2019/07/02 - 2019/07/02
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blumentalさん
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観光3日目、今回の旅の主目的であるオランダのライン川を見るため、アーヘンの次にナイメーヘンを訪れました。
ナイメーヘンはアーネムと同じくヘルダーラント州に属し、州都のアーネム(16万人)よりも人口の多い街(17万人)で、市街中心からドイツ国境までわずか6kmです。西暦98年に古代ローマの都市権を得た、オランダで最も歴史のある都市です。
世界大戦では、1940年5月ドイツに侵略された最初のオランダの街となっただけでなく、1944年2月に米軍(味方!)の爆撃を受けるという悲劇を味わっています。そして1944年9月、オランダ・ドイツ間の5つの橋の制圧を目指したマーケット・ガーデン作戦で、4つ目の橋を巡る戦いが展開された街がナイメーヘンです。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
6月29日(土) 10:25関空~15:05スキポール空港、ロッテルダム(ロッテルダム泊)
6月30日(日) ミデルブルグ、フリシンゲン、ライデン(ロッテルダム泊)
7月1日(月) ライデン、ウールデン、スキーダム(ロッテルダム泊)
7月2日(火) アーネム、
★ ナイメーヘン、
スヘルトーヘンボス(ロッテルダム泊)
7月3日(水) ルーヴェン、メッヘレン(ロッテルダム泊)
7月4日(木) リール、トゥルンハウト、ヘーレンタールス(ロッテルダム泊)
7月5日(金) ブレダ、14:45スキポール空港~(機内泊)
7月6日(土) 8:45関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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アーネム観光後、12:05発のIntercityでナイメーヘンに向かっています。
ナイメーヘン駅到着寸前にワール川Waalを越えました。写真中央はワール川の中州で、左側がワール川本流、右側は二次水路です。向こう(西)に見えるのはデ・オーフェルステーク橋De Oversteek。 -
12:17ナイメーヘン駅到着。アーネムからたったの12分。
私がナイメーヘンの地名を覚えたのは、映画「遠すぎた橋」に登場したのと、ロックのヴァン・ヘイレン兄弟の出身地ということからでした。 -
ナイメーヘン駅舎。
駅前のスタションス広場Stationspleinを東に。 -
駅前から東に向かうと交差点の真ん中に高さ13mのオベリスクが立っています。名前はクワック記念碑Quack-monument。1926年建造、交通量の増加のため1958年に一旦取り壊され、2000年に再建。クワックはナイメーヘンの市会議員(在職1902-19)でしたが、業績までは知りません。
建設当時から形が似ていると問題視されており、2004年の世界エイズデーには、長さ8mの巨大サックが記念碑に被せられたそうです。 -
交差点から北東に延びるブルーマー通りBloemerstraatの先に「1944年広場」1944 Pleinという名のバス停。
実際の広場は右の建物の裏側にあります。1944年2月にナイメーヘン市街が米軍の爆撃で破壊されたため、都市再建のために造られた広場です。
でもそちらには行かず、この先の木立の通りを通り抜けると。。。 -
街の中心フローテ・マルクト広場Grote Marktに出ました。何かの催しの準備中でしょうか。
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広場の北側にあるバター計量所Boterwaag。
1612-13年にルネサンス様式で建てられました。 -
オランダあちこちに計量所が残っていますが、この外観、オランダの歴史的建造物の典型的なスタイルの様に思えます。
丸いアーチ型の門の上には双方向からの階段があります。以前は1階は食肉処理場でしたが、現在はレストランDe Waaghになっています。 -
イチオシ
計量所の東側の面。この建物には肉屋のギルドや市の警備隊員も収容していました。
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フローテ・マルクト広場の西側には、元織物会館Lakenhalだった建物があります。
14世紀のナイメーヘンは織物貿易が盛んで、ここに広場の西側を覆う幅54mもある2階建ての織物会館が建てられました(1382年)が、やがて貿易は衰退してその役目を終え、1542-45年に建物を分割し、上階を増築して改装されました。 -
織物会館の一部を取り壊して造られたゲートハウスはステーフェンス門Stevenspoortjeと呼ばれ、教会への通用門になっています。
1613年から門の上層階は、外科医のギルドによって手術室として使用されています。 -
ステーフェンス門をくぐると目の前に聖ステーフェンス教会Grote of St. Stevenskerk。
教会は1273年にケルン大司教によって奉献され、1300年頃から1450年頃にかけて建設されました。 -
こちらは教会側から見たステーフェンス門の内側、つまり西側の面。
教会の四方は建物で取り囲まれています。 -
南側翼廊。ここが入口、おお開いている!
