2019/07/02 - 2019/07/02
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blumentalさん
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観光3日目、今回の旅の主目的であるオランダのライン川を見に、アーヘンとナイメーヘンに行きます。ドイツではライン川沿いのたくさんの街を見ていますが、その後オランダのどこを流れるのか今まで意識していませんでした。
オランダ東部のアーネム(アルンヘムArnhem)はオランダでは珍しく丘陵が多い地帯で、森林もかなりあります。アーネムは1233年に都市権を獲得し、1443年にはハンザ同盟に加盟した歴史ある街です。
1944年9月、オランダ・ドイツ間の5つの橋の制圧を目指したマーケット・ガーデン作戦で、5つ目の橋を巡って熾烈な戦いが展開された街がアーネムです。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
6月29日(土) 10:25関空~15:05スキポール空港、ロッテルダム(ロッテルダム泊)
6月30日(日) ミデルブルグ、フリシンゲン、ライデン(ロッテルダム泊)
7月1日(月) ライデン、ウールデン、スキーダム(ロッテルダム泊)
★7月2日(火) アーネム、
ナイメーヘン、スヘルトーヘンボス(ロッテルダム泊)
7月3日(水) ルーヴェン、メッヘレン(ロッテルダム泊)
7月4日(木) リール、トゥルンハウト、ヘーレンタールス(ロッテルダム泊)
7月5日(金) ブレダ、14:45スキポール空港~(機内泊)
7月6日(土) 8:45関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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観光3日目、あー眠、今日も早起き。今回の旅行の主目的であるオランダのライン川を見に、まず目指すはアーネム。
ロッテルダム7:05発のIntercityでまずはユトレヒトへ。 -
7:42ユトレヒト到着。3年前ユトレヒトを訪れ、次回はドム塔に上ろうと思っていましたが、予定が組めず今回はパス。7:54発のIntercityに乗り換え、アーネムに向かいます。
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8:29、アーネム中央駅に到着。綺麗なホームです。
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駅の跨線橋から。右がアーネム中央駅駅舎。
旧市街とライン川は駅の南側にありますが、まずは駅の北出口に向かいます。 -
駅の北口を出て北東方向に通りを進むと、オランダ水博物館Nederlands Watermuseumの前に出ます。
博物館の後ろにはソンズベーク公園Park Sonsbeekが広がっています。 -
オランダ水博物館は、堤防管理、飲料水、地下水など、淡水をテーマにした博物館です。傍にあったブロンズ像は「カエルの王様」Kikkerkoning(2004年作)。
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もともとはここは16世紀に建てられたバギーネ水車Bagijnemolenという製粉所(ここでは風車ではなく水車です)でした。1967年に施設はマス養殖場に改築されましたが、2004年には水博物館としてオープンしています。
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博物館のすぐ北にある噴水池Fonteinvijver。
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公園の北側は森がずっと広がり、オランダでは珍しい丘陵地帯になっています。
でもそちらには進まず、南端の草原の区域を東に移動しています。 -
森の手前にローレンツ記念碑Lorentz-monument(1931年設置)を発見。アーネム出身者で一番に思いつくのはヘンドリック・ローレンツ。これほどの大物なら絶対この街に記念像があると期待していました。
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ヘンドリック・ローレンツ(1853-1928)。
昨日ライデン大学旧物理学研究所を見ましたが、彼はそこに理論物理学教授として24歳で就任(若っ!!)。原子が荷電粒子で構成されていると予想、磁場中で運動する電子に作用する力を見出しました。1902年、ピーター・ゼーマンと共にノーベル物理学賞受賞。 -
左の壁には、ホイヘンス、フレネル、マクスウェル(写真上)、右の壁にはプランク、アインシュタイン、ボーア(写真下)の名前が読み取れます。大物揃いですね。左は彼に影響を与えた物理学者、右は彼に影響を受けた物理学者ってとこでしょうか。
その下にもたくさん(たぶん100人以上)の名前が刻まれています。おそらくローレンツの弟子や後継者だろうと思います。 -
予備知識なしに見たら、宗教改革者の記念碑か戦争の慰霊碑のように思えますね。
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記念碑から東へ、なだらかな上り坂の先に立派な3階建ての建物が見えてきました(逆光が眩しい)。
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ソンズベーク・ハウスHuis Sonsbeekという白塗りの小宮殿の様な建物。
1744年に建てられて1821年に新古典主義で改装された以外は不明(調査不足)。 -
イチオシ
もっと不明なのはこいつ。丘の斜面に寝そべっている不気味な奴。
