2019/07/03 - 2019/07/03
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blumentalさん
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旅の後半(といっても残り2日半ですが)はベルギー方面です。前半のオランダでは、主としてライン川がらみでしたが、ベルギーではベギンホフのある町を巡ります。派手な場所ではなく、むしろ地味で静かな場所です。
最初に訪れる町ルーヴェンはフラームス=ブラバント州の州都で人口約10万人。歴史的には毛織物産業とビール産業で栄えた町です。観光スポットとしては町の中心にある市庁舎と聖ペテロ教会が見どころなのでしょうが、私の興味はベギンホフと郊外のアレンベルク城です。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
6月29日(土) 10:25関空~15:05スキポール空港、ロッテルダム(ロッテルダム泊)
6月30日(日) ミデルブルグ、フリシンゲン、ライデン(ロッテルダム泊)
7月1日(月) ライデン、ウールデン、スキーダム(ロッテルダム泊)
7月2日(火) アーネム、ナイメーヘン、スヘルトーヘンボス(ロッテルダム泊)
★7月3日(水) ルーヴェン、
メッヘレン(ロッテルダム泊)
7月4日(木) リール、トゥルンハウト、ヘーレンタールス(ロッテルダム泊)
7月5日(金) ブレダ、14:45スキポール空港~(機内泊)
7月6日(土) 8:45関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
朝のロッテルダム中央駅。今日から方角を南に向け、ベルギーのルーヴェンとメッヘレンを訪問します。
7:10発のブリュッセル方面行きのICに乗車。ベルギーの列車です。 -
オランダのICはWiFi完備でしたが、ベルギーの列車には設備無し。途中、ブレダ駅から列車の向きが変わり、8:37にメッヘレン到着。メッヘレン観光は後回しで、先にルーヴェンに向かいます。
8:48発のICに乗り換えて9:13にルーヴェン到着。 -
ルーヴェン駅って結構大きいんですね。予想してた以上なんで驚きです。
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駅前のマルテラーレン(殉教者)広場Martelarenpleinの中央には第一次世界大戦の犠牲者のための平和記念碑Vredesmonumentがあります(1925年建設)。
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バス・トラムの1日乗り放題パスDagpassenを購入(7ユーロ)。
ベルギーのバスは初めてです。6番乗り場から9:33発のヘベルーHeverlee行きの2番バスに乗車。郊外のアレンベルク城を目指します。 -
バスは駅正面から西に延びる大通りを進み、すぐに市庁舎前のフローテ・マルクト広場Grote Marktに。私以外の乗客は皆ここで降り、私ひとり。バスは左折、ナームセ通りNaamsestraatを南に向かいます。
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ベルギーのバスは要注意です。次のバス停のアナウンスや車内表示が全くありません。私はこのことを知っていたので、バス路線をしっかり予習して、バス停が見えるように右側の座席を陣取りました。
バスは途中から鋭角に曲がって、今度は北西の方向に郊外を進みます。9:54、バス停Heverlee Kasteel Arenbergに到着。 -
バス通りの東側には緑地が広がっています。どうやらこれが城公園Kasteelpark Arenberg(実は大学のキャンパス)のようです。そして公園の中を東西にダイレ川Dijleが流れています。
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川沿いに東に歩くと城らしき建物が見えてきます。
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イチオシ
おお、これがアレンベルク城Arenbergkasteel。
手前(南側)には広い公園。かなり下がって撮ったんですが、後ろにはまだまだ緑地が続いています(南北に200mほどあります)。 -
この地には12世紀に建てられた城がありましたが、1445年に土地を買い取ったクロイ家が中世の城を取り壊して現在の城を建てました(1515年完成)。1612年のクロイ家最後の当主チャールズ3世の死後、ドイツのアレンベルク家(チャールズの妹の嫁ぎ先)に引き継がれました。
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広い公園の住民がいます。