この3日間、ミデルブルグ以外のどの街でも教会に入れませんでしたが、やっとで入れます。大感激! -
広い空間、さすが街一番の大教会Grote kerkです。
内陣(上)と拝廊(下)に向かって、斜めから。 -
真正面から撮るとこのとおり。身廊中央に沿って一直線に並んだシャンデリアが撮影の邪魔をします。オランダの教会の特徴です。
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身廊には30本の燭台を持つ4個の大きなシャンデリアがあります(1640年頃作)。他にも内陣や翼廊などに10個ほどあります。
これらのシャンデリアには電灯が装備されておらず、全てろうそくです。 -
荘厳ながら簡素な内陣。
聖ステーフェンス教会は1591年からプロテスタントの手に渡り、祭壇やカトリックの装飾は全て取り除かれ、教会の内壁は全て白塗りにされました。 -
(左)内陣の奥にあった合唱オルガンKoor-orgel(1700年頃作)。
(右)ルネッサンス様式の説教壇(1640年作)。 -
イチオシ
この教会で最も目を引くのは、拝廊のパイプオルガン、ケーニッヒ・オルガンKönig-orgel です(1773-76年作)。シャンデリアが邪魔なんで斜めから。
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ケーニッヒ・オルガンを真下から。
ケーニッヒは王 Königには関係ありません、ドイツのオルガン製作者ルートヴィヒ・ケーニッヒ(1717-89)のことです。 -
教会内にあった模型で、教会の全容がわかりました。
1944年、聖ステーフェンス教会は街への爆撃で深刻な被害を受けましたが、1953-69年に再建されました。 -
教会の尖塔の南側(左)と西側(右)。
尖塔は1566年の火災を受け、1604-05年にルネサンス様式で再建されました(高さ71m)。 -
教会の南側にすばらしい装飾の建物があります。
1544-45年ルネッサンス様式で建てられたラテン語学校Latijnse School で、1842年から市立ギムナジウムStedelijk Gymnasiumに改名されました。 -
イチオシ
学校自体は他所へ引っ越しているはずなんですが、今は何なのか不明。
窓の両側にある彫像を数えたら12体あるんで、きっと十二使徒なのでしょうね。 -
次はフローテ・マルクト広場からブルフト通りBurchtstraatを東に。
振り返って見る広場と教会。ここらは賑やかです。 -
ブルフト通りに面して建つ旧市庁舎Oude Stadhuis。
1554-55年に初期ルネッサンス様式で建てられました。ファサードには彫刻がいっぱい。 -
こちらが入口でしょうか。
市庁舎は1944年の爆撃で被害を受けましたが、1947-53年に復元されました。塔は戦後に追加されたようです。 -
入口の隣には古典主義のレリーフで飾られた議員の門Gedeputeerdenpoortがあります(1663年建造)。
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旧市庁舎の北東側です(ブルフト通りから)。新市庁舎は旧市庁舎の南側(写真左手)にあります。
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旧市庁舎の角からブルフト通りを50mほど歩くとマリケン通りMarikenstraatが南に延びています。
マリケン通りはナイメーヘンで最も新しいショッピング街のようです。商店街は2層になっていて、まずは上の通路を通っています。 -
マリケン通りの南の突き当りに建つのはアルセナール(兵器庫)Arsenaal。
建物は1820-24年に建てられ、1908年まで兵器庫と使用され、現在はレストランの他、商業施設として使われているようです。 -
アルセナールの前の広場にはマリエンブルク礼拝堂Mariënburg Kapelが建っています(礼拝堂の東側)。
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こちらは礼拝堂の西側。
1431年頃に城壁の外にあったマリアベルク修道院の付属礼拝堂として建てられましたが、1591年のカトリック信仰の禁止以降、兵舎や軍病院として使われました。 -
ですから、教会として機能していません。戦後は展示スペースや歴史の家として公開されているそうです。
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マリケン通りを北方向に戻ります。
今度は下の通路を通っていますが、屋根がないんですごく解放感のあるショッピング・ストリートです。 -
ブルフト通りに戻って、東に進むとファルクホフ公園Valkhofparkの南西の角に出ました。いくつかの通りが交差していて、交通量の多い所です。
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公園入口にある鉄道記念碑Spoorwegmonument(1884年作)。
この記念碑は、1865 年にナイメーヘン最初の鉄道接続としてドイツのクレーヴェを結ぶ鉄道が建設されたことを記念して建てられました。 -
台座の上の女神ビクトリア像は、ドイツの彫刻家クリスチャン・ダニエル・ラウホ (1777-1857)の作品。 レーゲンスブルク近郊のヴァルハラ神殿のために作った大理石像「花輪を投げるビクトリア」Kranzwerfende Viktoria(1841年作)の亜鉛製レプリカです。
