2023/03/13 - 2023/03/13
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kojikojiさん
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熊本ツアー2日目は熊本市を出て天草諸島を周遊する旅に出ます。阿蘇以外の熊本県の旅は初めてなので期待をしていました。朝から天気も良くバスはまずは南に向かって進みます。「JR九州 熊本総合車両所」の引き込み線の先の宇土で進路を変えて、国道57号線に入り脇には「あまくさみすみ線」の線路が並走しています。しばらくすると海岸線に出て、以降はずっと右の車窓の景色は海になります。この辺りは遠浅で沖には海苔養殖の竹竿が数えられないほど並んでいます。そして海に向かって並ぶ電柱も見えます。「長部田海床路(ながべたかいしょうろ)」というもので、干潮時には車で海の中まで進んで、ノリ養殖の作業が出来るようです。ここで思い出したのが大分の麦焼酎「二階堂」のテレビコマーシャルです。ググってみるとまさしくここで撮影されたのと分かりました。バスガイドさんによるとこの辺りは夕日が美しいそうなのでCMのような景色が見えるのでしょう。「御輿来海岸(おこしきかいがん)」の辺りも遠浅で、干潮時には潮が引いた海岸の砂地に、風と波による美しい砂の曲線が見えるようで、ここへは帰り道に立ち寄るようです。そして到着したのが最初の目的地の「三角西港(みすみにしこう)」です。ここについては全く予備知識もなく来てしまったのですが、「明治日本の産業遺産」として世界文化遺産に登録されていました。ここでは40分ほどの自由時間にもなり、明治の時代がそのまま残された地域を散策することが出来ました。そして、ここでNHKのドラマ「坂の上の雲」や映画「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編」のロケ地であったと知りました。海岸線から奥の石段を登った先まで妻は来ませんでしたが、その間にお土産屋さんで「パール柑」を買っていました。どれだけ柑橘類が好きなのでしょう。「パール柑」は宇土半島の三角町から天草にかかる天草パールライン界隈が産地なので良しとします。店の方は親切で1袋5個入りを買っただけですが、おまけに「不知火」を2つもくれました。これは添乗員さんにプレゼントしたらとても喜ばれました。もう少しゆっくり滞在したいところでしたが、新たな発見もあり楽しい滞在でした。バスは宇土半島を離れて、天草五橋の1つ目の「天文経」を渡って「大矢野島」に渡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
「ホテルマイステイズ熊本 リバーサイド」の朝食は1階のレストランでした。ここは外観と共にリニュアルが済んでいて快適な店でした。メニューも熊本の名物が並んでいて好感が持てますし、料理も美味しかったです。
ホテルマイステイズ熊本 リバーサイド 宿・ホテル
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ホテルの朝食で必ずあるソーセージが美味しい場合は他の料理も美味しいことがほとんどです。このレストランもそうでした。「辛子れんこん」は機能もいただきましたが、「ちくわサラダ」は初めてです。ちくわにポテトサラダを詰めて天婦羅になっています。「馬肉のしぐれ煮」に「いきなり団子」というさつまいもと餡子を小麦粉の皮で包んで蒸した郷土菓子もあります。それ以外にも「馬スジ肉煮込みうどん」もおすすめです。
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ツアー2日目は午前8時にホテルを出発しました。コロナ禍でのクラブツーリズムのバスツアーは感染防止のために通しで同じ咳なので、この日も一番後ろの広い席を使うことが出来ました。皆さんは乗り降りの楽な前方の席を好まれますが、実際は後方の方が快適です。
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熊本市にも日本銀行の支店がありました。デザインはひと月ほど前に行った秋田の支店と同じようです。東京と大阪は重厚な設計で、小樽は洒落た伝座員でしたが、それ以外の都市は地味なようです。
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バスは国道3号線と重複した57号線を南下して白川を渡りました。今回初めて熊本市内を訪ねましたが、東京内に住んでいるよりも快適そうに思えました。
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宇土市に入ると九州新幹線が見えました。まだ一度も乗ったことはありませんが、博多駅から鹿児島中央駅まで乗ってみたい気もします。
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宇土には「九州新幹線熊本総合車両所」もあり、たくさんの新幹線が停車してありました。
