
2023/03/14 - 2023/03/14
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kojikojiさん
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ツアー3日目はホテルで朝食を済ませた後は全員集合して、「サクラマチクマモト」の奥にあるバスターミナルまで荷物を持って移動します。ここでコインロッカーに荷物を預けた後はフリータイムになり、各自熊本市内を観光して、空港までリムジンバスで移動することになります。大型のコインロッカーが数少ないことは初日の晩に確認していたので、1人で先回りしてコインロッカーに大型のキャリーバックを預け入れすることにします。ロッカーはキーの無い画面操作のタイプなので、1人1人順番に預け入れしなければなりません。30分ほど先にホテルを出て、「資さんうどん」でぼた餅を買って荷物を預け、妻が同行している添乗員さんたちの到着を待ちます。案の定時間がかかるので、崎に「熊本城」へ先回りしました。「熊本城」の見学の入場料はツアーに含まれていて、添乗員さんからチケットを受け取らなければなりません。チケットを受け取った後は自由行動で場内を見学しました。熊本地震での被害についてはテレビのニュースで見たくらいしか知識がありませんでしたが、崩れ落ちた石垣がそのままになっている姿はあまりに無残で、地震の規模の大きさを改めて感じました。場内には仮設の高架の歩道が出来上がっていて、天守は見学が出来るように修復されていました。係りの方に尋ねると最上階までエレベーターが設置されているということなので妻も見学することが出来ました。前回母と妻と3人で九州を旅した際は阿蘇から熊本市内を通過して長崎へ向かってしまったので、ここへ来るのは初めてでした。前日のバスガイドさんが見学にあたって、詳しくバスの中で説明してくれたのが勉強になりました。加藤清正が中世城郭を取り込み改築した城は、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城となり、明治時代には西南戦争の戦場となったことなど、見学前に知っておけてよかったと思いました。天気も良くまだ桜の残っていた「熊本城」は観光するには最高の日でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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ツアーも最終日です。ホテルの朝ごはんの内容は前日と変わりませんが、この日も熊本の名物料理をいただきました。
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朝食の後は午後8時30分にホテルを出て、荷物を持って「サクラマチクマモト」の奥にあるバスターミナルのコインロッカーへ荷物を預けることになっていました。初日の晩に場所やコインロッカーの台数は確認してあったので、少し先にホテルを出て、「資さんうどん」に立ち寄って、ぼた餅を3パック買って2つは友人へのお土産にします。
サンロード新市街 市場・商店街
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「サクラマチクマモト」は2019年に出来たばかりの新しい商業施設で、グーグルマップで見るとまだ工事中の映像のままでした。
熊本桜町バスターミナル 乗り物
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コインロッカーの大型のものは数が少ないので、30人以上が預けたらいっぱいになってしまう恐れがあります。中央の画面でした手続きが出来ないタイプなので、かなり時間がかかりそうです。何より年寄りばかりのツアーですから、手順も分からない人ばかりです。
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荷物を預けた後は添乗員さんたちと一緒に来る妻を待ちます。といっても預けた後に「熊本城」の入り口までは一緒でないと入場券がもらえません。
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なかなか来ないので、「サンロード新市街」のアーケードの前で、市電の写真を撮っていました。今回は時間が無くて乗ることが出来なかったのが残念です。
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熊本市内の交通機関としては明治末期より大日本軌道が運行されていましたが、蒸気軌道のため評判はよくなかったようです。市民から電車化の要望が出てくるようになり、市当局では大正6年の1917年に「電車期成会」を結成します。計画は世界的な不況により一度はとん挫しますが、最終的に市営化の方針となり、軌道特許敷設権は熊本市へ譲渡されます。
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工事は2期に分けて進められ、大正13年の1924年に1期、2期工事は昭和10年の1935年の熊本大博覧会の開催に間に合わせて開業しています。小w阿20年の1945年の熊本空襲の際には全面不通になっています。
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NHKの「美の壺/市電」では熊本地震の後に4日で復旧させたということを知りました。車両にもいろいろ種類があり、型式1000番台の車両は現在在籍する54両中22両を占め、いずれも使用年数60年を超えるものだそうです。
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ようやく妻たちツアーのメンバーがぞろぞろやってきました。コインロッカーの前では我先に荷物を入れますが、画面の手続きが出来ずに時間がかかりそうです。添乗員さんに断りを入れて、先に「熊本城」の入口へ向かうことにします。
