2023/07/02 - 2023/07/22
35位(同エリア283件中)
マリアンヌさん
- マリアンヌさんTOP
- 旅行記278冊
- クチコミ25件
- Q&A回答1件
- 244,649アクセス
- フォロワー131人
前日に予約したタクシーが宿の前に迎えに来て、荷物を乗せてチロル城へ。当初予定に入れ損ねたものの諦め切れず、急遽行くことに。午後は、ボルツァーノからバスで美しき村のひとつカステルロットへ。
7/3 ヴェローナ
7/4 ヴェローナ
7/5 ボルゲット,ヴェローナ
7/6 ヴィピテノ
7/7 キウーザ,ボルツァーノ
7/8 チロル城,カステルロット
7/9 トレント
7/10 サン・ロレンツォ・イン・バナーレ,トレント
7/11 トレヴィーゾ
7/12 アーゾロ,バッサーノ・デル・グラッパ
7/13 ヴィチェンツァ
7/14 サン・ボニファッチョ,ヴィチェンツァ
7/15 ガルドーネ・リヴィエラ,デゼンツァーノ・デル・ガルダ
7/16 コモ
7/17 ベッラッジョ,メナッジョ
7/18 トレメッツォ,レンノ,ベッラッジョ
7/19 ヴァレンナ,ベッラーノ
7/20 ミラノ
PR
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前の晩に予約したタクシーが時間前の8:20には来てくれて出発。
チロル城(Castel Tirolo)へ。 -
眼下に教会、いい景色。
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急遽行くことにして、さらに交通渋滞もなくスムーズに着いたので開館時間まで30分以上ある(汗)
まあ、たまには絶景でも眺めてのんびりするかと… -
チロル城 HPより
「城はさまざまな建設段階を経て建てられ、9 世紀を経て現在の外観になりました。
最初の複合施設は 11 世紀に建設され、12 世紀には南宮殿が再建され、13 世紀には増築および拡張されました。とりわけ19世紀と20世紀には決定的な変化があった。ハイライトは、ロンゴバルドの石工によって作られたロマネスク様式の門です。」 -
チロル家って?wikiより
「オットー1世の戴冠以来イタリア遠征が典礼として定着した10世紀以降、レッシェン峠やブレンナー峠があってアルプス山脈縦貫の要となっていたチロルは、歴代の神聖ローマ皇帝の寄進によって聖界諸侯の領土へと徐々に組み込まれ、世俗権力から切り離されていった。
しかし膨大する領土を維持しかねた聖界諸侯は封土として世俗諸侯に領土を分配し、1096年にはチロル家の祖にあたるアルベルト1世が、ボルツァーノ県西部のフィンシュガウ伯領の統治をトレント司教から任された。
12世紀半ばには、アルベルト1世の息子であるアルベルト2世とベルトルト1世の統治下でチロル城の改修が行われ、勢力を拡大していく中で名がチロル伯へと改められて、13世紀にはトレント司教を中心にレッシェン・ブレンナー両峠以南を治めるようになった。」 -
このときのチロルは、イン川流域である北チロルとボルツァーノ県東部のプステリア渓谷を治めるアンデクス伯、南チロルの多くを治めるチロル伯によってほとんど二分されていたが、1248年にアンデクス伯家の男系が断絶すると、娘のエリーザベトを同家に嫁がせていたチロル伯アルベルト3世がその領土を併合してチロル伯領は概ね現在の形となり、結果この領域がチロル伯領として定着した。
しかし、アルベルト3世自身にも男子がなく、1253年にアルベルト3世が亡くなるとチロル家は断絶した。 -
チロルに因んでゲルツ家って?wikiより
「ゲルツ家は、イタリア、フリウリ地方のゴリツィアを12世紀から1500年まで治めたゲルツ伯の称号を持つ一族で、プステリア渓谷とルルンガウ(現在の東チロル)にも領土を有していた。
アルベルト3世の死後、チロル伯領北側のイン川流域はアルベルト3世の長女エリーザベトの夫でバイエルン公国系貴族のヒルシュベルク伯が獲得し、それ以外の地域は次女アーデルハイトの夫であったゲルツ伯マインハルト1世の所領となった。