これを見て鉄道記念碑とは思えませんね(戦争記念碑かと思いました)。 -
道路を挟んで公園の南側にはファルクホフ博物館Valkhof Museumがあります。1998年設立の考古学博物館で、古代ローマ時代の発掘品が展示されています。
1980年の発掘調査で神の柱Godenpijlerが見つかった場所に、高さ10mの日時計ノビオマグスNoviomagusがあります(2005年製作)。 -
日時計の下部分は発掘された神の柱のブロンズレプリカで、ローマの神々が描かれています。
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博物館前からファルクホフ公園に行くには歩道橋を渡ります。橋の下は自動車道です。
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歩道橋から見下したフーアー通りVoerwegです。城塞の跡地全体が公園になっています。
平地のイメージのオランダですが、アーネムやナイメーヘンなどのオランダ東部となると丘陵地が結構あります。アムステルダムやライデンではこんな下り坂にはお目にかかりません。 -
丘の中心に向かう途中にあったバルバロッサ遺跡Barbarossa-ruïne。
カール大帝(在位800-14)時代には既にナイメーヘンは神聖ローマ帝国の支配下にあり、ファルクホフには城が築かれていました。 -
1047年に焼討にあって荒廃した城を、1155年に城塞として再建したのは赤髭バルバロッサ(皇帝フリードリヒ1世:在位1155-90)です。
このバルバロッサ遺跡は、当時の城付属の聖マルティン礼拝堂St. Maartenskapelの後陣部分のようです。 -
公園内の案内板にあった、17世紀のファルクホフ城とワール川の様子です(1641年の絵画)。
1794年のフランス軍によるナイメーヘン包囲戦で城はかなりの損傷を受けました。修復には多額の費用がかかるため、1797年にファルクホフ城は解体されました。 -
公園の北西側には聖ニコラウス礼拝堂St. Nicolaaskapelがあります。
おっ、向うにワール川が見えます(が、先にこちらを片付けてから)。 -
この礼拝堂は、神聖ローマ皇帝の命令により996年(あるいは1030年か1036年、諸説あり)に建てられました。オランダで現存するロマネスク様式の建物では最古のものとなっています。
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中央の部屋は正八角形の吹き抜けになっています。
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その周りを屋根付きの2層の回廊が取り囲んでいて、外周の壁は16面になっています。
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礼拝堂の中に、当時の城の模型がありました。立派な構えの城塞で現存していないのが残念です。
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礼拝堂の北側にはワール川(おお、これが見たかった!)。公園は小高い丘なのでちょっとした展望台になっています。
ドイツから流れてきたライン川は、オランダに入るとすぐに北のアーネムに向かうネーデルライン川と西のナイメーヘンに向かうワール川に分岐します。 -
イチオシ
そしてここに架かるのが、映画「遠すぎた橋」でも登場するワール橋Waalbrugです。映画ではナイメーヘン橋でした。
1944年9月、5つの橋の確保を目指したマーケット・ガーデン作戦で、4つ目の橋にあたるのがここです。 -
ファルクホフの丘から北側の川沿いの道、ワールカデ通りWaalkadeに降りてきました。この道に面してぜひ寄ってみたかった博物館があります。
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国立自転車博物館ヴェロラマNationaal Fietsmuseum Veloramaです。
外観からはわかりませんが、この建物はかつて市の要塞の一部だったそうです。 -
ここはコレクターの個人収集を基に1981年に設立された博物館で、3階建ての各フロアに19世紀からの歴史的な自転車が展示されています。
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どの階も自転車でぎっしり、珍しい物ばかり。これも自転車?って思う物もあります。二輪車だけじゃありません、一輪車、三輪車、四輪車もあります。
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この博物館では、初期の自転車から現代の物への発展の状況がわかるようになっています。
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木製の自転車もあれば、二人が横並びでこぐ自転車もあります。実に楽しい自転車の歴史。
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説明文を読まないとわからない(読めと言われても読めませんが)博物館と違って、展示品を眺めるだけで楽しめる博物館が好きです。