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ここは第一次世界大戦まではアレンベルク家の城でしたが、アルンベルク家はドイツ出身だったため、大戦後に城はベルギー政府に押収されました。そして1921年にルーヴェン・カトリック大学が城を購入し、現在は工学部の本館になっています。
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アレンベルク城の建築時はフランドルルネサンス様式でしたが、19世紀には、ネオゴシック様式で大規模に改装されたそうです。
城の前にはダイレ川に架かる橋があります。 -
橋から南を振り返って。南北に長い公園です。
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広い公園の東側には大学の建物(たぶん電気工学科)が見えます。
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橋を渡り入口を抜けると城の中庭に出ます。庭の中央には、何やら鳥の彫刻(あまり、ぱっとしません)。
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城の裏面と中庭。ここが現在大学の講義棟なんですね。
ルーヴェン・カトリック大学Katholieke Universiteit Leuvenは1834年創立で、現在59,000人近くの学生を要し、オランダ語を母語とする大学では最大です。1968年にこの大学から分裂してフランス語を母語とするルーヴァン・カトリック大学がベルギーのルーヴァン=ラ=ヌーヴの街にできました(現在学生数34,000人)。よく似た名前でややこしい! -
1425年に創立されたルーヴェン(旧)大学と混同して紹介された解説をよく見かけますが、旧大学は1797年に廃止されています。メルカトル図法のメルカトルが学んだのは旧大学の方です。
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城の東側の面です。城の東側と北側は森になっていました。
最後のオーストリア皇帝カール1世の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルクはルーヴェン・カトリック大学で政治学と社会学の博士号を得ています(1935年)。 -
再びバス停Heverlee Kasteel Arenbergから乗車。市街に戻ります。
車内アナウンスも表示もないバスですが、町の人って風景だけで降りる所を覚えてるんですかねえ(観光客にそんなの求められても困りますが)。
次のターゲットは大ベギンホフ。 -
市街のナームセ通りに入ってすぐのバス停Sint-Kwintenskerkで下車。通りの西側には聖クウィンテン教会Sint-Kwintenskerk。
通りに面して(教会の東側に)小さな礼拝堂があります。 -
礼拝堂の名前は「石のイエス礼拝堂」Kapel van Jezus in 't Steentje(1814年建築)。中をのぞくことができましたが、特に何も。
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聖クウィンテン教会は13世紀前から16世紀にかけて、ブラバントゴシック様式で建てられました。教会は芝生で囲まれた小高い場所にあります。残念ながら教会は閉まっていました。
(上)教会の北東側。(下)南西側。 -
聖クウィンテン教会から路地を北に行くと、別の教会が見えてきます。ここが大ベギンホフGroot Begijnhofの南東の角にあたります。
この教会の名は洗礼者聖ヨハネ教会Sint Jan de Doperkerk。 -
教会の南側は西に延びるベギンホフケルク通りBegijnhofkerkstraatで、煉瓦造りの家がずらりと並んでいます。
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教会の東側のスカーペン通りSchapenstraatから。
大ベギンホフの周囲は煉瓦の屏と建物で囲まれています。 -
スカーペン通りに面して門があります(1805年再建)。ここが大ベギンホフの東側入り口です。
このベギンホフは13世紀初頭に設立され、現存するベギンホフでは最大級かつ保存状態も良いことで知られています。もちろん世界遺産「フランドル地方のベギンホフ」13件のひとつ。
※ガイドブック「歩き方」’19年版には、このベギンホフは全く登場しません。手抜きですな。 -
門をくぐって通りを西へ。教会の北側に沿って。
ベギン会は独身女性が修道院に所属せず、半聖半俗の共同生活を行うために形成した独自の自治体のことで、彼女らが共同生活を送った場所がベギンホフ(ベギン会院)です。ですから修道院とは無関係。 -