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国道57号線で宇土半島に向かうと右手には「金峰山(きんぼうざん)」がきれいに見えました。熊本市の西にあるこの山もカルデラ式火山です。宮本武蔵が籠もって五輪書を書き記したことで知られる霊巌洞もこの山中にありますし、夏目漱石の小説「草枕」に登場する峠の茶屋もここにあります。「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」という一文から始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分が有名です。
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しばらく宇土半島を走ると田んぼや畑を突き抜けて海岸線に出ました。その姿は異様でかなりの遠浅になっています。関東ではこれだけの干潟を見ることはありませんが、大きく捉えればここも有明海の一部です。昨年末に行った佐賀空港から柳川へ向かう川筋の干潟の姿が思い出されます。
干潟景勝の地 月弓の鐘展望所 自然・景勝地
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流れ込む河口も土砂で埋まらないように水路が整備されています。長年この日方と戦ってきた人たちの苦労がうかがえます。
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しばらくすると沖合に竿が並んでいるのが見え始めました。これは海苔養殖のなのだとバスガイドさんが教えてくれました。海苔の生産量は佐賀県が日本一ですが、熊本県も4位なのだそうです。
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この辺りには海に向かって電柱が並び電線も張られています。これは日本一の干満差のある有明海に、干潮時のみ現れる道なのだそうです。海苔の磁器には海にトラックがずらりと並ぶ景色が見られるそうです。
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ここは「長部田海床路(ながべたかいしょうろ)」などいくつかの海の道があるようです。そこで思い出したのが大分の麦焼酎「二階堂」のテレビコマーシャルです。
https://www.youtube.com/watch?v=yW_xxrHrxtQ&list=PL498DF3BC402906E1&index=2 -
バスの中でネットで検索してみると、確かにこの辺りがロケ地だと分かりました。
https://www.youtube.com/watch?v=N1tlwbgliEs -
対岸に薄っすら見えるのは有明海を挟んだ長崎県の島原半島でした。一番高いのが雲仙普賢岳のドームだとガイドさんが教えてくれます。
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熊本県の有明海における海苔養殖は昭和28年に人工的に海苔の種付けを行う実験を成功させ海苔養殖の先進県です。有明海で浮き流し養殖にいち早く取り組み、支柱漁場と浮き流し漁場の両方があるのが熊本の特徴です。
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この辺りが有明海の熊本県側の支柱漁場の一番南側のようです。北は三池港の南側がその範囲なのでとても広大な範囲です。昨年末に佐賀空港へ着陸する前に有明海に浮かぶ海苔養殖の網と支柱の多さには驚きました。
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「網田港東導流堤灯台」は珍しい白やぐら形の灯台です。この辺りの海は遠浅で干潮前なので茶色く濁っています。
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海岸線からはずっと島原半島が見えていました。海苔養殖の盛んな遠浅な海岸を抜けると海の色もどんどんきれいになっていきます。
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「中神島」が見えてくるとバスは「三角西港(みすみにしこう)」に到着します。
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午前9時20分に到着して30分だけのフリータイムです。熊本県は明治9年に神風連の乱や明治10年の西南の役で焦土と化した熊本の殖産興業を進める中で、港の建設のための港湾修築建言書が県令だった富岡敬明に提出されました。港に向かって置かれていた銅像は富岡敬明のものでした。
三角西港 名所・史跡
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「三角西港(みすみにしこう)」は明治の三大築港の1つであり、その中でも当時のままの姿で現存する貴重な港として「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産として2015年に世界遺産に認定されています。
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港湾修築建言書の提出により明治14年の県会で、百貫石の南の盗人島に築港することが議決し、内務省の嘱託技師でオランダ人のルーエンホルスト・ムルドルが百貫石港の調査に派遣されました。調査の結果は「遠浅の砂浜」「白川と坪井川があって、運送には便利」「大雨、洪水で港が壊れる」「1000トンの船の出入りができない港は不適」という理由で百貫石港の修築は断念されました。
