線は鉄路での復旧を諦め、BRT(バス高速輸送システム)に転換された。

    BRT気仙沼線 (バス高速輸送システム) 乗り物

    震災後、バス転換されたJR気仙沼線 by Akrさん
  • もとの線路跡を専用道として整備し、バスが走る。鉄道が持つ速達性は失われたけれど小回りの利くバスのメリットを活かして町役場や病院などへ乗り入れる。

    もとの線路跡を専用道として整備し、バスが走る。鉄道が持つ速達性は失われたけれど小回りの利くバスのメリットを活かして町役場や病院などへ乗り入れる。

  • 今では被災3県(岩手、宮城、福島)に震災を伝承する施設が作られているので、東北旅行の際にはぜひ訪ねていただいて多くの方に知ってもらえればと思います。<br />今回の旅行記で紹介した施設たち。<br /><br />3.11仙台メモリアル交流館(地下鉄東西線荒井駅構内)<br />https://sendai311-memorial.jp/<br /><br />震災遺構仙台市荒浜小学校(地下鉄東西線荒井駅からバス10分)<br />https://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/shinsaimemorial2.html<br /><br />東松島市震災復興伝承館(JR仙石線野蒜駅下車徒歩10分)<br />https://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/index.cfm/22,28310,71,271,html

    今では被災3県(岩手、宮城、福島)に震災を伝承する施設が作られているので、東北旅行の際にはぜひ訪ねていただいて多くの方に知ってもらえればと思います。
    今回の旅行記で紹介した施設たち。

    3.11仙台メモリアル交流館(地下鉄東西線荒井駅構内)
    https://sendai311-memorial.jp/

    震災遺構仙台市荒浜小学校(地下鉄東西線荒井駅からバス10分)
    https://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/shinsaimemorial2.html

    東松島市震災復興伝承館(JR仙石線野蒜駅下車徒歩10分)
    https://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/index.cfm/22,28310,71,271,html

  • まだまだ復興途上ですがこれからも3月11日は振り返る日にしていきたいと思います。<br /><br />地震や自然災害が絶え間なく発生する我が国。<br />いつ来てもいいようにとにかく備える事が大事だと思っています。<br />・備蓄食糧の確保 ・懐中電灯の乾電池の確保 ・ガソリンは半分切ったら入れる<br />そして家族間では緊急時の避難場所を決めておく(これ大事です)電話が繋がらなくてもそこに行けば家族が居る。<br /><br />これを心がけています。<br /><br />楽しい旅が出来るのも平穏は世の中があってこそ。<br /><br />最後までご覧いただきましてありがとうございました。

    まだまだ復興途上ですがこれからも3月11日は振り返る日にしていきたいと思います。

    地震や自然災害が絶え間なく発生する我が国。
    いつ来てもいいようにとにかく備える事が大事だと思っています。
    ・備蓄食糧の確保 ・懐中電灯の乾電池の確保 ・ガソリンは半分切ったら入れる
    そして家族間では緊急時の避難場所を決めておく(これ大事です)電話が繋がらなくてもそこに行けば家族が居る。

    これを心がけています。

    楽しい旅が出来るのも平穏は世の中があってこそ。

    最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (15)

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  • 長崎マリーンズさん 2022/03/23 20:27:53
    もう11年ですか・・・
    Akr様

    こんばんは、長崎マリーンズです。
    あの日、私は社会人1年目で会社の事務所で添乗の精算中でした。
    先輩が東北地方で地震があったと言いテレビを点けると津波が街を飲みこんでいるという信じられないシーンでした・・・。その瞬間事務所内が静まり返りました。
    その1年前は千葉の某湾岸球場でちょうど野球観戦中でした。1年違ったら・・・と考えるとゾッとしました。
    その後、行政の視察で被災地訪問に添乗員として同行しましたが、亘理町のイチゴハウスに向かう道中の光景や南三陸町の防災庁舎の姿は未だに脳裏に強く残っております。

    数日前にまた地震があり不安な日々が続いているかと思いますが、早く収まる事を願うばかりです。

    長崎マリーンズ

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/24 20:21:43
    RE: あっという間の11年でした
    長崎マリーンズさま

    こんばんは。
    コメントありがとうございます。

    あっという間でしたね。もう11年も前の事なのかって。それだけ歳も取りました。
    あの時は営業で外出しており、出先で被災しました。急いで家に帰る途中、ビルや高架橋があちこちで崩れるのを目の当たりにして、とんでもない事になったと思いました。そしてあの津波です。私の家は比較的海に近いのですが、正直、タカをくくっていました。そしたら自宅の2km手前くらいまで津波が来ていたことを後から知り、ぞっとしました。