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どうやらこの彫刻の名は「怠け者の王」Lazy King(2008年作)。
ここに設置された意図はわかりませんが、絶対に落書きのターゲットになりそうですね。 -
丘の上から南に向かって。丘のすぐ下には鯉の池Karpervijver。
ずっと向こうには旧市街が広がっています。中央の尖塔は聖エウセビウス教会。 -
丘を降りて、池から振り返った風景。丘と言ってもこの程度です。
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公園沿いに南に向かいます。
右の高いビル2棟の下がアーネム駅。 -
公園の南端からゼイペンダールセ通りZijpendaalsewegを南へ。線路の下を潜ります。
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線路の南側は旧市街。駅の東側にあるウィレムス広場からヤンス通りJansstraatを南に(標識の中にジョン・フロスト橋を見つけたので)。
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歩いてきたヤンス通りを振り返って。
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この後、ヤンス通りの一本西のコルテ通りに移動、コルテ通りKortestraatを南に進んで振り返った風景。
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コルテ通りを抜けると左手(東側)には自転車がずらり、これはよく見る風景。しかし、後ろの公園には。。。
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恐竜かと思えば、巨大なツチブタの像です。でかい! 長さ30m、高さ9m。
これはFeestaardvarken(パーティのツチブタ)という名で、バーガーズ動物園Burgers' Zoo(駅から3km程北にあります)が2013年に開園100周年を記念して、アーネム市に貸与したものだそうです。 -
ここはバルトーク公園Bartok Park、普段は子供の遊び場になっているんでしょうね。ツチブタのお腹の上にも上がってみましたが、頑丈でした。
※この旅行記執筆中に、この像は2021年6月に撤去されて既にここにはないことを知りました。 -
公園前のクライネ・オールト通りKleine Oordを南東に進むと、向こうに聖エウセビウス教会が見えます。
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途中の広場にあった戦争記念碑「権力に反対する男」Mens Tegen Macht(1953年作)。小学生が先生の説明を聞いています。
ここら一帯は教会広場Kerkpleinという名前でしたが、昨年(2018年)からオードリ-・ヘプバーン広場Audrey Hepburnpleinに改称され、記念碑もここに移設されました。戦時中、オードリーはアーネムに疎開していました。 -
聖エウセビウス教会Sint-Eusebiuskerk、街の大教会Grote kerkです。
1467-1538年に後期ゴシック様式で建てられ、1579年からプロテスタントの教会に。1944年アーネムの戦いでほぼ全壊しましたが、1947-64年に再建され、街の復興のシンボルになっています。 -
塔の高さは93m。塔内にはガラス張りのエレベーターが設置され、73mの高さの展望台に繋がっています。昨年(2018年)ガラス張りのバルコニーも設置されたそうです。よく見ると確かに塔から突き出ていますね(怖っ)。でも修復工事はまだ続いていて入れませんでした(2か月後の9月にオープン予定)。
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イチオシ
聖エウセビウス教会の南側の面。教会の周囲には工事の柵やら重機があって近づけません。
教会の南側には広いマルクト広場Marktがあります。今日は野外市の日ではないので、ほとんど人がいませんでした。 -
広場の南側にはヘルダーラント州庁舎Huis der Provincie Gelderland。アーネムはヘルダーラント州の州都です。
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州庁舎の西側に隣接するサーベル門Sabelspoort。
かつてアーネムに4つあった城門の1つです(文献では1357年に初めて言及)。防御門の他、囚人や狂人の投獄にも使われていました。1642年、広場側にルネサンス様式のファサードが追加されました。アーネムの戦いで損壊しましたが、1952年に再建。 -
門を潜って振り返ったサーベル門。南側(ライン側)の面です。
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イチオシ
門から南に抜けると、すぐ目の前にライン川が登場(おお、これが見たかった!)。厳密にはネーデルライン川Nederrijn。
ドイツから流れてきたライン川は、オランダに入るとすぐに北に向かうネーデルライン川と西に向かうワール川に分岐します。ワール川はこの後訪れるナイメーヘンに流れていきます。 -
湾曲するネーデルライン川は、ここでは南東から北西に流れています。
上流側に架かるのは、1977年の映画「遠すぎた橋」でお馴染み、ジョン・フロスト橋John Frostbrug。 -
河畔にはヤコブ・グルーネウッド公園Jacob Groenewoud Plantsoenという三角形の小さな公園があり、カナダ製の25ポンド砲が置かれています。
残念ながら、この大砲は戦いに使用したものではありません(英国空挺部隊はこの大砲を空輸できなかったため、アーネムの戦いには使えなかったそうです)。 -
