東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年12月23日(木)5時過ぎ。古くからの友人といもぼうで昼食忘年会をして、その後清水寺まで足を延ばし、八坂さんを抜けて帰路についている。彼はこの日は烏丸三条のホテル泊で、夜は親戚の方と逢う予定と云うので、ホテルまで歩いて付き合う。<br /><br />八坂神社の西楼門前から始まる四条通は桂川を越えて松尾大社まで続く、京都の東西のメインストリートの一つ。東側の祇園から四条烏丸までは四条河原町交差点を中心に京都最大の繁華街を形成している。四条烏丸の西側から四条河原町までは祇園祭の山鉾巡行が行なわれるコースにもなっている。<br /><br />新京極辺りから天神川東畔までは平安京の四条大路に相当し、大路沿いに公家の邸宅が点在していた。平安時代末期以降は、この大路の東側は商工業の中心地として栄え、七条大路と並ぶ京内で最も繁華な街路だった。ただし、鴨川以東が発展したのは江戸時代の祇園町開設以降。<br /><br />明治末期から昭和初期に掛けて、東大路通から西大路通までが拡幅され、市電も敷設された。祇園から四条大宮までは1912年(大正元年)開業、1972年廃止で、四条大宮から梅津までは戦争中の1945年開業、1958年廃止(トロリーバス化)。なお、トロリーバスも1969年に廃止された。私はまだ京都に引っ越す前だったけど、知ってるわ。<br /><br />2014年暮れから川端通から烏丸通間の歩道拡幅工事が始まり、車道が片側2車線から1車線に減少された。工事は2015年10月に完成。当初は大きな渋滞が発生したが、その後は通行車両が減り、渋滞も減ったそうだ。<br /><br />東大路通から500m足らずで四条大橋を渡る(下の写真1)。現在の橋は1942年(昭和17年)に完成した橋長65m、幅員25.0mの鋼連続桁橋。川の中に2つの橋脚を持つ。片側2車線の車道と、周囲の道路に比べ幅の広い歩道を持つ。<br /><br />1965年に第二次大戦中に金属供出のため木製になっていた高欄が付け替えられ、全国初の一般公募のデザインをもとに製作された。土台に那智玉石が貼り付けられ、本体は白いコンクリート、手すりは金色の青銅鋳物製になっている。また、ボルト隠しも青銅鋳物製で御所車がデザインされている。<br /><br />最初に橋の記録があるのは八坂神社の社家記録で、平安時代の1142年に架けられたと云う。ただし、江戸時代までは中州(四条河原)があり、小さな橋が中州の両側に架かっていた。初めて両岸を結ぶ橋が架けられたのは幕末の1859年。鴨川は暴れ川で江戸時代までは何度も橋が流されたが、これ以降も流されこそしてないが2回大きな被害を受けている。最後の大被害が1935年(昭和10年)で、現在の橋はその代替えで架け替えられた。<br /><br />四条大橋を西に渡ると、四条通に沿ってではなく結構デコボコしているが、ざっくり云えば北側は中京(なかぎょう)区になる。中京区は京都市役所本庁舎が置かれるなど京都市の行政的な中心で、上京区と下京区と共に都心を形成している。<br /><br />地下鉄の乗換駅である烏丸御池駅周辺には、オフィス街が形成されており、二条駅もJRと地下鉄の乗換駅になり、大学施設や商業施設が増えている。私も7年くらいは烏丸通のオフィスに勤めてた。<br /><br />かなり大雑把なイメージだが、鴨川西岸から西大路通の西までの範囲で北は丸太町通、南は四条通に囲まれた地域で、北が上京区、南が下京区、東が東山区で西が右京区って感じ。実際には北区と左京区にも接している。面積約7.4平方㎞は京都市の11の区の中で3番目に小さい。<br /><br />人口は11万人弱で、京都市の11区では7番目に多い。2005年に20年振りに10万人を超え、90年代半ばに比べると2万人ほど増えている。人口密度は1平方㎞辺り1万4千人を超え、ダントツのトップ。