2013/10/13 - 2013/10/13
669位(同エリア1756件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記837冊
- クチコミ40733件
- Q&A回答427件
- 6,698,025アクセス
- フォロワー689人
京都と奈良の間にある木津・加茂一帯は、京都と奈良の文化がほどよく混じって、独特の文化を持つエリア。また、中心部から離れていたために戦禍を免れたことで、貴重な文化財がいくつも残りました。またいつでも回れると思っていたのですが、10年ぶりでしょうか。懐かしい仏像に再会すべく、ちょっとハードなルートで向かいました。
そして、最後は、伏見の御香宮神幸祭。神輿を操って、自由自在。こんな風に見せる演出は関東にはないと思います。商店街と一体になった雰囲気も街の心意気を表しているようで、ちょっと心に沁みる感じがしました。
-
まずは、法界寺を目指します。最寄駅は地下鉄東西線石田駅。上って下ってまた上るという感じでしたが、前来た時のような遠さはさほど感じませんでした。
ところで、これは恵福寺。法界寺に行く途中です。 -
境内に入ると、「伏見区民誇りの木」に選ばれたという大きな紅しだれ桜がありました。
建物は、そう古くはないようでしたが、木造地蔵菩薩像と阿弥陀如来立像は平安時代の作だそう。丈六の木造地蔵菩薩像は「腹帯地蔵」と称され、安産祈願の地蔵です。 -
法界寺の前に、日野誕生院にも寄ってみます。法界寺の奥の方。
-
イチオシ
親鸞の誕生の地を記念して、
-
昭和6年に建立された寺院です。
本堂の周囲は、回廊が巡り、独特の造りです。 -
こちらは、ちょっと飛び地にある「産湯の井戸」や親鸞のへその緒が埋められたという「ゑな塚(えなづか)」です。
-
これは「産湯の井戸」。
ちなみに、親鸞は、日野富子と同じく日野氏の一族。法界寺を建立した日野資業の五代後の子孫の日野有範を父として誕生します。母親は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘であり、こちらも名門です。 -
で、いよいよ法界寺。
-
さて、この寺は、室町幕府8代将軍足利義政の正室であり、
-
イチオシ
応仁の乱の原因を作ったとさえ言われる日野富子でも知られる日野家の氏寺。
-
イチオシ
「日野薬師」とも呼ばれ、
-
阿弥陀堂と阿弥陀如来像は国宝。
-
阿弥陀如来像は、11世紀末頃に造られた典型的な定朝様です。
-
広いお堂に安定感のある如来像が据えられて、しばし時を忘れて一人対面させてもらいました。
-
で、今度は六地蔵駅の方に出てきました。この周辺にはちょっとした商店街があって、朝飯を食べていなかったのでパン屋さんを探すと、このペリオラが目に入りました。お客さんが何人か入って、ちょっと活気があります。
-
いただいたのは、ピザ風パン。チーズのおいしさとか意外に本格的です。生地のふっくら感もいいし、なかなかのお店です。
六地蔵からはJRで棚倉駅へ。 -
蟹満寺は、この棚倉駅から歩きます。駅前には、いきなり蟹満寺の道標です。
-
田んぼのあぜ道を通って、
-
歩くこと20分くらい。
-
イチオシ
蟹満寺に到着です。
この寺は、本尊である白鳳期の銅造釈迦如来坐像(国宝)が有名。山田寺の仏頭と薬師寺の薬師如来の間に作られたとするのが定説です。座像は像高240?のいわゆる丈六の大仏。歴史の古いものだけに真っ黒で、堂々とした体躯です。それに、印象としてまじめな顔つきなんですが、指の間に水かきのような膜があったり、仏様の膝はさすってもいいようで、ピカピカになっていたり、ちょこちょこ面白いところもあります。
解説で蟹満寺の縁起が流れていて、蛇に娘が取られるところ、観音様のお蔭で蟹に助けられてという内容。たわいもないような話ですが、何度聞いてもけっこう心に響きます。 -
棚倉駅への帰り道は、山沿いの道から。コスモスがきれいですね。
-
山からまっすぐに下ってくる土手に挟まれた川を越える場所にでて、その川の上流を何気なく見ると、とてもきれいに整備された公園になっていました。不動川公園というのですが、これは自然の地形をうまく使ったものですね。子供たちには楽しく遊べる雰囲気がいっぱいです。
-
あれれ、今日はお祭りですか。
-
聞くと棚倉駅のすぐ前の涌出宮のお祭りだそうで。