洗礼者聖ヨハネ教会の南西側。
14世紀初頭に建築の始まったこの初期ゴシック様式の教会が、大ベギンホフで最も古い建物になります。内部はバロック様式の装飾そうですが、教会は閉まっていました(午後開くようです、残念)。 -
イチオシ
教会の西側から北に向かって延びる通りの風景。
ベギンホフができた頃は土を詰めた茅葺屋根に木骨造りの家でしたが、煉瓦造りになったのは17世紀からのようです。
ブルージュの白壁のベギンホフと違って、ここは赤茶色煉瓦の一色です。 -
おっ、木骨造りの家が1軒ありますね。
ここは1962年からルーヴェン・カトリック大学の所有となり、1964-89年に建物の大規模な修復が行われました。最後のベギンは1988年に亡くなったそうです。 -
教会から西へ行くと水路(ダイレ川の一部)がありました。
ベギン会の女性は、敬虐な生活を営みつつ、羊毛を洗ったり布を漂白したり、町で家事手伝いをしたりして生計を立てました。ベギン会では自立が基本です。
さらに彼女らは、貧民や病人、老人などの生活援助や看護も積極的に行っています。 -
さらに西へ。視界に入るのは煉瓦造りの家と石畳だけ。静寂に包まれた空間です。
塀で囲まれた区域に中世の共同体の街並みがそのまま残されています。 -
再びダイレ川。こちらが主流のようです。
ここからダイレ川沿いに1.5km進むと、先ほどのアレンベルク城にたどり着くはずです(地図を見て気づきました)。 -
ダイレ川を西にわたってもまだベギンホフが続きます。広い!
大ベギンホフの全盛期は17世紀中頃で、当時360人のベギンが住んでいました。増えたベギンを収容するため17世紀に拡張されたのがこの川の西側地域です。 -
Spaans Kwartier(スペイン広場)という名の緑の広場を囲んで煉瓦の施設が並んでいます。ここらあたりがベギンホフの西端でしょうか。
現在は大学の所有ですから、大学の学生や教職員の住宅として利用されています。世界遺産の中で暮らせるとは。 -
今度はダイレ川の東側に戻り、ベギンホフの北側方向に行ってみました。
途中で雰囲気の全く違う1軒の建物に出くわしました。別の場所にあった聖ニコラスの家Sint-Niklaashuis(1664年建築)を1974年にここに移設したそうです。古典主義の美しいファサードですが、ベギンホフには似合わないと思います。 -
最初、煉瓦と石だけのイメージでしたがとんでもない。建物の裏側に緑がたっぷり。
裏庭ごしに南に目を向けると、向こうに聖ヨハネ教会が見えました。 -
大ベギンホフの北端はLaudato si' boomという広場(庭?)です。芝生の向こうの屏までが大ベギンホフです。
向こうに見える建物はツワルツスター修道院です。 -
まだ歩いていない通りを南へ、聖ヨハネ教会の方向に戻ります。
茶色の煉瓦、石畳、そしてこの静寂感がたまりませんね。観光客もほとんど見かけません。すごくいい。 -
実際に人も住んでいるのにこの静けさ。この環境はぜひ維持していただきたいと思います。
※「歩き方」ガイドに掲載されていないのが幸いかも。 -
大ベギンホフの東門から出て、外壁に沿ってスカーペン通りを北上します。
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大ベギンホフの外壁の北側に、ツワルツスター修道院Zwartzusterskloosterの旧礼拝堂があります。
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スカーペン通りに面した修道院の東側の面。
修道院は1438年に設立され、病人、特にペスト患者の世話をするに貢献したそうです。 -
礼拝堂は閉まっていましたが、中庭に入ってみました。修道院は1969年に役目を終え、それ以降ルーヴェン・カトリック大学の学生寮となっています(ここもか!)。
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修道院からスカーペン通りを350mほど北へ進むと交差点の東側に聖アントニウス礼拝堂Sint-Antoniuskapel。
1299年に建てられたマリア礼拝堂を1617年に聖アントニウス礼拝堂の名前で再建したそうですが、古いのか新しいのかよくわからない教会でした。 -
聖アントニウス礼拝堂からシント・アントニウスベルク通りを東に行くとナームセ通りとの交差点に聖ミヒエル教会Sint-Michielskerkがあります(1650-71年建設)。
大きな教会で、内部も立派だろうと期待していたのですが、ここも閉まっていました。 -
聖ミヒエル教会の裏側に廻ろうとしたのですが、(旧)教皇大学Pauscollegeと繋がっていてたどり着けません。
教皇大学は1523年の設立ですが、18世紀末から共和党本部、病院、兵舎になり、1835年からルーヴァン・カトリック大学の学生寮になっています(ここもか!)。 -