    震災後は、鉄道代行バスや被災地への輸送で目が回るほどの忙しさでしたね。
    海沿いはどこも空爆にでも遭ったかのような惨状でした。

    そんな節目にアップした旅行記ですが、まさかその数日後に震度6強の余震が来るとは思いもしませんでした。気を抜いてはいけないということをおしえられた気がします。いまはどこで地震が起こってもおかしくない世の中ですのでお互い、気を付けないといけませんね。

    コロナ禍以降、企業送迎のバス増便が終わらず、相変わらずの忙しさです。
    定期収入があるのは会社にとって有難い事です。あとは高速バスは新幹線が止まってるのをいいことに続行便仕立てて仙台と東京をピストンしていますね。

    Akr
  • とのっちさん 2022/03/12 11:11:42
    油断しないことが大切
    Akrさま

    こんにちは。

    私は、ふとした拍子に時計を見て14時46分だと、何か心にじっと来るときがあります。あと、九州に住む者ばかりだと思いますが11時02分。日本を大きく変えた時間でした。いつもついていない職場のテレビがついていて、あの惨事が中継されているのを複雑な気持ちで見入ったのを思い出します。正直、この世のものとは思えませんでした。

    しょうもない話ですが、生活がズタズタにされ考えるゆとりもないところに、いろんな期待をされる復興ということばはあまり好きではありません。できるだけ復旧ということばを使うようにしています。少しずつの復旧の積み重ねですが、11年経てば確実に変わりました。浪江~富岡のバスの重苦しい雰囲気は忘れられませんが、いわきから真新しい銀色電車に乗って、誰もいない浪江の駅に降り立ったときに、私なりに一区切りを感じました。そして去年の地震で常磐線に臨時列車が走ったときに、鉄道網の機能が再確認できました。

    油断しかけていたところに、自然災害の怖さを思い出すきっかけとなりました。ありがとうございます。すみません、「いいね」ボタンを押す話題ではないと思い、ボタンは押しません。

    とのっち

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/12 17:03:00
    RE: 振り返る日
    とのっちさま

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    節目というのは大事だと思います。東北に住む者としては3月11日は振り返る日です。毎年この日が来ると、備蓄食料や水などの点検や防災グッズの確認などを行っています。
    九州で11時2分といえば長崎の原子爆弾投下時間でしょうか。これもまた過去の犠牲のもとに今の平和が成り立っていると振り返る時間でもありますね。

    仰るように復興とは程遠い話で復旧の積み重ねであると言えますね。
    原発事故で長い時間人が戻れなくなった地域はこれから復旧の繰り返しでいつかまた人の暮らしが戻ることを祈っております。常磐線の復旧はこれらの街の復興の光となった他、昔からの役割のひとつである東北本線のバイパスという重要な物も持っています。昨年2月の地震で東北新幹線が長期不通になったときにはその威力を如何なく発揮しました。災害時の鉄道の役割はとても大きい物だと思います。

    今回は3.11を風化させないため、また自分の中で気を引き締めるための投稿でした。ご覧いただきましてありがとうございました。

    Akr
  • Tagucyanさん 2022/03/12 10:23:03
    もう11年なんですね
    Akrさま
    こんにちは

    もう11年ですね。
    我が家でも、当時赤ん坊だった次男が、4月で6年生です。

    ちょうどその時はお台場にあるビックサイトで展示会を見ていました。埋立地で海にも近かったので、液状化と津波が怖かったですけど、幸い東京湾には入ってきませんでしたが、お台場自体が陸の孤島になってしまって、帰るのが大変でしたね。

    私の場合も鉄絡みばかりですが、線路が移設された常磐線や仙石線、BRT化された気仙沼線や大船渡線、そして作業が進むにつれじわじわと復旧していった常磐線などに、その都度訪れたので、電車に乗りに行ったはずなのに、それよりもむしろ訪れた沿線といいますか町といいますか、それぞれの場所の印象ばかりが強く残っています。

    紹介された3施設にも行きました。旧荒浜小学校と旧野蒜駅は実際に被災した建物なので、周辺の様子も含めてリアルでしたねえ。女川駅周辺も、復旧したばかりの時に行っただけなので、現在の様子をまた見に行きたいですね。

    ---
    Tagucyan

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/12 10:40:26
    RE: みんな11歳年取ったわけで
    Tagucyanさま

