2023/03/13 - 2023/03/13
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kojikojiさん
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「大江天主堂」を右手に見ながら和巣は坂道を下り、「津崎集落」の「道の駅津崎」に停車しました。ここからぶらぶら散策しながら漁港を超えて、その奥にある集落に向かいます。港沿いの道を歩いていてもここが観光地なのかと考えてしまいます。住宅地を抜けると民家を改造した観光案内所があり、右の山手には「崎津諏訪神社」があります。大漁や安全祈願のため、1647年に創建されたとされ、境内には 正保4年の1685年銘の鳥居が現存するなど、当時の境内の配置が現在も残っているということです。日本の伝統的な宗教と潜伏キリシタンの共存という独特の文化的伝統を感じます。文化2年の1805年の潜伏キリシタンの「天草崩れ」の際に信徒たちが所有していた信心具を差し出すよう指定された場所でもあるそうです。石段をあがった先からは鳥居の先に「津崎教会」の尖塔が見えました。神社に参拝した後は「津崎教会」に向かいます。時間を少しずらして、他の方の見学とずらしました。現在の建物は昭和9年の1934年にフランス人宣教師のハルブ神父の時代に建てられたもので、重厚なゴシック様式の教会の堂内は畳敷きでした。これは長崎の「大浦大聖堂」を参拝したことを思い出しました寄付の代わりに絵葉書を買い求めて表に出ると別の旅行会社の方々が来られたので良いタイミングでした。この集落で有名な「杉ようかん」を買おうと思ったらすでに売り切れでした。残念に思っていると別行動していた妻が手に提げていました。売り切れにした張本人が目の前にいました。案内所で絵葉書にスタンプを押して、テーブルを借りて何枚か書き上げて、集落にあったポストに投函しました。他のツアーの方からだいぶ遅れてしまいましたが、戻りがてらに「旧網元岩下家」も見学してみます。現在は集落の集会所にもなっていますが、観光客の休憩所にもなっていました。伝統的な建物も良かったですが、裏庭がすぐに海に繋がっていて、巨大な網干場のカケというものが面白かったです。「津崎集落」の見学が終わると熊本市への戻りになりますが、途中で「道の駅有明リップルランド」に立ち寄りました。ここには巨大なタコつぼとタコのオブジェがありました。天気はさらに良くなり快晴の海の向こうに雲仙普賢岳がきれいに見えました。午前中の太陽光線より午後の光の方がきれいに見えました。往路と同じルートで「天草五橋」を渡り、最後に「御輿来海岸 (おこしき)」に立ち寄りました。ここは潮が引いた海岸の砂地に風と波による美しい砂の曲線が見えてきれいでした。ホテルに戻るとこの日の晩御飯はツアーに含まれていないので、昨晩予約した「紅蘭亭」に向かいました。アラカルトよりもセットメニューが良さそうなのでいただきましたが、古くからの中華料理店の歴史を感じる美味しさを感じました。そして名物の「太平燕(たいぴーえん)」をいただきます。美味しいうえに熊本県のクーポンも使えて最高の晩御飯になりました。帰りは栄町など熊本の繁華街をぶらぶらしてホテルに戻りました。さすがに熊本羅ラーメンの「桂花」にはお腹がいっぱいで入れませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「大江天主堂」を右手に見ながら和巣は坂道を下り、「崎津集落」の「道の駅津崎」に停車しました。小さな入り江を挟んで集落と教会の尖塔が見えます。クロアチアの海岸線をフェリーで航行していると見えるような小さな集落です。
道の駅 崎津 道の駅
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ここで50分のフリータイムになります。目検討でしたが教会までは片道10分と読んで、現地では30分ほどの滞在と思えました。集落へ続く車道もありましたがバスは奥まで行けない事情があるように思えました。
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2016年に世界遺産登録審査予定だった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産でしたが、推薦は一時取り下げられました。改めて2018年の審査対象となり「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産登録が決定しています。
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「崎津」は一般的ルートではないが遣唐使船が寄港するなど古くからの良港で、ルイス・フロイスの「日本史」には「Saxinoccu(サキノツ)」の記述があり、西洋にも知られていたようです。その後のキリシタン大名の小西行長が天草を含む肥後南部を支配することになり、豊臣秀吉のバテレン追放令後も宣教師を庇護されました。
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寛永14年の1637年の島原・天草の乱によって天草は荒廃してしまいますが、崎津を含む下天草の人々は参戦しなかったことで、処罰されずに済みました。崎津は外界と隔絶していたため乱を知らなかったようでもあります。崎津では現在でも通年注連縄を掛けている家があり、これは潜伏キリシタンがキリシタンでないことを表した偽装で禁教時代の名残であるとの説もあるようです。これは島根県の出雲地方や三重県の伊勢地方など他の地域を旅した際も見掛けましたので単なる習慣なのかもしれません。
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「崎津教会」と「崎津諏訪神社」を結ぶ道(カミの道)は、教会の聖体行列と神社の御神幸祭の空間として共有される場所のようです。その角の家は観光案内所になっていました。
