2023/07/02 - 2023/07/22
20位(同エリア365件中)
マリアンヌさん
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ボルゲットから戻り、残り時間でヴェローナ観光をした。
そして翌朝、今回の主目的であるトレンティーノ=アルト・アディジェへと出発、まずは国境近くのヴィピテノへ向かった。
7/3 ヴェローナ
7/4 ヴェローナ
7/5 ボルゲット,ヴェローナ
7/6 ヴィピテノ
7/7 キウーザ,ボルツァーノ
7/8 チロル城,カステルロット
7/9 トレント
7/10 サン・ロレンツォ・イン・バナーレ,トレント
7/11 トレヴィーゾ
7/12 アーゾロ,バッサーノ・デル・グラッパ
7/13 ヴィチェンツァ
7/14 サン・ボニファッチョ,ヴィチェンツァ
7/15 ガルドーネ・リヴィエラ,デゼンツァーノ・デル・ガルダ
7/16 コモ
7/17 ベッラッジョ,メナッジョ
7/18 トレメッツォ,レンノ,ベッラッジョ
7/19 ヴァレンナ,ベッラーノ
7/20 ミラノ
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ボルゲットは美しい村だったけど時間を持て余してしまったので、予定より早く16時頃にはヴェローナに戻ってきた。駅からチェントロまで歩きます。
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B&Bの方からも言われたけど駅や駅からチェントロの間は危ないから気をつけてと。
ヴェローナくらい観光客が多いとスリとかも多いよね。 -
インフォメーションで行きたい教会が開いてるか聞いたら閉まっているということで、ローマ劇場へ行くことにした。
ついでにお勧めのロマネスク教会を聞いた(開いてる曜日が少ないけど)ので再訪しなくちゃね。 -
Church of Saint Thomas Becket
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レモンイエローの館に緑が映える。っていうか暑くて日影を探しながら歩いている。
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宿の窓からも見えるSantuario della Madonna di Lourdes が望める。
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サン・ピエトロの丘 ガイドより
ローマ劇場の建てられた丘の頂きには神殿がありました。西ローマ帝国滅亡後、多くの蛮族の王、例えばゴート族のテオドリック王もこの町を気に入りこの丘の頂きに宮殿を建てました。長い年月の後、この地に8世紀頃ピエトロ聖人を祀った教会が建てられ、後14世紀にミラノのヴィスコンティ家によってお城が建てられ教会の名前を使ってCastel San Pietro(サンピエトロ城) と呼ばれました。現在、19世紀にハプスブルク王国によって建てられた兵舎があります。 -
ローマ劇場は、紀元前1世紀、アウグストス皇帝時代にアディジェ川の左川岸に位置する丘の斜面に建てられました。当時は、北イタリアにあるローマ劇場の中で一番大きな劇場でした。このローマ劇場は円形闘技場アレーナより先に建てられました。その後時代と共に地震、戦争、大洪水などで破壊され、後にこのローマ劇場の遺跡の上に10世紀頃シーロ聖人を祀った教会が建てられました。教会は14世紀と17世紀に2回修復されました。そして教会の隣にイエズス会修道院が建てられ、その他、住宅などが徐々に建てられました。
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モザイク、そりゃ残ってるよね。
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ガイドより
柱の一部の鋳造。ヴェローナの壮大な公共建物の洗練された建築装飾の一例。紀元1~2世紀 伝統によれば、柱の一部は大聖堂の片側、大執事パシフィカスの葬儀記念碑 (西暦 846年) に再利用されました。
大聖堂の近くに常に異なる形で配置され、中世後期とルネサンスの芸術家の興味を呼び起こしました。貴重な大理石 (現在のトルコにある採石場で採掘されたもの)で、高さは5メートル以上あります。 -
キオストロは落ち着くわ。
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スフィンクスやガラス皿も展示されていた。
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お馴染みのローマらしい彫像。
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優雅な肢体とトーガのドレープが素敵。
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窓から美しい景色。
ところで「Verona」という町の名前の由来は、その昔この辺りに一番最初に住み着いたと言われている民族 Veneti族からと言われているそう。彼らの言語でテラスの事を「Verone」といったことからテラスから観る絶景の町「Verona」と呼ばれるようになり町の名前になったというのも数多い、名前の由来の1つとのこと。 -
なかなか素敵な教会あと。
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天井装飾が美しい。
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ローマ時代の遺跡、像、墓石など。
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ヴェローナの街が一望できる。絶景。
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アディジェ川にかかるピエトラ橋の向こうにドゥーモの鐘楼も見える。
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結構歩いたのでジェラートで一休み。梨とビスタジオ・レモン・アーモンドのミックス、美味しかった。
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アレーナを眺めながらポモドーロとノンアルコールで夕食。
部屋から夕焼けが見えた。Buona notte☆ -
翌朝、宿の方にヴェローナの駅までタクシーを予約してもらい出発。
ボルツァーノで乗り換え、Vipiteno Val Vizzeへ。
車窓からは、ずっとタモリが喜びそうな地層が斜めに走る岩山が続いていた。 -