次いで上京区と下京区も1万1千人を越えてるので、やはり都心部の人口密度は高い。<br /><br />平安時代に天皇の居住地や重要儀式を行なう内裏が設けられ、周辺には公家や武家の邸宅、商家などが建ち並び、政治だけでなく、文化・経済の中心地として発展した地域。織田信長が明智光秀に討たれた本能寺もあった(現在地とは違い、西洞院六角辺り)。<br /><br />江戸時代に入ると家康により二条城が築城され、その二条城は幕末の大政奉還の舞台となった。また、池田屋事件や竜馬暗殺など尊皇派と攘夷派の対決舞台にもなった。<br /><br />1869年(明治2年)に三条通りより北を上京、南を下京としたが、1929年(昭和4年)に旧上京区の丸太町通以南と、旧下京区の四条通以北を分区して中京区が誕生した。ただし、四条通に面する町は下京区のままとした。また、西の壬生と北の西ノ京の一部はその範囲を越えて中京区とした。<br /><br />出身著名人としては、漫才の今くるよは松原中学卒、シンクロの奥野史子が城巽中学(現京都御池中学)卒、市長の門川大作はその先輩(高校も区内の堀川高校)。元阪神監督の吉田義男は朱雀第八小学校卒で、俳優の岸部一徳はその後輩。岸部一徳は北野中学卒で、同じザ・タイガースだった瞳みのると森本太郎が同級生。<br /><br />区内にある学校では花園大学を出たのが、漫才のミキの兄の昴生、推理作家の中山七里で、チュートリアルの徳井義実と安田大サーカスのクロちゃんは中退。<br /><br />西京高校卒は元任天堂社長の山内溥、タレントの木村祐一、元ジャイアンツの国松彰、漫才天才ピアニストの竹内知咲ら。堀川高校卒はバイオリニスト葉加瀬太郎、指揮者の佐渡裕、競歩の山西利和ら。銅駝美術工芸高校(旧日吉ヶ丘高校及び美術工芸学校)卒がアーチストの草間彌生やシンガーソングライターのつじあやのら。<br /><br />寺町通りから錦小路を歩く。新京極の錦天満宮正面から西は壬生川通まで続く通り。宇治拾遺物語によると、平安時代は具足小路と呼ばれ、その後なまって、糞小路となり、勅命で四条通をはさんで南隣の綾小路にちなんで錦小路に改められたと云う。綾と錦は共に上質な絹織物を指す。<br /><br />寺町通りから高倉通の間は有名な錦市場となっている。青果店、鮮魚店、乾物店、惣菜店などが並ぶアーケード、石畳の狭い通り。東西390mの中に約130店舗が軒を並べる。道幅は3.2から5mあるが、道に迫り出して商品や商品棚を並べる店舗が少なくなく、実際はもっと狭い。<br /><br />市場のおこりは平安時代、豊富な地下水を利用して京都御所へ新鮮な魚を納める店が集まり始めたもので、約1300年の歴史を持つ。京都市民からは「にしき」という愛称で呼び親しまれ、「京の台所」として地元の買い物客で賑わう。<br /><br />近年は新京極商店街や寺町京極商店街とともに、観光客や修学旅行生が訪れる活気のある観光名所としても賑わう。昭和時代に中央卸売市場の開設や地下水の枯渇、大手スーパーマーケットの進出など存続の危機を迎えたが、卸売から小売へのシフトを図りながら、現在に至る。<br /><br />江戸中期の画家、伊藤若冲が錦市場の大店の青物問屋と云うことで、多くの商店のシャッターに若冲作品が描かれていることも話題になったが、開店時間じゃ見られない。<br /><br />正月が近いので堺町通の東の器土合爍と云う陶器販売の店で売ってる亀岡の丹山酒造の笑門福来と云うお酒を新年用に買って帰る。2750円のちょっといいお酒(下の写真2)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9149892988413977&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />烏丸三条のホテルまで友人を送り、この日の話は終了<br /><br /><br />以上