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「御幸橋」に向かうと橋の南詰に「加藤清正公像」がありました。昨日までのバスガイドさんから熊本などでは現代でも「清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)」と呼ばれて親しまれていると聞いていました。これは新田開発や治水工事で実績を上げたことによるところが大きいそうです。
加藤清正公像 名所・史跡
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豊臣秀吉の子飼いの家臣で賤ヶ岳の七本槍の1人としても有名です。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となります。文禄の役の際の京城攻めでは、出世を競う小西行長と一番乗りを争いました。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になります。
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年配の男性からシャッターを押してくれるように頼まれたので、我々の写真も撮ってもらいました。コロナ禍の最中は写真を撮ってと頼まれることは皆無で、こちらから声を掛けても「大丈夫です。」なんて言われる始末でした。こんなことからもコロナ前の日常に戻ってきれいるなと感じます。
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橋を渡って少し進むと「西南の役回顧の碑」がありました。西南の役は西南戦争のことで、明治10年の1877年1月29日から9月24日に現在の熊本県と宮崎県、大分県と鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱のことです。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦とされます。「歩すれば到るところ彼我将兵勇士奮戦流血の地ならぬはない」往時を回顧されたとあります。
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来ている洋服とシルエットが似ているので記念写真を撮りました。熊本に滞在中に本物のくまモンとは会うことはありませんでした。
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遅れてきた添乗員さんチームと合流して「熊本城」の天守の見学に向かいます。熊本城では熊本地震で被害を受けた天守閣全体の復旧が完了し、令和3年4月26日から全面リニューアルした展示と、最上階からの眺めを楽しめるようになっていました。
熊本城 桜の馬場 桜の小路 市場・商店街
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入り口で添乗員さんがチケットを購入して、それが配られるとフリータイムになります。後は各自で熊本市内を見学して昼過ぎに熊本空港で帰りの航空券を受け取るという流れになります。
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入り口から入場すると仮設の高架になった遊歩道が整備されていました。見学は地面を歩くのではなく、この木道の上からになります。勝手に歩くとまだ危険な場所のあるからだと思います。
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最初に見えてくるのが「数寄屋丸二階御広間」の建物で、基礎の部分が石垣とともに崩れ落ちています。天守は修復されていますが、それ以外の建物や石垣はまだ手が入っていないことに驚きます。
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その先には店主が美しい姿を見せてくれました。熊本の人にとっては復興のシンボルなのだと感じます。訪問した3月13日は通常であれば桜の季節ではありませんが、今年は桜が早いのできれいに咲いているものもありました。
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「熊本城」は加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城となります。明治時代には西南戦争の戦場となり、大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失します。 宇土櫓を始めとする櫓・城門・塀が現存し、13棟が国の重要文化財に指定されています。
熊本城 名所・史跡
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天守は1960年に鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は「熊本市立熊本博物館分館」となっています。
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周囲を見渡すと崩れ落ちた石垣の多くは野ざらしのままで、崩落が進まないように土留めのシートがかけられた姿が痛々しいです。石垣の修復は1平方メートル当たり150万円かかると見込まれていて、総修復費用に約354億円を要する試算が出されています。それ以外の建物の復旧や修復の費用を加えると莫大な金額になることでしょう。