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「崎津諏訪神社」は大漁と海上安全祈願のため慶安4年の1651年に創建されたとされ、境内には1685年の銘の残る石の鳥居が現存するなど、当初の境内の配置が残っているようです。ツアーの方々は教会へ急ぐので先に神社の参拝をすることにします。「天草崩れ」の際には潜伏キリシタンたちが持っていた信心具を差し出すように指定された場所でもあります。
崎津諏訪神社 寺・神社・教会
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この「崎津諏訪神社」へ詣でる際には「あんめんりうす(アーメン デウス)」と唱えていたそうです。また「崎津」の潜伏キリシタンは踏み絵を拒絶しなかったので嫌疑を払拭できたようです。実際には足の裏に紙を貼って直接聖像に触れないよう配慮したり、踏んだ足を洗いその水を飲むことで罪の許しを乞うゆるしの秘跡にしたという伝承もあるようです。
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文化2年の1805年に?津・今富・大江・高浜の四郷の10669人中5205人の潜伏キリシタンが摘発される「天草崩れ」が発生します。しかし全員を処罰すると天領経営が成り立たなくなることから穏便に済ませたい江戸幕府の意向と、高浜の庄屋だった上田宜珍の「心得違いをしていたが改心した」との取り成しで放免されたため、多くは信仰を捨てなかったそうです。
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潜伏キリシタン発覚事件の取り調べの際に「何方(いずかた)え参詣(まいりもうで)仕候(つかまつりそうろう)ても矢張(やはり)あんめんりゆすと唱申候(となえもうしそうろう)」と述べたと記録が残っているそうです。長崎の「大浦天主堂」の横にある「旧羅典(ラテン)神学校」は博物館になっていて、この当時の日本版のイコンがあったり、レプリカですが実際の踏み絵を見て感動したことがあります。
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明治13年の1880年に崎津諏訪神社の隣に小さな小屋のような教会が建てられ、次いで明治18年の1885年により大きな教会へ建て替えられていきます。明治中期には集落の600戸のうち550戸がクリスチャンだったそうです。
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海へ続く神社の参道は御神幸祭の空間で、その道が続く先には教会では聖体行列で使われる不思議な空間に思えました。別々の信仰や文化、思想学派などを混ぜ合わせる「シンクレティズム」や教会の教えが非キリスト教文化に対して適応し、展開していく影響を表す「インカルチュレーション」、異なった文化をもった人びとの集団どうしが互いに変化を起こす「アカルチュレーション」の場としても注目されているそうです。
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神社の参道の階段の途中に「旧崎津教会跡」がありました。海に向かって立つ真っ白いマリア像が印象的です。
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その前には「ハルブ記念堂」という資料館がありました。残念ながら立ち寄っている時間はありません。
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教会へと続く道でもあり、神社の参道でもある細い道は特に何があるわけでもありませんが、不思議な空間に思えました。
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通りの突き当りは港で終わり、この先には何もありません。その先端は立ち入り禁止になっていたので、何か理由があるのかもしれません。
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ハルブ神父の碑が協会の敷地内にありました。「オーグスチン・ハルブ神父の生涯」として「1864年にフランス・スエズに生まれ、昭和2年の1927年に司祭として崎津に来た時は、63歳で終戦の昭和20年の1945年に81歳で、この地で亡くなった。」とありました。
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ようやく「崎津教会」に着きました。妻は日陰で待っていてくれたので一緒に参拝します。青空にゴシック様式の尖塔が映えます。現在の美しいゴシック様式の教会は昭和9年にハルブ神父の私財と信者が集めた資金で建立されました。教会の立つ場所は庄屋だった吉田家の敷地で、明治6年まで踏絵が行われていた場所でもあるそうです。
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この教会を建てたのは鉄川与助という棟梁で、20歳の時に「曽根天主堂」が建設された際に野原棟梁という人物と出会います。野原はフランス人宣教師A・ペール神父の指導のもとで、当時数少ない天主堂建築を手掛ける大工だったようです。ペール神父からリブ・ヴォールト天井や幾何学についての教えを受け、野原のもとで天主堂を建築していくなかで家業を相続し鉄川組を編成します。多くのカトリック教会を建設し、「教会建築の父」とも呼ばれていますが、彼自身は生涯仏教徒であったそうです。
﨑津教会 寺・神社・教会
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堂内は写真撮影は禁止でしたのでこれは道内で販売されていた絵葉書のものです。長崎の「大浦天主堂」などと同じく床は畳敷きでした。厳かな宗教の場という印象を強く受けました。絵葉書の代金といくばくかの寄付をドネーションボックスに入れました。
