2024/10/07 - 2024/12/18
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砂布巾さん
1940年5月26日~6月4日 英仏軍33万人、ダンケルク撤退(フランス)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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北フランスのダンケルクに来たかったのは、大戦初期にマジノ線(第一次大戦後フランスが築いた防衛線)の盲点アルデンヌの森を突破したドイツ軍に不意をつかれ孤立し、追い詰められた英仏連合軍338,226人が艦船ばかりか、漁船などあらゆる船舶約1,200隻を動員して、イギリス本土に撤退したダイナモ作戦ゆかりの地だからだ。5月24日11時42分、ヒトラーがルントシュテット将軍に、24キロまで迫っていた先遣隊の進撃停止命令したため、撤退が容易になったと言われる。
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元来反共主義者であるヒトラーは、海上植民地帝国イギリス、ソ連を征服した陸上植民地帝国ドイツが相互に勢力圏を尊重する望みを捨てておらず、イギリスに対して宥和的だったから、とも言われる。
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午前中は戦争博物館へ行き、再びビーチに行ってみる。博物館では「(読売)新聞の記事(=20世紀どんな時代だったか)を読んで来ました」と言うと館員の方が歓迎してくださった。追い込まれて撤退する兵士、とりわけ祖国をあとにせざるを得なかったフランス兵の心境は、いかばかりであったろう?
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*弾痕が残る教会
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YHは受付開始まで待たされたし、部屋の中もベッドだらけで狭く、昨日のチェックイン前から一緒だったフランス人のお兄さん(パリから自転車でやって来た)との朝食も素っ気ないなど、少しもの足らなかったけど、博物館やビーチにも近くロケーションは最高だった。朝食の飲み物が、お椀のような器で出てきたのにはぶっ飛んだ。
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*この店で千円カバンを購入、後述するようにベルリンでスリに遭う
博物館が見学できたのは、昨日Inf.でカレー行バスの時刻を尋ねた際、平日のみの9時発を教えられ、4時間の空きが出来たからだ。記事からは高台にある印象を受けていたし、土産物屋のようにしか見えなかった。幸運だった。(1999年8月6日~7日訪問)
関連項目 「解放」 http://4travel.jp/travelogue/10921081 -
*フランスの出発点カレー
百年戦争(1337~1453)後、イギリスが唯一大陸に残した領土
中世はイギリスは純然たる島国ではなく、現在のフランスに多くの領土を持っていた -
*ドーヴァーのフェリーでイギリスへ向けて「撤退」
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*イギリスが見えてきた
フランスの降伏とイギリスの奮闘(イギリスなど)
撤退後もドイツ軍の進撃は続き、避難民の波が南へと向かった。当時人口500万のパリは70万に減った。映画「禁じられた遊び」(1952)は、この大脱出の光景から始まる。 -
*カンタベリー いかにもイギリスらしい町並み
イギリス政府部内には、一時ムッソリーニ(当時まだ非交戦)を仲介役に和平交渉を行う動きも出ていた。6月10日にフランス政府はトゥールに逃れ、ドイツ軍は14日には無防備都市を宣言したパリに入城。この間英仏間接触も続けられ(チャーチルは6月だけで5回渡仏した)、両国で国家連合形成の案も検討されたが、16日に成立したペタン内閣は、翌日パリ駐在スペイン大使を通じて降伏の申し入れを行い、22日にはコンピエーニュの森に準備された車両で休戦条約が締結された。条約の締結には、1918年11月11日に第一次大戦の休戦条約が締結された車両を博物館から引っ張り出して調印させ、戦勝記念の建造物を爆破した。 -
なお、調印の翌日ヒトラーはパリを訪問している。
*写真はポーランド、グダニスクの第二次世界大戦博物館のものを引用第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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*ご存知ロンドン橋
6月5日の内閣改造で国防次官に就任していたドゴールは、ペタン降伏内閣の成立を見届け、17日にボルドーからイギリスに帰国するスピアーズ将軍の飛行機に乗り込んでロンドンへ亡命し、「自由フランス」を組織。翌18日には、BBC放送を通じて 「…何が起ろうとも、フランスの抵抗の焔は消えさってはならぬし、また消えさることはないでありましょう…」という国民への歴史的アピールを行う。以後ドゴールは、強烈な自尊心とプライドで再三チャーチルや連合国側と対立するが、フランスのレジスタンス(抵抗運動)のシンボルとなる。この一声でレジスタンスは生まれた、とする「神話」があるが、アルベール・シャンボン著「仏レジスタンスの真実」(河出書房新社)では、それが誤りであることを述べている。また「最も勇敢に、犠牲をかえりみず闘ったのは共産党であった」、「銃殺された7万人の党」など共産党が流布した説の誤りも指摘している。 -
*テムズ川と国会議事堂
イタリアが正式に参戦した6月10日には、ルーズヴェルトがヴァージニア大学で行った演説で、アメリカが中立から連合国寄りの非交戦主義へと政策転換を宣言した。
西欧ではデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに続いてフランスも降伏して北部を占領され、後述するように南部には傀儡政権が出来、ソ連はヒトラーと友好関係にあり、スイス、スウェーデンが中立を保っていたこの頃のイギリスは、孤軍奮闘の状況だった。7月10日から当分続いた猛烈な空爆に屈服(大戦の第三段階 上陸作戦「とど作戦」の無期延期を指令したのは9月17日)し降伏していたら、その段階で戦争は終わっていた。チャーチルの強力なリーダーシップ抜きには、連合国側の勝利は考えられない。勝利の第二の要因は、ヒトラーにとって最初の躓きと言えるこの時のイギリスの頑張りと言える。 -
*バッキンガム宮殿
チャーチルの6月4日の演説から一部紹介する。「われわれは海岸で戦う。上陸地点でも戦う。野でも街でも丘でも戦うでしょう。われわれは決して降伏しない(=We shall never surrender.)」。
1941年6月独ソ戦開戦に伴いソ連が連合国側で参戦。12月に真珠湾攻撃を機にアメリカが参戦すると、チャーチルは「これで勝った!」と叫んだという。
本項目は、前々項目と同様「ヒトラー対チャーチル」を参考にした。 -
*大英博物館
「ドイツの子」(ノルウェー)
大戦中ドイツ軍に占領されたノルウェーだが、戦後処理は決して終わったとは言えない。そのあたりを2003年6月25日付朝日新聞から紹介する。
占領中、ナチス兵を父にノルウェー女性を母に生まれた「ドイツの子」たちは長いこと虐げられてきた。ポール・ハンセンさんは知的障害と診断された4歳から23歳まで3カ所の障害者施設を転々とした。そこは「恐ろしい場所だった」。
戦争中ロンドンに逃れていた亡命政府が本国に復帰すると、「対敵協力者」に対する処分に乗り出した。ドイツ兵と交際のあった女性は逮捕され、髪を切られるなど制裁が横行。「ドイツの子」は臨床試験も行われないまま、「半数が知的障害の可能性が高い」と断定された。
ノルウェー社会で「ドイツの子」が関心を持たれるようになったのは、出生の事実を知る権利が保障された1980年代に入ってからだった。2000年にボンビック首相が謝罪を表明、2002年末に議会で公式の謝罪と補償を政府に促す決議が全会一致で可決された。
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第5章 電撃戦(ナチス・ドイツの欧州主要部制圧)
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