旧教皇大学の中庭(駐車場)に入って眺めた、教会の後陣側(東側)です。
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今度は聖ミヒエル教会前からナームセ通りを北へ。郊外へ行くのにバスで通った道です。
ナームセ通りの北端が観光の中心フローテ・マルクトです。 -
通りに面して立派な門があったんで覗いてみたら、(旧)精霊大学Heilige Geestcollegeでした。1442年創立の歴史ある大学でしたが、1835年からルーヴェン・カトリック大学の所有で男子学生寮に使われています(何と、ここもか!)。
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ナームセ通りを少し北に行くと左手にルーヴェン・カトリック大学の大学ホール KU Leuven Universiteitshalがあります。
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大学ホールは元はルーヴェン市の織物会館Lakenhalだった建物です。現在は大学の管理棟で、ショップやカフェもあります。
トイレを利用させてもらいました(大学って便利)。 -
ナームセ通りを北に、フローテ・マルクト広場に到着。真正面には世界遺産の聖ペテロ教会(の南側翼廊)。
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そしてて右手にルーヴェン市庁舎Stadhuis van Leuven。聖ペテロ教会とセットでルーヴェン観光の見どころトップのようです。どちらも世界遺産のように思われがちですが、この市庁舎は世界遺産ではありません(鐘楼じゃないからね)。
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誰もが注目する北側の面。
1439-69年にブラバント後期ゴシック様式で建てられました。 -
ファサードには計149体の彫像があります。でも彫像が造られたのは1849-80年なんで、それ以前はどんな装飾だったんでしょうかねえ。さらに1895-1913年には塔部分に87体の彫像が追加されました。
彫像全体が模様に見えて、一体一体に注目できません。 -
市の行政業務は2009年から駅の南側の新市庁舎に移り、現在ここは結婚式などの儀式や式典のために使われています。
お目出たい儀式の後の記念撮影にはうってつけの場所ですね。 -
イチオシ
建物全体をとらえようとするとどうしても斜めからになります。ファサードが北面というのが残念です。
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聖ペテロ教会と並べて撮ろうとするとフローテ・マルクトの東側から外れて、隣接するレクター・デ・ソマー広場Rector De Somerpleinまで下がります。
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ここに立つのはフォンスケFonske像、正式名はフォンス・サピエンティアエFons Sapientiae(知恵の泉)。
1995年にルーヴェン・カトリック大学創立550周年を記念して大学から寄贈されたものです。
頭に水を注ぎ、本を読んで知恵を働かせる学生を描いたようですが、誰もがビールを飲酒する学生像と捉えているそうです。 -
イチオシ
さてお次は聖ペテロ教会Sint-Pieterskerk、教会の東側(後陣側)です。
986年創建のロマネスク様式の建物の跡地に、ブラバントゴシック様式で1425-1518年に建てられました。
こちらは世界遺産で「ベルギーとフランスの鐘楼群」56件のひとつ(56件もセットにしなくてもいいのに)。 -
教会の北東側(上)と北西側(下)。
西側上部が切り取られているように見えるのは、16世紀に西側に3つの尖塔を建てる予定が地盤の安定性が問題で中止されたためです。 -
教会の西側、こちらが正面入り口。
この教会、尖塔建設が未完成のため西側の外観はぱっとしません。 -
教会の身廊です。白い壁と柱、広い空間。教会の全長は93mあります。
(左)内陣に向かって。(右)拝廊に向かって。 -
側廊はぎっしり礼拝堂(サイドチャペル)で占められています。
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教会は2つの世界大戦で深刻な被害を受けています。1914年に火事で屋根が崩壊し、多くのサイドチャペルや祭壇、宝物を失い、1944年には爆撃で北側翼廊が破壊されています。
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あれっ、内陣が工事中!