オーストリアとの国境やインスブルックからも近い山奥の小さな駅Vipiteno。
ドイツ語表記のSterzing (シュテルツィン)も見える。
Google Mapの徒歩9分、まぁ15分あれば着くだろうと荷物を引き始めた。
けれどやっぱり結構距離があって、その上ホテル前でクレーンが作業中、再び迂回して30分位かかってホテル到着。 -
なんかスイスっぽい外観。ドイツ通の友達によると枕の置き方がドイツらしい。
清潔で安心の設備、ここもドイツ圏らしい。小さなベランダから山も見えるしこれで
77ユーロは安い。(円安でなければネ) -
ヴィピテノというかシュテルツィングの名の由来。
非常に古い時代のホスピスの存在は、都市の紋章で不滅の名を残した、足が不自由で物乞いで放浪する巡礼者 (ランドシュテルツァー) である神話上のシュテルツルまたはスターツに関連している可能性がある。他説としてローマ時代のヴィピテヌム(ローマ時代のVipitenoの呼称)にはセステルセス銀(銅)貨が鋳造される鋳造所があったに違いなく、Sesterzo(セステル銀貨)→Sterzing(ドイツ語表記)に繋がるのではとのこと。 -
38年前に訪れたロマンチック街道を思い出す街並み。
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色とりどりきれいにしてるね。
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以下美しき村サイトより。
紀元前 15 年、ドルススによるローマの征服により、ポンス ドルーシ (ボルツァーノ) からブレンナー峠を越えてアウグスタ ヴィンデリコルム (アウグスブルク) に至る道路が開通した。ローマのヴィピテヌム駅はこの道に設立された。領土全体がレジア県に編入される。
紀元後 6 世紀、バイエルン州のバイウヴァリ人がイザルコ渓谷に定住しました。彼らは土地を伐採し、山間部にも農場を建設した。 -
1180 年、後にシュテルツィング (現在の旧市街) となるシュテルチェングムと呼ばれる新しい入植地に関する最初の文書がある。
1280 年、チロル王マイナルド 2 世は、ブレッサノーネ司教に対抗し、イザルコ渓谷を支配下に置くために、ヴィピテノの周囲に城壁を築き、ヴィピテーノを拡張し(現在の新市街)、都市に昇格させた。街は、巡礼者、商人、配達員、兵士の通行のおかげで繁栄する。ヴィピテノは、水を注ぎ、料金を徴収する権利を取得する(1496年)。もう 1 つの重要な活動は、壁の外側の地域に集中している皮なめし業者の活動です。 -
15 ~ 16 世紀、これは都市の開花が最も盛んな時期です。コッレ・イザルコとヴァル・リダンナの銀鉱山と鉛鉱山の開発により、アウグスブルクのフッガー家のようなヨーロッパレベルの鉱山労働者、金融家、起業家がやって来た。後者は他の裕福な家族とともに芸術の繁栄に貢献し、1443 年の新市街の火災後、エレガントなブルジョワの邸宅や、新市庁舎、シビック タワー、市庁舎の拡張などの公共建築物の建設に表現されました。沼地の聖母教区教会。1548 年には、旅館、トラットリア、旅館、居酒屋、酒場を含む 26 軒ものホテルが市内に登録さた。16 世紀の終わりに向けて、鉱山の疲弊により都市は衰退した。
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1867 年、ブレンナー鉄道の開通と観光業により新たな収入源がもたらされ、今日に至るまで街の運命を決定づけた。
1919 年、アルト アディジェ州がイタリアに併合されると、シュテルジングはラテン語名であるヴィピテノも回復した。 -
こういう飾りもドイツを思わせる。要するにチロル、オーストリア、中世以来ハプスブルク家の所領だったわけだもんね。
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そういうわけでイタリアっぽくないこの地域、イタリア好きの私としては、あそこはイタリアじゃないなと後回しになってきた。
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好きな色合いの建物に看板も美しい。
修復するにしても厳しい環境保存条例があるのでしょうね。 -
いつものイタリアの最も美しき村は、人っ子一人いないけど、ここは村というより街だね。7000人ほどの人口らしいけど。
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色とりどりの出窓。花が飾られてきれいだね。
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酷暑のヴェローナから比べ、だいぶ気温が低い。
トレッキングで立ち寄った観光客も多く、ライトダウンを着ている人もいた。
ノースリーブの私、浮き気味(笑) -
言語については、住民の約74%がドイツ語話者で、イタリア語話者が約26%を占めるそう。あとラディン語とか。
*ラディン語:イタリア北部のアルトアディジェ地方や,ドロミティアルプス地帯の一部に話されるロマンス語。レト・ロマンス諸語の一つ。 -
このブルーの建物、いい感じ。
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このメインストリート1本だが、観光客が多い。人がいない時撮るのが大変。
ランドマークは、Torre delle Dodici 時計塔、12時の塔。 -
時計塔の向こうにも街並みが続いている。
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ヴィピテノは、ブレンネーロ峠から南へ10kmあまりに位置する宿場町として栄え、
18世紀後半には、ドイツからイタリアに向かったモーツァルトやゲーテもここを通っているそう。 -
看板がエレガント。
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もう少し先に行ってみよう。
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人がいない時撮ってるけど、オーストリアかドイツからのツアー客も来ていた。
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数少ないカフェやレストランは、観光客で埋まっていた。
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可愛い窓辺シリーズ。
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脇道とか周辺もウロウロ。
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ブドウってことは、カンティーナかな?