その息子であるマインハルト2世は1271年にそれまで共同統治していた弟のアルベルト2世とチロル=ゲルツ伯領を分割して単独のチロル伯となり、チロル伯領の統一に動いた。そしてハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝ルドルフ1世を一貫して支援し、その恩賞として1286年には両司教同様に宗主であったバイエルン公国から完全に切り離され、チロル伯を帝国諸邦へと昇格させ、マインハルト2世自身もケルンテン公位を与えられた。
その後、統治者の早世など経て弱体化し、バイエルン公国からの再介入を受けた。
さらに跡継ぎに男子がなく、1330年にはルクセンブルク家のボヘミア王子ヨハン・ハインリヒとの婚姻しつつ、女系相続して1335年マルガレーテはチロル女伯となった。」 -
「しかし17歳という若さの女性君主の体制は脆弱なものだったので、マルガレーテの婚約を自家ヴィッテルスバッハ家と行うことを想定して承認を出した神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世とチロルへの関心が高かったハプスブルク家のアルブレヒト2世からの干渉を受け、チロル=ゲルツ伯領は南チロルの一部を残して北チロルはヴィッテルスバッハ家領だったバイエルン公国に、南チロルの大部分とケルンテン公国はハプスブルク家に併合された。
そして結婚当初から折り合いの悪かったヨハン・ハインリヒをマルガレーテは1341年にチロル伯領から追放し、翌1342年には婚姻の無効を主張して皇帝ルートヴィヒ4世の息子ルートヴィヒ5世と再婚した。」wikより -
「マルガレーテとチロル伯領を巡る混乱は、再婚の件は婚姻を秘跡として司っていたローマ教皇庁と教皇クレメンス6世の怒りを買ったり、ルクセンブルク家からの何度もの出兵など続いたよう。
マルガレーテとルートヴィヒ5世の子のうち、無事に成長した唯一の子マインハルト3世に、長年夫婦の立場を擁護してきたハプスブルク家はオーストリア公アルブレヒト2世の後継者であるルドルフ4世の妹マルガレーテ・フォン・エスターライヒを嫁がせ、さらにマインハルト3世の男系子孫が絶えた場合にチロル伯位をハプスブルク家に委譲することを取り決めさせた。
そして1363年にマインハルト3世が不慮の死を遂げるとハプスブルク家が掌握、翌1364年に皇帝カール4世がチロル伯位の委譲を承認し、同年にマルガレーテがチロル女伯を退位したことでチロル伯はゲルツ家からハプスブルク家のルドルフ4世へと渡った。マルガレーテはその後ウィーンに蟄居させられ、1369年に亡くなった。」wikiより -
チロルに因んでハプスブルク家って?wikiより
「ルドルフ4世が亡くなるとその後のハプスブルク家は統制を欠いて家内騒動が続発しチロル伯はスイスの所領と共にオーストリア公フリードリヒ4世が継承した。
その後、フリードリヒ4世の子ジギスムントは隣接するフォアアールベルクのブレゲンツ伯を併合するなど勢力を拡大し、チロル統治の拠点をインスブルックに定めて後に州都となる礎を築いた。しかし、晩年は度を超えた散財しチロル伯領をバイエルン公への抵当に入れるなどしてチロル伯位のハプスブルク家からの逸失の危機を招いたため、1487年にジギスムントはチロル伯位を廃され、1490年には他のハプスブルク家領を統一していた皇帝フリードリヒ3世の子マクシミリアン1世がチロル伯としてインスブルックに入った。
マクシミリアン1世はチロルの豊かな鉱産資源を財源に経済を改革し、バイエルン公への借金を完済し、1500年には男系が断絶したゲルツ家の領土を併合し、東チロルがチロル伯領へと組み込まれて現在のチロルの概念が完成した。」 -
10時開館一番乗りで入城。
ローマ時代の遺跡の上に建てられた初期キリスト教会の後陣。
ロベセナの墓石という洗礼用のローブを着て埋葬された幼少期に亡くなった少女の墓石もあった。彼女が高位の家族の出身であることを示唆していて、おそらくランゴバルド人またはバジュワール人(バイエルン人)の支配者の娘だったとのこと。 -
わぁ素晴らしい、これが見たくて来ました!
