2024/10/09 - 2025/08/02
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砂布巾さん
ソ・フィン戦争とバルト三国の運命(奇妙な戦争期のソ連)
ソ連は11月30日にフィンランドに宣戦(冬戦争)し、領土を奪った。その経緯と影響を「歴史群像 2005年12月号」から引用する。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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開戦の1年半前、在ヘルシンキのソ連大使館二等書記官が外相に面会を求めた。内容はドイツがソ連に対して戦争を仕掛けた場合のフィンランド政府の対応を問うものだった。当時の国境はレニングラードから最も近い場所で30キロあまり、北極圏の軍港ムルマンスクを結ぶ鉄道は80キロの場所を走っており、万一フィンランドがドイツと軍事同盟を結ぶ事態になった場合は、ソ連にとって重大な問題となることは明らかだった。
*左 フィンランド代表団 ソ連からの要請によりモスクワ到着
右 1939.11.30 ソ連の攻撃がヘルシンキでも始まる第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1939年10月スターリンは最終的にフィンランド湾内の島々、レニングラード近郊のカレリア地峡などの領土を求め、代償として倍以上にあたる5千5百km2の割譲を申し出た。ソ連が獲得する場所が当時フィンランド第二の都市ヴィープリ(*フィンランド、ラッペンランタからのノービザツアーに参加できなかった)など要地を含んでいたのに対し、ソ連側が提供するのは森と湖だけの未開拓地に過ぎなかった。このような条件をフィンランド側が受け入れるはずもなく、開戦へと至った。これを機にソ連は1934年に加盟していた国際連盟を除名された。
*左 1939.12.25 フィンランド軍の勝利 右 1940.1.7/8 同様第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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両者の間には軍事力の差があり、ソ連は最終的に勝利を収めたものの、モッティ(包囲)戦術をはじめとする、フィンランド側のゲリラ的抵抗に苦しんだ。
当初フィンランドに冷淡だった英仏両国は、チャーチルが支援のためノルウェー領ナルヴィクからスウェーデン北部(主にドイツ向けの多くの鉄鉱石を産出する)へ進駐するとの提案を行って以来、大きな関心を寄せるようになった。
*左 1940.2.1/11 ソヴィエト軍防御線マンネルヘイム線突破
右 1940.3.1/5 ヴィープリ地区での戦い第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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鉄鉱石というアキレス腱を敵から教えられる形になったヒトラーは、1940年4月9日に北欧作戦を開始しデンマーク、ノルウェーを占領する。
スターリンの領土要求で始まったこの戦争は、西部で辛うじて均衡していたドイツと英仏の軍事的均衡を傾かせ、西部戦線で新たな大規模戦争を早める結果をもたらした。またソ連軍の無様な戦いを刻み込んだヒトラーとドイツ軍首脳部は、後に広大なロシアの大地でその底力を見せつけられることになる。
*1940.3.12 モスクワで和平条約が結ばれ、新たな国境線が確定する第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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独ソ戦には失地回復のための継続戦争としてフィンランドも参加したが、1942年6月にはヒトラーの来訪も受けたマンネルヘイム国防相(後に第六代大統領 2004年調査「最も偉大なフィンランド人」1位)は、ドイツ軍との共同行動は認めなかった。
*フィンランド軍の装備 ここまでの写真はポーランド、グダニスクの第二次世界大戦博物館より引用しました第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これに先立ち、ソ連は来るべきヒトラーとの対決に備え懐の深い緩衝地帯確保するため9月末から10月はじめにバルト三国に圧力をかけて相互援助条約を結び、翌年7月には条約を口実に軍隊を進駐させ、21日から翌日にかけて三国を併合した。反対した多くの人々はシベリア送りとなったが、その中には後のイスラエル首相ベギンもいた。(リトアニア、カウナスからの退去を求められた杉原千畝がビザを発給するのはこの頃)
*パリッカラYHで借りた自転車で向かったフィン・ソ国境地帯 -
*サイマー運河クルーズでソ連との国境間近まで
本当はノービザのVyborgクルーズ(フィンランドで言う旧領土のヴィープリと思われる)へ行きたかったが満席 -
*見えにくいが山にある黄色い目印が国境
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ムーミンの産みの親(自分史)