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では、戻ろうかな。
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時計塔の手前には広場があって、テントの下がビアホール状態になっていた。
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時計塔から通りを覗くと絵になるね。
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空模様は変わりやすく、曇り空から青空が見えて…
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綺麗なカラーリング。
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だいぶ歩いたし、ランチでも食べよう。
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テイクアウトもできるような店のイートインで。
ペンネのボロネーゼソース、焼きナスやパプリカ。美味しかった。 -
同じ様な写真ばかりですが…
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結局、美しき村に認定されてる位だから、このメインストリートしかなくて。
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鍵がクロスしてる、何屋さんでしょう。
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出窓に聖母子の絵の装飾も。
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ここがベストポイントかな。
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鷲のマークも何屋さんかな。家紋的なものでもあるのかな。
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かなり目立つ建物。
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アイアンワークも美しい。
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民族衣装が飾ってあった。
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反対側にずっと歩いて行ってみると…
オーストリア、チロルだねぇ。 -
入れなかった小さな教会。アルプスの少女に出てくるセントバーナード的な犬。
やはり、これといって無いので戻ろう。 -
ホテル近くまで戻ってきた。入り口ないし、元教会。
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Kapuziner Kloster(Convento dei Cappuccini)
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Margarethenkirche (Chiesa di Santa Margherita )
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そうして再びメインストリートへ。
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鮮やかなグリーンの建物。お土産屋さんだった。
まだ先が長いし、荷物が重くなるので購入は控えた。 -
再び時計塔近くまで戻って来ると…
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通りに面したこの建物、教会よね。でもこちら側のドアは開かない。
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広場のほうに回り込んで見る。
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うわぁ!雰囲気ある扉。開けて入ってみると…
危うく見過ごすところだった教会。 -
Chiesa del Santo Spirito
なんて素晴らしいのでしょう。チェックしてなかっただけに儲けもんな感じ。 -
ヴィピテノの名の由来にも記しましたが、1400年頃、鉱山の開発により街が豊かにななった。中世には、この施設はもてなしの施設に属し、外国人や巡礼者に食事と宿泊施設を提供していた。
かつて病院教会だったものが、サント スピリト教会として、1399 年に建てられた。
現在、南チロル全土で最も保存状態の良いゴシック様式の教会の 1 つとして残っている。 -
有名なヴァル・プステリーア画派の父である巨匠ジョヴァンニ・ダ・ブルーニコによるカラフルな一連のフレスコ画は 1415 年に遡り、受胎告知、オリーブ山、ユダのキス、ピラトの前のキリスト、むち打ち、十字架運ぶキリストを表している。
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復活なども描かれている。西の壁には最後の審判が描かれている。長年にわたり、教会の内部は改修され、貴重なフレスコ画は他の絵画で覆われてしまった。それらは1939 年に修復工事の際に初めて明るみに出た。
中央祭壇の右側には、聖母子。 -
1984 年から 1989 年にかけて、教会は文化遺産保護のための州監督局の後援を受けてさらなる改修工事が行われた。このとき、その後の絵画からフレスコ画が取り除かれ、かつての栄光が完全に復元された。
中央祭壇の最上部、受胎告知でしょうか。 -
中央祭壇の左側。
エリザベツ訪問や十字架の道行でしょうか。 -
左側、祭壇寄りのフレスコ画。
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弟子のぺテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、オリーブ山上の祈りでしょうか。
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キリストの逮捕でしょうか。
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ピラトの前のキリストでしょうか。
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捕縛の下部に描かれているので、笞打ちですかね?
キリストの洗礼にも見えるけど? -
二番目のフレスコ画。
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マギの礼拝でしょうか。
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幼児虐殺でしょうか。
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天使たちもいきいき。
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側面のドアのところ。
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最後の審判ですね。上部は、聖霊降臨かな?