足場が組まれて、シートで隠されています。シートには申し訳なさそうに、この教会の三連祭壇画の「最後の晩餐」が描かれています。 -
聖歌隊席や祭壇、そして後陣の様子が全く分かりません。
後期ゴシック様式の内陣仕切りだけは見られました。1488-90年の製作で、ベルギーでは最古のもののようです。 -
内陣仕切りの真上にあるキリスト磔刑像。後ろに足場があるので、十字架まるごと、はりつけられているように見えます。
よく見たら足場で作業している人がいますね。このキリストが等身大ってことが確認できます。 -
(左)バロック様式の説教壇(1742年作)。
(右)パイプオルガン(1951年設置)。南側の側廊にありました。 -
聖母子像Sedes sapientiae。「知恵の玉座」を意味し、ルーヴェン・カトリック大学のシンボルとして校章にも描かれています。
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教会の南側に出ました。翼廊を見上げると金色の鐘つき人形がいました。
名前はマスター・ヤンMeester Jan (1998年設置)、15分ごとに鐘をつくそうです。 -
バス乗り場を求めて教会の北側に廻ろうとしたら、幸せをいっぱい乗せたような車とすれ違いました。
車はそのまま市庁舎前に。たくさんの人の祝福が待っているようです。 -
次は聖ペトロ教会の北側のバス停Leuven Rector De Somerplein perron Bから4番バスに乗って北方向へ、小ベギンホフを目指します(たいした距離ではありませんが、1日乗車券があるんで利用しました)。
5分後にバス停Half Maartstraatで降り、バス停から東に100mほど歩くと聖ヘルトルイ教会Sint-Geertruikerk。 -
聖ヘルトルイ教会は1206年に設立された旧アウグスティヌス修道院の付属教会でした(1797年に修道院は解散)。
なかなか外観の良い教会です。内部も期待されますが、ここも閉まっていました。 -
さて、この教会の北側の区域にあるのが、小ベギンホフ(小ベギン会院)Klein Begijnhofです(こちらは世界遺産ではありません)。
-
イチオシ
ルーヴェンの小ベギンホフは13世紀後半に設立されました。南の大ベギンホフとは関係のない別のコミュニティで、現在約30軒の煉瓦の家が残っています。
煉瓦の家と石畳の通りですが、家の表面は真っ白に塗られているので、大ベギンホフとは全く違う風景です。 -
通りを北に向かって。
大ベギンホフほど静寂さは感じられませんが、何か不思議な雰囲気です。 -
通りから南を向くと、先ほどの聖ヘルトルイ教会の尖塔が見えます。
17世紀に全盛期(ベギン約90名)を迎え、1636-42年にここにもベギン会の教会が建てられたそうですが、フランス革命後衰退し、1862年に教会は取り壊されました。
ここの最後のベギンが亡くなったのは1855年です。 -
小ベギンホフの家は2000年に修復されて、個人に販売されたそうです。
このベギンホフは 1 本の通りと 2 本の行き止まりの路地だけですので、散策するのに時間はかかりませんでした。規模に違いがあるものの、両方のベギンホフが見られて満足です。 -
聖ヘルトルイ教会の横を通って、バスで来た道をてくてく戻ります。すんなりフローテ・マルクトを目指すのではなく、途中で少し寄り道をします。
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ダイレ川沿いのディルク・バウツラーン通りDirk Boutslaanまで戻ったところで出会ったブロンズ像。第3代ベルギー国王アルベール1世(在位1909-34)です。第一次世界大戦で中立のベルギーに侵攻しようとするドイツ軍に強く反抗した国王です。
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南東に延びるディルク・バウツラーン通りの先に聖ペテロ教会が見えます。あちらには行かずに西方向に行くと...。
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ハンドボーフホフHandbooghofという木の茂った公園(ハイキングコース)に出ました。
ここにあるのがルーヴェンの市壁Stadsomwalling跡です。12世紀に聖ペテロ教会を中心として円形の市壁(全長2700m)が建設され、現在も部分的に残っている6か所のうちのひとつがここです。 -
ここには2つの塔と長さ70mの市壁が残っています。