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そして富岡敬明とムルドルは三角港を視察します。その結果「熊本とは道路を新設すれば、馬車で2時間の道のりである」「港湾の水深いこと120尺(約36.36メートル)大艦巨艦が入る」「風浪が避けられる」「県内物資は、高瀬川、球磨川、坪井川より西海へ」「東肥の要津として、肥前の国の津、島原、茂木などと連絡すれば繁栄する」と結論付けます。
排水路 (三角西港) 名所・史跡
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以前アムステルダムからの帰国の際に空から見たオランダの大地を見て司馬遼太郎の「街道をゆく/オランダ紀行」の一説を思い出しましたが、ここでも「まことに世界は神がつくり給うたが、オランダだけはオランダ人がつくったということがよくわかる」という言葉が浮かんできました。
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三角町は有明海と不知火海の2つの海に面し、熊本県の海の玄関港として物資や人が行き交う海上交通の要地として繁栄しました。それと共に宇土郡役所や三角裁判所が設置され、宇土地域の行政や司法の中心地にもなります。
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756メートルにもおよぶ石積みの埠頭や水路、建造物などは築港後1世紀の歴史を持ちながら美しく残されています。当時の都市計画がほとんど無傷のままで残っているのは全国的にも珍しく、文化財的にも国際的にも価値ある生きた港として、平成14年に国重要文化財に指定されています。
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華々しく開港した三角西港でしたが、明治32年の1899年に鉄道の駅の終点が「三角東港」になり、「三角西港」には延伸されずに西港が担ってきた役割は東港へと移っていきました。これにより西港は衰退することとなりますが、そのおかげで西港は開発などから免れ、ほぼ原形のままで残されました。
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天草といえば天草揃うくらいしか思い浮かばない2人でしたが、ここまで完全に残された明治の遺構を見て、軽いカルチャーショックを受けました。
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港には大きなアコウの木が1本ありました。奄美大島ではこの木にはケンムン(という赤毛の妖怪が住んでいると知りましたが、確かにそんな伝承も納得できる雰囲気です。この木の実を食べた鳥や小動物が他の木の上で種を排泄するとそこから発芽して樹上から気根を垂らしていきます。その気根で元の木を締め付けることから「絞め殺しの木」とも呼ばれます。
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植物が花粉を飛ばす際には風や水、チョウやハチなどさまざまなものを利用しています。ところがアコウの場合は花粉を運ぶのはアコウコバチという1種類の小さな昆虫だけです。しかもアコウはこの昆虫を果実の中に寄生させて育てています。小鉢は数日しか生きられないため、1年じゅう実と花を付けておく必要が生じます。この時も3月というのにたくさんの実がついていました。幹や枝から直接成る姿は少し不気味でもあります。
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「三角西港 東排水路」もきれいに残されています。海岸に沿って築かれた埠頭と埠頭の背後の市街地を横切る3本の排水路、排水路上に架かる4基の道路橋が重要文化財に指定されています。
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「龍驤館」
館の名前は明治5年の1872年の明治天皇の最初の西国巡幸に際し、熊本入りした御召艦「龍驤」ほか供奉艦の計8隻が熊本行幸を終えました。風雨が強くなったのでこれを避けるために三角湾に仮泊し、鹿児島に向けて発航したことに由来します。
このとき御召艦「龍驤」に乗艦していたのは、参議兼陸軍大将 の西郷隆盛、陸軍少輔 の西郷従道など70余名と近衛兵一小隊でした。ムルドルハウス お土産屋・直売所・特産品
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現在は資料館として内部を見ることが出来ますが、30分の自由時間でここに入ってしまうと他を見ることが出来ないので諦めました。ここは小泉八雲の紀行文「夏の日の夢」ゆかりの旅館の浦島屋の跡地でもあります。バスガイドさんからそのことを教えられたのには軽い衝撃を受け、中学生の頃に読んだ記憶が蘇ってきます。
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隣接するのが明治時代に旅館として知られた「浦島屋」を復元した建物です。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「夏の日の夢」が目の前に現れたような気がします。
浦島屋 名所・史跡
