2014/07/11 - 2024/01/19
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砂布巾さん
1939年9月1日 開戦(ポーランド)
(このページを訪問してくださった方へ)
ご訪問有難うございます。 もし読者の方が根本的間違い、編集の際に発生したと思われる不整合、文法上の誤りなどを発見されたり、何か目新しい情報をお持ちの方、ご意見がおありの場合は、ご遠慮なく掲示板でもメールでも、ご一報くだされば幸いです。
心からの感謝を込めて 砂布巾
2023年「砂布巾のLWほぼ完結の旅」で写真を一新するなどの改訂を行いました
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*駅前にヴェステルプラッテ行きのバスがやってきました 料金は4.8Zt(¥200)
バス停近くにチケットマシーンがあったので、現金で買おうと試みましたが、現金
投入口に現金が入りません 運転手から買えるだろうと思って乗り込みました、
が、QRコードを読み込めとのこと しかし出て来るのは当然ながらポーランド
語 進めて行けばクレジットカードによる支払いができたかもわかりませんが、
結局ただ乗りしてしまいました 帰りにバス停近くの売店にもチケットは売って
いませんでした ただ駅近く地下の小屋のような売店にはBlijet 4.8Ztの表示が
あったので、買えたのだと思います いずれにせよ往復で1/10近くと船に比べた
ら遥かに安い 節約派には断然お勧めです -
*ヴェステルプラッテの時刻表です このように便数が少ないので、時刻を確認して
おくことが必要です インフォーメーションで聞いた時刻と異なっていたので、自
分でバス停まで行って確認した方が良いと思います -
二正面戦争回避に成功したヒトラーは、8月26日早朝のポーランド攻撃を命じる。前日の夕方イギリス、ポーランド相互援助条約調印、ムッソリーニからは参戦拒否(1940年6月に参戦するまでドイツ寄りの非交戦主義)の連絡が入り、命令を延期する。なおも独ポ直接交渉の動き、ムッソリーニの多国間会議開催提案もあったが、時間切れとなった。
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ポーランド国境沿いのドイツ、グラウゼビッツで8月31日19時半、ポーランド軍の軍服を着た男(手配したのが後述するシンドラー)が放送局を襲撃した。職員を射殺し、ポーランド語で叫んだ「ポーランド人民よ。ドイツとの戦争の時が来た。すべてのドイツ人をうちくだけ。あらゆる抵抗をふみにじれ。時は来た」。男はドイツの親衛隊員だった。ドイツには攻撃するための口実の1つが必要だった。
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9月1日早朝にスロヴァキア軍!とともに攻撃開始。3日にはポーランドとの合意に基づき英仏とオーストラリア!が対独宣戦布告して、ヨーロッパにおける大戦が始まった。
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ソ連も17日には侵攻し、翌日には第一次大戦時に独露単独講和条約が結ばれたブレスト・リトフスクでドイツ軍と合流した。27日には最後まで抵抗していた首都ワルシャワが降伏(ワルシャワ放送は最後の瞬間までショパンのイ長調のポロネーズ「軍隊」を流し続けた)し、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、両国で分割占領した。
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宣戦布告した筈の英仏両国は、実際には行動を起こさず、翌年4月9日にデンマーク、ノルウェー作戦(大戦の第二段階の始まり)のためドイツが行動を起こすまでの半年間、西部ヨーロッパでは目立った軍事衝突は起きなかった。この時期は「奇妙な戦争」と言われる。一方で、ソ連が北ヨーロッパで活発に行動(後述)した。
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この頃の独仏最前線の様子を渡辺和行著「ナチ占領下のフランス」(講談社選書メチエ)から引用する。
ヴェステルプラッテ 自然・景勝地
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「ライン河をはさんでドイツ兵とフランス兵が釣り糸を垂れたり、フランス兵がサッカーをしているのをドイツ兵が見物しながら拍手を送るという牧歌的な光景が見られた。(中略)兵士は飽食して退屈していた。この時期、前線でも銃後でも問題は時間をつぶすことであった。戦争の気配はどこにもなく、まさに『西部戦線異状なし』であった」。
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チャーチルは「第二次世界大戦」(河出文庫)に書いている。「フランス政府はイギリス政府に対し対独空襲を差し控えるよう要請した。もし対独空襲に出れば、フランスの無防備の軍需工場へドイツ軍の報復行為を誘発することになるというのだった。われわれは、ドイツの高い道議心に訴えるパンフレットを投下することで満足していた。この陸と空における奇妙な戦局は、すべての人を驚かした。ポーランドが数週間でドイツの総力を挙げた軍事力に破壊され、征服されている間、英仏両国は手を引っ込めたままだった。ヒトラーがこれに不服を唱える理由はなかった」。 *左の白い文字を英訳すると No more war
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直前に相互援助条約を結んでいたポーランドを見殺しにした英仏両国の態度は、不可解としか言いようがない。もしこの時両国がドイツを攻撃していれば、違った展開になっただろうし、「世界」大戦にはなっていなかったかも知れない。