京都 中京 錦市場(Nishiki Market,Nakagyo,Kyoto,Japan)

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2021/12/23 - 2021/12/23

4962位(同エリア6949件中)

旅行記グループ 東山

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月23日(木)5時過ぎ。古くからの友人といもぼうで昼食忘年会をして、その後清水寺まで足を延ばし、八坂さんを抜けて帰路についている。彼はこの日は烏丸三条のホテル泊で、夜は親戚の方と逢う予定と云うので、ホテルまで歩いて付き合う。

八坂神社の西楼門前から始まる四条通は桂川を越えて松尾大社まで続く、京都の東西のメインストリートの一つ。東側の祇園から四条烏丸までは四条河原町交差点を中心に京都最大の繁華街を形成している。四条烏丸の西側から四条河原町までは祇園祭の山鉾巡行が行なわれるコースにもなっている。

新京極辺りから天神川東畔までは平安京の四条大路に相当し、大路沿いに公家の邸宅が点在していた。平安時代末期以降は、この大路の東側は商工業の中心地として栄え、七条大路と並ぶ京内で最も繁華な街路だった。ただし、鴨川以東が発展したのは江戸時代の祇園町開設以降。

明治末期から昭和初期に掛けて、東大路通から西大路通までが拡幅され、市電も敷設された。祇園から四条大宮までは1912年(大正元年)開業、1972年廃止で、四条大宮から梅津までは戦争中の1945年開業、1958年廃止(トロリーバス化)。なお、トロリーバスも1969年に廃止された。私はまだ京都に引っ越す前だったけど、知ってるわ。

2014年暮れから川端通から烏丸通間の歩道拡幅工事が始まり、車道が片側2車線から1車線に減少された。工事は2015年10月に完成。当初は大きな渋滞が発生したが、その後は通行車両が減り、渋滞も減ったそうだ。

東大路通から500m足らずで四条大橋を渡る(下の写真1)。現在の橋は1942年(昭和17年)に完成した橋長65m、幅員25.0mの鋼連続桁橋。川の中に2つの橋脚を持つ。片側2車線の車道と、周囲の道路に比べ幅の広い歩道を持つ。

1965年に第二次大戦中に金属供出のため木製になっていた高欄が付け替えられ、全国初の一般公募のデザインをもとに製作された。土台に那智玉石が貼り付けられ、本体は白いコンクリート、手すりは金色の青銅鋳物製になっている。また、ボルト隠しも青銅鋳物製で御所車がデザインされている。

最初に橋の記録があるのは八坂神社の社家記録で、平安時代の1142年に架けられたと云う。ただし、江戸時代までは中州(四条河原)があり、小さな橋が中州の両側に架かっていた。初めて両岸を結ぶ橋が架けられたのは幕末の1859年。鴨川は暴れ川で江戸時代までは何度も橋が流されたが、これ以降も流されこそしてないが2回大きな被害を受けている。最後の大被害が1935年(昭和10年)で、現在の橋はその代替えで架け替えられた。

四条大橋を西に渡ると、四条通に沿ってではなく結構デコボコしているが、ざっくり云えば北側は中京(なかぎょう)区になる。中京区は京都市役所本庁舎が置かれるなど京都市の行政的な中心で、上京区と下京区と共に都心を形成している。

地下鉄の乗換駅である烏丸御池駅周辺には、オフィス街が形成されており、二条駅もJRと地下鉄の乗換駅になり、大学施設や商業施設が増えている。私も7年くらいは烏丸通のオフィスに勤めてた。

かなり大雑把なイメージだが、鴨川西岸から西大路通の西までの範囲で北は丸太町通、南は四条通に囲まれた地域で、北が上京区、南が下京区、東が東山区で西が右京区って感じ。実際には北区と左京区にも接している。面積約7.4平方㎞は京都市の11の区の中で3番目に小さい。

人口は11万人弱で、京都市の11区では7番目に多い。2005年に20年振りに10万人を超え、90年代半ばに比べると2万人ほど増えている。人口密度は1平方㎞辺り1万4千人を超え、ダントツのトップ。次いで上京区と下京区も1万1千人を越えてるので、やはり都心部の人口密度は高い。