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…風鈴の音ねを聴くようなすずやかな声で、「ご免くださいまし」という丁寧な言葉が聞こえると、私はうたた寝の白昼夢から覚めた。それは、旅館の女主人が茶代のお礼にやってきたもので、私も両手を付いてお辞儀をした。彼女はとても若くて、歌川国貞の「胡蝶の美女」や「青蛾の娘図」を思わせて、うっとりする、とても愛想の良い人だった。ふと何気なく私は死を想った。というのは昔から言うように、美しさには、時として不幸の予感が付きまとうことがあるからだ。
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女主人は、お出かけなさいますなら、人力車をお呼びしましょうかと訊ねた。私はつぎのように返事した。「熊本ヘ帰リマスデス。コノ、リョカンノ、名ハ、何トイイマスカ? キット覚エテオクデス。」「お部屋はたいしたものじゃございませんし、女中メイドたちも行き届きませんだったでしょうが……。浦島屋と申します。それでは、お俥を呼ばせましょう。」
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彼女の音楽を奏かなでるような声は過ぎ去ったが、私には――霊的な網で、ぞくぞくするような――魔法がすっぽりと掛けられた気がした。旅館の名も、男に魔法を掛けて魅惑する詩歌の物語と同じ名前だった。
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…私の魂が小さな虫となって、青い夢の中に飛び立っていった。――太陽と海の間――一四〇〇年の夏の光る幻影を通って、古いにしへの住之江の浜にブーンと戻ってきた。私は身体からだの下で船底がかすかに揺れ動くのを感じた。そこは雄略帝の御世である。すると、乙姫様が、鈴のような声で言った。「さあ、父の宮殿へいっしょに参りましょう――そこはいつも青いのですよ。」「イツモ青イノハ、何故デスカ?」と私は訊ねた。「私が雲の全部を箱の中に閉じこめているからですよ。」「デモ、ワタシ、家ニ帰リマスノ、必要アリマス。」と、私はきっぱりと答える。「ならば、車屋に七五銭だけお払い下さいまし。」
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ここで、はっと目が覚めた。今日は明治二六年の夏の一番暑い土用の日だ。――現代いまである証拠に、この宇土半島の海岸べりの道路の脇には電柱が並んでいるし、車屋は、相変わらず、空や峰や海の変わらぬ青い景色の中を軽やかに走っている。ただ、もう白い雲は消えていた!――道路の近くにはもう崖はなかったが、かわりに遠方の丘辺りまで広がっている麦畑や水田があった。電信柱にしばらく注意を奪われた。というのは、一番上の電線に、そしてその線にだけ、たくさんの鳥の群れが止まっており、皆が皆とも道路の方を向いていて、私たちが近づいても驚きもしなかったからである。
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鳥たちはじっとしたまま、何か通り過ぎても素知らぬ振りで、私たちを見下ろしているのだった。実に何百羽も並んで止まっており、ずっと何キロにも渡って長く連なっている。どうしてこんな風に止まっているのだろうか? 何を見て、何を待っているのだろうかと考えたが、分からなかった。並んでいる奴を驚かそうと、時々帽子を振ったり、叫んでみたりした。それによって、何羽かの鳥がバタバタと飛び上がったりはしたが、前と同じ格好でまた同じ電線の位置に止まった。他の大多数の鳥たちは私を相手にもしなかった。
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小泉八雲について知ったのは「耳なし芳一」「むじな」「雪女」などの短編を収めた「怪談」という本を父に買ってもらったことでした。1月に行った門司港と下関で赤間神宮へ行きたかったのも「耳なし芳一」の舞台だったからです。
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小学生の時の家族旅行で「隠岐の島」へ1週間ほど行った際も帰りの松江では「小泉八雲記念館」へ行きたかったのですが、帰りの夜行列車の時間からも「鳥取砂丘」へ行くことになり立ち寄れなくて残念に思いました。
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全くの偶然で思いがけなく小泉八雲の足跡を辿ることが出来て良かったです。
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残り15分あるのでもう少し足を延ばすことにして、排水路に沿った道を先へ進みます。港からずいぶん離れてしまった気がします。
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突き当りに階段があり、その上まで上がってみます。さすがに同じツアーの方でここまで来る酔狂な人はいなさそうです。
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階段を上がった右手にはきれいな洋館がありました。現在は「JML日本海洋資格センター 九州海技学院」になっている建物です。見覚えがあったので後で調べてみるとNHKの「坂の上の雲」で正岡子規の妹の律(菅野美穂)が通う学校として登場していました。
宇土郡役所跡(九州海技学院) 名所・史跡