ロマネスク様式のポータル。 -
タンパンには、不思議な天使像。(ネットのとある記載からガブリエル?と書きましたが間違いです)
クリスさんに教えて頂きました。まずこの教会は私的チャペルで会議室への入り口にあるポータルであること。パヴィアの天使はドラゴンを踏みつけミケーレと確認出来るがこちらは無い。ラファエル、ガブリエルというような守護聖人でない像を彫った根拠もないということ。現状では、正体不明な天使像だそう。 -
ヴジュール(タンパン回りのアーチ装飾)は組紐的。
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ドラゴンでしょうか、羽あるもんね。
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中央に獅子の谷のダニエル。
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こちらも不思議な生き物。
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ポータルの右側。
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ライオン君ですか?
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ポータルの左側。
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羊さんですか?
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カップルですか?
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HPにパヴィアのサン・ミケーレ教会のファサードのレリーフとの比較が何度も繰り返されました。とあったのですが・・・
以前訪れたパヴィアのサン・ミケーレ教会の北側の扉。
確かにタンパンの天使、ポータル脇の彫刻、類似性を感じる。 -
こちらは、パヴィアのサン・ミケーレ教会のファサード。
かなり劣化、風化してるが、確かに動物のレリーフに類似性を感じる。
と書きましたが、比較が何度もされたのは、ポータルの天使のことだったと教えていただきました。 -
その後チロル伯は代々ハプスブルク家が世襲し、チロル伯領は高い忠誠心と勇猛な軍隊で知られるようになる。
オスマン帝国やイタリア諸国との戦争を主として活躍し、スペイン継承戦争中の1703年には、バイエルン選帝侯が進軍して北チロルのクフシュタインを陥落させ、インスブルックを無血開城させたのに対し、オーストリア本軍が撤退した後もチロルの義勇軍は戦闘を続けた。
イン川流域では領民が蜂起して占領軍を撃退してインスブルックを奪回し、ブレンナー峠では南チロルの義勇軍がフランス・バイエルン連合軍を阻んだ。
こうした領民の功績に対し、翌1704年にレオポルト1世は、権限が軽視されて廃れつつあった等族議会をチロル伯領でのみ召集して応えるなど、チロル伯領の領民に対してハプスブルク家の君主は格別の対応をとっていた。 -
その後第一次、第二次オーストリア戦役の領邦を守り抜いた領民の功績を称え、オーストリア皇帝フランツ1世は、チロル伯領がオーストリア帝国に属することと、今後チロル伯領を他国に割譲しないことを約束した。
そして大戦で疲弊したオーストリア=ハンガリー帝国が1918年に瓦解し始めるとチロル伯領を含む帝国のドイツ人地域がドイツ=オーストリアの国家成立を宣言し、チロル伯の称号は実体を失った。
そしてカール1世がドイツ=オーストリア政府に対して所領の全てを放棄したことで、チロル伯の称号はオーストリア皇帝号とともに公的性格を喪失した。
未回収のイタリアとしてイタリアがロンドン条約で請求していた南チロルは1919年サン・ジェルマン条約で割譲され、チロル伯領は領域としての一体性さえ喪失した。 -
騎士の間へ。
チロル伯爵が客人を迎え、裁判を行い祝宴を開き食事をとった場所の柱頭。
ロンゴバルト伝統からその形式を取り入れているとのこと。
伝承や神話における伝説上の生物であるドラゴン。 -
より深い意味を伝える図像的なプログラムがあり、部屋自体がサエクリの海、つまり高潔な人生さえも難破させる恐れのある「世界の海」になるということらしい。
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イチオシ
礼拝堂のポータル。
か、可愛い!