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左側は、天国なのかな?
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地獄でしょうか?怪物に食べられそう。
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色々な罪を犯した人々ということかしら。
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天井も美しい装飾。
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塗り重ねられたものを取り除き、もとのフレスコ画が復元されたのは、割と最近なのね。
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洗礼盤。
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単身廊の外側の壁に古くて美しいマリア様。
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通り沿いのルネットや壁のフレスコ画。
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お気に入り地点に戻ってから、ホテルに戻りましょう。
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ホテルまわりのお花。
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そして19:30頃、夕食に出かけた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったメインストリート。
ひと雨降ったせいもあるけど、日帰り客が多く泊まる人は少ないのでしょう。
Ristorante Lamm 地産のラヴィオリだったかな。 -
緯度が高いので、なかなか日が暮れない。これでも22時過ぎ。
マジックアワーを撮ろうと思ったけど、間がもたないのでホテルに帰ることに。
Buona notte☆ 明日はボルツァーノへ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- るなさん 2023/08/04 23:32:11
- 改めて...こりゃイタリアじゃないわ(笑)
- マリアンヌさん、ちゃお☆
えっ?ヴェローナって治安悪いの??イメージないな。
まぁイタリアの都市ともなればスリはあちこちにいるよね。ミラノやローマほどじゃないだろうけど...
私もキオストロは落ち着きます。回廊は大好物♪ふふ
考えてみれば今回は私たち同じ時期にヨーロッパにいたんだよね~
リアルタイムでやり取りしてて可笑しかったわ( *´艸`)
国こそ違えど、位置的にも近くだったよね。
泊まったホテル、ベッドメイキングがドイツっぽい。
ドイツってかけ布団を縦に畳んで置くんだよね。枕もなぜか真ん中をクシャっとさせてるところが多い。
ホントにここはイタリアらしくはないねぇ~綺麗だけど...ほぼほぼオーストリアだもんね。
建物とかフェローの看板とか、やっぱスイスかオーストリアか南ドイツって感じかな?
ヨーロッパは陸続きだし、国別というよりエリア(地方)別に雰囲気が変わるよね。言語も母国語オンリーだけじゃなかなか生活していけないそうで、多国語を話すヨーロッパ人にいつも感心させられる。ともすればうらやましい環境だわ。
私なんてこんな幼稚園児以下の英語でよく一人旅してると思うけどね(爆)
Chiesa del Santo Spirito、フレスコ画が渋い色味でいいね♪
るな
- マリアンヌさん からの返信 2023/08/06 11:44:25
- RE: 改めて...こりゃイタリアじゃないわ(笑)
- るなさん Ciao☆
えっ?ヴェローナって治安悪いの??イメージないな。
まぁイタリアの都市ともなればスリはあちこちにいるよね。ミラノやローマほどじゃないだろうけど...
☆宿の人は言ってたよ。前の晩、駅から往復した時ほとんど人が歩ってなかったな。でも何本も道があるからよくわからないけど。
私もキオストロは落ち着きます。回廊は大好物♪ふふ
☆ご一緒しませう(^_-)-☆
考えてみれば今回は私たち同じ時期にヨーロッパにいたんだよね?
リアルタイムでやり取りしてて可笑しかったわ( *´艸`)
国こそ違えど、位置的にも近くだったよね。
☆確かに!この頃、バイエルンとかコブレンツ?私は北イタリア、一番近くにいたよね。
SNSを楽しんだよね。
泊まったホテル、ベッドメイキングがドイツっぽい。
ドイツってかけ布団を縦に畳んで置くんだよね。枕もなぜか真ん中をクシャっとさせてるところが多い。
☆アッコちゃんもそう言ってたわ。
ホントにここはイタリアらしくはないねぇ?綺麗だけど...ほぼほぼオーストリアだもんね。
建物とかフェローの看板とか、やっぱスイスかオーストリアか南ドイツって感じかな?
☆でしょ?だから私のリストからあそこはイタリアじゃないからと後まわしになってきた!
ヨーロッパは陸続きだし、国別というよりエリア(地方)別に雰囲気が変わるよね。言語も母国語オンリーだけじゃなかなか生活していけないそうで、多国語を話すヨーロッパ人にいつも感心させられる。ともすればうらやましい環境だわ。
☆ホントだよね。普通に他国語が耳に入れば喋れるようになるよね、羨ましい。
るなさん、英語対応出来てるじゃん!私なんてちっとも聞こえない(涙)って勉強しろってか(^.^;
Chiesa del Santo Spirito、フレスコ画が渋い色味でいいね♪
☆あんきお!Andiamo(*^^*)
マリアンヌ
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