-
この神社の創建は天平時代の766年。雨をもたらす神として崇拝されてきたといいます。この日は、秋のお祭りで、神輿を引く子供たちが境内に集まって、とても賑やかでした。
ただ、有名なのは、2月の「居籠(いごもり)祭」の方。豊作祈願・春を呼び幸せを招く祭りなのですが、天下の奇祭とされています。
今度は、京田辺駅へ移動します。 -
京田辺駅に到着し、そろそろ昼飯にします。
旅先だとその土地ならではのものが食べたくなるのですが、このルイジアナママはネットでもあまりにも評判がいいので、寄ってみることにしました。案の定、混み合っていますし、客の回転も悪くて、けっこう長い時間待ちました。 -
イチオシ
ただ、それもそのはず。お代わり自由のサラダバーとかすごく充実。もちろん、いただいたスパゲティも最高。おしゃべりに夢中になっているグループや家族連れがいっぱいいて、至福の時を目いっぱい楽しんでいる風でした。リーズナブルに豊かな時間が過ごせるレストランだと思いました。
-
ここから観音寺に向かいます。
同志社大学京田辺キャンパスは、観音寺に行く途中。時計塔など、大きな丘陵の上いっぱいに、施設が立ち並んで、ちょっと壮観。
ちなみに、開校当時は全学部の1・2年次が対象だったところ、理系の学部が相当数移転してきて拡充され、今では13千人の学生が通学しているのだそうです。 -
さて、歩くこと20分くらい。やっと観音寺です。京田辺の比較的小さなお寺なんですが、私は今回で3回目の訪問です。
-
創建は白鳳期。法相宗の僧、義淵により創建され、東大寺初代別当の良弁が中興したという由緒正しい歴史。
そして、国宝、木心乾漆十一面観音立像がすばらしい。像高172.7cm。奈良時代、8世紀の作。木心乾漆造は仏像としては最高の技術。整った顔立ちで、オーラ出まくり。聖林寺の十一面観音像と比較されるのは当然。とても納得感がありますね。 -
で、実はこちらも隠れた名刹、寿宝寺です。
-
創建は704年。白鳳時代の終わりです。有名なのは、本尊の十一面千手観音立像。「葛井寺」と「東招提寺」の千手観音と並ぶ評価もあるんです。
-
等身大の素木造りの観音は見事な千手で覆われ、手にはそれぞれ目が入っています。ただ、見所は、お顔の表情。明るい昼間は厳しい表情なのですが、夜の月明かりでは優しい表情に一変します。アーモンド型の目の造りによるものですが、その様子を明かりを変化させることで見せてもらえます。私は今回二回目でしたが、初回同様、改めて新鮮に感じました。
-
今度は新田辺駅に移動して、またまた歩くこと20分。一休寺にやってきました。
-
一休寺は、とんちで知られる一休宗純が住んでいた寺。
-
これは一休さんの廟所。ここを過ぎて、奥の方丈に向かいます。
-
一休さんは88歳で亡くなるまでをここで過ごしますが、
-
大徳寺の住持でもあっため、ここから大徳寺に通ったという輿もあります。
-
なお、一休の出自は後小松天皇の落胤とする説が有力。高貴な生まれであることは確かです。
-
方丈の障壁画は、
-
保存状況がいいです。当時の雰囲気がよく偲ばれます。
-
イチオシ
酬恩庵の方丈庭園も有名。方丈の周りに、十六羅漢の遊行する様を表わした東庭、禅院枯山水の蓬莱庭園の北庭があり、ひと際大きい方丈の正面にあたる南庭の三つの庭の組み合わせ。江戸初期の造庭で、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作と伝わります。
南庭の背景には、一休の廟と虎丘庵という変わった建物が配されてこれも面白い。虎丘庵は、一休が盲目の女芸人、森女という人と暮らしていた建物。東山からこちらに移されたのだそうです。 -
これが大徳寺に通ったという輿です。
-
十六羅漢の遊行する様を表わした東庭
-
禅院枯山水の蓬莱庭園の北庭
-
この後は、奥の宝物館に鐘楼も見て帰ります。
-
こちらの薪神社は、一休寺から少し歩いたところ。
-
境内に、「能楽発祥の碑」という石碑がありました。「能楽は薪能即ち金春能に始まり、次に宝生能 観世能は大住に、金剛能は大和に発祥した。
-
昭和61年11月文学博士志賀剛」との碑文。
薪能は能の一形態を表していると思っていましたが、そうではないと知って、ちょっと驚きました。 -
棚倉孫神社は、新田辺に帰る途中。面白い名前なので、ちょこっと寄ってみました。