14世紀になるとさらに外周に第二の円形防御壁(全長7100m)が造られました。こちらは現在のルーヴェン環状道路に相当する規模のものですが、現在はほとんど残っていません。 -
ハンドボーフホフを南に抜けた後、ブリュッセル通りBrusselsestraatを東に進むと(旧)聖エリザベス病院(救済院)Sint-Elisabethgasthuisがあります。1222年に病院や修道院、農場を含む複合施設として建てられました。
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聖エリザベス病院は何度も火事に遭遇しており、1830年頃に部分的に取り壊されていましたが、1980年になって建物は修復され文化センターとして蘇りました。
聖エリザベス病院の最も古い部分(13世紀前半)が、このロマネスク様式の門Romaanse Poortです。 -
ブリュッセル通りを東に。
フローテ・マルクト広場に到着。すごく賑やかです。 -
市庁舎を西側から。
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フローテ・マルクト東側のホテルTafelrond。いい場所に建っていますな。
ではここからボントヘノーテン大通りBondgenotenlaanを駅方向(東)に向かいます。 -
イチオシ
途中で右折するとモンシニョール・ラデウス広場Monseigneur Ladeuzepleinという全面石畳のルーヴェン最大の広場に出ます。
広場の東側に建つのがルーヴェン・カトリック大学の図書館Universiteitsbibliotheekです。広場の名前のラデウス司教はルーヴェン・カトリック大学の学長(在職1909-40)でした。 -
最初の図書館は大学ホールの場所にありましたが、第一次世界大戦時(1914年)にドイツ軍によって焼かれたため、1921-28年にここに新たにネオルネッサンス様式で建設されました。そして第二次世界大戦時(1940年)にも炎上し、戦後に復元されました。
図書館部と塔部分は別料金で、図書館だけ見学しました。 -
閲覧室はすごく広いです。全体が木造というのは落ち着きますね。但し、歴史的な装飾や古書が並んでいるわけではないので特に感動はありません。
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おやおや、私にもすんなり読めそうな本のコーナーもありました。
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館内をうろうろしましたが、特に興味をひくものはありませんでした。
でもルーヴェンはカトリック大学関連施設だらけの学術都市であることがよくわかりました。
さて、駅に向かう時間です。 -
ボントヘノーテン大通りに戻り、駅に向かう途中で出会ったユストゥス・リプシウス(1547-1606)の像。
ルーヴェン大学(旧)を卒業した人文学者で、イェーナ大学ではルター派信者、ライデン大学ではカルヴァン派信者、ルーヴェン大学ではカトリック信者として教壇に立ちました。宗派がコロコロ変わった不思議な学者です。 -
ボントヘノーテン大通りを駅方向に向かって。ボントヘノーテンBondgenotenて同盟国って意味なんですね。
今朝、ここを逆方向にバスで通過しました。 -
ルーヴェン駅に到着。14:24発のICでメッヘレンに向かいました(14:52着)。次のメッヘレンにもベギンホフがあります。
(メッヘレン)https://4travel.jp/travelogue/11841424
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この旅行記へのコメント (2)
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- noboruさん 2023/08/26 13:50:27
- お読みいただきありがとうございました
- ベギンホフについては全く知りませんでした。詳細なご説明でよくわかりました。
女性の生き方として誠に真っ当ですね。
御礼まで
- blumentalさん からの返信 2023/08/26 21:22:37
- Re: お読みいただきありがとうございました
- noboruさん
こちらこそお読み下さり、さらにコメントまで頂きありがとうございます。
中世から女性だけの自立した共同体があったことに興味を持ちました。観光としては地味な場所ですが、茶色の煉瓦の建物、石畳、そして静寂感漂う雰囲気が魅力です。
blumental
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