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油掛通

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油掛通 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~13件(全13件中)

  • 東本願寺 伏見別院の門前の通り

    • 3.5
    • 旅行時期:2024/02(約2年前)
    • 1

    油掛通は、東本願寺 伏見別院の門前の通り。クランクの形で東西に延びています。
    油掛の名前は、通りにあった伏見上皇が深く信...  続きを読む仰した石地蔵。これに油を掛けて供養すると商運が開けたという逸話から。
    また、伏見街道を京都へ向かう旅人で賑わった町筋で、洛南一の繁華街だったとも。明治28年に開業した、日本最初の営業用電車、京都電気鉄道の起点もありました。  閉じる

    投稿日:2024/09/28

  • 車の交通量が結構多い。

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/10(約3年前)
    • 0

    油掛地蔵(西岸寺)がある通りなので油掛通りと呼ばれるようになったようですが、明治時代までは伏見のメインストリートだったみた...  続きを読むいで、今でも老舗の和菓子屋さんなんかがあります。車の交通量がけっこう多かったです。  閉じる

    投稿日:2023/01/05

  • 観光地伏見の東西を走る通り!

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/06(約4年前)
    • 0

    京都伏見にある「油掛通」は、西は府道京都守口線から東は道阿弥町通までの約2.1㎞あるようです。
    通りの名前の由来は古く、...  続きを読むこの付近に伏見上皇が深く信仰した石地蔵があって、油商人が地蔵の前でつまづき油桶を落としてしまい、商人は残った油を地蔵に掛けて供養したところ商運が開け、このご利益が広まり多くの参拝者で賑わったという説話が名の由来となったようです。
    道沿いには「電気鉄道事業発祥の地碑」「西岸寺」「京菓子司 富英堂」などがあり、東突き当りは「鳥せい」があります。観光客の散策路になっていますが車道にもなっていますので注意ください。  閉じる

    投稿日:2022/06/10

  • 伏見酒蔵のメインストリート

    • 2.5
    • 旅行時期:2021/12(約4年前)
    • 0

    伏見にある西岸寺(油掛地蔵)の南側を東西の走る伏見酒蔵のメインストリートと言って良い通りです。黄桜カッパカントリーから竹田...  続きを読む街道の辺りが一番賑やかですが、そこ以外は住宅街や、酒蔵もある通りです。この通りを中心に伏見を巡れば殆どの観光地は見て周れます。  閉じる

    投稿日:2022/02/05

  • 伏見を東西に走る2.1㎞の道

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/09(約4年前)
    • 0

    京都伏見を東西に走る2.1㎞の道です。名前の由来は町内の西岸寺に伝わる説話で伏見上皇が深く信仰した石地蔵の前で、山崎の油商...  続きを読む人がつまずき油桶を落とし、残った油を地蔵に掛けて供養したら商運が開けたそうです。この話が通りの名前になったようです。西岸寺は今も油懸地蔵と呼ばれています。  閉じる

    投稿日:2021/11/16

  • 西岸寺の前の道です

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/07(約4年前)
    • 0

    油懸地蔵尊をお祀りする西岸寺があることからこの通り名がついたと思われます。かつてはかなりの賑わいがあった通りで、京都と油掛...  続きを読む通りを結ぶ最初の市電が通っていた場所でもあります。竹田街道と交差する場所、伏見駿河屋本店の横に記念碑があります。今は静かな通りです。  閉じる

    投稿日:2021/08/07

  • 往時の繁栄

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約6年前)
    • 0

     交通の要衝である伏見にあり江戸時代に大いに繁栄した通りだという。油懸地蔵がある西岸寺前の通りで、この名がついた。明治期に...  続きを読む京都駅と油懸通を結ぶラインで国内初の電車(市電)が開通したほどだ。いまはその面影はなく、往時のにぎわいを示す石碑が立つのみだ。  閉じる

    投稿日:2021/01/14

  • 伏見は維新前後の鳥羽伏見の戦いなどの内乱の場になった地域でこの付近にある会津藩駐屯地跡を見た後地蔵院西岸寺俗に油懸地蔵と呼...  続きを読むばれるお寺へ向かったこの通った道を油懸通と呼ばれている、わざわざこの道の為に来たのではない、両側はやや昔風の落ち着いた商店、民家が並んでいたが印象に残った店は無かった参拝後鳥羽伏見の戦い激戦地跡のある京橋へと向かいました  閉じる

    投稿日:2019/07/01

  • 西岸寺前の通り

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 0

    「電気鉄道事業発祥の地」の石碑のすぐ脇に「油掛通」に関する詳しい案内書きがあります。
    「油掛通」は、西岸寺前を東西に走る...  続きを読む通りの事で、江戸時代には伏見港から京都や大阪に向かう人でにぎわったという事です。市電の発祥がこの場所だったおということにもつながります。今は普通の通りなのが少し残念に思われます。  閉じる

    投稿日:2018/09/23

  • 今は寂れた感じですが

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    京都伏見の油掛町を東西に延びる通りが油掛通と呼ばれていたようです。おそらくは西岸寺の油懸地蔵尊が名前の由来になったのでしょ...  続きを読むうね。現在は地図上では魚屋通という名前が使われているようですが。油掛通沿いには「電気鉄道事業発祥の地 」があり、かつてはここと京都駅の間で電車(市電)が走っていたそうです。現在ではあまり活気のある通りではないのですが、かつては賑わった通りなのでしょうね。通り沿いにはお店もいくつかありましたが、あまり人通りは多くはなかったです。  閉じる

    投稿日:2018/05/05

  • 今はフツーの道路

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/02(約8年前)
    • 0

    この道、過去にも何度も歩いていますが油掛通という名前で、かつてはたいそうにぎわった通りのようですね。
    電気鉄道発祥の地と...  続きを読むいう碑もあり、このあたりがいかに経済において重要な場所であったがが分かります。
    今は昔。  閉じる

    投稿日:2018/03/08

  • 「西岸寺」の前の通り

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約10年前)
    • 0

    「油掛通」は、「西岸寺」の前の通りで、現在はただの道路にしか見えませんが、江戸時代は伏見港にも近かったことから、京や大阪へ...  続きを読む行きかう旅人で大変にぎわっていたそうです。
    また、通り沿いは寺院・商家・土産物店が立ち並んでいた繁華街だったそうですが、名残は全く残っていないという印象でした。
      閉じる

    投稿日:2016/06/05

  • 油掛地蔵がある通り

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/10(約10年前)
    • 0

    油懸地蔵(西岸寺)の前の東西にのびる通りです。江戸時代、京都と大阪を結ぶ水運の中心であった京橋に近いことから、大いに賑わっ...  続きを読むた通りだそうです。

    今でも歴史を感じる建物もちらほらと見つけることができて、歩いていても楽しいです。  閉じる

    投稿日:2015/11/08

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基本情報(地図・住所)

施設名
油掛通
住所
  • 京都府京都市伏見区下油掛町
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
tabi47 さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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