-
山の上には水路が通っていて、それを越えていく。そこから下ってまた上がったところに社殿が建つ独特のロケーションでした。
ちなみに、棚倉とは養蚕にも用いられた倉庫のこと。この辺りは渡来人による養蚕の盛んな地域で、その蚕を「天の虫」として、蚕を飼う倉を含めて崇め神格化して祀ったのが始まりではないかということです。
さて、ここまでで今日の予定は終了。後は、伏見で晩飯でも食べましょう。 -
ということで、伏見で途中下車。伏見大手筋商店街は、伏見のアーケード商店街。ここから細い通りは四方にいくつも出ているのですが、伏見にあってはこの通りは圧倒的なメインストリートでしょう。
-
あれ、やけに賑やかだなあと思ったら、この日は、 御香宮の神幸祭だそうです。これは偶然ですけど、当然見て行かないといけないでしょう。
-
御香宮神幸祭は、「伏見祭」といわれる洛南の大祭です。今日は、祭礼のクライマックスである3基の神輿の巡行と宮入りがあるようです。
-
神輿がやって来ました。
-
目の前を進んでいくのですが、
-
神輿は、担ぎ手が行きつ戻りつ。何度も何度も揉み合いながら、目の前を行ったり来たり。面白い動きですね。揉みあいも激しい動きで、お神輿はそんなに重くないのかも。東京は重いのでどうしても静的な担ぎ方になってしまいます。この動きは全く違いますね。
-
ちょっと目を替えて、これは本教寺。大手筋商店街の中ほどに入口があります。安土桃山時代に創建された寺で、徳川家康の次女である督姫の厚い帰依を受けた寺。「慶長牡丹の寺」と呼ばれる牡丹は、豊臣秀吉から賜られた伏見城の牡丹ですが、督姫が嫁いだ北条氏直は秀吉に敗れ、高野山に流されています。その後、督姫は池田輝政に嫁いで、五男二女をもうけています。
-
2基目の神輿です。
-
というか、これが最後の神輿。
-
一番元気があるそうです。日の丸の扇子が周囲でヒラヒラ。優雅というか、小粋というか。いいですねえ。
-
わっしょい
-
わっしょい。
-
目の前を行ったと思ったら、
-
また戻ってきて、
-
改めて、わっしょい
-
わっしょい。
-
この行ったり来たりの
-
動きって、
-
確かに、観客にとってはこたえられない動きかも。
-
神輿に
-
担ぎ手の
-
動きが何度も目の前に現れて、
-
自分も
-
その動きの中に
-
入ってしまったような
-
気持ちになるんです。
-
ただ、関東の神輿と違って、動きが激しいので近くまで寄るのはとても危険。
-
何度も危ない目にあったように思います。関東だと近くにいても全然怖くないんですけどね。。
-
今度は、宮入を見物しましょう。
-
警戒が厳重というか。交通整理のお巡りさんは、ピリピリしています。
-
おー、
-
やってきました。
-
わっしょい、
-
わっしょい。
-
これが
-
最後の
-
イチオシ
クライマックス。
-
ここぞとばかりに
-
イチオシ
若い衆も吠えまくりです。
-
神輿が目の前です。
-
イチオシ
と、これを持ち上げて、ワオー、ワオー。
-
イチオシ
かなり感動。鳥肌が立ちました。
-
ここでもひとしきり揉んだ後、
-
神輿が神社の中に入って行きます。いやー、伏見の盛り上がりって、すごいですね。祇園祭も静のイメージがあるんですが、こちらは明らかに動。一年間ためていたエネルギーを一気に放出するようなお祭りでした。
-
静かになった参道には、大きな提灯。祭りの始終を見守って、今年も役割を果たしました。
-
さて、ここらで、晩飯にしましょう。
鳥せいは、伏見の超人気店。焼き鳥とか鳥の料理を中心に、伏見のうまい酒を飲むというコンセプトは、伏見にぴったりなのでしょうが、それにしてもすごい人気。連休だったこともあって、1時間強待ちましたが、リストに書いておけばいいので、そんなに無駄にはなりません。 -
焼き鳥は、きわめてオーソドックスタイプ。宮崎の炭焼き地鶏を食べた時のようなインパクトはありませんでしたが、質で勝負だけのこのスタイルが受けているということは、逆に驚き。
-
舌の肥えたファンがいかに多いかの証だと思います。
以上、これで三日目はおしまい。あと一日あるんですが、ちょっと疲れもたまってきたような。今夜もいつもの定宿に向かいます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
99