タンパンにはキリストの十字架降下 アリマタヤのヨセフが手から釘を抜き、ニコデモが降ろしているらしい。 -
ヴジュールは、中央に神の手。
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左側にりんごを食べる二匹の猿、悪人を地獄に突き落とす悪魔。
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右側は組紐模様の横にバシリスク(半分が雄鶏で半分が蛇で反キリストの象徴)が野ウサギを打っている。野ウサギは簡単に悪の象徴であるバジリスクの餌食になる、つまり弱きクリスチャン。その下は孔雀らしい。
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ポータルの右側。
一番上は、悪の象徴としてのライオンらしい。
一番下は、 天の鷲が火を吐くドラゴンをやっつけている図らしい。 -
真ん中は、黙示録の龍。
一本の角といくつかの頭を持つドラゴンg(口と尻尾にある)顎で二人の人間を食べている。 -
ポータルの左側。
ライオンに食われた羊を助けるダヴィデらしい。
その下はアダムとイブ。その下にケンタウロス。 -
公式HPから
ドア枠の周りのツタは永遠の植物とみなされ、永続的な記憶を保証します。チロル城の門は、保存状態が優れているため、アルプス地域だけでなく特別な特徴であると考えられています。。 -
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天使の手に本が。
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ロマネスクの扉をくぐると、下の礼拝堂(Cappella inferiore)へ。
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1138年頃にチロル城が再建されたときに作られた礼拝堂で、聖パンクラティウス(San Pancrazio)に奉げられたそう。
聖パンクラティスとは、古代ローマで殉教した少年で、「宣誓」「誓うこと」を守護する聖人とのこと。 -
左側に磔刑図。
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アーチの上に神の子羊、四福音書記者のシンボルで鷲、ライオン、牛、人。
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アーチ部分にもフレスコ画が残る。
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祭壇奥の壁にも1330年~40年のフレスコ画。
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中央部分。
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聖母戴冠のステンドグラス。13世紀
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拡大して。チロル最古の中世のステンドグラスらしい。
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窓の壁にも。
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そして別棟へ。歴史博物館にもなっている。
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フランツ・ヨーゼフ1世ですかね。
オーストリアのハプスブルク帝国の紋章。下に「インスブルック」と書かれている。 -
城の窓から。
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城というか要塞を感じる。
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キッズのコスプレコーナーもある。可愛い騎士。
撮ってもいいですか?との問にご両親が笑顔でいいよと。 -
窓から良い景色。
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城らしい木組みの通路を行くと博物館スペースへと続く。
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HPから
1484年、教皇インノケンティウス8世は、魔女迫害の法的根拠となった魔術に対する教皇勅書を発表した。ハインリヒ・クラマーの著書『魔女の鉄槌』は 3 年後に出版されました。チロルで最後に斬首され火刑に処された魔女は1722年だった。
小規模な犯罪に対する刑罰は、例えば「恥のマスク」の着用を強制されるなど、公の場で屈辱を与えられた。 -
そして上の礼拝堂へ。HPから
1285 年頃、統治者マインハルト 2 世は、既存の 1 階建ての礼拝堂の上に 2 階を建設し、統治者専用の高台エリアを作りました。この教会は、慈善の守護聖人であり、チロル伯爵の遠い親戚であるチューリンゲンのエリザベート (1207-1231) (ハンガリーのエリザベートとしても知られています) の祝日に奉献されました。 -
かなりよい状態でフレスコ画が残っている。
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HPより
礼拝堂は 2 階建て礼拝堂に改築され、支配者たちに独立した礼拝の場が与えられるようになり、1285 年頃に統治者マインハルト 2 世の統治下で行われました。守護聖人の祝日と教会の創立を記念する祭りは何世紀にもわたって維持され続けました。 -
こちらの窓まわりもいい感じ。
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磔刑図。
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HPから
アルプス地域に現存する最古の翼のある祭壇画は、1370 年頃にレオポルト 3 世とアルベール 3 世兄弟によって寄贈され、ウィーンで制作されました。
オリジナルは 1938 年以来、インスブルックのチロル州立博物館フェルディナンデウムに保管されているそう。受胎告知、キリストの誕生、東方三博士の礼拝、聖母の死など、聖母マリアの生涯の 6 つの場面が描かれている。 -
チロルについて調べてみて、改めて欧州の文化、地域性を感じた。国という仕切りに属してもその土地に住む人々には、それぞれ歴史や文化があって、それは揺るぎないものだと思う。トレンティーノ=アルト・アディジェ州はイタリアじゃないと思ってきた私、それは当たり前だったんですね。この地域の方々は現在もチロルを誇りに生きている。
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聖クリストファーでしょうか。
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窓から一番はじめに入ったポータルへの階段が見える。
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磔刑のキリスト、右にヨハネ。1330年(1972年修復)
HPから
大きな磔刑の修復で像の頭から、地元で鋳造された小さなコイン(メラーノ産の「ツェーナー」と「ベルナー」、どちらも13世紀後半のもの)が発見された。 。彫刻家が作品が無事に完成したことへの感謝の気持ちを込めて入れた小さな賽銭。地元の伝説によれば、各統治者が死ぬと十字架の一部が落ちるという。この「奇跡の十字架」(奇跡の十字架)は、巡礼者や礼拝堂を訪れる人々によって何世紀にもわたって朽ち果てながらも聖遺物として崇められてきました。 -
古を感じる出入り口。
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ちょっと無理して来た甲斐があった!