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何年か前に遠藤周作の「沈黙」を映画化したマーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス」を見たことを思い出しました。宣教師が棄教させられるという壮絶なテーマで、1970年にも篠田正浩で映画化されています。遠藤周作自身も敬虔なカトリック信者で、芸術新潮の「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」は20年以上前の発刊でしたが学ぶことが多かったです。作品は欧米で翻訳され高い評価を受け、ノーベル文学賞候補と目されたが、「沈黙」の棄教というテーマや結論が選考委員の一部に嫌われて受賞を逃したと聞いたことがあります。
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観光案内所で絵葉書にスタンプを押して、テーブルではがきを何枚か書かせていただきました。そして集落にあったポストに投函します。
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「崎津教会」の周辺では名物の「杉ようかん」が売られています。うるち米でできた餅にピンクの線、中に餡が入ったおめでたい印象のお菓子です。元々は江戸時代に11代将軍の徳川家斉の祝賀の為、海を渡っていた琉球王の視察団が嵐でこの地に漂着しました。救助してくれた村人へのお礼に作り方を伝授したといわれる物で、本物の杉の枝が入ったお菓子です。ところが案内所の前の店では売り切れになっていました。残念に思っているとビニール袋を提げた妻が立っていました。その中には…。
宮下商店 グルメ・レストラン
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バスへ戻りかけると集落の中に「旧網元宅(よらんかな)」という休憩所がありました。観光客への休憩所として開放しているだけではなく、地域の集会所でもあるようです。
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元々は「旧網元岩下家」という屋敷だったと案内にありました。明治25年の1892年に建築された建物で、4軒の網元のうちの1つだそうです。崎津では庭付きの家は珍しいようで、この家が裕福であったことが偲ばれます。
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建物の中には棕櫚の繊維で撚られたロープ、そのロープで編んだ網が展示してありました。棕櫚の幹は脂分が多く、腐らない特性があるので、この地域で造られる「カケ」という海上の作業場の柱にも使われました。
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修復された屋敷はとても立派で網元の生活が裕福だったことがうかがわれます。ただ北海道のニシン御殿のような規模の大きさはありません。
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津崎の漁師の漁場は遠洋漁業の場合は長崎県から鹿児島県に集中したようです。ネイ時期の水産調査では天草市の魚貫崎ではサバ漁、鹿児島県の甑島ではカツオ漁、昭和に入ると長崎県の五島や対馬でイカを獲っていたようです。
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明治期の漁法は八田網漁と呼ばれる浅い袋状の網を2艘の船で海底近くに広げて引揚げるもので主に鰯を獲ったようです。一本釣りではカツオ、延縄漁ではカジキが主でした。
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羊の角のような形から「羊角湾」と呼ばれる美しい入り江です。
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海に張り出した四角い床が「カケ」と呼ばれるもので、往時はこの20倍から30倍の広さがあったそうです。「カケ」は「ナワダナ(縄棚)」とも呼ばれ、延縄やなどの漁具を干したり網の修繕を行う場所でした。
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この支柱を棕櫚の木や孟宗竹を利用したそうです。残念ながら上に上がることは出来ませんでした。また。ここからは直接に海に出ることが出来ました。
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辺りを見渡しても庭があるのはこの屋敷だけのように見えます。通りの奥は山が迫ってきていて、本当に平地の少ない集落だと思います。
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庭先からは「崎津教会」がきれいに見えました。長年温めながら実現できていない、隠れキリシタンに関わる旅をしてみたいと改めて考えます。
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あっという間の「崎津集落」の観光でしたが、改めて隠れキリシタンの歴史に触れることが出来たような気がしました。もう一度遠藤周作の作品を読み直してみようかと思いました。
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バスは海岸線に沿って進むと「河浦海上コテージ」が見えました。バスガイドさんによるとここは日本で初めての海の上に立つコテージで、羊角湾の入り江にある小さな島の隣に5棟の宿泊施設と40メートルの釣り場があるそうです。初心者でも気軽に釣りが楽しめ、昼は波の音を聞きながら昼寝をしたり、夜には満天の星を眺めたりと、のんびりゆったりした時間を過ごせるようです。