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驚くことに全く被害を受けていないように見える高い石垣もあります。これは積み方からも穴太衆(あのうしゅう)の手によるものではないだろうかと思いました。穴太衆(あのうしゅう)は織豊時代(安土桃山時代)に活躍した現在の滋賀県の琵琶湖の西、比叡山のふもとにある穴太の石工の集団のことです。清正公石垣と呼ばれる見事な石垣群の下方は緩やかな傾斜で上部になるに従い覆いかぶさってくるような傾斜の「武者返し」 の石垣は美しいです。
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「本丸御殿」は2つの石垣を跨ぐように建っているため、地下通路を有する特異な構造となっています。その地下通路は昼間も暗いことから「闇がり通路」と呼ばれています。「闇がり通路」の入り口は「闇がり御門」と呼ばれます。
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熊本城築城400年を記念して平成20年に絢爛豪華な熊本城の本丸御殿が復元されていますが、このような立派な木材はどこから調達したのでしょうか。梁に使われた直径1メートルほどの松の無垢材が連なる様は見事です。
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「熊本城」は「銀杏城」とも呼ばれ、加藤清正が熊本城築城の際に城内に銀杏の木を多数植えたことが由来となっています。銀杏の木を植えたのは、籠城戦になった際の食料確保のためというのも1つの理由だったそうです。
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この銀杏の木を加藤清正が植えた際に「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、この城で兵乱が起こるだろう。」とつぶやいた言い伝えがあるそうです。実際に西南戦争で「熊本城」が戦場になった時、この銀杏の木は天守とほぼ同じ高さになっていたということです。その銀杏も現在は1本を残すだけのようです。
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天守は連結式望楼型で大天守は3重6階地下1階で「一の天守」と呼ばれます。小天守は3重4階地下1階で「二の天守」とも呼ばれ、城主夫人のための「御上(おうえ)」という建物に当たります。
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朝1番で入場しているので見学する人の数もまだ少ないようです。快晴の青空に店主が映えます。特に城好きというわけではないのですが、ツアーで旅をするとコースに含まれていることが多く、いつのまにか各地の城巡りをしたような気分です。
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「熊本城」の天守閣の特徴は4面に配した千鳥破風(ちどりはふ)と最上階の南北につくられた唐破風(からはふ)と呼ばれる建築様式です。「御鉄砲御間」や「御具足之御間」、「御矢之御間」など戦いの道具にちなんだ部屋名がつけられており、江戸時代には武具などが納められていました。
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小天守の石垣の上には忍び返しと呼ばれる敵の侵入を防ぐ鉄串が設置されるなど、細かなところに戦に備えた仕掛けがありました。それらを探して見るのも、熊本城の楽しみ方の1つです。
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右側は加藤清正が用いた家紋の1つの「蛇の目」です。主に甲冑に用いられたとされ、名前の通りヘビの目に似ていることがその由来とされています。当時の人々はヘビを神秘的なものと捉えており、このイメージを家紋として図式化する際に、ある種のお守り(護符)としての意味合いを与えたようです。
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細川氏の家紋は左側の「九曜」です。江戸時代には「細川九曜」に変更していますが、これは家紋の見間違いで当時の当主が斬りつけられてしまったためです。そんなエピソードも残る細川氏の九曜紋は、藤孝の長男の忠興が織田信長からもらったことに端を発します。
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入り口を入ると最初にあるのが「穴蔵」です。日本の城においては天守台や御殿や櫓台などの大きな建物の地階部分に造られます。形式としては天守台などの内側に穴を設け、土や石畳の床を敷いた土間である物が多く、その建物の出入り口をかねている場合もあります。国宝に指定されている愛知県の犬山城に残っている穴蔵を思い出させるような造りですが規模ははるかに大きいです。
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清正は籠城に備えて城内に120本以上の井戸を掘ったと伝えられます。朝鮮出兵の苦しい籠城経験で水の大切さを痛感したためと言われます。深いもので約40メートルに達し17本が現存しています。店主の「穴蔵」にも大きな井戸が設けてありました。
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妻はエレベーターを乗り継いで先に最上階まで登ってしまいました。こちらは1階から順に天守を見学していきます。まずは巨大な「天守軸組模型」が出迎えてくれます。基本的な構造は松本城や姫路城で学んだような軸具にも箱が積み上げられた構造だと分かります。
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「天守軸組模型」の模型を基に細かな意匠を確認し、鉄筋鉄骨コンクリート造の図面に忠実に反映させ、現在の天守が再現されました。