    こんにちは。
    2日に渡って旅行記を公開してしまいました。今年の3.11はあの日と同じ金曜日なんですよね。11年って結構な年月だと思います。赤ちゃんだったお子さんが6年生というのもわかります。私も当時43歳。若かったなあ。
    首都圏も沿岸部は液状化が酷かったですね。千葉の製油所かなんかの火災も凄かったです。お台場はゆりかもめと橋が封鎖されると本当の島になってしまいますね。帰宅するのは大変だった事と思います。

    沿岸部は街もそうですが道路、鉄道もことごとくやられてしまって当時はもう復旧はないんじゃないかと思いました。それだけ酷い惨状だったんです。特に仙石線は終わったと思いました。震災後はBRT化した気仙沼線は別として被災路線のほとんどが普及したのは凄いと思いました。それと常磐線。原発事故でもう私が生きているうちに復旧は無いと思っていたので全線復旧は嬉しかったですね。沿線の復興はまだ前途が多難ですがゆっくり時間をかけて人が戻れるようになって欲しいです。

    また、機会があれば震災関連施設にもお立ち寄りください。

    Akr
  • マジェッドさん 2022/03/12 00:35:23
    11年経ちましたね
     Akr様
    いつも楽しく拝見しております。
    マジェッドです。
    もう11年経つんですね。
    私は、震災10日後の3月21日から石巻市に入って給水活動を行っていました。
    全国の水道事業者が被災地域に入り、給水活動と復旧作業を行い、広島県の各都市は、宮城県に入ることになりました。
    私たち広島県第3班は、先発隊(第2班から宮城県入り:給水タンク車持ち込み)との交代要員として、チャーターバス(広交観光)2台に分乗して20時間30分かけて多賀城市(東北学院大学)まで行き、第2班と交代して各受持地区に向かいました。
    呉市は石巻地区広域水道事業団に赴き、早朝から石巻署の敷地内で給水活動を行いました。
    幸い、蛇田の浄水場が生きていたので、給水タンク車をピストン運転させることで、市民の皆さんには、そうお待たせすることなく給水活動を行うことができ、さらに10日後には当該地区の給水は復旧させることができました。
    夜は、蛇田浄水場の倉庫で、先発隊が持参した寝袋に入って寝ました。
    次の班と交代する前日の夕方、旧北上川の中州と、Akrさんの記事にもある日和山公園に行ってみましたが、その光景が目に焼き付いて今でも忘れることはありません。
    「明日があるという保証はどこにもない」ということを思い知らされるとともに、「1日1日を大切に生きよう」と強く思いました。人生観がかわりますよね。
    あれ以来、東北には行く機会がない、というより東京にも行っていないような――
    落ち着いたら、石巻の復興の様子を見てみたいと思いながら、11年経っちゃったんですね。コロナ禍が治まったら、今度こそ再訪して、陸前山下駅近くの牛タン屋さんに行ってみたいと思います。
    今後ともよろしくお願いします。
               マジェッド

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/12 08:51:43
    RE: あっという間でした
    マジェッドさま

    おはようございます。
    コメントをお寄せ下さりありがとうございます。

    マジェッドさまは水道関係のお仕事をされていたのですか。
    あの時に宮城に来ていただいたのですね。当時は、消防、ガス、警察、自衛隊と全国各地から応援に来ていただきました。「〇〇県警」とか「〇〇市」とか車に書いてあるのを見ると日本の皆さんが支えていただいてると思い、元気が出ました。私の自宅の近くの小学校が給水所になっていたのですが沖縄の自衛隊の方々でとても親切に接していただき涙が出そうでした。
    ライフラインも止まった中で作業をして下さり、当時の皆さんのお気持ちを思うと感謝しかありません。

    マジェッドさまが日和山に行かれた時は震災直後なので想像を絶する光景が眼下に広がっていたことかと思います。津波に加え、火災も発生したのでまるで空爆でも受けたような景色で、震災前の門脇の街を知っている身としてはショックでした。いまは綺麗に整地されていますがそこに人の生活が無いというのはやはり寂しいものがあります。

