2024/09/29 - 2025/09/04
1235位(同エリア2989件中)
- #ユースホステル
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- #ひとり旅
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- #ユトレヒトユースホステル
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砂布巾さん
ほか印象に残ったYHとモーツァルトの家(自分史)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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ホステルでもユースホステル協会に加盟しているもの、ドミトリーがあるなど値段が安い場合はホステルを名乗る場合もある。実際以下のうち何軒かはそうだ。
2位ルーマニア、シギショアラにある野戦病院のような趣のBobbys Hostel(1998 記載がない場合は1990)。皆で翌日ティミショアラ(ルーマニア革命発祥の地)への日程を考えてくれ、夜中出発と分かると、「泊まらないのだからお金は要らないから」とまで言ってくださった。ボビーの「アメリカ人は嫌いだけど商売だから」には2人で大爆笑。 -
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3位ハンガリー、ブダペストYellow Submarine(1998)はスタッフも含めて楽しい人ばかり。「『ムツっこい』ってハンガリー語ですか?」にも大爆笑。「冬が来る前にパキスタンから中国に入る」大先生カップルはスケールが違う! 2週間後にドブロブニクで再会。かの地では、4人で安宿(韓国人タースンが値段で主人に抗議)とYHを泊まり歩き、夕食はアドリア海の魚料理を満喫。サラエボから来た人には「観光気分で来るな」と感情的に言われたそうだ。
*ベッド上のスタッフは「グッバイ ハシモトサン」が口癖 -
4位ザルツブルク(計3度)は、「ソ連旅行の思い出…」で触れる。新婚旅行初日の韓国洛山寺(写真)とともに妻布巾も泊まった数少ないホステル。夕食を食べたことがあるけど、3人で一皿。知らない女性2人組と一緒になり気まずかった。
*撮影は2005年 ほか韓国ではソウル、釜山
*「新婚旅行」 http://4travel.jp/travelogue/10276952 -
5位ベルリンのWannsee(1999ほか)ではメルフレ井上氏とオフ。3日目から言わなくてもコーヒーを用意してくれたおばちゃんのさり気ない優しさが嬉しい。シャワーもユニーク。
*「ベルリン~スリ編」
http://4travel.jp/travelogue/10196861 -
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オフは1999年にロンドンで滝沢氏とも。2023年にも別のホステルに1泊したが、掃除した形跡がなく、雑然さではロンドンは他に類を見ない。
*ロンドンPublic City Hotel(1999) YHが空いていなかったので仕方なく泊まった 長期滞在者が多かった(「ボランティア」の名目で不法労働をさせられている人も居た) -
*2023年のロンドン 地下鉄駅Hammer Smith駅から直ぐで便利だったけど、やはり清潔感が無いし、ただ泊まるだけって感じ 値段は1泊で約¥4,800
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旧東ドイツ地域では、エアフルト(西ベルリンが空白の地図を発見)、
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アイゼナッハ、ワイマール、ドレスデン(数日前に大幅値上げ)。フランクフルト(オーデル)では「日本人は初めてです」と言われ悦に入った。ヴィッテンベルク(2003)は1517年にルターが「95か条の意見書」を貼り出した教会の上にあり、お墓もあるという凄さ。
*一番上階の入口が見えますか
「ルター編」 http://4travel.jp/travelogue/10184525 -
プラハは4泊とも4人部屋に1人。
*こんな感じの団地群の一角がYHだった
ほかチェコではウスティー・ナド・ラベム、カルロヴィヴァリ
ベルギー ブリュッセル(夜中に帰ってきたスペイン人が大騒ぎして煩かった) -
ポーランドはバレースクールに隣接するヴロツワフ、小学校の上にあるグダニスク(¥350程度)と立地もユニーク。公園の中にあったシュチェッチン(2023)は¥3,569だったけどツインルーム。シャワーが水には参った。場所を尋ねたおじさんは原爆ドーム前での写真を見せてくれた 人も陽気で楽しかった
*ほかポーランドではクラクフ -
港から市内まで歩いたストックホルムのCHAPMANは船。
*ほかスウェーデンではイェーテボリ
「スウェーデン編」
http://4travel.jp/travelogue/10209614 -
オランダ(YHはStayokey!)ユトレヒト(2007)は築三百年。
*ほかオランダではアムステルダムのフォンデルパルク、ハーレム、デンハーグ、マーストリヒト -
*ホステル内部
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2棟の建物に分かれていたウィーン(1998 名前は忘れた)は男女混合部屋で、別棟には屋根裏部屋まであった。
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同じオーストリアのリンツは駐車場の上に建物が3棟ある不思議な構造。辿り着くまで一苦労。
*ほかオーストリアでは、インスブルック、クラーゲンフルト、ロイッテ・イン・チロル(¥600ほど) -
豪華だったのがソウル(2004)。ツインルームなのに値段は¥2,500(22,000 W)。でも室内には16万Wの表示。2日目はおじさんと一緒だった。