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海岸線のドライブは終わり、国道266号線を天草市に向かって戻り始めます。山間部に入ると手を振っている人が見えました。
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これは「道の駅 宮地岳かかしの里」にある案山子たちのようです。ビニールがかけてあるのは1週間後くらいから始まる「かかし祭り」の準備中だからのようです。
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海岸線を離れて気が緩んでいたのか、突然の案山子に驚かされました。
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先ほど通過した「天草瀬戸大橋」まで戻ってきました。袋は別の橋を通過しました。この新しい橋は2月25日に開通したばかりだとガイドさんが教えてくれました。
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脇には「瀬戸歩道橋」という面白い施設がありました。瀬戸海峡に架かる橋長124メートルで幅員2.9メートルの昇降式の橋です。橋の下を本渡瀬戸航路の船が通過する際に橋の中心部の橋桁が船の高さに合わせてエレベーター式に昇降する仕組みです。同じようなシステムの橋はパリのサン・マルタン運河クルーズで通過したことがありました。
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「下島」と別れを告げて再び海岸線をバスは走ります。太陽光線が当たるのを嫌がる妻と席を代わったので、帰りも海側の景色を楽しめます。
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午後の遅い時間の方が島原半島の雲仙普賢岳がきれいに見えました。
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海の青さや空の青さも午後の方がきれいです。
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長崎半島から島原半島までの長崎県が美しく見える海岸線です。
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昨年末に佐賀空港へ着陸する際に一周だけ見えた雲仙をじっくり見ることが出来ます。
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この辺りでバスガイドさんが「島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)」という言葉を教えてくれました。これは寛政4年の1792年5月21日に肥前国島原(現在の長崎県)で発生した雲仙岳の火山性地震とその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の熊本県)を襲ったこと(肥後迷惑)による災害のことだそうです。
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山体崩壊で大量の土砂が有明海になだれ込んできた衝撃で10メートル以上の高さの津波が発生し、津波の第1波は約20分で有明海を横断して対岸の肥後天草に到達したそうです。大量の土砂は海岸線を870メートルも沖に進ませました。なるほどこの辺りが遠浅の砂地なのはその影響なのだと思いました。
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バスは最後のトイレ休憩の「道の駅有明リップルランド」に停車しました。ここは高台にあるので有明海がきれいに見渡せるということです。買い物もしたいですが、展望台に向かってみます。
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国道を渡る橋は天気のせいもありますが、エーゲ海沿いのギリシャの島々かトルコのリゾートを思い出させます。
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雲1つ無い晴天の空に真っ青な海が広がっています。コロナ禍の前にトルコのアンタルヤのリゾートホテル以来の眺めのような気がします。
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このリアルなオブジェは「ありあけタコ入道」というものだそうです。有明町はタコ飯が名物だそうです。タコ壺から這い出るタコが生きているようです。
道の駅 有明 道の駅
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約5,000万年前に浅い海で砂の層が堆積した海岸線の向こうに島原半島が見えます。
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「真黒石の浜(まぐろいしのはま)」と呼ばれる教良木層を主体とする泥岩の海岸線が続いています。この日周ってきた海岸線とは全く違った風景です。
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道の駅の中ではこの辺りで産出される石で造られた砥石が売っていました。「天草砥石であって堺の刃物」と称され、古い時代より採掘されていた「天草砥石」は戦国時代から刀剣や農具等を砥ぐのに日本全国に販路があったようです。オランダのライデン国立民族博物館に展示してあるシーボルトの収集品の大工道具の中に「アマクサイシ」というものがあるそうです。
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農産物コーナーでは大量のイチゴが安い値段で売っていました。持って帰れるのであれば持ち帰ってジャムにでもしたいところです。