公園の名前のヤコブ・グルーネウッド(1916-44)は、このアーネム橋の戦いで戦死したオランダの歩兵予備隊長です(死後、軍事ウィリアム勲章を授与されました)。
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すぐ近くに「解放ルート標識22」Liberation Route Marker 22もありました。
解放ルート標識は、世界大戦中のヨーロッパを解放する連合国の進行コース(ノルマンディー~ベルリン)をたどる記念碑になっています。 -
ここには橋の空挺博物館Airborne Museum at the Bridgeがあり、アーネムの戦いの情報センターになっています(2017年開館)。
今10:00ちょうど、タイミングよく開館。 -
入館は無料。アーネムの戦いで損壊した街と橋の写真がパネル展示されています。
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そして、アーネムの戦いがアニメ上映されていました。映画「遠すぎた橋」ではアーネム周辺の位置関係がよくわからなかったのですが、これを観て軍の配置、進行などが理解できました。
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アーネムの戦いを4コマ厳選で超ダイジェスト解説すると。。。
(上)1944年9月17日、マーケット・ガーデン作戦の一環として、アーネムのライン橋を確保するために英第1空挺師団が降下。しかし降下地点は橋から13km西の地点、橋を確保するためには徒歩あるのみ。
(下)9月18日、前日アーネム橋の北端に唯一到着できたジョン・フロスト中佐の部隊が、橋の南端を確保するため2回にわたり突撃を試みるが撃退される。救援の英軍旅団は独SS装甲師団によって撃退され、フロスト軍は完全孤立。 -
(上)9月21日、フロスト軍は北の市街地からの独軍と橋の南側の独軍の両方から猛攻を受ける。前日、南のナイメーヘンの橋を確保した英第30軍団は独軍の対戦車砲を恐れてアーネムへの進軍を停止。弾薬の全てを使い果たしたフロスト軍は降伏。
(下)独軍の攻撃が続く9月25日、ライン川北岸(オースターベーク)の英第1空挺師団は、救援に来たポーランド軍と共に撤退を開始。アーネムの戦いは連合軍の敗退、そしてマーケット・ガーデン作戦は失敗に終わる。 -
さて、次はこの街訪問の第一目的、ジョン・フロスト橋へ。ライン川で一番渡りたかった橋です。
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イチオシ
全長は601m(長っ!)。
橋の始まる北端まで行かなくてもライン川岸から橋の上に上がる階段がありました。 -
ジョン・フロスト中佐が渡れなかった橋。映画「遠すぎた橋」で英軍側から見た光景です。
おっ、さっき出会った小学生グループが、ここでもお勉強中。 -
もとのライン橋Rijnbrugは1932-35年に建設され、1940年ドイツの侵攻から防衛するため一度爆破されましたが、1944年2月に再建。
1944年9月マーケット・ガーデン作戦の舞台となり、ドイツ軍がこの橋を死守しましたが、同年10月に英米空軍によって爆破されています(何か空しいですね)。 -
戦後間もなく(1948-49年)破壊された橋と全く同じスタイルで再建され、1978年にジョン・フロスト橋に改名されました。
橋の上はナイメーフセ通りNijmeegseweg。今、橋の西側の歩道を渡っています。横の自転車道に気を付けないと、自転車が結構なスピードで通り過ぎます。 -
橋の北西側(下流)風景。ずっと向こうに見える橋はネルソン・マンデラ橋Nelson Mandelabrug。
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イチオシ
ネーデルライン川の北岸。今まで歩いていた川沿いの広場と旧市街。
やはり目につくのは聖エウセビウス教会の尖塔。でも映画にはこの尖塔は登場しません。戦後のアーネム市街の景観が変わってしまったため、市街や橋での戦闘シーンは、当時の景観が残っている別の街デーフェンテルDeventerで撮影されました。 -
ライン川を越えたあたりで振り返った橋の北側風景。
映画「遠すぎた橋」ではドイツ軍側からの光景です。 -
ライン川を渡っても、橋はまだ半分残っています。橋の南半分は、細長い池をまたいでおり、橋の南側には緑で囲まれた住宅地が広がっている様子でした。
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橋の中央あたりの橋脚から降りて、橋の反対側に移動しました。
橋脚の建つ緑の河原では、牛が放牧されたのどかな風景が見られます。 -
ジョン・フロスト橋の中央の橋脚下から南の眺め。橋は南にあと半分ありますが、ここらで引き返します。
映画では橋の南側袂に風車が映っていましたが、ここにはありません。撮影に使われたデーフェンテルのウィルヘルミーナ橋には、同じ場所に風車があります。 -
イチオシ
橋の中央の橋脚下から北の眺め。今度は橋の東側の歩道を通って旧市街に戻ります。
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橋から眺める南東側(上流)の風景。ここから17kmほどさかのぼればドイツ国境です。
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橋の北側袂の西側。フロスト中佐の部隊が潜んでいたのはここら辺りと思います。
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既に下に川はなく、橋の北側袂と言いつつも、どこまでを橋と呼ぶのかわかりません。ナイメーフセ通りがまだ北に続いています。