受付のおじいさんに“What can I do for you?”で「!?」のクロアチア、ザグレブ(1998)では、両親の出身地島根を知っていたのにも驚いた。 -
約70人と一番の大部屋がスペイン人アルベルトと知り合ったコペンハーゲンのPublic City Hostel。いびきに悩まされた。
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チボリでは彼に「お前は日本でもこんなに馬鹿なことをしているのか」と言われてショック。ドイツ、ハイデルベルクも大部屋だった。同じく、アウグスブルク(1986)は部屋全員が日本人。翌日はみんなでノイシュヴァンシュタイン城見学へ向かった。
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*オーデンセ―(アンデルセンが生まれた町)
ほかデンマークでは、フレデリクスハーフェン(ユトランド半島の先端)
かつてバイエルン州では26歳以上は泊まれないという年齢制限があった。28歳だった時に試しに並んでみたら、相手が見てくれで判断して宿泊できた。でも2回目は失敗した。ただ宿泊可能なHostelを紹介してくれた。運用にも差があるようで、州内で宿泊させてくれたYHもあった。パリ(1999)ではInfで「その年齢ではYHに泊れない」と断られ、¥3,500の宿を紹介された。 -
会員証を提示したのに約6千円と高いのに驚いたのがフィンランド、ヘルシンキ。
*ほかフィンランドでは、タンペレ、ロヴァニエミ、サヴォンリンナ、トゥルク、パリッカラ、ラッペンランタ
Myrthengasse(2002 ウィーン 次の写真も)では火災報知器の誤作動で朝5時に起こされ、消防車がやって来た。チェックインまで一番待たされたのが7章で触れるボローニャ。
*ボローニャ以外のイタリア アレッツォ、コモ、トレント -
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イチオシ
景色の素晴らしさは朝窓からマッターホルンが見えたツェルマット(1986 見合写真!)。
*ほかスイスでは、ジュネーブ、ローザンヌ、ロカルノ、モントルー、ヌーシャルトル
ローザンヌはメールの文字化けを教えてくださり、何回目かで予約完了
隣がIOC(国際オリンピック)本部 -
コブレンツ(2007)は庭からライン、モーゼル両川の合流点が見えた。コブレンツ(2007)は庭からライン川とモーゼル川の合流点が見えた。
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最長9連泊はベルリンのThree little pigs Hostel(2023)。
*中央駅まではブランデンブルク門、ポツダム広場を経て40分程度 かつてのアンハルター駅から近く、地下鉄もアンハルター駅で下車 -
*室内はロンドンと比べても断然きれい
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YH以外では、妻布巾と泊まったウィーンのNOSSEK(1996)。モーツァルトが住んでいた建物にあり、歌劇「後宮からの誘拐」などを作曲した。定宿はNeuer Markt(1996ほか)。両親の唯一の海外旅行に帯同した際、女性が部屋に荷物を運んだだけなのにチップ5千円払った父布巾には目が点。
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*まさかモーツァルトの時代はなかっただろうが…
「アタックナンバーワン」をやっていた
詳しくは「ソ連旅行の思い出」にて -
イスタンブールHマルマラのディナービュッフェ(1996)は、2人で1千万トルコリラ(翌日には30%値上げ)。桁数は大きいが、日本円では7千円弱。(2017年8月追加 2025年4月8日改訂)
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*ドイツ、ヴォルムス
こちらも宗教改革ゆかりの地
門限まで日本人大学生と一緒に飲んだ
楽しい一夜 -
*ドイツ、ライプツィッヒ
気温14度、数日前のベルリンは38度
体調を崩さないほうがおかしい -
*ドイツ、ボン
1986年と2010年に宿泊
1990年に泊まったボン、バートゴーデスベルクYHは中国大使館に近く、ビザ取得に助かった -
*ドイツ、トリアー
2泊したが、両日とも1人
*これまで述べていないドイツでは、ヴィスバーデン、アーヘン、ゲッティンゲン(3連泊)、フルダ、ザンクトゴアール(ザンクトゴアールズハウゼンだったかも)、フロート、コンスタンツ、マインツ、マンハイム、ブレーメン、バイロイト
(以下は旧東ドイツ時代) マクデブルク -
*ルクセンブルク
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*ここからは韓国のヨーグァン(旅館)
釜山 -
*この時の荷物の全て
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*浦項だったかな?
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*世界遺産海印寺(ヘインサ) 2階に泊まる
ハングルの赤い部分はシクタン(食堂) -
*江華島
「2泊で4万W」で納得していたのに、1万追加を求められた 渋々ながら払うからダメなんだな~
「アイブ(愛婦?)」も勧められた -
*木浦
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*ソウルのど真ん中 値段は2千2百円(2008年)
実は予約していたのは新館の方 気付いたのは翌日
北朝鮮開城に行く出発地から極めて近く、その意味では便利だった -
*旅館ではないが木浦で見かけた
こらえてや!
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