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「旧宇土郡役所庁舎」だった建物は寄棟造に桟瓦葺の木造平屋建の洋風庁舎で、モルタル塗外壁に目地を切って石造風に見せています。両翼を張り出した形態とし、中央にスティックスタイルの車寄を付け、屋根にドーマー窓を載せています。明治中期の熊本県営繕の設計の力量を感じさせる建物です。ウェス・アンダーソンの映画を思い出させるようなシンメトリーと色合いが美しいです。
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ちょうど係員の方がいらしたので内部を少し見学させていただきました。観光施設ではなく、講義も行われているようなので、エントランスくらいに留めておきます。
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中央のエントランスから左右にウイングが広がり、右側は事務室になっています。掲げられた舵輪が船舶にかかわる施設だと感じさせます。
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左手には手入れされた板張りの廊下が続いています。当時はずいぶん洒落た役所だったのでしょう。
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廊下の一角には歴史を感じさせる丸テーブルと椅子が置かれてありました。柔らかな光線が差し込んで、白漆喰の壁にきれいな影を落としています。
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スティックスタイルはカーペンターゴシック様式とアンヌ様式の間に移行した19世紀後半のアメリカの建築様式です。車寄せ越しに三角西港の海が見えました。
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この高台には「旧三角簡易裁判所」の建物もあります。こんな小さな港町に裁判所があるのが信じられません。
旧三角簡易裁判所(法の館、伝統工芸館) 名所・史跡
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明治23年に開庁され、初めは三角西港の中町に設置されていました。大正9年に竣工されこの場所へ新築移転しています。当時の管轄区域は宇土郡全部の3町9村、下益城郡内2村と天草郡内5村をカバーしていました。
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平成4年に三角簡易裁判所と三角地区検察庁は西港から三角東港区の際崎地区に移転し、平成6年に「法の館」としてオープンしています。
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中央に起り破風の車寄を突き出しています。寄棟造に桟瓦葺の木造平屋建で、建物に向かって左手にに法廷があります。外観は真壁造で腰は縦羽目に上部下見板張り、小壁は白漆喰塗りになっています。
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ここまで見てきた建物は修復であったり再現されたものもありますが、この狭い範囲に良くもこれだけ残されていたと感じます。
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ガラス戸を開けて中に入ると和風玄関のような設えになっていて、靴を脱いで中の見学をします。
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廊下には小さい窓が並び、カウンターもあるのでここが受付の窓口だったのだと想像できます。子供の頃の小学校の木造校舎を思い出すような設えです。そんな学校も在校中に鉄筋コンクリートの建物に変わってしまいました。
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館内には「三角西港」の成り立ちと当時の歴史背景などの展示がありました。ここで新たに港の施工に天草の石工集団が関わっていたと知りました。九州の石工は非常に優秀で国内に残る江戸時代後期から明治時代に建設された石橋が数多く残っています。この時期に国内で架けられたアーチ型の石橋の9割以上が九州に分布し、その約半分が熊本に集中しています。
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この小さな港から三池炭鉱の石炭が中国の上海などに輸出されていたなど初めて聞く話ばかりでした。三池炭鉱については「炭坑節」の歌詞、「月が出た出た 月が出た 三池炭坑の上に出た あまり煙突が高いので さぞやお月さん けむたかろ」くらいの知識でした。
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明治32年の1899年に開通した九州鉄道三角線が「三角東港」までで延線されなかったことと周辺の地形から敷地拡張が困難であったことが物流拠点が移行に繋がったようです。
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その後も「三角東港」の拡張工事は広げられますが、「三角西港」が開発の対象になることはなかったようです。このことが功を奏して石積埠頭など当時の施設がほぼ原形のまま残されます。