待ってもらっていたタクシーでボルツァーノのバスターミナルへ。 -
当日しか買えないというチケットを購入して(前日あらかじめ購入しようとしたらダメでした)
ボルツァーノ発13:10 カステルロット着13:57
バスの車窓から停車した街、この教会の鐘楼の形ってお勤め時代、クレディ・スイスから頂いたダイアリーの写真に載ってた風景みたい。 -
バスの車窓からおらくシウジのSt. Valentin Church。
クリスさんに教えていただきました。教会、当たっていたようです。残念ながら訪れることは出来なかったけど中には美しいフレスコ画があるそうです。 -
美しき村のひとつカステルロットに到着。
バス停から7分くらい今日のお宿Hotel Alpenroyal -
ドイツ文化圏らしい近代的、清潔なお部屋。水回りもシャワーが途中で水になることもなく安心だった。
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カステルロットという名の由来は、この地名は 10 世紀に初めてラテン語の「壊れて荒廃した城」という意味のCastellum Ruptumとして現れたとのこと。おそらく ローマ時代にまで遡るのではと。
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水飲み場の緑、暑さ凌ぎにありがたい
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村のHPから
中心部にある古い家々は壮麗な マナーハウスで、この村が単なる農民が所有する村ではなく、裕福な領主の邸宅であったことを物語っている。 -
Campanile di Castelrotto
1753 年の壊滅的な火災により教会、塔が甚大な被害を受けた。この新しい鐘楼は、
1780 年に完成した。
1750 年頃、鐘楼の前には公衆の面前での屈辱による懲罰に使用されたさらし台がまだあったそう。火災で焼失したとき、「悪人や邪悪な人々を怖がらせるために」最初に再建されたのだという。 -
鐘楼の下部に扉があり、開けてみると・・・
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内部はバロックかな。
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Pfarrei Kastelruth
広場にある教会。小さいと思ったら、内部はとても広くて驚いた。
鐘楼から分離された今日の教会が建てられるようになったのは 1849 年になってからだった。古い教会は取り壊され、塔と教会の間にできたスペースは新しい村の広場 (クラウスプラッツ)、つまりカステルロットの中心となった。 -
中央祭壇と美しいステンドグラス。
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こちらのステンドグラスもきれいだった。
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村のチェントロ、Piazza Kraus(クラウスプラッツ)
噴水(水飲み場?)の水は飲めるようでサイクリストが喉を潤していた。 -
とあるホテルのHPによると、中世、有名な吟遊詩人オズワルド フォン ヴォルケンシュタイン (1377 ~ 1445 年) などの貴族の地主も暮らしていたが、住民は貧しい農民で、自由生まれであることを誇りに思ってたという。
16-18世紀この地域の主要な村となり、農民以外の商人や実業家の数も大幅に増え始めた。広大な耕地を耕す農夫と、建設業者、仕立て屋、製粉業者など増える一方、人口の大部分、特に周辺地域では、劣悪な環境で暮らしていた。
1854 年にシウージ近くの有名な温泉バートラッツの所有者が浴場を作るなど観光が始まったそう。 -
1887 年までは、カステルロットと「外」の世界を結ぶ細い道しかなかった。最初の道路が建設され、ポンテ ガルデーナ - カステルロット - シウージ線に毎日の馬便が設置されたのは 1887 年のことだった。「よそ者」たちは高原の美しさを発見し始め、休暇先としての名声はヨーロッパ中に広がり始め、1905 年にはザクセン王もここを訪れたそう。
第一次世界大戦と第二次世界大戦、そして深刻な経済不況により、カステルロットの観光業の力強い発展は突然中断されたものの、道路やケーブルカーの完成、モータリゼ-ションの進展によりアルプスで最も重要な観光地の 1 つに発展した。 -
インフォメーションでこの写真の場所に行きたいのですが?と訪ねて広場から坂道を上がる。
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少し高台に上がってきた。良い景色。
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眼下に教会も見える。こちらの鐘楼はとんがり帽子だね。
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ドロミティをバックに風見鶏。
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この景色に会いたかった。
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ドロミティをバックに鐘楼が映える。
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広場に戻ってきた。白い建物は市役所のよう。