ヴェステルプラッテ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一般的には、これが「世界」大戦の始まりとされるが、1937年の日中戦争、ファシズム対反ファシズムという点から1936年のスペイン内乱という見解もある。個人的には日中戦争が太平洋戦争の一因にもなるから、日中戦争の始まりが妥当とも思える。ただ欧米の研究者にとって、前者は地球の隅っこでの紛争位にしか思っていないだろう。
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当時ダンツィヒと呼ばれていたグダニスクは、独ポ対立の象徴だった。このような背景もあって、郊外には開戦の地ベステルプラッテがある。午前4時45分、停泊していたドイツの武装商船シュレスビッヒ・ホルシュタイン号の攻撃で戦争が始まり、ポーランドは守備隊182名(うち15名が犠牲に)で2日間攻撃に耐えたとされているが、実際にはヒトラーの「電撃戦」は多くの場所で一気に国境を越えたに違いないから、象徴的意味しかないかも知れない。
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朝はクラクフで一緒だったティミオスの家へ行く。現在は両親とアテネに住んでおり、家には小学校の先生をしているおばさんがいた。ケーキをご馳走になっていると、彼女が‘Hitler,Hirohito,No good!’、原爆に関しては「アメリカは悪い。でも戦争を終わらせるには必要だった」と語ったのは複雑だった。
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今回33年振りにグダニスクを訪問した。旧レーニン造船所にも行けた。開戦の地には極めて簡素な博物館しか無かったが、泊まったLa Guitarraのすぐ近くには大戦博物館があった。入場料は前者の10Zt(ズロチ)に対して25Ztしか違わないのに、その充実度には感動した。蛇足ながら、バスの乗車などクレジットカードの浸透ぶりには驚いた。
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本項目は、荒井信一著「第二次世界大戦」(講談社 ビジュアル版 世界の歴史)、「スターリン秘録」(産経新聞社)を参考にした。(1990年9月17日,2023年9月24日訪問)
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LWほぼ完結の旅(自分史)
コロナ禍もある程度落ち着いた2023年9月から10月にかけて急遽自分へのご褒美も兼ねて円安等の逆風の中、ロンドンに立ち寄り、開戦の地ポーランドのグダニスクに入り、終焉の地20年振りのベルリンで旅を終える約2週間の旅を敢行した。ベルリンは中央駅、新空港、ユダヤ人慰霊碑が出来、ヒトラー最期の地などを示す看板が設置されるなど変貌していた。残念だったのはラース・シュルツとの4回目の劇的再会が叶わなかったことだ。 -
新パスポートは北斎の富嶽三十六景。そして初の携帯持参。変圧器を購入したが、ロンドン以外は現地のケーブルに接続して辛うじて充電出来た。ベルリンは1時間の充電量が僅か10%。とにかく待ち時間の長さがストレスだった。これまでで最高の9連泊となったが、夜の街に出なかったな~。なおベルリン関連の写真はほぼ全て改めている。
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ドイツ統一33周年にあたる10月3日、旧西ベルリンにある旧東ドイツポツダムの飛び地だったシュタインシュトゥッケン訪問を試みた。インフォーメーションでは博物館があると教えてもらったが、何人かに訪ねても皆言うことが違い、結局諦めた。
松浦孝久氏「僕と壁とベルリンと」
https://www.berlinnet789.de/imbn789/kabe32_200406.htm -
ドームで趣が変わった国会議事堂。ガイドツアー参加を出来なかったが、飛行機で飛び立つギリギリでそのドームツアーに参加することが出来た。語学力の無さも再認識。
帰国直後にガザ地区での紛争が始まった。多くの犠牲者に心が痛む。 -
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*下の写真とともに「映像の世紀」で見た記憶が
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旧日本銀行広島支店 名所・史跡
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*クロールオーパーで開戦宣言をするヒトラー 後に対米開戦の発表など重要な発表
をここで行っている -
*中央駅とブランデンブルク門の間にある連邦議会議事堂(ライヒスターク)前方の
林の中にかつてこの地にクロールオーパーがあった説明板がある -
*午後訪問した第二次大戦博物館 非常に充実した展示で、個別の写真はその項目の
ところで使います第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*日本関係の展示だけ3枚引用
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*広島
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第5章 電撃戦(ナチス・ドイツの欧州主要部制圧)
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