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「五足の靴(ごそくのくつ)」についても今回の旅で初めてバスガイドさんから教えてもらいました。与謝野寛がまだ学生の身分だった太田正雄(木下杢太郎)、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて旅した記録と紀行文で、1907年に発表されたそうです。
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天草の石工についての文章を読んでいて突然子供の頃に読んだ「庇護の石工」という童話のことを思い出しました。肥後の石工の岩永三五郎はその実績を買われ、薩摩藩に招聘され石橋を築くこととなります。しかし、それらの橋には攻められたときに要になる石を取り外すと全体が崩れ落ちるような特殊な仕掛けが施されていました。薩摩藩はこの特殊な軍事機密を知っている三五郎たちを肥後に返す気はありませんでした。
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三五郎配下の石工たちは帰路の途中で薩摩の刺客に襲われて命を落とします。三五郎も徳之島の仁という刺客に狙われますが、仁は三五郎の人となりを知って藩の命令に疑問を感じて苦しみます。結局は三五郎の身代わりに乞食を殺して薩摩藩へと戻ります。一方で三五郎は殺された乞食の遺児を肥後に連れ帰りますが、親の仇と恨まれてしまいます。
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死んだ石工仲間の息子である宇助を頭として再び架橋工事に携わりますが、郡代屋敷の牢に入れられて幽閉されたりと紆余曲折がありながらも長さ五百尺(約150メートル)の石橋は無事完成し、その後も有名な「御舟のめがね橋」「通潤橋」など多くの橋の工事に取り組みました。
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どちらも天然の良港のようですが、運命のいたずらが重なっていくのだと感じます。観光客の考えとしては結果として現在の「三角西港」が明治の姿で残されたことは良いことだと思います。
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大学生くらいの若いグループが見学していたので、歴史を学ぶのは良いことだと思っていたのですが、彼らの目的はこれだったようです。
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この「法の館」は「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編」のロケ地でもありました。この映画シリーズは面白いので全部観ていました。ヒロインの神谷薫が入院する病院のシーンがここだったのかと思いました。昨年札幌で行った「北海道開拓の村」ではゴールデンカムイについて知ることも多く楽しかったです。
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ここに展示はありませんでしたが、やはり好きだったNHKの「坂の上の雲」のロケ地でもあったようです。CGで加工されていますが、横浜港や佐世保港として使われています。印象に残っているのが秋山真之(本木雅弘)と正岡子規(香川照之)が高橋是清(西田敏行)の誘いで横浜港へ行き、新鋭戦艦「筑紫」の威容に圧倒されるシーンでした。あのシーンがここだったのかと感慨深い気持ちになりました。
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展示室の奥には実際利用されていた法廷などもそのまま残っていて、昔の雰囲気そのままです。法の歴史や裁判にまつわる知識を学習することができる場所でもあります。表にも数棟の建物がありましたが、そちらは弁護士等控室だったようです。
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このような施設がそのまま残されていることに驚かされます。妻が来ていないのが残念でした。いたらここで写真を撮ることが出来たのですが。
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ここで残り10分を切ったので急いで駐車場に戻ります。もう少しゆっくり散策したかったです。
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お土産物屋になっている「ムルドルハウス」の前に戻ると妻が手招きしています。ここでまた「パール柑」を買うようです。宇土半島の三角町から天草にかかる天草パールライン界隈が産地なので良しとします。これも安くてとても美味しかったです。1袋かっただけですが、おまけで「不知火」をいくつかいただきました。ちょうど添乗員さんがいたのでお裾分けしたら、美味しかったと喜ばれました。バスは宇土半島を離れて、天草五橋の1つ目の「天文経」を渡って「大矢野島」に渡ります。
ムルドルハウス お土産屋・直売所・特産品
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