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バスはしばらく海岸線を離れますが、景色はさらに美しく見えてきます。
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天草諸島の特徴的な構造の1つに褶曲(しゅうきょく)があります。褶曲とは地殻変動によって地層に大きな力が加わって出来た皺が寄ったように曲がりくねる現象のことですこの大地が風化侵食を受けて、このような「千巌山」などの山々が残っています。
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「天草五橋」を渡る際に見える島々も午前中よりもきれいに見えました。
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有明海の対岸の雲仙の山々に見張られているようです。
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だいぶ太陽が西に傾き始めて、水面がキラキラ輝いてまた違った雰囲気を見せてくれます。シルエットになった島々が美しいです。
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ようやく朝一番で観光した「三角西港」に戻ってきました。
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午前中に歩いた世界遺産の集落をスピードを落とすこともなくあっという間に通り過ぎます。
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「天草五橋」ともこれでお別れで、宇土半島に戻ってきました。
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バスの車窓からは午前中とは違った景色が見えてきました。ちょうど干潮の時間帯で遠浅の砂浜が現れていました。
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「御輿来海岸 (おこしきかいがん)」は風と波によって描かれる三日月型の模様で有名な場所なのだそうです。
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夕日も有名な場所で、夕陽百選や日本の渚百選に選ばれているようです。
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海中には道路が通っていて、軽トラが海の中を走っているようで不思議な光景です。
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海岸には「クロツラヘラサギ」が2羽餌を探していました。冬になると少数が九州や沖縄に飛来する渡り鳥のようです。干潟や浅瀬で水中や地中に嘴を浅く差し入れて細かくふるわせ、頸部を左右に振り採食を行うそうです。グーグルで写真を撮るとすぐに名前が分かる便利な時代になりました。
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夕焼けになったらさぞ美しい景色になるのだと思います。
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対岸の島原半島まで歩いて行けそうな気になってきます。
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「網田港東導流堤灯台」の堤防の漁船は泥に埋まっています。
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沖合に浮かんでいたはずの漁船も地べたにべったり底を付けています
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今まで見たこともない不思議な景色を見ることが出来ました。
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海苔養殖にとっても干満の差は重要なことで、日本一の干満差は最大で6メートルにもなります。干潮時は太陽の光をたっぷり吸収した海苔はうまみが凝縮され、独特の豊かな香りと風味が生まれます。
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海の中を電柱が延々と並ぶ姿は不思議な感じがします。以前行ったミャンマーのインレー湖では水の中に続く木製の電柱の下をボートでクルーズしたことが思い出されます。
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昨年行った有明海の対岸の柳川周辺の河川の河口付近も同じような泥に埋もれた風景を見ることが出来ましたが、熊本県側も同じような光景が広がっていました。
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大昔から変わらない風景なのだと思いました。一日かけての天草諸島のバスツアーでしたがとても勉強になりました。バスは熊本市内のホテルに向かってひた走ります。
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ホテルに戻ってから下通に繰り出します。この辺りは熊本県最大規模の活気のある繁華街です。アーケードからの脇道には昨日行った郷土料理の「居酒屋番屋」がありました。
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まずは昨晩予約した「紅蘭亭下通本店」という中華料理店に向かいます。ツアーの2日目の夜は晩御飯が含まれていませんでした。ツアーのタイトルは「阿蘇・熊本・天草うまいモン旅」なのですが、肝心なところは自分で補完しなければなりません。