    コロナが落ち着いたらぜひ、宮城にお越しください。
    復興の様子もご覧いただければ幸いに思います。

    最後に震災後の復旧作業に従事していただいたことを改めて御礼申し上げます。

    Akr

  • へけけさん 2022/03/11 21:51:33
    こんばんわー
    Akrさん ご無沙汰しております。
     あれから11年ですね。 当時君津では計画停電、ガソリンスタンドの大渋滞。埋立地の富津イオンでは地盤沈下。木更津港では漁船の沈没。とにかく岩手、宮城に比べれば大したことありませんが千葉も影響ありました。 先日「日立3号」で通った広野町の介護施設から君津市の介護施設に一時避難された高齢者の方を2年後に自分が3名様移送させて頂きました。皆さん、喜んでました。 
     津波は又、必ず来ます。 首都直下も、富士山噴火も必ず。おっしゃるとうり、ガソリン、乾電池、モバイルバッテリー、水、カップ麵、サトウのごはん、必要ですね。それと、預金通帳、カード類、現金、保険証、スイカ、おくすり手帳、生命保険証書、自宅の権利証、遺言書は緊急持ち出しの袋に入れておきましょう。←全くやってないけど。  ※前回の自分の旅行記でAkrさんのさんを一部忘れました。ごめんなさい。
     まるきゅーさんから指摘されました笑   へけけ

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/12 08:38:56
    RE: 千葉も被災地でした
    へけけさま

    おはようございます。
    早速ご覧いただきましてありがとうございます。

    もう11年ですよ。早いもんです。当時43歳かと思うとそれも驚きます。
    あの震災は千葉県の被害も凄かったですね。製油所の火災も千葉じゃありませんでしたっけ?あと、幕張あたりの液状化もニュースで見てびっくりした記憶があります。
    へけけさまは原発事故の避難にも一役買っていたのですか。避難先からふるさとへ帰られた高齢者の方々の笑顔は忘れられないことでしょう。

    仰る通り、災害はまたやって来ます。
    いつ来てもいいように備えておくことは大事ですね。最近、気が緩み切っていましたが昨日を境にまた気を引きしめました。
    へけけ家は備蓄食糧が潤沢だからなにかあったら避難させてください(笑)

    旅行記の呼び捨ては、まったく気にすることじゃないですよ〜
    まあ、そこは私も空気を読んでスルーしています。
    こけし氏にも呼び捨てされていますし(笑)

    Akr

  • まるきゅーさん 2022/03/11 14:59:48
    当時あまり覚えていませんが…
    Akr様、こんにちは。
    震災から11年を迎えましたね。当時5歳の自分には揺れを感じませんでしたね。しかし今年1月にはトンガでの大規模噴火や数日前にはパプアギューギニアでも噴火したみたいなので自分もあと1ヶ月の間で何が起きるか不安です。クラスで金取られた日本人も居ますし危機管理は緩めてはいけないと海外在住で実感しました。
    フィジーでも電気はよく止まるのでライフラインの大切さも感じています。
    12月には仙台訪れたいまるきゅーでした。

    まるきゅー

    まるきゅーさん からの返信 2022/03/11 15:00:40
    Re: 当時あまり覚えていませんが…
    追記
    明日の旅行記も楽しみにしております。毎週の楽しみなので(はい?) まるきゅー

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/12 08:15:59
    RE: 月日が流れるのは早いものです
    まるきゅーさま

    おはようございます。
    コメントありがとうございます。

    まるきゅーさまは震災当時5歳ですか〜
    震災後にとある保育園の送迎の仕事をしたのですがあの時の子供たちがもう高校生くらいになっているのか!時間経つのって早いものです。そしてその年代の人といまこうやってSNSで繋がっているって感覚が不思議でもあります。

    地震に限らず最近は自然災害が多いのでいつ何時、自分もその渦中に放り込まれるかわかりません。とにかく備える事が大事ですね。

    本業のほうの旅行記は本日公開しますのでもうすこしお待ちください。

    Akr
  • エヌエヌさん 2022/03/11 12:01:43
    有り難み
    Akrさま

    11年
    風化が少しずつ進行している感じがします。
    この悲惨な歴史を後世に残さなければいけないですよね。

    買い物の大変さ、ライフラインの寸断などは現地で経験されたAkrさまならではのお話でリアルでした。

    今日はあの時間に黙祷します。

    Akr

    Akrさん からの返信 2022/03/11 12:36:49
    RE: 私もそう感じます
    エヌエヌさま

    こんにちは。
    コメントをお寄せいただきましてありがとうございます。

    11年あっという間でした。
    沿岸部は復興が進むとともに風化も進行しているなと私も感じます。
    なにも出来ませんが、節目の日にこうして震災関連の話題を発信することで思い出してもらうことも大事だなと思った次第です。
    今日は乾電池と水を買って帰ろうと思います。

    いま、お昼休み中ですがあの日と違って穏やかな日です。あの日は地震の後に雪が降って寒かったです。

    私も黙とうしようと思っています。

    Akr

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