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こちらは1326年創業ホテルのよう。
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この建物にも聖母子が描かれている。
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いろいろなフレスコ画が楽しい。
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小さな村、あっという間に一回り。
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それでは、今晩お世話になるホテルの隣にリフトが見えたので行ってみます。
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ここにリフトがあることは、事前にはわからなかったんだけど、乗ってみましょ。
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ドロミティの一角、サッス・リガイス(Sass Rigais)ではないかと。
スマホを落とさないよう気をつけながら、体をひねってパチリ(汗) -
こちらもリフトに揺られながらパチリ。
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終点のアルプスの小屋「マリンツェンアルム」に到着。
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サッソ・ピアットではないかと?
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カウベルが響いて、アルプスの少女ハイジ状態。
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ハイキングを楽しむ方も多い。
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牛さんに近づいてみた。
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池に木々が映る。
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小さな花も咲いていた。
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下からアルプスの小屋「マリンツェンアルム」を望む。
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この日もとても暑くて標高が高いとはいえ、日影を求めて佇んでしまう。
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小さなお子さんむけのふれあい動物園も。仔山羊?可愛い。
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気持ち良い天気で良かった。
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ビールでも飲めればいいのだけど、コーラで一休み。
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さあ、村に戻ります。
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リフトを降りて水を買おうと店を探したらすぐ近くにスーパーがあった。とても綺麗な店内、品揃え、客層にこのあたりの住民の豊かさを感じた。
かなり混雑していた店内、水とお菓子を持ってレジに並んでいたら、御婦人が貴方、それだけなら先にどうぞと譲って下さった、心も豊かでした。 -
ホテルには室内と外にプール、サウナもあった。水着持って来てないし、入らなかったけど。
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チェックイン時、村にあまりお店がなさそうだったので、夕食を予約した。
サラダはバイキングだったのだが、フルコースであまり沢山食べれないと話したら、ホントにかなり少なめにしてくれた。 -
やっぱり食後の散歩、行ってみましょ。
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半日の滞在だったけど、美しき村だったなぁ。
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結局、カフェも閉店してるし、チェントロに行って帰ってきた。
明日は、トレントへ向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- mistralさん 2023/08/10 15:25:44
- チロル城
- マリアンヌさん
続いてのチロル城のロマネスクも楽しかったです。
集落を構成している民家の様子、背後に聳える山々の景観など
確かにチロル地方に特徴的な佇まいと思いましたが
チロル城内部の私的チャペルなどにはロマネスクの装飾がびっしり。
これだけあったら、1日あっても楽しめそうですね。
もっとも私の場合、同行者に、もういい加減にしてとのクレームがでそうです。
タンパンまわりのアーチ周辺の装飾、もはや枠には収まらないからと
最初から枠など造らずにのびのびと自由なサイズで設置してあって
だからこそ、さまざまな生き物が自由にうごめいている!