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天守には「望楼型」と「層塔型」があり、熊本城は望楼型天守という古い形式です。天守がいつごろから造られ始めたかは不明ですが、文献資料と遺構の両方で確認できる最古のものは安土城天守で、5重6層地下1階の高層建築でした。
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祭天守最上階の「御上段(おじょうだん)」の模型は江戸時代の平面図や古文書を基に再現されています。中には御殿の内装まで再現されています。
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南面の襖には「若松」が描かれ、北には「秋野花」が描かれています。外側の板敷きと畳敷きの間には縁を回しています。
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「鯱瓦」には宝暦13年の1763年の銘が残っています。名古屋城に比べると大きさは小さいので大天守のものではなさそうです。犬山の博物館で見たものはこれくらいの大きさだったのを思い出します。
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瓦葺建物の大棟(おおむね)両端の装飾品で、元々は鴟尾(しび)と呼ばれる沓を立てた形から体が魚で顔を獣で表現した鴟吻(しふん)と呼ばれる瓦に形状が変化していきました。鯱瓦も鴟吻の1つで、鯱とは体は魚で頭は虎の姿をした想像上の生き物です。一般的には建物が火事になった際に水を出して火を鎮めると考えられ、防火のまじないの意味があるとされています。
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「御吉例の具足」
細川忠興(三斎)は自らの経験に基づいて軽量化して機能性を高めた実践的な甲冑を作り上げました。この形は「三斎流」と呼ばれ、甲冑の1つの手本とされました。この甲冑を見に着けて出陣した関ケ原の戦いで戦功をあげたことから、細川家では「御吉例の具足」として大切にし、歴代藩主にも引き継がれました。 -
在りし日の天守の写真が残されていました。よく見ると板戸などが落下しているのが分かります。瓦も部分的に破損しているのが分かります。
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最上階で妻と合流して周囲を眺めてみます。「宇土櫓」がきれいに見えましたが、周囲の石垣は破損しているようです。
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大天守から見下ろした小天守へと続く瓦と漆喰の白さがとてもきれいです。
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先ほど歩いてきた高架の遊歩道が見えました。地上部分は工事用のトラックが走るので、見学と工事が完全に分離されているのがよくわかります。
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本丸御殿は見学ができないのが残念です。本丸御殿、最大の見どころは贅の限りを尽くした「昭君之間(しょうくんのま)」です。豊臣秀吉の重臣であった清正公が、豊臣秀頼を迎え入れるために造ったと言われています。漢の時代の宮廷の宮女「王昭君」の悲哀の物語を描いた豪奢な障壁画に囲まれた空間を見てみたかったです。安田靫彦の描いた「王昭君」は中学生の頃に見て衝撃を受けた作品です。昨年足立美術館へ行った際もその作品が展示されていなくてガッカリしました。
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加藤家は「蛇の目」紋と「桔梗紋」を併用していました。「桔梗紋」は清正が肥後に赴くにあたって、秀吉が改易した讃岐丸亀の尾藤知貞の武具や調度品一切を清正に与えたことに由来します。この武具類に尾藤家の家紋の「桔梗紋」が刻印されていたことで加藤家ではこの紋を用いました。屋根瓦にも桔梗花が刻印されています。
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大天守前の広場にもだいぶ人が増えてきました。
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大天守から熊本市内を眺めてみます。加藤清正もこの眺めを楽しんだのだと思うと感慨深いです。
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阿蘇の噴火口からあがる噴煙も見ることが出来ました。
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帰りはエレベーターを乗り継いで下ってきました。
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加藤清正の甲冑が立体的に作られたものが置かれてあり、顔だけはめるとこんな写真が撮れました。清正の兜は丈の長い烏帽子形が特徴的で、側面には朱で日輪が描かれ、先端にいくほど薄く、やや後方に傾斜しています。 また、兜の前立てには円形の薄板に清正の自筆で「南無妙法蓮華経」の題目が書かれており、日蓮宗の信仰があったとされます。
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同じルートで出口まで進み、まだ時間があるので「水前寺公園」まで足を延ばすことにします。ここからは時間との戦いも生じてきました。
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