平安時代に天皇の居住地や重要儀式を行なう内裏が設けられ、周辺には公家や武家の邸宅、商家などが建ち並び、政治だけでなく、文化・経済の中心地として発展した地域。織田信長が明智光秀に討たれた本能寺もあった(現在地とは違い、西洞院六角辺り)。

江戸時代に入ると家康により二条城が築城され、その二条城は幕末の大政奉還の舞台となった。また、池田屋事件や竜馬暗殺など尊皇派と攘夷派の対決舞台にもなった。

1869年(明治2年)に三条通りより北を上京、南を下京としたが、1929年(昭和4年)に旧上京区の丸太町通以南と、旧下京区の四条通以北を分区して中京区が誕生した。ただし、四条通に面する町は下京区のままとした。また、西の壬生と北の西ノ京の一部はその範囲を越えて中京区とした。

出身著名人としては、漫才の今くるよは松原中学卒、シンクロの奥野史子が城巽中学(現京都御池中学)卒、市長の門川大作はその先輩(高校も区内の堀川高校)。元阪神監督の吉田義男は朱雀第八小学校卒で、俳優の岸部一徳はその後輩。岸部一徳は北野中学卒で、同じザ・タイガースだった瞳みのると森本太郎が同級生。

区内にある学校では花園大学を出たのが、漫才のミキの兄の昴生、推理作家の中山七里で、チュートリアルの徳井義実と安田大サーカスのクロちゃんは中退。

西京高校卒は元任天堂社長の山内溥、タレントの木村祐一、元ジャイアンツの国松彰、漫才天才ピアニストの竹内知咲ら。堀川高校卒はバイオリニスト葉加瀬太郎、指揮者の佐渡裕、競歩の山西利和ら。銅駝美術工芸高校(旧日吉ヶ丘高校及び美術工芸学校)卒がアーチストの草間彌生やシンガーソングライターのつじあやのら。

寺町通りから錦小路を歩く。新京極の錦天満宮正面から西は壬生川通まで続く通り。宇治拾遺物語によると、平安時代は具足小路と呼ばれ、その後なまって、糞小路となり、勅命で四条通をはさんで南隣の綾小路にちなんで錦小路に改められたと云う。綾と錦は共に上質な絹織物を指す。

寺町通りから高倉通の間は有名な錦市場となっている。青果店、鮮魚店、乾物店、惣菜店などが並ぶアーケード、石畳の狭い通り。東西390mの中に約130店舗が軒を並べる。道幅は3.2から5mあるが、道に迫り出して商品や商品棚を並べる店舗が少なくなく、実際はもっと狭い。

市場のおこりは平安時代、豊富な地下水を利用して京都御所へ新鮮な魚を納める店が集まり始めたもので、約1300年の歴史を持つ。京都市民からは「にしき」という愛称で呼び親しまれ、「京の台所」として地元の買い物客で賑わう。

近年は新京極商店街や寺町京極商店街とともに、観光客や修学旅行生が訪れる活気のある観光名所としても賑わう。昭和時代に中央卸売市場の開設や地下水の枯渇、大手スーパーマーケットの進出など存続の危機を迎えたが、卸売から小売へのシフトを図りながら、現在に至る。

江戸中期の画家、伊藤若冲が錦市場の大店の青物問屋と云うことで、多くの商店のシャッターに若冲作品が描かれていることも話題になったが、開店時間じゃ見られない。

正月が近いので堺町通の東の器土合爍と云う陶器販売の店で売ってる亀岡の丹山酒造の笑門福来と云うお酒を新年用に買って帰る。2750円のちょっといいお酒(下の写真2)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9149892988413977&type=1&l=223fe1adec

烏丸三条のホテルまで友人を送り、この日の話は終了


以上

  • 写真1 四条大橋南

    写真1 四条大橋南

  • 写真2 原酒 笑門福来

    写真2 原酒 笑門福来

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