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個々の解説はできませんので、写真はこれくらいにしておきましょう。
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館内には自転車に関する多くの資料やポスターの他、ランプ、ペダル、ギアなどのパーツのコレクションもありました。
作業をしていたおじさんに、ここには何台あるのって尋ねたら、400台以上あるけど、展示しているのは250台だけって教えてくれました。 -
次は博物館前のワール川沿いの遊歩道を西に移動します。
すぐ東側にはワール橋。1936年に開通した全長604mのアーチ橋で、建設当時アーチ部分はヨーロッパ最長でした。アーチ中央の高さは65m。 -
イチオシ
マーケット・ガーデン作戦ではこの橋を巡って激しい戦闘が繰り広げられました。
1944年9月20日、北岸のドイツ軍を攻めるため、迫撃砲と機関銃掃射の中、米軍の連隊が26艘の手漕ぎボートで川を渡るシーンは、映画でも見せ場でした。実際に渡河を強行したのはワール橋の西 2kmの地点です。
橋の南岸から英第30軍団の攻撃が加わり、連合軍はワール橋を確保できました。「アーネムまで18km」というセリフが映画でありました。 -
しかし英第30軍団の車両は北のアーネムへの進軍を停止します。ナイメーヘンからアーネムへの街道は、歩兵の支援なしに車両の単独走行するのは危険と判断されたからです。ナイメーヘンからの救援はなく、アーネム橋北岸のフロスト中佐は翌朝降伏することになります。
写真はワール川の対岸(北側)風景です。 -
西側(下流)の風景。
向こうの橋はナイメーヘン到着前に渡った鉄道橋、スネルビンデル橋Snelbinderです。この先、ワール川にマース川の支流が合流してボーフェン・メルウェーデ川となり....続きは複雑なんで説明できません。 -
突然目の前に現れた迷路Labyrinth。巨大蚊取り線香みたい。
1982年に河畔の遊歩道に新しい洪水防御壁が完成した後、ここに芸術作品をということでこの迷路が造られました(アートです!)。 -
直径は24mで9つの同心円から成る迷路です。水が無ければ、迷路の溝で子供が遊べそうですね。
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道路側の洪水防御壁を見ると、裸婦が宙に浮いていたんでびっくり。変わった設置の彫刻ですが、もしやワール川が増水したときに水に浮いているように見せるためでは?....考えすぎでしょうか。
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迷路付近から南東の方向に見えた聖ステーフェンス教会の尖塔。映画「遠すぎた橋」では、ナイメーヘンのシーンの背景にこの尖塔がぼやっと映っていました。
さて、川岸から南に市街地の方に戻ります。 -
川岸からパーペンガス通りPapengasを南に向かう途中、聖ヤコブ礼拝堂St. Jacobskapelがありました。
15世紀に聖ヤコブ救貧院の付設礼拝堂として建てられましたが、1591年のカトリック信仰の禁止以降は、学校、倉庫、牛舎、孤児院として使用。現在は展示会や結婚式などに使われているようです。 -
ランゲ・ヘゼル通りLange Hezelstraatに出ました。
オランダ最古のショッピング街として知られている通りで、たくさんの店が並んで賑やか。駅に戻るため、通りを西に向かいます。 -
この通りはナイメーヘン空襲の被害をまぬがれ、15~17世紀の建物もいくつか残っているそうですが、見た目にはよくわかりません。
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ランゲ・ヘゼル通りの西端がクローネンバーガー公園Kronenburgerparkの北の入口です。
1874年に市壁の取り壊しが決定し、一部の市壁を保存して公園に組み込むことになり、1882年に完成した公園がここです。 -
イチオシ
クライト塔(火薬塔)Kruittorenは1425-26年に造られた市壁の一部です。高さ約30m。
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公園には池も噴水も橋もあります。市民の憩いの場です。
公園は南北に長く、400mくらいあります。 -
イチオシ
クローネンバーガー公園を南に抜けると、目の前にはクワック記念碑がにょっきり。
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記念碑の交差点を西に向かえばすぐにナイメーヘン駅です。ここの駅も駐輪場完備、自転車がぎっしりです。
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駅の入口付近にあった彫刻「三位一体像」Drie staande figuren(1953年作)。
父、子、聖霊と思ったら大間違い。スピードSnelheid、安全Veiligheid、サービスDienstbetoonだそうです。 -
今日は2つの街を訪問しましたが、欲を出してもうひとつ。
15:09ナイメーヘン発のIntercityでスヘルトーヘンボスに向かいます。大好きな画家ヒエロニムス・ボスの生まれた街です。
(スヘルトーヘンボス)https://4travel.jp/travelogue/11817401
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