ムーミンをカバだと思っている人も多いようだが、実はそうではない。ムーミンはトロルという生き物なのだ。「トロル」はスウェーデン語だが、単純に日本語に置き換えるのは難しい。「妖怪」でもなく「妖精」でもなく、「小人」でもない不思議な生き物で、森の奥でひっそり暮らしている。エイリアンとでもいうしかないような存在で、いかにも北欧の自然にふさわしい。 -
ムーミン・トロルとその仲間たちを創造したトーヴェ・ヤンソン Tove Jansson (「もっとも偉大なフィンランド人」19位)は、1914年、スウェーデン系フィンランド人で彫刻家の父と、スウェーデン人で挿し絵画家の母との間にヘルシンキで生まれた。フィンランドには少数民族としてのスウェーデン人社会があり、トーヴェ・ヤンソンもフィンランド社会の中の少数派、スウェーデン語社会で育つ。当然作品もスウェーデン語で執筆されているが、この生い立ちが、後の作品に感じられる独特の陰影を生み出しているとも言われている。
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日本では「ムーミン・シリーズの原作者」という程度の認知度で、童話作家のように思われてもいるトーヴェ・ヤンソンだが、大人向けの作品も多く、北欧諸国ではかなり人気の高い作家だ。世界がファシズムに塗りつぶされようとしていた第二次世界大戦前の時代、政治風刺雑誌「ガルム」の表紙を描き続けた気骨の人でもある。ムーミン・シリーズの深みのある登場人物描写などを見ても、「子供向けの話」で片付けてしまうのはもったいない。
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この部分は「地球の歩き方~北欧編」(ダイヤモンドビッグ社)から引用した。
スナフキンと砂布巾について2002年8月9日(ヤンソンの命日)のムーミンの日の展示から一部を改編してご紹介する。 -
「自由と孤独をこよなく愛し、口数が少なく(?)、持ち物は最小限しか持たず、(略)。リュック一つで (略)旅に出るのを習慣としている」。
砂布巾はひそひそ話で「スナフキンに似ているね」と言われていたのを耳にしたからであり、漢字はワープロで変換した際に出て以来、愛用しているものです。蛇足ながら。 -
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*2014/11/22 塗り絵 下手くそだな~ 全然進歩してない
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*2017年5月パルコにて 前年は恥ずかしくて一緒に撮らなかったけど、思い切って
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*首都ヘルシンキにあるシベリウス公園 シベリウスの音楽は何か北欧独特のムードに溢れ、魅力的 特に壮大で有名な交響曲第2番は寒い冬に聴きたくなるし、夏には涼しくなりたいから聴きたくなる また交響詩「フィンランディア」の中間部のコラールは、キリスト教の讃美歌にもなっている
第2番 バーンスタインの指揮でどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=SAOf46CXaawシベリウス公園 広場・公園
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*北極圏ロヴァニエミにあるサンタクロース村
サンタクロース村 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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*サンタさんも何か独特
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*これより北極圏 先住民サーミ人の生活が再現されている
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*サヴォンリンナにあるオラヴィンリンナ
ドラゴンクエストのモデルだとか
オペラフェスティバルが開催されており、ヴェルディの「アイーダ」を鑑賞オラヴィ城 (オラヴィンリンナ) 城・宮殿
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*「マイ・フレンズ」「ノープロブレム」を連発したペテリィ(右) 「家に泊まりに来い」みたいなことまで言い出す 恐らくそれを咎めたのだろう、2人は喧嘩になり、いつの間にか姿を消した
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*オペラの時に隣席で東部の港町トゥルクを訪問した際にナーンタリを案内してくださったラクソネン夫人 遠くに見えるのが大統領の別荘 旗が掲げてあれば大統領が滞在中だとか(記憶に間違いがなければ) 現在ここにはムーミン村が、また訪問したタンペレにはムーミン博物館(レーニン博物館なんてのも)がある 恐らく訪問以後できたもの(願望を含めて)
フィンランド旅行記は http://4travel.jp/travelogue/10206493
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