なんてのびのびと楽しげなんでしょう。
騎士の間、大きな三角形に彫られた柱頭彫刻もなんだか愉快で。
拝見していると、やはりロマネスクって良いなあと思います。
mistral
- マリアンヌさん からの返信 2023/08/13 09:27:14
- RE: チロル城
- mistralさん
いつもコメントいただき、ありがとうございます。
チロル城のロマネスク、楽しいですよね。tapiocaさんが以前、行かれていて、ずっと気になっていたんです。ただ今回の旅行はざっくり予定を立てて、北イタリアには行きやすいロマネスクがなかなか探せず、チロルを忘れていたんです。
途中で気づいて何とかタクシーで行ったのですが、行けて本当に良かったです。
チロル城内部の私的チャペルなどにはロマネスクの装飾がびっしり。
これだけあったら、1日あっても楽しめそうですね。
もっとも私の場合、同行者に、もういい加減にしてとのクレームがでそうです。
☆ホント、そうなんです。私も同行者がいたらそう言われそうです(笑)
タンパンまわりのアーチ周辺の装飾、もはや枠には収まらないからと
最初から枠など造らずにのびのびと自由なサイズで設置してあって
だからこそ、さまざまな生き物が自由にうごめいている!
なんてのびのびと楽しげなんでしょう。
☆いつまでたってもミーハーの域を出ず、知識が無い私ですが、ロマネスクって魅力的ですよね。当時の人たちがどんなことを思ってユニークな彫像を作ったのかなと想像して頬が緩みっぱなしでした。
マリアンヌ
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- クリスさん 2023/08/10 09:12:03
- タンパンには、大天使ガブリエルらしい?
- チロルの本領であるお城はお気に召した模様ですね。よかった!
さて、「タンパンには、大天使ガブリエルらしい?」ですが、ガブリエル説はどこかに記載ありました?
実はこの天使らしきレリーフは正体不明なのです。まずこの教会はお城の私的チャペルです。またこのタンパンはお城の会議室への入口にあるポータルで普通の教会のポータルではないので、構図上教会の形式に捉われない、いわば自由な構図で作られている物である事。
パヴィアのサン・ミケールとの類似はこの天使像にあるのです。パヴィアのタンパンにいる天使像、更に上部にはサン・ミケールが彫られていいてドラゴンを踏みつけている事からそれとはっきりわかりますが、その下のタンパンの天使像は杖も持ち立っていますが持ち物のそれからはサン・ミケールと断定出来(上にあるのに下は何?)ていません。
杖をもつ立像としてはチロル城のこのタンパンとパヴィア以外に類似が見当たらない。
ラファエル、ガブリエル(守護聖人でもない像を彫った根拠も見当たりません)とも断定出来かねるので天使としか表記がないのです。一説では父なる神との説もあるようですが、教義上では手のみ、光を示す形のみが決まりでしたから私的チャペルで勝手に描いちゃった説も出てきてしまうのでしょう。本当なら異端になってしまいますね。
現状では正体不明、天使像としか表記しようがない摩訶不思議なレリーフです。
PS.シウージ近郊のサン・ヴァレンタイン教会正しいですよ。この教会ゴシックですが14,5世紀の美しいフレスコ画があります。観光地(スキー場やハイキングコース)としてはカステルロットよりシウージの方がメジャーですけれど。
- マリアンヌさん からの返信 2023/08/10 10:39:22
- RE: タンパンには、大天使ガブリエルらしい?
- クリスさん いつも教えていただき、ありがとうございます。
ガブリエル説はネットのとある方の記載を見つけて?と記載してしまいました。
チロル城のHPのパヴィアのサン・ミケーレとの類似とは、その点だったのですね。
こういった動物、怪物のレリーフのことかと思いました。
ポータルの天使について詳しく教えていただき、腑に落ちました。
それほど多くの教会を知る私ではありませんが、パヴィアでいくつか見た天使のポータルはとても印象的でした。
何はさておき、チロル城のポータルを実際に見れて幸せでした。
シウージの教会もありがとうございます。走行中たまたま撮れてGoogle Mapで検索してました(汗)観光地としてはこのあたりのほうが有名なんですね。
マリアンヌ
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