紅蘭亭 下通本店 グルメ・レストラン
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2階の窓側の大きなテーブルに通されました。まずは1日のお疲れ様のビールで乾杯します。色々考えましたが、名物の「太平燕(たいぴーえん)」を含んだコースを注文しました。
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「紅蘭亭」は昭和9年の1934年にオープンした中華料理店で、外観は浦島太郎を迎えた竜宮城を模していたそうです。昭和20年の1945年の熊本空襲ではこの辺りはすべて焼失したそうです。現在の店も熊本地震の影響で、再オープンしたのは地震から4年経った2020だったそうです。
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注文した「季節の太平燕」コースは1人3,000円でした。まずは「三喜拼盤」という前菜の3品が出てきます。老舗ホテルの中華料理店の前菜で出てくるような歴史を感じるクラゲ酢です。
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続いて蒸し鶏と水菜とトマトのサラダ。
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白髪ねぎとチャーシューも老舗の中華料理店の味を感じます。
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「季節の太平燕(たいぴーえん)」が出てきました。これはスープ代わりのメニューのようです。大きなどんぶりで出てくるので2人で食べても食べ応えがあります。元々は福州市の郷土料理で、アヒルのゆで卵を入れたスープワンタンのようなものですが、日本のものはだいぶ違うようです。日本で入手しづらいアヒルの卵の代わりにニワトリの揚げ卵(虎皮蛋)と扁肉燕の代わりに春雨を用いたようです。このアレンジによってそれまでスープ料理であった太平燕が麺料理に変質しました。
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「酢排骨(すーぱいこー)」はカリッと揚げた豚肉にトロリとした餡がかかっておいしいです。
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「清炸鶏(ちんざーち)」は若鳥の唐揚げで、熱々のものに胡椒塩をかけて野菜と一緒にいただきます。
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思っていたよりもおいしい料理がどんどん出てくるので妻もご機嫌です。
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「干焼蝦仁(かんしゃおしゃーれん)」はエビチリです。プリプリの大きなエビがごろごろと入っています。
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最後にエビと卵のチャーハンが出てきました。お腹満杯になりましたが、さらに杏仁豆腐のデザートまでありました。お支払いは熊本県のクーポン券ですべて支払うことが出来ました。
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ホテルへの帰り道は「下通アーケード」ではなく別の道を歩いてみます。「クラブ通り」の正面に「ラーメン桂花本店」の看板が見えたので近くまで行ってみることにします。
桂花ラーメン 本店 グルメ・レストラン
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さすがに中華料理のコースを食べて来たばかりなので、食べたい気分にはなりませんでした。池袋の東口にもあるので近いうちに行ってみようと思います。でも本店にも入ってみたかったです。
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「フラワーショップジュリア」は近くの飲食店の需要が多いのでしょうね。同じような花屋さんが他にも数軒ありました。
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東京の繁華街より賑わっているように思えます。
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「セカンドサイト」という巨大な商業施設がありました。ファサードの巨大な扉は左右に開くようです。
スイス セカンドサイト栄通店 グルメ・レストラン
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1階に熊本の老舗ケーキ店「スイス」と先ほど行った「紅蘭亭」の姉妹店「ジャンジャンゴー」、2階と3階には無農薬自家菜園をもつイタリアンカフェレストラン「ジャルディーノ」、3階と4階には館内のすべてのフードが食べらる熊本名物カラオケ店の「花畑公民館」が入っているようです。
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調べてみると竣工は1988年とかなり古い建物だと分かりました。バブルのころに計画されたのでしょうね。東京でも同じころにすごい商業施設がたくさんできましたし、札幌にも英国人建築家のナイジェル・コーツが設計した「ノアの箱舟」も同じ年に出来ています。その3年後に出来た「キングムー」なんてディスコもありました。その当時いろいろな商業施設を見に行きましたが、熊本までは来ませんでした。
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充実したツアー2日目も終わり、翌日は熊本市内を自由に刊行して熊本空港へ向かいます。
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