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ナイメーフセ通りから北の方向に見えた聖ヴァルブルギス教会St. Walburgiskerk。
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ナイメーフセ通りの突き当りには煉瓦の壁で囲まれた円形の空挺広場Airbornepleinがあります。おじさんが花壇の手入れをしています。
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広場の中央には空挺記念碑Airborne-monument。石碑には1944年9月17日の文字、マーケット・ガーデン作戦が開始された日です。
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空挺広場の西側のヴァルブルフ通りWalburgstraatから見た聖ヴァルブルギス教会。
1315-75年頃にゴシック様式で建設。宗教改革によるカトリック禁止時代は刑務所や武器保管庫に使われましたが、1808年にカトリック教徒に返還されました。アーネムの戦いで完全に破壊されましたが、戦後に再建されました。 -
聖ヴァルブルガ教会の西側。
教会は2013年から礼拝を止め、2018年から博物館になっています。 -
ヴァルブルフ通りは聖ヴァルブルガ教会の西側にも延びており、通りに面して近代的なアーネム市庁舎Stadhuisが建っています(1964-68年建設)。2つの教会の間にあるため、高さが制限されているそうですが、横に長いです。
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市庁舎のすぐ西隣には聖エウセビウス教会(教会の後陣側です)。
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市庁舎の西端の一部は悪魔の家Duivelshuisと呼ばれます。
15世紀のアーネム市長の家を将軍マールテン・ファン・ロッセム(1478-1555)が購入し、1543年に再建。その後所有者は代わり、1898年から市庁舎に。アーネムの戦いで市街の大部分は破壊されましたが、この悪魔の家だけは免れました。
悪魔の家の名は、ファサードのサテュロスの像に由来するそうです(悪魔と勘違いされたのか?)。 -
イチオシ
昨日ライデン市庁舎のトイレを利用したことから、市庁舎のトイレを利用することを覚えました。
アーネム市庁舎入口にはわざわざ「トイレお使いください」の貼紙! こんなの珍しいですよね。何て親切なアーネム市! -
市庁舎から北に延びるコーニング通りKoningstraat。先には賑やかそうな商店街がありそうな雰囲気。
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途中右折してニーウスタット通りNieuwstadを東へ。
突き当りは音楽公園Musisparkで、南北に池を囲んで緑地が広がっていました。 -
音楽公園の北側にはムシス・サクルムMusis Sacrum(アーネムコンサートホールMusis Arnhem)、1847年の建築。
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ムシス・サクルムの北東側、ステーン通りSteenstraatに面して聖マルティヌス教会St. Martinuskerkが建っています。
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聖マルティヌス教会は1874-76年にネオゴシック様式で建てられたカトリック教会。アーネムの戦いでの被害はほとんどなかったようです。
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入口は開いていたのに、身廊に入る扉は閉まっていました。扉横の窓からかろうじて撮れた写真がこれだけ(盗撮みたいですね)。
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さて、駅に戻ります。ムシス・サクルム前からロッゲ通りRoggestraatを西に進むと、5つの通りが集まる交差点にたどり着きました(正面が西へ延びるケーテル通り、右が北へ延びるボーフェンベーク通り)。
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南に延びる通りの先に聖エウセビウス教会が見えるので、こちらがコーニング通りでしょうね(先ほど途中まで歩いてきました)。
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交差点からボーフェンベーク通りBovenbeekstraatを北に、そしてゲーレ・レイダース広場をGele Rijders Pleinを西に、とぼとぼ駅に向かいました。
広場にあったブロンズの騎馬像はGele Rijders(黄色い騎馬隊)と呼ばれるオランダ陸軍の騎馬砲兵隊を記念しています(1963年作)。 -
アーネム中央駅に到着。こちらが駅の南側表口になります。駅舎は2015年にリニューアルされました。後ろの高層ビル2棟は、緑のパークタワーParktorenと青のラインタワーRijntorenと呼ばれ、駅の一部です。
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12:05アーネム発のIntercityでナイメーヘンに向かいます。
2本に分岐したライン川の片方を見たので、もう一方のライン川(ワール川)を見に行きます。ナイメーヘンもマーケット・ガーデン作戦の激戦区です。
(ナイメーヘン)https://4travel.jp/travelogue/11813655
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